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after Birthday ※視点は惠

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僕の考えた惠ルート ※視点は智

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バレンタインの過ごし方。  


 バレンタインはお菓子会社の策略である――
 2月はじめの2週間だけ、そんな乾いた常識が教室を飛び交う。誰もが聞き飽きているはずなのに、言う方は飽きない、不思議で灰色に物悲しい物語。人の心に商売根性を持ち込むなんて、というのは明らかな建前だ。悲しいかな、かの物語は語った瞬間に本音が丸出しになる。しかも、その本音に届けられるのは甘いお菓子ではなく墓穴掘りスコップだ。自虐か主張か渇望か、青少年の訴えは乾いた空に遠く響く。ギブミーチョコレート。
 女の子に言わせれば、積み重ねの結果としての2月14日なのに、2月になってから何を言っているのかということらしい。それも一理ある。ギブアンドテイクは世界の鉄則、声高にテイクを叫んでも、求めるものは手に入らない。ついでにいうと、テイクが決まっている人はギブすらいわない。沈黙は金なり。
 そんなわけで、僕と宮は若干どす黒い悲喜こもごもが流れる教室の片隅で各所の温度差を眺めている。クラスメイトたちが思いを馳せるは2月14日、大勝負に見せかけた出来レースの日、バレンタインデー。
 耳を澄ませば、モザイクタイルのように明暗分かれた会話が聞こえてくる。
 例えば、机を2つほど挟んだ向こうには陰謀説を語り合う男子生徒のグループ。全体的には暗くて低温。ただ、グループといえども個人の状況は十人十色らしく、例の話を世界史の知識まで交えて熱弁するのもいれば、興味なさげなのも、アテがあるのか口の端を上げているのもいる。2月15日以降もあのメンツが集っているのかちょっと興味深い。
 反対側、三つ向こうの机のところでは料理部の女の子達が相談中だ。こちらはみんな上機嫌で、あれを作ろうこれを作ろうと話に花を咲かせている。時折混ざる耳慣れない単語は多分お菓子材料のことだ。ちなみに、漏れ聞くところによるとこの季節は男女問わず飛び込みの料理部員が増えるんだとか。みんな自分に正直だ。
 こんな調子で、教室内には十数種類の同テーマでの別会話が交わされている。
 見ている方向はバラバラなのに連帯感が敷かれている、奇妙な空気。テスト前から緊張感を抜いたようなそれは、2月初旬のお約束だ。
「皆様、お元気そうで何よりですわ」
 そんな独特な雰囲気を、味わうように眺める宮。
「バレンタインにそんなにこだわらなくてもいいのに……っていうのは冷めてるかな、やっぱ」
「それだけ、奇跡を期待される殿方が多いということではないでしょうか」
「奇跡は、めったに起こらないからこそ奇跡なのにね」
「辛辣な至言です、和久津様」
 ロマンチストには申し訳ないけど、奇跡なんて存在しない世の中だ。空から女の子が降ってくるとか異世界から紛れ込むとか猫が人間になるとか、そんな空想が現実化しないのと同じ。俗に奇跡と呼ばれてるものは予想外の事態を綺麗にデコレーションしてるだけの、要するに後付けだ。ましてや2月14日限定、方向性、対象者まで絞り込んだインスタント奇跡なんて、起こる方が間違ってる。
 しかしてしかして、それでも望まずにはいられないのが人間の性。バレンタインは明暗がくっきりはっきりしてしまう分、、届かぬ願いは切実さを伴う。希望と絶望の無限ループ、ああ無情。
 バレンタインデー。この国での意味は、女の子が意中の男の子にチョコをあげる日。ただし、最近は不景気を反映してか対象者が上司から友人から自分自身にまで拡大中、クリスマスよろしく、参加者限定のお祭りのようになってきている。
「ねー。宮は誰かにチョコあげたりしないの?」
 せっかくなので、ちょっとだけ流行に乗ってみた。といっても半分以上冗談だ。宮にそんな浮いた話は聞いたことがない。
「それはもちろん。和久津様に宮の濃厚な愛を詰め込んだ生チョコをご用意しておりますわ」
 ……満面の笑みで斜め上の反応を返された。
「……僕、女の子だけど」
「今年は『智チョコ』というのが流行りだそうです」
「漢字が違うよ!?」
「和久津さまのお名前をお呼び出来るなんて、宮の胸は喜びではちきれんばかりです」
「はちきれないでください」
「では和久津さま、はちきれぬよう宮の胸をお支えくださいますか?」
「何で僕逆セクハラされてるのん……」
「宮の胸のときめきを感じていただきたいのです」
「生徒指導室に呼び出されます」
「それはまた、それで。和久津様と一緒に叱られるのも一興ですわ」
 ぽっと顔を赤らめる。天然かわざとか、ずずいっと目の前に出てくるたわわな胸。いやが上にもいろいろ掻き立てられる。はちきれんばかりの、多分ふわふわ……これ以上膨らんだらどうな……いや落ち着け和久津智、これはバレンタインの罠だ。せっかくここまで優等生やってきたのに、ここでセクハラ一発人生永久退場なんてイヤすぎる。
 密かに胸の内で深呼吸。
 彼女のアピールは少し斜め上というか、はみ出しているというか、とにかく独特だ。普通の友情というものをあまり知らない僕でも、彼女のそれがちょっと違うのがわかる程度にズレている。ひねくれてるのではなく、まっすぐなんだけど道を間違えてる感がありあり。だから多分、これも彼女の考える友情領域の行動なんだ、うん。
 そもそも宮にとって僕は『オンナノコ』だ。それが何より決定的な抑止力。
「バレンタインデーは愛する方にチョコレートをお贈りするイベントですわ。愛のイベントなのですから、性別など些細な誤差に過ぎません」
「あう」
 何も言ってないのに抑止力を粉砕され、ちょっと肝が冷える。……最近特に不穏な気配は感じないし、大丈夫、のはず。
「……」
 母性と色気のある宮の笑みが、僕の気分を重くさせる。
 張り巡らせる近づき難さを乗り越えて、良き友人でいてくれる宮。あくまで友人、でも時折それすら心苦しくなる。
 ……他の女の子と居たほうが、傷つかないで済むのに。
 彼女の飾らない、どかんと度胸一発のアピールは、時に棘になる。嬉しいからこそちくちく刺さって抜けなくて、痛い。
 何も知らない宮はそれでいいかもしれない。けれど、僕を知っている僕は、宮が不幸になってしまうのが目に見える。
 性別は些細と宮は言うけれど、その溝はマリアナ海溝よりも深いものだ。ハリボテの内側、生まれ持った性差は決して埋まらない。
 ましてや、僕は宮に嘘をついている。僕たちの関係は、言ってしまえば砂上の楼閣で、いつかは必ず崩れてしまうもの。彼女の想いがまっすぐであればあるほど、結末は暗澹たるものになってしまう。
「じゃあ、僕も宮に何か用意したほうがいいのかな」
 気分を変えたくなって、僕からも提案してみた。そうだ、交換なら罪悪感も多少は薄れる、友チョコ精神だ。
 宮は一瞬驚いてから顔を綻ばせる。
「いいえ、宮の気持ちですから。でも、もしいただけるのでしたら、ぜひデートの機会を」
「そういえば、前にケーキおごるって約束もまだだったね」
「覚えていてくださったのですね。宮は嬉しゅうございます」
「でも、バレンタインに食べに行くのはちょっと厳しいかな。相当混んでるだろうし」
「和久津様がお誘いくださるのでしたら、宮はいつでもどこでも大歓迎です」
「ん、わかった。ちょっと考えてみるね」
 デートという単語はあえて流し、微妙に話を濁したところで、丁度良くチャイムが鳴った。宮は軽く会釈して席に戻っていく。
 感じるのは、なんとも――なんとも困った居心地の悪さ。どよっと濁ったため息混じりに窓の外を見る。
 バレンタインデー。あげる人ともらう人、勝者と敗者、男と女、明と暗、明確な2極化を迫られる日。
 ……本音を言えば、バレンタインは好きじゃない。チョコとか相手とか関係なしに、バレンタイン自体が好きじゃない。
 オトコにもオンナにもなりきれない僕にとって、性別を意識させるイベントは、ただそれだけで居場所を奪うから。

 と、思ったんだけど。
 女子校の事情はまた違うらしい。
「んっふっふっふ……今年はなかなか大量よ〜? 靴箱開けたらほぉぉら」
 いつも以上に上機嫌な花鶏が鞄から取り出したのは、揃えて数えないと何通かわからないぐらいの大量の封筒だった。それも全部別のデザイン、パステルカラーにフェルトの飾りにラメにキャラクターもの、女の子の夢とトキメキよりどりみどり。
「ひょえぇ〜! これ全部花鶏センパイ宛デスか!?」
「そうよ。私の美しさに普段は近寄れない控えめな子猫ちゃんたちも、この日は思い切ってアプローチしてくれるの」
 綺麗な顔立ちをにへらっと崩す花鶏。……多分、こういう顔は学校では見せないんだろうなぁ。
「たまに靴箱に入れようとしてるところを目撃したりして……目が合ったら顔真っ赤になって走り去ったりして……かんわいいったらもう、ぐへへへへ」
 ヨダレ垂れてるヨダレ垂れてる。
「一皮剥けばただのセクハラ畜生だというのに、見た目に騙される愚か者のなんと多い」
 これみよがしに盛大なため息をつく茜子。思わずうんうんと頷く。
「いや、外観は心を映し出す鏡という。これだけ生徒の羨望を集めているというのは、それだけ花鶏の姿が認められているということだろう? 素晴らしいじゃないか」
 フォローなのか気まぐれなのか、惠が花鶏を褒める。
「……才野原に言われても嬉しくないわね」
 ところがどっこい、せっかくフォローを入れてもらったのに、花鶏はけんもほろろ。
 好みの子には優しくても、好みじゃなければ路傍の石に同じ、なかなかドライです。
「褒められるのは嫌いかい?」
「スカートじゃない時点で却下」
「あはは、それは失礼したね」
「ショートパンツに生足のセットなら許してあげないこともないけど」
 ただし抜かりない。
「さりげなくリクエストしない、そこ」
「ふむ……たまにはそういうのもアリかもしれない。どうかな、智」
「僕に振らないでっ!?」
「惠センパイはやっぱりカッコイイ服装の方が似合うと思うデス!」
「トンチキな趣味はトンチキらしく突き抜けて欲しいですね、ロックとかメタルとかパンクとか、白塗りでカツラでお歯黒でギター振り回すとなお良し」
「いや、流石にその方向は」
「ダメよ、そんな服装したら目立ちすぎて補導の対象になっちゃうでしょう? ここだって一応不法侵入なんだし、せめて外見は普通の生徒らしくしてないと。先入観ってすごく厄介で、いったん目を付けられたら弁解するのにすごく時間がかかるし、疑わしきは罰せよの悪癖がはびこってる上に点数稼ぎに使われちゃって大変なんだから、君子危うきに近寄らずで学生らしい格好をしていたほうが身の安全を守る上では」
「30文字でまとめてください、無駄はおっぱいだけで十分です」
「またそうやってはぐらかす……本当に心配してるのに」
「その心配の方向が……伊代らしいけどね」
 言ってることは間違ってはいないんだけど、どうにもズレている。当人がそのズレを認識できないのが困るやら可愛いやら。
「っつーかさ、こんなにラブレターもらっても処理しきれないっしょ? どーすんのコレ」
 話題を戻しつつ、ごもっともなツッコミを入れたのはるい。食欲魔人だけど甘いものは苦手だからか、今日はノリがいまいちのご様子。
 そんなプチ不機嫌っぽいるいの態度を嫉妬と取ったか愚問と取ったか、花鶏はふんぞり返る。
「ふっ、甘いわ皆元。この私が注がれる愛のパワーを受けそこねるようなドジを踏むと思う? これから全員のチョコと共に初めての唇を奪う算段を立てるのよ」
「お、鬼だ、鬼がいる!」
「何言ってるのよ智。あっちが『私を食べて』って言ってるのよ? 据え膳喰わぬは女の恥よ!」
 ……さも当然のような宣言は、もはやどこからツッコめばいいかわからない。
「あひゃ〜……そりはちょっとかわいそうかもしれないデス」
「かわいそうっていうか、フェアじゃないと思うわ。手紙出してまで渡すんだからそれ相応の気持ちが込められてるんだろうし、特設コーナーのチョコレートだって安くはないのよ? それを取っ換え引っ換えもらうものだけもらうっていうのは相手に対して不義理だし、彼女たちが後々背負う心理的な負担とか考えるともうちょっと自重してもいいんじゃないかしら」
「抜かりはないわよ。ホワイトデーにはお返しと共に全員等しくいただくから」
「それがダメなんじゃん!」
「まあ、自業自得ですよね。何年後かに『ファーストキスを無駄遣いした!』『なんという黒歴史!』『見た目に騙された私のバカ!』と散々もんどり打って後悔し、逆恨みの果てにカッターナイフで後ろからぷすっと」
「バッドエンドフラグ立てない立てない」
「八方美人は余計なトラブルを呼ぶことに余念が無いですから」
 ちらっと視線を送られる。
「ってなぜそこで僕を見るの!?」
「自分の洗濯板に聞いてください」
「洗濯板言わないの」
「鳴滝もぺったんこですよぅ! おそろいデス!」
「少し分けてあげたいわ、最近肩こりがひどくって」
「るいねーさんも分けたげたいなー、運動するのに邪魔なんだよね」
「……人って分かり合えないものですね」
「イヤミがないイヤミほどイヤミなことはありません」
「僕はどちらにつけばいいのかな」
「この会話に加わること自体に違和感があります」
「……困ったな、実はつい最近下着を買い換えたんだが、その際に測りなおしてもらったら」
「にょわー!? ストップストップ!」
「?」
「どったの智ちん?」
「はい! 世の中には知らないことがいいってこともあると思います!」
「つまりこの男装アルカイックより平たいことを自覚したくないと」
「……あうぅん」
 そういうことじゃないんだけど、そういうことにしておこう。
 不思議そうに首をかしげる惠にアイコンタクト。察してくれたのか、にこっと笑って話を止めてくれた。誤解されたかもしれないけどまあいいや。……惠より小さいのは事実だし。
「そうそう、智もこよりちゃんも伊代も予約を入れるなら今のうちにどうぞ。3人は特別待遇よ」
 話の切れ目を狙い、さらなる獲物を狙う花鶏。
「丁重にお断りいたします」
「結婚までは清い体でいるようにってお母さんにしつけられてますデス」
「私はそんな属性はないから……」
 だがしかし、3人揃ってきっぱりと拒否する。残念ながら、日々危険な目に合いまくりな僕らには花鶏の見た目効果はないのです。
「……あっさり振られてしまったね」
「へっへーん、ざまーみろ」
「コメントする価値もないほどに当然の結果ですね」
「あんたたちは黙ってなさい」
 本音が謎の感想と煽りとツッコミはまとめて一蹴。よくある光景。対象外のみなさまも慣れたもので、苦笑いやらため息やらそれぞれのリアクションを返す。
 いつものたまり場の、本気なようで本気じゃないやりとり。大分体に沁み込んできた会話のリズムが心地いい。
 それにしても……花鶏は本当に学校では人気者なんだなぁ。
 確かに、プラチナブロンドの髪にクォーターならではの整った顔立ち、背も高くスラっとした立ち姿、見た目が九割の世界で花鶏のビジュアルはは絶対的なアドバンテージだ。加えて花鶏が『あこがれのセンパイ』を演じきっているとするなら、あこがれのセンパイになるのは想像に難くない。
 ……ちょっと度を超えてるような気はするんだけど。
「こういうのって、女子校ではよくあることなの?」
「あるある。私ほど大量にもらう子はいないけど、バレンタインに本命チョコが飛び交うのは普通よ。むしろ私はあの光景こそが健全だと思うわ。汚らわしい男どもに高いお金出してチョコを渡すなんて言語道断金の無駄美の冒涜でしょ?」
「……いやまあ、好みは人それぞれだし」
 同意しかねて口を濁す。と、るいがつっかかり始める。
「つーか、花鶏に騙される子はぶっちゃけ可哀想だよ。別に誰が誰にあげてもいいけどさ、花鶏はない」
「何よ皆元、もらえないからってひがんでんの?」
「別に。私、チョコ嫌いだし」
「……そういう問題じゃないと思うんだ」
「可愛い子羊ちゃんたちは私にときめくことで至上のバレンタインを過ごせるのよ? まあ、食い意地しかないあんたにはわかんないでしょうけど」
「よく言うよ、お花畑の癖に」
「……ちょっとそれは聞き捨てならないわね、私のどこがお花畑なのよ」
「ラブレターもらって鼻の下伸ばしてる辺り。すっごいだらしないもんその顔」
「だらしないとはなによだらしないとは! この私の美貌にケチつける気!?」
「花鶏の中身じゃ見た目がどんなでもダメっしょ」
「なんですってー!?」
「やるかー!?」
 ……今日も懲りずに揉めました。
「……今回はるいセンパイの言う事にほんのちょっとだけ賛成デス」
「本人にまったくもって悪気がないっていうのが困るのよね、少しは罪悪感を持てばいいのに」
「花鶏らしいじゃないか。彼女なら何十人でも愛せるんじゃないかな」
「一夫多妻というかハーレムというか」
「ネタとしてはアリですが、現実にはしょっぴかれるか刺されて終了ですね」
 花鶏とるいの風物詩を眺めつつ、のほほんと缶ジュースを飲む。2人はしょっちゅうケンカするし本気で取っ組み合ってるんだけど、憎み合ってるわけじゃない。喧嘩するほど仲がいいの体現みたいだ。そんな風にぶつかれる相手をお互い持たなかったんだろうと考えると、それはそれでいいことなのかな、と思ったりもする。
「バレンタイン、かぁ……」
 と、空を見上げたこよりがぽつんとつぶやく。物思いにふけってるような、何かにこがれるような、いつもと違う表情だ。
「……ひょっとして、こよりんは誰か相手がいるの?」
「いえ、いないデス」
 無理に笑ってるのが分かる苦笑いで、ちょっと膝を丸める。照れ隠し、というわけではなさそう。
 ……なんだろう?
「そういうんじゃなくて……その」
 茜子や伊代、惠も不思議そうな顔をする。
「どうしたの? あなたがそんな顔するなんて珍しい」
「あれですか、恋せざるもの存在するべからず的な恋愛脳のイジメとか」
「そんなものがあるのかい?」
「この時期は透けて見えます。いないものを捏造させてでも話のネタにして、挙句うっかり自分とかぶった相手が出てこようものなら全力で蹴落とすとか」
「陰湿だ……」
「ああいうノリ、私も苦手だわ。恋愛なんて個人個人の自由なのにそれを共通項にしようっていう考え方ってフェアじゃないと思う。第一興味の方向性だって十人いれば十人異なるんだしそれを統一させようっていう空気を作ること自体が」
「いえいえ、そういうのでもないんデスよー」
 みんなに見つめられて罰が悪くなったのか、えへへ、とまた無理な笑顔を作る。
「鳴滝が恋してるとかしてないとかじゃないんです。うちのクラスは比較的そういうのに疎い子が多いので」
「そうなの? じゃあ一体何?」
「……そりは」
 明らかにしょげてしまう。
 小さな背中に胸が締め付けられる。思わずしゃがみ込んで、こよりに視線を合わせる。
「とりあえず、話せることなら話してみて。無理にとは言わないけど……みんなも力になれるかもしれないし」
 小さな間と、細いため息。
「……あの、ですね」
 くしゃっと表情を変え、一呼吸置いてこよりが続ける。
「今年のバレンタインって、女の子で集まってチョコを作るのが流行ってるんです。デコチョコとかいうらしいんですけど……クラス中でそれが盛り上がってて、女の子みんな楽しそうにしてて……鳴滝も、誘われるには誘われたんですけど……誘ってくれた子の家、行ったことがなくて」
「あー……」
 そういうことか。
 こよりぐらいの学年の子なら、男の子にチョコを贈るよりみんなで作って騒ぐほうが楽しい時期かもしれない。ブームになってるならなおさらだ。
 ただ、こよりは――
「……」
 彼女が飲み込んだ言葉を、みんなが理解する。
 ――混ざれなかったんだ。
 こよりだって、断りたくて断ったわけじゃない。参加できるものなら参加したかったはず。
 けれど、彼女にはそれができなかった。
 ――呪い。
『通ったことのない扉を開けてはならない』、それがこよりの呪いだ。言い換えれば、行ったことのない家は彼女にとって処刑場も同然。そんな危険な場所、避けざるを得ない。
 しかし、こよりにとっては致し方ない選択は、代償として彼女を孤立させた。
 クラス中が一種のお祭りになっている中、ひとりだけそれに参加できない。楽しみたいのに、楽しめない、楽しむ権利を奪われている。それも、自分のせいではなく、抗いようのない呪いのせいで。
 ……その疎外感は、幼いこよりの心をどれほどえぐることだろう。
「よくあることデスから……センパイたちが気にすることじゃないんです。ただ、やっぱ……その」
 寂しいのだと、言葉にせずにこよりは訴える。
「こよりん……」
 いつの間にか喧嘩を終えていたるいがしょぼんと眉を下げる。仲間の落ち込みには人一倍敏感、力技が使えるなら使ってでも助けようとするのが彼女だ。ただ、今回は事情が事情なだけに、どう手を施したらいいのか。
 ここに集えばみんながいる。けれど僕たちは学年も学校もバラバラで、基本的に離れ離れだ。その離れている間に受ける痛みは、どうしたって避けようがない。
 僕のように一種冷めて諦めていればまだいい。だけど、こよりはそんな風には割り切れないだろう。ましてクラス中が一定方向に盛り上がっているのなら、なおのこと影響を受ける。それは決して悪いことじゃない、自然なことだ。だからこそ、こよりは悲しむ、苦しむ。たった2週間といっても、辛いと思えば思うほど体感時間は伸びる。仕方ないといい聞かせたって、きしむ心の痛みは和らぐことはない。
 なんとかしてあげられないものか――アイデアを求めて視線を回す。みんな一様に渋い顔。
 今回は相手が悪いわけじゃないから、乗り込んだりするわけにもいかない。かといって気を使ってこよりんの学校に遊びに行ったりすれば、余計浮いてしまうだろう。
 僕らに出来ること――
「……ところで、こより。その『デコチョコ』というのは、どうやって作るものなのかな?」
「え? あ、んとと」
 思いつきなのか純粋な興味なのか、惠が問いかける。こよりは目を閉じて顎の下に指を置くいつものスタイルで記憶を辿る。
「鳴滝もよく知らないんデスが、チョコを溶かして可愛いケースに流しこんだりクッキーにつけたりして、そんでラムネとか星型のお砂糖とかをトッピングするみたいです」
「そういえば、スーパーのバレンタインコーナーに製菓材料が色々あったような」
「近所の店の特設、今年は飾り物が多い気がしてたけど……ブームなのね」
「そーなのデスよ。手作り生チョコとかケーキみたいなのも人気デスけど、今年は飾りがメインだとか」
「はー、なるほど」
 手作りチョコ……なんとも乙女なかほりのする言葉だけど、その意味するところも時期によって変わるらしい。思い返せば、昼間の料理研究会の子たちも盛り上がりつつ愚痴もこぼしていた。初心者向けの手作りキットが流行ってて、部員がそっちに気を取られるから本格的なお菓子が作れないとかなんとか――
 ……初心者向け?
 ぴこん、とひらめく。
「ねえ、こよりんが誘われたって子は料理が得意なの?」
「いえ、そんなことはないデス。調理実習見てる分には普通でした。ただ、おうちが広いらしくて、みんなを呼んで作るにはちょうどいいとか」
 返答に確信と計画を結びつける。
 初心者でもOK、必要なものは広い会場のみ。
「……それなら、できるんじゃない?」
「ほえ?」
「だから、デコチョコ。本格的なのは難しくても、溶かして流して飾るぐらいなら僕たちにもできそうかなって。どうかな?」
 簡単な話だ。参加できないのなら、参加できるイベントを作ればいい。事情を知らないところに行けないのなら、事情を知ってるところに行けばいい。クラスメイトがダメならば、僕たちがやればいい。
「そうね。お菓子って難しい印象があるけど、そのぐらいなら無理なくできそう」
「チョコはあんまり好きじゃないけど、作るのは面白そうかも」
「私もこよりちゃんのエプロン姿を堪能したいわ」
「場所なら用意できるんじゃないかな。こういうことなら、浜江も佐知子も断らないだろう」
「茜子さんのスペクトラルチョコレートを披露する日が来たようですね」
「……え……い、いいんですか……?」
 みんなの快い返事にビックリするこより。もちろん、僕たちに断る理由はない。
「だってほら、みんなヒマだし」
「パーっと盛り上がったほうがいいよ!」
「カロリーが気になるから作ったことはなかったんだけど、いい機会じゃないかしら」
「ガギノドンたちを連れていけないことだけは残念ですけど」
「時にはこういう楽しみ方もあっていい、そうは思わないかい?」
「こよりちゃんの頼みとあれば、ラブレタースケジュールぐらいいくらでも調整するわよ」
「あ……ありがとうございます、センパイたち! 鳴滝、この恩は忘れません!」
「そんな大げさに考えなくていいよ、僕たちもやってみたかったんだし」
「そーそー!」
「お礼はこよりちゃんの裸エプロンで」
「それは却下」
「世間様の商売根性に乗ってみるのもたまにはいいんじゃないですか」
「確か、今朝の新聞にお菓子材料の特売チラシが入ってたのよね。あれ探してこなきゃ」
「道具も必要かな。手持ちがどのぐらいあるか聞いておこう」
「えとですね、そのへんのことは鳴滝ちらっと聞いたんですが――」
 みんなすっかりノリ気だ。こよりも笑顔で話題に加わり、あれこれと計画を練り始める。
 ほっと胸を撫で下ろしつつ、自分でまいた種の違和感に想いを巡らせる。無意識の内に作り上げていた先入観が崩れる、ちょっと心地いい気恥ずかしさ。
 バレンタインを仕掛け人として楽しむ――ありそうでなかった発想。

 そんなわけで、2月13日。
 授業が終わるなり、飛び出すようにして学校を出た。優等生お嬢様の雰囲気は崩さず、でも不自然じゃない程度に急ぎ足をする。待ち合わせの時間までには余裕があるけど、のんびりしてもいられない。
 目指すは、学校と惠の屋敷の間にある大型スーパー。今回、チョコ作りの材料は各自が持ち寄ることになったから、その買出しだ。 みんなで集まって作ることが目的だから、材料や作るものに制限はない。つまりはフリーダムだ。一体何が飛び出すのか……気分は闇鍋。食べ物を粗末にする結果は招かないと信じたいところ。まあ、バレンタイン関係なんだから、みんな空気を読んでチョコ関係にしてくるだろう。……してくるよね?もちろん僕は普通にチョコを作ります。
 必要なのが分かっていたなら先に買っておけば、と言うなかれ。僕のカバンは常に宮和のチェック対象、普段とちょっとでも違うものが入っていれば即座に気づかれる。バレたときの弁明と宮の反応なんて想像するだに胃が痛い。
 ……どうか、明日しれっと『和久津様、チョコレートの残り香が』とか言い出しませんように。
 そんな一抹の不安は脇において、スーパーの中へ。中途半端な時間ということもあってか、比較的人が少ない。ほっと一息、でも緊張で手に汗をかきそう。
 ……その、やっぱり、わかってはいても、バレンタインのチョコを買うというのは恥ずかしい。目的はあくまでみんなでクッキングで、プレゼントするもしないもないんだけど、そのコーナーに踏み入るだけでプライドがちくちくする。うう、意外に根深いアイデンティティの問題。
 とにかく、早く買い物を済ませて屋敷に行こう、そうしよう。
「えーと……」
 チョコ売り場は――と探そうとした瞬間にそれは現れた。というか、目の前。野菜も果物も特売品も押しのけて、一等地を独占状態だ。
「……うわーお」
 その異様で強烈な光景に、思わず声が漏れる。
 見渡す限りのピンクとハートのディスプレイ。目がチカチカするようなラメの飾り。ショーケースには女の子が好きそうな箱に入ったチョコが並べられ、『一番人気』とか『本命ならコレ』とか『お父さんに』とか用途が書かれたポップがついている。脇のラジカセからは甘ったるいラブソングがエンドレスリピート。凝った柄がプリントされ、さらに鮮やかな色の袋に入れられたチョコたちは震度3でも耐えられなさそうなほどに積み上げられ、威圧感を醸し出している。もはや大和撫子が仄かな恋心をチョコに託してとかそういう次元じゃない。これは戦争だ、男と女と企業と愛と競争と財布事情の仁義無き戦いなのだと、売り場の雰囲気が語っている。……何と戦ってるのかよくわかんないんだけど。
 そんな既製品チョココーナーの隣に、これまたどーんと手作りコーナーが陣取っている。こっちは単価が低いからか、ギラギラした雰囲気は控えめだ。ただ、その分チョコ以外にもいろんなものが並んでいる。タルト皿にチョコケーキ材料セット、おそらくは溶かしたチョコを付けるんだろうハート型のクッキーやマシュマロ、飾り用のチョコスプレーにハートや人形を模した飾り用お菓子、ドライフルーツ、さらには調理器具からラッピング用袋まで、よく言えば手厚く、悪く言えばあらゆるついで買いを誘発するようなラインナップ。店側が徹底的に勝負をかけてきているのがわかる。
 ……まあ、今回について言えば、あちこち回らないで済むのは助かる。明らかに罠にはまってる感ありありだけど、まあそれも一興。多分。
 などと考えつつカゴにチョコを入れようとして――
「とーもセーンパイっ!」
「ふにょぇ!?」
 元気よく呼びかけられて、思わず10センチぐらい飛び上がる。えへへー、と隣に並んできたのはこよりだ。
「センパイもここで買い物ですか?」
「うん。こよりも?」
「はい! ここなら鳴滝も安心してお買い物できますから! 智センパイもいるならもう百人力です!」
 ……ああ、なるほど。
 同盟メンバー各々、ここのスーパーにはなんだかんだでお世話になっている。そういう意味で、ここはこよりにとって安全な場所というわけだ。
「お金は各自負担だよ?」
「もっちろん、承知であります! ちゃーんと貯金箱開けてきました!」
 くまの形のがま口を出してにっこり。相当小銭が入っているのか、面長状態になっている。
「よし、じゃあ2人で手分けして買おうか」
「ですね! 同じものばっかりじゃつまんないですもんね」
 というわけで、急遽タッグを組むことに。僕は主にチョコレート、こよりはトッピングを選ぶ。一口にチョコレートといっても、その種類は多岐に渡る。ビターやミルク、ホワイトは当然として、スーパーではおそらくこの時期にしか入荷されないだろうクーベルチュールにカカオマス、いちごにベリーに塩キャラメル味、その他もろもろ。色も形も味も値段もありすぎるほどあって、これはこれでクラクラする。
 とりあえず、混ぜても危険にならなさそうなものをチョイス。お菓子づくりは僕も門外漢だし、ノリでとんでもないことが起こりかねないのがあのメンバーの怖いところ。それも含めて楽しみではあるんだけど、自分から塩素と酸素を用意する必要はないだろう。
 こよりのカゴを覗き見ると、ハート型のグミやらパステルカラーのチョコスプレーやらがいっぱい。流石は女の子。と、その中にさっきの気合が暴走気味の既製品コーナーの箱が混ざっているのに気づく。
「あれ、こよりん既製品も買うの?」
「あ、はい。今日の分とは別に、お父さんやお母さんやお姉ちゃんの分も用意するので」
 なんと清く正しいバレンタインの在り方。普通なのかもしれないけど、僕の周りは「普通」が通用しない子だらけだから、こよりの買い物が逆に新鮮に思える。
「今日作ったのを渡すっていうのも考えたんデスけど、やっぱり家族には家族で買おうかなって。今日作るのはみんなでたべちゃいましょう!」
「なるほど」
 特別を選ぶ相手は、何も恋する誰かさんである必要はない。きっと、友チョコやらなにやらが流行りだす前から、こよりは家族にチョコを贈っていたのだろう。
 ……そういうのって、いいな。家族もいない、広義の意味ですらあげる相手の存在しない僕には、こよりの笑顔がなんだか眩しい。
 お会計をさっと済ませて本日の会場へ。真冬だというのに、日差しがほんのり暖かい。見上げてみると、穏やかな色合いの空に白熱灯の気配を宿した太陽がひとつ。
 珍しくもない風景が妙に感慨深いのは、新しい選択への高揚感のせいかもしれない。

「こんにちはー」
「トモちんおっそーい! あ、こよりんも一緒だ!」
「ごめん、買出し行ってて……他のみんなは?」
「花鶏とイヨ子はもう来てる。アカネだけまだ」
「集合時間にはまだ間がある。彼女も買出しに行っているのかもしれないね」
「そっかー……って……わぉ」
「どったの?」
「……いや、当然なんだけど意外な光景、というか」
 るいと惠、腹ペコ魔人と王子様にエプロン。出迎えてくれた2人のエプロン姿に違和感が全力で物申す。シンプルな生成のエプロンだし、似合ってないわけじゃないんだけど、普段とのギャップが激しすぎて未知の生物を見てる気分だ。しかも2人とも制服の上にエプロンだから、なおのことヘンテコな印象を受ける。
「あーら智にこよりちゃん、いらっしゃーい」
 ちょっと遅れて台所から出てきたのは花鶏。こちらもエプロン姿。ただし自宅から持ってきたらしく、2人のとは明らかに違う、凝ったデザインだ。お嬢様の雰囲気を壊さず、でも家庭的なニュアンスを醸しだす格好。たとえエプロン一枚でもこだわる辺りが花鶏らしい。
「ささ、2人ともこっちへ! まずは裸エプロンに着替えてね」
「全力でお断りします!」
 でもやっぱり、何を着ても花鶏は花鶏だった。
「まあそう言わずに、シンプルなデザインだからこそ肌色が映えるしぷりぷりのおしりやぺったんこな胸のラインが引き立っぐへ」
「この変態め」
 るいの一撃でべしょりと倒れ伏す。……申し訳ないけどちょっとこのままにしておこう。
 そろそろと花鶏を避けて食堂へ行くと、テーブルは既に準備万端、というか作業が始まっていた。一面に新聞紙が敷かれ、その上に人数分のまな板と包丁が置かれている。その一角でチョコに向き合っているのは伊代だ。体重をかけるようにしてせっせと削っている。
「あー……あなたたち、けっこう重労働よ、これ」
 僕たちに気づき、振り返る。もちろんエプロン姿。……気持ちがいいほどに違和感がない。ただ、表情はちょっとお疲れ気味。
「お得と思って選んだんだけど……やっぱり安いには安いなりの理由があるのね」
 伊代が格闘してるのは厚さが3センチぐらいありそうなチョコの塊だ。板チョコというよりブロック。確かにこれを細かくするのは大変そう。
「じゃあ、伊代はちょっと休憩しててよ。僕たちが代わりにやるから」
「あら、そう? じゃあお願いしてもいい?」
「もっちろんデスよー! 鳴滝は来たばっかりですから力あり余ってます」
「ついでに、どんな風に組み合わせるかとか考えといてくれると助かるかな」
 ぱちっと目配せ。
 今日のイベント内容とメンバーを考えるに、伊代はとっても重要なポジションだ。料理とお菓子は勝手が違うとはいえ、料理に慣れている人をどう活用するかで結果は大幅に変わる。花鶏もそれなりに作れるみたいだけど、彼女は味覚が若干ズレてるというか信用ならない部分があったりするし、何よりお菓子づくりじゃないことに気を取られまくる予感がする。真面目に取り組んでくれて安心出来る実力者といったら伊代くらいのもの。不慮の事態はいつでも起こり得る、切り札はとっておいたほうがいいだろう。
「というわけで、地味な下準備はみんなでぱぱっと終わらせちゃいましょう」
「はいはーいっ!」
「では、僕たちも再開するとしようか」
「みんなでやったほうが楽しいもんね」
 人数が増えて気合が入ったのか、るいと惠もやる気を見せる。スーパーの袋から買ってきたチョコを出して並べて、スタンバイ完了。こよりもトッピングを出して並べる。
「せっかくだから、刻んだ数とか量とかカウントしてみる? ゲーム感覚だと早く終わるかも」
「そうだね。たとえ単純な作業であっても、競争を活用すれば効率は大幅に上がる」
「おおっ、そういうことなら鳴滝も負けませんデスよぅ!」
「るい姉さんの実力を見せてやる!」
「よーし、それじゃあ各自刻んだのをボウルにいれて、重さで比べよう」
「はいはーい、センパイセンパイ! 罰ゲームとかどうでしょうか!」
「あ、いいかも。じゃあ一番量が少なかった子は罰ゲームね」
 ペナルティは勝負の華。追われる恐怖がノルアドレナリンを分泌させる。
「それじゃあ――よーい、スタート!」
 掛け声ひとつ。四人が一気に真顔でチョコレートを刻み始める。それはもう、それはもう真面目に。
 食堂にリズミカルに響く音。
 力技で押し切るるい、どこぞのショコラティエの動きをコピーしてきたらしいこより、もともと器用なのか刃物の扱いに慣れてる感のある惠、そして僕……るいが一歩出てる感はあるけど、後の三人はほぼ互角の様相。
 これは気を抜いたら負けそうだ。
 勝負は拮抗すればするほど盛り上がる。ビリは罰ゲームともなればいやでも集中力が増す。
 無言でひたすらチョコレートを刻み続ける四人。火花が散ってる予感。
 ただ――
「……すっごいシュールな光景よね、これ」
「ネタとしても脅し材料としても使えるわね、撮影撮影」
「後から来て正解でした。こんなげーむにまじになっちゃってどうするの的な意味で」
「ひゃああぁぁ! 花鶏やめて撮らないでえぇ!」
「イヤなら手を止めてこっちに来なさい」
「らめなのぉ! 手を止めたら罰ゲームになるのぉ!」
「おにょれ花鶏、覚えてろ……!」
「ふぇえ、これ全部撮られてるデスか!?」
「……まあ、何事も経験、なのかな」
 真面目であればあるほど、傍から見れば滑稽な姿。
 結局、勝敗以前の問題で、四人揃って黒歴史映像を撮られる羽目になりました。
 ……ゲームをするときは、全員参加を義務付けましょう。

 紆余曲折を経つつ刻まれたチョコレートを湯煎で溶かすと、甘い香りが食堂中に広がった。温度を調整しながら溶かしていくと、潤んだようなツヤが出る。ホワイトの中にビターを少したらせば、綺麗なマーブル模様の出来上がり。それをさっとクッキーにつけて、ケーキクーラーの上へ。僕は特にトッピングに気を使おうという気はないからその程度だけど、こよりや花鶏は飾り付けにも余念が無い。
「んとー……ここにはお花のお砂糖置いて、チョコスプレーかけて」
「あらこよりちゃん、ほっぺたにチョコが付いてるわよ?」
「え」
「取ってあげるわ。んー」
「ひょわぁ!? 花鶏センパイ、取るなら手で取ってくださいぃ」
「あーら、じゃあ手で頂いちゃってもいいのかしら」
「そういう意味じゃないデスうぅ」
 ……花鶏は別の意味で余念が無い。
「こらそこ! 料理中に余計なことするんじゃないの! 食べ物を粗末にしたらバチが当たるわ!」
「いいじゃない、ちょっとぐらい」
「よくないわ! いい、料理は一見安全そうに見えるけど刃物を使うし火も使うし、実際はすごく危険な作業なのよ。怪我や火傷してからじゃ遅いんだから、常に手先に神経を集中させて、間違いがないように丁寧に作業することが何よりも肝心なの。それに、せっかくの食材をぞんざいに扱ったらお百姓さんに申し訳ないでしょ」
「お百姓さんと来ましたか」
「素材の作り手に想いを馳せるというのはひとつのロマンかもしれないね」
「笑顔でカカオ豆を収穫してる写真を想像してみましょう、みたいな」
「実際はフェアトレードが画期的な提案扱いされる程度に略奪まがいの搾取をされてますけどね」
「そういうのはまた別の機会に。切なくなる」
「現実なんて、大抵は本当は怖いグリム童話ですよ」
「バレンタインそのものが甘い夢だろう? だったら無理に醒ます必要もないんじゃないかな」
「その甘い夢すら、選ばれし針先の人間にしか与えられないんですけどね」
「徹底的に不公平」
「さあこよりちゃん、チョコレートをその身体にっ!」
「いやぁぁぁ! るいセンパイおたすけくださいー!」
「やめんかこの変態がー!」
 チョコ作りでも、いつもの賑やかさは変わらない。変わるものがあるとすれば、チョコレートがテーブルに増えていくことぐらいか。だけど、それがなんだか嬉しい。あげる相手など想定していないけれど、出来上がっていくチョコレートは妙に可愛らしくて、密やかな幸せの固まりに見える。
 七人がそれぞれ、同じ素材で別のものを作る。出来上がりはバラバラとも言えるし、全部チョコレートだとも言える。
「ねーねートモちん、ちくわとチョコって合うかなぁ」
「やめたほうがいいと思う」
「……やっぱそうかぁ」
「るい、まさかちくわ持ってきてるの!?」
「ん。いや、甘いのはあんまり好きじゃないけど、ちくマヨと絡めたらいけるかなーって」
「料理ができない子の思考回路恐ろしい」
「柿の種チョコとかあるじゃん? ああいうノリで」
「どこから突っ込めばいいでしょうか先生」
「むしろ放置して食べたときの顔を激写したいですね」
「そういうアカネは何持ってきたの?」
「わさびと辛子とコンソメキューブです」
「何そのイロモノ通り超えてイジメなシロモノ!?」
「忘れた頃にちびうさちゃん経由で色情教主に差し入れしてやろうかと。ロシアンルーレットにするのもアリですが」
「気が抜けない……」
「猫はチョコ食べられないですからね。茜子さん的にはその時点で価値がマイナス100ポイントです」
「基準が人間ですらない」
「……まあ、作るのは楽しいですよ。後始末に困りそうですけど」
「だったら普通に作ればみんな食べてくれるのに」
「そういう直球は茜子さんのプライドが許しません」
「困ったこだわり」
 でも楽しいですよ、と茜子はもう一度繰り返す。イロモノ食材の他に用意してきたらしいドライフルーツにチョコをつけて、ぽんぽんと並べていく。
 彼女があえて遅れてきたのは、みんなに気を遣わせないためだったんだろう。作業開始時はどうしてもバタバタする、彼女の呪いを考えれば、その時間はいないほうが双方にとって安心できる。誰も茜子の遅刻を咎めなかったのは、それをなんとなく感じ取っていたからなんだろう。単にそこまで気が回ってなかったという説もあるけど……ここは暗黙の了解という優しさに一票。
 それとなくみんなの様子を観察する。花鶏はこよりにちょっかいをかけつつ、見栄えのいいトリュフをきっちり作っている。こよりは大きなハート型のクッキーにチョコをかけたものにデコレーションしたり、ミニカップに注いだチョコにデコレーションしたり、とにかくカラフル。伊代は生チョコだ。四角い容器にきちっと流しこみ、トントンと叩いて平らにならしている。多分、事前に作り方を調べてきたんだろう。るいは周りの様子をちらちら見つつ、なんとなくミニカップにチョコを注いでいる。こぼれ気味なのがるいらしい。惠はフルーツのチョコかけ……なんだけど微妙に手元が危ない。ていうか明らかに慣れてない。チョコを刻むのはできてもそこから先は苦手区域なんだろうか。すらっとした指のあちこちにチョコがくっついてしまっていて、彼女の意外な不器用さが露呈してしまっている。でも表情はいつもどおり。……ちょっと悔しそうに見えなくもない。
 ……そういえば、惠はいつものあの格好でチョコを買いに行ったんだろうか。
「ねえ惠、惠は自分で材料買いに行ったの?」
「パーティは準備を人任せにしては始まらない、そうは思わないか?」
 いつもどおり回りくどい言い方だけど、どうやら買いに行ったらしい。
「その時ってどんな格好してたの?」
「そうだね。バレンタインの持つ排他的な雰囲気を体験した、と言えばよいかな」
「……ひょっとして、あなたいつもの格好で行ったの?」
 伊代のツッコミににこやかに微笑む。
「どうやら、バレンタインが男性が主役のイベントというのは誤解のようだね。あれほど奇異の視線や哀れみの視線を浴びては、男性諸君も肩身が狭いだろう」
「……なんか今とても切ない光景を想像した」
「『うっわーこの人もらえないからって自分で買いに来てる』『チョーカワイソー』ってやつですね」
「惠センパイは女の子なのに……」
 いろんな意味でいたたまれない気持ちになる。
 惠は一見すれば男の子、それも王子様系のイケメンだ。そんな彼女が突然バレンタイン手作りコーナーに現れたりしたら、違和感の権化状態にもなるだろうし、悪い意味での注目を集めてしまうだろう。対する僕は本来およびでないはずなんだけど、格好のおかげで外部から見た場合の違和感はおそらくゼロに近い。どこの特設コーナーに行ったって本来のターゲットとして扱われるだろう。人は見た目が9割とはよく言ったものです。僕も惠も趣味でやってるわけじゃないから、こういう時でも崩せないのが辛いところ。いや、こういう時だけ崩すのもおかしな話か。そもそも、もらうことなんて想定してないんだし。
 視線をテーブルに戻せば、どんどん増えていくチョコレートコレクション。どれも宛先は不明で、想いの代わりにこの日この時間が込められている。食べるのはもちろん僕たち7人。
 同盟宛のお菓子は同盟の中で作られて、同盟のお腹の中に収まる。そこに『異性』は意識されていない。する必要もない。ここにいる7人は、世間一般のバレンタインなんて知らないし、知ることもできないし、知る権利もない。
 世界からおいてけぼりの僕たちは、イベントからもおいてけぼりだった。誰かがいないと成り立たないイベントは、誰かを持たない僕たちに門戸を開いてはくれなかった。
 それは今も、ある意味で変わらない。この7人の中に『異性』はいないし、7人がどこかから『異性』を持ち込んでくることもないだろう。僕たちにとって、バレンタインはそういうイベントではないのだ。
 だけど――今年、バレンタインは経験できた。小さな小さなお祭りは、本来の意味を離れて、別のものとして僕たちにサプライズをくれた。
 バレンタインはお菓子会社の策略である――であるがゆえに、対象者はいくらでも広がり、楽しみ方は無限大に広がる。
 だから、僕はお菓子会社に感謝しようと思う。
 この僕に、男の子にも女の子にもなれない僕に、この日を楽しむ可能性をくれたことに、感謝しようと思う。
「みなさん、そろそろお茶にしませんか? 浜江さんがクッキーを焼いてくれましたから」
「おお、意外なおやつ!」
「若いもんにはまだまだ負けん」
 香ばしい小麦粉の香り、爽やかな紅茶の香りと共に、佐知子さんと浜江さんが顔を出す。待ってましたとばかりに作業の手を止めて、みんなでにへっと笑いあう。
 相手不在のバレンタイン。
 ――それは、とっても僕ららしいバレンタインの過ごし方だ。

 帰宅して、ぽてんっとソファに転がる。結局片付けしたり夕飯をごちそうになったりで、随分遅くなってしまった。
 そのまま眠りの世界へ旅立ちたいのをぐっと堪え、さっと明日の用意。お風呂も抜かりなく。明日、宮に気付かれないように……まあ、気づかれたっていいか。
 ひと通りの準備を終えて、ほっと一息。
「……えへへ」
 お風呂の音に気をつけつつ、ごそごそとカバンの奥から箱を取り出す。何の変哲もない、誰かが買った材料が入っていたと思しき小さな箱。
 開けてみれば、中には七種類のチョコレート。形もバラバラ、中身もバラバラ。決して綺麗とは言えないものもあるし、素材の組み合わせて的にどうなんだろうと思うものもあるし、ここぞとばかりに実力を発揮した作品めいたものもある。どれも彼女たちらしい一品だ。もちろん、僕のも入ってる。無難にまとめた感のあるマーブル色のチョコレート。
 こっそりくすねてきた、否、もらってきた七人の思い出の品。不格好で飾りのない今日の証。
 お腹に入れば溶けてしまうそれを、せめて携帯のカメラに収める。
 ちらっと時計を見る。これからお風呂にゆっくり入れば、ちょうど日付が変わる頃に出られるだろう。
 時計が12時を回ったら――一人でこっそり、残り香を楽しもう。
 前倒しの明日に想いを馳せつつ、いそいそとバスタオルを用意する。
 ――ハッピーバレンタイン。
 そう言えるようになった自分に、甘い幸せを感じながら。