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after Birthday ※視点は惠

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僕の考えた惠ルート ※視点は智

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chapter 7


「……決めた」
 るいが真剣そのものの表情で立ち上がった。
 お皿をつつく、みんなの手が止まる。
「飲食バキュームシステムが食事を中断するとは珍しい」
「そのシステム名は食事中にふさわしくないと思うわ」
「どうしたんですか、センパイ?」
 皆の不審げな視線を一身に受け止めながらも、るいは全く動じない。意気揚揚、背筋を伸ばしてこぶしを高々と突き上げる。
「私、惠のお嫁さんになりたい!」
「……」
「……」
「……はい?」
 いったい何を言い出すのか。
 あの後、呪い議論をうっちゃって話に花を咲かせた結果、気づいたら夕食時になっていた。流石に帰ろうとしたんだけど、「せっかくだから」という惠と佐知子さんの説得、そしておやつで見せつけられた惠亭クオリティには逆らえず、むしろ嬉々とした状態でごちそうになっている。もちろん、期待を上回る味と盛り付けで、高度幸福成長期バブル真っ最中。我々の判断の正しさが一口ごとに証明されている。
 そんな夕食中のるいの宣言。あまりに唐突で脈絡がない。しかしそこには一種の必死ささえにじみ出ていた。
 どう反応したものか、まっ白な僕ら。
「……OK、茜子さん理解しました。セクハラ家は食事の面でも大惨敗です」
 最初に意図に気づいたのは茜子だった。
「惨敗って言うな! あのおいしさが分からないあんたたちの味覚がおかしいのよ!」
「あれは花鶏の方がおかしいよ! 三食セロリライスとか拷問だよ!」
「乳に同意。単なるめんどくさがりと経費節減と味オンチの悪循環だと思います」
「……要するに、食事的な意味で惠の家の子になりたい、と」
「そう」
「なんと即物的な」
 とことんまでるいらしい。褒めてない方向で。
「素直っていうか、直球っていうか、後先考えてないというか」
「うー、だって……」
 そんなに花鶏の家の食事はヤバいんだろうか。確かに、「せろりらいす」という単語の時点で危険な香りプンプンで、この家の食事は一般家庭のそれと比べるのも失礼なぐらいに立派なんだけど。
「だめ、かな」
「ダメでしょう常識的に考えて」
「いくらなんでも、ねえ」
「宿泊費プラス食費を支払うならまだしも」
「そもそも、お金払えるなら、家なき子なんかやってないもんね」
「……うぅ……」
 地の果てまで沈んでいく。ダメ元なのは本人も承知してただろうけど、食事の幸せに上がったテンションが急降下する衝撃は耐え難いものがあるらしい。
「ど、どうかな、メグム。力仕事とか、できる範囲でお礼はするから」
 それでも一縷の望みをかけ、惠に話を振る。
「この筋肉ゴリラめ」
「普通、そこは炊事洗濯とか、お掃除とかよね」
「うちのときは手伝うとさえ言わなかったくせに」
「あれは、花鶏が家の中のものをに触るなって言ったから」
「家に来て早々に玄関先の置物破壊されたら、誰だって頼む気なくすわよ」
「ごもっともです」
 ……一体何をしたんだ、るい。
 しかし、味覚問題がまた出てくるとは。るい的に死活問題とはいえ、るいのお腹をホイホイと誰かに任せるわけにもいかないのが辛いところだ。
「さて、男装女の結論は?」
「……」
 惠はすぐには答えない。ホウレンソウのソテーをゆっくりと咀嚼しつつ、軽く目を閉じて考えこむ。
 間。ちょっと長い。
「ダメならダメって早く言った方がいいよ」
「ちょっとートモちんー」
「だって、ほら。迷惑になってもいけないし」
「ていうか、ここは沈黙を否定と取るべきでは」
「こういう聞き方されると、はっきり断るのもバツが悪いわよね」
「私なら叩き出すところだわ」
 非難囂々。被告人るい、さらに縮こまる。
 実際、るいの申し出はハッキリ言って無理難題だ。いくらこの家の人が優しいといっても、甘えすぎは禁物だと思う。楽しくてついハメを外しがちだけど、ここはあくまで余所様の家なんだし。
 付け合わせをひとつ、またひとつ。ニンジンを全部食べ終わったところで、惠がフォークを置いた。
 ……余談ながら、目を閉じたままで野菜にフォークを刺せるのはすごいと思う。
 うっすらと目を開く。
「さすがに、この家の子というわけにはいかないけれど」
 判決。
「少しの間泊まるぐらいなら、いいんじゃないかな」
 ……るい、まさかの勝訴。
「本当!? 本当の本当にいいの!?」
 飛びかからんばかり身を乗り出するい。体重掛け過ぎてテーブルがひっくり返りそうになり、慌ててみんなで押さえる。
 るいの差し出した手に応えるように右手をあげ、にこやかにほほえむ惠。そのまま、手をるいの顔の正面にもっていく。
「ただし、条件がある」
「ほへ?」
 鳩が豆鉄砲食らった顔のるい。いや、泊めてくれる以上、何らかの条件があるのは当然だろう。その辺までは考えないあたりが、るいのるいたるゆえんか。
「なに、難しいことじゃないよ」
 惠はアルカイックスマイルを浮かべつつ、ゆっくりと僕ら全員を見渡した。ちょっとだけ意地悪そうに口の端を上げる。
「ここにいる、全員で泊まること。それが条件だ」
 出たのは、画期的すぎる判決内容。
「ほへー!?」
「な、なんですって……!?」
「求刑の三割減どころか三割増しとは」
「ていうか、僕らまでいいの!?」
「るい一人だけでは不公平だからね。メリットの分配は均等に。いいよね? 佐知子」
「惠さんが、そうおっしゃるなら」
 いつの間にか後ろにいた佐知子さんも快くうなずいてくれる。
 確かに公平といえば公平だけど、これは予想外だった。おやつに夕食にお泊りって、一体どこまで寛容なんだ惠。
 でも、嬉しい。まさに夢見心地。旅行だってなかなか行けない僕らがこんなお屋敷で過ごせるなんて、人生の間に一度あるかないかだ。
 こういうときの僕らの団結力はすごい。急展開だというのに、全員、すっかり居候確定のパターンに入った。
「ただ、突然のことですから、今日は皆さんで惠さんのお部屋に泊まっていただくことになりますが」
「ノープロブレム! 大歓迎! そのぐらいばっちこい!」
「鳴滝めもいいんですか!? 嬉しいです! 光栄です! ハッスルですー!」
「ちょっと待ってて、親に電話してくる」
「絶対地下室見つけてやるんだから」
「茜子さんの寝床はタイムマシン入りの机の引き出しを希望します」
 口々に喜びの表現を咲かせて、色めき立つ僕ら。
「智は、どうだい?」
「うん、ぜひ!」
 もちろん、僕も断る理由なんてない。修学旅行だって一度も行けなかった。家族で旅行した記憶もゼロ。そもそも今まで、僕を含んだみんなという観念自体がありえなかったんだ。そんな「みんな」が今、当たり前のように存在し、寄り添いあうことが許されている――。

 ……ええと。
 己の見立ての甘さに気づいたのは、いざ就寝となったその後でありました。
 繰り返しますが、僕は男の子です。
 そして、僕の仲間は、全員が女の子です。
 この状況を、人はハーレムとも言います。
 しかし、僕にとってこれは、地獄の釜上三センチ、生命の危機です。
「しまった……」
 既に明かりは落とされ、部屋は暗がりの中。問答無用でベッドを占拠した花鶏、呪いの都合でクローゼットに避難した茜子以外の五人が等しく床に雑魚寝している。
 惠の部屋は狭くもないけど、とりたてて広いわけでもない。家具がベッドとクローゼットだけというシンプルさとはいえ、五人が十分な距離を空けて寝るほどのスペースはなかった。自然、ひとりひとりの距離が近くなる。
 具体的には、寝息が聞こえて、匂いが届くぐらい。もっと言うと、自分が異性であると思い知らされるぐらい。
「……」
 毛布をひっかぶるも、周りに女の子がいることを強烈に意識してしまう。羊を数えたものの、五百三十五匹めぐらいで効果のなさに耐えられなくなった。
 僕の隣に寝ているのは、惠とこより。寝やすい方を向くと、惠と顔を合わせることになる。
 眠れないとはいえ、目を開けるのはためらわれて、絞るように上下の瞼をくっつける。惠の寝顔を見たいという欲求に理性のフル稼働で堪える。こよりの方に寝返りを打てば気分的には少し楽になるものの、どうも寝心地が悪い。結局五分と経たずに惠の方へ向き直ってしまう。呼吸困難になるから、毛布への視覚避難も長続きはしない。
 まんじりともせず、遅々として進まない時間を過ごす。羊作戦は失敗したからと考え事を始めたら、ますます寝付けなくなった。なんたる悪循環。
 浮かぶのは、目の前にいる女の子のことばかり。
 才野原惠。行動が読めなくて、言動は手が込んでいて、掴もうとするとすり抜けていく女の子。一足飛びに距離を詰めてきたり、また離れてみたり。不思議街道を走っているのに、軸は全くぶれない。のらりくらりと僕らをはぐらかす姿は、反語的に意志の強さを浮き彫りにする。僕とは違うベクトルの、かなり高度なうそつきスキルの持ち主。
 話のタネの冗談と、うそつき村住人の嘘は、似ているようで根本的に違う。前者は遊びかつコミュニケーションの潤滑油、後者は生き残るための手段。その境界線をいかにファジーにするかが、うそつき村出身者の腕の見せ所だ。
 みんなは惠をどう見ているんだろう。第一印象はお調子者でヘンテコな不思議キャラ足すことのヒーロー属性だし、その印象で接していれば間違いはない。たまり場での会話を思うと、大方、そんな感じの認識かな。
 惠が「そういう自分」を作り、着ぐるみみたいに被っているのだとしても、仲良く過ごせるならそれでいいかもしれない。
 ……いいんだろうか?
 日常の全てを冗談に包んでしまう惠。
 日常の全てが嘘の上に立っている僕。
『お芝居とは、造ることだからね』
 古本屋で惠が言ったことだ。おそらく、彼女なりの本音の表現なんだろう。
 多分、彼女は強いられている。『自分を造る』ことを余儀なくされている。
 僕が『女の子という嘘』を強制されているように。
 その理由は言うまでもない。
 惠の呪い。まだ、はっきりしない。あらゆるものに距離をとり、あらゆる対象に演技を続ける彼女は、いったい何を避けようとしているんだろう――
「……眠れないのかい」
「ふはっ!?」
 いきなり声をかけられた。思わず目を見開いてしまう。
「……ああ、やっぱり起きてた」
「な、なんで」
「寝息は規則的なものだからね」
 至近距離に惠の顔がある。力の抜けた、穏やかな笑みがこぼれている。大して強くもない月明かりが透かす肌は白く、ため息が出そうなほど滑らかだ。見ただけで、その手触りの良さが指先に伝わる。甘やかな感覚が、目の前の女の子とダイレクトに繋がっていく。まるでこの手の中に彼女がいるかのように。
 ―― 触れてみたい。
 惠に触れてみたい。もっと近づきたい。彼女のぬくもりを感じてみたい。
 みんなに対するものとは明確に異なる、惠個人に対する欲求。
「……智?」
 耳をくすぐる声すら、僕をくるりと絡めとる。
 もどかしさが心音に変わる。この光景から目を離せない、離したくない。とめどなくこみあげてくる、欲としか言いようがない想い。鼓動一回ごとに自覚が刻まれていく、惠に引き寄せられる。
 ……そういう、ことなのか。
 僕は、いつの間にか――
「っふぇ!?」
「静かに」
 いきなり手を握られ、思わずのけぞった。僕の気持ちが伝わってるわけはないんだけどその行動は心臓に悪い、悪すぎる!
「……眠れないのなら、抜けだそうか」
「……え」
 何も知らないはずなのに。
 僕がたった今自覚したそれを、彼女が気付くはずもないのに。
 運の問題か。神様のいたずらか。あるいは何かの罠か。
 ごくごく自然に、惠は「ふたりきり」の場を作ってしまった。

 眠れない夜の定番、ホットミルクの湯気がカップのふちを回る。電気は明るすぎて気づかれるからと、テーブルにあった小さなランプだけを点けた。二人で囲むにはテーブルは大きすぎる。心もとない暖色が揺れて、僕らをほのかに照らす。
 少し背を丸め、マグカップを両手で抱える姿は、いつもの惠とは随分異なった印象だ。ゆったりした寝巻きからのぞく手首が妙に細く、儚げに見える。こう言っちゃなんだけど、女の子らしさが全面開放された感じだ。みんながいないからか、夜中まで気張りたくないのか、とにかく今の惠は素に近いんじゃないだろうか。
「……」
 ……二人きりになったものの、何を話せばいいのか相当かなりバリバリ滅茶苦茶困る。
 今の僕は完全に想定外の心理状況だ。他者への興味のどんづまり、ある種の究極の好奇心が全身を駆け巡っている。たった一人に対する、異常なほどの関心。世の中の歌の七割近くの題材にされ、知識や娯楽としては知っていた感情がしっかり僕をホールドしてしまった。
 ホットミルクの鎮静作用も、この状態の僕にはあまり効果がない気がする。
「これで、三回目になるのかな」
 惠が口を開く。
「何が?」
「僕と君が、二人きりで話す機会」
「……そ、そうだね」
 気づかないって恐ろしい。天然ってすさまじい。ただの偶然であっても、特別扱いされるとますます意識してしまう。
「皆で盛り上がるのも楽しいけれど、こういうのも悪くないかもしれない」
 僕の動揺をそれと知らず、天井に視線を向ける惠。首筋のラインがきれいだなぁなんて、妙にフェチっぽいことを思う。時計の針の音は、今は随分ゆっくりだ。
 改めて、惠は綺麗な子だと思う。容姿端麗で背が高いだけでなく、全体から醸し出す雰囲気が上品で均整が取れている。肌の白さと詰襟衣装の合わせでシャープな印象だけど、冷たさは感じない。イメージとしては素焼きの陶器。ちょっとやそっとじゃ傷がつかないものの、ほろほろと崩れてしまいそうな儚さがある。普段はともかく、力の抜けた瞬間に支えてあげたくなる感じ。零れた先から覗くものは、危うささえも含む深さ。
 そういえば、裸を見てないのは惠だけだな……って、なんでそっちの考えに行くんだ!
 ダメです! 性別的な差異に意識を奪われてはなりません! 異性として意識しても、本能に結び付けちゃいけません!
 ポンコツ化しつつある思考回路を叩く。
 なんだかんだ言いつつ、今は惠と二人で過ごせる貴重な時間だ。激情襲来にビビってる場合じゃない。今しか言えないようなこと、みんなの前では明かせないこととか――
「……あ、あのさ、惠。すっごく今更なんだけど、聞いてもいい?」
 ダメだ、気の利いた言い回しが出てこない。前向卑屈な詐欺師も形なし。なら、まっすぐに行くしかないか。
「なんだい?」
「一番最初に会った時、君、いきなり告白まがいのことしてきたよね。あれはなんで?」
 自分で言っておきながら、告白まがい、という単語に反応してしまう。いや大丈夫、今は僕は質問側かつ、以前惠側からアプローチされたことだ。実際あれの衝撃がハンパなくて、彼女を誤解してしまったんだし。
 テーブルに置いていたマグカップを両手で持つ惠。そのしぐさにはあどけなさとほのかな色気が漂う。オレンジ色の光のせいか、唇がつややかにうっすら膨らんで見える。
「ああ言えば、君は僕を忘れられなくなるだろう?」
 はにかんだ笑顔に、心臓が大きな音を立てる。心なしか頬を染めているのは、僕の錯覚だろうか。
「確かに、あのインパクトはとんでもなかった」
「一番恐ろしいのは、忘れられてしまうことだからね。どんな形であれ、記憶に残ることが最優先だ」
「僕に、覚えていてほしかった?」
「そういうことになるのかな」
「……初対面の時点で?」
「運命とは、そういうものだよ」
 歯の浮くようなセリフを太鼓を叩くように軽快に投げかけてくる。いつもの言葉遊びなんだろうけど、そのひとつひとつが今の僕にはあらぬ期待を呼び起こしてしまう。
 確かに「相手に自分を印象付ける」という意味で、あの告白はかなりの効果を発揮するだろう。代償に変態扱いされるリスクもあるわけだけど、そのへんの誤解は後々解けばいい、と言えなくもない。まさに今の惠の立ち位置がそうであるように。
「まあ、真正の本家本元がいたのは予想外だったけど」
「花鶏のことですね、わかります」
「あそこまでいくと、流石に追いつけないな」
「追いつかなくていいです」
 そんなことされたら死んじゃいます、わりとリアルに。
「じゃあ、惠はそっちの趣味はないってこと?」
「あったらあったで面白そうだけどね」
「面白くない! セクハラーは一人で十分! ていうか惠のその姿でやったら捕まる!」
「あはは」
 実際、花鶏は深窓の令嬢みたいな外見でアレだからまだなんとかなっている節がある。惠が同じことをしたら一気に犯罪臭がストップ高だろう。人間、見た目も大事です。
 って、そうじゃなくて。一応、惠は普通の恋愛感覚を持っているらしい。同性でなければイヤですとか言われたら爆死するところだったから、ちょっと安心した。
 とはいえ、バレたら呪いを踏む以上、僕らが男女として接することはないだろうけど。
 ……男女。見た目で言えば、僕が女の子で惠が男の子。その実、逆。相当に倒錯的だ。見た目と中身が逆とは、さすがはうそつきメンバーズ。
 とりあえず、惠の嗜好は確認できた。次は……
「あと、今だから、君に言っておきたいことがあるんだ」
 記憶を呼び起こす。今でもはっきり思い出せる、大雨の日の出会い。
「あのとき……あの雨の日、僕を探してくれてありがとう」
「……?」
 怪訝な顔をする惠。
「君が来る前の六人は、本当に偶然集まったようなものだった。それはそれで運命めいてるんだけどね」
 つらつらと、思いつく限りを並べていく。
 惠の痣を知った日。他にも痣持ちがいることを想像もしなかった僕らの所にやってきた来訪者。
「君は僕を見つけてくれた。痣を頼りに、連絡先すら知らない僕を探してくれた。他にも仲間がいること以上に、君のその行動が嬉しかったんだ」
 呪いゆえに、僕らは諦めることばかりを覚えていた。同盟が生まれ、パルクールレースを経て、諦めないという選択肢を、向き合う相手の存在を知った。
 そんな中で現われた、新しい仲間。偶然から始まった同盟へ、自らの意思でたどり着いた一人。
 ここまで強い想いになるとは予想しなかったものの、あの時からすでに、僕は惠に特別な感情を抱いていたのだと思う。
「しかも、仲間になってみたらうそつき村のお隣さんでしょ? こんな風に言ったらみんなに怒られるかもしれないけど、自分以外にもうそつき村の人がいるってだけで、僕はけっこう救われてるんだ」
「智……」
「だから、惠。出会ってくれてありがとう。そして、これからもよろしく」
 そこまで一気に言って、深呼吸。冷めかけのホットミルクを喉に流し込む。ほ、と息を吐く。
 恵が、マグカップの向こうから顔を覗かせる。
「……君の前世はステンドグラスかな。太陽を色付け、尖った日差しから棘を抜き、影すら芸術に変える。君の手にかかれば、あらゆる景色が現実より輝いて見えるかもしれない」
「なんかお得意の美麗表現来た」
 しかも盛りっぷりがすごい。内容から声のトーンから、完全に芝居モードだ。ひょっとしてこんな感じの台詞が惠のデータベースに入ってるんだろうか。単に、こういう返しを楽しんでそうな気もするけど。どうせやるなら楽しんだもん勝ち。僕が女の子な僕を地味に楽しんでるのと同じ感覚かもしれない。
「褒めているんだよ。君の想いは美しいってね」
「今度は直球だ」
「四六時中言葉遊びばかりを繰り返していたら、伝わるものも伝わらないだろう」
「よくある話です」
「いずれにせよ、言葉は使いこなしてこそ意味がある。僕たちは特に、ね」
「言われずとも、それがお仕事です。平穏な人生的に」
 彼女の言葉はいつも、障害物競争みたいだ。完全な冗談と、冗談に混ぜた本音と、隠しきれない、隠さない気持ちとが共存して、台詞みたいな会話を形どる。
 でも、僕は思う。
 冗長で、婉曲的で、飾り立てたその先に透ける彼女の心は、きっと温かい。
 ……その奥まで触れたいという願いは、今すぐ叶うものではないけれど。
「君は、みんなと一緒にいたいから、ここに呼んでくれたんでしょ」
「……」
「それがわかるだけで、僕らはみんな幸せだよ」
「……ああ、そうだったらいいね」
 わずかな間を開けて、惠がほほ笑む。ちょっと返答に詰まったのは恥ずかしかったからだろうか。
 ホットミルクを飲みほして、二人で視線を絡める。惠に意味はないんだろうけど、僕からすれば相当に僥倖だ。
 普段大量に発言する反動か、意外と会話が進まない。でも、心地いい沈黙だ。お互い、言葉遊びをする必要をあまり感じていないんだろう。うそつきな僕たちは、言わないことが安らぎだと知っている。
 時計が、軽く時報を鳴らす。時刻を確認すると、既に朝の三時。相当長居しているみたいだ。そろそろ戻らないと明日に差し支えるかも。
 惠も同じことを考えたか、二つのマグカップを手に取ってキッチンへ向かう。
 その動きの中に、ふと質問を挟み込む。
「智。君はこれからどうするんだい?」
「どうするも何も。みんなと一緒に平穏無事な日々を過ごせれば、それで」
「……なるほど」
「惠は?」
「風の吹くまま、気の向くまま、かな」
「君はそういうタイプじゃないでしょ」
「おや」
 すかさず突っ込みを入れる。意外そうに目を丸くする惠。
「鋭いな」
「読解力強化月間中です」
「それは恐ろしい。気をつけよう」
 ころころと言葉を転がし合う。ここに来る前の必要以上の動悸もすっかり治まった。代わりに心を満たすのは、綿のような幸福感。
 結局二人の距離は縮んでないけど、こんなふうにこそばゆくて楽しい時間が過ごせるのなら、急がなくてもいいか。そもそも、ここから先を望むかどうかさえ決めてないし。
 ランプを消して、まっくらけの中を二人で戻る。
 迷ったら危ないからとごく自然に握られた惠の手は、たとえようのない滑らかさだった。

 ……

 ……睡眠時間が短くて、深い眠りに入れなかったんだろうか。
 妙に、リアルな夢だ。
 夜ではない暗闇から響く、女の人の声。
 漆黒から生えるように形作られたのは―― 着物を身にまとった、僕。
「すべては予定調和。定められた運命。トリックが明かされれば、輝きは砕け散る」
 聞いたことのない声だと思う。
 けれど、他人とは思えない、繋がりを感じる声。
「体のいい言い訳。欺瞞は変わらない。所詮、すべては作りもの」
 艶めいていてか細いのに、ずっしりと重みを乗せた声が、脳に直接響いてくる。
「緑の奥深く。屋敷の秘密が暴かれる。才野原惠は嘘の発覚を機に、彼の者に牙を剥く」
 淡々と、淡々と。糸を紡ぐように言葉が流れていく。
「……あなたまで、あと、一歩」