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after Birthday ※視点は惠

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僕の考えた惠ルート ※視点は智

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chapter 51 


 僕を見下ろす虚ろな微笑みは、浮世離れではなく、浮世を捨ててしまったひとのもの。焦点は合っているのに何も見ていない瞳に、彼女の感情が砕け散り、崩れ落ちてしまったのを悟る。
 どんな目に合っても、引きちぎられる痛みを受けても、死に瀕してなお、惠の瞳には生命力があった。意志があった。
 それが――たった今、消えた。
 最悪は終わらない。断たれた大切なひとの命は、もう一人の大切なひとの心を道連れにしたんだ。
 ……あるいは、それが姉さんの目的だったのか。
 自分が死んだあと、万に一つも惠が幸せになることのないよう、惠の心を完膚なきまでに――
「惠……」
 呼びかけが震える。
「智。君の最愛の姉の命は食われたよ」
 こともなげに言う。感情を抑えたのではなく失った、棒読みよりもさらに平坦な声が溶けていく。
「悔しいだろう? 復讐したいだろう? 幸い、そこに剣があるし、殴るも蹴るも自由だ。遠慮も我慢も要らない、思う存分、憎しみに身を焦がし、発散させるといい」
 育てられ、満ちていた心の代わりに宿るのは狂気。姉さんに灯っていたそれよりさらに刹那的で虚無感に満ち満ちた粘る影が、惠という存在を作りかえていく。
「犯人にまだ利用価値があるのが口惜しいだろうね。まあ、いかなる姿であろうと役目を果たしさえすれば問題はない。血まみれであろうと、欠損していようと、腫れあがり見るに堪えない醜悪な姿であろうと構いやしないし、その方が皆も喜ぶだろう。君の前に居るのは皆の敵、君が何より憎む畜生だ。それらしく汚したほうが気分がいいんじゃないか?」
 すらりすらりと、淀みなく紡がれる呪詛。
 そこにあるのは優しさや気遣いではなく、後悔や懺悔でもない。正気ですら、ない。
 正気ではないけれど――まぎれもなく、本気。
 僕に自分を痛めつけろと、仇を討てと迫るその言葉は、縁起でも煽りでもなく、彼女の本心から生み出されたもの。
 つまり、惠の中には、もう――……
「!」
 ポケットに入れていた携帯が震える。取らなくてもわかる、同盟からだ。
 ――事実を何一つ知らず、期待と希望に胸ふくらませる電話。
 沈黙と血の匂い、惑いの香が混ざり合い充満する離れの中、無機質なバイブレーションが鈍く空気を震わせる。
 時は止まらないし、この場にいない人に状況がわかるわけもない。
 きっと、電話からは嬉々とした報告が飛び出すだろう。
 ……今は、そんなの聞きたくなかった。
「……取らないのかい」
「用件、わかってるから」
「はは、神様は全てお見通しというわけか」
 惠も電話の相手に気づいたのだろう。軽く笑い、壊れた障子の向こうに視線を向ける。
 姉さんの返り血と、惠自身が吐き出した血で染まった紅のブラウス。生理的な嫌悪感を呼び起こすに十分すぎる衣装を身にまとい、彼女はゆるりと立っている。惨劇の現場でリラックスした立ち姿は、おぞましさと紙一重の凛々しさ。
「……ようやく、皆に幸福が訪れる」
 感慨深そうに呟く惠。
 表情はいっそ晴れやかですらある。同時に、真空を思わせる。
 血に染まった手を僕に差し伸べるようにして、惠は言葉を紡ぐ。
「真耶の死で、君に能力が宿ったはず……さあ、その力で夢を見よう。誰も傷つくことのない、鮮やかで輝いた正夢を」
「……め、ぐ……?」
「君たちのための、非の打ちどころのないハッピーエンドを謳おう」
 彼女の言葉がきっかけになったのか……再び、未来図が展開され始める。
 もちろん、惠には僕の能力を操作する手だてはない。それでも、彼女のナビに合わせるようにして未来は描かれる。
 壊れてなお、言霊の扱いに長ける彼女。確固たる未来のイメージを持たない僕。主導権は、壊れた惠の方にある。
 己を見失い、心の芯が折れた彼女が望むのは――
「るいには、手帳のひとつも買ってあげるといい。明日も明後日も、手帳が真っ黒になるほどスケジュールを埋め尽くしてあげるといい。朝も昼も夜も、彼女の未来に形ができる。指きりも、気の済むまでできるようになる。予定と約束で溢れた日々の中、彼女は今以上に明るく晴れやかに日々を楽しむようになるよ」
 弾ける笑顔。可愛いチェックの手帳を開いて、奇麗とは言えない字で埋め尽くされたスケジュールを眺めるるい。花鶏や茜子に使い方の荒さをからかわれながら、小さな予定をどんどん書き足していく。見せびらかされる月間予定のページは、るいが渇望し続けた約束の花束だ。
 ――六人が、それを見つめて笑いあう。
「花鶏は外面的にはいつもどおりかな? プライドの高さは一朝一夕に変化するものでもないからね。でも、素直にみんなを頼るようになる分、同盟はより居心地良く、和気あいあいとするだろう」
 セクハラ無双の花鶏。その姿は相変わらずだ。でも、表情からは神経質な険しさがなくなり、雰囲気がのびのびとしている。僕や茜子にからかわれたり、るいとケンカしたりしながらも、まんざらでもないと髪を風に流す。笑顔には解放感。
「こよりには、あらゆる娯楽施設を案内してあげるといい。買い物でもいいし、映画でも、遊園地でもいい。彼女が喜ぶ場所はこの街にも、その外にも溢れている。どこへだって行けるようになるんだ、一緒に新しい景色を見に行ってごらんよ。知らない土地を行ける幸せを噛みしめながら、彼女は嬉々として駆け回るだろう」
 パンフレットやらガイドブックを抱えて駆けてくるこより。ああでもないこうでもないと行き先を物色しながら、まだ見ぬエンタテイメントにに想いを馳せる。キャラクターもののテーマパークに目を輝かせ、ここがいいと指差して、全身で期待を表しながら跳ねまわる。
 ――六人が、それを穏やかな笑みで見守る。
「伊代は嬉々として君たちを呼ぶだろう。名前が呼べるようになれば、距離も縮まる。今以上に気配り上手になるかもしれないな。委員長気質は少々パワーアップするだろうけど、それはそれで、きっと楽しい日々になる」
 ガミガミモードでみんなを正座させて、一人ひとりに説教しだす伊代。一番声が大きいのは名前を呼ぶ時。怒ってはいるけれど、名前を呼ぶごとに落ち着いてくるのか、苦笑いに変わっていく。お小言が終わったらおやつの時間、本場パティシエのケーキメニュー片手に、にこやかに注文の電話をかける。ダイエットコールに青くなるのもお約束。六つのケーキが届けられ、彩りよく並んで乙女のティータイムを演出する。
「茜子のことは、とりあえず抱きしめてあげたらどうかな。頭を撫でたり手をつないだり、思う存分スキンシップを取れるだろう。最初は嫌がるかもしれないけれど、じきに慣れるよ。案外、みんなにくっつきたがったりするかもしれないね」
 ちょこまかちょこまか、視覚を上手くつきながら膝カックンやら目隠しやらを敢行する茜子。イタズラに花鶏や伊代は顔をしかめるものの、すぐに顔を緩ませる。こよりと小さいもの同士謎の手遊びをしたり、るいがくすぐられて笑い転げたり、なぜか僕が狙われたり。和気あいあいと顔を突き合わせて、六人はじゃれあいながら時間を過ごす。 
 何事もなかったかのように。
 ……欠けた一人を、忘れてしまったかのように。
「央輝も、説得次第で君たちの中に入れるだろう。同盟での日々は、きっとまんざらでもないよ」
 無理矢理引っ張り込まれる七人目。噛みつきそうな態度を取りながらも、用意されたお菓子やらお茶やらに目を輝かせて、いつの間にやら用意された定位置についている。
 用意されている席はそれで埋まる。かつて呪われていた女の子たちの集いは、それで完結。
「もう、何にも心配いらない。怯えなくていい、君たちは両手で、全身で、自由を謳歌できる」
 惠は語る。穏やかに、幸せそうに。
 狙い通り自分を憎むようになった仲間たちの幸せを口の中で転がし、目を細める。そこに皮肉は微塵もない。まぎれもない本心から導き出した切なる願いを語り、虚ろな瞳で世界を見る。
 ……その未来に欠けたピースを、必要ないと切り捨てる。
「そして、智。君だ」
「……」
「君はついに、男の子に戻れる。誰にも嘘をつかずに生きていけるようになる。みんなは一旦はショックを受けるだろうけど、それで君を手放したりはしないだろう。むしろ、君に好意を抱くんじゃないかな。賑やかで大変だろうけど、今までと一味違った、充実した日々を過ごせるようになる。みんないい子たちだ、君が誰を選んだとしても、きっと祝福してくれる。誰に咎められることもなく、新しい縁を繋ぎ、末長く想い合えるようになるよ。君にとってこれ以上の幸せはないだろう?」
 呪いなき世界。僕たちが求め続けてきた理想郷。
 光のない瞳、屈託のない満面の笑み、僕の、皆の未来を祝福する惠。
 惠が描くのは、どうしようもないほどに明るく、希望に満ちた日々だ。さっき姉さんが絶望で塗りつくした未来を、色鮮やかで心躍るものに描き替えていく。
 自分のいない未来を、死後の物語を、語り続ける。
 ……失われるのが、さも当然のように。
「惠……」
「ようやく希望が拓けたよ、智」
「……」
 肯定も、否定もできない。
『希望』――ああ、確かにそうだ。僕たちはそれを求めてきた。
 呪いのない世界という希望を渇望してきた。
 ……呪いを解く代償、惠の命という生贄の存在を知らずに。
「そんな顔をしないで……嬉しいんだろう? だったら笑うといい」
 生きるために必死だった惠が。
 みんなとの日々を宝物にした惠が。
 僕との触れ合いを心の支えにした惠が。
 その全てを、自分の命ごと『なかったこと』にしようとする。
 そんなものは価値がないのだと、消えてしかるべきなのだと、消えた世界こそ美しいと――
「智、君は長い長い悪夢を見ていたんだ。そこからようやく醒めるときが来た。つまらない日々などさっさと捨て去って、同盟の仲間たちと共に生きるんだ。ここでの日々のくだらなさに呆れるだろうし、新たに得る経験の魅力は君を捉えて離さないだろう。真耶の存在は、時として君を悲しませるかもしれない。けれど、君が笑って暮らすことこそ、彼女への最大の花向けになる。仇も討てるんだしね」
 狂気の祝詞。暗に含む、自分自身への果てしない絶望。
 今の惠にとっては、自分のいない世界こそが理想の世界なのだろう。
 愛された喜びも、繋いだ手も、重ね合ったぬくもりさえも、今の惠に生きる気力を与えはしない。
 そして……彼女はもう、そこから抜け出す気はない。
 形は予想通りではなかっただろう。姉さんを殺し、道連れ状態で壊れるなんて思ってなかっただろう。
 だけど――ある意味で、これは惠の望み通りだ。 
 手紙の中で、惠は悲鳴を上げていた。
 死にたくないと。
 ――死にたいと思えるようになりたい、と。
「め、ぐ」
「仇を取って、呪いも解ける。最高のシチュエーションだろう?」
 さも当然のような口調は、自己暗示の意味など欠片もない、ただの念押し。
 ――終焉を望んでしまった彼女の、意志表示。
「……惠、さん……」
「佐知子さん!」
「惠さん、そんな……呪いを……」
 僕らのやりとりをいつから聞いていたのか……佐知子さんが震えた声で呼びかける。彼女の手にあるのは、既に意味をなさない包帯や救急用具。
「ああ、そうだ佐知子。君に伝えておかなければならないね」
 惠は佐知子さんの方に向き直る。虚ろで優しい、見る者を悲しませずにはいられない笑みを貼りつけ続ける。
「僕のベッドの下に贈与契約書がある。準備はできているから、後で自分の印鑑を押して役所に持って行ってくれ。浜江にも同じものが用意されている。死亡届は出さない方がいい、相続になると面倒だからね。贈与の形にしておけば、この屋敷の財産は問題なく君たち二人に受け継がれる。自由に使うといい」
「惠さん!」
「この屋敷も、売りに出せばそれなりの値段がつくだろう。利便は今一つだけれど土地が広いし、建物も気に入る物好きがいるかもしれない。利益は君と浜江で折半……いや、彼女たちに少し分けてあげてくれ。これからは行けるところもできることも増えるんだ、初期投資は多い方がいい」
 台本を読み上げるようにして今後を託そうとする惠。もちろん、佐知子さんがそれを受け入れられるはずもない。
「……いやです、駄目です……私も、皆さんも、惠さんがいなくなるなんて」
「死にゆく人間のことなど気にしても何の役にも立たないよ。君も皆も、死に損ないの化け物に縛られ過ぎた。ようやく解放されるんだ、喜んでくれ」
「喜べるわけありません! 私は惠さんに救われたんです! 惠さんのところ以外、私の行くところなんて……!」
「世界は広いよ、佐知子。君を待っている人も、君が行ける場所も山ほどある」
 浮かべている笑顔に、感情の揺れはない。情念そのものの佐知子さんの声でさえ、枯れ果てた惠の心の上を素通りしていく。 見慣れたものとよく似た微笑み。けれど、生命力を失ったそれはどんな表情よりも恐ろしい。
「心配はいらない。手順は全て整っているよ」
「惠さん……そんな、いつの間に……」
「さあ、いつからだろうね」
 正答を期待しない問いが、くすくすという小さな笑い声と共に絡みつく。
 惠が歩くのは、自分で敷いた死のレール。
 贈与に相続なんて、普段の僕たちには全くと言っていいほど縁のない話だ。意志を持って調べ行動しなければ、口にすることすらできないような手続きの話。
 それを語れる惠。妄想ではなく、予定として出せる惠。思いつきや見切り発車ではない、綿密な準備の結果を提示する。
 ……惠は、ずっと前から死のレールを敷いていたのか。
『自分の死後』の後始末なんて、相当な決意と覚悟がなければできない。生き難さに苦しみ、生きたいと渇望しているならなおさらだ。
 惠にとって、それはどれほど心を削る行為だっただろう。自分が潰える可能性が高まるたび、どれだけ泣きたかっただろう、止めてほしかっただろう。
 ……そうでもしなければ、待ち受ける運命に太刀打ちができなかったのか。
 惠は生きたがっていた。仲間に出会い、僕と出会い、日々を、現在を刻み続けられる幸せに全身を浸していた。
 だからこそ。
 いずれ訪れる死への道を、自分で歩かずにはいられなかった。
 彼女はいつでも迷い続けていたんだろう。黙っていても訪れる未来に怯え、死の道を作ってしまったんだろう。生きたいという渇望との矛盾を知りつつ、少しでも楽になろうと、覚悟を決めようとしてしまったんだろう。
 そんな彼女の葛藤に、誰も気づかなかった。引きちぎられていく想いを見落としてしまった。
 だから――彼女は、負けた。
「!」
 再び、携帯が鳴る。
 ……まずい。
 みんなが来たら完全におしまいだ。呪いを解こうとするみんなと死ぬ気満々の惠、どうやったって儀式は止められない。
 そして、儀式が終わったら、そのとき惠は――
「智。君が取らないのなら、僕が」
「だめ!」
 裏返った声で制止する。
「でも、みんな待ちくたびれてしまうよ? こよりが呪いに追われてるんだ、早く解いてあげた方がいいだろう?」
「だめったらだめ!」
 駄々をこねるようにして抵抗する。
「……智。君は、みんなを幸せにしたくないのかい?」
 心底不思議そうに、怪訝な表情を見せる惠。自分の命を完全に度外視した反応だ。
 その表情を見れば見るほど、吐き気を伴う激情が意識をかき乱す。
 生きる意欲を失った惠。にじみ出るのは無気力ではなく、歪んだ意欲。
 呪いを解いた先に、惠の生きる世界はない。
 ……なのに、惠はそれを望む。ひび割れた心に侵入した、確固たる歪んだ意志で自らの死を望む。
「さあ、智」
 首を振る。
 惠が望む未来。皆が望んだ未来。
 それは確かに、最大多数の最大幸福。
 だけど、だけど、そこに君がいなかったら――……!
 
 ぱちん、と。
 惠が眠る未来図がはじき出される。

「――……」
「……え?」
「惠さん……?」
 ふらりと、惠の身体が傾く。糸を切られた人形のように急激に倒れこみ――
「惠っ!」
 慌てて抱きとめる。……大丈夫だ、呼吸はしっかりしてるし、体温も平熱に近い。
「ど、どうしたんですか惠さん……!?」
「……なんか、疲れて寝ちゃったみたいです」
 あからさまに出まかせじみた説明をしつつ、彼女の身体を横たえる。
 規則的に胸を上下させ、安定した息使いで瞳を閉じている惠。
 ……完全に寝入ってる。さっきの状態からは到底考えられないほどの深い眠りだ。
 ……眠った……眠らせた……?
「……命を乗せても、すぐには回復されませんから、その関係でしょうか」
 惠の状況を確かめ、佐知子さんは不安九割安堵一割のため息をつく。
「こんな風に、急に寝ることはよくあるんですか?」
「いえ、これが初めてだと思います。それに、発作の時は苦しみながら眠られますから、こんな風には……」
「……そうですか……」
 ということは、やっぱり僕の能力が原因か。
 おでこに手を当てたり、髪を梳いてみても起きる様子はない。しばらくはこのまま寝ていてくれそうだ。
「……智さん」
 似たようなことを思ったのか――佐知子さんが僕の目を見据える。
「多分、これが最後のチャンスです」
「……」
 こんどこそ、本当に最後のチャンス。
 姉さんに闇に引きずり込まれ、死を呼び寄せ続ける惠。心の芯が欠落してなお変わらない頑固さは今見た通り。僕たちの説得は通じず、解呪条件はそろい踏み。
 ただ、当事者たる惠が参加できない状態ならば、呪いは解けない。
 ……彼女が物理的に身動きの取れない今だけが、最後にして最大の自由時間。
「惠さんはお部屋に運びます。真耶さんのことは、とりあえず私と浜江さんにお任せ下さい。……今は、今はとにかくみなさんを、惠さんを」
「――わかりました」
 はっきりと頷く。
 手が思いついているわけではない。逆転の目があるかどうかもわからない。
 けれど――絶対に、惠を諦めたくない――!
 
 
 瞳を閉じて、瞑想にふける。やり方なんか知らない、手本もない自己流だ。
 みんなには、惠の説得に手間取ってるからしばらく待機しておいてと伝えておいた。下手に人数が増えると刺激するから来ないようにと念を押しておいたから、多少は時間稼ぎができたはず。それだって、長くて一時間。それ以上は待たせられないだろう。
 残された時間は少ない。とにかく、速攻で決着をつけるしかない。
 人気のない食堂、背筋を伸ばして椅子に座り、神経を集中させる。
 考えるのはただひとつ……惠を生かす方法。
 姉さんが亡くなり、能力は僕へと引き継がれた。まだ馴染んでいるとは言い難いけれど、今日既に何回も未来図を見て、実際に行使した分、前回よりは勝手がわかってきている。
 姉さんの話をそのまま信じるなら、僕の能力は『望みの未来を引き寄せる』。その未来は『可能性があるもの』に限られ、かつ能力を発動させたら確定するというほどの強制力はない。引き寄せた瞬間が訪れるまで何度でも修正は可能だし、意外な方向に転がることもある。あくまで歩く道筋をつける程度。
 ただ、能力の範囲は広く、対象には人体も含まれる。さっきの惠がその証拠だ。体力が回復しきってないのに精神力で立っていたところを、眠る可能性を引き寄せて眠らせた――突然の昏倒は、そう考えれば筋が通る。
 ……『望みの未来を引き寄せる』。
 僕に与えられた突破口。

 ばちん、と頭のスイッチが切り替わる。

 瞼の奥に浮かんできたのは、どこか暗い部屋で八人が手を繋いで円になっている光景。中心には青白い光の塊のようなものがあり、それを囲む形で立っている。
 それぞれが何かを宣言するたび、光は強く威圧的になっていく。一人、二人と宣言を重ね、最後に惠が何かを叫び――
「――……!」
 光の渦が消え、それぞれが歓喜に沸く中、倒れるひとがいる。満足げに目を細め、ゆっくりと息を引き取っていく。
 ……呪いを、解く未来。
「……っ!!」
 断ち切る。
 次に展開したのは俯瞰。かなり高い位置から見下ろす構図だ。バラバラと逃げ惑うみんなの姿が見える。
 これは――解かなかった場合?
 画面が切り替わる。こより。るい。花鶏。伊代。茜子。央輝。惠。それぞれが必死の形相で駆けていく。
 それを追う黒い影……奴だ。
「っく……!」
 コマギレの図が飛び交う。それぞれが呪いに捕まって、命を散らし……違う! これも違う!
 砕き、次を呼びだす。
 出てきたのは血まみれの惠と、倒れるみんなの……
 ぶるぶると頭を振って追い出す。
 次は……惠が倒れている。それを取り囲むみんな。瞳は暗く、手には石にカッターナイフに鈍器、手頃な凶器を振りおろし――
「っが、う……!」
 さらに次。血にまみれて空を仰ぐ惠、遠巻きに眺めて黙とうする一同――だから、違うってば……!
「ん、で……なんで、っ……!」
 焦りが噴き出してくる。
 導き出される可能性の羅列、けれどそのどれもが犠牲者を伴う。真っ先に命を落とすのは惠、呪いを解いても解かなくても、必ずと言っていいほど彼女は死に捕まってしまう。
 奥歯を噛みしめ、さらに可能性の束を展開していく。過度の負担に頭が割れそうに痛む。
 僕と惠、二人が歩く光景。けれど周りに同盟の姿はなく、僕たちの手にはみんなの遺品――だめ!
 逃げ続ける僕と惠、追い続ける同盟。永遠に終わらない憎しみの追いかけっこの果て――却下!
 こよりを狙う呪いの前に飛び出し、身代わりとなって惠の身体が――いやだ!
 拳に爪が食い込む。吐き気をこらえる。
 あらん限りの可能性をちぎっては捨て、ちぎっては捨てていく。
 ……出てこない。
 いつまでたっても、惠が元に戻る、笑って生きられる映像が出てこない。
 まるで、そんなものはないと言わんばかりに。
 ……せっかくの能力なのに、これじゃ意味がない。惠を助けられないんじゃ意味がない!
「……どうして……っ」
 僕がどれだけ願っても、可能性の目が見えてこない。疑問を通り越して怒りがわいてくる。
 拳を握りしめ、クモの巣の糸を数えるようにして未来を探る。変わり映えしないおしまいの羅列に手がしびれてくる。
 何がいけないんだ? 能力の使い方に漏れがあるのか? 何かが可能性を阻害しているのか?
「……」
 嘔吐感をこらえつつ、引き寄せながら思考を回す。
 ――思い出せ。姉さんが語った能力のこと。
「……」
 疑問に答えるように、姉さんの声が脳に響く。
『いくら私でも、可能性のない未来は引き寄せることはできないわ。あれが自らの破滅を望んでいたからこそ、私の能力も存分に発揮できた』
 ……。
 望んで、いたから。
 惠が、自分の破滅を望んでいたから。
 ――だから、ダメなの?
 かつては葛藤の一要素だったそれは、今や彼女の全てとなった。破滅こそが自分の道と、他でもない惠自身が信じ込んでしまっている。
 一直線に死にたがりの惠では、どうあがいても死を避けられない……そういうことなのか?
 だとしたら……まずは、惠の心を蘇らせる方が先か。
 ……でも、どうすればいい?
 姉さんの死は、どうあっても惠の心に影を落とし続ける。姉さんの最期の恨み節が引き金だったんだ、惠は僕が彼女を憎んだと思い込んでいる。そして、思い込みで耳を塞いでしまっている。
 佐知子さんの抵抗は既に織り込み済みで、その先まで予定してあった。浜江さんが説得しようとしても、恐らく同じ結果になってしまうだろう。
 僕の声は届かない。佐知子さんの叫びも届かない。
 惠を想い、惠を大事にしようとしてきた人たちの声は、今の惠を支えられない。
 ……じゃあ、誰なら止められる?
 彼女が予想していなくて、かつ他人でもなくて、一人でもなくて――……
「……」
 ――目を、開く。

 ――いる。
 惠を止められるひとが、いる。

 簡単なことじゃないか。
 惠の心は誰が育てた?
 彼女はこの屋敷で、誰と笑いあっていた?
 彼女は、僕を誰のところに帰そうとしていた?

 惠は、僕だけのものじゃない。
 
 そうだよ。
 僕は誓った。
 みんなは誓った。

『一人はみんなのために
 みんなは 一人のために』

 視界に飛び込んでくる一冊のノート。
 僕らの運命を狂わせた元凶にして、今、この運命を切り開く一枚の切り札。
 
 乱暴に掴み、扉を開けて駆けだす。
 信じるべきは、覚えたての能力なんかじゃない。
 育んできた日々がある。捻じれ歪んで壊れても、消えはしない日々がある。


 天気がいいというのに、この場所はほのかに暗さが残る。太陽の位置もあってか、奇麗に影が伸び、流れる水の匂いが僅かに漂ってくる。
 コンクリートの階段を下りていくと、みんなは待ちかねたと待ちくたびれたの間の表情をしていた。
「ここに来るのも久しぶりだよね」
「暫定的処置なんてそんなものでしょ」
「日影なのは助かるがな」
「走りやすいから、鳴滝はキライじゃなかったです」
「改めて来てみると、いかにもアングラって感じよね」
「ま、なんか思惑があってこの場所を選んだんでしょう。いかなるときにも裏の意味やらムードやらを忘れないのが腹黒の腹黒たるゆえんですから」
「……なんか散々な言われよう」
「関係ないところに呼び出してる時点で弁明の余地はないです」
「……まあ確かに、用件に関係はないかも」
 コンクリートにローファーの音を響かせていく。
 僕がみんなを呼びだしたのは、かつて集った高架下。僕たちが最初に溜まり場にしていたところだ。屋上を見つけて以来全然訪れていなかったけれど、足を踏み入れれば途端に懐かしさがこみ上げる。
 スプレーでいたずら書きした壁には埃と誰かの足跡。打ち捨てられた粗大ゴミは雨風を多少受けたのか、黒ずみが激しくなっている。視線をやれば、水場にはあの時とは違う背丈の草花。誰に見られることもなく、うつろう季節に寄り添っている。
 茜子の言うとおり、場所は大切。大イベントを引き起こす気ならなおのこと大切。
 いきつけだった屋上ではなく、花鶏の屋敷でもなく――あえて、僕はここを選んだ。
『……案内してあげようか?』
 今も頭の奥に残る、強烈すぎる最初の記憶。
 ここは――僕と惠が、初めて出会った場所。
 初対面のときは、まさか女の子だとは思わなかった。だというのにいきなり告白されるわ理由はネジが五本飛んでるわで、第一印象は評価不能、二度と会いたくない知り合いリストの殿堂入りだった。
 そんなところから始まった二人。次に出会ったのはパルクールレース。胡散臭さ満点の、けれど頼りになる助っ人は、持てる力を仲間のために使ってくれた。
 そう、出会いの時点から、僕たちは二人のようで二人じゃなかった。僕の後ろには同盟があって、惠の後ろには姉さんがいた。
 呪いという他者の介在を拒む特性を持ってなお、僕たちは『ただ一人』ではありえない。だから傷つき、ぶつかり、亀裂が走り、痛みは溢れてしまった。
 その状況を、不自由と言うこともできるだろう。
 だけど、僕はこうも思う。
 僕たちをここまで引き上げてくれたのは仲間だ。
 ……僕たちを最後に助けてくれるのも、やっぱり仲間なんだ、と。

 一歩一歩、みんなとの距離を詰めていく。
 呼吸を整えながら、今まで刻まれてきた出来事を反芻する。過去の先にある今を見据える。
 
 間違っていたのは誰だったのか。

 ……みんなだ。
 僕も、惠も、同盟のみんなも、姉さんも、佐知子さんも、浜江さんも。みんなみんな、すこしずつ間違えた。

 いいや。
 そもそも、正しいことなんかこの世の中にない。
 善悪も正誤も、対比の中で「そういうことにした」だけのこと。もっともらしい理屈を付けようと、とどのつまりは後付け、自己弁護。百パーセントのハッピーエンドはありえない、最大多数の最大幸福は、少数の不幸の上にしか成り立たない。

 誰ひとり、正しくなかった。
 だから、みんな自分が正しいと思いこんだ。
 人は『正しさ』という物差しを作りたがる。メートルでもセンチでもない、自分で作った目盛りを基準に、長い短い、多い少ない、正しいおかしいを判別しようとする。
 仲間が集えば物差しは太くなる。ただ、三人寄れば文殊の知恵とは言うものの、精度が上がる保障はどこにもない。
 けれど、寄り集まった物差しは力を増す。数という力を得て、『正しい』という思いこみを強めてしまう。
 みんなは今、「惠が悪い」という物差しの中にいる。それを根拠に彼女を倒そうとしている。
 惠は「自分が悪い」という沼に沈んだ。それを根拠に、自ら毒杯を煽ろうとする。
 一致してしまったのは利害。僕らの原動力は、無意識に信じ込んでいる正しさではない。
 
 ノートを抱える手に力が入る。

 みんな、間違いの中で生きている。
 その間違いを――間違いなんだと、知ってほしい。
 間違いだからやっちゃいけないなんて言う気はない。正しい選択など存在しない。
 僕たちは間違いを積み重ねて未来を創る。
 僕が今からやろうとしてることだって、みんなからすれば完全に間違いだ。
 得られたはずの幸せ、非の打ちどころのないはずの解決策に楔を打つ。
 せっかく拓けた希望の道に立ちはだかる――かつての惠の立ち位置に、今度は僕が立つ。
 知ることと変わることは違う。全てを知ったところで、呪いなき世界は相変わらず魅力的だし、天秤を持ち出せば惠は振り落とされるだろう。
 それもまた、未来のひとつの可能性。

 だけど、そうじゃない可能性もあるはずだ。
 あるとしたら、それは……僕ではなく、彼女たちが導くもの。

 僕は驕っていたんだ。
 惠は、僕一人で助けられると思っていた。
 彼女を助けるのに、みんなは要らないと思っていた。

 ……そんなはず、ないじゃないか。
 僕らは同盟だ。
 手を取り合った運命共同体だ。

 ……惠を救うのは、一人では、なく。


「それで、あれの説得は終わったの?」
 めんどくさい、と表情にありありと浮かべる花鶏。散々待たされて興を削がれたと言わんばかりだ。
「すっごい心配したんだよ! またトモちん一人で行かせちゃって大丈夫かなとかさ」
「口の上手さであなたたちに敵う人はいないでしょうけど……でもやっぱり、一人じゃ大変かなって思ったわよね」
「いざとなればふん縛っていうこと聞かせればいいのに、はっ、面倒なことだ」
「そういうやり口で言うこと聞くタイプじゃないですけどね」
「……あの……智センパイ、惠センパイは……」
 みんなが好き勝手言う中、不安げに見上げてくるこより。呪いを踏んだ彼女にとって、惠が協力するかどうかは文字通り命にかかわる大問題だ。一刻も早く色よい返事をもらって解放されたい――それは当然の願いだし、叶えてあげたいと思う。
 ……だけど。
「……惠は了解してるよ。今行けば、喜んで呪いを解いてくれると思う」
「そうなんですか!?」
「あら、あれだけ抵抗してた割には随分あっさりじゃない」
「話せばわかってくれたってことなのかしら」
「どういう条件を出したか知らないが、案外簡単に折れたな」
「トモちん、それ本当? ウソついてたりしないよね?」
「嘘じゃないよ。惠は本心から呪いを解きたがってる。――ただ」
「ただ?」
「……」
 ぐっ、と顔を上げる。
 七人の視線が突き刺さる。彼女たちはまだこちらに敵意を持っていない。それなのに、鋭さの予感に心臓が収縮する。やっぱり黙っていようか、その方がみんなも傷つかない――弱気の虫が心を跳ねまわる。
 足の裏がコンクリートに張り付き、吸い込まれていく錯覚を起こす。重力が急に倍加したみたいだ。
 ……この期に及んで、ようやく実感する。
 相手を不快にさせるとわかった上で手を打つ苦しさ。
 希望を乗せた波をせき止める罪悪感。
 せっかく得た仲間に弓を引く恐ろしさ、やるせなさ。
 七つの視線に決意が揺らぐ。僕の根性がヤワなのもあるだろう、でもそれ以上に、みんなの反応の予測に背筋が凍る。
『みんなに、死を望まれるのが怖い』
 惠の手紙の一節を思い出す。
 ……ああ、なるほど。
 惠は、これが怖かったのか。
 僕が、惠が恐れるのは、呪いでも、運命でも、死でもない。
 ……心を許した唯一無二の、仲間たちだったんだ。
「――もう一度、考えてほしい」
「考える? 何を?」
「……」
 茜子に視線を送る。茜子は数秒僕と見合った後、今までで一番深いため息をつく。
「OK、茜子さん理解しました。このバカ、ミイラ取りがミイラになるを体現しやがりました」
「……どういうことよ、智」
 一気に険しくなる花鶏の視線を受け止める。お腹に力を入れて、よろめく心を押しとどめる。
「呪いを解くな、とは言わないよ。僕にそこまで言う権利はないし、惠からそう頼まれたわけでもない。さっきも言ったとおり、惠は呪いを解きたいと思ってる。……そう思えるようになるために、今までひとりぼっちで頑張ってきたんだ」
「……まどろっこしい。とっとと結論から言え」
「……うん、そうだね」
 央輝のイライラに、話を回りくどくしようとしていることに気付かされる。内心感謝しつつ、唾を飲みこんで気持ちを落ち着ける。
 静かに、ノートを掲げる。
「……トモちん、それ……!」
 即座に反応するるい。こくんと頷いて、みんなの顔を見回す。
 ――おそらく、惠は僕のこの行動を予想してはいないだろう。彼女は僕がすべてを受け入れ、死を後押ししてくれると思い込んでいる。
 ……冗談じゃない。
 惠の願いは叶わない。
 ……叶えてなんか、やるもんか。
「今から、僕の知る限りを話す。その上で考えて、決めて欲しい」
「決める……って、何を?」
「――惠を、殺すかどうかを」


 涙は出なかった、出さなかった。
 男女の別なく、『涙を流すひと』は強力な精神的拘束力を持つ。青天の霹靂に泣き顔が負荷されれば、話の内容にかかわらず聞き手の心情を左右する。
 それは卑怯な、みんなを惑わせてしまう手だ。一度は効果を上げたとしても、やがてはより深い亀裂を生む。
 だから、使わない。
「惠は、一度も僕たちを裏切ってない。裏切るふりをすることで、僕たちの後押しをしてくれていたんだ」
 極力感情を抑えこんで、淡々と、事実を並べていく。
 あの日、惠が実際に行なった行動。
 みんなを騙してまで離れようとした理由。
 彼女が『本当のこと』を言わない、言えない理由。
 そして……呪いが解けたその時、彼女の命が終わること。
「にわかには信じられないと思う。僕たちはあまりに多くを知らなさ過ぎたし、惠はあまりに多くを隠し過ぎた。今明かすのは最悪のタイミングだってこともわかってる。だけど、もう今しか残されてないんだ。後から『知らなかった』と後悔しないためにも、惠という人間を、もう一度見てほしい」
 惠を助けたい。彼女に生きていて欲しい。
 僕の願い。惠自身の意志に逆らってでも叶えたい渇望。そのためなら手段は選ばない。
 ……選ばないからこそ、『解かないで』の一言を飲み込み続ける。
 言ってしまえば、みんながそこに追随しかねない。狙い通りとも言えるけど、そこで生まれる意志は『みんなが決めたこと』ではなく『和久津智の意志が強化されたもの』になってしまう。それじゃ意味がない。
 ――みんなが、みんなの意志で選んでくれなきゃ、意味がない。
 僕がみんなに迫るのは、あと一歩で得られる平穏を捨てるという選択だ。それは惠を生かすことに繋がるけれど、みんなが危険に晒され続けることにもなる。
 選んでもらえる保証はない。いや、選ばれない可能性のほうが圧倒的に高い。そうと知っていたからこそ惠は僕たちから離れ、選ばれることのない自分を認めようとした。
 あの惠が、だ。言葉巧みに人の心を誘導できる、あの惠がだ。
 それほどまでに、惠を切り捨てるという選択は強烈な合理性と正当性を持つ。どんな解釈をしようと、その事実は曲げようがない。惠を選ぶということは、あらゆる意味でマイナスの側面の方が大きいんだ。
 それでも、可能性は現在が過去になるその瞬間まで、ゼロにはならない。
 だから、僕は僕の能力を使う。
 姉さんから借りた『未来を導く能力』ではなく――僕自身が培ってきた、『言葉』という能力を行使する。
「敵じゃなかった。惠はずっと、誰よりも僕たちの味方だったんだよ」
 みんなの表情は疑念と猜疑心から始まり、少しずつかたくなさがほぐれてくる。
 ひたすらに事実と、裏側の想いを連ねていく。
「……なん、で……? なんでそんなことになってるの? メグム、なんで……なんで言ってくれなかったの……!?」
「言えるわけないですよ。呪い踏んで追い回されてる時に『解いたら自分死ぬんで解かないでください』なんて空気読めないにも程があります」
「そうかもしれないけど、でも……いくらなんでも、ここまですることなかったじゃない」
「ここまでしないと意味がなかったってことでしょ。……見事すぎて言葉もないわ」
「余計なことをしてるのはお前の方ってことか。ハッ、あいつはいまごろ地団駄踏んでるんじゃないか?」
「僕も、自分はひどい奴だと思うよ。この期に及んでバラしちゃうなんてさ」
「智センパイ……」
「……でも、僕も嘘つきだからわかる。嘘を貫き通したところで、得られるのは虚しさだけなんだ。嘘をつくほうも、つかれる方もね」
「……ならば、そのひどい奴を貫いてください。あなたは八方美人、全員の味方なんですから」
 茜子のなんとも的確な表現に苦笑い。
「このミイラ、嘘はついていませんよ」
 補足してくれる。頷いて、語り続ける。
 三宅のこと。惠が彼を殺害した本当の理由。惠の過去の詳細はぼかしつつ、あくまで三宅の件だけを取り上げる。
 ……語ることもあれば、語らないこともある。
 惠の過去は明かす意味がないし、姉さんのことも今は言わないでおく。それはみんなを混乱させるだけだから。
 ……姉さん。
 あの場で僕を救うにはそれしかなかったとはいえ、惠が姉さんを殺してしまったのは確かだ。彼女が今まで殺しをしても捕まらなかったのは、姉さんの力添えがあったからだろう。惠は姉さんに大恩があった。僕は姉さんの能力でみんなに出会うことができた。僕たちの今は、姉さんのおかげだ。
 その恩を仇で返した――僕たちの、間違い。
 最期まで恨みつらみから離れられなかった姉さんの一生。そうさせたのは僕と惠で、終わらせてしまったのも僕たち二人。
 後悔がないといえば嘘になる。理由の如何を問わず、わだかまりはこびりつく。
 ……だけど、それとこれとは別だ。
 姉さんの死と惠は繋がらない、繋げちゃいけない。起きた事件は、惠の生きる権利も幸せになる権利も傷つけはしない。
「……」
 僕の話を聞き、肩を落とするい。花鶏は虚空を睨む。こよりはあふれる涙をぬぐい続ける。伊代はぎゅっと唇をかみしめ、茜子は静かにまぶたを閉じている。央輝は苦虫を噛み潰した顔でライターを鳴らす。
「……私たち、今まで何をしてきたのかな……?」
「別に恥じることじゃないですよ。呪いを解かなければそこのちびころりんが狙われるのは変わりません。ただ知らなかっただけ、そこの超巨大おせっかいがちゃぶ台ひっくり返して全部台無しにしたってだけです」
「……茅場の言うとおりね。私たち、別に悪いことしてたわけじゃないわ」
「そう……よね。でもこれって、違うと思う」
「くそったれが。あと一歩だってところでしっかり邪魔しやがって」
「……わかんない、です……鳴滝、どうしたらいいかわかんないですよぅ……!」
 それぞれの混乱。僕はただ、それを見守る。
 さっき能力でたぐり寄せた呪いを解かない未来は、必ずどこかで行き詰まった。こよりを、みんなを命の危険に晒し続けるのは嫌だし、惠が身代わりを買って出る可能性は大いにある。それに、呪いを解かなければ惠の病気が治るわけでもない。解決策は未だ闇の中、僕のこの行動も一時の気の迷いと言われればそれまでだ。
 結局、全ては先の見えないわがまま。
 ――だから、僕は結論は出さない。
 僕には惠を救えないから。僕の意志も力も、運命を覆すには弱すぎるから。
 ここから先は、能力の及ばない世界。
 誰かではなく、みんなが導く世界。
 胸のあたりで指を交差させ、握り締める。誰ともつかない神様に祈る。
 ――どうか。
 ――どうか、僕たちに、未来を――
「――智っ!」
「!」
 沈む空気を引き裂く、叫びと同質の呼び声。
 振り返る。
「智、なぜ……!」
 ひきつった声で、虚ろな瞳を驚愕と絶望に染めて、彼女はこの地へ戻ってくる。
「……惠」
 ……さあ。
 これで、全ての役者が揃った――