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after Birthday ※視点は惠

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僕の考えた惠ルート ※視点は智

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chapter 27 


 信じる、信じない、そんな心の動きすら許さずに、現実は放り出される。
 ちろちろと舌を伸ばす炎は、単なる紙の束を蹂躙するには強すぎる。
 さして長い時間は経っていないだろうに、形が残っているのは四隅のうち一つだけ。それも、あと五分もすれば塵となるだろう。
 濡れたなら、乾かせばいい。汚れたなら、洗えばいい。破れたなら、つなぎ合わせればいい。墨塗り教科書のように塗りつぶされても、読み取ろうと思えばどうにかなる。
 でも、燃えたものは、戻らない。
 心臓が音を立てている、それも遠い。目は状況を把握するだけの情報を取り入れているのに、事態はすでに把握しているのに、身勝手な心は内側で大暴れし、事実を崩そうともがく。僕の心が騒ぎたてたところで、時間も結果も揺るがないのに。
「なんで!? ねえ、なんでよメグム! 答えてよ!」
「アウトドアブームなんだろうね、バーベキューに必要な燃料が手に入らなかったんだ。古い紙なら湿気も抜けているし、丁度いいだろう」
「誰もそんなこと聞いてない! 私が聞いてるのは、メグムがなんでこんなことしたかってことだよ!」
「だから、今答えた通りだよ」
「答えになってない!」
 直接的な聞き方しかできないるいと、答える気のない惠。会話はひたすら堂々巡り。
 横やりを入れたくても、喉がつっかえて声が出ない。出たところで、どっちに、何を聞くのか。
「……ちょっと、何の騒ぎよ」
「るいセンパイ、どうしたんですか? ものすごくコワイ顔してますケド」
「この時間から火を熾すのは早すぎないかしら」
「空気読め……と言いたいところですが。その火が原因みたいですね」
 ただならぬ気配を感じたのか、みんなが集まってくる。
 即座に、泣きつくように報告するるい。
「みんな……みんな聞いてよ、ひどいんだよ! メグムがトモのお父さんのノートを」
 火に注がれる視線。
 音が消える。いいや、消えない。爆ぜる音は止まない。
「あれは元々、この家にあったものだ。所有権はこの家の持ち主に帰属する。この家の人間がノートをどう扱おうと、君たちにとやかく言う権利はないよ」
 惠の補足は温度を持たない。ぬくもりと称される人の情を置き去りにした、無機質な発音の羅列。機械が文書を読み上げるように、説明事項を並べる。
「……どういうことよ、惠」
「あのノートを煮ようが焼こうが僕の勝手だ、違うかい?」
「なっ!」
「……最も、今更どうにかしようと思ったところで、とっくに手遅れだけどね」
 わざとらしく、視線をバーベキューコンロに移す。火は情け容赦なく紙を喰らい、煤けた残骸を作り続ける。読める部分はとっくに焼きつくされ、角が寂しく運命を待つばかり。
 全員が、信じたくない状況を飲み込む。
 手掛かりが失われた―― それすら些事に感じるほど、予想外の反旗。
 惠が、父さんのノートを焼いた。
 それが意味するものは、ただ一つ。
 ……裏切り。
「そ、そんな……! 惠センパイ……!」
「おかしいわよ、こんなの! 確かにあなたの家のものかもしれないけど、だからってやっていいことと悪いことがあるわ!」
「なんかやるだろうなとは思ってましたが、のっけから核弾頭ぶち込んできましたね」
「で、どういうことか説明してもらえるんでしょうね?」
「……参ったな」
 納得いかない、と顔に浮かべ、惠が首を振る。動作はなめらかで、綻びひとつない。完璧な『普段』の延長線……生きるために練り上げた、芝居の壇上に彼女は立つ。
 一歩、僕らへ向けて踏み出す。草を踏む僅かな擦音。
 近づいている、はずなのに、感じるのは断絶の予感ばかり。
 嵌められた。
 ……数少ない僕のボキャブラリーからは、悪意に満ちた単語がはじき出される。
「智。君は言ったね、僕たちは同盟だと」
 話を僕に振っているようで、視線はこちらに向けようともしない。
「……うん」
「同盟の主旨は、あくまでも『自己の利益追求』だ。七人が己のために互いを利用する、その了承の上に成り立っている集団だ。そうだね?」
「……最初は、そうだったよ。そうやって僕らは集まり、同盟を組んだ」
 奥歯をかみしめる。レールに乗せられているとわかっていても、問われる事実に嘘はつけない。
 全ては自分のため――
 それが、始まりだった。
 顔も名前も知らなかった七人。出会いは偶然の積み重ね。呪いという共通項はあれど、僕たちはあくまで他人だ。ましてや、呪いというコミュニケーション不全を抱えた七人。メリットのない団体に加わるいわれはない。
 だから、僕は『利害の一致』を提示した。夢も希望もない、それゆえに信頼できる相互扶助。助け合うのではなく、利用しあう。
 全てはそこから始まった。僕が言い出したことだ。
 当時の僕たちにとって、絆は単なるきれいごとだったから。
 その原点を、惠は突きつける。成長とも歪曲ともいえる現在を、僕らの中にある繋がりを、否定する。
 自分はそこにいると、嘘をつく。
「馴れ合いならばいざ知らず、僕らを繋ぐのは単に利害の一致だけだ。僕はただ、同盟の理念に従っただけの話だよ」
「同盟の理念……ってあなた……!」
 噛みついたのは伊代だ。
「たしかに、始まりはそうだったかもしれないわ。でも今はどうなのよ! 昔のことを引き合いに出して何になるの! 今の私たちがどんなふうに繋がってるか、わからないわけじゃないでしょう!?」
「わからないな。少なくとも、君の意味では」
 冷酷ですらある切り返し。暗に根本を拒絶され、伊代の表情が哀しみに染まる。
「君と僕の認識には大きな差異があるのかな。そうだとしたら僕は君を理解できないし、君も僕を理解などできない。する気もない。この七人が利害を見失った関係だというなら、同盟そのものが既に死に体ということだろう? そんなものに価値を見出せるのかい、君は」
「価値、価値って……あなた」
「惠センパイ、ちょっと言い過ぎです!」
 こよりが割って入る。うっすらと、目に涙を溜めている。
「……こより、君はまだ幼い。線引きがあるということもわからないかもしれないね。でも、これが現実だよ。協力は強制されるものではないし、全面的である義務もない。無条件に、無限大に相手を信じるなんて、ただ食いつぶされるだけの愚か者がすることだ」
「そんなの……そんなの鳴滝にはわかんないです! 鳴滝は惠センパイもみんなも大好きです! それじゃダメなんですか!? 大好きだから、みんなと一緒にがんばろうって……それじゃダメなんですか!?」
「ダメではないよ。ただ、前提が違う」
 惠が微笑む。酷薄な笑み。
 ……見たことのない表情。見たくもなかった表情。
「別段、僕らはそれぞれが好きだと言いあったわけでもないだろう? みんながみんなお互いを好きあっているなんて、君の勘違いだよ。世の中は打算。集団は利害で構成される。好きだから集まるなんて、世間と現実を知らない子供の甘い夢さ」
 切り捨てる。
 僕らの日々を。甘く楽しい、焦がれても焦がれても手に入らなかった、僕らが浸る平穏を、ゴミのように切り捨てる。
「……」
 茜子は険しい顔で惠を見つめている。おそらくは本意を図ろうと、言葉に潜む嘘を見抜こうと、力を全開にしている。
 ……わかるはずだ、茜子なら。心を読む力があれば、惠の芝居を壊すことだってできるはずだ。
 今はそれに賭けるしかない。
 惠の芝居と茜子の力、一体どちらに軍配が上がるのか。
「……」
 茜子はまだ、動かない。
「花鶏」
 惠が呼びかける。
「……何よ」
「君なら、僕の言ってることがわかるんじゃないかな?」
「……何で私なのよ。私だって、この状況であなたに賛同はできないわよ」
「そうなのかい?」
 意外そうに、惠が目を開く。
「確かに私は現実主義者よ。だけど、今のあなたみたいに露骨な嫌がらせをする趣味はないわ」
「……そうでもないだろう」
 花鶏に向き直り、しっかりと視線を合わせる惠。逸らすのは負けと思うのか、花鶏も真っ向からそれを受け止める。
「現に君は、僕らにとって有用となりえる情報を隠している」
「……!」
 ほとんど反射的に、花鶏が惠を睨む。
「秘密、秘密と言って好奇心をあおりながら、現物は見せないと拒絶する―― それが嫌がらせでなかったら一体何だい?」
 惠は笑みをたたえたまま、花鶏の怒りをさらに煽る。プライドを切り崩し、悪人のレッテルを張る。
「違うわよ! あれは我が家に代々伝わる家宝であり、私の守るべき宝……おいそれと見せていいものじゃないの!」
「じゃあ君は、仲間よりもその本が大事なんだね。やっぱり僕と同じ穴のムジナだ」
「違うって言ってるでしょ! 私はあの本を隠しはするけど、勝手に燃やしたりはしないわよ!」
「不利益な情報を隠すという意味では同一だよ。るいが呪いを踏み、その報復を恐れる中でも隠ぺいを続けたことが何よりの証拠じゃないか」
「こんの……! とにかく、あなたと一緒にされる筋合いはないわ!」
 青筋を立てて怒る花鶏。涼しく、冷笑にすら近い表情の惠。
 痛いところを突かれた―― それが花鶏の本音だろう。
 花鶏の事情はともかくとして、彼女が僕たちに堂々と『秘密』を持っていると明かしたのは事実だ。そして、それが呪いに関係する何かであることも。悪意をもって解釈すれば、僕たちを振り回したと言うことだってできなくもない。もちろん、僕たちは花鶏がそんな意図があってやったことではないと信じているけれど―― 証拠は、どこにもない。
 だから花鶏は焦る。惠の指摘を真っ向から否定できないからこそ、憤怒という感情を湧き立たせる。
 自分から嵌めたと公言するならまだしも、予期せぬ方向に解釈され、悪の片棒を担いだような扱いをされるなんて、彼女のプライドが絶対に許しはしない。
「別に、僕は君を責めてなどいないよ。この同盟に利害以外は存在しない。君が自分の害となるものを排除するのはごく自然なことだからね」
「黙りなさい! さっきから下手に出ればつけ上がって!」
「一回も下手に出てないと思う」
「ていうかそんなの考えてもいなかったよね」
「あーもうそこも黙りなさい! とにかく、私はあなたみたいな奴に振り回されるのが一番嫌いなのよ!」
「振り回してなどいないよ。僕はただ、ありのままを語っただけさ」
「……もういいっ!」
 花鶏と惠の言いあいを、るいが叫びで断ち切る。
「もういい、もういいよ! 私たちがバカだった、メグムを信じた私たちがバカだった!」
「るい!?」
 ―― まずい。
 思った時には、すでに遅く。
 走り出した疑念は、裏切りへの憎しみは、止まらない。
「賛同するわ、皆元。コイツは結局、私たちを高みから見下ろしてせせら笑ってただけよ。これ以上こんな茶番に付き合ってやる必要なんかない」
 不揃いな雑草が、踵を返した花鶏の足元で音を立てる。
 るいも惠に背を向ける。
「良いんじゃないかな。相容れぬ思考の持ち主が集ったところで、余計な心労を掛け合うだけだからね。利害が一致しないなら、共にいても無益だ」
 惠は淡々と、達観したような目で展開を受け入れる。何も言い訳せず、大事なことは、何も語らずのまま。
「……どうしてよ……あなた、そんなこと今まで一言だって言わなかったじゃない……」
「使えるものは使うのが主義だからね。おべっかも大事さ」
「……そんな……」
 力をなくした伊代の呟き。るいと花鶏に比べ、彼女はまだ、心のどこかで惠を捨て切れずにいるのだろう。
 でも、根拠なく信じるに、この雰囲気と与えられる情報は刺々しすぎた。
 喜怒哀楽。
 七人が持ち、七人が共有してきた想い。
 喜と楽に満ち、笑顔を山のように積み上げてきた、七人の同盟。
 それが―― 怒と、哀の二つに、乱暴に塗りつぶされる。
「待って、待ってみんな、惠にもきっと事情が――」
 焼け石に水。僕の制止はもはや意味をなさない。
「知らないよ、そんなの! どんな事情があったって、こんな奴と一緒にいたくなんかない!」
「智。あなたが一番怒るべきなのよ? かばってやる価値なんかこれっぽっちもないでしょ」
「まったくだ。これ以上君たちに媚びへつらわれるのはまっぴらだよ」
「誰がいつ媚びたのよ! ふざけんじゃないわよ、どこまで人を馬鹿にすれば気が済むの!」
「……もうちょっと、よく考えるべきだったのかもしれないわね。あなたのこと」
「うぅ……こんなの、こんなのって……!」
 こよりは泣いている。目の前の出来事を信じたくないと泣いている。
 ……信じたくない、それは、現実を受け入れるしかない人間の最後の足掻き。
 堤防が決壊し、疑念は確信となり、裏切りの素材は制裁へ変貌し、繋いだはずの絆は千切れる。
「行くわよ、智! 胸糞悪い、こんな家、一秒だっていてたまるもんですか!」
「ちょ、ちょっと待ってよみんな……!」
「行きましょう。このままここにいたって傷つくだけよ」
「ふ、うぇ……信じてたのに、信じてたのに……」
 玄関が近くなる。鉄の柵が眼前に、横に、後ろに、視界を通り過ぎていく。
 花鶏とるいに引きずられるようにして、僕は屋敷を後にする。
「……つき」
 声帯を震わせる、蚊の鳴くような僕の悲鳴。
「うそつき、惠のうそつきっ……!」
 絞り出したそれは、嗚咽に溶けて、ほとんど言葉にならなかった――



 せめてもの気分転換にと出たテラス。風が抜け、髪を梳く。
 けれど心は晴れぬまま。
 ここからは、溜まり場も、惠の家も見えはしない。
 満ち満ちた沈黙。六人が、口には出せないぐらぐらした苦い想いを噛みしめている。
「……」
 今日も、いいお天気。残酷なほど。
「お茶淹れてきたわ。好きにどうぞ」
「……あ、ありがとう」
 花鶏がティーポットをテーブルに置く。
「……」
「……はぁ……」
 久々のテラスも、ひたすら侘しい。
 惠の家を飛び出した僕たちは、溜まり場にも行かず、花鶏の家へ向かった。
 惠はここに足を踏み入れたことがない―― それが最大の理由だ。
 彼女の印象が残る場所、その全てが、今の僕たちにとっての鬼門になってしまった。
 歩いているうちに少し気分も冷えたのか、あーだこーだと言い合う声はない。
 でも、たったの数分間でひっくり返った認識は、血糊のように脳に張り付いてしまっている。
「……惠……」
 涙は出ない。出しちゃいけない。
「あまり気を落とさないで。こうなったのは誰のせいでもないのよ」
 肩に手を置き、なぐさめてくれる伊代。でも、その声にも元気がない。
「ま、あの人を招いたのはこの腹グロッキーですから、責任とって腹切ってもらうって手もありますけど。とりあえず、勝手に人の罪を背負って凹まれても困ります」
「あうぅ……」
 茜子の追及に、深くぺったりとテーブルに突っ伏す。
「考えてみれば、最初から怪しかったわよね、あれ。痣ですっかり油断させられたけど、私たちとは根本的に違ってたわ」
 花鶏はもう、惠を名前で呼ぶことすらしない。
 積み上げるには長い長い時間がかかる。けれど、崩壊するのは一瞬。
 信頼していたからこそ、裏切りは心をえぐる。心を許したからこそ、深く傷つく。
 ……まだ、裏切ったと決まったわけじゃない。
 僕はそう思う。
 けれど、その根拠は僕だけが知る情報だ。
 惠の呪い――『自分に関する真実を口にしてはならない』。今、その情報を出したところで、みんなは素直には受け止められないだろう。
 それに、今回の騒動を説明するにはそれでも弱い。
 惠がノートを燃やしたのは、動かしがたい現実なんだから。
「茜子、さ」
 だからって、憎しみが育っていくのを黙って見ているのは嫌だった。
「何ですか」
「……どうして、何も言わなかったの?」
 ささやき声にしては大きく、呼びかけにしては小さな声で、問いかける。
 結局、あの場で茜子は一言も発しなかった。彼女の行動次第では喧嘩別れにならない可能性だってあったんだ。責める気はないけど、ジョーカー的な存在である彼女が一切動かなかったことが引っかかる。
「あのですね」
 茜子が自分で紅茶を入れ、一口すする。
 ためいきひとつ。
「……読めないんです、あの人」
「え?」
「……読めない?」
「はい。茜子さんの能力は、会話をしている時の表情の変化とか、微細な部分から感情を読み取ります。読むには心の振れ幅が重要なんです。だから、嘘をつき慣れていたり、動かない心は読めません」
「じゃあ、さっきのは」
 ためいき、またひとつ。
「ほぼお手上げでした。結構頑張ったんですけど、あの人は確証が持てるような隙を見せませんでした」
「そう、なんだ……」
 予想外の返答に、ますます気が沈む。
 確かに、茜子の読み方では惠の心を読みきることはできないだろう。彼女は嘘に慣れ過ぎている。生きるため、会話の全てを嘘で塗り固めてきたんだ、心を動かさずに嘘をつけるようになっていても不思議はない。
「要は、あいつは罪悪感の欠片もなく嘘をつけるってわけね。やっぱりロクでもないわ」
「ひどいね、本当。私、メグムのこと絶対許せないよ」
「……」
 るいと花鶏は、こんな些細なやり取りからも憎しみを再燃させる。元々感情の沸点の低い二人だし、るいは裏切りが大嫌い、花鶏はプライドを傷つけられたと来れば、二人が末代までも祟る勢いで惠を憎むのは自然な流れだろう。
 ……惠は、こうなることを見越していたのだろうか?
「あと、私はそれ以外にも、あの人を疑う理由があります」
 ペットシュガーを二本入れ、茜子が続ける。
「そういえばあなたたち、昨日ちょっと険悪だったわね」
「ええ」
 くい、と煽るように飲み、カップを置く。
 さっきまでの静けさは溜めだった、とばかりに、全員に軽く視線を投げる。
「ヒントは猫会議」
「……猫からチクられたとかじゃないわよね」
「ちょっと違いますね」
 目を薄く閉じ、思い出すようにして語る。
「ガギノドンが見つけた猫会議場が、いわゆる悪い人たちの溜まり場のすぐ近くでして。会議中にブサイクで品もなく金もなく女運もない、底辺臭さ満点のダミ声が聞こえてきました」
「……相変わらずヒドイ表現」
「で?」
「彼らはこう言っていました。『才野原の奴、最近やりすぎだ』と」
「……!」
 突如、脳裏に血まみれの惠が浮かぶ。
「やりすぎ、って、何が?」
「覚えてませんか? 魔女っ子ヤクザチビ娘のこと」
「ま、まじょっこやくざですか」
「ああ、あの胸の小さい子ね」
「しっかりチェックしていらっしゃる」
 忘れるはずもない。
 僕たちが団結したきっかけ、パルクールレースをふっかけてきた謎の裏人間。
「央輝、だっけ」
「そう、それです」
 茜子は指を立て、一人ひとりを指差し、なぜか空に向けてぐるぐる回す。
「その時の悪い人たちは、あのロリチビのお仲間だったようなんですが――」

 茜子の聞いた内容をまとめるとこうなる。
 央輝の仲間のヤクザさんたちは、最近裏界隈の治安維持に忙しいらしい。裏の治安維持ってのも変な話だけど、まあそれはおいといて。
 その、裏の治安が乱れたきっかけが、太慈興業という地元の暴力団の麻薬取引を一手に担っていた人物の暗殺。結構大きな取引の直後にいきなり殺されたらしく、下々のものが慌てている間に麻薬が流出してしまったらしい。
 麻薬はお金になるし取引の材料にもなるし、警察にかぎつけられたら死活問題。良くも悪くも劇物指定の代物だ。幹部の暗殺により麻薬が流出した結果、必要以上のクスリが出回るようになり、チンピラからその道のプロまで入り乱れ、裏世界は一気に賑やかになってしまった。
 その時流出した麻薬の一部が警察に届けられ、一部は捕まったものの、流出した麻薬の全部は見つかるはずもなく。結局、央輝の部下さんたちはルール破りのダメ人間を成敗するのに時間を取られ、働きづめになってしまっている、というわけだ。
 ……そして。
 その、太慈興業のお偉いさんを殺したのが、よりにもよって『才野原』という人物だと――

「才野原……としか言ってなかったんだよね? それなら別人の可能性も」
「あのヤクザっ子と智を引き合わせたのもあいつでしょ? だったらほぼ間違いないじゃない」
「才野原って珍しいもんね。浜江さんと佐知子さんは別の名字だし」
「さらにちょっとした後日談があります。犯人が才野原と知ったヤクザの下っ端さんたちが敵討ちにいったんですが、返り討ちにされたんだとか」
「……恐ろしいわね、それ」
「なんだか、知らない人の話を聞いてるみたいです……」
 テラスを絶望が飛び交う。欲しい希望が欠片も見つからない。
 紅茶の水面を、虚ろに見つめる。
 裏切りに加えて、人殺し……実際に見たわけではないものの、信憑性は高い。何せ盗み聞きだ、悪いさんたちの仲間内の会話、フェイクなど入るはずもない。茜子の目も語り方も、これがネタや冗談ではないと伝えている。
 だから、誰も声高に反論しない。暗に、受け入れる。
 衝撃を受け過ぎて感覚が麻痺しているのか、拒絶反応なのか、身体と心がうまくリンクしない。矢継ぎ早に明かされる出来事に思考が追い付かず、ただただ呆然と聞き続ける。
 脳内は『信じたくない』でいっぱい。それはつまり『わかっていても認めたくない』ということ。
 ……今の話が真実だと、直感が、経験が告げる。
 記憶からずるりと引き出される、血染めの惠。一般的な生活を送っているならばまずあり得ない深い傷。
 彼女があんな目に合った理由―― 茜子の話に、あまりにも合致しすぎている。
「要するに、あれは私たちにニコニコしつつ、裏で思いっきりえげつないことやってた。化けの皮一枚剥いだら単なる人でなしってわけね」
「そこまで言わなくても」
「言っていいんだよ。トモだってもっと怒るべきだよ。お父さんの形見燃やされちゃったんだよ?」
「……でも」
「私、許さない。メグムのこと絶対に許さない」
 るいの持つ気配は鋭い牙だ。今にも喉笛を引きちぎらんばかりの、激しい敵意に燃えている。
 異論を認めない、ガチガチの憤怒。それは花鶏も同じ。
 同盟内でも声の大きい二人の鬱憤は、支配にも似た影響を及ぼす。
「私たち、何を間違えたのかしら」
「私たちは間違ってないわよ。間違ってるのはあれ」
「ここまで信じるに足る要素がないというのも、ある意味珍しいですよ」
「すっごいショックです……鳴滝、こんなにショック受けたことないです」
「……」
 水面に、水滴が一粒。
「トモ……そんな、泣かないでよ……」
「……ごめ、ごめん……」
 袖に丸い染み。どんどん増える。
 閉じたはずの唇が震える。

 ……こんなの、誰も、誰も望んでないはずなのに。