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after Birthday ※視点は惠

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僕の考えた惠ルート ※視点は智

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chapter 41 


「トモー!」
「智おおおぉぉぉ」
「智センパイー!」
「あなた、本当に大丈夫だったの!?」
「悪運の強い貧乳め」
「……」
 大歓迎、とは大分違った、切迫したハグ大会をなんとかかわす。みんなの表情には凝縮された疲労がたっぷり。僕が来るまでの彼女たちの心労がありありと伝わってくる。こよりなんて完全に涙目だ。
 ……当然の反応かもしれない。
 彼女たちから見たら、僕は殺人鬼に単身突っ込んだも同然だったんだから。
 ぺたぺたばたばたと触られつつ、椅子に座って頭を下げる。
「心配かけちゃったね、ごめん」
「何言ってるの!」
 僕がしょぼくれたと思ったのか、途端に条件反射みたいに話しだす一同。
「ごめんじゃないよ! 謝るのは私達の方だよ!」
「そうよ、刺激しないようにとはいえ、智みたいな芯が強くもか弱い乙女を一人で行かせるなんて、私達がバカだった!」
「影薄いイメージだったくせに、やることなすこといちいちクラスター爆弾ですね」
「智センパイ、気を落とさないでください」
「今回ばかりは……ちょっとね……」
「やってくれたな、まったく」
 お腹がキリキリ痛む。みんなから投げられる感情に振り回されそうになって、思考が散り散りになる。
 何も知らないがゆえのみんなの反応、決して間違ってはいないから、なおさら悔しくて、苦い。
 応接間には、既に全員が集まっている。不承不承という感じではあるものの、央輝もちゃんとこの場にいる。電話に出ていたとはいえ、昼間は出歩かないと聞いていたからなんだか不思議な感じがする。
 おそらく、花鶏たちに情報を持ってきたのが央輝なんだろう。出る前につけたテレビでは三宅のことが一切報道されていなかったから、今回の件はまだ表沙汰にはなっていない。第一発見者が裏の人で、裏に情報が流れたのか、あるいは……表に出ないよう、事件ごともみ消されたのか。
 ……もみ消されたのなら、そっちの方がいい……そう思ってしまう自分に、吐き気がする。
「央輝」
「……何だ」
「間違い、ないの?」
「ああ」
 一縷の望みはあっさり潰される。……想定の範囲内だ。
 ただ、事実を認めるのに、受け止めるのにワンクッションが欲しかった。
 央輝は苦虫を噛み潰したような顔で壁に背をもたせかけ、吐き捨てるように告げる。
「最近三宅がキナ臭い動きをしてたからな、組織の者が見張ってた。その見張りが明け方、三宅の部屋に入る才野原を目撃してる。殺した現場を直接見たわけじゃないが、99%あいつが犯人だ」
「……」
「現場付近で姿を見られるなんて、あいつにしては珍しいポカミスだ。よっぽど焦ってたんだろう」
「……そう、なんだ……」
 焦っていた―― 納得がいってしまう。
『あんなやつに……みんなを渡してたまるか……!』
 そう、惠は焦っていた。このままではみんなに被害が及ぶと心配して、みんなを守りたいと、いてもたってもいられないと訴えていた。
 惠には、並々ならぬ覚悟と行動力、そして、生死の一線を超えた現実がある。惠の生きてきた道を思えば、殺気にすら似た怒りを抱く姿を見ていれば、こんな結末になることぐらい想像がついたはずだ。動くと宣言したその時、既に助走は終わっている。よほどのことが無い限り、「決めた」彼女は止まらない。
 それなのに、僕は気を抜いてしまった、ぬくもりを優先してしまった。明日があるよと、一緒に頑張ろうと―― 逃げた。
 僕の弱さの数時間。もう、取り返しがつかない。
 後悔に神経が震える。きっと顔色は相当青くなっている。事態を甘く見たつもりはなかった、まさかこんなに早く、そんな自己弁護が回り出すのを押さえつける。
 惠は、多くは語らない。語ることができない。昨日の浮き沈みの激しい様子は、満足に訴えることもできない中、精一杯次の行動を伝えようとしていたからだろう。
 誰よりも僕に心を許してくれているというのに―― 彼女のサインを見抜けなかった。手を打てなかった。
 取る手段が変わらないなら、せめて傍にいて見守ったり、事後処理したり、行動後の苦しみを和らげたり、少しでも後々の負担を軽くするよう働きかけることだってできたはずだ。それこそが、僕のやるべき事だった。
 現状、僕はその全てを放棄したも同然だ。惠が抱えていたものを、ギリギリまで圧縮された感情を、受けとめきれなくて、先送りにした気で逃げ出して……自分の浅はかさに、ただ呆然とするばかり。
 その結果―― 事態は、最悪の上塗りを招いているというのに。
「ひどいよ……ひどいよあいつ……! 三宅のおっちゃん、いいひとだったのに……!」
 るいの目からこぼれ落ちるのは、自分自身で見聞きしたものから生まれる、純粋でまっすぐな涙。心の底から、悲嘆と憎悪を沸き立たせる。るいにとって、三宅は優しくて頼りになる協力者。
「こんなことになるなら、おっちゃんに調べてもらうんじゃなかった……! 私たちのせいだ、私たちのせいでおっちゃんは……!」
「あの三流記者、もともと調べる気でしたけどね」
「でも! でもでもでもっ! 私たちが言わなければ、おっちゃん無理しなかったかもしれないよ!? そうだよ、おっちゃんきっと無理しちゃったんだ、無理してあいつに近づいて、それで……うう」
 ただでさえ勢いづいていたるいの感情の流れは、堤防を決壊する勢いでふくれあがっている。
「許せない……ううん、許せないなんかじゃ足りない」
元々の疑心暗鬼に三宅からの情報、そして三宅の死―― 末代まで祟る勢いの憎しみがとめどなく溢れてしまう。
「三宅はともかくとして、こっちには手を出さず協力者を消していくとか、外道にもほどがあるわ」
 花鶏の声はいつもよりも大分低い。るいと同じぐらい強い怒りが吹き出すのを抑えている。
「私も手段は選ばない方だけど、いくらなんでも手が悪すぎる。これじゃ、ただの悪魔じゃない!」
 ……『悪魔』。クォーターの花鶏の口から出ると、なぜか異常なプレッシャーを持って迫ってくる名称。それだけで、花鶏の目に惠がどう映ってしまったのか、鮮明にわかってしまう。
「いくらなんでも、ルールから外れすぎよ……思いたくないけど、普通じゃない、まともじゃないって思っちゃう」
 伊代の反応も、至極当然のもの。自分たちも何かと常識外れではあるけれど、一応社会のモラルの中で生きているし、無意識に超えまいとしている一線がある。そして、惠の行動は社会が持つルールを侵すものの中でも、最大級にタブーとされるもの。
 かつての仲間が、最低限の決め事すら逸脱した―― 拒否反応を示すには、あまりにも十分すぎる条件。それを聞かされて嫌悪感を抱かないのは、前後関係と彼女のあり方を知っている僕と、最初から彼女と裏で接していた央輝ぐらいだろう。
「……」
 こよりは判断以前の段階で考えを止めてしまっているらしく、無言のまま、うずくまるように座り込んでいる。
 それもまた素直な反応。人間は信じたいものを信じる。信じたくないものが迫ってきたとき、信じないために思考を使う。こよりがいるのはその段階―― 惠が人殺しであると信じないために、不毛な考えの沼に沈む。
「ちなみに、昨日だったか一昨日だったか、才野原がうちの組織に依頼に来てる」
 央輝には動揺と納得の混ざった、妙な落ち着きがある。もともと惠に思い入れがないからだろう、頭の中でピースをはめている感じだ。
「依頼? 何の?」
「ダミー口座の照会だ」
「!」
 思わず、うなだれていた顔を上げる。
「ダミー口座……?」
 聞き慣れない言葉に首をかしげるこより。
「裏に足突っ込んでるやつなら、当然一つや二つは持ってる。取引するには欠かせないからな。まあ、名義借りみたいなもので、持ち主ぐらいすぐに割れるが」
 さも当然のように、悪ぶった笑み。どこか、この状況を楽しんでいるようにも見える。
「……それで、アレが調べさせたダミー口座ってのは?」
「三宅の口座だった」
「っ!」
 即答。
 ばちんっ、と歯車が噛み合う。
 ……やっぱり、惠はちゃんと調べていた。ぬかるんだ苦しみに溺れながら、ちゃんと次へと駒を進めていた。央輝の所属する組織がどんなものだか知らないけど、央輝の態度からするに、調査の信憑性は相当高いんだろう。
 自分で……調べた。
 ……一人で、そこまでしたのか。
 歯噛みする。
 惠は、あの封筒のことを浜江さんにも佐知子さんにも隠していた。つまり、調査は単独で行ったって事になる。
 身体に異常をきたすほどのショックを受け、奈落に突き落とされた状態では、裏社会に足を踏み入れることもためらわれたはずだ。万全の体調でないと見抜かれれば、万が一ということもありえる。
 そのリスクを冒してまで、惠は調査を依頼しにいった。そんなの他人に任せたかっただろうに、置かれた状況を周りに知らせることすら拒んだ。
 ……その理由は、なんとなくわかる気がする。
 弱った心には隙が生まれる。弱ったときに優しくしてくれると判っている相手には、どうしても甘えたくなってしまう。
 その甘えが惠の呪いの引き金を引く可能性は……決して、低くはない。
 家政婦さんたちに心配をかけたくないというのもあっただろう。説明することへの躊躇もあっただろう。だけど何より―― 呪いへの恐れが、惠にブレーキをかけた。自分が黙って耐えてればなんとかなるという選択をさせた。
 それはもはや忍耐の域ではなく、破滅と紙一重の道。
 そうまでして得た情報。そうまでして得た犯人。
 僕が癒したところで……惠が待つはずが、ない。
 ガンガン鳴り響く自責の念。
 ……どうしたんだよ、僕。僕は腹黒で無駄に頭が回って相手の思考回路読んで先手を打つのが得意だったんじゃないのか! どうしてこの大事なときに、大事な人が苦しんでる時に、やることなすこと後手に回るんだ! 惠は本音すら語れない状態なんだ、傍に居なかったら、常に先回りしなかったら危険だってわかってるのに! 
 膝の上で丸めた拳がみっともなく震える。つい最近切りそろえたはずの爪が手のひらに突き刺さる。
「あなたは何もされなかったんですね」
 ぐらぐらと感情が煮え立つ頭の斜め上から降ってきたのは、いつの間にか隣にいた茜子の問いかけ。
「されなかったよ」
 笑顔すら作れないまま、でも彼女の目をしっかり見て答える。
「本当に?」
「本当のようですね」
 るいの念押しに答える茜子。
「……」
 何かに思い当たったのか、単なる気まぐれか、茜子はあっさりと僕から離れる。
 ちょっとだけ胸をなで下ろす。茜子の能力の範囲は、本人だけがわかることだ。かなり大雑把な部分だけと言われているものの、それが事実とも限らない。
 もし、茜子が僕と惠の関係を読んでしまったら……考えるだけで、背筋がぞっとする。
 悪いことは何もしていないはずなのに、やましさと後ろめたさに埋もれてしまう二人の関係。助けたい、支えたい、それすら許されない、後戻りの出来ない深い溝。今、それはさらに深く深く、底知れない断絶となってみんなの中に横たわっている。
 ……どうして、と思わずにはいられない。
 だって、惠は……惠が三宅を手にかけたのは……。
「とにかくっ!」
「うわぁ!?」
テーブルが揺れた。花鶏が両手を叩きつけたのだ。
「とにかく、こんなの許しちゃおけないわ! 呪いをといてギャフンと言わせるだけじゃ足りない、今すぐ制裁加えてやらないと!」
 その口から飛び出したのは、攻撃的の範囲には収まりきらないほどに鋭利な敵意。
「そうだよ! あいつをほっとくとロクなことにならないよ!」
 素早く追随するるい。普段の仲の悪さはどこへやら、目的を一にした時、二人の意識は呼応しあう。相互に影響しあい、強まって……一種の、異常な旋風を巻き起こす。
「ちょ、ちょっとセンパイたち!?」
 こよりの制止は届きはしない、目もくれない。……視線を送られたところで、こよりはさらに委縮するだけだろう。
「荒っぽいのはどうかと思うけど……ここまで来ると、放っておくわけにもいかないわよね」
 伊代も、今回ばかりは否定的になりきれない。もともと若干否定的な立場だったからなおさらだ。彼女らしい理屈っぽさが感情の暴走を抑制しているというだけで、気持ちは固まりつつある。
 茜子は……いつも通り沈黙。中立という立場を守るためなのか、何かが見えるのか、一同から少し距離を置いた位置でじっと成り行きを見守っている。
「あんなのに協力を仰ぐ必要なんかない。いっぺんシメて、ついでに縛り上げて倉庫にでも放り込んでおけばいいわ! こんな姑息な手段で私たちの邪魔をしてくるんだもの、痛い目の一つや二つや十や二十食らったって自業自得よ!」
「そうだそうだ!」
「ちょっと、二人とも落ち着いてよ!」
 何度目かわからない、ヒートアップする二人を止める……も、掛け声では焼け石に水だ。みんなは惠の過去を知らない上に、三宅が死んだのは事実。濁流となった感情はあらゆる理性を押し流し、改変し、周りの全てを自分の都合の良いように解釈させてしまう。
「落ち着いてる場合じゃないでしょ!? 人が一人死んでるのよ! それも、私たちだって無関係じゃない人が! これでなんで黙ってられるのよ!」
「ジャーナリストに殉職はつきものですけどね」
「茅場」
「……別に、反対はしませんよ。どう考えても彼女の自業自得ですし」
 胸が――苦しい。
 どうして、どうして……こうなってしまうのか。
 ただすれ違ってるだけなのに、ただ、知らないだけなのに……どうしてここまで、憎しみばかりが重ねられてしまうのか。
 心は走る。ゆがんだ坂を転げ落ちる。実体のない不安が詰まった風船は、とどまることを知らずに膨らみ続ける。
「あいつ、私たちにまで襲いかかってくるかもしれない」
「僕は襲われてないよ!」
「甘いわ智。昨日襲われなかったからって、今後襲われないって保証にはならないのよ。今回たまたま見逃されただけかもしれないし、三宅を殺すから後回しにされただけかもしれない。それに、アレはバカじゃないわ。私たちの能力を知ってるんだもの、正面切って挑むより周りに被害与えてプレッシャーかけてきてるのかもしれないわ。どうであれ、今アレを野放しにするのは百害あって一利なしよ」
 人は、信じたいものを信じる。事態が悪化すればするほど、一度信じたものを貫こうとする。
 それが正しいか間違っているかではなく―― 依り代とできるかどうかで選ばれた答えは、セメントのように固まり、脳を埋め尽くす。
「そんな、でも……」
「こよりちゃん、思い出にすがっちゃダメよ。私たちといた頃のアレは全部演技、全部偽物だったのよ。今のアレが真の姿。だまされちゃダメ」
「でも、そんなのまだ決まったわけじゃ……」
「大丈夫だよこよりん。私や花鶏がいる。怖がらなくていいからね」
 こよりの心配を曲解し、背中を抱くようにして笑顔を見せるるい。
 自分自身を欠片も疑っていない表情。まっすぐで純粋だからこその、止まらない誤解。
「……何故なのか、教えてはくれないんでしょうね」
「普通に聞いたって答えやしないでしょ。気が違ってるぐらいの認識でいたほうがいいわ。人殺しなんてする奴にまともな脳味噌があるとは思えない、アレはとっくの昔から壊れてるのよ」
「……そんなこと、ないと思いたいけど……」
 伊代のポリシーが揺らぐ。空気が読めなくても、勢いには流される。
「人でなしの気持ちなんかわからなくていいわよ。情けも無用」
「……」
 心臓が溶ける錯覚。痛さに似た熱を帯びていく。ぐらぐらふつふつと、沸点に達しつつある僕の怒り。
 今それを出したら駄目だ。火に油だ。我慢しなきゃ、黙ってなきゃ――
「いい? 今日から作戦変更よ! 呪いの調査は後回し、とにかくアレを徹底的に叩きのめす! ぶっ潰して、二度と立ち直れなくしてやる!」
 止まらないのか。
 本当にこれでいいのか。
 惠は言った。みんなの行動には意味があると。
 嫌われることも、恨まれることも、憎まれることさえも、彼女は黙って受け入れるだろう。
 それが、もし―― 行動に移ったとしても。
 自分が、仲間たちによって、制裁を加えられる日が来たとしても。
 彼女は黙って受け入れるだろう。
 ……違うのに。
 違うのに!!
「三宅のおっちゃんの敵討ちだ! 私たちを敵に回した恐ろしさ、たっぷりわからせてやるんだ――」
「―― やめてよっ!!」
 叫んでいた。
「……智?」
「おかしいよ! どうしておかしいって思わないの!」
 止まらなかった。
 我慢の限界―― 悔しさが、キャパシティを超えた。
 コップが倒れたように、感情が醜く空気を汚す。
「るいも、花鶏もやめてよ! なんでそこまで、そこまで惠を嫌わなきゃいけないの! 惠ばっかり悪く言うの! 何も知らないじゃないか!」
「智センパイ……」
「勘違いだけで突っ走って! 自分たちがしてることを振り返りもしないで! 惠が何であんなことしたのか、今どんな気持ちでいるのか、みんなのことどう思ってるのか、何も知らないくせにっ! 自分たちだけが正しいと思いこんで、暴走して……惠がどれだけ、どれだけ……っ!」
 耐えられなかった。
 まるで偶像のように、諸悪の根元に祭り上げられていく惠。何らの話も通じない、生粋の化け物のように、人間以下の存在におとしめられていく惠。
 僕の大事な人が、誰よりも大切な人が―― 本質からかけ離れた、どす黒い妄想にとりつかれる。
 みんなの目に、惠が見えなくなっていく。ありもしない悪意に、根拠のない推測に形どられていく。
 ……違う。
 惠は……そんなんじゃ、ない……!
 僕が言わなかったら、僕が庇わなかったら――
「……失敗しましたね」
「……」
 茜子の、示すもののわからない指摘に、我に返る。
「……あ」
「智」
「トモ」
 鋭利な刃物そのものの、るいと花鶏の呼びかけ。
 二人の怒りの矛先が僕に向く。
 肝が―― 冷える。
「あなた、どっちの味方なの?」
「私たちを裏切る気じゃないよね?」
 気持ち良さにすら似た怒りに水を差した上、自分たちの正しさを真っ向から否定する―― 感情のるつぼの中で、それは最大級の背信行為だ。
 しまった……と、戻ってきた理性が警鐘を鳴らす。
 堂々と惠をかばうこと。敵と定めた相手に同情すること。怒りの奔流に、真っ向からぶつかること。二つ目の対立構図を作ること。
 それは、同盟を崩壊させかねない愚行。リーダーとして、決して切ってはならないカード。   
 ……選択ミス。
「智。まさか、アレが犯人じゃないとでも言う気?」
 腕組みをし、威圧感をこれでもかと放出する花鶏。視線から読み取れるのは、僕への敵意だ。
「……犯人は、惠だと思う。央輝の仲間が見てるんだし、惠には、そうするだけの理由があった」
 そこは素直に肯定する。庇うとは、全てを否定することじゃない。惠が犯人だと認めなければ、僕自身が自分に嘘をつくことになる。それでは花鶏たちは動かせない。
 きっと、僕の反応は異常に思えるだろう。惠の今回の行動は、およそ僕らの常識の範囲では測れない。生理的な嫌悪、未知への恐れ……色んなものが絡み合って、拒絶に変わる。
 なんとかして、気付いてもらわなきゃ。
 見ているものが全て正しいわけじゃないんだと、考えるべき視点は他にもあるんだと―― わかってもらわなきゃ。
「随分素直に認めるのね。人殺しを庇ってるのよ、あなた」
「そうだよ」
「トモらしくないよ。人殺しするのは悪人じゃん」
「……それは、一面的な見方にすぎないよ。奪われていい命はないけど、奪わなければならないほどの事情だってある」
  思考が鈍っているのは、僕も同じだ。るいや花鶏が怒りに凝り固まっているように、僕もまた、惠への想いに縛られつつある。
 人間は、感情の生き物。何かをしたいと強烈に願うとき、ともすれば理性がはじけ飛ぶ危険がある。理屈を失えば、そこには不毛な争いしか待っていない。だから、あくまで論理的に、順序立てて証明していかないと駄目だ。
「事なかれ主義にしては随分とアグレッシブですね」
「つまり、メグムにはトモが納得するような人殺しの理由があったってこと?」
「……納得するかどうかは個人差があるけど、理由なくそうしたわけじゃないのは確かだよ」
「証拠隠滅とか、みせしめとか、そういうバカバカしい理由じゃないんでしょうね?」
「そんな理由で僕が認めるわけないじゃない」
「じゃあ、何? 人殺しの納得いく理由なんかわかんないよ」
「それは、惠が――」
 出そうと思った次の手―― 最も効果的なはずのそれが、声帯を震わせる直前で詰まった。
 言葉を飲み込む。
 ……何を言おうとしてるんだ、僕は。
 惠が三宅を殺したのは、呪いのことが知られるのを防ぐため……言いかえれば、かつての自分の姿がこれ以上広がるのを防ぐためだ。それは、殺され続けた日々の幻影を断ち切ることでもあるし、同じ呪い持ちである僕たちを守ることでもある。
 話してしまえば、納得はしないまでも、多少の理解は得られるだろう。
 けれど―― そのためには、惠の過去をみんなに晒す必要がある。
 あの日々を。僕が直視できなかった、地獄としか言いようのない日々を、惠が未だ超えられず、心を切り刻まれ続けている絶望の塊を―― 本人の知らないところで、説得材料として使うことになる。
 そんなことが許されるのか?
『みんなは、あんなもの知らなくていい』
 惠は、暗にみんなには伝えないでくれと頼んだ。当たり前だ。僕が彼女の立場なら、念書を書かせてでも口外無用にする。たとえ仲間でも、知られていいことと悪いことがある。本当は、僕にだって知られたくなかっただろう。一人で背負うには過酷過ぎる現実。けれど、他人に知られることで広がる傷口は、黙って背負うよりも深く心をえぐる。
 今、惠の過去をみんなに話すのは……惠が最も望まないこと。それこそ、惠を裏切ることになる。
「それは、何?」
 促す花鶏。といっても、内容に興味はほとんどない。『言い訳ぐらいなら聞いてやらないこともない』ぐらいの態度だ。
 知らないからとはいえ……そんな姿勢で、惠の痛みに触れてほしくない。
「……ごめん、言えない」
「は?」
「……ふざけてるの? 智」
「ふざけてなんかいないよ。でも、言えないものは言えない」
「なにそれ! 私たちに隠しごとするの!?」
「理由も知らされないんじゃ、あなたがトチ狂ったとしか思えないんだけど」
「……言えない」
「語られない理由なんて、存在しないも同然よ。そんなもの、口から出まかせでしかないわ」
「出まかせなんかじゃない。ちゃんと理由はある。だけど言えない」
「なんでよ! 私たち仲間でしょ!? 仲間に隠しごとするなんておかしいよ!」
「……今は、黙ってるときじゃないと思いますけど」
「それでも、言えない……惠を信じて、としか」
「無理ね」
 切り裂く結論。
「いい? 智。これだけ煮え湯飲まされてなおアレを信じるほど、私たちはお人好しじゃないわ。意味もわからず信じろなんて非合理的な話ないでしょ。徹底的に洗いざらい全部吐かせて、その内容次第で判断するってなら納得もするけど、理由は秘密、目的も不明、でも信じて下さいって、バカにしてるでしょ」
「バカにしてるわけじゃないんだよ! ただ、話していいことと悪いことがある」
「それは私たちが決めることよ。アレにそんな権利はない」
「あるよ!」
「ないわ。被告人に黙秘権なんて認めない」
「惠はみんなに何もしてないじゃないか」
「おっちゃんを殺したんだよ? 私たちに協力してくれた、あのおっちゃんをだよ? それのどこが『何もしてない』なの! トモ、おかしいよ。メグムに肩入れしすぎてる」
「いくらあなたでも、アレをかばうんだったら容赦しないわよ」
「あいつは敵だよ。絶対に、敵」
 ……説得は、始まりすらしない。
 ぶつけられるのは最後通告だ。
 惠を信じるなら僕も敵だと、隠すことなく突きつける花鶏とるい。
 二者択一。仲間か、惠か、どちらかを選べ。
 白黒はっきりつけたい二人の要求は、その実強制だ。仮にもリーダーである僕に、惠を選ぶという選択肢はないも同然。
 惠を選べば、同盟は崩壊する。僕のわがままで、培ってきた全てが露と消える。
 そんなの誰も望まない。
 望まないなら―― 惠を捨てるしかない?
 ……それも違う。
 この状況は、あらゆる意味でずれている。優先すべきことも、根拠とすべき情報も、守るべきことも、みんなみんなゆがめられてしまっている。
 なのに……僕には、このいびつな状況を証明する手段すらない。
 完全に、打つ手なしの八方塞がりだ。
 このままじゃ駄目なのに。このままじゃ、ただ傷つけあうだけで、実態すらないままにただ憎しみ合うだけで、何にもならないのに――
 ……と。
「しょうがないですね」
 膠着状態に手を差し出したのは、茜子。
「頑固者同士が決闘モードに入られては、こちら居心地が悪くてたまりません。見ててちっとも面白くないし、ぶっちゃけてめーらこっちに余計なストレス飛ばすんじゃねーよって話です」
「いやあの、これは面白いとかそういう問題じゃ」
「お黙り、空気読めないおっぱい」
「……」
 茜子に珍しく強烈に止められ、むっとしつつも黙る伊代。
「今のままじゃらちが明きません。こうしましょう」
 壁際からゆっくりとこっちへ歩いてくる。そのまま僕の横を通り過ぎ、花鶏たちと僕の間に入るようにして―― 僕を指差す。
「これからしばらく、茜子さんがこのチタンハート腹黒仕様を見張ります」
「……へ?」
 提案は、想像すらしない内容だった。
 思わず目を丸くする。
「何それ?」
 るいもきょとんとする。……流れていた憎悪が、そこで一瞬だけ断ち切られる。
「痴話げんかするんなら、公平公正に裁いた方がいいでしょう」
 半分ジト目で、半分何か言いたげに、茜子の視線が向けられる。
「あの気取り屋男装はともかく、こっちのボクっ娘の心なら読めます。ですから部屋に居候の上しばらく監視して、心の中を洗いざらい見抜いてリークします。どうですか?」
「え、それはちょっ」
「被告人は静粛に」
「……」
 いつの間にか被告人になっていた。
 ……受刑者じゃないだけマシか……重力四倍の重い気持ちに沈みつつ、黙りこむ。
「反対ね。それなら智をここに監禁して吐かせた方が効率的よ」
「私、これ以上誰かを疑いたくないよ。トモが潔白だっていうなら、この場で証明してほしい」
 不満たらたらのるいと花鶏。自分たちで追及できず、時間もかかる手段は取りたくないんだろう。二人は焦っているわけじゃないけど、次の手が打ちたくて仕方ないんだ。
 そんな、収まる様子のない二人の怒りに大仰な溜息をつきつつ、茜子は反論する。
「勘違いしないでください。茜子さんは誰の味方でもありません。この陰険洗濯胸につく気も、そっちのぱいぱい組につく気もありません。だからこそ、こうして判定人に立候補してるんです」
「……なるほどね」
 応じたのは伊代だ。
「確かに、ここまで必死に庇うんだもの、何にもないってことはありえないわよね。隠されてちゃ判断できないけど、結論ありきはフェアじゃない」
 どこまでも伊代らしい発言。持ち続ける芯の強さがそこに覗く。
「アレは犯罪者よ? 同情の余地なんかどこにもないでしょ?」
「罪状だけで罰が決まるなら、裁判なんか必要ないです。人はそれを横暴と言います」
 流れで押し切ろうとする花鶏。でも、茜子はひるまない。
「でも、裏切り者なんだよ?」
「前回のノートバーベキューと今回が同じ理由とは限らないです」
 るいにも同じく。
「……何よ、茅場もアレの肩を持つっての?」
 花鶏には、意見するもの全てが敵に見えてしまっているらしい。今度は茜子に噛みつこうとする。それを柳に風で流す。
 茜子にしかできない説得。誰に頼まれたわけでもなく、彼女は自分の役割を選びとる。
「持ちませんよ。ただ、私にはみなさんが見えてないものが見えてます。あなたとは違うんです」
「その台詞は少々難があるかと……」
「同じじゃスパイする意味がないです。それに、中立の人間が相手の方が、被告人もボロを出しやすいでしょう。懐柔される気は毛頭ないですけど」
「……」
「どうですか」
 実質上、今日初めての思案の時間が流れる。
 全身の血管がきゅうきゅうに縮まるようないたたまれなさ。息をひそめて判決を待つ。
 その傍らで……茜子に、今までにないほどの感謝を抱く。
 彼女が手を打ってくれなければ、ここで全てが終わっただろう。僕のミスで、積み上げた日々を壊してしまっただろう。仲間が、現実ですらない理由で崩される―― 信じてきたものが、砂上の楼閣以上の脆さになってしまう危険。
 茜子がそれを止めてくれた。お礼を言っても言い切れない。
 ……でも、何故?
 くいっ、と袖を引かれる。茜子は正面を向いたまま、聞こえるか聞こえないかの小ささで呟く。
「……さっきのあなたは、私が今まで見た中で一番真剣でした」
「……」
「その真剣さまで見逃すほど、私はバカじゃありません」
「……うん……ありがとう」
「まだ結論出てないです。これであっちがダメって言ったら、串刺しコースですよ」
「……覚悟は、しとく」
「まあ、彼女たちもそこまで頭固くないでしょうけどね」
 言われて花鶏を見ると……この上なく不機嫌そうに苦々しい表情。
「……いいわ。茅場に任せる」
 彼女の選んだ答えは……ギリギリの譲歩範囲。
「茅場の方が効率的だわ。智も調教して話してくれるタイプじゃないもの」
「調教ですか」
「事情聴取で『らめぇ! 何でも話すからやめないでぇ!』とか言わせたかったけど」
「それは聴取って言いません!」
「むしろ趣味ですね」
「どうしてそう、次元の違う方向に話が進むのかしら」
「拷問ルートに行くよりは健全かと」
「健全の定義がわからなくなってきましたです」
「プレイで終われば健全よ。よがればオッケー」
「……プレイは健全な表現なんでしょうか」
「おまえらの頭の中はそれしかないのか」
「八割から九割はお花畑です」
「……まあ、そんなネタに走れるってことは、了承なんですかね」
 流れを見つつ、茜子は念を押す。花鶏、伊代、こよりは頷き、央輝は興味なさそうに好きにしろと吐き捨て、るいは……ぐっと鋭く僕を見据える。
「ぶっちゃけ納得いかないけど、トモにまで裏切られるのはいやだ」
「いや、だから裏切ってないんだってば」
「それはアカネに決めてもらう。アカネなら信用できる……私はそう思う」
 噛みしめるような、切迫した願いが込められた了承。
 裏切り―― るいにとって、何よりも許すべからざるもの。何よりも悲しいもの。たとえ片鱗であっても見過ごせない要素……だからこそ、茜子の能力という絶対の尺度を信じる。『中立』という条件が気分のいいものじゃなくても、裏切りではないと証明できる唯一の方法であるなら―― それを用いるのが、一番安心できる。
「では、被告人はこれから三食風呂ベッド付きのスイートルームを用意するように」
「僕の部屋はスイートとは言い難いんだけど」
「ぞんざいに扱うようなら即刻通報します。具体的には食材を一食当たり万単位、掛け布団に超高級ダウン」
「ものすごい条件厳しいよ!?」
「それぐらいの誠意を見せてもらわないと、判断のしようがないですから」
「鬼だ……」
「……まあ、頑張ってね」
「頼んだわよ、茅場」
「絶対、見逃さないでね」
「……はっ」
「……茜子センパイ……お願いします……」
「……」
 混じる雑談は、どこかぎこちない。
 文字通り、首の皮一枚。ギリギリで踏みとどまった、崩落寸前の同盟。
 まずは安堵。そして次に―― 代償の大きさに、心がきしむ。
 ……茜子が、うちに来る。
 僕の無実を晴らす唯一の術。同盟崩壊という結末から逃れるための方法。
 その代償―― 惠との、助けたい、癒したい、誰よりも大事な一人との、再びの断絶。
 元凶にたどり着けないままに、元凶が隠れたままに……綱渡りが続く。