単発SS
【智×惠】
new!・想定外と豆の木(ドラマCD後の話)
・狭い夜、広すぎる朝に(観測所での話)
・楽園の包帯(惠ルート後、年齢制限要素あり)
・instinct voice(本編H1回目直後の話)
【オールキャラ(カップリング要素なし)】
・バレンタインの過ごし方。(バレンタイン話)
after Birthday ※視点は惠
act1 / act2 / act3 / act4 / act5 / act6 / act7 / act8 / act9 / act10 / act11 / act12(完)僕の考えた惠ルート ※視点は智
1 / 2 / 3 / 4 / 5 / 6 / 7 / 8 / 9 / 10 / 11 / 12/ 13/ 14/ 15 / 16 / 17 / 18 / 19 / 20 / 21 / 22 / 23 / 24 / 25 / 26 / 27 / 28 / 29 / 30/ 31 / 32 / 33 / 34 / 35 / 36 / 37 / 38 / 39 / 40 / 41 / 42 / 43 / 44 / 45/ 46 / 47 / 48 / 49 / 50 / 51 / 52 / 53 / 54(完)chapter 11
SFなところでコピーロボット、ホラーなところでドッペルゲンガー、ファンタジーなところでホムンクルス、近未来なところでクローン。
「自分と同じ存在」は、人間の想像力により様々な名を冠され、エンターテイメントとされてきた。
でも、現実にそんなものを目にしたら――
耳が遠い、聞こえるのは自分の鼓動だけ。立ってるのに、足下に床があるのかさえ曖昧だ。
何、これは、この人は。僕じゃない。僕はここにいるから。じゃあこの人は?
目が離せない。
着物を身につけ、長い髪を軽く束ねた僕の姿。肌の色は青をイメージさせるほどに白く、どこか病的ですらある。
「うふふ」
その人は、僕とは違う声で笑った。
僕じゃ……ない。
安堵と、さらなる疑問。誰?
透明感がありながら艶めいていて、けれど決して軽くはない音。卑近な例を挙げるなら、子供の頃に遊んだポリバルーン。シンナー臭のする、儚くて虹色の風船玉。割れない、消えないシャボン玉のような声。
身じろぎひとつなく、僕の顔をした女の人を見つめる。頭の中でカシカシカシ、十五パズルを動かす音がする。
「智、わたしが、わかる?」
わからない―― だろうか?
狭い狭い僕の記憶、耐えて隠して押し込めた暗い倉庫、その奥底にある……知識。
それは意識より先に口からこぼれ落ちる。
「姉……さん……?」
「……思い出してくれたのね、智」
その人、いいや姉さんは、花が開くスローモーション映像のように微笑み、僕のつぶやきを肯定した。
僕には、姉さんがいた。
正確には「姉さんがいた」と「知らされていた」。
こんな表現になるのは、「小さい頃に亡くなった」という嘘を混ぜられていたからだ。一緒に過ごした記憶もないし、親の言葉を疑うこともなかった。だから僕にとって姉さんというのは思い出にすらない、限りなく架空に近い存在だったのだ。
それなのに――今、ここにいる。
証拠など探すまでもない。直感で、理屈にならない確信がある。
姉さんだ。この人は、僕の姉さんだ。
生きてた。姉さんが、生きてた。
ぐわり、と脳が揺れる。目の前の現実と、そこから引き出される情動と予測がぶつかり合う。
生き別れの姉弟の再会という、この上なく感動的なシーンだというのに、僕は近づくことも、言葉を発することさえできない。
水に浮かべられたカラーボールのように、胸がぐわぐわする。
驚愕と混乱と、現実感のなさと、矛盾と、激しい疑念。
それは姉さんだけではなく、ごくわずかな、けれど大事な人間関係に投げられる。
なぜ、姉さんがここにいるの。
なぜ、隠していたの。
なぜ、いないことにしたの。
なぜ、今まで知らされなかったの。なぜ、会わせてくれなかったの。なぜ、なぜ――
激しすぎる思考の回転に心がついていかない。何か言わなきゃ、だけど何を、何から始めれば――
「智、会いたかった」
重みが、体温が、迫ってくる。間近にかけられる吐息。肌が泡立つような熱が吹き付ける。
抱きつかれた、と気づくまでに数秒かかった。
姉さんから漂うのは、脳までしみこんできそうな怪しげな甘い香りだ。この部屋に焚かれているお香と同じ? 緊張感もあいまって、なんだか、頭がしびれてくる。これほど間近で人間とふれあう機会が少ないせいだろうか、遠近感が狂う。なじみのなさに五感を揺さぶられ、目の焦点がぶれ始める――
「……ふふふ、智。あなたはどうして、ここがわかったの?」
「え?」
問いかけられ、我に返った。
姉さんは目を細め、僕の瞳をのぞき込む。
そして、思いがけないことを確かめてくる。
「見たのでしょう? 智。夢で、私を」
「夢――」
なぜそれを知ってるの。
言うより先に、姉さんが笑みを深める。
「それが、私たちの力。未来を見る力」
「力……」
力って、この間みんなと話したあれのことだろうか? 僕以外の全員が持っているという、人間の常識を越えた能力。呪いとセットとも考えられる、特別な才能。
僕にも、それがある? 未来を見る?
さらに実感がわかない。確かに生まれつき勘は鋭かった。でも、あくまで「鋭い」程度で、未来を見るなんてだいそれたことはできなかったし、そんな風に思ったことすらなかった。姉さんを夢に見たのだって、今回が初めての体験だ。いきなり力とか言われたって、にわかには信じられない。
いや―― 今の僕には、信じる信じないの判断すらできない。
さっきから予想外のことが続きすぎて、溺れそうだ。自分の思考、姉さんのくれる情報、明らかになった事実、どれもが僕を突き刺してかき回す。どこに寄って立てばいいのかすら見失って、空回りにもならない考えが散らばる。
「信じられないのでしょう? 無理もないわ」
僕の動揺を見て取ったか、姉さんが僕の頭を撫でてくれた。まるであやすようなしぐさ。密着に近い状態は、言葉にせずとも何かを伝えてくるような気がする。
姉さんは、とても優しい。出会ってからまだ数分なのに、僕をいつくしんでくれているのがはっきりとわかる。危うさを感じるのは、僕とほとんど同じ顔をしているからなんだろう。
壊れものをいたわるように、僕の頬に触れてくる。少し体温が低いのか、姉さんの指が通った場所にこそばゆさが残る。
「ふふ、智。私がね、ずうっと力を持っていたの。だからあなたは力を使わなかったし、知ることさえなかった。それでいいのよ」
「力を……持って……?」
「そうよ。私たちはふたりでひとつの存在なのだから」
「ふたりで、ひとつ?」
「ええ。智、あなたは夢を見たでしょう? 未来を語る、私の夢を」
「夢……うん、見たよ、姉さんの夢……」
「そのときにね、少しだけ力を移してあげたのよ。安心して、これからも大事なときには、そうして力を貸してあげるわ」
「力を……移す……」
まるでオウム返しだ。なんて単純な、と我ながら思うものの、散り散りになった思考は、ただひたすらに姉さんの言葉を追いかけることしかできない。もっとすべきこと、聞きたいことがあるはずなのに、脳が削り落とされている。
ただひたすらに、姉さんの声を受け入れる。姉さんの作る雰囲気に、未来に飲み込まれる――
「ねえ、智」
「……なぁに……?」
「もうひとつ、姉さんの秘密を教えてあげる」
「秘密……?」
「ええ」
姉さんの両腕が、さらに強く絡みついてきた。
「私は、あなたと同じ呪いを持っているわ」
「……呪い……!」
ぐわりと意識が引き戻される。
そうだ、呪い。僕と姉さんがふたりでひとつというなら、姉さんも僕と同じ呪いを持っているはず。
僕の、姉さんの呪い――「本当の性別を知られてはならない」。
そうか、だから姉さんはずっとここにいるのか。
僕が女装で呪いを避けたように、姉さんは身を隠して呪いを避けているのか。
僕に会っても平気そうなのは……家族はセーフとか、僕は姉さんの存在をすでに知っていたから、とかだろうか? そこまではわからない、ただ、姉さんの態度からして、今、僕は呪いを踏んではいないらしい。でも、僕が平気だから他の人も平気なんてことには絶対ならない。避けるなら、徹底的に避けなければ命にかかわる、それが僕らの呪いだ。とすれば。
「じゃあ、姉さんは閉じこめられてるわけじゃなくて、自分でここにいるってこと?」
「ええ、そうよ。私だって、呪いを踏みたくはないもの」
「……そっか……そうだよね」
なんだか、ひどく安心してしまう。散った思考の一部が否定されたからかもしれない。
皮肉にも、呪いの話題が僕に芯を通してくれたらしい。少しずつ、意識が形を成しはじめる。
姉さんは、呪いを踏まないためにこの屋敷で隠れて生きていた。屋敷の人たちが姉さんのことを教えてくれなかったのも、呪いを考慮してのことだったのだろう。少しでも情報が漏れれば、好奇心を刺激する。悪意すらない好奇心は時として、悪意よりも残虐で、非情な結果をもたらすのだから。
でも、僕に会いたくなった姉さんは、夢で僕にヒントを出して、それで――
「それでね、智」
僕が作り始めた筋道に割り込むように、姉さんが言葉をつなぐ。
「私はここから動けない。ただ未来を見ているだけ……だからね、道具を持っているの」
「道具?」
「そう。私が見た未来を形にする道具。私の言うとおりに動く、お人形さん」
人形。
とたんに、一人の姿が脳裏をよぎった。
それが誰かを理解する前に、必死で否定する。
……ここに来てから、あえて考えないようにしていた、彼女。無関係を信じるにはあまりにも綻びが多くて、けれど疑った瞬間、汚してしまいそうで、頭の中から追い出していた―― ずっと解き続けていた、彼女のこと。
でも、姉さんは、裏付けは止まらない。
「人形はここに来て指示を受け、そのとおりにするのよ。あなたに出会ったり、手助けしたり、ここに連れてきたり、ね」
姉さんは笑みを浮かべたまま、さも当然のように語っている。こだわりも意図も感じられない。ただ、それが事実だと告げる。
……待って。
待って、姉さん。
それは、つまり――
「もう、わかるでしょう? 人形の名前は、才野原惠」
「―――― っ!」
ひときわ大きな心音が、僕の脳天を突き抜ける。
でも、姉さんは僕の逃げを許しはしない。
あたりまえだ。惠はこの屋敷の主。姉さんのことを知らないわけがないし、呪い持ち同士、接触せずにいるはずもない。関わりがあって当然だ。だからこそ、惠は僕をここへ導いたんだ。
……でも、それが、惠自身の意思ではないとしたら……?
「あなたとあの子を出会わせたのは私。レースであなたを助けたのは私。あなたをここに招いたのは私。全部私よ。あの子はなぁんにもない、ただの人形にすぎないわ」
姉さんはほのやかな笑みを浮かべたまま、事実を突き付ける。
……違う。
きっと、ううん、絶対、違う!
全身全霊で拒絶する。なのに言葉にならない。
不自然だった初対面。都合が良すぎた助っ人。偶然では届かないはずの再会。早すぎる自宅への誘い。あからさまな僕への謎かけ。
証拠が積み重なっていく。針になって、錐になって、剣になって、僕の積み上げた彼女を崩していく。
全てが姉さんの言う通りなら―― 納得がいく。それが恐ろしい。
「ごめんなさい、智。こんなに回りくどいことをして」
違う、そうじゃない。そうじゃないんだ、僕が聞きたいのは――
「でも、もう大丈夫。あなたは私がここにいると知ったのだから」
頷くべきなんだと思う。
でも、僕の頭はぴくりともしなかった。自分の頭なのに、僕の意志が届かないほどに重い。
「……智、愛しい、私の、智」
「姉さん……」
「ふふふ、やっと会えた。智」
姉さんは、僕を強く抱きしめる。運動もあまりしていないんだろう、精一杯の力を入れていても、そんなに締め付けられる感じはしない。
目を閉じて、柔らかくも切実な抱擁を受け止める。
実感が、逃避を纏いながら思考を染めていく。
呪いのためとはいえ、どれだけ不自由な生活だっただろうか。その辛さも、孤独も、きっと僕の想像の範囲を超えている。屋敷の人がいるとはいえ、彼らは所詮他人。血の繋がった僕という存在に出会うことを、どれほど切望していただろう。姉さんの日々を思うだけで、胸とお腹の間が締め付けられる。今までも、これからも、ずっとこんな場所でいいんだろうか……ううん、いいわけがない。
「……まだよ、智。まだ、時ではないわ」
僕の気持ちを読むかのように、姉さんが身体を離した。
名残惜しそうに右手をのばし、僕に差し伸べる。
「智……できるなら、すぐにでもあなたと暮らしたい。でも、今はまだその時ではないの。だから、今日はもうお帰りなさい」
「……姉さん」
心配ない、と言いたげに目を細める表情は、僕には絶対にできない類だ。ふりをしていても、性別の差は絶対だと痛感する。母性を感じさせ、かつ、蜘蛛の糸を思わせる、細く強い視線。
「それと、今日ここに来たことは、惠には絶対に言っては駄目」
「……え?」
違和感があった。
だって、姉さんはさっき、惠に僕を連れてこさせたって――
「あの子はなぁんにも知らないわ。私たちは出会えたから、半分は用済み。でも、まだ使い道があるから、余計な癇癪を起こされても困るのよ。人形なんだから、使わないときは放っておきましょう」
「……」
それは、明確な棘だった。
柔和で儚げで、ミステリアスな姉さんが見せる、敵意。僕への態度と違い過ぎるからか、奇妙な重圧を伴って迫ってくる。さっきの感慨のない言い方とは打って変わって、今度の「人形」は、逆の意味を含んで聞こえる。
ひとつ確実に言えるのは、姉さんは惠に対し、決して良い印象を持っていないということだ。
「……さあ、智。また来てね」
軽く手を振り、僕を送り出す姉さん。
まとまらない頭と、あちこちにささった棘の痛みを抱え、僕は離れを後にする。
……ひどく、不安定だ。
姉さんとの再会の喜びと、明かされた事実への拒絶反応が、コーヒーと紅茶を混ぜたみたいな不協和音を奏で続けている。
惠が隠していたのは姉さん。理由は呪いのため。そこは間違いないと思う。だけど、他は受け入れられないことが多すぎて、やじろべえみたいに揺れ動き、今だ固まらずにいる。
待ちかまえるのは幻滅。自分の浅薄さへの嫌悪。それらはやがて、欺いた相手への反発と、埋められない傷へ変わるだろう。
……姉さんの言葉を、すべて信じるのなら。
あまりにも長い断絶の果てにたどりついた、たった一人の肉親だ。信じたいに決まってる。
でも、持前の直感が、何かが違うと告げている。
もちろん、僕の願望も多分に含まれているだろう。与えられた情報を信じれば、僕が惠に抱いた想いも腐り落ちる。惠に自分の意思が欠片もないなら、僕はただ、姉さんとその傀儡である惠に踊らされただけということになるんだから。
存在すらしない人格に想いを馳せる―― バカバカしいにも程がある。
でも……世の中に、意志のない人間なんかいるだろうか? たとえ惠が姉さんの指示通り動いていたとしても、シナリオを一から十まで用意していたとしても、そこに何らの感情も入れずにいられるだろうか?
少なくとも、僕は無理だ。確かに、予想したとおりに展開が進むこともある。だけど、そうならないことの方が多いし、肝心なところほど思い通りにいかないんだと散々思い知らされてきた。
予定が狂うのは、気持ちが動いた時だ。理屈に感情が勝ってしまった時だ。
惠にも、きっとそんな瞬間があったはず。二人きりの幾度の会話、あんなところまで作り込む必要なんかない。きっと、きっと彼女には彼女なりの心情があって、それで――
「……あ……」
足が止まった。
カモフラージュの繁みを抜けた先。軽く刈り込まれた、空がよく見える芝生。
……いてはいけないはずの人が、立っていた。
白のシャツは暗がりにささやかな抵抗を示し、弱々しい光を滲ませている。凛と背筋を伸ばした姿は、耐えるようでもあり、挑むようでもある。星のない夜に視線を投げかけ続ける、細い身体。
「……惠……」
呼びかけてしまう。
たった今、姉さんに止められたのに。惠に気づかれないようにしろって言われたのに。
だって、しょうがない。
「……こんばんは、智」
言われなくたってわかる。
惠は、僕を待っていたんだから。