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after Birthday ※視点は惠

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僕の考えた惠ルート ※視点は智

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act12 「お土産を探しに」  


 過ぎゆく時間の早さに寂寥感を覚える。楽しければ楽しいほど短いとはよく言ったものだ。おそらくは絶対的なリズムであろう時の流れは、見つめていればゆったりなのに、目を離した隙にするするとこぼれ落ちていく。
 取り戻した、否、新しく結び直した縁の日々も、まばたき程度の間に通りすぎていく。
 旅立ちの日。来ると分かってはいても、できるなら遠ざけておきたかったその瞬間は、気がつけば僕たちの足元にやってきていた。
「駅の中の景色って、なんだか新鮮ですね」
「普段は立ち寄ることもないからの。しかし、最近の駅は風情が無くなっておるな……かつては歌われるほどに独特の雰囲気があったが」
「でも、便利にはなっているみたいですよ。母によれば、昔はこういうお店もなかったそうですし。最近はバリアフリーにも力を入れているそうです」
「駅の中で美味しいものが食べられるっていいよねぇ! るい姉さん、ここのホットサンド気に入った!」
「流石は腹ペコ虫。あらゆる価値が食い物の前には塵に同じ」
「腹が減っては戦はできぬっ!」
「戦に行くのは鳴滝たちじゃなくて、センパイ方ですけどねー」
「戦時みたいな言い方しないの!」
「おお……愛しき我が子よ、この千本の針を刺した千人針ならぬ千本針を手土産に」
「何その強烈なイヤガラセ!?」
「くっくっく……針で手を刺すごとにここでの思い出を蘇らせるが良い」
「下手なホラーより怖いよそれ!」
「ていうかあなたたち、見送りに来たのにその態度ってどうなの? こう、空気というか」
「伊代センパイだけはそれを言ってはならないと思うのデス」
「だって、またしばらく会えなくなるんでしょ? 別れの切なさみたいなものが」
「わかってない、わかってないわ伊代……」
「空気読め」
「え、なんで?」
「るい姉さんはしみったれたのはヤだなぁ。パーッといこうよ、パーっと!」
「そういう問題じゃ」
「しおらしいよりは楽しんだほうが、みんなの気分も良いんじゃないかな」
「……そう? あなたがそういうならいいけど」
「そもそも、みんな連れ立って来てくれるなんて思わなかったもん。僕たちはそれだけでも嬉しいよ」
「そりゃ来るでしょ、普通」
「和久津様をお見送りできるなんて、宮は幸せです」
 今日出発する旨を話したら、みんな来てくれた。同盟に、宮和、浜江に佐知子。結構な大人数だから、駅構内の小さな喫茶店は僕たちの貸切状態だ。
「お二人が次に行くのはどんなところでありますか?」
「ここから一時間ぐらいのようだね。一応、それなりに栄えている都市だという情報が入っている」
 組織からもたらされた、新しい住処。少しずつ遠くへ派遣するという宣言のとおり、隣市よりは遠いところだ。名前だけは聞いたことのある都市。都会なのは仕事の関係なのだろう。木を隠すには森、というわけだ。
 実は今回、何箇所か候補を上げてもらった中から最も田松に近いところを選んでいる。僕らの答えが意外だったのか、担当者はなんとなく不思議そうな反応だった。
 当然だろう。出来る限り、遠くへ遠くへ――かつて、僕たちが組織に依頼した条件と真逆の選択だったんだ。
 それは、田松から逃げるため。同盟のみんなや浜江、佐知子、そしてここで過ごした日々を振り払うため。
 けれど、もうその必要もなくなった。流石に田松内というわけにはいかないけれど、噂も聞かないような遠いところへ行く理由もない。
 ……取り戻したから。
 ここに置いてきたものから、目を背けなくても良くなったから。
「一時間かぁー……だいぶ遠いね」
 るいがしょんぼりする。
 たかが一時間、されど一時間。呪い持ちにとって、田松以外はまさに魔境のようなところだ。未知の場所は何が原因で呪いを踏むことになるかわからない。田松が安全ということではないが、勝手知ったる街と他所では比較にならない。ある意味、田松に縛られているという言い方もできるだろう。
 ゆえに、彼女たちは、いかなる理由があろうとも外までは追ってこない。それは僕たちにとってありがたいことでもある。
 縁は、知らないことで保たれた。隠蔽したということではなく、そうすることが最善だったからだ。
 僕たちと彼女たちの道は、交差はすれど並行はしない。ふれあいはしても、巻き込みはしない。
 それで良いのだと思う。
 ……智のような決断を、彼女たちにはさせたくない。
「ま、地球の裏側ってわけじゃないんだから、そんな悲観するほどでもないでしょ」
「お二人の愛の巣ですわ、ぜひとも追いかけて仲睦まじく絡んでいる姿をビデオに収めたいものです」
「さりげなくものすごい変態発言してる!?」
「これも愛ゆえです」
「いくらなんでもそれはまずいんじゃないかしら。個人のプライバシーの原則は法律で守られているし、そもそも倫理的な観点から考えて個人が他人に許す情報の許容範囲というものがあるんだからたとえ友達であっても無許可でその枠を踏み越えることは」
「宮和ちゃん、撮ったら私にも流してね」
「ええ、もちろんですわ。和久津様は私たちの愛のブラックホールですもの」
「そりはホメてるのでしょうか」
「抗いがたい吸引力で私達を惹きつける……これは宇宙の法則ですわ」
「法則に基づいて智が乱れるのよね……うふふ、楽しみだわ」
「和久津様のあられもない姿を夢見るだけで、宮の胸ははちきれんばかりの期待に満たされるのです」
「夢に見たんですか……」
「宮はいつでも和久津様を夢の世界にお招きしておりますわ」
「無事な気がしない!」
「宇宙の法則じゃ仕方ないねー、ホットサンドおかわり!」
「いつもながら、すっごい食べるデスねぇるいセンパイ……お金はどうするんですか?」
「今日はさっちーがおごってくれるって!」
「たかりやがったこのアマ」
「ものには限度ってものが……ああでも、あなたに言ってもムダなのかしら」
「気にすることはない。みんなのための出費は惜しまないでくれと二人に頼んである」
「おお、惠センパイふとっぱらデス!」
「まあ、僕たちに言えたことではないんだけどね」
「惠さんのお願いでしたら私は一向に構いませんよ」
「こんなところで渋っても仕方ないからの。好きなだけ食べるとええ」
「ご好意感謝いたします」
 白熱灯の暖かな光のもと、活気にあふれた会話が交わされる。
 改めて――改めて、この運命の数奇さを思う。
 真耶による導きが根底にあったといっても、それはあくまでぼんやりとした道筋に過ぎない。今日、こうしてみんなが見送りに集まってくれたのも、一人ひとりが自らの意志で選択してくれた結果だ。無数にある道の中、僕たちはたったひとつしか選べない。けれど、人の数だけ選択がある以上、答えも、もたらされる結果もひとつとは限らない。真耶の選んだ一がみんなの選んだ一と完全に合致することなどありえない。だから、今回はこうして、穏やかな現実がもたらされた。
 もちろん、いつもこんな風にはいかないだろう。僕を許さないと言った真耶のことだ、思うがままに未来を手繰り、何度でも危険を、試練を呼び寄せるだろう。僕にそれを止めることはできないし、また止めていい立場でもない。
 ……智を、真耶のところに連れて行ったときのことを思い出す。
『私のものじゃない智なんか、要らない』
 彼女はそう言って、智との再会を拒否した。智は話がしたいと訴えたけど、真耶のかたくなな気持ちを動かすことはできなかった。今朝、屋敷を出るときにも挨拶に行ったけど、やっぱり同じ反応だった。
 ただひとつ……『智を守りなさい』と、重ねて命じられた。
 後の試練のための下準備か、別の意図があるのか……それは真耶にしかわからないことだ。
 きっと、今も彼女は智と僕を引き裂く方法を探し続けている。未来は不確定で無限大だから、彼女はいつか新しい方法を見つけるだろう。生死すら織り込んだイタチごっこは、僕と智が一緒に生きている限り永遠に続く。茨道、獣道、荒野の道、廃墟の道。前途に広がるものは、決して美しい光景ばかりではないだろう。
 それでも、負ける気はしない。何度でも受けて立とう。
 怪物である才野原惠は、いつまでも人間に憧れ続けよう。
 生き長らえる罪は改めて問うまでもないし、僕という害悪を存在させ続けることへのためらいも消えてはいない。命の価値は行為で変わるものではなく、あくまで等しく絶対的なもの。悪人も善人も、生きている以上、殺される義務はない。理不尽という刃を携える僕は、永久不変に世界に許されざる者。
 けれど――許されざる者にすら生を認めるのが、この世界。そんな僕を求めるひとを、仲間たちを、智を与えてくれるのがこの世界。神は無慈悲で慈悲深く、平等で不平等。
 ……ここでみんなに囲まれている僕が、現実の存在であるように。
「ところで智、次はいつ帰ってくるの?」
 花鶏がさらりと切り出す。
「んにょ?」
「別に、これが今生の別れってわけじゃないでしょ? あてもなく待ちぼうけするのは趣味じゃないのよ」
 みんなの視線が集中する。当然だろう、可能性すら疑われる状況で僕たちを待ち続けた彼女たちなら、次の再会を求めるのは自然なこと。出て行く理由を聞かない代わりに、戻ってくるという約束を求めたって不思議はない。
「そうだね……どうする? 惠」
「そこで僕に振るのか、君は」
「『盆暮れ正月には帰ってこい』ってお姉ちゃんがよくお父さんに言われてますデスよ!」
「ボ●カレー? るい姉さん、あれの辛口が好きだな」
「レトルトなんぞで満足するでない。カレーはスパイスの調合で味の深みを調整することにこそ真髄が」
「では、次にお二人がいらっしゃったときにカレーパーティーをしてはいかがですか?」
「いいわね! 浜江さんのカレーなら期待できるわ」
「老いぼれに任せるでない。あんたらも年頃なんじゃから料理のひとつも覚えておかんと」
「同感です。既製品はどれも油たっぷりで添加物も多いし、カロリー高くて……ヘルシーなんて名ばかり」
「なんか切実な意見が」
「でもさー、カロリー低いのって物足りなくない? ついつい沢山食べちゃうよ」
「皆元はカロリー関係なく暴食でしょうが」
「食べなきゃおっきくなれないぞっと!」
「鳴滝もおっきくなりたいです!」
「ダメよこよりちゃん、あなたはちっぱいでおしりぷるぷるなところがチャームポイントなんだから」
「和久津様の控えめなお胸も素晴らしいですわ」
「なんか話がズレてきた」
「んっふふふ……いいわね、お腹いっぱいで身体もあったまったところでぱくっと……うっふふふふ」
「こうして肉食女子の淫靡なる計画は進行するのであった」
「肉食の意味が違う……いやわかりたくもないけど」
「バカね、食べるのは口だけとは限らないのよ。いいえ口が身体にひとつだけとは」
「ストーップ! それ以上は言っちゃらめええええ!」
「ああ……そうよ智、忘れちゃいけないわ、別れの熱いキスとペッティングを」
「ちょ、ちょっとまってやめてよして触らないでひぃやぁぁぁぁん!?」
「ちょっと! いくらなんでも人前ではしゃぎすぎよ!」
「いーじゃんいーじゃん! とーもちーん」
「あーっ、鳴滝も!」
「では宮は撮影を」
「いいいいいやあああぁぁぁぁ」
「……まったく、最近の若いもんは」
「でも、楽しそうですよね」
「楽しければいいってもんでもないが……まあ、仕方ないの」
 懐かしさと新しさが混ざりあう大騒ぎ。混じり気のない好意の応酬は見るものの心を温める。
「……変わらないね、みんな」
「三つ子の魂百までですから」
「なるほど」
「ま、全てがそうとは限りませんけどね」
「なぜそう思うんだい? 茜子」
「あなたが変わったからです。何がどう、とまでは言えないですが」
「君の能力は恐ろしいな」
「見えるだけでは何も変わりません。あなたが踏み出した結果でしょう」
「……そうなのかな」
「そうですよ。愛人があれだけ組んずほぐれつ陵辱されてるのに余裕ぶっこいてるとかその辺り」
「軽いスキンシップならいいじゃないか」
「……ツッコみませんよ、このノロケ男女」
 誤解のような、そうでもないような反応に笑みで返す。
 智はいつでも同盟の中心だ。最も愛され、最も求められる一人。
 ……けれど、彼がいなければ同盟は成立しない、ということはないのだろう。智というパーツが少し離れても、縁の輪は続いていく。一人ひとりの内側にある縁を、時に繋いで、時に一人で転がして、そうして僕たちは歩いて行く。
「盆暮れ正月、か……それが一番合理的かな。実家に帰るようなものかもしれない」
「惠さんは屋敷をご実家と思ってくれるんですか?」
「待ってくれている人がいるところだ。そういう表現が似合うんじゃないかな」 
「惠さま……」
「戻ってきたら、君たちは迎え入れてくれるかい?」
「ええ、もちろんです! 惠さんの実家はずっとここにあります」
 ありがとうの代わりに頷く。聞きたかった言葉だったのか、佐知子の目が潤む。残酷な形で身寄りを失った彼女にとって、僕はきっと特別な存在なのだろう。それでも離れるなとは言わず、置いて行かれてもじっと待ち続けてくれた、健気な強さと悲しさ。
 再び離れることにはなるけれど……それでも、今までとは違う。戻るという約束、実家という定義が、少しでも彼女の拠り所となればいい。
 ……帰るところが、できた。
 それは、旅立つ僕たちに運命がくれた、最高のプレゼントだ。
「惠、そろそろ時間」
「おや、本当だ」
 かなり早く来ていたのに、時計を見れば出発五分前。少し慌てて店を出る。もちろん、みんなもついてくる。
 階段を上がれば、コンクリートの灰色が広がるプラットフォーム。乗る予定の電車にちらほらと乗客が吸い込まれていく。
 特急列車と名のついた、少しだけ凝った作りの長細いフォルム。これに乗り込めば、新しい場所へと導かれる。
「これだけゾロゾロ連れ立って見送りってのも、いまどき珍しいわよね」
「だって、トモとメグムだし」
「帰ってくるときは連絡をください! またみんなで迎えに来ますデスよ!」
「本当、身体に気をつけてね。一時間程度とはいえ環境も違うだろうし、何かと大変だと思うから……夜寝るときには暖かくして、買い食いは最低限にして、栄養のあるものをできるだけ自炊でバランスよく食べて、運動も適度にして」
「なんというおかんアドバイス」
「お、おかんって!」
「そこのオババが台詞を取られた顔してます」
「……まあ、智さまと惠さまならば心配はいらん」
「今度帰って来る時には、ぜひ手料理をふるまってくださいね」
「浜江を満足させるのは難しいんじゃないかな」
「やれば上手くなるよ。しっかり僕が監督するし」
「あれ、メグムって料理できるの? 意外」
「あれはできるとは言わん」
「手厳しいな」
「帰ってきたら、まずはカレーパーティですよう! 鳴滝すっごい楽しみにしてます!」
「では茜子さんは隠し味のガラムマサラとハラペーニョとハバネロを」
「何その辛さ耐久レース」
「食べ物を粗末にするでない」
「そのときは、是非私もお呼びください」
「当然でしょ宮和ちゃん。あなたの手料理とおっぱいもたっぷり味わいたいわ」
「おっぱいは余計です」
「いいわよねー、才野原は智のおっぱいもみ放題でしょ? 羨ましい」
「羨ましがるポイント違う気が」
「というわけで智、予約しておくから」
「何を!?」
「ちっぱい」
「ひぃ」
「ほら、バカな事言ってないで! 乗り遅れたら大変でしょ」
 頭上にベルが鳴り響く。楽しい時間も一旦は終幕だ。他の乗客も既に乗り込んだんだろう、ホームの人気が少なくなっている。
 さっと乗り込む。アナウンスは、お急ぎくださいと告げている。
「じゃーねー!」
「貞操は守りなさいよー!」
「また来てくださいねー! 待ってますからー!」
「お土産忘れないように。チンケなもの持ってきたらもれなくお猫様の爪攻撃です」
「ああもう、どうしてこう締まらない……またね」
「宮の愛は永遠ですわ」
「惠さん、お体に気をつけて!」
「達者でお過ごしください」
「……またね、みんな、またね!!」
 智が手を振る。扉が閉まる。
 がたん、と足元が揺れて、二人を乗せた電車が走り出す。
 コマ送りの数十秒。遠ざかる、小さくなる、離れていく。
 田松の街が、僕らを見送る。
 窓の外、何の変哲もない住宅街が、ビルが流れていく。その景色の向こう側も、きっと別のビル街だ。
 どの街にも人がいて、営みがあって、命があって、時間がある。
 旅立ちと言っても、遠くはない。秘境に行くわけでも、海を超えるわけでもない。
 それでもやっぱり、これは旅立ち。
 ……帰るところのある、旅立ちだ。
 零れた溜め息が、少し湿っている。じんわりと目頭が熱い。
 胸に広がるのは、じんわりと温かい寂しさだ。
 席まで行く気にはなれず、しばしそのままデッキに立ち尽くす。智も同じ気持ちなのか、寄り添うように隣に立っている。
「……ねえ、惠」
 車窓を眺めていると、囁くように話しかけてくる。
「僕ね、思い出したことがあるんだ」
「……思い出した? 夢を見たではなく?」
「うん。まあ夢といえば夢なんだけど、夢じゃないというか……ちょっと説明難しいんだけど」
 もじもじしつつ、考えをめぐらしつつ、手を握ってくる。握り返すと、透明感のある微笑みをくれる。
「僕ね……ずっとずっと、ずーっと前、きっと二人が出会ったころに、君と約束をしたんだ」
「……約束? そんなことあったかな」
 突然言われた記憶にない話に、きょとんとする。智は少しだけ残念そうな表情を見せるものの、また笑顔に戻る。
「うん、あったんだ。惠が思い出せるかどうかは、わからないんだけど」
 握っている手の上に、さらに手を重ねる。見つめ合いながら、謳うように言葉を紡ぐ。
「……そこは、可能性の行き着く先だった。見た目は南総学園によく似ててね、窓の外にシャボン玉みたいなのがいっぱい浮かんでるんだ。ある教室に君がいて、僕は君を見つけ出した。二人で手を取りあって踊って、いろんなことを話した。可能性の場所だから、そこでだけは、君も本当のことを語ることができたんだ」
「……」
「そこで、僕は聞いた。君の『生きたい』という一番の願いを聞いた。そして、自分の本当の気持ちをどうしても受け入れられない、君の苦しみを見た。願えば願うほど、願ってはならないと自分自身を責める君を知った」
「……智……」
「だから僕、その時に約束したんだ。必ず君を助けるって。方法はわからなくても、それでも助けるって」
「……君らしいね」
「でしょ? 僕、諦め悪いから。無理無茶無謀と分からせようとする力に、意地だけで立ち向かうんだよ」
 語りは、耳から身体に、魂に染みこんでいく。
 そんなこともあったかもしれない……覚えていないのに、予感がふわりと湧いてくる。
「……それをね、急に思い出したの。多分、可能性が見えたんだと思う」
「見えた?」
「そう」
 智は微笑む。まるで、この世の夜明けに立ち会ったかのように。
「だって、惠は生きたいと思ってくれた。罪悪感は消えなくても、苦しみからは逃れられなくても、あの日出会った、自分自身を否定する君から、一歩踏み出してくれた。生きたいという自分自身の想いを受け入れてくれた」
 ……生きたいという願いを、否定する。
 かつての僕が矜持のように持ち続けていた枷。生き長らえるための行為に魂をすり減らし、罪悪感に耐え切れず、自分自身を否定することで立ち続けた。生きるために罪を犯しながら、生きたがる自分を否定する、その矛盾は確かに拠り所だった。
 ……ああ、確かに、今は違う。
 状況は好転も悪化もせず、過去と未来は連鎖し、この身は命を奪う怪物のまま。そこに抱く思いも、命への考えも一切変わっていない。
 それでも、今は違う。
 今なら、生きたいという浅ましさに向き合える。己を否定し自傷の真似事をして仮初の満足を得るのではなく、己のエゴを、自らの本質として捉えられる。
 だから――今の僕は、生きることの喜びも受け入れられる。生きていることから、逃げずにいられる。
「……あのね」
 今度は腕に抱きついてくる。温かくて、愛おしい気配。
「姉さんの声が、聞こえたんだ」
「姉さん……真耶の?」
「そう」
「……彼女は、何と?」
「『大丈夫よ』って。『私も、思い出したから』って」
「……」
 智の言うことの意味は、わかるようでわからない。なのに、不思議と納得してしまう。
「思い出したからって、急に姉さんの心が戻るわけじゃない。そんな都合のいい話にはならない。惠の病気だって急に治ったりしないんだ、だけど」
 腕に力が込められる。
「だけど……探しには、行ける。世界は広くて、可能性に満ちてる。田松の中では行き詰ってしまったかもしれないけれど、外にはまだ、見ていないものが、手にしていないものがあるはずなんだ。思い出した姉さんならば、僕たちの旅路を止めたりはしない。遮るものは、もう何もない」
 ――そこで、ようやく気づく。
 あの日からずっと智の瞳にあった、淀んだ狂気が消えている。僕をこの世に繋ぎ止めるために呼び込んだ、呪いのような想いが消えている。
 その代わり、僕が魅せられた、迷いながらも強い、まっすぐな意志が満ちている。
「探しに行こうよ、惠。道は険しいし、そんな簡単には見つからないと思う。けれど、試してみる価値は、進んでみる価値はあると思うんだ。呪われた世界をやっつける方法は、どこかに必ずある、創り出せる。僕はそう信じてる」
 信じている――その想いは、時に無鉄砲で、非現実的だ。できるわけがないと、運命が、死神が笑うだろう。
 けれど……それがどうしたというのか。
 見えたじゃないか。変われたじゃないか。彼の謳う可能性の証拠は、同盟であり、真耶であり、僕自身。
 僕は知っている。ほかでもない僕が、彼の言葉の意味を知っている。
 込み上げてくるのは、呼応するのは、智が導く可能性への想い。
 ……逃げるのではなく、やっつけるために。離れるのではなく、戻るために。
 僕たちは、もう孤独ではない。待っている人が、待っている場所がある。
「……盆暮れ正月、手ぶらでは怒られるんじゃないかな」
 しばらく考えてから、智に応える。
「彼女たちの目は肥えているからね。中途半端なお土産を持って帰るわけにはいかないだろう?」
「そうだよね。みんななんだかんだで正直だから、気に入らなかったら気に入らないってハッキリ言うもんね」
「彼女たちが一番喜ぶものはなんだろう」
「……それを、探しに行くんでしょ?」
「見つかるかな?」
「見つかるよ」
「ああ。君がそう言うのなら」
「一緒に探してくれるよね、惠。一緒に」
「――この呪われた世界をやっつけてやる、かな?」
「こら、人の台詞取らないの」
「たまにはいいじゃないか」
「むにゅー……いいけど、言ったからには守ってよ」
 先回りされ、智がぷうっと膨れる。
 ……一度、言ってみたかった言葉だ。こういう方法でも取らなければできないのが心苦しくもあるけれど……いずれ、言わなくてもいい日が来るだろう。
 やっつけましたと言える日が、きっと来る。
 いつなのかはわからない。どこまで行けば辿りつけるのかはわからない。可能性という甘い言葉は、不可能への愚かなあがきかもしれない。
 けれど、諦めるのだけはやめよう。
 だって僕は……生きたいと、思えるのだから。
 再び車窓に視線を戻す。見知らぬ土地、見知らぬ建物、見知らぬ人々。そこに眠る幾千の物語。
「この先に、何が待っているんだろうね」
「何でもいいよ。どんとこい」
「……ふふ」
 愛しい人を抱きしめて、その存在を確かめて、胸に誓う。
 どこまでも行こう。歩き続けよう。この命を、今を、未来を拓き続けよう。
 
 僕たちは旅に出る。
 ――みんなと、また出会うために。

<了>