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after Birthday ※視点は惠

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僕の考えた惠ルート ※視点は智

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chapter 15 

 いつごろからか―― それは、惠自身にもわからないらしい。
 気づいた時には既に手遅れで、想いはとっくにコントロールの枠からはみ出していた。
 姉さんと、僕。一人分だけでは断片的すぎる情報も、二人分集まれば像を結ぶ。
 幸か不幸か、二つの情報源を手に入れてしまった惠は、誰に告げることもできず、抑えることもできず、答えへの道をひた走った。
「自己満足のために君を殺していいのか―― 馬鹿げた問いだ。そして、答えと間逆に動く思考はもっと馬鹿げていた。謎の魅力にとりつかれ、何も知らない君を処刑台へ導こうとする、そんなことが許されるはずがない。けれど、どれだけ理屈をこねても、現実を突きつけても、愚かな脳は止まらなかった。後に残るのは後悔だけだとわかりきっていたのに、仮説は滝のように溢れ、消えなかった」
 淡々と世を渡ってきた少女が出会った、ままならない自分自身。距離を保ち続けていれば絶対に知ることがなかっただろう葛藤。
 感情は操作を奪う。想いが強まれば強まるほど、心は言うことをきかなくなり、自分に自分が振り回される。自己のコントロールを失うのは、ひどく滑稽で情けない。けれど、いつだって指示系統のヒエラルキーの頂点は感情だ。仙人か解脱者でもない限り、その鎖から解き放たれることはない。個人差があるとすれば、後始末的な対処法ぐらいなもの。
 惠には、それさえ不可能だった。生きるために正直さを捨てた彼女は、抗いきれないほど強烈な素直さも知らなければ、それをなだめる術も持たなかった。
 呪いは理不尽かつ厳格なシステムだ。動機が何であろうと、踏めば発動する。
 たとえ、それが相手への思慕だったとしても。
「結局、知りたいと思った時点で詰んでいたんだ。『知りたくない』という願いそれ自体が『知りたい』という結論から生まれていたんだから」
 僕の呪いを踏みたくない、けれど、答えを知りたい。目を凝らせばいくらでも集まる情報、深まってしまう仲、その先に待つ―― 僕の、死。
 ジレンマの果て、追い詰められた惠は一つの決断をする。
「暴走する列車は、激突し、大破しなければ止まらない。逆を言えば、完膚なきまでに壊れれば止まる」
 選んだのは、自分を引き裂く道。僕に憎まれ、恨まれ、蔑まれることで、とことんまで自分を痛めつけ、その恐怖をもって執心を封じ込める道。
 初めて抱いた他人への興味を、堪えがたい絶望へ変化させる……それが、惠の豹変の目的だった。
「……ごめんね」
「何を謝る? 君は殺されかけたのに」
「……そんな風に思わせてしまって、ごめんね」
「……」
 肩を抱き寄せる。僕より背が高いはずなのに、今の彼女はとても小さい。
 部屋に来た時と同じように隣り合わせに座る僕たち。違うのは、二人の間に全く距離がないということだ。意図せずとも肩が、腕が触れ合う。どちらからともなく重ねた手は、お互いの体温をゆるゆると分け合っている。鼓動はほんの少し早く、大きく奏でられる。
 話の流れとは別のところで、こんこんと湧き出る穏やかな幸福感。懺悔にも似た惠の独白をほんのりと包む。
 惠もこれを感じていてくれるのだろうか。伝え合う鼓動は、惠の傷をかばうだろうか。
 ふらふら零れる言葉を聞きながら、寄り添う重みを確かめる。
「そのあと、真耶が呪いを避ける方法の存在を示唆して―― 君の命は保証された」
 冷静に考えてみれば、僕と姉さんが会うこともまた、呪いを踏む行為に当たる。そう気付いた惠は姉さんに問いただし、呪いを避ける方法の存在を知ったという。避けるといっても『とりあえず回避できる』程度のもので、根本的な解決にはならないらしい。でも、とにかく惠が僕の呪いを踏むことはなくなった。
「……だったらあんな芝居やらなくてもよかったのに」
「当面の危機が回避されても、罪は消えない。きちんと決着をつけるべきだ」
「君は何にも悪くない。悪いのは呪い」
「……そんな、ことは」
「呪いを踏みかけたのは事実かもしれない。でも、だからって自分が悪いってことにしちゃダメだと思う」
 好きになったら、誰だって相手をもっと知りたいと思う。惠が僕のことをあれこれ考えたのはごくごく自然な流れだ。
 ただ、発覚イコール発動という僕の呪いは、立ち向かうにはあまりにも過酷だった。
 進展はおろか、始めることさえ許されない。ただ想うだけで、ヘドロ色した底なし沼に飲み込まれる。相手にするにはあまりに分が悪い、漠然としているくせに確実で、個人では抗いようのない仕組み。
 だからこそ、僕らは呪いを刺激しないよう、そろそろこそこそ遠回りして生きている。
 じゃあ、逃げ場を失ったら?
 打開策も、武器も、道しるべも見つからず、かといって断ち切ることもできず、先の見えない葛藤に襲われ続けたら?
 ……その答えが、さっきの惠だ。
 呪いの回避のために抑えようとした想いは、歪み、澱み、苛んだ。
 ボロボロに傷つくのが正しい―― そんな、馬鹿げた結論を選ばせた。
「惠はさ……こうしている今も、罪悪感を感じてたりするの?」
「……」
 肯定の沈黙。
「……ばか」
 引きずるな、という方が難しいのかもしれない。しょっぱなから呪いと取っ組み合いしたんだ、想いが叶ったからといってすぐに頭を切り替えることはできないだろう。
「でも、こうしているのは嫌じゃないんだよね?」
「君にはどう見える?」
「幸せそう」
「……即答なんだね」
「うん、即答」
 表情こそ憂いと煩悶が混ざっているものの、惠は僕にくっついたままだ。こんな状態じゃ感情を抑えることなんかできっこないと知りながら、身を預けてくる。髪の毛を触ったり手を重ねたりしても、なすがまま、されるがまま。
 それは、とても消極的な合図だ。散々悩んで苦しんで、ささくれ立った心が踏み出す、小さな一歩。
 ちょっと無理矢理な深呼吸が続いて、まぶたを閉じて、次の一歩。
「……本当に、僕でいいのかい」
「惠がいい。『で』じゃなくって『が』。君と一緒にいる、一緒に歩く。呪いにだって立ち向かう。絶対ブレない、マグニチュード百の地震が来たって揺るがない」
「また極端な言い方をするね」
「夢は大きく果てしなく。幼少のみぎりのスローガン」
 僕の呪いをクリアできても、戦いは終わらない。
 次に待つのは惠の呪いだ。
『自分に関する真実を語ってはならない』―― 人とまっすぐ向き合うことを禁じる呪い。
 深い縁を結ぶとは、その呪いに真正面から挑むことだ。想い合えば想い合うほど、伝えたいことが増える。増えれば増えるほど、呪いを踏む危険が高まる。目の前に広がるのは針のむしろ。
 一人なら、しっぽを巻いて逃げだすだろう。
 だけど、二人なら―― 戦える。支え合える。
 ぎゅっと、お互いの手を握る。お互いを自分に組み込むように、強く固く手を繋ぐ。
「智」
 惠が身を起こし、僕の目を見据える。
 不安を溶かしながらも、その奥に真摯な意志を宿す瞳。力強さの戻りつつある視線が、僕の覚悟と重なり合う。
「おそらく、運命は君の想像を超えている。この選択を貧乏くじだと、失敗だったと思う日がきっと来る。それでも」
「望むところだよ。障害があればある程燃えるって言うでしょ」
「少年漫画の主人公みたいだ」
「恋する乙女は強いんです。乙女じゃないけど」
「……そんな風に言えるなら、大丈夫かな」
「まかせといて」
「……ああ」
 誓いを込めて、二人で笑う。お互いの笑顔を引き金に、避け続けてきた道へと踏み出す。
 僕らが作る舞台がどんなものになるのか、今は全く想像もつかない。呪いが逆襲してくるかもしれないし、困難な事態は山ほど出てくるだろう。
 それでも、最後は喜劇にしてみせる。
 僕を好きになってよかったと、惠が芯の芯から思える結末を導いてみせる。
 蹂躙された荒野にも、爆風に撫ぜられた廃墟にも、地の果てにも、生きる術はある。
 ……さあ、僕らの第二幕を始めよう。

 そして よが あけた!

「智、起きて」
「……ふみゅる……ん……むぅ」
「もう朝だよ」
「んー……ふひゅう……るる」
「……あんまりぐずると、花鶏に起こしてもらうよ」
「それは勘弁してええええぇぇぇっ!」
 跳ね起きた。
 目の前には、とてもいい笑顔の惠と細長いレンズ付きの物体。
「おはよう」
「お、おはよう……ってどうして携帯向けてるのー!?」
「最近の携帯電話は本当に質がいい。こんなに鮮明に撮れるなんてね」
「と、盗撮された……」
「君がなかなか起きないからだよ。はい」
 差し出された画面に映るはサイズは小さくもデジカメ顔負けの高画質で映る無防備な寝顔。無駄にアングルが凝っている。
 ……悪くはない一枚だ、と一瞬でも思った自分がとても恥ずかしい。
「待ち受けとかしないよね?」
「とりあえず形から入ろうと思ったんだけどな」
「やめてー! お願いだからそれはやめてー!」
 確かに、彼氏彼女がそれぞれの写真を待ち受けにするという話は聞いたことがある。クラスメイトでそんな画面を見せ合う現場を目撃したこともある。
 ……でもさすがに、さすがに女装姿が他人様の待ち受けになるのはご遠慮願いたい……
「じゃあ、もったいないからみんなに配ろう」
「それはもっとらめえええぇぇぇ! 花鶏とか何するか分かんないから!」
「引き伸ばしてポスターぐらいはするかもね」
「おおおおおぉぉぉぉぉ恐ろしいぃぃぃ」
 やたらリアルに想像できてしまい、思わず頭を抱える。
 一夜明け、余韻があるかと思えば、待っていたのは寝顔の写真撮影。いきなり先手打たれてすっころんだ気分だ。いや、甘い雰囲気のままというのもそれはそれで困……る、かな? うん、困る。多分。
 ……というか、ネタなのかマジなのか、そこが問題だ。
 昨日のしおらしさはどこへやら、惠はすっかり持ち直していた。吹っ切れたようなからっとした表情で、しゃんと背を伸ばして立っている。目が合うと、ちょっとはにかんだ笑みを見せてくれる。そのたび、ブリキのおもちゃみたいに鼓動がぽこんと跳ね上がる。
 改めて、惠は綺麗な子だ。陶器のようななめらかな肌にくせのない髪、バランスのとれた顔立ちに穏やかな微笑み。お化粧で飾らなくても、素肌は透明感に溢れ、上品な血色。中性的な妖しい魅力をまといながらも、ふとした時に女性特有のしなやかさを漂わせる。作り込まれた動きは身体に染み込んで、一挙手一動を目を引くものに仕立てる。芝居がかった台詞すらすんなり馴染む、物語と現実の隙間に住む女の子。呪い故に生み出された姿だとしても、惠の人を惹きつける色香は本物だ。
 ……私服を着たらどうなるんだろう。スカートまでいかなくても、ジーンズにキャミソールあたりでかなり破壊力がありそうな気がする。滅多なことでは見られそうにないのが残念だけど……今度頼んでみようかな。
「ところで、智」
「ん? 何?」
「朝の用意はしないのかい? もう結構な時間だけど」
 言われて時計を確認すると―― ばっちり『寝坊』が似合う時間。普段なら二度寝でも寝てられないぐらい遅い。昨日寝るのが遅かった分、体内時計が狂ってしまっていたらしい。
「わ、ヤバいかも」
「僕は着替えてから行くから、君も自分の準備をして、先に行っててくれないか」
「う、うん! じゃあまた食堂で!」
 慌てて立ち上がり、ぱぱっとスカートのしわを伸ばす。あとは鏡を見て整えよう。
「頑張ってね」
 軽く手を振って見送ってくれる惠。そんな些細なしぐさが可愛くて、うきうきする。
 今日はきっと、いい一日になる――

 ……とても重大なことを忘れていました。
「おはようございます。ゆうべはおたのしみでしたね」
「お泊りですか? それとも夜まで休みますか? どちらも12ゴールドになります!」
「ゴールドって単位はおかしいんじゃない? せめてドルとか」
「空気読め、真面目委員長」
「もー、おなかすいちゃったよー」
「食ったのか、食われたのか、それが問題だわ」
「……ええ、と」
「さて、貧乳ボクっ娘。それでは朝もはよからキリキリ吐いて羞恥の果てに憤死していただきましょう」
 そうですよね。
 みんな泊まってて、僕と惠だけ遅刻なんだから、こうなりますよね……。
 急ぎ足で食堂に入った僕を待ち受けていたのは五者五様の獲物を狙う目だった。それぞれ方向は違うものの、身包み剥いでやる的なムードがビンビン伝わってくる。伝わりすぎて逃走したいぐらい。
「むー、まさか智センパイと惠センパイの組み合わせで来るとは」
「あら、こよりちゃんには私がいるじゃない。その小さなお胸をたっぷり育ててあげるわよ?」
「まだ何も言ってませんよぅ! あわわわわ、朝からセクハラはダメですぅ!」
「ふふふ、じゃあ夜ならオッケーなのね? 嬉しいわ」
「あ〜れ〜」
「それにしても、あなたにまでそんな趣味があったなんてね。確かにあの子は中性的でカッコイイ系だけど」
「某塚のファンは大多数が同性です。夢見る貧乳はナイチチに意味を求め傷の舐めあいに狂ったんでしょう」
「鬼だ」
「いや、ちょっと待ってなんで話がまとまってるの!?」
「だってー、智を起こしに行ったらもぬけの空だったし」
「探してもどこにもいなくて、惠センパイの部屋だけ鍵がかかってましたし」
「ベッドもすっかり冷え切ってたわ。せっかく残ったぬくもりを堪能しようと思ったのに」
「……そこまでいくと流石に変態じゃ」
「頭脳指数で言えば一ですね。推理にもなりません」
「なんか懐かしい単位出た……」
 古きよき時代劇の悪人のごとき、じんわりした視線が僕を取り囲む。
 五対一。団結とはかくも恐ろしいものであったか!
 朝食前のひとときにはあまりにも似つかわしくない雰囲気に押され、二、三歩後ずさる。これはまずい、みんなして僕の脳みそが枯渇するまで聞きだす気満々だ。恋話に沸く女の子の執念のすさまじさを思い知らされる。
「い、いや待って? 確かに昨日僕と惠は一緒にいたけど、だからってその」
「茅場、出番よ」
 なぜか茜子に声をかける花鶏。茜子は軽く頷くなりするりと椅子からすべり降り、僕の前に立つ。チェシャ猫のようなニヤリとした表情は……すごく……楽しそう、です……。
「さあ、プライドも羞恥心も丸揚げのメンタルストリップショーの始まりです。おとなしくまな板の上の鯉になって捌かれてください」
「服を剥くのは私よ」
「他人様の家で何をする気ですか!?」
「へへへー、恋バナってすっごいワクワクするよね!」
「まだ決まったわけじゃないんだから、そんなに勢い込まなくても」
「でも、智センパイと惠センパイならお似合いですよぅ! 両方女の人ですが、美男美女って感じです!」
 こよりはまさに期待に満ち溢れたキラキラお目目で僕を見る。その無邪気さが辛いです……。
「私以外っていうのが気に入らないけど、よその男にとられるぐらいなら惠の方がいいわね」
 などと言いつつ、花鶏も楽しげだ。
 ……うん、僕、まな板の上の鯉。これ逃げるのムリ。
 か、かくなる上は平常心を保つのみ!
「さてボク娘一号。昨日男装っ子といかがわしい真似をしましたか?」
「いきなり最終問題ですか!?」
 平常心作戦、瞬殺。
「……ちっ、そこまではいかなかったか」
「うぇ!?」
 答える前から茜子が舌打ちする。
「ABCで攻めてみたら? 結構絞れるわよ」
「おお! 噂の恋のABCですか!」
「それでは芸がありませんが、いびるには丁度いいかもしれませんね」
「い、いびってるんだ」
「そりゃあもう」
「やっぱりね、友達の恋路は全力で応援しなくっちゃ!」
「全力でおちょくってるようにしか見えません!」
「でも、ABCはちょっと生々しいかな……プライバシーもあるし」
「空気読め」
「ABCでビックリしてるようじゃこの先やっていけないわよ。●●とリスとか聞いても平気にならないと」
「花鶏センパイ、それは発禁になります! 倫理委員会が黙っていません!」
 ああ、月並みな表現ながら、みんなに悪魔のしっぽが見える……。
 こうなると、もう誰にも止められない。しかもみんな止める気すらない。
「では、もうちょっと具体的にいきましょう。脱がしましたか? それとも脱がされましたか?」
「ちょっと待てーッ!」
「……ちっ。じゃあ抱き合ったりとかは?」
「だからどうしてそんなに質問内容が具体的なの!」
「してるそうです」
「ひぎぃ!」
「マジで!?」
「私より先に智を抱きしめるなんて……!」
「しかも、抱きしめられたんじゃなく、抱きしめたみたいですね」
「まさかの受け攻め逆転!?」
「それは予想外だ!」
「では告白はどうでしょう?」
「もうやめてぇぇぇ」
「……してないみたいですね」
「告白してないのに抱き合ったの!?」
「と、智センパイがオオカミに……!」
 ……ちょっと待って。うん、激しく待って。
 頭がぐらぐらする。
 さっきから、僕はほとんどまともに答えていない。なのに、茜子は異常な精度で事実を言い当ててくる。根掘り葉掘り聞かれるのもいやだけど、言いもしないのに当てられてしまうのは肝が冷える。顔に出てるのは否めないにしても、正答率が高すぎだ。心理学とか駆使したところで、ここまで正確には当てられないと思う。ミステリーを通り越えていっそホラーだ。
「……不思議ですか? どうしてこんなに当てられてしまうのか」
 偵察を一旦停止し、茜子がしてやったりといわんばかりに口の端を上げた。
「不思議を通り越して怖くなってきました」
 ぺっとりと床に座りこみながら、冷や汗をぬぐう。何時の間に座ったのか定かじゃない辺り、そうとうパニックになったみたいだ。
「待たせた罰ですよ」
 計画通り、とばかりに見下ろされる。大分悔しい……でもそれ以上に引っ掛かる。
「いや、罰なのはいいんだけど……よくないけど。茜子、どんなトリックなのこれ」
「トリックじゃありません」
「?」
 軽く目を閉じ、本当に小さくため息をつく。
「私は人の心が読めるんです。それが私の能力です」
「……え?」
 能力。
 その単語が脳にはまり込む。
「まあ、そんなに詳細に読めるわけではなく、イエスかノーか、嘘か本当か、受けか攻めか程度ですけどね」
「今さりげなく微妙な判断基準が混ざった」
「でなければあなたが攻めだなんて予想つきません」
「だからその表現やめようよ!」
「薔薇は受け攻めだけど、百合の場合はどんな表現になるのかしら……どっちも突っ込まないのよね、百合だと」
「朝から危険発言多すぎるわよ」
「いたたまれないです……色んな意味で……」
 ……と、ともかく納得した。
 能力―― 呪いと対になる、僕らの特殊性。常識を超えた力。茜子はそれを使ったらしい。
 それにしても……
「茜子、バラしちゃってもよかったの?」
「抜け駆け色ボケ野郎どもをしばくためなら手段は選びません」
「そこまで言われるようなことしてないよ!?」
「ハグハグしたくせに」
「やーめてー!」
「いいんじゃないですか、これぐらいなら」
 気楽に言ってのける茜子。目尻を下げ、ひなたぼっこする猫のような笑みを浮かべる。そこに気負いは微塵もない。
「別に、知られたところでみなさんが己を振り返り過去の傷口にガタガタするだけですしね。茜子さんマジ最強伝説の始まりです」
「ピンチなのは僕らの方なんだ……」
 手の内を明かしてもタダでは起きない。やっぱり茜子は茜子だった。
「特に口だけ達者な胸なし偽優等生とか、現実と某塚の区別が付いてない男装アルカイック仮面とかをいじくりまわすのには最適です」
「狙い撃ちされた!?」
「そこの脳筋乳馬鹿とかクォーターの皮被ったエロ親父とか水平線小動物とか堅物眼鏡爆乳とかじゃ読みがいがないですから」
「……すごい表現だ」
 さりげなく胸に言及してるあたりにこだわりが感じられる。
「ここにいると、どうもガードが緩くなっていけませんね」
 言葉とは裏腹に、のびのびと楽しそうな茜子。みんなもそれぞれ頷いている。
「嬉しい……よね。みんなでこうやってさ、一緒にご飯食べて、夜まで遊んで」
「色々気遣わなくていいものね」
「鳴滝めはこの修学旅行気分がたまりません!」
「悪くはないわ。自分の懐も痛まないし」
「……切実なリアル」
 一人一人、この日々に感じるものは様々だろう。けれど、楽しさは共通だ。弾かれることを前提に生きてきたはぐれ者たちが身を寄せ合って笑いあえる場所―― 惠は本当に素敵なプレゼントをくれたと思う。
「それにしても、メグム遅いね」
 るいに言われてはっとした。確かに遅い。ゆっくり用意していたとしてもそろそろ来ても良さそうなのに、足音すら聞こえてこない。
「大方、こうなることを見越してこの口からでまかせっ娘に面倒を押しつけたんではないかと」
「え」
「まあ、ありえるかもしれないわね。フェアじゃないけど」
「惠センパイがあわあわするのも見てみたかったですが」
「正直そっちも期待してたわ」
 茜子の予想をほいほいほいと肯定する一同。むずむずしつつ僕は黙り込む。 
 惠の呪いを考えると、こういうシチュエーションも危険な状況に成りえる。悪気とか関係なく、予測される危険から身を守るのは当然だ。僕が部屋を出るときに「頑張って」とか言ってたし、意図はともかく茜子の予想は当たってるかもしれない。
 僕だけこういう目に遭うのはなんか悔しいけど、しかたないか。
「まあ、時間差作戦をしたところで逃がす気はありませんけどね」
「連帯責任よ。あと、智をどうやって落としたのか興味がありすぎるわ」
 ……あんまり効果ないみたいだし。惠逃げて超逃げて。
「みなさん、そろそろ朝ご飯にしませんか? 惠さんもすぐ来ると思いますから、どうぞお先に召し上がってください」
 と、待っていたのか、会話が切れたタイミングで佐知子さんがコーヒーを運んできてくれた。
「おおお! あさごはんあさごはんー! 待ってましたぁ!」
 ごはんの単語に反応し、にわかに元気になるるい。その無邪気さにつられ、みんなの意識が朝ご飯に向く。
「あ、お手伝いします」
「働かざるもの食うべからず」
「では鳴滝めはカトラリーを用意しましょう」
「サラダはセロリ多めがいいわ」
「自分で取り分けるように」
 わいのわいのと騒ぎながら食卓を囲み、すっかり遅くなった朝ご飯タイムが始まった。

「……」
「……いくらなんでも、遅いよね」
 美味しかった朝食に似合わない、微妙な空気が流れる。
 七名中六名のお皿は既にからっぽで、佐知子さんがせっせと片付け始めている。食後に出された紅茶もほぼ飲み終わった。
 ただ、一つだけ―― この屋敷の主人である惠のお皿だけ、料理が乗ったまま。
 冷めてしまったパンが物悲しい。
 食事中、それとなく気をつけていたけれど、足音は全く聞こえてこなかった。物音もしなかった。
 ……一体、何が……?
「二度寝しちゃったとか?」
「それはないと思う。僕を起こしてくれたのは惠だし、眠そうな感じはしなかった」
「いくら追及されたくないと言っても、ここまで来ないのはおかしいですよね」
「そこまでチキンハートじゃないでしょう。私達だって鬼じゃありませんし」
 さっきまで。
 さっきまで、僕らは一緒にいた。ほんの少し、準備のための間が空いただけだ。
 それなのに―― 直感は、危険を告げる。
「……惠さん、いらっしゃっていませんか?」
 片付け終えてもなお現れないのが流石に気になったらしく、僕らを見回す。全員首を横に振る。
「まさか……いえ、そんなことは……」
 消え入りそうな呟き。揺れる瞳には不安と、何かの予測。
「ひょっとして、誘拐……とか?」
「誘拐犯だって、朝からなんてチャレンジャーな真似はしないでしょ。人がいることを散々アピールしたんだし」
「でも」
「……あ、あのみなさん」
 増幅する不安を抑えるかのように、佐知子さんが僕らに声をかける。
「私、ちょっと見てきますね。みなさんはここでお待ちください」
「僕も行きます」
「え、でも」
「……行かせてください」
 有無を言わさず立ち上がる。
「あ、じゃあ私も」
「ぞろぞろ行ってもしかたありません。とりあえず智さんに任せましょう」
 続こうとする伊代を茜子が止める。僕も視線で止める。かなり不服そうな表情をしたものの、今回ばかりは空気を読んだか、静かに座りなおしてくれた。
 不安は言葉を結ばず、胸の下でわだかまる。
 伝える意志もまとまらないまま、全員からアイコンタクトを受け、首を縦に振る。
「行きましょう」
「……え、ええ」
 申し訳なさそうな、困ったような、来てほしくなさそうな表情を見せ、佐知子さんは急ぎ足で食堂を出る。

「惠さん、私です。佐知子です」
 ノックにも、呼びかけにも返事がない。
 最初は軽く、次は強めに。結果は変わらず。続く沈黙に、胸騒ぎがどんどん大きくなる。
「……まさか、本当に」
「心当たりがあるんですか?」
「……」
 口を引き結んだのがわかった。確実に、何かを知ってる。
「智さん、惠さんは私に任せて下へ」
「いえ。顔を確認するまでは動きません」
 暗に含まれる意図はあえて無視する。部外者に知られたくないことがあるのかもしれないけど、ここまで来たら引き下がるわけにはいかないし、何より、一刻も早く姿を見たい。
「……智さんは、昨晩、惠さんと一緒にいらっしゃったんですよね?」
 こっちに背を向けたまま、佐知子さんが問いかけてくる。
「はい。朝までずっと一緒でした」
「……そう、ですか」
 それ以上は何も言わず、ドアノブに手をかける。案の定、鍵はかけられていなかった。
 すんなりと開く扉。仁王立ちに近い状態で前に立たれているので、中の様子が伺いにくい。
 佐知子さんは扉を開けた状態のまま、じっと部屋の中を見つめている。
 まるで、予想が当たったことを確かめるかのように。
「……どうして……こんな、早く……?」
「―― 失礼しますっ!」
 もう、待ちきれない。
 入らせまい、見せまいとする佐知子さんを半ば無理矢理押しのけて部屋に入る。
「―― あ……」
 二歩目が、踏み出せない。
 頭が働かない。
 惠はすぐそこにいた。入口に背を向けて、ベッドに突っ伏している。
 穏やかな朝日が差し込む窓。何回も何回も見た質素な部屋。昨日並んで寄りかかったベッド。
 何も変わらない。モノは何も変わらない。
 けれど―― さっきまではなかった色がある。
 床に。ベッドに。おそらくは、惠の身体にも。
 色の名前は―― 深紅。
 咲いている。
 惠の周りに、毒々しい血が咲いている――