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after Birthday ※視点は惠

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僕の考えた惠ルート ※視点は智

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chapter 29 


 夕方を色で示す空を背負う屋敷は、いつもよりずっと堅牢に見えた。
 門の前で立ちすくみ、屋根を見上げる。インターホンはまだ押さない、押せない。
 街から浮いた不自然に広い敷地と時代がかったたたずまい。『ラストダンジョン』とこよりが例えた通り、不穏な気配をまとってそびえ立つ。
 数日前はこんなじゃなかった―― 過ぎ去った、戻らない日々がちりちりと胸を焦がす。笑顔で門を開いてくれた三人の、全身での歓迎を思い返す。息が詰まって、目の奥がつんとする。
 不吉な出来事が起こった場所には、傷がつく。傷がついた場所は、現状に関わらず、警戒すべきものとして捉えられる。
 僕もその呪縛から逃れられないんだろう。恐怖めいた冷たい痺れが足元から染み出し、ずるずると這い上ってくる。想定するのは怒りと憎しみ……確認したわけでもないのに、先回りして怯え、身構えている。
「……違う。まだ、終わってない」
 宮和の言葉を思い返し、深呼吸する。さっきから肩に力が入りっぱなしだ。気張りすぎれば余裕が失われ、柔軟な発想ができなくなる。それじゃダメだ。
 宮和が指摘した通り、惠は僕に対して何も言っていない。僕以外に対しては一人ずつ律儀に声をかけ、絆を折っていったのに、だ。
 ある意味、僕は放置された。おそらくはわざと。
 僕と惠が共有するいくつもの秘密……姉さん、呪い、そして繋がり。時間をかけて明かされ、培っていった心の絡み合いは勢いで強行突破できるほど浅くはない。
 だからこそ、あの時惠は僕を狙うのではなく、周りを崩したんだろう。自分から僕に働きかけるのではなく、乗せられた仲間の激情で押し流そうとしたとすれば筋は通る。
 ……喰らいつける部分があるとすれば、そこだ。
 僕が一人で惠に向き合ったとき―― 彼女は、どんな行動を取るのか。
「すー、はー」
 身体を前かがみにして反り返って、わざとらしい深呼吸。一種の儀式。誰に見せるでもないパフォーマンスは、僕自身の気持ちの高ぶりを多少抑えてくれる。
 不安がないと言えば嘘になる。ノートが燃やされたのは現実だし、惠はみんなに引きずられる僕を止めなかった。
 でも、「面と向かって振られる」のと「振られた気がする」では全く違う。
 ……確かめたい。
 もう一度、内側から笑う君の顔が見たい。
 
 インターホンが、尾を引く音を鳴らす。

『……はい』
「和久津智です」
『……何のご用件ですか』
「惠に会いに来ました」
『……』
 ぷつん、と応答が途切れた。
 ……当然か。あんなことがあったのに「はいそうですか」とあっさり扉を開けてくれるはずもない。
 待つ。
 時計の針が鈍足になる。はやる気持ちを抑えながら、じっとじっと立ちつくす。
 実は、ここが既に第一関門だ。
 すなわち―― 惠に会わせてもらえるかどうか。
 惠が僕たちを拒絶した以上、彼女に再び会うためには浜江さんと佐知子さんに協力してもらうしかない。
 けれど、彼女たちは僕に協力してくれるだろうか?
 立場が違えば、理解の方向も違う。
 るい達にとって、惠の行動は心ないものに映った。でも、家政婦さん達にしてみれば、僕らの方が恩知らずに見えただろう。あんな三行半同然の仲違い、しこりが残って当然だ。ましてや、惠の呪いを知る人たち。彼女の苦悩を支え続ける二人にとって、呪いを知らない人間の対応は心をえぐるものだったはずだ。
 物事は、どの側面を見るかで七色に変化する。板挟み状態だから、よくわかる。
 ……どうせ板挟みになるなら、橋になりたい。挟まれるんじゃなく、繋がらなくなった縁の橋渡しをしたい。
 もう一度インターホンを押す。今度は返事もない。
 それでも待つ。
 十分……二十分。夜に浸食される空を見つめながら、立ち続ける。
 今日はほぼ無風だ。日が暮れても冷たい風に晒されないから助かる
 身体は動かさず、頭をフル回転させる。数日間腑抜けて何にも考えられていなかった分、待ち時間が逆にありがたい。事態の理解と仮説と検証を繰り返し、少しでも多くのカードを用意しようと努める。
 どこまで通じるかは未知数だ。あれこれ考えてみたところで、全部的外れの可能性だってあるし、冷静さの欠けた状態での思考は往々にして必要以上に陰るもの。打開策を練るつもりが余計に凹む、冗談みたいだけどよくある話。
 でも、何もしないよりはマシだろう。
 じっくりと、じっとりと、待ち続ける。
 星が見え始める。
「……」
 もう一度押そうかな、と手を伸ばしかけたとき――
「……智さん」
 扉から光が漏れた。
「佐知子さん」
 出てきたのは佐知子さんだ。
 僕がまだいることに驚いたような困惑したような表情を浮かべ、門のところまで歩いてくる。
 鉄製の門を隔てて向かい合う。
「申し訳ありませんが、お引き取りください」
 掛けられたのは、予想通りの答えだ。
「嫌です」
 即座に切り返す。
「……惠さんから、誰も通すなと言われています」
「今日は僕一人です。ここに来たのは僕の独断です」
「ですが、惠さんは」
「待ちます。会ってくれるまで何時間でも、何日でも待ちます」
「……でも」
「お願いします」
 テコも動かないオーラを出しまくりながら、佐知子さんの目をじっと見つめる。
 夜が流れ出し、暗い状態では、佐知子さんの表情は今一つわかりにくい。街灯や玄関の明かりはあるものの、昼間に比べたら視覚情報の少なさが段違いだ。それでも、瞳の中が揺れ動いているのはうかがえた。
 迷っているんだろう。
 ……迷わせることができたなら、第一歩を踏み出せたと言えそうだ。
『会わせてもらうまで動かない』。この上なく単純で、この上なく迷惑な手段だ。あまり人通りのない区域とはいえ、何時間も立っていれば何人かは通りがかる。その都度立ちつくす僕の姿が目に触れるとなれば、いやが上にも注目を集めてしまう。目立ちたくないこの家の人にとっては最悪の部類の、胃が痛くなる我慢比べ。実際もう三十分以上立ちっぱなしで、一人二人には見られている。
「智さん、どうか」
「このままじゃ嫌なんです。惠があんな風に誤解されて、嫌われるなんて……なんとかしたいんです。でも、本人に話を聞かないことには事態を動かしようがないから」
「……」
 怪訝な顔に、ほんの少しだけ安堵が滲む。責めに来たんじゃないとわかってほっとしたんだろう。
 沈黙。
 佐知子さんから感じるのは、困惑。
 僕の行動の意味、僕と惠が会う意味、その結果を測りかねている感じだ。
 追い返せという指示に従うだけなら迷いようがないだろうに―― 意志を固めきれていない。
 ……与えられた指示が、必ずしも正解ではないと思うから、だろうか?
「惠さんに会って、どうなさるおつもりですか」
 佐知子さんから、歩み寄りとも取れる質問がかけられた。
「話を聞きます」
「……ご存じの上で、ですか」
「はい。今のところ、知ってるのは僕だけです。だから僕一人で来たんです。みんなが汲み取れないことも、僕ならきっと汲み取れます」
「……そう、ですか……」
 息を吐く。
 確認されたのは惠の呪いについて。
 呪いを知っているかいないかで、惠の発言の捉え方は大幅に変わる。呪いを知らない人間が何を聞いたところで、誤解のスパイラルに陥るだけ―― 佐知子さんが恐れるのはその部分だろう。
「惠さん、智さんにはお話ししたんですね」
「話した、というか、当てたというか」
「それでも、智さんはここまでいらっしゃったんですね」
「はい」
「……」
 佐知子さんの瞳がさらに曇る。手の届かなさに苦しむような、惠にとっての最善を模索するような、息苦しさ混じりの葛藤が伝わってくる。
 ここまで迷うということは……ひょっとしなくても、惠は……。
「佐知子さん」
「はい」
 カマをかける。
「あなたは、このままでいいと思いますか?」
「……っ……」
「今の惠が幸せだと思うなら、僕を追い返してください。思わないなら、通してください」
 答えを予想したうえで、あえて選択を迫る。
 僅かなやり取りと、反応する佐知子さんの様子からわかることがひとつ。
 少なくとも佐知子さんは、この状況を最善だとは思っていない。むしろ、どちらかといえば打開したがっている。
 屋敷の主として、またそれ以上の思い入れを持って、ひたすら惠のために行動するのが佐知子さんだ。惠に悪影響と思うなら、何が何でも僕を拒絶する。突っぱねたり、無理やり追い返すのも辞さないはず。
 迷っているということは―― 佐知子さんから見て、今の惠が良い状態ではないという証拠だ。
「智さん」
「僕は、惠に会いたいです」
「……」
「会いたいんです。お願いします」
 佐知子さんが苦悶の表情を浮かべる。思案し、何度も自分の手を重ね、祈るようなポーズを取り、視線を上げ下げし――
「……わかりました」
 迷いと、懸念と、不安と―― たっぷりの哀しみを目に溜めて、佐知子さんは頷く。
 ゆっくりと、鉄柵の掛け金を外す。


「……」
 案内された惠の部屋は、夜よりもなお暗かった。電気をつけていないだけでなく、窓にカーテンが引かれているせいだろう。中をうかがうには闇に目が慣れる必要がある、それぐらい深い黒に満ちている。
 ベッドの上にはぼんやりと白い何か。惠のブラウスだ。寝巻ではなく、いつもの服装から上着だけ外した状態で、ベッドに突っ伏している。
 具合が悪い……わけじゃない。それなら佐知子さんは僕を通さない。昼寝? だとしたら、もうちょっとラフな格好をしている。
 そういう、普段の延長線上の行動じゃない。
 ……異常な状態、だ。
 僕には―― 惠が不貞寝してるように見える。
 佐知子さんが迷うわけだ。こんなの、全然惠らしくない。
「えい」
 ぱちん。
「!」
 蛍光灯のスイッチを入れる。
 びくん、と惠の肩が揺れた。横になっていても、寝てはいなかったんだろう。
「……惠」
「佐知子は指示を守らなかったんだね」
 その場を動かないまま、声だけが返ってくる。憮然として、不機嫌を隠そうともしない。
「佐知子さんを責めないであげて。通してくれないなら家の前で延々ストーカーしますって、僕が無理やり押し切ったんだ」
「相手が悪かったか」
「それもあるだろうね。でも、それだけじゃない」
「……なに」
「佐知子さん、君のこと心配してる。そりゃ、君がこんな風にに丸まってふてくされてたら、誰だって気になるよ」
「一時的な症状だと聞いているはずだけどな」
「一事が万事って言うでしょ」
「相変わらず、口の上手さは天下一品だ」
「お互いさまだよ」
「……御しがたい相手だな、君は」
 ゆっくりと、惠がベッドから身を起こした。立ち上がり、側面の壁にもたれかかる。わざわざ首を曲げなければこちらが見えないような位置に陣取って、腕を組んで―― あさっての方を見る。
「……なぜ、戻ってきた?」
 さして興味もなさそうに聞いてくる。
「単純だよ。もう一度、君に会いたかった」
「陳腐な口説き文句だね」
「ここに来ることは誰にも相談してないし、話してない。茜子には見つかっちゃったけど」
「真実を知りたいのなら、茜子を連れてくるべきだったんじゃないか?」
「駄目だよ。茜子がいたら君は頑なになっちゃう」
「……」
「……茜子、君の心が読めないって言ってた。発言で揺れない心は読めないって」
「なるほど、それならここに連れてくる意味はないね。戦力外だ」
「たとえ読めたとしても、僕は一人で来たよ」
「なぜ?」
「会いたいから。二人っきりで会いたいから」
「……甘さだけでは胸やけする」
「本気だよ」
「……」
 窓の方に視線を向ける。カーテンがぴっちり締まった窓から景色が見えるわけもない、そっぽを向かれた格好だ。
 惠も相当気を張っているんだろう。みんなに喧嘩を売った時とは雰囲気が大分違う。剣呑とした言い方はよく似ているけれど、尖りきれていない印象。むしろ、どことなく危うい。背筋を伸ばして立つ姿を見慣れているから、壁に寄りかかるのが不自然に感じるんだろうか。
 胸の奥がざわつく。
 ……もしかしたら、彼女はまっすぐ立たないんじゃなく、立てないんじゃないのか――
「ねえ、惠。どうしてあんなことしたの」
 懸念を振り払うように、一枚目のカードを切る。
 あまりまわりくどいことばかりしていてもしょうがないだろう。とにかく、先へ進まなきゃ。
「この間話したことを忘れてしまったのかい?」
「……あれは、全部が嘘じゃないと思う。でも、本当でもない」
「どのあたりが?」
「ノートを燃やしたのは手段でしょ」
「……」
「あまり認めたくないけど……。君の目的はノートを読めなくすることじゃなく、別のところにあったんじゃないかな」
 ただノートを読めなくしたいのなら、うまい方法は他にいくらでもあったはずだ。隠し通してその日を乗り切り、夜に処分することもできるし、佐知子さんと浜江さんに協力してもらえばなんとでもなる。
 少なくとも、あんなふうに堂々と『燃やした』と見せつける必要はない。
 つまり―― ノートを燃やしたのはパフォーマンス。本意は別のところにある。
 父さんのノートを小道具程度に使われたのは悔しいけど、そう考えた方が話が通る。
「違う?」
「……」
 再び正面―― 僕ではない方を向き、目を閉じる。肯定を含む沈黙だ。
「だとしたら、一体何が」
 自分で聞いているくせに、叱られる子どものような気分になる。
 返ってくるのが嬉しい答えでないことは、十二分に想像できる。あそこまで状況を作りこんだ惠が、優しい表現を使ってくれるわけがない。
 言葉は、それ自体が力を持つ。中に想いがこもらずとも、棘のある言葉はそれ自体が凶器になりうる。その無情な特性を使いこなしてきたのが彼女。使わなければならなかったのが、彼女。
「中途半端に情けをかけて追いすがられると厄介だ。断ち切るものは一気に断ち切ってしまった方がいい」
 ……案の定。
 言い放たれた言葉が、僕の心臓を重く沈める。
「……僕たちとの縁、切る気だったの?」
「現状から考えれば、突飛でもないさ」
「そんなこと」
「そんなこと、かい?」
 顔をこちらに向けた。両の目が、冷やした視線が僕に絡みつく。
「同盟が与えたものは何か? 怠惰と逃避だ。孤高の戦いの中で磨きあげてきた牙はいまやすっかり退化し、支えあいや相互扶助の名の下に、己の弱さは隠蔽された。笑いあっているときほど隙だらけの時間はない。ものの役に立たない雑談で時間を浪費している暇があったら、もっと建設的な行動をした方が何倍もいい……そういう考え方もあると思わないか」
「受験勉強に狂った親みたい」
「違うな。どちらかといえば、遊び呆けて我に返った学生の方だ」
「そりゃ、確かに僕たちは遊んでるけど……それとこれとは話が違うし、僕たちはそうすることに意味があるんだと思う」
「価値観なんて人それぞれだ。君が感じている意味とやらも、あくまで主観だろう」
「でも、惠だって楽しかったでしょ? それを否定するの?」
「全てが欲しいなんて贅沢だよ。圧倒的に優先順位が低かったんだから、切り捨てて当然だ」
 優先順位、と彼女は口にする。
 確かに、人は全てを格付けする。常に順位を並び替え、身の丈に合ったものだけを選び、他を振り落として生きている。
 ……だけど、順位付けが人の常だとしても、僕たちは……。
「重要、そうでもない、どうでもいい。そんな風に区分けするなら『どうでもいい』だよ。得るものが少なすぎる。彼女たちも、彼女たちとの時間も、みんな格下の存在さ」
「格下、って……!」
 嘘とわかっているのに、胃の奥が熱くなる。遠回しにみんなを侮辱されたことに、条件反射的に怒りがこみ上げる。
 僕たち七人は、無駄とも思える時間と、たわいもない触れ合いによって結ばれてきた。
 そこには価値も利益もない。形になるような『得るもの』なんて求めてない。
 確かに最初は利害の一致だった。でも今は違う。存在理由や集う意味を考える必要もないところに、今の同盟はある。
 一般的な人々から見れば、取るに足らない戯れかもしれない。
 でも、そのあどけない日々こそ、僕らが長年求め続けたもの。どこにでもあるふりをしながらも僕らには振り向かなかった、小さな幸せ。手放したくない、守りたいもの。
 惠だって、それはわかっているはずだ。
 いいや、惠がそれを一番わかっているはずだ。
 同盟の日々で一番変わったのは、同盟の日々で心を育てられたのは、他でもない惠なんだから。
「駄目だよ、惠。他の誰が切り捨てたって、君だけは切り捨てちゃいけない」
「それは君の意見だろう。無価値なものを勝手に押し付けないでくれ」
 けんもほろろに突っぱねる。
 わざとだ。あえて悪意のこもる単語を使って、僕を揺さぶろうとしてるだけだ。
 話し方と言葉選びしだいで、悪意はいくらでも演出できる。
 流されるな、惠の話はそれ自体が罠だ。
 ……そうと知っているのに、じくじくするお腹が苛立ちを作る。
 空っぽの話に意識が引きずられていく。言葉に縛られれば、彼女から遠ざかるとわかっているのに。
「同盟にいるリスクは説明するまでもないね。リスクとリターンを天秤にかけてリスクが上回れば、態度も変化して当然だろう」
「呪いから逃げてたって何も始まらない」
「同盟にいたって呪いに付け込まれるだけだ。皆が求めるのは現実逃避であって、闘争じゃない」
「戦ってるよ、僕たち。僕たちは呪いと戦ってる」
「どこが?」
「どこが、って……だってみんなで呪い解こうとしてるじゃない」
 わざとらしくため息をつき、惠が再び目を逸らす。天井を見上げ、軽く目を閉じ……触れてはいけない部分に、踏み込む。
「では聞こう。るいが呪いを踏んだのは何故だ?」
「!」
 頭のてっぺんからつま先まで、緊張が走りぬける。
 攻めてきたのは……薄々感づいていた、同盟の弱点。
「同盟と出会わなかったら、彼女はあんなくだらないミスはしなかった」
「そうとは限らないよ、誰と会っていても危険性は変わらない」
「本気でそう思うのかい?」
「……」
 言葉に詰まる。
 誰と会っていても変わらない、それは嘘だ。他者に対しかなり強い警戒心を持つるいが、そんな簡単に踏むはずがない。
 るいが呪いを踏んだのは、僕たちと一緒にいたから。七人の日々に溶け込んでいたからだ。 
 気の緩み。孤独と諦めの元に封じ込めてきた『誰かと一緒に過ごすこと』の危険。
 僕たちの呪いはほぼ全てが『他者とのコミュニケーションを阻害する』タイプのものだ。だから僕たちは孤独を選んできた。生きるために、呪いの恐怖から逃れるために。
 呪いというイレギュラー、それゆえの不自由……味わい続けてきた束縛の辛さ。
 その、誰もわかってくれない想いを共有できるから、僕たちはひとつの群れになった。
 ……振り返れば、根本的な解決とは程遠い理由だ。
 例え同じ呪い持ちであっても、他者であることに変わりはない。
 ひとりぼっちと、同盟と―― 純粋に呪いを踏む可能性で比べたら、孤独の方が安全―― それもまた、動かしようのない事実。
「あの出来事は現実を明確にした。同盟にいる限り、呪いを踏む危険度は上がる一方だ」
「でも、一人きりで戦えるほど呪いは簡単な相手じゃない」
「戦ってどうする? 勝てる保証などどこにもないのに」
「……だから、それを今やろうとして、呪いを解こうとして」
「僕がそこに混ざらなければならない理由は?」
「……」
「やりたいなら、意欲のある者だけで進めればいい。生命にかかわるリスクを高めてまで、わざわざ同盟を組む理由はないよ」
 惠は淡々と事実を突き刺してくる。
 彼女の言っていることは、間違ってはいない。
 呪いという尺度で測った時、同盟は枷にもなる。惠の場合、特にその傾向が顕著だ。
 理論的で、四角四面な、合理的なことだけを考えるなら―― 惠の同盟離脱には正当性がある。
「こういうことを言うと、同盟そのものが破たんしかねないからね。そこは自重した。あれでも大分譲歩したんだよ」
「……惠……」
「わかったなら、帰ってくれ」
 ふいっ、とカーテンへ視線を向ける。これ以上話すことなど何もないという風だ。
 黙って、与えられた情報を反芻する。咀嚼する。異論、反論、説得、エトセトラ。浮かんでは消える対処法。
 目の奥がじんじんする。胃の奥が気持ち悪い。胸の下あたりがつかえて、息苦しい。
 
 ……悔しかった。
 彼女にこんな風に話させてしまうことが。
 僕に対してまで、演技を貫かせてしまうことが。
 惠は説明をしているわけじゃない。
「これで納得しろ」「納得して引き下がれ」と言ってるだけだ。

 言葉の真偽はわからない。僕は茜子ではないから。
 ただ―― ひとつ。
 今の話に、惠の本心はない。それだけは確信できる。
 似ているから。
 姉さんに初めて会った日……惠と本気で向かい合った日の、惠の態度によく似ているから。
 あの日、惠は言葉を、筋の通る理論を、事実を使いこなし、僕にくってかかった。
 ―― 好き、という本心から逃れるために。
 
 真実と本心は違う。
 惠は、何よりも本心を恐れる。
『本心を語りたい』という欲求を何よりも恐れる。
 自分で自分に蓋をして、歯を食いしばって、気持ちを押しこめて、耐えて、自分の想いをなかったことにしたがる。
 本当に語りたいことを封じるために、虚実を織り交ぜたバリケードを作る―― 身につけてしまった自衛手段。 
 今ならわかる。彼女を知った、今ならわかる。
 理路整然として、無味乾燥な惠の理屈。
 それは―― 他人を説得する以上に、自分自身を説得するためのものなのだと。

 どうしたらいい?
 このままじゃ、何も変わらない。
 せっかく心を育てたのに。人並みの喜怒哀楽を自分に許せたのに。
 このままほっておいたら―― 彼女はまた元通りになってしまう。
 ひとりぼっちの、感情の起伏を持たない人形のようになってしまう。
 でも、喋らせたってこれ以上の進歩は望めない。喋れば喋るほど彼女は自分を押し込めてしまうだろう。長年培ってきた自己抑制のノウハウは、ちょっとやそっとじゃ破れない。心を伴わずに言葉を使える惠に、言葉に振り回される僕がかなうはずもない。
 言葉が僕たちを遠ざける。近づくための会話が、断絶ばかりを深くする。
 大事なことは、何ひとつ言えない―― それが、惠に課せられた呪い。
「いつまでそこにいるつもりだい? 時間の無駄だよ。みんなに余計な心配をかけないためにも、早く帰るべきだ」
 苛立ちまぎれに、惠はさらに僕を拒絶する。
「……やだ。ここにいたい」
「説得の次は駄々か。呆れた話だ」
「……っ」
 せりあがってくる衝動。
 何を言ったって、どんな説得をしたって、惠は揺らがない。ガチガチの理論武装と固持する平常心は、口先八寸でどうにかなるレベルを超えている。
 会話をし続ける限り、僕たちの間で言葉が交わされる限り―― 僕たちは、歩み寄ることができない。
 奥歯を噛む。拳を握りしめる。
 わかるのに、届かない。悪意をまとった行動の裏で苦しんでるのがわかるのに、どう手を差し伸べたらいいのかわからない。差し伸べたって、きっと取ってくれない。騒いだところで帰れと言われるのがオチだ。
 扉と壁、離れる距離は三メートル程度。たった数歩の距離が、クレバスや海溝のように深い断絶に思える。
 なんとかして、惠から本心を引き出したい。言葉にできない部分を掬い取って、形に――
「……」
 ひとつの案が、浮上した。
 ほぼ確実に惠の防壁を切り崩せる、ただし、事態の好転は望めない最悪の方法。
 惠を――
「……何を言っても、無駄なのかな」
「さあ? 君がそう思うなら、そうなんじゃないかな」
 なんとかして言葉で決着をつけようとするも、空回り。
 彼女にも意地がある。あんな回りくどいパフォーマンスをしてまで作り上げた今の状況だ、そんな簡単に崩されてはたまらないだろう。 
 それを崩すのが僕の役目。彼女の心をこじ開けるのが僕の役目。
 でも、切れるカードも、得ている情報も足りなさすぎる。交渉にすらなってない。
 考えすぎて、八方ふさがりで、焦りと悔しさと閉そく感と、さっきまでのやり取りで醸成された苛立ちと腹立たしさが混ざりあい、判断が異常な方向にねじ曲がる。
 惠の意識を、倒れるまい、明かすまいとする意地を破るには―― これしかない。
 どう考えても愚策で、下手しなくても惠を傷つける、普通なら絶対に取らない、取れない手段。
 これをやるぐらいならおとなしく帰った方がマシだとすら思えてくる。
 でも、帰るわけにはいかない。ここで惠を手放すわけにはいかない。
 ……だから。
「わかった。説得はやめる」
 こんなの、間違ってる。理性が騒ぐ。
 でも身体は止まらない。
 足が動く。惠の方へ。
「……何? 今度は殴り合いでもする気かい?」
 怪訝な視線を向けてきた。
「まさか。君に傷なんかつけられないよ」
 皮肉たっぷりの口ぶりと、自分でも醜悪とわかる笑みを浮かべて近づく。
 惠は動かない。目を見られたところで、何を言われたところで平気だと高をくくっているんだろう。
 実際その通りだ。口喧嘩では惠に勝てない。
 ……それなら。
 惠の正面に立つ。二人の距離は数十センチ。パーソナルスペースギリギリの位置で、隙を窺う。
 僕の選択を想像すらしていないからだろう、隙だらけだ。精神面では完璧な牙城を築いていても、身体面は拍子抜けしたくなるほどにガードが甘い。
 ……それでいい。僕が取るのは、今までの僕では考えられない、下衆の方法だから。
「随分と悪人の表情じゃないか。で、どうするんだい?」
「こうする」
 手を伸ばす。惠のうなじの部分に手のひらを回して引き寄せる。
「――――!?」
 動揺が伝わってきた。だけどもう遅い。
 無理矢理に口をふさぐ。唇を舐めとって、歯列をなぞって口内へ舌を侵入させる。
 壁に惠の身体を押しつけて、手を胸元に滑り込ませて、足の間に膝を割り込んで開かせて――
 荒々しく、ブラウスのボタンに手をかける。二、三個外して、その中へ手を差し込み、ブラジャーを問答無用で持ち上げ、いきなり生肌に触れる。
「んぅ……っ!」
 手の冷たさに、惠の身体が震える。
 鼻をくすぐる女の子の匂い、肌のなめらかさ、体温―― ネジの飛んだ頭は、目的の半分を忘れ、目の前の女の子への荒々しい情欲を打ち鳴らす。
「ふ、ん……んん、ん……!」
 たっぷりと時間をかけ、惠の口を味わう。
 口づけなんて生易しいものじゃない。いたわりも遠慮もない、完全な前戯としてのキスを交わす。
 唇を離す。
「な、な……!」
 予想外すぎて理解が追い付いていないのだろう、惠が目を白黒させながら僕を見る。
「君の言い訳、いっぱい聞いた。聞き飽きた」
「……」
「だから……今度は、甘くていやらしい声を聞かせて」
 言葉が通じないのなら、身体に聞けばいい。
 神経が泡立つ高揚感。歪んだ打開策。
 間違ってるのに。
 間違ってるのに、もう、止まらない――