真耶歴クライシス サンプル
1
一人で食べる年越しそばは、まずい。
一人で食べるクリスマスケーキは、味がない。
おせち料理は、一人で食べる用にはできていない。
ああ悲しや、年の瀬はとことん僕に背を向ける。いい加減悲しみ慣れたし飽きたけど、やっぱり木枯らしは身にしみる。
溜まり場への一歩一歩がやけに長く感じるのは、コートにまとわり付く笑い声が重いから? 年末年始の浮ついたムードは重力さえ制御するのか。
「ちゃっぷい……」
ぶりっ子的に両手を合わせ、息を吹きかける。
誰が悪いわけでもない、しいて言うなら僕の事情が悪い。自業自得とは違うものの、恨む相手もいない。
溜まり場のビルが見えてきて、知らずふぅっとため息をついた。見上げてみたものの、遠すぎて人影は確認できなかった。まあ、今日ならみんないる だろう。……三日後、五日後、一週間後はわからないけど。
クリスマスには耐えられる。イルミネーションは嫌いじゃないし、おひとりさまはマイノリティではなくなった。
問題はその後だ。
……年末年始。
僕の、だいっきらいな時期がやってくる。
「おっそいぞー、トモちんー」
「ごめんごめん、ちょっと学校でもたついちゃって」
「あと五秒遅ければムッツリスケベのリア充裏切り者として魔女裁判の後ひん剥いて火あぶりにするところでした」
「か、間一髪……って、僕無実なんだけど」
「智のところは共学だったかしら。鼻の下伸ばした下等生物にコナかけられたりしてないでしょうね? クリスマスに智を頂くのは私なんだから身体は 大事にしなくちゃ駄目よ?」
「それは御免こうむりたいです」
「遠慮無用、今宵は無礼講じゃ」
「ぎにゃーいきなり寄ってくるのやめてよして触らないでらめらめらめぇぇぇ!」
お出迎えは毎度おなじみ、スキンシップという名のセクハラ攻撃。花鶏を不機嫌にさせずに逃げ切るのはちょっとしたミッション。コンプリート失敗 すると空気修復が大変なのです。たまには乗ってあげればいいんだろうけど、乗ったら人生の最後が来るのでそうもいかない。
「そもそもセクハライズモンスターに礼儀があるとでも」
「愛情を正直に表現できるのは素敵なことじゃないかな」
「そういう言い方すると聞こえだけはよくなるわね」
こちら結構真面目にピンチなんだけど、みんなのほほんとしている。慣れって怖い。
逃げ惑いつつ見てみると、ちゃんと全員集合していた。ほっと一安心。
……って、あれ。
「ていうか、花鶏センパイが今日ここにいることが不思議です」
こよりんが僕の疑問を代弁してくれる。確か学校では大モテだったはず……。
「学校にもいい子はいるんだけどね、智やこよりちゃんの方がハンティングのしがいがあるのよ」
「なんて大迷惑なターゲッティング!」
「来るもの拒まずって言ってた気が」
「ちっちっち、ぞっこんな女の子には少し引いてじらすのがオトナなのよ」
「正論のようで見事な洗脳方法」
「つーか、実はモテないんじゃないの? 花鶏に引っかかる女の子がいるとは思えないよ」
ひたり。
るいの突っ込みに、花鶏が止まる。
「……今何か言ったかしら、皆元」
「被害者が出なくて良かったねーって」
「ハン、流石は腐った目の持ち主。この私の美貌とカリスマとテクニックが分からないなんてね」
「花鶏は目どころか骨の髄まで腐ってるじゃん」
「……なんですって」
「セロリライス大好物とか味覚も終わってるし、モテるモテるいう割に今日も来てるし、どう考えてもモテない女の妄想っしょ」
ぎらりと、花鶏の目が光った、気がした。ラブラブオーラが闘争モードに一変する。
「言ってくれるじゃないのよ皆元の分際で」
「お、やるか?」
「ちょっとツラ貸しなさい今すぐ地面に叩きつけてブタのごとく靴舐めさせてやるわ!」
「やれるもんならやってみろ!」
「なにをー!」
「このー!」
翻るロングスカート、華麗に宙を舞う赤毛のファイター、毎度おなじみ仁義なきバトルここに開戦。……止めても止まらないし、たまにイケナイアク シデントが起こるので、そそくさとその場を離れる。
同じく外野の皆さんは、遠赤外線的な笑顔を浮かべていた。
「何はともあれ、みんな来てくれてよかった」
「クリスマスなんてエロスの言い訳と商業主義と節電なんぞ知ったことかと見栄とペンキ塗りたての夢の詰め合わせですからね。この時期の街角は地雷 埋めて歩きたくなります」
「もともとは神様の生誕を祝う日よね……本末転倒もいいところだわ。お祭り騒ぎは悪いことじゃないけど単なるイベント化したら神聖さが薄れるし、 そもそも外来の文化をこんな形で定着させること自体が是非を問われるべきことだと思うのよね、別に宗教もあれこれ言う気はないけどグローバル化し すぎるのも問題でしょ? 文化が違うところから輸入してきた以上はバックボーンも一緒に仕入れて土着文化との融合と住み分けを図った上で」
「モテない僻みはその辺で黙れおっぱい」
「なんかよくわかんないですケド、鳴滝はサンタクロースが来てくれればそれでいいであります」
「こよりの家はサンタさん来るんだ」
「あれ、智センパイのところには来ないんですか?」
「んーまあ、来ないほうが色々助かるしね」
仮に実在したとしても全力でお断りしたい所存です。サンタクロースに呪い踏まれてジエンドなんて笑えない。
「今年は何をお願いしたの?」
「某魔法少女のBD全巻セット初回特典付きであります! ちょっと高いから親じゃなくてサンタさんにお願いしました!」
「……そりゃサンタさん来なくなるね」
胸のうちで鳴滝家サンタに合掌。諭吉様よ永遠に。
「無知はかくも残酷なり」
「……言いたいことは多々あるけど、黙っておいたほうがいいのかしら」
「それは僕たちの役割ではないだろうね。舞台の幕は当事者が下ろす。外野が無理やり夢から覚まさせる必要はないんじゃないかな」
「イルミネーションに浮かれたパッパララバーズもどうせそのうち目覚めて経費の押し付け合いをしますしね」
「現実は無情だ」
「こよりちゃんにサンタさんが来なくなったら、私がサンタさんになってあげるわよ」
獲物の匂いを嗅ぎつけたか、喧嘩を中断して話に割り込んでくる花鶏。純粋無垢なウサギちゃんは目を輝かせる。
「え、本当デスか花鶏センパイ!?」
「もちろん。ただしお代は身体でいただくわ」
「そこ、白昼堂々危険な売買契約結ばないように」
「子ウサギちゃんはこうして大人の階段を登るんですね」
「登らせていいものなの?」
「駄目です」
街の景色がどうなっても、ここで交わされるのはたわいもない会話。ある意味とっても安定している。空を見上げれば冬の青、白い肌を髣髴とさせる 透明感には寂しさが混ざる。
本日、クリスマスイブはどうでもいい。恋人たちの聖夜もフライドチキン予約制もサンタコスプレ合戦も、僕たちには縁のない話だ。
……問題は、その後の予定。
僕の懸念を先取りするかのように、伊代が話題を振る。
「そういえば、みんな年末年始はどうするの? ずっとここに集まってるわけにはいかないでしょ?」
はた、といったん止まる一同。次の反応は様々……のようで、似た傾向だ。
「デスよね……鳴滝も大掃除のお手伝いはしなきゃです」
「私はほら、掃除も料理もしなきゃいけないから、年末年始は時間が取れなくなりそうなの」
「僕も少々忙しくなるかもしれないな。浜江と佐知子に任せきりにするのも悪い」
「るい姉さんは家なき子だからなー」
「うちに泊まってるんだから掃除ぐらい手伝いなさいよ」
「えー、めんどくさい」
「居候の強制奴隷化、どさくさにまぎれてなんと恐ろしい陰謀」
「茅場、あんたも手伝うのよ」
「では茜子さんは猫ハウスに引っ越します。にゃーお」
「凍死するよそれ!」
「大丈夫です。お猫様のぬくもりを暖房と一緒にしてもらっては困ります」
「和み通り越して危機的状況しか想像できないってば」
「セクハランの慰み者になるぐらいならマッチ売りの少女プレイを選びます。マッチは要りませんか、あなたの服を燃やして差し上げましょう」
「ただの犯罪者だ」
半分は冗談だろうけど、半分は本気に聞こえるから怖い。年末年始は冷え込むし、誰かの家にいたほうがいいに決まってる。その『誰か』が限られて しまうのが問題ではあるんだけど、僕が彼女たちを招くわけにはいかないからなぁ……。
「で、陰険ブルマ隊員はどうするんです?」
「僕? ……特に変わったことはしないよ、大掃除して適当にテレビ見て寝正月」
「なんと面白みのない回答」
「年末年始に面白いもへったくれもないって」
そう、年末年始に楽しみなんてものはない。一日一日がいつもどおり通り過ぎていくだけだ。違うのは人々の同調圧力。
お正月の料理は、明らかに家族用だ。お年玉だって誰かがくれるもの。誰が決めたか分からない『年末年始は家族みんなで過ごしましょう』のムー ド、カレンダーが切り替わるだけのことに呪術めいた意味を見出し、連帯感と絆を演出して満足する雰囲気。
『恋人がいない』はクリスマス滅べの主張が聞こえる程度にはよくあるシチュエーション。だからクリスマスは耐えられる。
だけど年末年始は違う。
誰もが家の中に引きこもり、家族の輪を確かめているあの空気は、家族の面影すら置いてきた僕にとって氷点下よりも冷たい。
みんなが孤独じゃないと知った上でのひとりぼっちは、集団内の孤独よりもはるかに居心地が悪い。恨んで自分を慰めようにも、恨み相手さえいな い。
だから年末年始は嫌いなんだ。
本当に、誰もいなくなるから。
身勝手に年の暮れブルーになってる僕を尻目に、会話が進んでいく。
「年末は何日まで集まるかとか決めておいたほうがいいのかしら。その方が気兼ねしないわよね」
「そこまでガチガチに決める必要もないでしょうけど……ま、わかってた方が気楽か」
「鳴滝も大掃除の予定入れなきゃデス。ギリギリまでいたいですけど」
「ある程度見えている未来なら、良きにつけ悪しきにつけ、気持ちの準備ができる。予定を立てるのも時には必要かもしれない」
「てかさ、花鶏の家はおせちとかあるの? まさかおせちまでセロリづくしとかないよね?」
「失礼ね、今年はお店で注文するって言ってたわよ。なんとかカフェのクーポンで半額とか言ってたし」
「その展開は大いに危険な香りが」
「おせちって作りがいはあるんだけど手間がかかるのよね。うちも何品かは買ってるわ」
「イヨ子はおせち作れるの?」
「ええ、もちろん全部とまではいかないけど、ある程度なら」
「あーいいなぁ!」
「もし余るようなら持ってきてもいいけど」
「ホント!? 楽しみぃ!」
「持ってくる前提なら多めに作っておこうかしら。材料費そんなに変わらないし」
「うっひょー太っ腹っ」
盛り上がるるいと伊代。うらやましいな、と黒いものが沸いては消える。
「智センパイもお料理得意ですよね? おせちは作らないですか?」
「作っても食べる人いないよ」
こよりの質問に、少しぶっきらぼうに答える。意味を理解したか、こよりがちょっとしょげる。その様子を目ざとく見つけて、今度は花鶏が声をかけ てくれる。
「あら智、寂しいなら私の家に来てもいいのよ?」
ちょっと身を乗り出したくなる提案。ぐらりと気持ちが揺らぐ、も、すぐ踏みとどまる。
「ううん、遠慮しとくよ。僕は自分の部屋があるのに押しかけちゃ悪いもん」
「……そう?」
「うん」
何か言いたげに、けれどそれ以上は深入りしてこない。提案はしたものの、諸手を挙げて歓迎できる状況ではないんだろう。
僕だってバカじゃない、何かと物入りの時期に扶養対象者が増える厳しさぐらいわかる。るいや茜子はそもそも住むところがないから、誰かの手を借 りるしかない。逆を言えば、住むところのある僕が誰かに甘えるべきじゃない。
それに……その、花鶏の家は何かと危険だし。主に花鶏という存在が。
「声かけてくれるのは嬉しいよ、ありがと。で、予定はどうするの?」
さっさと話題を戻し、日程の調整に入る。イヤなことは早く決めてしまったほうがいい。別に死ぬわけじゃない、心身ともに冷え切った日々をを過ご すだけのこと。
それじゃあ、とみんなで予定をつきあわせる。クリスマスイブにこういうことやってるっていうのも変な感じ。
「うっかりしてたけど、みんなでクリスマスパーティーするって方法もあったね」
「じゃあ、予定決めたらお菓子買ってプチパーティーしましょうよぅ!」
「それは良い提案かもしれない。わざわざ出かけなくても、良質の景色と空間が手に入る」
「日が暮れると寒くなっちゃうから、急いだほうがいいかも」
「おお、物欲主義にとらわれるおろかな子羊たちよー、では茜子さんはクルミ入りのケーキを所望します」
「全力でとらわれてる」
「我慢する理由がないですからね。これからセロリ地獄に落とされますし」
「あ、結局花鶏の家に行くんだ」
「使えるものは使い潰すのが茜子さんのジャスティスです」
「正義って何だろう……」
軽口を叩きつつ、ほっと胸をなでおろす。心配性なもんだから、確認しないと落ち着かないのです。
そうなると……年末年始ひとりぼっちなのは僕だけか。
改めて確認すると、つぶれたぶどうのような空しさが押し寄せてくる。いつものこと、いつものことと言い聞かせてざわつきを抑える。
「……」
ふと、惠と目が合う。毎度おなじみアルカイックスマイルに、ほんの少しだけ影が入っている……気がする。
気にしないで、と目で合図。花鶏同様、気遣い混じりの困った顔を返される。僕が思っている以上に、今の僕は沈んだ気分が前面に出てしまっている のかもしれない。
みんなで過ごす日々に、空白が生まれる。暗転でも衝突でもない、問答無用の穴が開く。
今回はひときわ寒い年末年始になる……嬉しくない予感に、一息を吐く。
けど。
いつもは当たる『悪い予感』が、今回ばかりは外れた模様。
『智は、頼みごとを引き受けるのは好きかい?』
「最後まで聞くと断れないタイプです」
『三分、時間をくれないかな』
「惠が頼みごとなんて珍しい」
『察しが良くて助かるよ』
「この流れで頼みごとじゃなかったら逆に驚くって」
『愛の告白も兼ねようと思っていたんだけど』
「ごめんそっちは丁重にお断り申し上げたい」
突然かかってきた電話の主は惠。
彼女はぶしつけに、普通のようで想定外のことを言い出した。
『……人間の能力には限界がある。しかし、年末年始は能力に対し過大な負荷をかけがちだ』
「惠のお屋敷は大掃除大変そうだもんね」
『猫の手も借りたいところなんだが……借りるならば猫ではなく、神の手を望んでしまうものでね』
「ファンタジーなことをおっしゃる」
『技術と経験は人を神たらしめる要素だと思わないか? 漫画の神様も野球の神様も人間じゃないか』
「すっごい論理飛躍してる! 言いたいことは分からなくもないけど飛躍してる!」
『言葉そのものには明確な定義はない。ひとつの単語をとっても、そこには発言者のイメージや視点、人格が投影される。僕の言う神様と君が聞いた神 様は別のものかもしれないよ』
「いや、そっちの説明は求めてないから。先に結論をお願いします」
『……君が欲しい』
「あああああああ」
携帯を持ったまま頭を抱える。
どうしてこう、この子は斜め上でむずがゆくって顔が赤くなる言い方をするのか!
「よ、ようするに、てつだいにきてほしいってこと、だよね!」
『君の手にかかれば、暗澹たるホコリが降り積もるこの屋敷に春を呼ぶぐらい造作もないだろう』
だいぶ余計な情報が入りまくってるけど、とどのつまりそういうことのようです。
『君をマッチ売りの少女にするつもりはない。暖かな部屋も美味な食事も本物だよ』
「軽く住み込み的な感じだね」
『そのまま愛の巣を』
「お断りいたします」
気を抜くとすぐに斜め上に進む会話にくらくらしつつ、考える。
……正直言えば、魅力的だ。でも、花鶏の家に行くのを断った手前、はいわかりましたと即OKは出しづらい。蟻の穴から堤も崩れるのだ。特に花鶏 は堤を崩すどころか爆破するタイプ。それほど本気のお誘いでなかったとはいえ、僕が惠を選んだとか思われると面倒だし、同盟に余計なヒビは入れた くない。多分、惠もそれを察知して溜まり場では言い出さなかったんだろう。逆に、そうなる可能性を知ってて電話をかけてくる程度には困ってるって 事でもある。
『駄目……かな』
電話から不安げな声が漏れる。
「いや、駄目ってことはないんだけど……こう、立場的に」
『こっそり来るというのは?』
「バレたら致命的なダメージ受けるからなぁ」
『いっそ既成事実を作ってしまうとか』
「そんな凶悪な切り札は存在しません」
『……困ったな』
「困りました」
決して無理なお願いじゃないし、むげに断るような内容でもない。年末年始を一人で過ごさなくて済むというだけでこのうえなく魅力的。惠は口は達 者だけど性的な危険度は低めだし、この機会に浜江さんに料理を習ってみたくもある。デメリットがあるとすれば、僕が行くことそのものが余計な火種 になるかもしれないって点ぐらい。ぐらいといいつつ、その点が一番問題なんだけど。
なんとかこう、上手く説得できれば……
「って、そうだ! 惠、人手が欲しいんだよね?」
ぽん、とアイデアが降ってくる。名づけて『みんなで渡れば怖くない作戦』。
『人手と一言で言っても、任せたい内容によって必要な人物は変わってしまうんじゃないかな』
「うん、そうなんだけど。内容はともかく、手数は多いほうがいいんじゃない?」
言わんとすることを理解したのか、間が空く。
僕一人が変わった行動をとるから目立つ。みんなの知らないところで話が進んでるから不審がられる。なら、全部オープンにしてしまえばいい。どん な流れで、どんな理由で物事が動くのか、可視化するだけで不安の大部分は解消するのだ。
『……なるほど。君に絞らなければいいのか』
「そうそう。あくまで独り者三人に声かけるってスタンス。アリバイ工作みたいだけど……っていうか、僕から言うことでもないんだけど」
『いや、名案だよ智。あの二人も来てくれれば、当初の予定よりできることも増えるだろう』
「そうだよね、そうしたら僕も気兼ねなく行けるし」
『流石は智だ。これで今年の年末はにぎやかになる』
「そうそう。エビ天の上手な揚げ方とか教えてもらいたいな」
『智なら、浜江も教えがいがあるだろう。きっと喜ぶよ』
「結構スパルタに教え込まれそうな予感がするけど」
『心配は要らない。浜江は厳しいように見えて情が深いからね……では明日、声をかけてみるとしよう』
「うん、お願い。上手くいくといいな」
『ああ。誰よりもまず、君が求められているからね』
「家事能力的な意味で?」
『別の意味もあるかもしれないよ』
「……今のは聞かなかったことにします。じゃあ、おやすみ」
『ああ、おやすみ』
通話を終了し、ソファに寝転がる。なんとなくほっぺたが熱いのは、年末へのうらみつらみが解消されるからだろう。心なしか鼓動も早くなってる。
こんな単純なことで気分が一変するなんて、僕も大概単純だ。
でも――嬉しいものは嬉しい。
一人で過ごすはずの日に、誰かが入り込んできてくれる、家族のない僕を輪に入れてくれる。
「……えへへ」
クッションを抱きかかえて、ソファの上でごろごろ。明日が待ち遠しい。
「そりゃ、花鶏んとことメグムんとこだったらメグムんとこっしょ!」
「茜子さんも賛成です。食事のクオリティが違いすぎます」
「言い方がムカつくけど、こいつらはもともと私の趣味に合わないし、いいんじゃない?」
「趣味の問題ですか」
「智だけはこっちに来ていいのよ?」
「それは本末転倒というものです」
「大掃除って勝手が分かってないと手間がかかってしょうがないのよね。その点あなたがいれば安心なんじゃないかしら」
「るいセンパイと智センパイがいれば百人力だと思うデスよぅ!」
「ああ、助かるよ。食事や寝床は任せてくれ。それぞれに個室も用意できるだろう」
「もはやプチホテルの様相」
「智、貞操はちゃんと守りなさいよ。前も後ろも私のものなんだから」
「勝手に所有者宣言しないでっ!?」
「いえ、むしろ今この場でいただいちゃえば心配することもないわね……! いくわよ智! めくるめく恍惚の世界へ今すぐイきましょうっ!」
「ふわわわぁぁぁ!? やぁの、いきなり脱がそうとするのやぁのー!」
「あら今日もブルマなのね。悪くないけどたまには毛糸のパンツとかはいてみたらどうかしら?」
「どんな路線を狙ってるのそれ!?」
「まあ結局脱がすから関係ないけど」
「いやぁぁぁあぁぁやめてやめてやめて一年が終わるより先に僕が終わっちゃううぅぅ」
「こらちょっと! 食べ物が並んでるところで暴れたらホコリが舞って汚いでしょ!! やめなさいって!!」
「そうだよ! 静まれ花鶏っ! 食べ物の恨みは恐ろしいんだぞー!」
「怒るところがちょっと違う気が」
「今日はいつもより豪勢だからね。伊代の言うことは正論だ」
「正論なのに微妙に空気読めてないのがおっぱい爆弾らしいですが」
貞操の危機と定番の争いを繰り広げる僕たちを尻目に、マイペース軍団は買ってきたケーキに夢中のご様子。のほほんとした会話がうっすら聞こえて くる。
「茜子さんはプリンをいただきます」
「じゃあ、鳴滝はいちごのショートケーキで!」
「僕はどうしようかな……普段洋菓子は食べつけないものでね」
「このお店はフルーツタルトが有名なんデスよー」
「なるほど、迷ったときは有名なものを選ぶのがセオリーだね」
「……ってちょっとあんたたち、人がハンティングしてる間に何勝手に選んでるのよ!」
その様子に気付いたか、花鶏は僕からケーキへとターゲットを変更する。一安心。
ちなみに今日買ってきた田松市で一、二を争う有名店のケーキだ。お値段も知名度に比例してお高め、要するにめったに食べられない。乙女心的には 絶対に逃せないレアアイテムです。
「あー、ちょっと! フルーツタルトがもうないじゃない!」
「この世は弱肉強食で漁夫の利で我田引水です。ざまーみろ」
「こんの……! じゃあ私はアップルパイもらうわよ」
「るい姉さんは甘いの好きじゃないからなー」
「そんなるいのためにミートパイも買ってあるよ」
「お、気が利くぅ」
「後はロールケーキとチョコレートムースかー。伊代はどっちがいい?」
「ケーキ……カロリー……うぅ」
伊代がだいぶ難しい顔をしている。どうやら食べるか食べざるかに迷っている模様。……といっても、人数分買ってある時点で結果は見えてる。これ もまた一種のアリバイ工作と言うか、自己弁護というか。ついでに言うと、彼女の葛藤を理解し手助けするような子は僕たちの中にいない。
「伊代センパイ、ダイエットは明日からー、デスよ!」
「せっかく買ったのに捨てちゃうのはもったいないよね」
「誰かが二つ食べるのは不公平に当たるかもしれないな」
「第一、パーティーに参加してダイエットを続けようなんて愚の骨頂です。とっとと挫折してケーキをむさぼるがいいです」
「うぅ……じ、じゃあチョコレートムース……」
案の定、あっさり折れた。想定どおり。苦笑いしつつ、ロールケーキを紙皿に乗せる。
ケーキが全員にいきわたったのを確認して、紅茶を入れて、軽く紙コップを上げる。
『メリークリスマス!』
遠くてやさしい青空の下、ささやかで贅沢なクリスマスパーティだ。単にケーキが増えただけで、話す内容もテンションも場所も変わらない。そうい うところが分相応で、居心地がいい。
「いい天気だねー」
「景色もいいし、下手なカフェに行くより上等なシチュエーションかもしれないわね」
「既成概念を別視点から見下ろすというのも、おもしろい試みじゃないかな」
「友達同士でパーティ自体はそれほど珍しくなさそうだけど」
「私は新鮮だわ。いつも家族と過ごしてきたし」
「るい姉さんは無関係マイロード」
「大衆迎合できるのも、今年ならではですよ」
「確かに」
僕たちには、呪いという下敷きがある。似たような状況の人は他にもいるかもしれない、でも『呪われている』のは僕たちだけ。問題の本質が根本的 に違う疎外感は、同調圧力の高まるイベント前ほど強くなる。疎外感は、この小さな輪をより強力に結びつける。
そして、楽しい時間を過ごし始めたら、それをどんどんおかわりしたくなるもので。
「惠センパイ、惠センパイ」
おもむろに、こよりが惠の袖を引っ張った。
「どうかしたかい?」
「あのー、大晦日とか、お正月とか……こよりも惠センパイのおうちに行っちゃダメですか?」
「こよりん、出ても平気なの?」
「まだわかんないですケド……さっきの話聞いてたらなんか面白そうだなーって。お掃除が終わってれば、年越しそばを食べに行くとかできるんじゃな いかと思いまして」
「それいいアイデアよ、こよりちゃん! 私も親と年越しそば食べるよりみんなで集まりたいわ」
「それなら、いっそ全員集合にするかい? 料理なら浜江に伝えておこう」
「伊代はどう?」
「親と話し合ってみるわ。私だって一人外れるのはイヤよ」
「そりゃそうだよね」
「少し遅れるかもしれないけど……手順はなんとか整えておくから」
相談してみると言いつつ、説得する気満々。どうやら全員集合は確実みたいだ。
「じゃあ、じゃあ、ついでにみんなで初詣とかどうでしょーか! 鳴滝、初詣に憧れてたんです!」
「あ、それいい! 七人いれば何かあったときも対応できるだろうし」
「では茜子さんは銀行強盗よろしく完全防備で行きましょう」
「初詣ってさー、屋台とか出てるっけ?」
「出ているところもあるんじゃない? 探してみるよ」
「うっほー、楽しみぃ!」
「食い気が勝っていることを隠そうともしないこの潔さ」
「るいらしくていいじゃないか。楽しみが多くて困ることはない」
流れ出した話は一気に盛り上がり、想像よりも大きな期待をつれてくる。
縁遠かった、無関係の棚に収められていた恒例イベントが、にわかに現実味を帯びてくる。
「一気に話が動いたねー、いつもと違う年末年始になりそう」
「そう思ってもらえるなら、誘ったかいがあったと言えるかもしれないね」
「なんか思ったより規模が大きくなっちゃったけど……大丈夫?」
「それぐらいは許されるんじゃないかな」
アルカイックスマイルとは違う、本心からの微笑みで答えてくれる。それがまた一段と喜びを添える。
隔離された日々だった年末年始が、輪の中に組み込まれていく。
具体的なあれこれを語り合いつつ、ケーキをほおばる。高揚感をふりかけた味は、沁みいるように甘かった。
そうして、惠の家に手伝い兼大騒ぎに行くことにして、楽しみを胸に眠りについて――
見る夢は、なぜかひどく寒々しい。
寂しさから来る寒さがちくちく刺さるなら、これは重力にすりつぶされるような寒さだ。
そんな居心地の悪さに追い討ちをかけるように、あたりは真っ暗で、景色らしい景色はない。
ただ……真っ黒の真ん中に、人がいる。
黒地に花が刺繍された和服は床まで届き、暗闇に生えているよう。
さながら、地に根を張り養分をもらう代わりに一生拘束され、外部と接続しながら繋がることができない一人ぼっちの花。
顔はひどく僕に似ている――けど、僕じゃない。夢ならではの改変が加わった僕、とも思えない。
良く似ているけど、多分とても近いけど、どうしようもなく別の何か。
……そんな、僕に良く似た違和感の塊が、女性の声で語りかけてくる。
『さあ、智……これが、私の紡いだ未来、よ』
「……」
『……来てくれるのでしょう……? 嬉しい、わ。うふ、うふふふっ』
ぼんやりと浮かんでいる笑顔には、どこか正気が抜け落ちている。
いや、抜け落ちたんじゃない、引き換えたんだ。根拠もなく、そう結論付ける。
『智は、今度はどうするのかしら……ふ、ふふふふっ』
「こん、ど?」
『そうよ……本当は、何もしなくていいのよ? 私が、幸せにしてあげる……う、ふ、ふ、ふ』
「め……それは、ダメ……」
彼女の声に影響されるのか、深層から言葉が零れ落ちてくる。今は意味すら分からない抵抗。
『駄目……? それなら、がんばりなさい……?』
どこか突き放したような反応をする『誰か』。たてつく僕を楽しんでいるようでもあるし、イヤがっているようでもある。
『……少しだけ、手放してあげる……どうせ、無理でしょうけど……』
「……、■、さん……」
自分の発言を自分で理解できないまま――ひとつ、悟る。
始まった。
――取り返しの付かない何かが、始まった、と。
2
本日も良い冬晴れ。太陽は冬らしく、おっとりと輝いている。本気とおっとりで三十度以上の気温差があるんだから、太陽のエネルギーは恐ろしい。
さっさと自室を片付けて、お泊り準備をする。メイク用品に寝巻きに下着に私服、今回はメモ用紙と筆記用具も忘れずに。今まで本で料理を勉強する ことはあっても、人に習ったことはない。本音を言えば料理教室とかも行ってみたかったんだけど、かなわぬ夢だった。それが今回叶う、しかも超一流 の腕前の人に教えてもらえる。みんなで過ごせて料理も教えてもらえる、大掃除の手伝いなんか屁でもない。
「よ、っと」
ボストンバッグの口を閉めて肩にかける。そんなに詰めたつもりはないけど、一センチぐらい肩が下がった。
気分良くカレンダーに視線を送り、期待があふれた赤丸を確認。
お手伝い兼お泊まりは二十九日から一月三日までと、見事に年末年始をカバーしている。今日は二十九日。この日を楽しみに昨日と一昨日は自室の大 掃除にいそしんだ。テンションを反映するかのように、あらゆるものはあるべきところに収まり、窓ガラスは存在を確認きないぐらいにピッカピカ。振 り返れば、ここ二日間に目立った記憶がない。それだけ一生懸命だったってことだろう。さらに今日から惠の家で大掃除、見事な掃除週間だ。
「やるときは徹底してやらなきゃだよね、うん」
どうせやるならとことんと。今思いついたスローガンを掲げて部屋の中を見回す。うん、やりのこしはない、満足。
「んじゃ、いってきまーす」
しばらくご無沙汰する部屋に挨拶をして、扉を開ける。とたんに吹き付ける寒さは冬のもの。いくぶん当たりが柔らかいのは太陽が見えてるからだろ う。適度な引き締め感と柔らかな空気を味わいつつ、鍵を確認。結構長い間空けるから、防犯対策はしっかりしないと。
「……うぇ」
隣の部屋の前には、毎度おなじみ女装少年本。いつもより量が多いのは大掃除の影響?
「……いつか引っ越したい、だいぶ引っ越したい」
微妙に出鼻をくじかれつつ、いつものことだと切り替える。あの人も年末年始は実家に帰るんだろう。……あの人の家族とかあんまり想像したくない なぁ。新しい何かを仕入れてこないことを祈る。
道路に出ると、そわそわしつつも弛緩した、年末ならではのムードが流れてくる。クリスマスのイルミネーションを年末年始仕様という名で放置した メイン通りを抜け、駅前を通って目指す家へ。街に人が少ないのは、今日明日あたりが大掃除タイムだからか。通りがかったホームセンターの駐車場は 満杯なのが予想を裏付ける。時折出てくる家族連れは大仰な掃除用品を抱えて楽しげだ。いつもは忌々しく思うその光景が、今日は微笑ましい。全ては 気分次第、自分の置かれた環境次第。自分勝手だなぁと爪先程度に反省して、足早に先を急ぐ。特に待ち合わせ時間は決めてないけど、早ければ早いほ うがいい。
ほどなくして見えてくる大きな屋敷。時代がかっていて素敵なんだけど、無理やりなじもうとしているようなちぐはぐさもある建物だ。個人の邸宅と しては田松市最高レベルに大きく、庭は森みたい。主人の惠が芝居がかってるせいもあって、屋敷は特別さの象徴と化している。その特別さは一見排他 的だけど、招いたものには暖かい。溜まり場とはまた違った形で、僕たちというコミュニティを表す場所。
作りの整った玄関の前で立ち止まって、小さく深呼吸。別に改まることは何にもないんだけど、なんとなく。
ピンポーン、と現代的なチャイムの音。
「やあ、智」
「おじゃましまーす。るいと茜子は?」
「もう来ているよ。朝ごはんを食べたかったみたいだね」
「うわぅ」
「るい曰く『朝からセロリライスなんて食べたら身体が緑色になる』だそうだ」
「……それはないけど、気持ちは分からなくもないかも」
「寒かっただろう? 入るといい」
「ありがとー」
半分エスコートのように促され、屋敷の中へ。一歩入るなり、ジャージみたいな服装をしたるいと茜子に迎えられる。
「ビリっけつだぞ、トモ! るい姉さん準備万端だ!」
「茜子さんの魅力を石臼で挽くかのごとく覆い隠すこの服装……いっそ猫の着ぐるみを着たいところです」
「……茜子に猫の着ぐるみ、似合うかも」
「トモちんも一緒に着てみたら? かわいいよ!」
「あはは、じゃあるいの分も含めて三人分頼んでおこう」
「いや僕は遠慮します」
「遠慮は無用。尻尾振って媚びておろかな男どもの財布を枯れさせるもよし」
「いやよくないから! あらゆる意味でよくないから!」
「てか、メグムは着ないの?」
「……似合うと思うかい?」
「どっちかっていうと猫を侍らせる側だよね」
想像してみた。……すごく斜め上に似合いすぎてて悲しくなった。
「世の中って不公平だと思うの」
イケメンな彼女はそんじょそこらの男性を絶望させる程度にイケメンです。
「お待ちしておりました」
「いらっしゃい、智さん。準備はできていますよ」
僕らの会話の間を読んで、浜江さんと佐知子さんがやってくる。
「よろしくお願いします。すみません、突然お邪魔する形になっちゃって」
「いいえ、こちらも手が足りなくて困っていましたから。賑やかな方が楽しいですしね」
「着替えは別室に用意してある。荷物を置いて着替えたらここに戻ってくるように」
「はい」
ぶっきらぼうでも理解の深い浜江さん、場を和ませてくれる佐知子さん。呪いを知っているからこそ、二人は絶妙な距離感で僕たちに接してくれる。
しっかりとお辞儀をして、言われたとおりの部屋へ。用意された服に着替えてまた戻り、指示を受ける。家具のホコリ取りに床掃除、窓拭き、内容は 普通の大掃除と変わらない。でも、妙にウキウキする。
「今回は徹底して屋敷内の掃除をする。庭には近づかないように」
「分からないことがあったら何でも聞いてくださいね」
よく見ると、佐知子さんと浜江さんもいつもとは違うパンツスタイルだ。床掃除なんかもするだろうし、当然か。
みんな揃ってお掃除ルック。妙な連帯感。
「それじゃあ、始めようか」
「はーい」
惠の合図で、それぞれが思い思いの場所へと向かう。
僕の担当は玄関ロビーだ。霧吹きタイプの洗剤とバケツを手に、まずは靴箱へ。
……と、階段担当の茜子がちょろっと近づいてくる。
「随分と上機嫌ですね」
「あ、わかる? どうせなら楽しんだほうがいいでしょ?」
「とか言い聞かせる前に楽しんでるじゃないですか。腹黒策士慎重派にしては珍しく花畑ですよ」
「厳しいご指摘」
「別にいいですけどね。茜子さんは淡々とサボるだけです」
「サボらないでください、人様のおうちなんだから」
「そんな常識は一万年と二千年前から捨ててきました」
「愛を取り戻せ」
「猫への愛ならいまここに」
「……猫も連れてきたの?」
「拒否られたので無断持込しようとしましたが見つかって追い払われました。諦めたら試合終了ですが」
「そこは諦めておこうよ」
「……いい機会なんじゃないですか」
「え?」
茜子は淡々と、雑談に警告めいたものを混ぜる。
「残念ながら、茜子さんは純粋培養の善意を知りません。上手い話には裏があるんです」
「……惠が、何か意図があって僕らを招きよせたってこと?」
「わかりません。詰襟隊長の心は読めないことのほうが多いですから。ただ、わからないからこそ警戒は必要だと思います」
「そんなに構えたくないんだけどな……」
「どうするかはブルマリンゴ次第です。立ち回りと口の上手さは使うべきときに使ってください」
不安になるようなことを言い残して、茜子は自分の持ち場へと戻っていく。上がりっぱなしだったテンションに、だいぶ水を差される。
でも、一理あると言えばある。僕らはそれぞれの呪いや能力もつき合わせていなければ、学校名や住所を明かしたわけでもない。あくまで『必要なこ とだけ』『わかることだけ』を共有した、ゆるい繋がりだ。そのゆるさに悪意が立ち入る隙があってもおかしくはない。
信頼の根本は一方通行だ。絶対なんてこの世に存在しない。茜子はそのもろさを人一倍知っているから、空気を無視してでも僕に忠告したんだろう。
「ま、気にしてもしょうがないよね」
分からないことを恐れても無駄なこと。あるべきときに、やるべきことをやればいいだけだ。後は運命の神様あたりがどうにでもしてくれる。
ぬるま湯入りのバケツに雑巾をつけて、お掃除開始。一見綺麗に見える場所も、濡れ雑巾で拭くと汚れがはっきりする。
その汚れを気にするのか、掃除後の美しさを気にするのか、違いなんてその程度だ。見えるか見えないか、どこにあるかが違うだけ。
『……これが、私の紡いだ未来よ』
数日前の夢のセリフが頭をよぎる。知っているけれど知らない誰かの、諦めと嘲りの表れ。
せっせと靴箱を拭きながら、予感とも誤解ともつかないざわつきを感じ取る。
「トモちん、トモちん」
「ん?」
休憩を終え、各々持ち場に戻ろうとしたときだ。
るいにいたずら顔で袖を引っ張られた。
突然のことに首をかしげると、にやっと笑う。
「こっちこっち」
「何、何かあるの?」
「しーっ」
口の前で人差し指を立てる、よくある秘密のポーズ。そのまま袖を引っ張って、奥へと歩いていく。
「いいもん見つけちゃったよ」
断片的な言い方なのは、彼女の呪いのせいだろう。『連れて行ってあげる』の一言でるいは呪いを踏む。軽く頷いて了承の合図。
そろ、そろ、足取りはるいにしては随分と静かだ。周りには気付かれたくないって事か。合わせて僕も消音仕様で歩いていく。
るいが目指したのは――倉庫。屋敷の一番奥にある、見た目からして他の部屋とは一線を画した場所だ。足を踏み入れると、時代さえバラバラなの か、ダンボールから木箱までサイズも材質も様々な箱が積み重なり、ホコリの臭いが鼻につく。
るいが目指すのは、箱の山の向こう側。ついていくと、コンクリートに同化しかけた金属の灰色が目に入る。
「……扉?」
「うん、多分」
取っ手と鍵穴で扉だとわかるものの、明らかに使われていない、日常的に使うことを想定されてないような作り。埋蔵金の隠し場所か地下牢か、そん なヤバイ気配がぷんぷんする。
「どうしてこれを?」
「んにゃー……ホントはここ掃除しろって言われてなかったんだけど、飽きちゃってさ」
「無断で探検しちゃった、と」
ものすごいトラブルメーカー。っていうか不法侵入だよね、これ。
悪びれる様子はほとんどない。サバイバル精神の前には暗黙の了解は通用しないのか。
「庭に出るなとは言われたけど、倉庫に入るなとは言われなかったし、ね?」
「流石に怒られると思うんだけど……」
「だからトモだけ連れてきたんじゃん」
なぜかむくれる。いや、そんな顔されても。
見るからに好奇心全開のニコニコ顔。どうやら僕を共犯者にしたかったらしい。……なんとも困った展開だ。
「……」
扉に触ってみる。後からつけた風ではない、屋敷とともに作られただろう扉。倉庫のそのまた先――異質な何かのために作られた、重厚な境界。
冷気をたっぷり吸い込んだそれは、手のひらの体温をブラックホールのように吸い込んでいく。
大きな屋敷の隠し部屋はサスペンスやミステリーのお約束とはいえ……まさか実例を目の当たりにするとは。
「ここの先は見たの?」
「んーにゃ。まだそこまでは」
首を振る。
「……まだ?」
「鍵は開いてた」
「そうなの!?」
「うん」
だから僕を連れてきたのか。開かずの扉ならそこまでだけど、先に進めるとなれば好奇心はいやがうえにも刺激される。とはいえ、本来は入ってはい けない倉庫のさらに奥、何が出てくるかも分からないし、一人では心もとなくもなるだろう。
「電気も見当たらなくってさ。懐中電灯とか探すわけにもいかないじゃん?」
「そっか、るいは携帯持ってないんだっけ」
「ん」
「……僕は明かり担当ですか」
「トモちんなら頼りになるし」
無意識にプライドをこちょこちょしてくる。ううむ。
「……怒られないかな」
「言わなきゃいーんじゃん?」
「なんと勝手な」
「だって、ダメって言われたらヤだし」
「やめるって選択はないんだ」
「気になるんだもん」
確かに、好奇心は抗いがたい魅力を持つ、こんな大物を探索せずにはいられないって気持ちは分かる。
五秒逡巡。別名、パフォーマンス。
判断に迷ったときは、直感に頼るのが一番。ガイアが僕に進めと告げている。
「……わかったよ、行こう」
「さーすがトモ、話がわかる!」
「埋蔵金の可能性を前に引き返すほど無欲ではありません」
見つけたからって分け前もらえるわけじゃないけど、好奇心が満たされるカタルシスは何物にも代えがたい。実は何もありませんでしたってオチで も、探索自体がおもしろそうだから問題ない。ヤバいものを見つけてしまったら……そのときはそのときだ。
危機感に好奇心が勝るとき、人は斜め上の選択をする。
るいと顔を見合わせて、頷く。
氷の塊のような取っ手に手をかけて――その先の、完全な暗闇に向かう階段を見る。
ぽっかりと、世界が切り替わるかのような一色の穴。年季の入ったホコリの臭い、よどみきった空気が流れてくる。腐臭はしないのがせめてもの救い か。
携帯をライト代わりにしても、せいぜい手元が分かる程度。かなり、危なげだ。
建築法云々を持ち出すまでもなく、個人の家が地下深く部屋を作るなんてことはまずありえない。技術的も手間もお金もかかる。
ということは、この階段の下には『普通とは違う何か』があるってこと。
「どうする?」
るいに聞く。服をぎゅっと掴まれる。
「引き返すの、悔しいじゃん」
「負けず嫌い発動中」
「絶対なんかあるって、ここ」
「なかったら泣いちゃうレベルで怪しいもんね」
手探りであたりをさぐると、手すりと思しき感触。るいの手もそっちに誘導し、一歩一歩降り始める。
君子危うきに近寄らず――座右の銘コレクションの一つを思う。
虎穴に入らずんば虎児を得ず――ふーん、で済ませてきたことわざを思う。
そして今の自分を思う。
座右の銘、好奇心の前には無力なり。
「足元、気をつけて」
「……ん」
るいが息を呑むのが分かった。
スリッパ特有の気の抜けた足音が、二人で降りていることの唯一の証。それぐらい周りの見えない真っ暗な中を進んでいく。携帯の光は些細な安心感 をくれる以上の役割を持たない。息遣いが妙に大きく聞こえるのは、反響しているせいなのか、暗闇で感覚が研ぎ澄まされているからか。
人間は普段、視覚情報に頼りきって生きている。だから、視覚が役に立たない状況に置かれると、とたんに他の感覚が鋭敏になる。気配、空気の流 れ、呼吸の音、匂い……鼓動が早くなっていく。
……どのぐらい、降りただろうか。
入り口よりも一度か二度ぐらい温度が下がったような位置に、終着点があった。
階段の終わり、またも鍵のかかっていない扉をあけた、その先。
「……なに、ここ? なんか明るい……?」
るいが怪訝な顔をする。彼女の言うとおり、さっきまでの墨一色の世界とは違う、ほのかな光に満たされた空間だ。電気らしき設備、光源は見当たら ないのに、るいの表情が分かる。ヒカリゴケの明るさを引き伸ばしたような、ちょっと緑がかった明るさ。
ぐるりと見回す。倉庫、じゃない。地下牢とかでもない。部屋の真ん中には奇妙なオブジェのようなものがぽつんと一つ。
そっか、あそこから、光――のろ、い、が
「―――――っ!?」
唐突に。
頭痛が意識を焼いた。
「トモちん? どったの?」
ぼくはめぐむをみるめぐむはぼくをみるさいごのちからがありえたかもしれないみらいをみせるかわされたちかいのことばのろいがはじまりおわるば しょひとりはみんなのためにひとりのぎせいがみんなのしあわせをどうめいをかいさんする■さんはみつからないやしきがひにまかれてみとることもで きずにそのさきにばいくがひとののらないとらっくにはじきとばされこのてでひとをころして■さんがわらってわらってぼくらはみんないつかは
視界が流れ落ちる。脳に怒涛の情報が押し寄せる。データを超えた感情の蓄積が叩き込まれる。五感が激痛に置換される。映像。匂い。まばゆさ。 色。緑の中の赤。呪いと、倒れた人と、ここで起きた、僕たちの、犯してはいけない過ちと、死――ちがう、ころ、し
ここは。
ここ、は……!
「あぐ……いづ……!」
「トモ!?」
膝から崩れ落ちる。頭に指をめり込ませる勢いで抱え込み、地面に倒れる。床に頭を打ちつけたけど、痛みが分からない。現実が、今の自分がショー トする。後悔と絶望の砂嵐が脳を切り刻む、すりつぶす、涙腺がコントロールを失う。
「が、あ、うぁ、あ」
「ねえ、ちょっとトモ! どうしちゃったの!? トモってば!」
『繋がった』衝撃とキャパシティを超えた感情が僕の身体から僕を引き剥がす。見開いた目は乾きながら涙を流し、呼吸のたびに情報がせりあがって くる。胃の中身を全部吐き出してしまいそうな気持ちの悪さ、けれどそれは身体とは無関係。圧倒的な情報の質量、いまこのじてんのぼくがしってはい けないはずのことがむりやりつめこまれる。パンドラの箱から放出された未来が残らず僕に集まってくる、こびりつく、つくりかえられる、そうだねえ さん、めぐむ、いつもこわしてしま、のろい、みらい、僕は本当は、いちども、いちどものろいにかてない、まま――
だっし、た。
お もい だ し た
「トモぉ―――――!!」
ごとん。
音を立てて、意識が強制終了した。
『僕だって、本当は生きたい』
『……やっつけて、やりなさい』
……思い出した。そうだ、思い出した。
僕はこれから進むんだ。
惠と姉さんを失いに行くんだ。
今はそれしか知らない。幾千幾万の可能性は、二人の不幸の上に立つ。
姉さんが見せてくれた、切捨ての未来。犠牲者なしには成り立たない未来。
犠牲となるのは、いつも同じ人。見えるところで、見えないところで、当たり前のように消えていく――死んでしまう。
『これが、私の紡いだ未来よ』
そうだよ、姉さん。
ここは、今は姉さんのレールの上。
針の穴を突くように編み上げられてきた、姉さんの想いの網の中。
だから、僕がやらなくちゃいけないんだ。
姉さんにできなかった未来を、引き寄せなきゃ――
to be continued...