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after Birthday ※視点は惠

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僕の考えた惠ルート ※視点は智

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chapter 34 


「う、ううう〜……」
 こよりがか細い唸り声を上げつつ、僕の腕にしがみついてくる。
「そんなに怖がらなくても大丈夫だよ。まだ明るいし」
「で、でも智センパイ、ここは田松市でもヤバくて有名なところですよ……?」
「番組改編期の場つなぎ番組、警察出動24時御用達。ロリ生娘はまさに生贄の羊……くくく」
「はうぅぅぅ、茜子センパイが鳴滝を売ろうとしてますぅぅ」
「心配いらないよ。ヤバいのは特定の場所と特定の時間だけだし、学生相手の店もたくさんあるし」
「花びら大回転」
「はしたないこと言うんじゃありません!」
「あそこの路地においしいラーメン屋さんあるんだよ! ただでモヤシ大盛りにしてくれるんだ!」
「よし、夕飯はそこね」
「さっすがトモ、わかってるぅ」
「……自分の分は自分で出すように」
「えー」
「えー、じゃないの」
 きゃいきゃいとカラ元気混じりの声を出しながら、目覚める前の街を歩く。目覚める前といっても朝ではなく、夕方。
 現在地はいわゆる歓楽街、街の眠らない一角というやつだ。目に痛いカラーリングや明らかに怪しい看板が客寄せとして通用するこの界隈は、僕たちの常識とはあらゆる意味でかけ離れている。すなわち、裏と表の境界線。国籍言語外見その他もろもろ入り乱れた、犯罪のるつぼ。
 といっても、四六時中危険極まりないかというとそうでもない。裏の人というのは出番をわきまえていて、自分たちの時間になるまでは目立ったことはしないものだ。お天道様が見張っている間は一般人の人通りも多いし、学生向けの安い飲み屋が軒先を連ねる通りもある。TPOさえ間違えなければ取って食われることはない、はず。
 それに、るいがいるし、僕もある程度の護身術は身につけてる。よっぽど変な相手に絡まれない限りはなんとかなるだろう。
「しっかし、ついにこんなとこまで来ちゃったねぇ」
「正直、最も来たくないところでした。腹黒が言いだしたときはついに臓物が百均の墨汁にまみれたのかと」
「意味わかんないけど、怒ってる?」
「怒ってはいません。根拠がゼロなら夜通し円周率朗読の刑に処しますが」
「うぇ……そりはいやだ」
「地味かつ陰険かつダメージ大きいデスね」
 茜子が機嫌を悪くするのも無理はない。ここは僕たちが初めて出会った裏区域にほど近い、彼女にとっては嫌な思い出詰め合わせなエリアだ。いままで調査区域に含めてこなかったのも、リスクとトラウマとメリットを天秤にかけた結果。ここに来るのは最終手段……そんな暗黙の了解が捜索隊四人の中にあった。
 その暗黙の了解を知っていて踏み入るんだから、当然気まぐれ、なんてことはない。ちゃんと理由あってのことだ。
 一番のきっかけは昨日の夢。能力の発動によって導き出された景色は、まさにこの辺りの雰囲気そのものだった。まだ靄がかかっている感じで、並んでいる店名まではわからなかったものの、ああもどぎついネオンで治安の悪そうなところといったら、田松市ではこのあたりしかない。とすれば、このいかがわしい地区のどこかに夢で見た光景と同じ場所があるはず。見つけだした後どうするかはまたおいおい考えるとして、八人目さんが現れる場所の一つが特定できるのは大きい。
 ……という部分は言えないから、そこはすっ飛ばして三人に説明する。
 夢から特定できるのは場所ぐらいだ、今のところはヒント程度にしかならない。そこからさらに情報を引き出す手段を用意しておかないと先へは進めない。
「あれだけ表を探して見つからないんだから、やっぱり裏じゃないか、って気がするんだ」
「気がする……って、ちょっと曖昧というか弱いというか」
「勇気振りしぼるには心もとないです」
「3.141592653589799375105820974944」
「ストーップ! それだけじゃなくって! 続きがあるから!」
 おぞましい数字の詠唱を両手を突き出して制止する。
「どうぞ続きを。5923078164」
「いやだからそれやめて夢に出そう」
「出す気でやってますから」
「あーうー」
 頭を抱える。これは裏で見つからなかった場合の展開が怖い……。軽く絶望的な未来を想像してげんなりする。
 いや、能力で示されてるんだ、的外れってことはないはず。気持ちをぐいっと持ちあげる。
「とにかく、裏に焦点を当ててみようと思う。でも、ただ闇雲に探したって見つかりっこない。能力スレスレの技術持ってる人もいるだろうしね。となれば、情報源が必要になる」
「ほう」
「なる」
「それで?」
「で、考えてみたんだ。僕らと接触したことがある裏の人で、情報源になってくれそうな人」
「……あ、いぇんふぇー!」
 るいがぺこーんと閃く。
「ピンポーン、ご名答」
「あの、パルクールレースで対戦した方ですか!」
「チビロリ魔女コス女……なるほど」
「パルクールレースの時の様子からして、央輝はそれなりに裏で名が知れてると思う。名が通ってるならある程度の人脈も持ってるだろうし、そこから呪い、あるいは能力持ちの人についての情報が得られる可能性がある」
「呪い持ちを釣るためのエサにするわけですね」
「いやまあ、その言い方はどうかと思うけど」
 茜子が納得と懸念の混じった小さな息を吐く。
「案としては悪くないと思います。彼女が私たちに協力してくれればの話ですが」
 さすが、鋭い。
「……そこなんだよね……」
「そこですよねぇ……」
 そう、問題はそこだ。僕たちは央輝に力を借りたいけれど、央輝には僕たちに力を貸す理由が何もない。おまけに僕が彼女に借りを作っている状態、ゼロベース交渉は不可能と考えていいだろう。
「多分、というか確実に、彼女から情報をもらうためにはこっちも何かしなきゃいけないと思う」
「ロリカード発動ですね」
「ふぇぇぇぇ! やっぱり鳴滝めは売られるですか!」
「いや、誰かを売ったりはしないよ。それじゃ意味ないし」
「んじゃ、どーするの?」
「う」
 るいの返しに一瞬口ごもる。
 ギブアンドテイクが世の常人の常。資金が潤沢とは程遠い僕たちには『お金を積む』という選択肢はない。となれば、お金ではないものを対価に充てることになる。それも、皿洗いとか掃除とかの平和的な作業ではなく、裏で通用するような何か。
「その……能力を使って、彼女の仕事の手伝いをするとか」
「悪事の片棒を担ぐ、と?」
「……最終的にはそうなるのかな」
「賭けたくないギャンブルですね」
「あう……売られるよりはマシかもですが」
「ちょいと、結構危険だよね」
「うん……」
 自分で言っててなんだけど、気乗りはしない。下手しなくてもこちらの能力がバレかねないし、いいように使われる展開が目に見える。他に選択の余地がないとはいえ、危険極まりない。
 加えて、同盟内で賛成を得られるかという問題もある。
「花鶏センパイはOKしてくれそうな気がしますケド……」
「イヨ子は反対しそうだよね」
「反対しますね、まず間違いなく」
「その辺は、みんなで説得するしかない……かな」
「なんとかわかってもらえればいいんですが」
「まあ、あのデカパイ、押しは弱いですから。どこぞの捻じれ根性腹黒派が誘導尋問にハメれば頷くしかなくなるでしょう」
「それって説得って言わない気がする」
「逆らわれるよりマシじゃないですか」
「……」
 言葉に詰まる。
 目的のためなら手段を選ばない花鶏はともかくとして、問題は伊代だ。曲がったことやアンフェアなことが大嫌いな彼女が気安く裏稼業に加担してくれるはずがない。それは彼女の信念だから、曲げることはまず不可能だ。
 ただ、納得せずとも協力してもらう……協力させる方法はある。
『協力しなければ離脱しろ』……プライドや信念を上回る拘束力を使う方法だ。えげつないけど、この選択を迫れば伊代も折れるしかないだろう。
 離脱がどれほど恐ろしく、また仲間たちに負担をかけるか、お人好しで委員長の伊代には痛いほどわかるはずだから。
 ……そんな。
 そんな、信頼の欠片もない手段を使うの?
 胸に、また棘が刺さる。心に形があるのなら、そろそろハリネズミになってそうだ。
「依頼される内容にもよるからね。伊代の対応は依頼を受けてから考えても遅くないよ」
「それもそうだねぇ」
「下っ端のそのまた下になりますから、いきなり大役は任せないでしょうし」
「基本は楽観的にね」
 始まってもいないことを心配してもしょうがない。ぽたぽたと心に落ちる真っ黒な滴を無視し、笑顔を作る。思うことは似ているのか、みんなもそれ以上深入りはしてこなかった。
 ……呪いを解く、という未来。
 そのために僕らは手を取り合い、前に進んでいる。間違いなく、出口へと近付いている。
 けれど、解呪への道が開けるのに反比例するかのように、握り合う手の力は緩んできている。
 惠の離脱が関係してるのは間違いない。けれど、それが全ての原因とも言い切れない。
 ただ笑いあっていられた頃、何の心配もなくいられた頃―― 昔のことではないのに、あの頃の僕たちと今の僕たちは、既に何かが違っている。それを薄々感じながらも、誰もそこに踏み込まずに、踏み込めずにいる。
「とにかく、まずは央輝に会おう。会わなきゃ何も始まらない」
「なるほど、だからあえてここをうろついてるわけですね。彼女の部下に見つかるように」
「そういうこと」
 頷く。
 流石は茜子。僕の回りくどい方法に気づいてくれたらしい。
「んー? どゆこと?」
「ここでは話せないから、後日」
「ぶー」
「聞かれたら困るの、今は」
「あやしい」
「そりゃそうだよ、あやしい理由だもん」
 央輝は裏の住人、おいそれと会える相手じゃない。惠なら央輝の居場所を知っているだろうけど、この状況、加えて三宅さん包囲網が敷かれている今、彼女の助力を得るわけにはいかない。
 とすれば、僕たちのような素人に央輝を探すのはほぼ不可能ということになる。
 じゃあ、どうすればいいか?
 答えは簡単、あっちから出てきてもらえばいい。
 パルクールレースという裏ゲームに一枚噛んだ僕たちだ、この界隈に出没するようになれば、央輝に対する十分なアピールになる。最初は明るいうちに出歩いていたのが次第に夜になり、もめごとのひとつも起こすようになれば、嫌が上にも央輝が出てこざるを得なくなるだろう。
 今日ここに来たのは夢の場所を探すため、そして央輝へのパイプを作る第一歩を踏み出すため、というわけだ。
 できれば、あまり手間をかけずに再会したいところだけど……。
「んぶっ!?」
「おわっ!」
 いきなり上半身が何かにぶつかった。慌てて一歩引く。
「トモちん、ほんっとに胸ないんだねー」
「……あう」
 振り返っているのはるい。どうやら、るいにぶつかったらしい。
「固かったですか」
「うん、固い固い。体つきはしっかりしてるんだけど、胸がねー」
「そそそんな大声で言わなくってもっ」
「どうしてなんだろ? トモ、結構食べるのに」
「なんという残酷な純粋さ」
「人と人はわかりあえない、いいぞもっとやれ」
「鬼だ……って、なんでいきなり立ち止まったの?」
「行き止まりなんだよ。ほら」
 るいが指差す。
「――――……!」
 がちり、とスイッチが入る。
 周りと馴染んだいかがわしさの続く路地の突き当たり。
「トモ?」
「……ここ……!」
 声が漏れる。
 少し奥に進み、振り返ってみる。
「……ここだ」
 間違いない。夢で見た場所だ。僕が見たのは、この袋小路のつきあたりから道路側を見た景色だったんだ。
 ……あった、本当にあった……!
「猫会議で覗いたところですよ」
「え、そうなの!?」
「はい。間違いありません。そこの『荒縄緊縛道場』の看板に覚えがあります」
 さらに、茜子が断言する。
「じゃあ、ここにいぇんふぇーの部下さんたちが来るってこと?」
「あの時たまたまいただけの可能性もありますが……密談するにはよさげな場所ですし、可能性は低くはないでしょう」
「猫には思いっきり見つかってますけどね」
「下っ端なんてそんなものです」
「ぺろっと秘密を漏らして粛清されるやられ役」
「一種のにぎやかしエキストラ的な」
 軽口を叩きつつも、連射パッドモードの鼓動を抑えられない。
 夢の景色の実在、加えて茜子の目撃証言という援護射撃……もう疑いようがない。
 ほんのわずか、まだほんのわずか残っていた、能力への疑いが晴れる。
 あの力は本物だ。
 未来を見る能力は、確かに八人目を近づけている。


「じゃあねー、花鶏と伊代によろしく言っといてね」
「おっけー。帰ったらちゃんと二人に連絡しとくんだよー。こよりんもね!」
「了解であります!」
「では」
「ばいばーい」
 大通りを出て、るいと茜子と分かれる。普段なら一度花鶏の屋敷に戻るんだけど、今日はあえて現地解散という形にした。
 花鶏の家までここから結構あるから、帰って報告となると深夜になる可能性が高い。僕や家なし子組はいいとしても、こよりと伊代の帰宅が遅くなるのはまずいだろう。というわけで、収穫は明日話して、今後の展開を決めようということになった。
「じゃ、こよりんの家まで送るよ」
「ありがとうございます! 最近親がちょっと不機嫌なので……助かりますです」
「気をつけないとね」
「はい」
 二人並んで通りを歩く。暮れたての空は藍色に透明水彩の白を流したような模様で、元気のいい一番星がちらちらと光っている。
 二人とも、しばし無言。
 そういえば、こよりと二人で歩くのは久しぶりだ。ハンバーガー屋でジュースをおごってもらったとき以来かな? 花鶏の家からだと方向が違うし、今は基本的に大人数で歩くようにしてるから、二人きりというシチュエーションはほとんどなかった。
 二人きり。
 変な意味ではなく、これはある種のチャンスかもしれない。
「……あの……智センパイ」
「ん?」
「……せっかく、二人きりなので……お聞きしたいことがありますです」
 思うことは同じだったか、こよりが視線を前に向けたまま、ためらいがちに問いかけてきた。
「いいよ、何でも聞いて」
「はい。……ええと」
 さらにためらうこより。足取りが緩やかになる。それに合わせて僕もゆっくり歩く。
「……智センパイは……惠センパイのこと、どう思ってますか?」
「……」
 ああ、やっぱり。
 予想通りの質問に、きゅっと心が締め付けられる。
 惠が離脱し、るいと花鶏が堂々と惠を批判するようになってから、こよりが悲しそうな表情をすることが明らかに増えていた。表立って止めることこそなかったものの、惠の話題が出るたび、顔を伏せてしまっていた。
「確かに、惠センパイはひどいことしたと思います。智センパイのお父さんの形見を焼いちゃって、全然謝らなくて……それはわかってるんです。わかってるんですけど……」
「うん」
「それでも、惠センパイがそんなに根っからの悪い人だとは思えないんです。暴力振るったわけじゃないし、ずっと家に泊めてくれて、ごちそうもしてくれて……いいことと悪いこと考えたら、いいことの方がずっと多いんです。それなのに、花鶏センパイもるいセンパイも、惠センパイを悪の親玉みたいな扱いしてて」
「……うん」
「……不安なんです。るいセンパイや花鶏センパイを見てると、惠センパイを憎めないのが悪いことのような気がして、嫌えないことを責められてる気がして、辛いんです。でも、やっぱり違う。私は、惠センパイを悪者って決めつけられない。だって、あんなに仲が良くて、楽しかったのに」
「……うん……」
「ホントのこと言うと……惠センパイより、今のるいセンパイや花鶏センパイの方が怖いです。どうしてあんな風に変われちゃうんだろうって、あんな風に人を憎めるんだろうって……。鳴滝はコドモで弱虫ですから、強く人を嫌うことはできないし、嫌いたいとも思えないのに……」
 こよりが連ねるのは悲しみ。今の同盟に渦巻く原動力のひとつ、敵意への疑問と、抵抗感。
「智センパイはどうですか? やっぱり、惠センパイは悪い人だと思いますか?」
 視線を感じて横を向く。
 こよりは目に涙を溜めながら、一世一代の賭けのような必死な表情で僕に向き合っている。
 ……喉の奥が詰まって、鼻がつんとする。
 裏切り―― 惠が見せた大芝居。
 そこから生まれた黒い気持ちに乗る人もいれば、乗らない人もいる。こよりのように、黒い気持ちそのものを拒絶する人もいる。
 人の心はわからない。十人十色、動きも行く末もバラバラだ。
 ……ああ、そうだ。
 言葉はとても不自由で不完全なコミュニケーションツール。その力は絶大で、濁流を、荒波を造り出す。けれど、言葉は全ての人を押し流すことはできない。
 そして、想いは誰かに聞いてもらって初めて意味をなす。いかに強かろうと、外に向けて放たなければないも同然。
 こよりの目を見つめる。
「……僕は」
 何度も自分に言い聞かせてきた芯を口にする。こよりと、その向こうに広がる世界に向けて宣言する。
「僕は、惠を信じてる。今までもこれからも、ずっと信じてる」
「信じてる、ですか」
「うん。惠がしたことは変えられない。でも、彼女は僕たちの味方だよ。今もずっと、僕たちの仲間だよ」
「智センパイ……」
 喉につかえていたものが、お腹の奥底まで落ちてきた。
 そう、信じてる。誰が何を言おうと、僕は惠を信じている。
「だから、今むやみに惠を憎もうとする必要はないと思う。こよりはこよりの気持ちに素直にしてればいい。まあ、るいや花鶏に突っかかるのはおススメしないけど」
「あの二人に勝負を挑むのは危険であります」
「危険っていうか、自殺行為」
「あううぅぅ」
 目をぐるんぐるんさせる。想像するだけでおぞましいらしい。
「おとなしくしてれば噛みつかれないから大丈夫」
「まるで猛獣のような……猛獣ですね」
「色んな意味でね」
「ですね」
 二人して、軽く苦笑い。
 ものごとには、流れがある。
 個々人が何を思おうが、流れにそって事態は動く。今の流れの主軸で最重要人物が花鶏である以上、花鶏の意志で流れは決まってしまう。
 でも……流れがどうあれ、人の心は十人十色。
「……こより」
「なんですか?」
「……ありがとう、惠を嫌わないでいてくれて」
 こんなことを感じては不謹慎なのかもしれない。
 でも、嬉しかった。
 惠の欠片が、みんなと笑っていた彼女が、こよりの心で息づいているのが嬉しかった。
「鳴滝の方こそ、ありがとうございますですよ。ここ最近ずーっとずーっと不安だったのです」
「うん、大丈夫。少なくとも僕は、惠を嫌うことはないから」
「はいです! えへへ、智センパイは心強い味方であります」
 こよりが笑う。僕も笑う。
「ねえ、智センパイ」
「ん?」
「惠センパイ、帰ってきますよね。また、みんなでわいわい遊べる日が来ますよね」
「うん、来るよ。絶対」
「はい!」
 笑顔が咲く。しばらく見ていなかった、こよりの屈託のない微笑み。
 そうだよ、これが必要なんだ。
 同盟に必要なのは、目的でも、憎しみでもなく、分かち合い、広げあえる笑顔なんだ。


『めずらしいわね、あなたが電話をかけてくるなんて』
「ちょっとね」
『みんなの前で話せないことなの?』
「んー……話せないというか、とても個人的なご意見伺いなので」
『あなたがそう言うと、なんだか裏があるような気がしてくるわ』
「伊代さんってば手厳しい」
『ふふっ、冗談よ』
「伊代が冗談を言った! 明日は雪が降る!」
『……何よ、私だって冗談の一つや二つ言うことあるわよ』
「うん、いつもの伊代で安心した」
『……? 何が?』
「こっちのこと」
 どこからからかわれてるのか判ってない辺りがとても伊代らしい。ソファに身を沈めつつ、携帯片手に天井を見上げる。
 こよりを送り届けて帰宅し、花鶏に帰宅連絡をして数時間後。夜もとっぷり更け、健全系テレビも終わりにさしかかる頃、伊代に電話をかけた。
 電話の目的は悪いことへのお誘い―― ではなく。
「ちょっと、伊代に聞きたいことがあるんだ。今忙しくない?」
『さっきお風呂上がったところだし、大丈夫よ。何か相談でもあるの?』
「相談というか、伊代の意見が聞きたいんだ」
『私の?』
「そう。あのね、」
 一呼吸置く。
「……伊代は、惠のことどう思う?」
『……どう、って?』
「まあ、ぶっちゃけていえば好きか嫌いか、腹立ってるか立ってないか、やっつけたいかやっつけたくないか、など」
 回りくどいことをしてもしょうがないので、直球を投げる。
『……』
 受話器の向こうで、伊代が眉を下げているのが見える気がする。あまり良い返事は期待できないなと思いつつ、応答を待つ。
 こよりの気持ちを聞いた後、どうしても伊代に話がしたくなった。
 正確には、同盟内での惠の立ち位置を再確認したくなった。
 るいと花鶏の意見は聞くまでもない。茜子は中立、こよりは若干惠寄り。ここまで把握できていたら伊代の話も聞きたくなるのが腹黒情報屋の性。
 それに、正直なところ、今の同盟は以前に比べ居心地のいいものではなくなってきている。
 作業の負担のバランスが悪いのもあるし、八人目探しが難航しているのもある。
 けれど、それはあくまで表面的な理由だ。もっと深いところ、根っこの部分の齟齬がぎこちなさを生んでいる。
 根っこの部分―― 信頼や友情という単語で表わされる、僕たちの絆。
 ほとんど無意識に創りあげてきた、孤独な僕たちの理想郷。
 そこにヒビを入れたのが惠だ。
 ……いや、違う。惠の離脱はきっかけに過ぎない。
 あれが発端となって噴き出した、一人ひとりの心のありよう。仲良きことは美しきかなで済まされた頃には見えていなかった、お互いの黒い部分。それが今、絡み合う心をきしませてしまっている。
 こんな状態を放っておいていいのか―― いいはずがない。
 だから、伊代の気持ちを聞きたかった。彼女もこより同様、あまり大きくものを言わなくなっている。
『私はね……理由が知りたい、かな』
「理由?」
『そう。だっておかしいもの。あの子、なんだかんだで色んな事考えて動くでしょ? あんな行動、思いつきでやるとは思えないわ』
「……なるほど」
『あの行動は、正直許せないと思う。でも私たち、あの子の気持ちを何にも聞いてないのよ。理由もわからないのにいきなり放り出された感じで、どうしたらいいのかって思う。怒ってる二人も怒ってるばっかりで、本人に問いただそうとしないし』
「そういえばそうだね」
 確かに、るいも花鶏もカンカンに怒ってるけど、惠に直接対決を挑もうとはしない。花鶏は『ラトゥイリの星』の解読の方が優先と判断し、るいは一度嫌ったら顔も見たくないと全面拒否に入るタイプだからそうなっちゃうのか。
 会わないからこそ、溝が広がる。これも一つの真理だ。
『ただ、彼女は口が上手いから、私じゃ丸めこまれちゃうと思うのよね。彼女と張り合えるのってあなたぐらいでしょ』
「あのバリアフィールドを壊すのは骨が折れます」
『そうよね』
「……はぁ」
 思わずため息。そう、るいや花鶏とは違った意味で、惠は難攻不落だ。
 ……なにせ、身体に訴えるという最終手段を使わざるを得なかったぐらいだし。惠が離脱を望んでる以上、対話のテーブルについてくれるはずもない。
『……ふふっ』
 受話器の向こうから、零れるような笑い声。
「え、何?」
『あなたも大変ね。いろんなところに気を回して、頭痛くなっちゃうでしょ』
「腹黒策士というのは、得てして貧乏くじを引くものです」
『でも、あなたらしい。あなたがいなければ、きっとみんな彼女を見捨ててたわ』
「……そう、かな……」
『うん、そう思う。そんなの間違ってるし、フェアじゃないけど……憎いという気持ちは、そんなに簡単には消えないから』
「伊代……」
『あなたは強いわ。あなたが一番怒ってもいいのに、こうやって橋渡しみたいなことしようとするんだもの』
 電話口の伊代はきっと、困ったような、でも嬉しそうな笑顔を浮かべているんだろう。声から伝わってくるのは戸惑いと切なさと、僕への期待。
 ……そっか。
 僕にしか、できないんだ。
 思い出すのは、ぎこちなく惠を抱きしめた日のこと。
『君は、この選択を貧乏くじだと思う日が必ず来る』
 お互いの気持ちを確かめたあの日、予言のように惠は言った。
 確かに、今の僕の状況は貧乏くじと呼べるかもしれない。板挟みの板挟み、あっちもこっちも駆け回って、頭痛の種が増えていく。
 でも、この役目は僕にしかできない。僕以外が貧乏くじを引いていたなら、惠は戻れないんだ。
 だったら、貧乏くじでも構わない……いや、むしろどんと来いだ。
「伊代に電話して良かった。なんか元気出てきたよ」
『私もあなたと話せてよかったわ。正直、ちょっと不安だったしね』
「うん。じゃあそろそろ切るね。おやすみ、伊代」
『ええ、あなたも、休む時は休みなさいね』
「ん、ありがと」
 電話を切る。
 ほっと一息。
 一人一人にスポットを当てれば、事態は思っていたよりは悪くない。まだまだ悲観するには早い、水面下でできることはたくさんある。
「よし」
 ぐっと気合。るいと花鶏は後回しにするとして、まずはこよりや伊代、茜子に働きかけよう。惠が戻ってきたときに受け入れられるように、しっかり土壌を作っておこう。
「じゃ、とりあえずお風呂入ろうかな―― って、あれ」
 携帯をテーブルに置こうとして、メールに気づく。どうやら伊代と電話してる間に届いていたらしい。
「誰だろ」
 ぱかっと二つ折り携帯を開けて、小さな画面を覗きこむ。
「!」
 背筋に冷たいものが走る。急いでメールを開き、文面をざっと読む。
 メールの差出人は三宅さん。
 電話したけど繋がらなかったとかその後元気かとか懐柔的内容を最初に並べたのち、本題がさらりと書いてある。
『近いうちに報告ができると思うから、安心してね。楽しみにしててとはとても言えない内容になると思うけど』
 そして、最後の一行。
『少なくとも俺は、君たちと才野原惠は離れて正解だったと思うよ』
「……」
 具体的内容は一切語らず、興味だけを引きつけ離さないメール。
 伊代とのメールで盛り上がった気持ちが一気に奈落に突き落とされる。
 ……僕の手の届かないところで着実に進行する罠。
 思い知らされる、無力な自分。
 少し乱暴に携帯を閉じ、バスタオルを取り出してお風呂に向かう。
 ぐるりぐるりと、頭とお腹が感情をかきまぜていく。
 彼は、何を知ったのか。
 何をもって、惠と離れて正解なんて言えるのか。
 ……もどかしい。まだできることがあるとはいえ、大筋の流れを止める力は今の僕にはない。
 やるべきこと。できること。まだできないこと、そして、届かないかもしれないこと。
 シャワーで雑念を流しつつ、考える。僕の最善を考える。
 ……その最善に限界がある現実を、噛みしめる。
 早く。早く、もっと先回りして進まなきゃ――
「―――!」
 刹那。
 頭に突き刺さるような痛みが走った。
 同時に、視界が風呂場のタイルから別のものに塗り替えられる。
「な……」
 白昼夢―― 能力の、まだ起きている間の発動。こんなの初めてだ。
 カメラのピントが合うように、画像が鮮明さを増していく。
 人口の光がきらめくネオン街。その一角、今日見つけたあの通り。
 立っているのは……
「央輝……と……僕たち……?」
 驚愕の表情から苦虫を噛み潰したような顔へ、央輝はあからさまに不機嫌だ。でも、危険な敵意はほとんど感じられない。明らかに抑えている感じだ。
 何か言い合っている。でも、今日に限って音声が全く聞こえない。意識がある弊害だろうか。
 脳内に火花が散るイメージ。膝が折れ、洗い場にへたり込む。能力発動は相当に脳に負担をかけるらしく、身体がほとんど動かない。でも、映像は乱れることなく進んでいく。
 夢の中の僕が一歩踏み出す。何かを差し出す。央輝は写真と僕を見比べ、コートを脱いで――
「……!」
 夢の僕と、今の僕が、全く同じ表情をする。
 痣。
 僕たちと同じ、あの痣。
 そんな……央輝が……?
「……っは……!」
 そこまでが、限界だった。
 スイッチを切るように映像が終わり、風呂場の景色が戻ってくる。
「ぐ、う……いづ……」
 頭が割れるように痛い。吐き気までしてきた。コップに水を汲んで飲み、むせかえる。
 散り散り断線状態に耐えかね、洗い場に横たわる。タイルは固いけど、冷たさが心地いい。
「……は、はぁ……」
 ぺとりと顔に張り付く髪を取りつつ、呼吸を整える。白昼夢中は呼吸さえおざなりだったのか、水蒸気だらけの呼吸がやけに新鮮に感じる。
「……は……っ」
 数分、そうしていただろうか。
 少しずつ、体調が整ってくる。
「……」
 タイルに寝たまま、今の白昼夢を胸の中へ落とし込む。
 夢が正しければ、央輝が八人目。彼女に会えば、八人が揃う。
 遠い未来のようだったことが、もうすでに足元まで来ている。僕の想像より現実は遥かに早い。
「……変なの」
 ひとりごちる。
 代償としての体調不良はともかく、夢の内容は間違いなく今までで一番有益だった。でも、なぜかワクワクしない、嬉しさもこみ上げてこない。央輝が八人目ならこんなに話が早いことはないのに。
 八人が揃えば、呪いが解けるまで本当にあと一歩。呪いという生命の恐怖から解放され、ありのままに生きられる未来を手に入れることができる。
 僕たちが待ちわびていた幸せが、もうすぐ手の届くところまで引き寄せられている。
 それなのに……生来の勘が悲鳴じみた声をあげている。
 何か、その日が来てはいけないような、その日こそが最も恐れるべき日のような……
「……あ、れ」
 湯気に混ざり、涙が頬を伝う。
 なんだ、これ……?
 自分でも意味がわからない。
 わからないけれど……この涙は、生理的なものとか、身体主体で出たものじゃない。
 今進んでいる道が、運命が、泣くほどの何かを誘発する……直感が知らせてくれる警告。胸の奥底で渦巻く不安と喪失感がその予想を裏付ける。
「……」
 起き上がり、涙をぬぐう。
 すぐに立ち上がる気にはなれず、シャワーをひねってお湯で身を叩く。
 普段なら、よしと気合いを入れて行動開始するところだ。
 でも、妙としか言いようのないためらいが僕を支配していた。
 ……僕がしていることは、きっと間違ってはいない。
 けれど……何か、根本的なところで、選択を間違えてしまったような……。