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after Birthday ※視点は惠

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僕の考えた惠ルート ※視点は智

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chapter 42 


「おはよ、茜子」
 努めて笑顔。毎朝鏡を見ながら磨いてきた乙女心満載の作り笑いを披露する。
「……」
 ……披露するものの、茜子の不機嫌かつ鋭いかつ戦闘態勢の視線に迎え撃たれる。
「おはようございます」
「……も、もうちょっとにこやかに」
「愛想が必要ですか?」
「……切ない質問しないでください……」
 ぽろっとメッキが剥がれるような感覚に、笑顔も硬くなる。温度も質感もないカサカサの空気。お肌とココロに悪い。別段喧嘩したり不仲になる出来事があったわけじゃなく、かといって打開するのも難しい。一言で言えば『厄介な状態』だ。
 まあ、三日も続けば、その厄介さにも慣れてきたりするんだけど……やっぱり、気分のいいものじゃない。
 じいっと、据わりかけた目で見つめられる。
「……何?」
「いえ。笑顔仮面の裏側が警戒心バッリバリのビッリビリのスーパーハードっぷりですので」
「そりゃ、僕は今監視されてる身だし」
「やましいことがないのなら堂々としていればいいんです」
「でもやましいことないと困る感じだよね」
「だったらとっととボロ出してズタズタのボロ雑巾仕様になってください」
「……手厳しいよ、茜子」
「茜子さんは誰の味方でもありません。皆さん等しくいびります」
「あぅ……」
 なんとも複雑な心境。
 茜子が偵察という名の泊り込みを開始してから、早三日。一分一秒が緊張に満ち溢れすぎて爆発しそうだ。彼女の目的は僕の本心、言い換えれば同盟の敵か味方かを判断することなんだけど、それ以上に知られてはならないことがあるからさあ大変。立場が揺らぐのと生命が揺らぐのはどっちも大惨事、ダブルで僕に襲いかかってきているからたまらない。
 万が一、そう万が一、茜子に僕が男だとバレてしまったら……。考えるだけで身の毛がよだつ。
 惠との関係は、いざとなれば開き直れる。でも呪いについては問答無用でデッドエンド、悪夢だ。
 もちろん、茜子は今のところ、僕が二路線の秘密を所持しているとは気付いていない。はず。かといって過度に隠蔽しすぎても逆に興味を引くから、バランスがものすごく難しい。
 ……不幸中の幸いは、茜子に僕を断罪する気があまりないところ、だろうか。
「これでも手加減してますよ? 私の一言で首吊るハメになりかねない状況わきまえてください」
「……感謝すべきか非常に迷うところです」
 実感を伴った溜息。
 言葉の端々からちくちくと毒の棘が出ているものの、色々と見逃されているのは事実だから立場がない。
「……茜子で助かったよ。他の子じゃどうなってたか」
「まあ、初日のお茶碗の段階で詰んだでしょうね」
「……はい……」
 ずずん、と染み込む重力。
 思い出すのは三日前。
 茜子は僕の部屋に来るなり、一目散にキッチンに向かい――食器用の水切りカゴに『ふたり分の食器』が並んでいるのを見つけてしまった。お茶碗にお椀にお皿にお箸まできっちりふたり分。言うまでもなく、僕と惠が使った分だ。色んな理由で食器棚にしまわなかったのが裏目に出た。言い訳の余地はゼロ、文字通りの動かぬ証拠……始まる前に終わった感溢れる大ピンチに、文字通り心臓が縮み上がった。
 けれど。
 それほど露骨な証拠を前に、茜子は「黒いのは腹だけじゃなかったんですね」と背筋の寒くなる指摘をしてきただけ。
 その場でほんの二、三つ問いただせば色々確定したのに、あえて放置するかのような行動を取ったのだ。
 結果、僕はまだつるし上げモードにならず、首の皮一枚で繋がっている。
「情報が中途半端ですからね、ネタばらしタイムは取っておきましょう。半端な自白よりトリック暴いて徹底的に追いつめて泣かせた方が何倍もカタルシス味わえますから」
「悪趣味だー」
「その悪趣味に救われてる身で何を」
「腹黒のなかにはガラスのチキンハートが詰まってるんです」
「食えない鳥め」
 チェシャ猫の笑み。悪魔のしっぽがちょろちょろ揺れる幻覚が見える……気がする。
「追い詰めるのは簡単です。でも、私はそういうことをしに来たわけではありませんから」
「……うん、ありがとう」
『中立』を標榜するからなのか、別の意図があるのか……とにかく、茜子は異常なほどの寛大さで多めに見まくりつつ、監視を続けている。その緩さに、うっかりすると安心してしまいそうになる。
「こうしてちっぱい理屈装置は飴とムチで飼い慣らされていくのであった」
 安心しそうになるとこんな感じの追及が飛んでくるけど。
「僕は猫にはなれないです……」
「あなたみたいなデカい猫はいりません」
「振られた」
「振ります」
「くぅ」
 その気がなくても、ばちっと言われるとがくっとくるのが男の性。
 でも、冗談を交えつつ、着かず離れずな距離と空気を読んでくれるのは助かる。お互い身体に爆弾抱えてるからこそ、自然と線引きがなされるんだろう。
「さて、そろそろ準備しないと」
 ひとつ伸びをして、台所へ移動する。
 けだるくも重みのある緊張感のままに、朝ごはんを準備。
 惠が使った食器は茜子用になった。別に誰用として用意したものじゃないし、惠の前にるいが使ったりもしてるんだけど……なんとなく、胸の奥底に痛みがちらつく。「もしも」は歴史に不要、目の前の未来にIFを期待してもしょうがないと知りつつ、うまくいっていればという気持ちがよぎる。隣で料理を見ていた彼女の気配を思い出して、手が止まりそうになる。
 ……ええい、乙女と女々しいは違います! 乙女でいいかどうかは別として、女々しいのはいけませんっ!
 色んな雑念を振り払って、まな板と包丁に意識を集中する。
「よっし」
 リズミカルにきゅうりを刻む。耳触りのいいリズムだ。
 ぐるぐるした時は、料理をすると気持ちが落ち着く。『料理中に雑念が入ると怪我する』という実体験が上手く働くらしい。
 しょぼんとしていた背中も、料理が進むに連れてしゃんとしてくるから不思議だ。
 材料を切って、卵を割って……調理が進めば、香りがパっと気を晴らしてくれる。
「茜子、コーヒー用意しといてー」
「お客様をこき使うとは」
「嫌なら冷たい牛乳一気飲みになるよー」
「……おのれ」
 不満と怨念の入り交じったつぶやきひとつ、茜子がコーヒーメーカーを準備しはじめた。数分経てば、部屋いっぱいに広がる上質を知る人用の香ばしくリーズナブルな香り。手元ではフライパンから気持ちのいい油はねの音。
「よっと」
 ふたり分の朝ごはんをテーブルへ。いいタイミングで、新しく買ったトースターからぽこんと子狐色のパンが飛び出す。
 はい、朝ごはんできあがり。
「いただきまーす」
「まーす」
 バターのたっぷり染み込んだ焼きたてパンを頬張り、目玉焼きをぱくり。
 ……うん、焼き加減は今日も絶妙。『ぷるん』と『ぷにん』の境目ぐらいの柔らかい白身に、ふわっととろけて広がる濃厚な黄身の味わい。ちなみに今日はオリーブオイルと塩こしょうをかけてみた。目玉焼きの白さを邪魔しないから見た目はグッド。さて味は……
「ん、なかなか」
 シンプルかつ素材のうまみが味わえる。今度から、卵が新鮮な時はこうしようっと。
「無駄に料理の腕前もハイスペックですよね」
「一人暮らしすると自然に磨かれるよ」
「そうですか」
「花鶏の家ほど豪華にはならないけど」
「いえ、あっちと比べたら天地雲泥の差ですよ。いい意味で」
「そう?」
「セロリがないだけでプラス一万点。ですから安心してボロっと失言して下さい、全ては宇宙のゆらぎです、ブレブレです」
「話をそっちに持っていかないでー!」
「ぽっぽー」
 なんだかんだで明るい朝食タイム。エネルギーを取り入れた身体は活性化し、適度に入ってくる朝日が気分に爽やかさをプラスしてくれる。
 ひとりで食べるより、ずっと味のあるご飯。味覚は『誰かと一緒』で稼働するんだろう。
 それでもどこか物足りないのは……考えるだけ贅沢。
 目の前に囚われててもしょうがない。困難を承知で受けて立った道だ。
 今日も一日が始まる。学校で優等生を過ごした後は、花鶏の家で呪いの研究。
『ラトゥイリの星』の解析も進み、呪いの全容にも迫りつつある。
 タイムリミットが――全てが終わる日が、近づいている。
 

『とりあえずオマエに報告しておく』
 電話口の央輝の声は、なぜだか変に不機嫌だった。
 学校帰り、一人で花鶏の屋敷に向かう道中。確認とお誘いも兼ねての電話だ。僕が連絡係状態で彼女とみんなとの橋渡しをしている。といっても、何度電話してもぶっきらぼうなのは全く変わらないけど。
「報告なら、こっちに来ればいいのに」
『あたしだって暇じゃない。電話で十分なら電話で済ませる。どうせそっちも大した進展はないんだろう?』
「うーん……まだ形にはなりきれてないかな」
『ならわざわざ訪ねる必要はない』
「……そっかー……それで、報告って?」
 必要以上にはごねず、話の先を促す。
 央輝はいつも花鶏の屋敷にいるわけじゃない……いや、めったに来ないと行った方が正しい。裏社会は裏社会で忙しいのと、昼間は極力出歩きたくないのとで、彼女の側から用件があったり、めぼしい進展があった場合のみ姿を見せるということになっている。裏社会の事情はともかく、昼間出てこないのが呪い絡みなのは暗に察知できたから、それを咎めたり、説得したりはしなかった。
 ……最初の六人以外との距離を保とうとしたのもあるかもしれない。僕たちの同盟は六人から始まった。そんなに長い期間ではなかったけれど、『始まりは六人だった』という認識が皆の中に横たわっている。
 そこに加わった二人。一人……惠は離脱した。もう一人である央輝を警戒してしまうのも仕方ない部分もあるだろう。ただでさえ央輝は住む世界が違うのが明確だ、余裕のないときに受け入れるのは難しいし、央輝自身疎外感を感じることだってあるだろう。『必要な時だけ協力する』は合理的で、今の僕たちにとってはありがたい選択とも言える。
 ……そんな彼女が僕にだけ『報告』をするということは……。
『予想はつくだろう。三宅の件だ』
「っ」
 息を飲む。それ以外に考えられなかったとはいえ、いざ言われると身構えてしまう。続きはなんとなく想像できる……したくはないけれど、現実に情けは存在しない。
『まず、犯人は才野原で確定だ。念のために言っておく』
「……うん」
 念のため――あえてそう表現する央輝の意図に歯がみする。
『三宅は小物のくせに裏でも色々としでかしてるからな、表ざたにはならず、裏で内々に処理されることになった。警察がこの件で動くことはない、安心しろ』
「……それは、央輝のはからいなの?」
『あたしにそんな力はない。組織がそう判断しただけだ』
 つまらなそうに言い放たれる。彼女としては面白くないんだろうか。
 でも、三宅のことが知れ渡らずに済むというのは、僕たちにとって朗報だ。万一事件性が認められ、三宅との接触があった僕たちに事情聴取などかけられたらたまったものじゃない。組織の目的はともかく、彼のことがこれで全て断ち切られるなら、正直言って助かる。
 ……そんな風に思ってしまう自分に嫌気も差すけど。
 それにしても、央輝の組織が三宅一人のために動くというのはちょっと意外だ。央輝の意志が絡んでないとしたら、なぜ?
「央輝の組織って、そんなにこまめに動くものなの?」
『普段はこんな小さな事件にかかずらったりはしない。組織はバカでかいからな、末端の事件に気を回すほどお人好しでも細やかでもない』
「じゃあ……なんで?」
『それが本題だ』
 忌々しげな口調はそのままに、央輝が息を吐く。呆れているようで、安心したようでもある、不思議な溜息だ。
『才野原が三宅を手にかけた後、組織のやつが現場を洗いざらい調べつくした。犯人はもとから強盗なんて真似をする奴じゃないからな、金目のものは全て残されていたし、物色された形跡もほとんどなかった。ただ……ひとつだけ、あるはずのものがなかった』
「あるはずのもの?」
『三宅のノートパソコンだ。奴はフリーだからな、仕事道具であり商売道具であり交渉道具になりうる、命の次に大事なものだ。それがなかった。ケーブル類は置きっぱなしだったから、本体だけ持ち去られたのは明白だ』
「それって……」
『あらゆる方向に、知られては困る情報が詰まりに詰まったツールだ。組織としても悪用されては面倒なことになる。だから、かなりの人数を動員して探した。万一のことを考え、敵対組織にまで情報を流して探させた。だが、どこを探しても見つからなかった。ありかを特定できるほどに調べつくしたそうだ』
「……」
 見つからないのに、ありかを特定できる。奇妙なようで、はっきりした表現だ。央輝は気をもませるのが好きなのか、直接言うのは癪に障るのか、どっちにしろはっきりとは言わず、伝わるように言葉を選んでくる。
『それが、昨日見つかった。データの吸い出しが不可能なぐらい完全に壊された状態でな。もちろん、明らかに人の手による破壊だ。組織は完全に後手に回ったってわけだ。おかげで、探してた奴らは大目玉食らったらしい』
「……」
 頭が、理解するのを拒む。かりそめの冷静さで事態を把握する。
 央輝の組織がどんなものかは知らないけれど、少なくとも普通のチンピラグループというレベルじゃないだろう。そんなところに目をつけられてしまったら、僕らを敵に回すより遥かに過酷なことになる……思考回路が律儀で腹立たしい袋小路を導き出す。
 僕の手の届かないところで……またひとつ、追い詰められた。
 表に出るような派手な動きがないからこそ恐ろしい。静かに、着々と外堀が埋められていく。
 唇をかみしめる。こんなところでくすぶってる場合じゃない、打つ手がないのに気だけがはやる。
『……まあ、最終的な判断は上がするだろう。三宅程度の情報、それも死んだやつの残したものなんざ十分握りつぶせるだろうしな。むしろ、渡ったのがあいつで良かったという説もある』
「……え?」
 思わぬ方向に続いた話に、思わず疑問を返す。
 一旦言葉を切る央輝。不自然な間が空く。
『……三宅は最近、呪いについて熱を上げて調べていた。大方、才野原を調べたことで興味がわいたんだろう。三宅のパソコンの最新情報は呪いに関するものの可能性が高い』
「!」
 呪い――三宅に掴まれた、僕たちのタブー。
 そうだ、三宅は惠の情報から、僕たちにまで手を伸ばしていた。惠が屈しないならば同盟の誰かが狙われるはずだったんだ。
 三宅の死はその流れを止め、ノートパソコンの破壊は漏えいを封じ込めたと言えなくもない。
 脳をよぎる、惠の意志。
『あんなやつに……みんなを渡してたまるか』
 そうだ、惠は最初からその気だったんだ。三宅を手にかけ、持っている情報を全て闇に葬る気だった。それが結果的に央輝の組織の気に触れたとしても、僕たちにとっては……。
『呪いの情報が他でもない呪い持ちの手に渡り、廃棄されたんだ。悪いことじゃないだろう』
 央輝は相変わらず苦々しげだ。惠の行動が自分を救ったと思いたくないのだろうか? 裏社会はなんだかんだで持ちつ持たれつが通用する。知らないうちに借りを作るのは気分のいいものではないのかもしれない。
 でも、央輝の気持ちはともかく、僕にとってこれはとんでもなく朗報だ。
「央輝、惠はみんなを助けたってことだよね?」
『結果的にはそうなるだろうな。胸糞悪いが』
「だったら……!」
 そうだ、だったら説明はできる。人を殺すという行為をみんなに納得させるのは不可能かもしれないけど、少なくとも感情の悪化は止められるはず……!
『……言っておくが』
「ん?」
 僕の反応に何か感づいたのか、央輝が口をはさんでくる。
 ひゅ、と電話の向こうで空気が凍る。
『今の話、あいつらには絶対話すな。いいな、絶対にだ』
 途端――央輝の言葉が意識に絡みついてくる。彼女がここにいるわけではないのに、彼女に射すくめられ、縛られる。目の前にいたら卒倒してしまいそうな、刺すような冷たさが耳から全身を駆け巡る。
「え、なん……なん、で」
『今の状態で、あいつらがおまえの話を聞くと思うか? それも渦中の才野原の弁護、具体的な証拠もない話だ。話したところで、所詮は余計な混乱を引き起こすのが関の山だろう。そんなくだらないことで呪いを解くのが遅れるのはゴメンだ。あたしは面倒は嫌いなんだよ』
「で、でも」
『それにな』
 央輝の声が、どこか楽しそうな気配をまとう。
『ロクに意志疎通もできないやつらをまとめるには、共通の敵を作るのが一番だ。おまえたちはただ馴れあってるだけだ、信頼もクソもない。だったら才野原を敵に仕立てた方がやりやすいだろう』
「――……」
 信頼が……ない。
 元、いや、今でも半分は部外者だからこそ言える、容赦ない指摘。
 そんなことない、と反論したいのに、言葉につまる。
 ……僕たちは、お互いを信じあっているだろうか?
 呪いという縁と姉さんの導きで出会った六人。類は友を呼ぶ、同じような身の上同士が寄り集まって作られた同盟。
 元々は、利害の一致だった。そこからたまり場に集まるようになって、今まで得られなかった『仲間との時間』を堪能して、あれこれ起こるアクシデントをクリアしながら生きてきた。そんな風に積もった時間は、利用し利用される関係に柔らかな変化をもたらし、いつしか心を許し合い手を取り合う関係となった、はずだった。
 元々は、利害の一致。けれど今は絆――本当に?
 ……本当に、僕たちは利害以上の何かで結ばれているだろうか?
 振り返れば、笑顔が振り積もっている。それを根拠にすることはできるだろう。
 けれど……人は、追い詰められたとき、苦しんだ時にその本性を現す。
 利害ゆえに袂を別った一人を憎んで、嫌って、敵にして――その裏側で、『もう裏切られたくない』と疑心暗鬼になって、お互いがお互いを見張って、あげく完全に『監視』状態の人を作って……それが、信頼で結ばれた仲間のすることだろうか?
 央輝は、元々敵対に近い関係にあった子だ。だから『仲間』というフィルターを持たず、僕たちのありのままを見つめることができる。そんな彼女から見て、僕たちに信頼がないと思えるとするなら、それは――
『まあ、おまえらの仲がどうなろうとあたしの知ったこっちゃない。ただ、変にごたごたして目的を見失うな』
 ぷつん。
 電話が一方的に切られる。
 ……なぜだか、無性に泣きたかった。


「イヨ子ー、印刷できてるよー」
「ありがとう。束ねたらこっちに持ってきて」
「今日はまた随分プリントしてるね」
「興味深い物語解釈のサイトが見つかったの。ヒントになるかもしれない」
「おお、重要アイテム発見でありますか!」
「エクスカリパー的な」
「それ偽物」
「最近の偽物は手が込んでるよねー。私、前にそれでひっかかりそうになった」
「ひっかかったの!?」
「ベース演奏してたらさー、なんか変なおっさんが『このダイヤをあげるから一晩どうだい』とか言い寄ってきたんだ。宝石に興味ないから無視したけど、そしたら警官が来て捕まってた」
「……それ、宝石がどうとかって次元の話じゃないと思う」
「まあ、るいセンパイならいざとなればえいやっ! せぇのっ! どっせーい! だと思いますケド」
「悪い奴ならこっちでしばいたのになー」
「知らないって幸せだね……」
「ダメな感じにお花畑。光り物が食いものだったら間違いなく食われてます。ラーメン一杯でキズもの確定」
「キズものとかいわないの!」
「あら、処女は大事よ? 皆元は別にいいけど、こよりちゃんと智の初めては私がいただくわ」
「なんでこういうときだけ話題に入ってきますか!」
「地獄耳というか、欲望に正直というか……」
「こっちのバカにはつける薬もありませんね、多分死んでも治りませんし、なんていうか世界の癌です、しぶとさはコックローチレベル」
「コックローチはひどいよいくらなんでも!」
「こっくろーち? それおいしいの?」
「……るい、調べないでね、絶対調べないでね」
 雑談で空気を混ぜながら、解読作業は進む。ある程度の進展が出てきたからか、僕たちが手伝える個所も増えてきた。といっても伊代が出した資料をまとめたりライン引いたり、花鶏のつぶやきを書きとめたり程度なんだけど、それでも手伝っているという実感がある。出てくる情報は本題にはつながらないことも多いけれど、一見どうでもよさそうな部分もあとで重要になってきたりするから気が抜けない。翻訳、本文解読、暗号解読のトリオは相変わらず手ごわいままだ。
 今のところわかっているのは、呪いと能力が不可分で、呪いを解けば能力も消えるということ。呪いは女性にのみ発現するということ。呪いを解くためには八人全員が必ず揃わなければならないということ、解くためには儀式が要るらしいこと……くらいだろうか。儀式というからには場所も決まってるんだろうけど、そこまで解読は進んでいない。
 僕と姉さんのようなイレギュラーについては、記載がないのかそこまでいってないのか、不明のままだ。変に勘ぐられてもと思う反面、ここも解決しなければならない気もしている。呪いと能力を受け渡しできる場合、儀式の場にいるべきは誰かとか、受け渡しは双子でなくても可能なのかとか、知りたいことは色々あるものの、ロシア語の読めない僕にはそれを調べる術がないも同然なのが悔しい。
 ……みんなに、央輝との電話の内容は話していない。央輝の言ったのはもっともだし、何より証拠がない。僕だけが惠の意図をわかっているのが苦くて悔しいけど、今は時を待つべきだろう。
「……あ、お茶なくなった」
 るいがティーポットを傾け、残念そうに最後の一滴をカップに落とした。
「なくなった、って……ガブガブ飲み過ぎよ! リーズナブルな茶葉にしてるとはいえ、タダじゃないんだから自重しなさい!」
 噛みつく花鶏。解読作業は根気がいる分、ストレスがたまりやすいんだろう。前に比べたら落ち着いてきたけど、口調の刺々しさは健在だ。そんな彼女の気を紛らわせるのも僕たち待機組のお仕事だったりする。
「よーっし、では鳴滝めがお茶を入れてきましょうっ!」
 こよりが勢いよく立ちあがる。
「あら、今日はこよりちゃんがついてきてくれるのね、嬉しいわ……ふふふふふ」
 花鶏も目を輝かせ何やら怪しげな妄想に瞳をぬるっと輝かせながら立ちあがる。
「ふふふ……今日こそこよりちゃんのかわいいお尻を堪能させてもらうわよ〜」
「お、お手柔らかにお願いしますデス……」
 微妙に引きつつも花鶏についていくこより。
 二人は空っぽのティーポットとお皿を手に、廊下へと消えていく。
「ああ、今日の生贄の運命やいかに……」
「ホントに生贄って感じだよね」
「食べられますからね」
「……あの子の趣味、どうにかならないのかしら」
「あれは死んでも治りませんね。エロイラーからエロを除いたら何も残りませんし」
 各々、こよりんの無事を祈る。緊張とストレスにまみれた花鶏がいつ何をしでかすか、ちょっと考えるだけで青ざめるか顔に血が上るかだ。
 でも、誰もついていかないというわけにもいかない。なんてったって、これが今の花鶏のストレス解消法だ。
 最も負荷がかかっている花鶏に僕たちができること……伊代とこよりと僕がローテーションを組んで花鶏とお茶を淹れに行く、セクハラ込みの気分転換。身の危険を大分感じたけど、花鶏の状況を思えばギリギリ耐えられ……た、うん。前は勘弁して下さい本当に……。花鶏のセクハラはどんどんエスカレートしてくからたまらない。それだけ溜まってるんだと言い聞かせても、限界はある……。
 正直、次回が怖い。僕でさえそれなんだから、花鶏のお気に入りのこよりはなおさら大変な目に合ってるだろう。文字通りの貞操の危機が訪れるのも時間の問題、むしろ訪れてても不思議じゃない。下手したらこよりのケアも必要になるかなぁ。いくら花鶏が相手でもいいことと悪いことがあるだろうし。まあ、何かあったら、そのときはそ
「――――――!!」
 思考が断ち切られた。
 跳ね上げるように顔を上げる。
 応接間にいる全員が、同じ行動を取った。
 瞳を見開き、固まっている。
 意味するものは――ひとつ。全員が、それを感じ取っている。
「……うそ」
「わたしたちじゃ、ない……わよね」
 それは――――二度と体験したくない、背筋が絶対零度にたたき落とされる感覚。
 そう、呪いの――呪いを、踏んだ時の――
「台所! 行ってくる!」
 とにかく、状況を把握しないと!
 足についた重りを振り飛ばすように、勢い込んで応接間を飛び出す。るいがついてくる。
 駆け抜ける廊下、大した距離じゃないはずなのにやたらと遠く、一歩一歩ごとに全身がバラけていく錯覚があって、足がもつれそうになって、バランスを崩しかけて、立て直して、人の家だというのに構わず走って――キッチンの、ティーポットが砕け散った惨状を目の当たりにする。
 そこにあるのは……違うのに、見覚えのある景色。あの日、るいの口から未来が飛び出してしまった日の光景。
 へたり込み、魂が抜けたように虚ろに前を見ているこより。同じく座り込み、身体を震わせている花鶏。
 間違い、ない……? そんな……!
「花鶏! こより! 今のは!?」
「智……センパイ……」
 呼びかけに応えたのはこより。ぜんまい仕掛けの人形が動くように、のろのろと視線をこちらに向け……その目から、大粒の涙が零れだす。
「踏んじゃい、ました……」
「……!!」
「こよりん……!」
 迫る。
 僕たちの最大の敵が。生まれてから今日まで、息をひそめて待ち続けていた『奴』が。
 本能が、死神の来訪を告げる。
「踏んじゃったんです、鳴滝……呪いを踏んじゃったんです……!」