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after Birthday ※視点は惠

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僕の考えた惠ルート ※視点は智

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chapter 32 


「くぬぬぬぬ……こ、これだーっ!」
「……ニヤリ」
「うぎゃー! また引いたー!」
「ふ、バカめ」
 絶叫が応接間に響き渡る。格調高い部屋にとてもミスマッチ。露骨に悔しがりつつ、るいは必死でカードを切る。
「んっふふ〜、トモ、これでどーだっ」
「はい」
 ひょい、と、あからさまに飛び出したカードの隣を一枚。数字は八、手札と合わせて場に捨てる。
 るい、お目目まんまる。
「な! なんでババじゃないってわかったの!?」
「そんなに露骨に引かせようとすれば誰でもわかるって」
「ひどい……トモったら血も涙もないんだ……」
「いや、ババ抜きぐらいでそんなこと言われても」
「るい姉さんはいつだって全力なのだっ」
「いばるないばるな」
「絶好調五連敗、もはや懲りないを超えて単なるアホかと」
「アカネもひどい」
「……まあ、普通は五連敗はしませんよね」
「こよりんまで……うう、いいんだいいんだ、私はどーせ」
「いや、だからババ抜きなんかでそんなマジに落ち込まれても」
「るい姉さんはいつだって全力なのだっ」
「会話がループした」
「単細胞で反応のバリエーションがないだけです。バカめ」
「バカって言う方がバカなんだよ」
「……その言葉、なんだか懐かしいです……」
「こよりんに懐かしがられちゃおしまいだね……」
「うううううう」
 たっぷりと手元に残ったカードごとテーブルに突っ伏するい。場に捨てられたトランプ勢い込んで飛び散る。……これはゲーム続行不能だな。
 と、ぴょこんと起き上がって顔を笑みに咲かせる。
「ねえ、別のゲームがいい! トランプ投げとかどうかな!?」
「壁に刺さるからだめ」
 即却下。
「えー」
 とっても不服そうに頬をふくらませるるい。しかして、るいの力をフル稼働した上でのトランプ投げは危険すぎる。いくらなんでも、人様の家に傷はつけられません。
「そもそも自分が圧倒的優位に立てるゲームを提唱する時点で姑息です」
「ほわ! なんでわかったの!?」
「いや、わかるでしょ」
「るいセンパイの能力を知ってたら誰でも想像つきますよー」
「ちぇー」
「はっ、バカめ」
「……その煽り方気に入ったんだね、茜子」
 るいの能力は『身体能力の強化』だ。バイクを投げ飛ばしたり尋常でないスピードで走ったりするのも、能力のなせる技。使い勝手の良さからか、日々かなり活用している模様。使うことにためらいがないあたり、るいらしい。もっとも、僕らの前でだけなんだろうけど。
「……ところで、いつまで騒いでるのかしらあなたたち……?」
 パソコンとにらめっこを続けていた伊代が顔を上げた。大分睨んでる。
「だって……、私たちに手伝えること何にもないんだもん」
「だったら黙ってそこに座ってなさい! ああもう、うるさいったらありゃしない!」
 その隣で本から顔を上げ、火を吹く花鶏。
 そりゃそうだ。
『ラトゥイリの星』の解読を始めてから、早二週間。
 効率化を進めた結果、仕事があるメンバーはひたすら作業に没頭、仕事のないメンバーは暇を持て余すという悲しい分業体制ができあがってしまっていた。
 戦力外メンバーを具体的に言えば、るい・こより・茜子・僕。悲しいかな、役立たずの方が人数が多い。何せ『ラトゥイリの星』は古いロシア語かつ難解な言い回し、暗喩に暗号という初心者にはハードルが高すぎるシロモノだ。ロシア語に縁のある花鶏、能力によるパソコンスキル超級の伊代以外には太刀打ちできない。手伝おうとしても逆効果になることが多いから、下手に手を出さない方がいいということにはなる、なるけど……ものすごい不公平感。
「うーん……やっぱり何か手伝いたいよね」
「でも、あの本は見るだけで世界がぐるぐるになります」
「能なしの味方の入れ知恵ほど役に立たないものはありません。役立たずは役立たずらしくおとなしくサボるのが最善策です」
「自己嫌悪のようで何気に自己正当化」
「トランプも飽きてきちゃった、外に行きたいよー」
「この野生児が」
 各々、身勝手な主張。付き合うだけ時間の無駄と思ったか、花鶏と伊代は再び解読作業に戻る。
 ……実際のところ、やることのない僕たちがここにいてもあまり意味はない。せいぜい二人のためにお茶をいれるとか、辞書のページを押さえるとか、その程度。
 だからといって、個人行動を取るわけにもいかない。
 今の僕たちは「することができたら集合」なんて気楽な状況からは程遠かった。
 惠が欠けたあの日以降、みんなの中にはわずかながら疑心暗鬼が潜んでいる。今の同盟の何よりの優先事項は「みんなの目の届く範囲内にいること」。花鶏や伊代が僕たちを追い出さないのもそういう理由だろう。
 惠の言葉が去来する。
『いつも一緒にいることだけが、誰の目にもわかる形で同じ方向を向くことだけが、想いの証明かい?』
 僕は、そうは思わない。離れていたっていくらでも惠を信じられる。
 だけどみんなは、壊れた絆は、離れた人の想いを信じることができない。
 わかってはいたけれど……やっぱり、気分のいいものじゃなかった。排することが当たり前のような空気が、息苦しい。
「そういえば、さ」
 るいが、ふいに口を開いた。
「トモのお父さんのノートの通りなら、呪いを持ってる人があと一人いるってことだよね?」
「『八つ星』って書いてありましたから、そうなりますね。本当ならですが」
「ラトゥイリの星に照らして、そこは間違いないわよ。呪いと才能を持つ人間は全部で八人。私たちとあれと、もう一人」
 視線を全く動かさないまま、保障する花鶏。
 ……相変わらず、惠を名前で呼ばない。あからさまな本音が胸に刺さる。
「全く、あれと同じだと思うと吐き気がする」
「骨の髄まで嫌っちゃってる感じですね……」
「裏切ったんだもん、当然だよ」
「……裏切り、か」
 るいや花鶏の気持ちもわからなくはない。起きた出来事を繋ぐなら、惠の行動が許したがいのも事実だ。
 しかも、あの日以降、惠が具体的に動いた形跡が全くない。その沈黙が、嵐の前の静けさのような錯覚を起こしてしまう。
 想像で賄うしかない空白。それは次々と悪意を伴う予測を生みだし、敵意を塗り重ねる。
 わからない、という不安は、とかく理由を見つけたがる。自分たちの行動を後押しするような、偏見に満ちた理由を探したがる。
 今のるいや花鶏にとって、惠への敵意が翻って安心になる。求めるのは真実ではなく、自分たちの感情の裏付け。
 本当に、これでいいのか―― 問いたい相手は、過度の憎しみをぶつけられる相手は、ここにはいない。
「……腹黒も憤怒に燃えるバカの前では形なしですね」
 黙っている僕に、茜子が小声で語りかけてくる。
「この状態じゃ、僕が何を言ったって無駄でしょ」
「火に油で大炎上というのもなかなかファンスティックだと思います」
「そんなスペクタクルはいらないです……」
 すっかりやる気もしぼんでしまい、いそいそとトランプを片付ける。といっても、日暮れまでにはまだまだ時間が有り余っている。雑談を盛り上げられない雰囲気の中、ゲームもしないでおとなしく過ごすのはちょっと厳しいぐらいの長さだ。
「……あのさ。話戻るけど」
「八つ星?」
「そうそう」
 勝てないゲーム以上にだんまりが苦手なるいが、なんとか話題を見つけようと話を引っ張った。
「『八人目』って、この街にいるのかな?」
「……!」
 るいの疑問に寒気が走る。
 頭をよぎる白い影。
 ……八人目。姉さん。
 そうか……みんな知らないんだ。八人目である姉さんのこと。
「八人全員が揃ってるなんて、そんな都合のいい話はないと思うけど……」
「でも、七人も揃ってるならあと一人も、って考えることもできますよね」
「同じ痣を持つ者同士は惹かれあうとかなんとか、いずるさんが前に言ってたんだよねー」
「あの怪しさ大爆発のことですか」
「なんか的確な表現だ」
「ありうるわね、根拠はないけど」
「……だったら!」
 るいが身を乗り出す。
「探しに行くとか言い出しますかこの乳筋単細胞」
「そうそう! るい姉さん肉体派だし、身体を動かす方が性に合ってる!」
「肉体派、確かに」
「単細胞、オツムが足りない、バカ、あんぽんたん、ものは言いようですね」
「いただけないバリエーションの豊富さ」
「ね、どうかな!」
「どうかな……と言われても」
 思わず言葉を濁す。確かに八人目探しは必要だろうし、絶賛油売り中の僕たちができることと言ったらそのぐらいだ。
 ……結果がどうなるかは別にして。
「ここでグダグダしてるのも二人に悪いしさ。ね?」
 るいは自分の思いつきにすっかり乗り気、ルンルン気分で周りに振る。
「それは言えてますね……どうでしょうか、花鶏センパイ」
「いいんじゃない? 行ってくれば?」
 意外にも、花鶏があっさり賛成した。
 ……どっちかというと『早く行けこのヤロー』的な雰囲気が滲んでいる。大分ストレス溜まってるっぽい。花鶏に一番負担がかかってるから当然なんだけど……悪いなぁ。
「そうね、私もその方がいいと思うわ。八人目がどんな子なのか興味あるし」
 伊代も賛成。居残り組二人がOKするなら、外出組にやめる理由はない。
「おーっし! じゃあ、ちゃっちゃっと!」
「ウデがなりますですよー!」
 承認を得て、るいは今にも走り出しそうな勢いだ。こよりも外に出られるのが嬉しいのか、準備体操がわりにくるくる回る。
「茜子はどうする? 行く?」
「行きますよ。辛気臭い上にセロリ臭い、ここの空気も吸い飽きました」
 こちらはめんどくさそうに腰を上げる。
「これ以上変態が増えるのはご勘弁願いたいですが、カモが増えるのは大歓迎です」
「……なんか今、一気にやる気が減退しそうになった」
「トモは?」
「え? そりゃ、もちろん行くよ」
 僕も誘いを蹴る理由はない。むしろ、行かないといろんな意味でまずいだろう。
「じゃあ、僕たちは八人目探しということで」
「頼んだわね」
「まかせなさーい!」
 どーん、と胸を叩いてふんぞり返るるい。
「……ただし、必ず四人一緒に行動すること。それぞれ分かれて捜索とかバカなマネはしないでよね」
 浮足立つ僕たちに、花鶏が冷えた目で指示を飛ばす。その目に灯るのはバリバリの敵意、守らなかったら殺すと言わんばかりだ。意味するところを全員が感じ取り、無言で頷く。
『一緒にいること』……それは絆の確認であり、相互監視の状態でもある。
 これ以上裏切られたくないという不安が作り上げた鎖。裏切られた苦しさを共有するからこその鎖。
 表面上はいつも通り、呪いからの開放に邁進する六人。明るく楽しくがモットー、行動には常に遊びの意欲を忘れずに。
 けれど、欠けた一人が残したしこりは、ひっそりと、時にはあからさまに、僕たちに影を落としている。
 こんなぎこちなさが、本当にみんなの役に立つ日が来るのか……僕にはやっぱりわからない。


 というわけで、とりあえず街に出てはみたものの。
「……探すって、どうやって探そうか」
「トモちん、任せた」
「いきなり丸投げされたー!」
「つまらない案を出したらストレスと性欲が最高潮に達しているエロ大帝の前でストリップショーの刑で」
「それはいやぁ! 死んじゃう!」
「勢いこんで出てきましたけど、何も手掛かりがないとツライですねー」
 ぶらりぶらりと商店街を歩きつつ、ちらちらとあちこちを見回す。といっても、方向性さえ定まらないようじゃ当然有益な情報も手に入りようがない。四人それぞれ、なんとなく気になるものを探すものの、そんなやり方で成果が出るはずもなく、暇つぶしが外になっただけの無益な時間が過ぎていく。
 ……個人的には、有益な情報に入ってこられても困るんだけど。
 みんなが知らない八人目―― 姉さん。絶対に出歩かない上に、居場所は惠の家。探したって見つかりっこない。
 かといって適当に探し回って成果ゼロ、というのもまずい。どうにか上手いこと、近づきすぎない程度で諦められるようにしないと……。
「うーむ」
 思わせぶりに腕を組む。理屈っぽい探し方と、姉さんに近づかないで済む方法の二軸を一気に走らせる。新たな板挟みの中、丸く収まる方法を急いで探す。
 茜子がいるから、下手に嘘でごまかすのも危険だ。となれば『本当だけど全てじゃない』作戦でいくのが無難か。
「まず、噂の八人目さんは呪いの痣を隠してると思うんだよね」
「見た目では判断できないってことですか?」
「うん。だから、痣を持つ人を探すのはあまり効率が良くない」
「オーソドックスなところから来ましたね。それで、次は」
「発想の転換をする」
「ほ?」
「つまり、呪いからじゃなくて、能力から探すんだ。みんな、結構能力を使ってるでしょ? ちょいとばかし常識外れの技の持ち主を探していけば、ぶつかる可能性はそれなりにあるんじゃないかな」
「なーるほどー、さすがはトモ!」
「八人目さんが能力を大っぴらに出してるとは限らないけど、闇雲に探すよりは効率的だと思う。というわけでいかがでしょうか」
 妥協案的にまとめて提示、顔を見回す。
 ……三人の表情からして、一応の評価は得られた模様。
「うっわひねりなくてマジつまんね、な王道理屈ですが、最初の試みとしてはアリですね」
「いいと思います、鳴滝めは賛成です!」
「私も賛成! やっぱりトモは頼りになるー」
 茜子の反応がとても刺々しい気がするものの、話をまとめることには成功した。
 人知れず、ほっと胸をなでおろす。この方法なら、惠や佐知子さん、浜江さんに聞きこみをしない限り姉さんの情報は出てこないだろう。もちろんその三人に聞くなんてありえるはずもなく。姉さんへの道は閉ざされた……と思う。
 みんなを正解から遠ざけたのは悪いけど、こればっかりはしょうがない。何せ、姉さんは人に姿を見られるだけで呪いを踏んでしまうんだ。
 それに……姉さんを隠している惠をみんながどう思うか、考えたくない。
 ……頭痛の種増え過ぎです。望んでやってることとはいえ、そろそろ鎮痛剤が欲しくなってきた。
 なんて裏事情は胸の奥にしまいこむ。
「じゃあ、みんなで『変わったことをしてる人』の調査開始!」
「おー!」
 やると決まれば即実行。
 るいは見た目に変わったことをしてる人探し、こよりと僕は聞きこみ担当、茜子は怪しい相手のウソ発見器と、それぞれの役割をこなしはじめる。
「おお! トモあの人! 手を触れないで人形操ってる!」
「いや、あれ手品師」
「智センパイ、朗報です! この近所の喫茶店に、夜な夜なあらゆる女性をオトすスーツの青年がいるとのこと!」
「それ多分ホスト。あとこよりん、オトすとか使わない」
「あそこにいるおばさんデート商法ですね。言ってることの九割が嘘です」
「……いや、そこ見抜いてもしょうがないから」
「他人の不幸は蜜の味」
「あっちは? なんかトランクが浮いてるよ!」
「それ路上パフォーマー」
「智センパイ〜……あそこにいるお坊さんに話しかけたらなんだか頭が……あれは能力……」
「……多分慣れない読経に混乱してるだけだと思う」
「電信柱の陰の見るからにダメなヤンキー、今日の獲物ゲット目前」
「何見抜いているの!?」
「ダメ男に引っかかるダメ女を観察しようかと」
「全然関係ないよ……」
「能力がいわゆる魅了系の可能性もありますよ。まああのアホ面見れば違うって一目瞭然ですけど」
「相変わらず鬼だ」
 ……あれこれ手を広げてみるものの、当然ながら決定打はない……ものの面々は興味しんしんであっちに首を突っ込みこっちにインタビューを繰り返す。なんとなく、探すことそのものに楽しみを見出し始めてる感じだ。
「この街、意外と変わったことしてる人いるんだねぇ」
 押し売りからパントマイマーまで散々回り、るいが感嘆の呟きを漏らす。
「確かに。今までそういう目でこの街を見たことなかった」
 タネも仕掛けもあると知っていても、動く人形や突然孵る卵は不思議だし、パントマイマーは空気椅子でくつろいでいる。学校から家まで一直線だった昔や、七人で過ごしたころはわからなかった街の多様性をこんな時に知るとは。
「私たちは極上の変人ですが、並レベルの変人はゴロゴロいますね」
「なんだか少し大人になった気がします」
「ああいうのやってみるのも面白いかな」
「あーいうのって、大道芸的パフォーマンス?」
「そうそう!」
「確かに、るいセンパイ似合いそうです」
「まさに道化」
 るいが路上パフォーマンス……うん、相性はよさそう。あまり能力を使いすぎるのもよくないけど、たまに披露する程度なら面白いかもしれない。
「私さ、趣味でベースやってるんだけど、その時にちょっと手品組み合わせたりとか」
「空中からベースが飛び出してくる、的な?」
「おおー、それいいねぇ!」
「楽しみにしておきましょう、恥公開ショー的に」
「よーっし、やる気沸いてきた!」
「そのやる気の方向は違う気がする……けど、いっか」
 脱線するのはいつものこと。脱線すればするほど調子が出てくる。
 そう、この雰囲気がいい。深刻にならないで、ネタと笑いを分け合っていく、この関係が――
「……鳴滝こよりちゃんかい?」
 ―― 横槍に、足を止める。
 振り返ると、冴えないサラリーマン風の中年男性が一人。背広を雑に肩にかけ、こよりを見ている。
「……誰? こよりんの知り合い?」
「あ、いえ……覚えがない、です……どなたでしょうか?」
 見知らぬ他人に流れをぶつっと切られ、不機嫌になるるい。切り替え早く敵意をまとう。
 こよりも困惑している。どうやら、本当に知らないらしい。
 ……頭の隅で、カチカチ音がする。
 この人、どこかで会ったことがあるような……?
「おっちゃん、誰?」
「ああごめん、君たちに会うのは初めてだったね。俺は三宅。しがない三流記者だよ」
 男性は親しげに話しかけてくる。
 ……三宅。
 引っかかる。間違いなく、僕はこの人に会ったことがある。それも決して遠くない昔……どこ、だっけ?
 記憶倉庫をひっくり返しているうちに、三宅と名乗る人はこよりの前まで進み出てきた。慌てて割りこむるい。
「こよりんに何か用?」
「そんなに警戒しないでくれよ。こよりちゃんのお姉さんと仕事で付き合いがあってね、話はよく聞いてるんだ」
 ごそごそと背広の胸ポケットから名刺を取り出す。
 名刺には『鳴滝小夜里』の文字。こよりのお姉さんの名前らしい。
「お姉ちゃんの知り合いの方、ですか……でも、私に何の用ですか?」
「この間仕事で会ったときに、君のお姉さんから伝言を預かってきたんだ。なかなか家に帰れないし、電話もできないからって」
 言うなり、名刺をひっくり返す。まっ白な面にはメモ書きにしては奇麗な女性の字が書かれている。定規で罫線を引いたかのようにまっすぐな字の並びが、書き手の几帳面さをこれでもかとアピールしている。
「これを、君に」
 受け取るこより。数秒、直筆の面をじっと見つめる。それを見守る四人。
「……間違いありません、お姉ちゃんの字です。『危ないことはしないように。こちらも全力を尽くすから』だそうです」
 そう言うと、再び名刺に視線を落とす。
「……お姉ちゃん……」
「こより……」
 そういえば、こよりは呪いについてお姉さんに相談したんだっけ。まだ探してくれているんだ……こよりのこと、本当に心配してるんだろうな。
 ……だけど、こんな形を取らなくてもいいのに、という思いも少なからずある。
 どんなに忙しくたって、電話一本入れるぐらいはできる。こよりは携帯を持ってるから、出なくても留守電に入れればそれでいいはずだし。少なくとも、他人を巻き込むより確実なはずだ。
 それを、なぜ三宅さんにわざわざ……。
 悲しいかな、名刺の裏のメモ書きは、存在そのものがこよりとお姉さんの距離を象徴してしまっている気がした。
 喜びたいのに、喜べない。こよりはそんなあべこべな表情を浮かべている。
「えと、三宅さん、でしたよね? ありがとうございます」
 ちょっとの間をおいて、気を取り直すこより。ちょっと苦めの笑顔で三宅さんにお礼を言う。
 察したのか、三宅さんはぽりぽりと頬をかきながら、同じく苦笑いをする。
「いやいや、お姉さん直々でなくて悪いね」
「それは仕方ないです。お姉ちゃん、忙しいですから」
「そこには書いてないけど、都合がつけば近いうちに食事でも、って言ってたよ」
「え、本当ですか!?」
「ああ。その時はまた連絡するってさ」
「そうですか、ありがとうございます!」
 ぱっと花開くようににこやかになるこより。
 距離があっても、人づてでも、会える可能性があるのが嬉しい……そんな感じだ。こより、お姉さんっ子なんだな。
「そう言ってもらえると、俺も君を探したかいがあるってもんだよ」
 こよりの反応に、三宅さんも満足そうだ。
「おっちゃん、こよりんのこと探してたの?」
「そりゃね。お姉さんからの伝言預かったんだ、渡さないわけにはいかないだろ? なかなか見つからなくて結構苦労したんだよ」
「ここしばらくヒッキーニートしてましたからね」
「学生はニートじゃありません! ……多分」
「君たち探すのに何日もかけたからねー、見つかってよかった」
「なんだ、意外にいい人だ」
 こよりんに影響されたのか、るいが警戒心を緩める。
「意外にってのはひどいなー、三流記者は気配りがないとやっていけないんだ、このぐらいは当然だよ」
「三流記者は胡散臭い職業だと思いますが」
「こら、茜子」
「……」
 るいとこよりとは対照的に、茜子はかなり不機嫌……というか、不満げだ。何か感じ取るものでもあるんだろうか?
「そうだ、そこの店でちょっとお茶でもしていかないかい? お姉さんとはまた会うから、こよりちゃんの代わりに近況報告するよ」
 そんな茜子の挙動はさておき、三宅さんはさらに笑顔で誘ってきた。
「おお! おごってくれるのおっちゃん!?」
 お茶、の単語に反応するるい。
「かわいい女の子におごるぐらいの懐の深さはある、大船に乗ったつもりでどーんと頼んでくれよ」
「おおお! やっぱりおっちゃんいい人だ!」
「……なんという単純思考」
「犬以下の餌付けしやすさですね」
「鳴滝、お姉ちゃんに報告したいことがたくさんあります、お願いします!」
「よし、そっちの二人はオッケーね。こっちの二人は?」
「行きますよ、もちろん」
「放置してるとどこに売り飛ばされるかわかりませんし」
「あれ、なんか俺の印象悪くない? だーいじょうぶだって、話をしたいだけだからさ」
「そーだよ、いこいこ! あの店のホットサンドすっごいおいしいんだよ!」
「……はい、ほどほどに」
「ええ、ほどほどに」
 店に向かって歩き出す三宅さんに、ノリノリのるいとこより、ちょっとテンション低めの僕と茜子が続く。
 ……まあ、この三宅さん、悪い人ではないとは思う。ただ、こよりのお姉さんがメモを託すとか、どこかで会った気がするとか、なんだか引っかかる点が多い。
 茜子の場合は……なんだろう? あとで確認した方がよさそうだ。
 変な方向に繋がっていかなければいいけど……。


「うーっ、まいどー! うっまいどー!」
 るい満足、大満足。
「……すみません、ちょっと頼み過ぎですよね」
「いやいいよ、ははは……育ち盛りの子は食べた方がいいし、はははははははははは」
 三宅さんはちょっと冷や汗をかいている。予想外の出費だったんだろう。
 ……僕も伝票見て青くなったし。喫茶店にあるまじき額、おそるべし食欲魔人。
「ねえねえトモ、このロコモコセットもおいしそう!」
「まだ食べるの!? しかもごはんもの!?」
「るい姉さんのお腹は白米がなければ満足しないのじゃ!」
「……あの、三宅さん」
「いいよいいよー、もうこうなりゃいっくらでも」
 かなりヤケ入ってる。流石にかわいそうになってきた。けど、僕らには一円も出させないと言いきってる以上、あまり口出しするのも逆に悪いだろう。その辺はプライドもあるだろうし。
 ちなみに僕と茜子、こよりはお茶一杯で遠慮している。暴走中なのはるい一人。一度気を許した相手にはとことんフレンドリー、お腹はいつでもフリーダム、それがわれらがるい姉さん。
「ご愁傷様です、三流記者」
「まぁ……スクープ取るために三ツ星レストランで身銭切らされることもあるからさ、それに比べたら……ははは」
「大変な職業なんですね」
「記者っていうとかっこよくカメラ構えてるようなのを想像するかもしれないけど、大抵は俺みたいな地味で地道な草の根活動がメインだからねぇ」
 たまんないよ、と軽く愚痴りつつ、コーヒーを飲み干す。
「まあ、こんなかわいこちゃんの姉妹愛の橋渡しができるんだから、悪いことばかりじゃないよね」
「ありがとうございます、お姉ちゃんの会社大きいし、その……気軽に会えないですし」
 言葉を濁しつつ、嬉しそうに話すこより。
 るいが散々食べている脇で、こよりと三宅さんはしっかり話しこんでいた。メモを託されるだけあり、三宅さんはこよりのお姉さんのことも、会社のこともかなり詳しく知っているみたいだ。こよりの疑問に答えつつ、こよりから的確に言葉をを引き出していく。それが逆に話しやすいのか、こよりはいつも以上に雄弁になっていた。
「……」
 僕は特に出番なし、茜子は相変わらず平坦な表情の中に疑惑を混ぜつつ、場のお飾り状態を続けている。僕が気にすることと言えばこよりが呪いのことを漏らさないかだけど、お姉さんが話題のメインだからそっちの方向に行く気配もあまりない。
 ……ターンが回ってこないって、案外退屈だ。
「ロリロリ、今日はよく喋りますね」
「三宅さんが引き出してるからね。記者だけあって、聞き出すレベル高いよ」
「こういうとき、一流よりも三流の方がタチが悪いですね」
「……茜子センサー、結構引っかかってる?」
「それなりに。まあ、今のところそれほど害はないようですが」
 三宅さんは危ない、と示唆する茜子。
 るいが他者に向ける警戒心と、茜子が向ける警戒心はタイプが異なる。茜子の場合、能力を使った上での判断だから、信憑性は高い。
「そんなに悪い人には見えないけど」
「悪く見える悪い人はそんなに悪くないですよ。それはただの脳足らずです」
「手厳しい」
「私は、こういうタイプの方が手ごわいと思います」
「……わかった。気をつけとく」
 茜子がそこまで言うんだ、三宅さんには信用できない何かがあるんだろう。
 だとすれば、何故僕たちに近づいてきたのか。まさか、こよりのお姉さん自慢を聞きに来たわけじゃないだろうし。
「……ところでさ。ちょっと話変わるんだけど」
「ほえ?」
「今日君たちに会ったついで、と言っちゃ失礼かもしれないけど……ちょっと頼みたいんだけど」
 唐突に、三宅さんが話を振ってきた。
「いいですよー、私たちに答えられることならなんでも!」
 そろそろ話題も尽きてきたこよりはあっさりと受諾する。
「そう、それは助かるよ、それじゃ――」
 茜子が僕のスカートをつまんで引っ張る。危ない、という合図。
「―― 才野原惠って子、知ってる?」
「え!?」
 予想だにしなかった人物の名に、心拍数が跳ね上がった。
「知ってるでしょ? 彼女に関して、君たちにお願いしたいことがある」
 僕たちの答えを待たず、さらに畳みかけてくる。
「な……」
 ……そこで、脳が記憶をはじき出す。
 そうだ、この人……!
「三宅さん、確か前に――」
「あー、ああ! そうそう、君だったね! 俺もどこかで見たことがあると思ってたんだ!」
 呼応するように答える三宅さん。
「あれ? トモちん、三宅のおっちゃんと知り合いなの?」
「知り合いというか……前に、惠の家に取材申し込みに来た日に会ったことがあるんだ」
「取材?」
「そうなんだよねー、あの時はけんもほろろに断られちゃってさ。まさかあんなにキッパリ断られるとは思わなかったよ、ははは」
 鼓動が重苦しい音を響かせる。
 まさか、こんな形で再会するなんて……。
 なかなか気付かなかったのは、あの時いきなり剣呑になった惠に気を取られていたからだろう。今なら惠が断固拒否した理由もわかるけど、当時はとにかく意外で、断られた側のことはすっかり抜け落ちていた。
 でも、あれからかなり経ってるのに、まだ追いかけてるんだろうか……?
「あの時は単純に、この街のパンフレットを作ろうとかそんな企画でさ。知る人ぞ知る名所探し! みたいなノリだったんだけどね」
 追加のコーヒーをオーダーし、水を飲む。さっきまでと雰囲気が違う……スクープを狙うプロの目だ。
「ま、断られたし、その話はご破算になったんだよ。規模の大きさの割に目立たないし、地元の名士ってわけでもないし、載せる価値はあまりないってことになってさ」
 目だけで僕たちの表情をうかがう。いかにもという風に背中を曲げ、声をひそめる。
「ただ……最近、新手の依頼が来てね。今度は郷土紹介とかじゃなく、もうちょっとキナ臭い方面で」
「キナ臭い、ですか」
「そう。とにかく、あの家もあの家の住人も謎が多くってね。近所づきあいは悪いし、表立っては出てこない。しかも、あれだけいい家なのに、どうやってあの家を買うだけの財をなしたのかが全然わからないときてる」
「……でも、お金のこととかは惠の叔父さんがやったことじゃないんですか? 惠がそれに関係しているとは」
「そう、そこも問題なんだよ。いまどき養子なんてめったに取らないでしょ? なんで彼女が養女になったのかとか、その辺りの事情を知る人もいないんだよね。そこまで徹底した秘密主義……怪しいと思わない?」
「……」
 怪しいのは当然だ。惠の家は表沙汰にできないことが多すぎる。ただでさえ惠と姉さんという呪い持ちを抱える家、二人を守るために隠れていたって何の不思議もない。
 だけど、それは触れてはいけない事情。少なくとも、三宅さんのような一般人に知られてはならない謎だ。
「……変な話ですね。それなら探偵にでも任せておけばいいでしょう。あなたみたいな三流記者が追うことではないです」
「痛いところ突いてくるねぇ」
 遠回しの牽制を苦笑いで流す。茜子の意図を汲んだものの、引く気は全くない。
「君の言う通りなんだけどさ、今のご時世、探偵って高いんだよ。特に今回みたいなケースなら、百万単位で突っ込むより俺みたいなしがないフリーの記者を使った方が安くつくってわけ。ガードの固さ半端ないから、俺も面倒な仕事引き受けたなとは思ってるんだけどさ」
「だったら諦めればいいじゃないですか」
「そうはいかないよ、前金もらっちゃってるし。というわけで、お願い」
 ばた、と両手をテーブルに付く。
「おじさんの一生のお願い! ここの食事おごりと寸志で、彼女と直接会う場を作ってくれ!」
「……そんな」
「……無理だよ」
 断ったのは、僕でも茜子でもなく、るい。
「まあ、今日会ったばかりの俺と彼女を引き合わせるってのはちょっと抵抗あるかもしれないけど、そこをなんとか!」
「なんとかって言われても、無理なものは無理」
「そこをもう一声!」
「一声、じゃなくて。私たち、もうメグムの仲間じゃないから」
「……るい……」
 断固とした強い口調。
 さすがに予想してなかったらしく、三宅さんは目を白黒させる。
「あ、あれ? でも、ちょっと前まで君たちが一緒にいたって情報は入ってきてるんだけどな」
「ちょっと前まではそうだよ。でも今は違う。あいつは敵」
「そ、そうなのかい? 彼女、君たちと仲良くしてたっていうし、友情ってそんな簡単に途切れるものでもないと思ってたんだけど」
「友情なんて最初からないよ。あいつは私たちを利用してたんだ、裏切ったんだ。もう二度と顔だって見たくない」
 譲らない。三宅さんの頼みを断るためではなく、惠との仲を否定するために、るいははっきりと言い切る。
「……るいセンパイ……」
「……」
 こよりは泣きそうにゆがめた顔、茜子は物静かな顔で押し黙る。
「こっちにも色々事情があるんです。そのへんあまり深入りしないでもらえますか」
 僕はといえば、これ以上傷口を広げないようにするので精一杯。
 ……否定したい。惠は敵じゃないって言いたい。
 でも、るいに説明するには出せる情報が少なすぎる。言ってはならないことが多すぎる。
 もどかしさと悔しさで、奥歯に力が入る。
「あ、ああ、そうだね。ごめんね、ちょっと無神経だった」
 一気に気まずくなった空気にヤバイと感じたのか、三宅さんはすぐに謝ってきた。
 過去の記憶と茜子の忠告が引き金になったか、勘が反応する。
 押すところは押す、引くところは引く……心得てる。
 まずいな、相手のペースに持ちこまれそうだ。流石は記者、簡単には逃がしてくれそうにない。
「じゃあ、彼女について何か知ってることはないかな? とにかく情報がなくてなくて参ってるんだよね。あの家に何人住んでるのかとか、家政婦さん達のフルネームとか、そんなのでもいい」
 今度は別方面から食い下がってくる。優しさをにじませつつ困り気味に寄せた眉、すまなさそうな表情は逆にこちらから拒否の手を奪う。
 しかも―― 一見簡単そうなその質問に、るいが反応した。
「なんだ、そのぐらいなら教えられるよ」
「ちょっと、るい!」
「いいじゃん。おごってくれるし、おっちゃん悪い人じゃなさそうだし」
「これだから犬ッコロは」
「本当に、本当に些細なことでもいいんだ。頼む、このとーりっ」
 今度は両手を合わせて深々と頭を下げる。喫茶店という人目に付く場所でこれをやられると、無下に断ることもできない。しかもるいが話す気満々、完全に三宅さんペースだ。
 胸の奥で舌打ちする。
 ……おそらく、最初から惠の情報が目的だったんだろう。でなければここまで食いついてこない。知っていればと後悔しても後の祭り、既にただでは済まないところまで来てしまっている。
「……僕たちだけじゃ決められません。みんなで相談します」
 携帯を取り出し、花鶏の番号を呼び出す。
 ……とにかく、時間稼ぎを。惠と姉さんとあの家に、これ以上被害が及ばないようにしないと――


「いやぁ、助かったよ! これだけいい情報、まさに大収穫!」
 三宅さんはホクホク顔。決して安くない七人分、実質十人分以上の勘定を払ったのに、とことん上機嫌だ。軽く万を超えたけど、情報料と考えれば比較的安価な部類に入るのかもしれない。
 情報料―― 惠の、あの家の情報料。
 敗北感に胸が締め付けられる。
「感謝しなさいよね。こよりちゃんに軽々しく声をかけるなんて、本来ならそれだけでビルから突き落とすレベルの無礼なんだから」
「最近の若い子は怖いなあ。これからは気をつけるよ」
「花鶏にしては珍しいよね、男の人苦手なんじゃなかったっけ?」
「当たり前でしょう、汚らわしい」
「……ほんっと、怖いなぁ」
「あまり気にしないでください。その……もともとこういうタイプなので」
「全然フォローになってない」
「それにしても、そんなくらいの情報でほんとにいいの?」
「十分十分。何せこれだって俺一人では集められなかったんだよ、感謝してもしきれない」
「OK、茜子さん理解しました。あなたは無能です、ゆえに生涯三流」
「それは言わない約束でしょー」
「約束した覚えはないですが」
「……あの、お姉ちゃんへの伝言も、よろしくお願いします」
「ああ、もちろん! 予定はもうちょっと先なんだけどね、明日にでもアポなしで行ってみるよ」
「はい、お願いします」
「……」
 喉に言葉がつっかえて気持ち悪い。目の奥が振動して頭までしびれてくる。意識は明瞭、ただ、無力感に眼前が歪む。
 全員で相談して決めよう―― そこに抑止力を期待した僕の読みは甘かった。
 声が大きく勢いに乗っているるい、『ラトゥイリの星』の解読担当というアドバンテージを持つ花鶏に組まれたら、残りのメンバーは抵抗手段がないも同然だ。三宅さんの頼みを断る明確で切実な理由がないからなおさら。僕は明確な理由を持っているものの、言えない理由は力を持たない。
 結局、二人に押し切られるまま、同盟メンバーが知る『惠に関する客観的情報』のほとんどを提供してしまった。
 不幸中の幸いは、その『客観的情報』が本筋に触れないものだったこと。僕だけが知る情報はもちろん伝えていないし、呪いに関することはさすがに伏せられた。実際に役立つものといえば、家政婦さん二人のフルネームと、僕たちが入ったことある範囲内での家の見取り図ぐらい。
 ただ、自称三流とはいえ、三宅さんは間違いなくプロだ。些細な情報でもそこから手を広げてくるだろう。
 それに、何より……惠を売るような事態になってしまったことが、アスファルトで拳を割りたくなるほど悔しかった。
「それじゃ、俺はこの辺で失礼するよ。長々と時間とらせて申し訳ないね」
「いいってことよ! またおごってね、おっちゃん!」
「ははは、それはちょっと遠慮したいかな」
「正直だ」
「あの金額見れば正直にもなるわよね」
「じゃ、また」
 背広を担いで身を翻す三宅さん。手を振るるいには、欠片の悪意もない。
「―― 待ちなさい」
「ん?」
 ふいに、花鶏が呼びとめた。
「ひとつ、聞き忘れたことがあるわ」
「俺にかい? 何かな」
 髪を風に流し、すらりと尖った意志が一歩進み出る。
「あなた、あれのことを調べてどうする気なの」
「どうするもなにも、俺は依頼された身だからね。集めた情報は依頼人に渡すよ」
「……そう」
 腕を組み、思案顔の花鶏。棘のある感じに目を細めつつ、じろりと三宅さんを見回す。
「ひとつ、取引をしない?」
「……花鶏……?」
 取引……男嫌いの花鶏が、三宅さんと取引?
 珍しいなんてものじゃない、嫌な予感がするほどにありえないことだ。
「俺とかい? それはまた」
 スクープの匂いを嗅ぎつけたか、三宅さんの目に真剣さが宿る。
「さっき話してて思ったんだけど、私たちも結局のところ、あれについて何も知らないに等しいのよね。つまり、あなたの依頼人同様、あれの情報に興味がある」
 淡々と提示する、冷えた瞳。それは三宅さんとの距離の表明であると同時に、話題の中心、惠への反感を漂わせる。
「だから、こういうのはどうかしら。あなたはあれについて調べた情報を私たちに提供する。私たちはその情報の真偽や詳細についてあれに問いただす。悪くない条件でしょ」
「ちょ、ちょっと花鶏!?」
 とんでもない提案に思わず割り入る、けれど花鶏はこっちを向こうともしない。
「どうかしら?」
「……そりゃ、それができるならありがたいけど……でも君たち、彼女とはもう接点がないんだろ?」
「今はね。ただ、作るのは不可能じゃないわ。あなたを会わせるのは無理でしょうけど、智やこよりちゃんなら、あれのガードも緩くなる」
「ま、待ってよ花鶏、勝手に話を進めないでよ」
「智は黙ってて。あれについて知りたいのは私たちも一緒でしょ? だったらこの探偵もどきに調査させた方が効率がいい」
「だからって!」
「双方にとって、金銭授受より効果的な提案よ」
「花鶏センパイ、さすがにそれはいきすぎですよ!」
「そうよ。そりゃ、あの子は悪いことしたけど、ものには限度があるわ」
「猪突猛進はマジで手に負えませんね」
「花鶏、落ち着いて」
「私は落ち着いてるわよ。理屈で考えて最善を選んだだけ。……さあ、どうするの?」
 花鶏は僕たちの制止を全く意に介さず、一人で三宅さんと交渉を進めてしまう。
 彼女が信じる血筋と聖痕へのこだわりが、ねじ曲がり、黒々しい動機に変質していく。単なる個人のプライドの域を超え、ズファロフ家の全てを背負う苛烈さで、花鶏は惠を憎む。他人の意見に耳など貸さない、孤高のお嬢様は自らの判断だけに直進する。
 ……こんなの。
 こんなの駄目だ、駄目なのに――!
「花鶏……!」
「……わかった。その条件、飲もう」
 たっぷりの、その大部分は作戦だろう時間を置いて、三宅さんが頷いてしまう。
「事情はわからないけど、要するに、君たちは才野原惠にひどい目に合わされたんだろう? そういう輩を許しちゃおけないからね」
「三宅さん……」
『そういう輩』。今まで一度も使わなかった、明確な侮蔑の単語。
 彼の言葉の選び方も、細部にわたって手が込んでいる。それと気づかせずに相手の気分を盛り上げ、都合のいい方向へ誘導する。花鶏の提案は、三宅さんにとって願ってもないものだろう。
 ……口の悪い言い方をすれば、嵌められた。
「そう。じゃあ交渉成立ね」
「ああ。俺も男だ。プライドにかけてあの家の秘密を暴いてみせるよ」
「プライドにかけてとか自己申告する男のプライドほど薄っぺらいものもないですけどね」
 慣れてきたのか、茜子の毒舌はさらっと無視。三宅さんはいかにも熱血記者のように背筋を伸ばし、颯爽と背を向ける。
「よし。じゃあ、何かわかったら連絡するよ。楽しみにしててね」
 ひらひらと手を振り、人並みの中に消えていく。
「……」
 握りしめた手のひらに爪が食い込む。
 ……あっちの思惑通りになったとはいえ、彼はあくまで、自分の仕事をしようとしているだけだ。善悪ではなく、単に仕事の理論で動いてるだけだ。
 だからこそ、どこまで掘り下げてくるかわからない。
 花鶏もるいも、意味もなく惠を責めているわけじゃない。
 だからこそ、ブレーキが利かない。
 誰か一人が悪いわけじゃない。だからこそ、事態はより複雑に、見えにくい形で悪化する。
 坂を転げ落ちる錯覚。
 惠が、姉さんが……僕の大事な二人が、当人たちの知らないところで、悪夢に巻き込まれていく。