単発SS
【智×惠】
new!・想定外と豆の木(ドラマCD後の話)
・狭い夜、広すぎる朝に(観測所での話)
・楽園の包帯(惠ルート後、年齢制限要素あり)
・instinct voice(本編H1回目直後の話)
【オールキャラ(カップリング要素なし)】
・バレンタインの過ごし方。(バレンタイン話)
after Birthday ※視点は惠
act1 / act2 / act3 / act4 / act5 / act6 / act7 / act8 / act9 / act10 / act11 / act12(完)僕の考えた惠ルート ※視点は智
1 / 2 / 3 / 4 / 5 / 6 / 7 / 8 / 9 / 10 / 11 / 12/ 13/ 14/ 15 / 16 / 17 / 18 / 19 / 20 / 21 / 22 / 23 / 24 / 25 / 26 / 27 / 28 / 29 / 30/ 31 / 32 / 33 / 34 / 35 / 36 / 37 / 38 / 39 / 40 / 41 / 42 / 43 / 44 / 45/ 46 / 47 / 48 / 49 / 50 / 51 / 52 / 53 / 54(完)chapter 44
細い足首に、肌色と言うには濃い色のテープが巻かれていく。初めてと言っていたのに、伊代のテーピングの技術は確かだ。ぐるぐる巻きになりすぎず、もちろんゆるくもない。こよりは驚きと尊敬の混ざったまなざしでテープと伊代を交互に見ている。
「これも『道具の使用方法』に入るのかな?」
「どうかしら……あの能力、発動してるって自覚がない場合も多いから。元々、お母さんのこともあって知識はあったのよね。実践は初めてだけど」
「初めてでその腕前なら、やっぱり能力なんじゃない?」
「かもしれないわね」
「じゃあ、伊代センパイはお医者さんになれるですね!」
「あ、似合う似合う!」
「服装的にはナースの方がいいんじゃない?」
「それもいいですねー! 伊代センパイみたいなナースさんならきっと大人気です!」
想像してみる。……確かに白衣よりナースの方が似合いそうだ。職務内容的にもだし、なにより、ナース服の方が色々引き立つし。
「巨乳ナース……いいところ突いてくるじゃない」
ぎらりと目を光らせる花鶏。……似たようなことを考えてしまった自分がとても情けない。でも、ナースって言ったらそれだよ……ね? 僕はめったな事では病院に行かないから、看護師さんとかもほとんど想像上の人物化してしまっている。実物を見慣れてないと、やっぱり多分に妄想が入ってしまうのです。
「うーん、でもナースは危険じゃないかしら。人体と機械は違うもの」
「空気読め」
「え、なんで? 私何か間違ったこと言った?」
「いや、言ってることはもっともなんだけど、話題が違う」
「え? え?」
「そんなに真面目な話はしてないんだよ、みんな」
「……そうなの? 大事なことだと思うけど……」
何がどうズレているのか分からず、きょときょとする伊代。やっぱり伊代は伊代だ。彼女にとってナースはあくまで職業、僕らとは発想自体が違うんだろうなぁ。……とても健全だ。
「じゃあ、人体がダメなら、病院の技師とかは? 今は色々機械があるじゃない」
それなら、と伊代寄りに話題を持っていってみる。
「向いてても、能力を使っての仕事は不公平よ」
……やっぱりだめでした。
「真面目だ」
「マジメですね」
「当たり前のことでしょ、そんなの」
「そうかなー。能力、使い慣れると結構便利だよ」
「我が一族の再興には欠かせないわ」
「せっかくのいびりツールですから」
「……あなたたち……」
意外な反論連発に、伊代がちょっと眉を上げる。この辺も本当に真面目だ。僕から見れば使えるものは使っていいじゃないかと思うんだけど、フェアを信条の伊代にとっては問題なんだろう。
「伊代の言いたいこともわかるよ。でもまあ、人助けのために使ったりする分にはいいんじゃない? こんな風にさ」
どうどうと抑えつつ、折衷案的なことを言ってみる。
「……そう、ね。活用次第のところはあるわね」
同意を得られたからなのか、納得したのか、穏やかになる。心でほっと一息。まとめ役も楽じゃない。元々僕はムードメーカー気質じゃないからなおさらだ。でも、ほっておいて変な流れになってもいいことないしなぁ。
「能力と言えば、鳴滝は新体操選手の動きを真似してみたいであります! こう、リボンをふわーっと軽やかに!」
「あら、今でもできるんじゃないの?」
「……前に一度試してみたんですが、身体がかたくて筋肉痛になったです……」
「切ない」
「動きは真似できても、身体のかたさは変わらないのです」
「なるほど」
ミラクルな能力揃いだけど、それなりに制限と言うか一線みたいなものはあるらしい。魔法じゃないんだなぁ。
「あら、何も選手級の動きをする必要はないんじゃない? こよりちゃんならレオタード着るだけで10点つけるわ」
「……選手にはおさわり禁止ですよ?」
「楽屋に行けばいいじゃない」
「ゆ、油断も隙もない……」
「永久不変に懲りない脳みそですね」
極力明るく会話を交わす一同。
そうすることで、忍び寄る恐怖を振り払おうとする。
……こよりが、怪我をした。
点滅する横断歩道を無理矢理渡ろうとしたときに、白い線の上で転んだ。夕立の後で白い線に水が溜まっていて、滑ってしまったらしい。すんでのところでるいが引っ張り、突っ込んできたバイクからは辛くも逃れたけれど……踏ん張ろうとしたせいで足をひねり、捻挫してしまったのだ。
逃げの一手しかない状態で移動に支障が出る怪我を負う――正直、かなり危険だ。骨折に至らなくて良かったと言いたいけれど、喜べるものじゃない。
追い詰められていく実感。口には出さなくも、みんな少なからず感じている。目を逸らしながらも、危機感はつのる。
「はい、できたわよ。ちょっと立ってみて」
伊代に促され、こよりがぴょいっと立つ。
「どう?」
二、三歩歩き、調子を確認する。どうやら良好らしい。
「大丈夫です! 伊代センパイ、ありがとうございます!」
「一週間ぐらいは巻きなおしつつ固定しておく必要があると思うわ。緩くなりそうだったら言ってね」
「はいです!」
「あとは……できれば、いつもの靴は履かない方がいいんだけど……」
「……」
「空気読め……と言いたいところですが、黙ってるわけにもいかない注意ですね」
「普通の靴より、バランスが取りにくいのは確かだから……うん、でも、やっぱり履いた方がいいわよね」
「難しいところだね……」
速度からすれば、当然ローラーブレードを履いていた方がいい。けれど、一度怪我をしてしまった以上、履くことによる精神的、身体的負担は今までとは段違いだ。
漂い始める不安。蟻の穴から堤も崩れる――不吉なことわざが頭を巡る。
「オッケー、るい姉さんの出番かな?」
そんな暗さを吹き散らすべく、割って入るるい。ぐるんぐるんと肩を回し、ラジオ体操の要領で腰もひねる。
「るい」
「バイクだって大したことないからね、るい姉さんならだいじょうぶい!」
ここぞとばかりにピースし、準備運動の動き。後光というか、こう……極彩色のベタフラッシュが飛んでる感じだ。
うん、頼もしい。言葉のセンスは触れないことにしよう。
「……ま、皆元の怪力が役に立つと思えばなんてことはないわね」
花鶏が呆れと安心を混ぜた溜息を洩らす。僕も頷く。
「おっまかせあれ!」
やる気満々、自信満々。そんな彼女の明るさは、まだ打つ手があるという希望に繋がってくれる。
嘆くも笑うも僕たち次第。まだまだ、やれることはたくさんある。
……やらなければならないという状況そのものが、不安材料ではあるけど。
「……それにしても、今回はしつこいわね」
「二週間ぐらいは経ってるよね」
「正確には十日ですね。うち襲われたのが三回」
茜子が指折り数える。
「前は一日だけ、だった……よね」
「どういうことなのかしらね……」
そう。
今回は前回と違う。
一日限りで終わると思われた死の追いかけっこが、続いてしまっている。毎日でこそないものの、既に複数回、それも手を替え品を変え、ひたすらに追いかけられている。呪い持ち以外の犠牲者は出せない仕組みなのか、人ごみでいきなりご登場ということはないものの、電柱が倒れてきたり壁が割れたり看板が吹っ飛んできたりと、バリエーションはやたらと豊富だ。今のところ紙一重でかわせているものの、こよりの負傷という事態が引き起こされてしまった以上、全く油断はできない。
「ここまで来ると、前提から疑った方がいいかもしれない」
背筋を流れる汗を感じつつ、口に出す。
こよりが呪いを踏んだ当時の認識と今には、結構なズレがある。確実に、予想が崩れてきている。
「前提……というと?」
「呪いの発動についてだよ。一日で終わらなかったのは何故なのかとか、改めて考える必要があるんじゃないかな」
ただ逃げてるだけじゃ、相手の手のひらで踊ってるも同然だ。現状把握と計画修正はより良い結果の必須条件、気のりはしないけど、やらなければならないだろう。
「例えば?」
「うーん……例えば、踏んだ回数で、効果が累積していくとか」
とりあえずたたき台を出してみる。るいが一人目でこよりが二人目、踏んだ人数に比例して効果や期間がグレードアップしていくという可能性……ないわけじゃないだろう。
「でもそれなら、脳筋おっぱいの時点で結構な累積数になってるはずですよね」
「……あ」
茜子のツッコミにはっとする。そうだ、僕ら一人ひとり、出会うより前に踏んでいる可能性もある。累積ならその分もカウントされる、るいが初めてというわけじゃないんだ。
……ダメか。
「むぅ……」
考えろ。頭をからっぽにして、あらゆる可能性を推定するんだ。
「一人ひとり、呪いの内容が違いますから……それぞれの長さが違う、とかはどうでしょうか」
おずおずと口にしたのはこよりだ。今にも消え入りそうな声で、絞り出すように言う。
「……それはないんじゃないかな? 人それぞれで効果が違うなら、呪い持ち全員が奴の対象になったりしないだろうし」
「そうですか……?」
「うん」
自信を持って否定。そこまで個人にこだわる厳密さはないだろう。
「だから、こよりが自分を責める必要はないよ」
「……あう……」
励ましたつもりの台詞にこよりがしょんぼりする。自分の思いつきに隠れた不安に気付いたんだろう。わざわざ自分が苦境に立たされるような予想を出してしまうあたり、大分参っているのが伺える。
せっかくの仮定を即座に違うとしたのは、こよりの自責の念を薄めるためだ。今の彼女は話の流れに乗ればテンションは上がるものの、話題が途切れたり呪いに向きあったりすると途端に落ち込んでしまう。当事者なんだ、無理もない。
さらに、出口の見えない現状が彼女にプレッシャーをかけてしまっている。消えるはずの脅威が消えない――背筋の凍りつく日々。奴の自然消滅を待つつもりだったけど、そこに期待は持てなくなってきてしまった。
とすれば、少しでも心を擦り減らさないよう、彼女をフォローするのが僕らにできる最善策だろう。根本的な解決が遠い分、だましだましみたいになってしまうけど、何もしないよりはマシなはずだ。
「実はターゲットを外す方法があって、この間はたまたまそれをやったとかは?」
「ありえるね」
「何か特別なことってしましたっけ」
「……とりたてて何かはしてない気がする。意外な方法なのかも」
「みんなで空を見るとか?」
「約一名足りなかったですね」
「……むぅ」
これもダメか……そんな簡単に思いつくものじゃないのは判ってるけど、出る先から却下なのも悔しい。
「まあ、何にせよ仮定でしかないですしね。オカルトすれすれの子供向けおまじないブックや週刊誌の巻末開運財布と同レベルです」
「あー、あったねぇそんなの。ハガキに何かのマーク書くと懸賞に当たりやすくなるとか」
「すっごい趣味の悪い真っ黄色の財布で宝くじ一等が当たったとか」
「いかにもプラスチックなパワーストーンで背が伸びたとか」
「手の甲にマジックで魔法陣書くと両想いになれるとか」
「……正直、どれも実際やったら引かれるわよね」
「身体を張った寒いギャグのカタログですから」
「資本主義は弱い者を食い物にすることに余念がないんだよ……」
「うう、世の中は怖いです」
雑談を混ぜ込みつつ、あれこれ考えようとする。も、すぐにネタ切れになる。情報が少なすぎる状態では出てくるアイデアもすぐに枯渇してしまう。世の中、ゼロから一を生み出すのが一番大変なんだ。少しでもヒントになるような資料があればいいけど、現状では『ラトゥイリの星』しか資料がないし……。
「……」
資料……ありそうな場所なら、ひとつ心当たりがある。
惠の屋敷だ。
父さんのノートや呪いに関する書物のあったあの場所なら、発想の素材になる情報が眠っている可能性は高い。ひょっとしたら、『ラトゥイリの星』の解読方法とかの資料もあるかもしれない。
……絶対行けない場所だけど。
『健闘を祈る』
そう言って、惠は同盟に戻るのを拒んだ。それは事実上、こよりを助けるのを断ったと同じだ。
当然、みんなには既に報告してある。一応、彼女がみんなに対し悪意を抱いているわけではないことも付け足したけれど……案の定、誰も本気にしてはくれなかった。
それだけじゃない。そもそも、来ないと言った時の反応が無関心に近かった。こよりだけは驚いたものの、他のみんなは「あっそう」「そんなことだろうと思った」「やっぱり」程度で、特に心を動かされることもなく、追及することもなく、自分たちのやるべきことに意識を戻していった。切羽詰まった状態では、この場にいない人間に割く心の余裕などないということだろう。
……『相手の行動に、関心を示さない』。
好意でも憎しみでも、相手への強い感情があれば、それは繋がっていることの証だ。怒ったり嘆いたりしてる間はまだいい。一番恐ろしいのは、相手が何をしようとも興味がなくなること、言いかえれば、心を閉ざしてしまうこと。
感情を抱かなくなった時、縁は消滅する。
……同盟と惠の関係は、既にそこまで冷え切ってしまっている。
そんな状態で惠の屋敷の資料に言及したところで、価値がないと切って捨てられるのがオチだ。大部分が先入観なんだけど、思考が感情のコントロールから離れられない以上、そこから成果を上げるのは不可能と考えた方がいいだろう。
……かといって、惠以外に呪いについて知ってそうな人っていっても……。
「……あ」
ふと、思いもしなかった人物の影が脳をかすめた。
大分前に会って以来、記憶の奥底に沈めていた、けれど忘れられなかった人物。奇天烈な和服と奇天烈な言動、けれど一般人とは一線を画し、どちらかといえば僕たちに近いような――
「いずるさん」
「ほぇ?」
懐かしい名前に、るいが反応する。
「いずるさん、だ……」
もう一度繰り返す。
蝉丸いずる。るいの謎な知り合いにして、語り屋兼騙り屋にして、意味不明な、けれど無意味ではない言葉を残す人――
「いずるさんに――聞いてみよう」
意志と決意が同時に形を結ぶ。
「……へ? なんで今になって」
「今だから、だよ。いずるさんなら何か知ってるかもしれない、いや、知らなくてもヒントをくれるかもしれない」
「そう、かなぁ……?」
怪訝な顔をするるい。他のメンバーも同様。るい以外はいずるさんとの縁は深くないし、不可思議という意味であまり印象のいい人ではないから、ごく自然な反応だろう。
でも……なんとなく、予感があった。いつもの直感だ。
「いずるさん、何でもお見通しな雰囲気があったでしょ? 単なるホラ吹きさんかもしれないけど、僕らだけで考えるよりいいと思う」
「……あの人、ものすごく胡散臭かった気がするんだけど」
「占い師系詐欺師のイメージそのままでしたね」
「ううん、いずるさんはいい人だよ。私も世話になったし」
るいがすかさず反論する。彼女のいずるさんへの信頼は僕らの知らない過去ゆえか。あんなに謎だらけの人を信じてるんだ、それなりのことがあったんだろう。
だからこそ……いずるさんには興味と可能性がある。呪いについて完全に無知な人間が、元々の心理的ハードルの高いるいの信頼を得られるはずがない。るいが孤独だったころに出会っていると考えたらなおさらだ。るい自身は無意識だろうけど、いずるさんには呪い持ちの関心を引く何かがあると考えた方が筋が通る。
「僕だって、あの人がまるっと信頼できるとは思ってないよ。ただ、全くの部外者ってわけでもないと思う。一度個人的に会ったりもしたんだけど、言ってることは的外れのようで、真実の一面を突いてた。当たってみる価値はあるんじゃないかな」
「ここに来て新メンバー投入……末期のスポーツチームですか」
「代打だよ。ひょっとしたらホームラン打ってくれるかもしれないでしょ?」
「その期待の仕方が既に末期」
「一発逆転はロマンです」
「かっこいいよねえ、逆転満塁ホームラン」
「世の中そう上手くはいかないけどね」
別に、ホームランでなくていい、ヒット一本でも構わない。とにかく、膠着状態を抜け出すきっかけになればいい。
藁にもすがる思いとはまさにこのことだ。今のままでは閉そく感が増すばかりでいいことがない。
ストレスという空気を入れすぎた風船のようなもの、放っておけばいつか破裂する。かなり一か八かの賭けだけど、やらないよりはマシだ。
「……というわけでさ、どうかな」
「……智ちんが、そう言うなら」
るいが了承し、みんなも渋々頷く。気乗りしない……というより、新展開を望みつつも恐れている感じだ。
僕だって、怖くないわけじゃない。いずるさんが味方だという保障はどこにもない。
けれど、動かなければ成果はゼロ。良きにつけ悪しきにつけ、動けば何かが起こる。
守りの一手だけでは食われる。ならば――動こう。
「うーん、遅い」
翌日。いずるさんに連絡を取り、待ち合わせ……待ちぼうけ。
腕時計を確認しつつ溜息。
「何時に待ち合わせしたの?」
「四時ごろ」
「今は何時?」
「四時十分」
「……うーん」
「やっぱり、もうちょっと厳密な時間を決めとくべきだったかな」
「かもねー」
「……はうぅ」
夕焼けを匂わせる、うっすらと橙色が混ざり始めた空を見上げる。あと数十分もすれば目に刺さるような夕焼けが見られるだろう。それまで待たされるのはさすがにごめんこうむりたいけど。
夕方ということもあって、人通りはそれなりにある。経験則的に、ここならば、奴がいきなり出てくることはない。油断はできないし保証もされてないけど、多少は緊張を和らげることができる。
この場にいるのは僕、るい、こよりの三人。個人行動禁止中の今、僕一人で出るわけにはいかないし、ぞろぞろ皆で出歩くのもおかしい。というわけで、もともといずるさんと知り合いだったるいに白羽の矢が立った。
こよりが来たのは奴対策だ。足を痛めている以上、るいとこよりを離すのは危険だという判断が下された。わざわざ外に出すことへの懸念もあったけど、花鶏の屋敷が「呪いを踏んだ場所」になった今、こよりを閉じ込めておくのはよくないし、部屋の中だろうが外だろうが奴はお構いなしだ。だったら、目先を変えて気分転換をさせるのも一つの案だろう。……安全地帯は、この世界に存在しない。
「うー」
じれったさに、辺りを何度も何度も確認する。特徴的な格好だから、見逃すってことはまずないと思うんだけど……ということはまだ来てないのか。そういえば前回も遅刻気味だった。
待ち時間は不安を煽る。立っているだけの状態は無防備に近い。広い通りの一角だというのに、疎外感が孤独を呼び寄せる。
「どっかでごはん食べてるのかな?」
「時間的に早すぎると思うけど」
「私はお腹すいたもん」
「それはるいだけ」
「さすがであります」
たしか三時ごろにおやつ食べた気がするんだけど……能力も絡んでるとはいえ、燃費良すぎ。花鶏家の食費はさぞ厳しいだろう。ちょっと、いやかなり同情する。
「んー……」
食べ物の話題を口にして禁断症状でも出たか、ふらりと歩き出するい。
「いずるさん、おそば好きって言ってた気がする」
ふらふららん、と。
るいが、こよりから離れ、通りの向こうのおそば屋さんへ向か……って?
「……え」
「るいセンパイ?」
あまりに自然な動きで、人ごみにまぎれてしまうるい。
取り残される、僕とこより。
……え?
「ちょ、ちょっとー!?」
我に返って駆け出そうとして――こよりに袖を掴まれる。
「……行っちゃ、イヤです」
「……あ、うん……」
頭を撫でて、きゅっと唇を引き結ぶ。
るいがこよりから離れた――ただの気まぐれ。そうだ、きっとそうに違いない。おそばの一杯ぐらい数分で食べきるだろうし、ひょっとしたら待ち人がおそば屋さんにいかもしれない。他人同士が四六時中一緒はお互いストレスになる、るいだって例外じゃない――イレギュラーに納得のいく理由をつけようと、あがくように思考を回す。
人ごみの中の二人。僕たちは行き交う人々の流れの中に立っている。
そのはずなのに――周りに誰も存在しないかのような孤独感。
……大丈夫だ、この人通りの多い時間帯に奴が来る可能性は低い。隙を作らないように時間と場所を吟味したんだ、るいがちょっといないぐらいで動じるなんて愚の骨頂。いざとなれば僕も男、るいほど常識外れのレベルではないにしろ、こよりを抱えて逃げるぐらいできる。
手のひらに滲む冷や汗を握り締める。
……大丈夫、きっと大丈夫……。呪文のように、意識で唱える。
「……智、センパイ」
不安に駆られ、僕の腕にしがみつくこより。泣きそうだ。
呪いを踏んでから、見慣れるほどにたくさん見てしまっている顔。毎晩泣き暮らしているんだろう、目が腫れぼったくなっている。
「……鳴滝、何か悪いことしたんでしょうか?」
黙っているのは辛いとばかりに、口にする。
こよりは何かあった時は自分を責めるタイプだ。自分が悪いと思い込むことで自我を保とうとする。その分、人一倍ストレスを溜め込んでしまう。
「してないよ。こよりは何にも悪くない」
いつものように、優しく否定。灰のように降り積もろうとする葛藤を払う。
大抵の場合、こよりはこれで一旦持ちなおす。軽いスキンシップは一時的とはいえ、不安をぬぐえる。
……けれど、今日は様子が違っていた。
「……そうかもしれません、でも、そうじゃないかもしれません」
るいと急にはぐれてしまったせいか、表情はさらに暗くなっていく。
妙、なのか、それとも……今言いたいことなのか。
「こより……」
何かから逃れようとするかのように、ぶるぶると首を振る。
「……怖い、です。呪いももちろん怖いです、死んじゃうの怖いです、追いかけられるの怖いです、眠れないです。でも、それもですけど……鳴滝、どんどん悪い子になっていきます」
「……悪い子……?」
二人きりの状況が引き金を引いたのか、震えながら次々と語る。
積み重なり、こよりを押しつぶしていく、避けがたい弱音。
言えばみんなに心配をかける、けれど言わずにはいられない、そんな葛藤がそのまま音になったような、たどたどしくも途切れない言葉たち。
「信じられなくなっていくんです」
「……信じられないって、みんなが?」
「……はい」
「……どうして……?」
大粒の涙が、僕の制服に染み込む。
「みんな、鳴滝を守ってくれてます。どうにかしようって、すっごく気を使ってくれてます。わかってます。わかってるのに……怖くて、不安で。本当なのかなって、いつか、私がどんなに相手を好きでも、信じてても、惠センパイみたいに、私のこと捨てちゃうのかなって」
「……え……」
――一瞬。
何を言われたのか、把握できなかった。
「……惠センパイ、鳴滝のこと見捨てたんですよね」
それが、こよりの結論。
「……仲間、なのに、だったのに、大事なときに助けてくれない。……それって、鳴滝なんかどうだっていいってことですよね?」
こよりの言葉は、もう質問じゃない。単に、彼女の中で出た答えを確認しているだけだ。
『見捨てられた』と。
惠が、こよりを見捨てたのだと――
「みんなも、いつか、惠センパイみたいになるのかな、って……そんな風に思って、ぐるぐるぐるぐる黒くなっていって……。思いたくないのに、信じていたいのに、鳴滝は弱くて、弱すぎて、信じるのにもすごい力が要って、疲れてきて……、だって、捨てられちゃったから、鳴滝、は、仲間だったのに、好きだったのに、捨てられちゃった、から」
「……」
言葉が、出ない。
「イヤ、です……! 私、もう捨てられるのイヤです……イヤなんです……そんな風に考えちゃう自分もイヤで、大嫌いで、でも、どうしようもなくってっ……!」
いやだ、と。
幼く弱い心が悲鳴をあげる。
信じる力を砕かれた絶望が、こよりを崩していく。
「信じたい、でももう裏切られたくない、どうでもいいなんて思われたくない……!」
最悪は、一つではない。一つが二つを、三つを呼ぶ。
こよりは、こよりだけは、信じていた。惠が帰ってくるのを、助けてくれるのを待っていた。きっと誰よりも純真な気持ちで、まっすぐに、疑いなく。
……だからこそ、心が割れるほどに傷ついてしまった。
こよりが生命の危機に瀕していると知った上で、惠は協力を拒んだ。それは事実だ。
誰の目にも、惠がただの冷血漢に映っただろう。僕ですら――そう、僕ですら、彼女の真意がわからない。心情面はもちろん、理論的に考えたって、今のこよりは放っておける状態じゃない。しがらみとかどうでもいい、とにかくこよりを助けなきゃ――誰もがそう思う、二度とないほどの危機。
それでも帰らない一人。
……信じろと言う方が、無理な話だ。
それでも信じろなんて、口が裂けても言えない。
……そうだ、そうなんだ。
中途半端に足を突っ込んでしまったから、無意識に惠に肩入れしているから、気付けずにいた。
冷めた目で見られて当然だ。
惠の行動は、そういう目で見られても文句を言えないほどに、酷薄なんだ。
伝わらない理由は、ないも同然。見えない理由は考慮されない。
僕らに与えられる情報は行動のみ。冷徹さとほぼ同義の、拒絶。
「智センパイ……智センパイは、鳴滝を見捨てたりしないですよね……?」
すがる声。
前提となった裏切りは、翻ることはない。
「しないよ、もちろん」
即答する。ますます強くしがみつくこより。
「……はい……ごめんなさい、鳴滝……そう言って欲しくて、わざわざ聞いてます。悪い子です」
「悪くなんかないよ。不安に駆られたら、誰だってそうなる」
「……でもきっと、何回、何十回、何万回聞いたって、納得できないです」
「それなら、何回でも、何十回でも、何万回でも言う」
「……はい……」
――やりきれない。
こよりの痛みが伝わってくる。
これほど素直な子を追い詰めてしまった現実が、憎い。どうすることもできない自分がもっと憎い。
一体誰のせいなのか。一体誰が悪いのか。
誤解だ、と言ってあげたい。惠はこよりを裏切ってないと言ってあげたい。けれど、今の僕には、納得させる手段も情報もない。……誤解かどうかすら、もはやわからない。
ひょっとしたら、僕が間違っているのかもしれない、惠に惚れた弱みで判断力が鈍っているのかもしれない。そう思わされてしまうほどに、マイナスの要素ばかりもたらされる。
けれど――電話口の惠は、確かにこよりを心配していた。みんなが傷つかないように、苦しまないようにと祈っていた。あれがお芝居じゃないことぐらいわかる。
だから、なおさら混乱する。
何が悪いのか。誰が悪いのか。どうしてここまでこじれて、傷つけあってしまうのか。何も見えず、泥沼に足を取られ手を取られ、あがく手は空を切る。光も闇も見えないまま、感情という汚泥に憑かれていく。
呪われた僕たち、せめて心は自由にと願い、手を取り合った。
蟻の穴から堤も崩れる。絆と呼んだ僕らの日々も、ひとつの堤だ。
僕らの正夢、仲間というかけがえのない宝物。
……本当は、もうとっくに崩れてしまっているのかもしれない。
その引き金を引いたのは、そうまでして、叶えようとしたのは――
「おやおや、お手手つないで仲良しこよしかと思ったら、顔はまるで葬式帰りじゃないか」
「え?」
鬱々に沈む意識に振る、久しぶりの声。反射的に顔を上げ、目の焦点を合わせる。
「悪いねぇ。四時から待っていたんだって?」
紫の女性が、いつの間にか目の前に立っている。
……待ち人。蝉丸いずる。
「いずるさん、やっぱりおそば屋さんにいたよー! まだ来ないと思ってゆっくり食事してたんだって」
「四時ごろなんて半端な時間指定をするからさ。四時から五時まで一時間もあるじゃないか。時間厳守してほしいなら、何時何分まできっちり決めないと」
「いや、普通四時ごろって言ったら四時だと」
「君の常識が全てに通じると思ったら大間違いさ。ま、いい経験になったんじゃないか?」
「……ものすごく遅刻の言い訳に聞こえます」
「何言ってるのさ。私は三時半ごろからそば屋にいたんだ、君達より早かったんだよ」
「ぬー」
相変わらずの、飄々としながらもちょっとむっとくる感じの態度。この、気付いたら言い負かされてる感が腹黒話術師のプライドをちくちくと突いてくる。
るいが戻ってきたからか、こよりが僕の腕から離れる。さっきの話はるいの前ではしたくなかったんだろう。
プラスでもマイナスでも、同調されれば感情は増幅する。自分の中のマイナス感情に戸惑っているこよりにとって、るいの援護は避けたいものだろう。
……奈落に突き落とされてなお、こよりは惠を責めはしない。いじらしくも悲しい、最後の一線。
僕にだけ言ったということは……そこでギリギリ踏みとどまっているあらわれなのか。
「まったく、暗いねえ。私は辛気臭いのは苦手だよ」
僕とこよりのどよんどよんオーラを見て、いずるさんが盛大に溜息をつく。
「なんかあったの? トモ」
「あー、いや、まあ」
「今回のことには関係ないんだろう? だったら聞いてもしょうがない。待たせてしまったようだし、ちゃっちゃといこう」
突っ込もうとしたるいを制し、いずるさんが本題を要求する。
「え、でも」
「さて、今日はどんな語りが聞きたいのかな」
半ば、いやかなり強引に促される。職業柄、こういうどん底テンションの扱いには手馴れているんだろう。うまいこと感情の矛先を逸らし、意識を本題の方に向けてくれる。いずるさんへの期待が勝ったのか、るいはぷーっとしつつも、それ以上はつっかからなかった。
その強引さに感謝しつつ、背筋を伸ばす。
「詳しいことは言えないから、例え的に話すけど」
いくらなんでも、直球で呪いについて触れるわけにもいかない。婉曲表現で、でも的外れでなく表現する必要があるだろう。
「例えば、とても特殊な病気を持つグループがいたとする。グループのメンバー以外でその病気にかかってる人はいないし、病気自体認知されてすらいない。今必死で治療法を探してるんだけど、病気が発症しちゃったり、治療法が書かれた本が外国語の専門書だったりで、どうもうまくいかない。で、当人たちは、根本的な治療法はもちろんだけど、とりあえず症状を抑えるとか、一時的に治すとか、そういう方法もなんとか探したい。その場合はどうすればいい?」
「また、えらく具体的な例えだねぇ」
「例えが抽象的じゃ話にならないでしょ?」
「あまり具体的に情報出されると、語り屋としてはやりにくいんだがねぇ」
「そうなの?」
「要求されたものを提供するなんて、面白みがないじゃないか」
「それ、自分の仕事を否定してる気が」
「語り屋と便利屋と占い師は違うんだ。住み分けしないとね」
「……なんか不安になってきた」
「心配はいらない。はぐらかしはしても、仕事放棄はしないよ」
たっぷりと含みのある、妖艶さをたたえた笑みを浮かべる。この人のまとっている空気はやっぱりどこか異質だ。実は妖怪と血が混ざってます的なことを言われても信じてしまいそうな、一種浮世離れした雰囲気。そういうところに可能性を見出したんだけど、同時に危うさも感じる。
「まあ、言いたいことはわかったよ。じゃあ語るとしようか」
時間の流れを緩める、あるいは解くかのような、ゆっくりと腕を組むしぐさ。思わず惹きつけられる。裏で妖術師とか陰陽師とかやってるんじゃないだろうか――そんな非現実的なことさえ思わされる。
そんな彼女が紡ぐのは――
「コウノトリがどこから来るか知っているかい?」
……
「……は?」
いきなり、とても懐かしいセピア色の単語を聞いた。
「コウノトリ?」
「そう。よく言われるだろう? 赤ん坊はコウノトリが運んでくるのさ」
「今時誰も信じないよそんなの!」
突拍子も無いを通り越してはぐらかされた感ありありの語り出しに、思わずずっこける。
「つれないねぇ。あれこそ現実をロマンで覆い隠す素晴らしい人類の知恵じゃないか」
心底残念そうに溜息ひとつ。
……いや、そこでがっかりされても。
「まあ、情操教育的な意味でのコウノトリの有用性は認めるけど……でも流石に僕たちはその季節は通り過ぎてるよ」
「おや、男と女のラブゲームは経験済みかい? 最近の若者は手が早い」
ぶっ!
「な、なな、なななななー!?」
何故そっちに行く!
「……え、トモって既にロストバージンなの!?」
「そ、そんな! 智センパイはまだ清い身体だと信じてたのに!」
「こらそこの二人! 騙されないの!」
そして何故そっちに乗る!
「だ、だっていずるさん自信満々だし」
「それは自信じゃない、揺さぶり!」
「否定はしないんだねぇ」
「断固拒否します!」
断じて取られてはいません! ……いただいたことはあるけど!
「まあ、その辺はあとで仲間うちで追及しておくれよ。今回の本題はそこじゃない」
「……だよ、ね」
ちょっと安心した。色んな意味で。その方面にいかれると恥ずかしさ以上に命が危険です。
「そこじゃないっていっても、コウノトリは無関係じゃないんでしょ?」
気を取り直して、話を戻す。いずるさんの語りは内容こそ不思議に満ちているけれど、完全に不必要な情報は入れない。コウノトリにも裏の意味がある……はず。
「そりゃそうさ。語るためには欠かせないよ」
ふふふ、と人を食った笑い方をして、一息置く。
「仮に、君たちがコウノトリの贈り物じゃないとしたら、だ」
「仮にも何もコウノトリ関係ないって」
「またまたつれない」
なぜか、ちらりとるいに視線を送るいずるさん。
「どうやら君たちは、自分たちだけの秘密を持っていると思い込んでいるようだね。それはそれで魅惑的な発想だし、ロマンがある。ただ、そのロマンとコウノトリにはほとんど差がないよ」
「……はい?」
「ロマンとコウノトリさんが一緒、ですか……?」
「そう」
意味がわからない。僕らの呪いとコウノトリが一緒? それって幻想ってこと?
「……病気は実在する、という前提で答えて欲しいんだけど」
「もちろんだよ。その上で君たちの思考はコウノトリレベルだと言ってるのさ」
「……?」
ますますわけがわからない。
「もう少し噛み砕いて言おうか」
反応の悪さを楽しみつつ、僕らを見回す。なぜか、るいのところで一旦視線を止める。
「君たちは赤ん坊を運ぶコウノトリを『いない』という。でも、実際にいるんだよ。単に君たちが知らない、気づかない、思い出さないというだけさ」
「……」
からかっている風ではない。でも、赤ん坊を運ぶコウノトリを信じている風でもない。
どういうことだろう?
僕たちの知らないコウノトリ。思い出さないコウノトリ。どこからともなく赤ん坊を運んでくる不思議な鳥。小さい頃に誰もが聞いた、絵になるおとぎ話。
けれど、僕たちは知っている。僕たちは不思議から生まれたわけではない。そりゃ、生まれたときから不思議な呪いを背負っているけれど、ちゃんと――
「……!」
思い当った。
「……気付いたかな」
僕の表情の変化に気付いたのか、いずるさんが目を細める。
「……生まれながらの病気なら、当人たち以外に知ってる人間が必ずいる」
「そういうこと」
肯定しつつ、ちらっとるいを見る。
「若気の至りだ、自分たちだけの秘密だといきがるのも自由だよ。ただ、人間は草食動物じゃない。生まれて即立ちあがって走ったりはしないのさ」
「……うん」
「え、どゆこと?」
頭の上に?マークを大量に並べて首をかしげるるい。
「秘密は僕たちだけのものじゃないってことだよ」
「……え、なんで?」
「赤ん坊の手は小さい。それこそ、何かに添えることすらままならないほどにね」
いずるさんが、再びるいに視線を送る。まるで、何かに気づけと呼びかけるように。
「そのちっこい手に持ちきれないような荷物は、一体誰が持ってやるんだい?」
「……あ!」
こよりが思いついた。るいはまだ首をひねっている。
「んー、わっかんない! 何? どゆこと?」
「つまりは、コウノトリの正体」
ちょっと苦い気持ちも感じつつ、答え合わせ。
「……親、だよ」
「大正デモクラシー」
「灯台もと暗しです」
「まあ、基本中の基本ではあるわね」
「言われてみれば……呪いについてしっかり聞いたことってあまりなかった気がしますです」
「死活問題ではあるけれど、できれば触れたくない話題だしね」
「……」
いずるさんに話を聞いて、花鶏の屋敷で作戦会議。
案の定というかなんというか、『親が自分たちの呪いを知っている』という事実はみんなの頭からすっぽり抜け落ちていたらしい。ほとんどの時間を同盟メンバーで過ごしてきた分、それ以外の人への興味が失われてしまっていたんだろう。
……その親が既にいなかったりロクでもなかったり仲が悪かったりと、あまり嬉しくない方向にバリエーション豊富なんだけど。
「私はもう一度両親に色々聞いてみるわ」
「鳴滝めも聞いてみます。多分、私を心配して言わなかったこともあると思うから……」
伊代とこよりは親と仲がいい。画期的な情報は望めないかもだけど、意外と隠された真実が出てくるかもしれない。
ただ、現時点で期待できそうなのはこの二人だけだ。
「あんな両親に今更聞くなんてできるわけないでしょ」
「聞く以前の問題で生きてるのか死んでるのかもわかりません」
花鶏と茜子は仲悪い組、しかも茜子は親が行方不明と来ている。この二人の親から情報を引き出すのは難しいだろう。
それよりさらに難しい、というか実質不可能なのが僕。なにせ両親共に既にこの世にない。
央輝、惠は今回は対象外。なんとなく、央輝も両親は既にいない気がするし、惠は今は触れられない立場にある。
……となると、あと一人。
「るいセンパイのご両親はいかがですか?」
「……」
「……うわ、なんかめちゃめちゃ機嫌悪い」
「……」
鬼の形相一歩手前みたいな顔であさっての方向を睨むるい。
「あんまり、さ。親のこと思い出したくないんだよね」
誰とも視線を合わさずに、投げつけるように呟く。
「お母さんはともかく……もう一人の方は、特に」
「もう一人って、お父さん?」
「あんなの父親じゃないよ」
「……」
尖りに尖ったオーラ。彼女の最も奥底にわだかまる憎しみがこぼれ出る。
「冗談じゃないよ。あんなのが父親だったなんて思いたくないし、思い出したくもない。情報だって持ってるわけない、持っててたまるもんか」
「……そんなに、嫌いなの?」
「嫌い。この世で一番嫌い、だいっきらい」
「……」
有無を言わせぬ空気。惠に対して怒った時よりさらに強い、場を染め上げるほどの憎しみをあらわにする。
「死んでせいせいしたよ、あんな奴。なんか遺産残してたみたいだけど、お金になりそうなのは親戚に持ってかれて、私に残ったのはゴミだけだし。ううん、お金なんかいらない。あいつの残したお金なんか一円だっていらないもん」
――ゴミ?
直感が鳴る。
「――待って。るい、そのお父さんが残したものって見たことあるの?」
「あるわけないじゃん。どうせ何の役にも立たないんだし」
「……あの」
「……言っちゃなんだけど……ものすごく怪しいわよ、それ」
みんなも何か感じるところがあったらしい。口々に僕の勘の援護をする。
「……なんで? あいつが残したものだよ? 怪しいも何も、ゴミに決まってる」
るいは不機嫌と疑問が混ざった表情を浮かべる。彼女にとっては父親の残したものに着目すること自体が異常に思えるのだろうか。
……ますます、怪しい。
「実際に見たわけではないんですよね?」
「見てない。見る価値もない」
「……でも、その残ったものを親戚の方は処分しなかったのよね?」
「全部捨てたら問題なんじゃないの? ゴミでもガラクタでも、残しておけば分けたってことになるとか言われたし」
「親戚もバカじゃないと思いますよ。本当に価値がゼロなものだったら突っ込まれます。価値があるかどうかは別として、裁判でも勝てるようなものを残してるはずです。腹黒い奴はそういうところには気が回ります」
「……何が言いたいの? アカネ」
「恐らく、残されている物は金銭的な価値がゼロでも、相手を説き伏せられる要素があるんです。後生大事に持ってたとか、あなたに託すと書かれていたとか」
「ない。それはない」
「……なぜ、ないと言えるんですか?」
「ないからだよ! ありえない、あいつが私に何か残すなんてありえない!」
憎しみに瞳を燃え上がらせ、噛みつくように否定するるい。ほとばしる怒りは深くて黒くて熱い、内奥から沸きだし、るいの本質を焦がしていく。
「あいつは人でなしなんだ、そうに決まってる! お母さんや私を見捨ててほったからかしてどっかいっちゃって、そのまま勝手に死んで! そんなのが私に何か残す? あるわけがないよ! 私は絶対にあいつを許さない、たとえ何か残してたって、受け取ってなんかやるもんか!」
煮えたぎる積年の恨み。
きっと、るいが裏切りをとことん嫌うのは、お父さんのことがあるせいなんだろう。
お父さんに裏切られた――そのひび割れが、るいの心で痛み続けている。憎むことが自分を守ること――それぐらい屈折したものを感じる。
「……」
けれど、不思議なもので。
るいが否定すればするほど、るいのお父さんが残したものへの興味が沸く。怖いもの見たさなのか、こういう展開には裏があるものだと希望的観測を抱いているのか、どちらにせよ、無視するべきじゃない、そんな気がしてくる。
そう思うのは――おそらく。
「あのね、るい。怒らないで聞いてね」
「何」
思い出すのは、数十分前のこと。
僕たちにヒントをくれたいずるさんの視線。
煙に巻いたり翻弄したりがメインの一連の動きの中、彼女の視線には一貫性があった。
「いずるさん、ことあるごとにるいの方を見てたんだ。主に話してるのは僕だったのに」
「……そ、だった?」
「うん。るいはあまり気にしてなかったみたいだけど」
るいが気付かなかったのは、いずるさんの隣にいたせいだろう。横顔から視線の僅かな動きを捉えるのはなかなか難しい。反対に、いずるさんの正面にいた分僕は目線の動きがよくわかって、気になっていた。
「なんとなくだけどね……いずるさんのコウノトリの話、るいに対して話してる感じだったんだ。気づけって言ってるみたいだった。それがるいのお父さんの残したもののことなのか、また別のものなのかはわからないけど」
「それはない。絶対にない。あってたまるもんか」
「……うん」
るいは頑として可能性を受け付けない。鉱石みたいだ。
……でも、今は、それを動かしてもらわないと。
「あのね、るい。お父さんのことは信じなくていい。そこは僕がどうこういうことじゃない。ただ……いずるさんは、信じてみてほしい」
「……」
「今、僕らが新たに得られる情報は、伊代とこよりの親と、るいのお父さんの残したものしかないんだ。助かるために、生き延びるために、少しでも多くの情報が欲しい。役に立つか立たないかは後で決めればいい。とにかく集めたい」
「だから、あいつの持ち物に可能性なんかないって」
「それはあなたが決めることじゃありません」
茜子の援護射撃。
「どうせやることなすこと無駄骨ばかりなんです。あと一本無駄骨が増えたところで大したことありません。しらみつぶしにやったほうがいいです」
「でも」
「……るいセンパイ」
こよりが一歩前に進み出る。
「……こよりん」
「お願い、します……」
深々と、頭を下げる。
「わかんない、です……でも、鳴滝は知りたいです。知りたいんです。ただ震えてるのはイヤなんです。お願いします」
「……でも、こよりん」
「……一度だけ、信じてみようよ、るい」
「……」
信じる――突き刺さる言葉。
もう裏切られたくない――みんなの切なる願い。
けれど、それは「信じたい」の裏返し。
信じたいのに信じられなくて、訪れるかもしれない断絶に怯えて、誰かを恨むことで、敵を作ることで団結を強めるふりをして――でもやっぱり、僕らは信じる何かを探している。信じられる明日を探している。
失敗するかもしれない。成功はなかなか見えてこないかもしれない。身近な裏切りが再び発生するかもしれない。
けれど、それでも前に進まなければ、僕たちに明日はない。未来はない。
藁でもいい。雑草でもいい。道端の石ころでもいい。
掴めるものがあるのなら、それを掴みたい。
「……知らないよ、どうせ、どうせがっかりするだけだよ」
「それでもいい」
「今は、それしか手がないもの」
「……呪いの情報が一か所だけとは限らないわ」
「るい、センパイ……」
「……必要なんです」
しばしの沈黙ののちに。
「……わかった……」
るいは、苦痛の底から絞り出すように、了承の返事をくれた。
夢。
るいが、お父さんの遺産を見せてくれると約束してくれて、久々に気持ち良く眠りに着いたはずだった。
目が覚めたらすぐに出かけて、新しい突破口を開くはずだった。
夢。
……僕は、知っている。
これがただの夢ではないと知っている。
僕と姉さんの力。
未来を見る能力。
しばらく発動していなかったそれが、突然発動した。
姉さんが力を貸してくれたんだろうか?
だとしたら、どうして今?
全身をベッドに沈めたまま、妙にはっきりした意識で夢を見る。
夢と言う名の未来を見る。
明日の予定は決まっている。
じゃあ、やっぱりるいのお父さんの残したものにヒントがあるんだろうか?
「……も」
――いや。
違う。
これは、そういうものじゃない。
胸騒ぎが大きくなる。
騒ぎは喧騒に、爆音に、轟音に変わる。
僕の心臓が、割れんばかりに喚く。
冷や汗が吹き出す。
「……と、」
徐々に形をなしてくる視界。
見えてくる未来。定められた明日の形。
これは――明日より前の、まさに今から起こらんとする未来。
直感がそう告げる。
暗い、路地裏。
すえた臭いと猫の鳴き声。
そこに混じる下世話な音。
趣味の悪いシャツが見える。
いかにも安い薬品で脱色した、汚らしい金髪の男が三人。
何かを囲んでいる。
何か――いや、人だ。
笑い声。
違う、哄笑。
罠に落ちた誰かを、生贄となる人物を嗤う、吐き気を催すような下品な声。
カメラが動くように、男たちの背中の奥が見えてくる。
……。
白い、肌。
見覚えのある、肌。
組み伏せられ、焦点を失った瞳。
汚らわしい白が飛ぶ。
汚されていく。
どんなに暴れても、大の男三人では勝ち目がない。
服が破られ、無理矢理に開かされ、全身が拒絶に悲鳴を上げる。
涙すら乾き、両目は何も捉えることなく、抵抗空しく、壊される。
凌辱される、一人の女の子。
背格好は――髪型は――顔は――
…………
「……と、も」
聞こえた。
……聞きたくなかった声が、聞こえた。
あれ、は。
あれは――
「……っわああああああああああああああああああああああっ!!!」
絶叫と共に飛び起きる。布団を跳ね飛ばす。
「……何ですか、こんな時間に」
耳を通り過ぎていく非難の声。
知らない。そんなの構っていられない。
「……って、ちょっと!? どこに行くんですか!」
体当たりするように扉を開き、問答無用で外に飛び出す。
何かのはずみで見られてもいいよう、普段着姿で寝ていたのが幸いした。これならば街に出ても怪しまれないだろう。
いや、そんなことはどうだっていい。とにかく急ぐんだ!
「……っ!」
走る。
未来に向けて走る。
場所はわかる。いや、わからなくてもたどり着ける。力をもらっている今なら行ける。
いや――行けなくたって、行く。
たった今見た、今まさに起こらんとする絶望の瞬間に向けて走る。
あれは。
……今、見た、あれは。
惠だ。
動かざる未来が僕をせせら笑う。
希望の前に、とびっきりの絶望を叩きつける。
壊される。
――今から、惠が、壊される――