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after Birthday ※視点は惠

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僕の考えた惠ルート ※視点は智

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 epilogue


 時は、過ぎてしまえば早いもの。かと思えば、密度の濃さで数十倍に感じることもある。
 見上げる空の色は一日一日の誤差のような違いを経て、いつの間にか驚くほどに彩度を変えている。
 まだ季節が一周りするほどには長くない僕たちの日々は、やがて二周、三周と重なっていくのだろう。
 無限ループにも見える四季の移り変わりの中、螺旋階段を登るように人は歩いていく。
 去年の今頃は……なんてみんなで話せる日は、意外とすぐそこなのかもしれない。
 そんなセンチメンタリズムを堪能しつつ待ち合わせ場所へ。どうやら僕が最後だったらしく、六人がそれぞれの表情で迎えてくれる。
「トモちんおっそいぞー!」
「予定時間ぴったりですね」
「一分でも遅れればお仕置きできたのに、惜しかったわ」
「みんな五分前集合だったのよね。ふふ、珍しい」
「だってだって、楽しみにしてましたから!」
「楽しみだよね! 久しぶりの手作りおやつ!」
「……ツッコむ気にもなれません」
「あの食欲で体重を気にしなくていいっていうんだから、羨ましいわ……」
「伊代はまだダイエットしてるんだっけ?」
「まだも何も、永遠に継続中よ。目標にはまだ遠いもの」
「では今日は健気な委員長の応援をすべく、委員長のみおやつ抜きで」
「きょ、今日は例外よ! たまには息抜きしなきゃ!」
「ダイエットは明日から、永遠に成功できない人間の言い訳ですね」
「イヨ子、我慢は身体に悪いよ! 美味しいものは美味しい! 食べたいときは食べる! それが一番!」
「そうですよぅ! 鳴滝めは伊代センパイのナイスバディが羨ましいであります!」
「その揉みがいのあるおっぱいはキープしてもらわなきゃ」
「……はぁ……」
 深々とため息をつく伊代。周りの反応に対してなのか、これから自分の身に起こることに対してなのか……両方だな、きっと。別に太ってるわけじゃないし、ダイエットを気にしすぎるのはかえって身体に悪いと思うんだけど、女の子はそうはいかないらしい。
 まあ、今日ぐらいはいいんじゃないかっていうのは僕も同意。あんなに美味しいお菓子を残したりしたら、間違いなくもったいないおばけが出ます。
「そだ智ちん、いえんふぇーは?」
「夜に気が向いたら来るってさ。『アイツの家なんか行きたくもない』とか言ってたけど、ご飯の話したら大分揺らいでた」
「なるほど、いえんふぇーちゃんはご飯で釣れるのね」
 きらりというかぬるりというか、とにかくちょっと不健全な感じに花鶏は瞳を光らせる。
「……三流誘拐犯みたいなこと言わないの」
「だって、あーんなに私好みなのに、まだ手を出せてないんだもの。今日来たらスカートの中を覗き込むことから始めようかしら」
「ちょっと、人様の家なんだから、迷惑はかけないようにしなきゃ」
「問題はそっちじゃないと思う」
 わいわいがやがや、かしましい青春満喫中。
 たわいもない会話をしながら、慣れていたのに遠ざかっていたアスファルトを辿っていく。
 天気は良好、気温は暑くもなく寒くもなく。よくあるようで実は珍しい、過ごしやすい気候だ。
 先へ先へ進むごと、アルバムを捲るように記憶が蘇ってくる。
 笑顔のみんなとここに来る――一体、何ヶ月ぶりだろう? 一生で換算したら瞬き程度、体感的には何年もかかったかのように思える、感情を煮詰めた日々が頭の中を行き過ぎる。
 ……やっと、この日が戻ってきた。
 目的地に近づくにつれ、思うところがあるのか、なんとなく落ち着かなくなる。
「またここを通ることになるとはね……って思っちゃうのが、なんか悔しいわ」
「花鶏、まだ根に持ってるの?」
「惠に対してじゃないわよ。当時の自分に未だにムカっ腹が立つってだけ」
 機嫌悪そうに視線を逸らす花鶏。大気圏突破レベルのプライドは一ヶ月経っても回復しきらないらしい。
「今にして思えば、迂闊だったわ。あんなに頭に血が登るなんて」
「そりゃ、それが惠の目的だったからね」
「だから、それが悔しいんだってば! ……あっちは準備してたとはいえ」
「つまらない失敗を何時まで経ってもネチネチネチネチ……くくく、こいつは性格悪い姑の臭いがプンプンするぜぇ」
「茅場」
「わー、こわーい」
 棒読みしつつさっと僕の後ろに隠れる茜子。花鶏はジト目でため息一つ。いつもの流れなので、誰も気にしない。
 と、全然方向の違うところに、るいが反応する。
「っていうか、しゅうとめ? なんで?」
「それはもちろん」
 ちら、と僕の方を見る茜子。
 ……イヤな予感。
「……ああ」
「あー」
「なるほど」
「そういうことかぁ」
 そのイヤな予感を裏付けるように納得する一同。続いて全員がニヤニヤ顔に変化する。
「そうでした! 智センパイは惠センパイと一つ屋根の下になるんでした!」
「ぶっ!?」
 明るく高らかに顔から火が出そうなことを言ってのけるこより。
 ひ、ひとつ屋根の下って随分と古いような新しいようなフレーズを……!
「事実婚っていうんだっけ? そういうの」
「みぎゃー!」
「まあ、そんな感じよね。内縁の妻とか、同棲とか、他にも言い方はあるけど」
「どっちにしろ、永遠の愛を誓うでありますね!」
「こ、公衆の面前でそういうこと言わないのー!!」
「そういう本人の声が一番デカい、隠されてないリア充アピール」
「うっ」
「で、で? どうなの?」
「どうなのって、何が!?」
「い・ろ・い・ろ」
「ひー……」
 振って湧いたやじうま乙女エネルギーに思わず後ずさる……も、なんというか、逃げられそうにない。
「まあ、惠なら智をお嫁にあげてもいいわ。あの子なら重婚程度は気にしないでしょうし」
「そういう問題か」
「美男美女って感じでお似合いですよぅ! ちょっと違いますケド」
「今回については正当な理由があるんだし、いいんじゃないかしら?」
「韓流ドラマも真っ青な程度に奔走しましたからね、これからは仲睦まじくネタを提供してもらいましょう」
「い、いやあの、別にその、ええと、あくまで僕は」
「愛のために」
「そ、そっちじゃなくて! 僕はただ、惠の病気をっ」
「まったまたー。それもあるけど、メインは別っしょ?」
 口の端を上げた笑み、六人分はなかなかのプレッシャーだ。楽しげなのがさらに重圧を上乗せしている。
 女の子が心ときめかす話題ナンバーワン、色恋沙汰。本人たちは全く悪気はないんだけど、やられる方は一種の吊るし上げを食らっている気分だ。もう一人がここにいないのに加え、そう言われてしまう要素があるからなおさら。
『惠と一緒に、あの屋敷で暮らす』――
 そこにあるのは、決して浮ついた意味だけではない。二人が踏み出す、運命と争うための新しい一歩。
 ……僕たち二人としては、そうなんだけど。
「資金も潤沢で屋敷も広くて使用人付き……まさに最高の環境にランクアップよね」
「どう考えてもヒモです。本当にありがとうございました」
「妥当な判断だとは思うけど、ちょっと羨ましいかな」
「恋人の家に住むなんてロマンチックですよぅ! 鳴滝めは憧れてしまいます」
「毎日、超おいしいごはん食べられるんだもんねー、いいよね」
「っていうか、すぐじゃないよ!? いろんな手続きもあるし、学校のこともあるから、一年後ぐらいに」
「すぐ行けばいいじゃん! 二人の家ならもっと行きやすくなるし!」
「皆元の『行きやすい』は『たかりやすい』の間違いでしょ」
「あちらは、すぐに来ても構わないって言ってるんでしょう? だったら早い方があの子も安心するんじゃないかしら」
「一緒に暮らすようになってからの乙女度変化は茜子さんが逐次チェックして晒しあげますから安心してください」
「それ全然安心できない……」
 予想はしていた展開だけど、実際に体験するとなかなかにHPを削られる。
 ……みんなが僕たちをからかう気持ちもわからなくはない。
 だって、事実は事実。
 もちろん、同棲の最大の理由は惠の生命を守るためで、そのこと自体はみんなも納得してくれた。
 ……してくれたけど、インパクトといじりやすさは変わらない。平穏を取り戻した分、僕たちの関係は格好のネタになってしまっている。
 祝福してくれてるのは伝わってるから、そんなに強く言えないのがこれまたもどかしい。
「いーいなぁトモちん。私もメグムの家の子になりたいよー」
「皆元は全力でお断りされるわよ」
「ちぇー」
「それに、今行ってもおじゃま虫になってしまいますデスよぅ」
「そいやそうだね、やめとこう」
「いや、邪魔ってことはないけど」
「だが断るだそうです」
「言ってない! そうは言ってない!」
「心配ご無用、いくらるい姉さんでも人の恋路の邪魔はしませんっ」
 胸を張るるい。そこは自慢するところだろうか、ツッコミかけて自爆の予感にぐっと黙る。
 僕と惠の間にあった感情はとっくにバレバレだ。こより曰く、僕の行動は彼氏を守るために奮闘する少女漫画のヒロインそのものだったんだとか。少年漫画じゃなくて少女漫画なのは僕の外見のせいだと思いたい……できれば、ヒロインという言い方にも物申したい。
 ちなみに、僕の性別は当然ながら全力で隠蔽中。つまり、みんなからすれば僕と惠は女同士ということになる。ただ、惠の外見と花鶏という強烈な本物の存在が違和感を中和してくれたらしく、その点を指摘する子は誰もいなかった。……助かるんだけど、ある意味恐ろしい話だ。
「あ、見えてきた!」
 るいが指差す先には、例によって周りの景色とは一線を画すアンティークなお屋敷。お天気がいいこともあって、今日は一段と風格が漂っている。
「やっぱり大きいデスねー」
 憧れのまなざしで見上げてため息をつくこより。中でいろんなことがあったとはいえ、やっぱり屋敷は他の有象無象の建物とは比べものにならないほど格好良くて、見る者に憧憬の念を抱かせる。
「いっそ、私たち全員で住み込んじゃえばいいんじゃないかしら。部屋にも随分余裕あったし」
「おー、いいねえ! みんなでわいわいしてるならメグムも喜びそう!」
「茜子さんも賛成です。料理といい住み心地といいエロプライダーの住処とは段違いです」
「あんたたち」
「センパイがたが住むなら鳴滝もー!」
「おお、こよりんも来い来い!」
「ちょっと、それはいくらなんでも駄目よ。いい人達とはいえ、引き際は心得ないと」
「……伊代、そこは真面目にツッコむところじゃないと思うんだ」
「え」
「空気読め」
 相変わらずの会話。明後日の方向に盛り上がったり変なところで水をかけられたり、その一連の流れを楽しんだり、バラバラの個性は絡み合って奇妙なバランスを生み出す。明日どころか十分後には忘れてしまいそうな雑談を織りあげて、僕たちは居心地のいい絨毯を作っていく。
 今日、それを持って行く場所は決まってる。
「あ!」
「!」
 門のところに立っていたメイド服姿の女性が僕たちに気づき、小さく手を振る。
 足が自然と小走りになる。数えきれないほど通い、いずれは住むことになる場所でも、近づいてくると気がはやる。あの子はもう逃げないし、一人でどこかへ行ったりはしないんだけど、早く会いたい、なんて思うものらしい。
「みなさん、お久しぶりです」
 佐知子さんはいつもより少し紅潮した、嬉しさに溢れた笑みで迎えてくれる。
「さっちこさーん! こんにちはー!」
「お久しぶりでございますー!」
「お久しぶりです。本当に、長い間ご無沙汰してしまって……」
「いえ、みなさんがまた来てくださったというだけで、私は」
 元気なるいにこより、礼儀正しい伊代に、佐知子さんは思わず涙ぐむ。
 惠の事情を全て知り、誰よりももどかしい思いをしていた彼女にとっても、今日はまさに待ちわびた日だろう。
「どうぞ、お入りください。今、浜江さんが腕によりをかけてお菓子を作っています」
「おおー! 期待通り! 気合が入るぅ!」
「大食い大会じゃないんだから」
「ふふふ、たくさん作っているから心配しなくていいって言ってましたよ」
「さすがだ……」
 浜江さんの洞察力と準備の良さに改めて驚きつつ、屋敷の門をくぐる。敷地に入るなり漂ってくる甘い香り。自然とお腹が自己主張し、みんな顔を赤らめながら入っていく。
 ……と、佐知子さんはいつも向かっていた玄関扉ではなく、庭の方へと歩き出す。
「今日はお天気もいいですし、直接お庭へどうぞ」
「え、いいんですか?」
「ええ。大分、きれいになりましたし」
 ちょっと言葉を濁しながらも、どうぞどうぞと手招きする佐知子さん。ぞろぞろ付いていく七人。
 建物の脇を通り過ぎた、そこには――
「あれ、すっごい広くなった!」
 るいが驚きの声を上げる。
「広くなったというより、整備されたのね。前は植物生え放題だったもの」
「まっすます貴族のお屋敷って感じがします!」
「前から大きなお庭だと思ってたけど、こうして見ると本当に広々としてるわ」
「一段とジェラシーもりもりのセレブモードに入ってきましたね」
「……何よ、茅場」
「なんでもアーリマセーン」
 口々に感想を言いつつ、植えたての芝に活気づく一同。
 雑木林の一歩手前だった深い緑の代わりに、陽光を受け止め輝く黄緑色が広がる。踏み込めばやわらかな感触が靴底を包み、ほのかに香るみずみずしい草の呼吸と相まって心地いい空間を演出している。
 植木屋さんが目を回すほどの状態だった庭は、今やすっかり外国映画の郊外の一軒家に出てくるそれだ。アイアン製の椅子やテーブルまで完備されて、すっかりくつろぎのスペース化した。まさに劇的ビフォーアフター。
 もちろん、激変には理由がある。
 明るいだけではない……けれど、確かに必要だった決断。
「でも、どうして急に?」
「惠と話し合って決めたんだ。この庭を少しでも日当たりのいい場所にしようって」
「あれ、今まではなんでそうしなかったんだっけ?」
「んー、まあ、色々。その色々が色々で色々なったから、こうなったの」
「いろいろすぎてわからないデス……」
「企業秘密的な感じで」
 まだまだ痛む刺を感じながら、苦笑いでその場を収める。
 姉さんがいた頃は、ここは姉さんを守る最後の砦であり、絶対に他人を近づけてはならない場所だった。薄暗く年中湿気を帯びた庭の奥の離れ、そこが姉さんが生きる唯一の世界であり、かつ、思いのままに可能性を掴みとれる、祭壇めいた作業所だった。
 けれど――ここはもう、隠遁生活を送る牢獄でも、人知れず可能性を拾う聖地でもない。
 姉さんは、もういない。
 それは僕たちが永遠に背負っていく咎であり、忘れてはならない楔だ。
 みんなで呪いを超えたあの日、二人で屋敷に帰り、浜江さんと佐知子さんに話をして……今後の計画として真っ先に決めたのが、姉さんのことだった。
 僕と惠の一致した意見……『姉さんを、日のあたる場所に連れていってあげたい』。
 姉さん自身が外に出る、それはもう叶わない願いだ。だったらせめて、この場所に光を呼び込みたい。罪滅しにもならないけれど、このまま偽りの中に姉さんを隠し続けるのはあまりにも寂しい――
 姉さんを忘れないために、姉さんに感謝し続けるために、まずはひとつの区切りをつけたかった。
 そして、離れは取り壊し、バリケードになっていた樹は切り倒して整備し……少し奥まった一角に、姉さんのお墓と、多少の雨風を防げる程度の樹を配置した。
 惠も僕も、毎日のように姉さんのお墓にお花を持って行って、祈りを捧げている。神も仏も信じていない僕たちだ、何をすれば冥福を祈ることになるのか、実のところよくわからない。
 わからないけれど……とにかく毎日訪れて、姉さんと相対し続けよう。
 二人で決めた、後悔と、自責と、哀悼と、そして感謝の示し方。
 ……実は、みんなにはまだ詳しいことは話せていない。刺激が強いだろうし、なにより僕と惠がまだそれを受け止めきれていない。
 ひとつの終わりはひとつの始まり。
 姉さんの死は僕たちの過ち、それは間違いない。
 けれど――その過ちの先にしか、僕たちの今はないんだ。
「惠さんを呼んできますね」
 僕たちが落ち着いたのを見はからい、佐知子さんが屋敷の中へと戻っていった。きっちり全員分用意されている椅子に座って、前の数倍広く感じる庭と空のコラボレーションをぼうっと眺める。
 しばしの沈黙。ごく自然に言葉を止めて、それぞれが想いを馳せる。去来する感情には思考の元となるものもあれば、靄のまま胸にとどまり続けるものも、養分を蓄えた土のように積もるものもある。
 僕たちの前には現在しかない。過去は手からこぼれ落ち、未来は常に不確定。けれど両者は確かにあって、僕たちの血となり肉となる。
「そうだ。あなた、能力の調子はどうなの?」
 ふと思い立ったように、思い切ったように伊代が聞く。僕は空から目を離さず、小さく深呼吸をする。
「今のところ良好……かな。思ったより負担かからなかったから、それは助かってる。まだ一ヶ月だし、油断はできないけど」
「……そう、良かった」
 ほっと一息を返事に混ぜる。他のみんなも気になっていたんだろう、場の雰囲気が引き締まった安堵に包まれる。
「望みの未来を引き寄せる、かぁ……すっごい能力だよね」
「ほとんどチートよね。そんなのアリなのかってぐらい」
「目的のためなら手段を選ばない腹黒野郎にはお似合いの能力ですけどね」
「鳴滝めは正直ちょーっと羨ましいデス。その能力があったらもっとボンキュッボンになれるのに」
「え、そんなこともできるの? じゃあ私はもうちょっと体重減らしたい」
「いやそういう能力じゃないから。それじゃ魔法になっちゃうよ」
 伊代の食いつきの良さに妙な情熱を感じつつ、やんわり否定。
 実際、これはそんな使い勝手のいい能力じゃない。引き寄せられるのはあくまで『可能性のあるできごと』に限られる。毎回お腹を壊すとかそういう方向に持っていけばダイエットには役立てるかもしれないけど、さすがにそんなのは伊代も願い下げだろう。
 それに、一気に二つも三つも並行させられるほど僕は器用じゃない。
 人間、一度に複数のことを考えるのは不可能だ。そんなことをすれば必ずどちらかがおそろかになる。能力みたいに大きなエネルギーをつぎこむ行為ならなおさら。
 僕は能力をひとつの未来だけに注ぎ込むと決めた。今までもこれからも、変わることなくそれを続けていくだろう。申し訳ないけど、それ以外に使う気はない。
 人知を超えた、人の手に余る力だからこそ――たったひとりのたったひとつに、捧げたい。
「その能力さえ、惠に総取りされちゃったのよね……本当、智をまるごといただかれちゃった気分だわ」
「微妙にやきもち?」
「微妙じゃないわよ。心がダメならせめて身体だけでも」
 言うなり立ち上がる花鶏。
「……そうよ、身体だけならオッケーのはずよね! うふふふ、智、覚悟しなさい」
「って、ええー!?」
 すっかり治った足で素早く寄ってきたと思うと、問答無用で胸に手を伸ばす。大慌てで立ち上がると、タイミングを見計らったかのように足を引っ掛けられて転びそうにな……いきなりの生命の危機!?
「ちょ、ちょっと花鶏、タイム! 勘弁して!」
「バカね智、予想外の場所でこそ人は燃えるのよ!」
「そういうことじゃないのぉ! にゃわー、乗っかるのだめぇ!」
「おやめください、夫が見ておりますわ」
「茜子、変なナレーション入れないでー!」
「そ、そうよ! こんな破廉恥な状態、あの子に見つかったら……!」
「ツッコミが昼ドラっぽいであります!」
「ますます背徳感を煽るじゃなーい」
「やーめてー! 僕には心に決めた人がっ」
「こーんの惚気トモちんがー!」
「うぇ!? るいまで!?」
「丁度いいわ皆元、智の腕捕まえときなさい」
「ひっひっひー、にっげられないぞー」
「ひゃぅぅぅぅぅん」
 情けない悲鳴をあげつつ、ばたばたと駄々っ子のように暴れる。花鶏もるいもからかい半分本気半分だから苦しくはないけど、かなりハードな状況なのは確か。
 腐っても僕は男の子。こういう女の子の無防備なスキンシップにはめっぽう弱いわけで……しかもどうしてこの場所なんだろう……。
 と。
「みんな元気みたいで、何よりだ」
「!!」
 じゃれ合いに興じている間に真打ち登場。懲りずに飽きずに繰り返される構図を眺めつつ、屋敷の主人は顔を綻ばせる。
「お邪魔してるわよ、惠。あと智もつまみ食い」
「独り占めは許さないんだぞーっだ」
「あはは、智は相変わらず大人気だね」
「……あうぅ……」
 ……よりにもよって、女の子二人に抑えこまれた情けない姿でご対面。なんともしまりがない。
「はーい奥さん、旦那さん来ましたよー」
「旦那さん違う」
「……違うのかい?」
「真顔で聞かないの」
 出てきた姿は、例によって白ブラウスにグレーのパンツスタイル。端正な顔に浮かぶ穏やかな微笑は仄かだけどダイレクトな色気があって、心臓が跳ねる。自然と顔に血がのぼって、熱くなる。
 みんながここに来たのは数ヶ月ぶりだけど、僕はほとんど毎日通って、毎日会っている。にもかかわらずこれなんだから、どうしようもないレベルで参りすぎだ。
「……さて、じゃあ本命が来たところで」
 そんな僕の反応を悔しがりつつ、ひょいっと身体を起こす花鶏。
「本命と言えば、お待ちかねのお菓子も焼き上がったみたいだよ」
 ちらっと後ろを見る惠。控えていた佐知子さんと浜江さんの持つお盆とバスケットには、乙女のロマンにしてダイエットの敵、つややかで素朴なセピア色が溢れんばかり。
「お、おおー! やったぁ!」
 食べ物の気配に反応し、るいがお手伝いさん二人に駆け寄る。
「ほれ、早く食べたいなら手伝いなされ」
「あ、その子は危ないから私が」
「鳴滝もお手伝いしますですよー!」
 さっきとは別の方向に、にわかに騒がしくなる庭。淹れたての紅茶と焼きたてクッキーにパイの香りが至福の空間を演出する。
 記憶に残る風景が、新しくなった場所で繰り広げられる。
 わだかまりは思ったより早くなくなった。特に変わった努力をしたわけでもなく、たまり場に数回集まって話しこんだだけ。本当にあっという間だった。
 それだけ、ひとりひとりが同盟の日々を大切にしていたんだろう。
 みんながこまこまと動くのを、惠はいとおしそうに眺める。一時期再構築した仮面も今は塵と消え、現れるのは心と直接繋がった表情だ。
 こっそり隣に並ぶ。
「……帰ってきたね」
「ああ」
「身体の調子は?」
「おかげさまで、今日も」
「そっか」
「……偶然、という感じではないな。君は、確かに引き寄せている」
「そりゃあね。一生導くって決めたからね」
「必然、なんだね」
「うん」

 そう。全ては必然。
 僕は、あの日からずっと、たったひとつの未来だけを引き寄せ続けている。

 ――『惠の発作が起こらない未来』。

 ヒントになったのは、皮肉にも姉さんが惠を追い詰めた方法だった。
 本来ならばありえない、三日連続の発作。上乗せした生命も体力も気力も奪い去ったその手段は、翻って僕に能力の特徴を教えることになった。
 惠の発作は、能力で操作できる範囲内にある。
 それなら、姉さんが『発作を起こす』未来を引き寄せたように、僕が『発作を起こさない』未来を引き寄せることもできるんじゃないか――
 根拠はあれど、証拠はない。最終的にはやってみなければわからない方法。
 けれど、不思議と不安はなかった。能力を手にした本能はそれが可能だと囁いた。
 事実、あの日から惠の発作は止まっている。
 まだ一ヶ月の段階だし、予断を許さない状況ではあるけれど……これが『起こっていない』ではなく『起こさない』結果なのは、僕も惠も実感しつつある。
 惠の生命を狙うのは、夭折という生まれながらの運命だ。人が知恵の限りを尽くして育て上げた医療の枠を踏み越えた、いわば人知の届かぬ試練。
 ならば……毒には毒を。人の手に余る運命には、人の手に余る能力を。
 奪われた生命を補うのではなく、奪われることそのものを止める。
 僕が生きている限り、僕が願い続ける限り、惠は理不尽な発作に捕まることも、望まぬ殺人に手を染めることもない。
 ……それが、僕が決めた未来だ。
 皮肉なものだと思う。
 僕たちを死に至らしめる呪い、それと表裏一体の能力が惠を救う。
 姉さんの犠牲が惠の生命になり、姉さんから譲り受けた能力がそれを支える。
 理不尽が僕らを殺し、理不尽が僕らを生かす。
 なんとも出口のない、呪われた世界。
 けれど――
 呪われた世界、イコール不幸とは限らない。
 100%の光に満ちてはいないけれど、これもまた、僕たちが望んだ形なんだ。
「うっまぁーい!」
「こら! あなた、ポロポロこぼしてお行儀悪いわよ!」
「伊代センパイ、お母さんみたいデス」
「そうじゃなくって……女の子なんだから、ちゃんと食事のマナーは身につけないと」
「そういうのをおかん基質と言います。おかんにして委員長、若き熟女がここに誕生」
「じ、熟女!?」
「ああ、そうねぇ……伊代のおっぱいは熟れ熟れよね……」
「そんな、私まだキスさえしたことないのに」
「あら、じゃあ一発目は私が」
「お断りします」
 花鶏の誘いを全身全霊で拒否しつつ、伊代はクッキーを口に運ぶ。ダイエットは明日からになったらしい。
 その脇で、わんこそばの勢いでクッキーを頬張っているるい。
「ん、うまうま! やっぱり浜江さんの作るおやつは最高!」
「あんたらが随分食べるから、こっちとしても作りがいがある」
「おいしいものがあればるい姉さんは幸せだー!」
 浜江さんは無表情でありつつも、なんとなく頬が緩んでるような気がする。言葉の調子もいつもと比べて丸いし、なにより、次々とおやつを用意してくれる手つきが優しい。
「ふふふ、やっぱりおうちは賑やかなのが一番ですね」
 盛り上がる様子を見守りながら、佐知子さんが心から呟く。惠が頷く。
「ああ。こういう日をどれだけ続けられるかが肝要だ」
 僕も頷く。そして、誓いを声にする。
「大丈夫だよ。みんなで生きていくって決めたんだから」
「……そうだね」
「さ、お二人もどうぞ。まだまだたくさんありますから」
 促されて、みんなの輪の中へ。
 耳が、口が、肌が、目が、鼻が、心が、甘く温かで爽やかな陽気に満たされていく。
 元通り――いや、それよりもっと強い幸せを噛みしめて、味わって、僕たちは笑いあう。
 時には転ぶこともあるだろう。明かりのない道に迷い込むこともあるだろう。突然足場が崩れ、穴の底へ叩き落とされることもあるだろう。
 それでも、僕たちには絆がある。
 野に育つ草が踏まれてこそ伸びるように、極寒の次に花の季節があるように、一度は切れた縁は、より強く確かに僕たちを結びつける。
 響き渡る笑い声は、ちっぽけな僕たちが世界に向けて放つ最大の武器。

 ――生きていこう。
 この呪われた――奇跡のような今を。


【了】