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after Birthday ※視点は惠

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僕の考えた惠ルート ※視点は智

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chapter 43 


「踏んだ……って、なん、で……?」
 鼓動が台所を支配する。空気が膨張し、重力が逆巻き、上下左右から僕たちを押しつぶす。
 気を付けていたはずだ。知り、背筋を凍らせ、震えたからこそ、万が一が二度と起こらないようにしてきたはずだ。
 なのに何故――
「……私の呪いが『通ったことのない扉を開けてはならない』なのは、お話ししたですよね?」
「……うん」
「あれは、人間が通れる扉に限ったことじゃないんです」
 硬直した首を無理やり捻る。怯えきった視線の先にあるのは――食器棚。
 食器棚の低い位置、膝のあたりにある引き戸――おそらくは、来客用のお皿をしまい込んであるだろう、普段は触れられることのないだろう場所が、一箇所……開いている。
 まさか……あれが、原因……?
「お茶を入れてて、花鶏センパイがムラムラっときちゃって、抱きつかれて、振りほどこうとして、転びそうになって、どこかに掴まろうとして、そしたら…… 指、が、ひっかか……て」
「な……」
「……」
 なんだ、それ。
 怒りに似た熱がこみ上げる。
 ……そんなことで。
 そんなことで、呪いを踏むことになるのか。
「取っ手、掴んじゃ、て、ぐいっ、て……」
 掠れた告白。
 零れ落ちそうなほど目を見開き続けるこより。虚空を見つめる瞳は焦点が合っていない。
「……」
 花鶏は僕たちに背中を向けている。振り返ることも、こよりの言葉に反応することもなく、呆然と膝をつき、肩を落としている。荒野に放り出されたような乾いた背中から、普段の高潔さは消え失せていた。
 ……ふたりに、掛ける言葉が見つからない。
「花鶏センパイが悪いんじゃないんです! 鳴滝が、鳴滝が悪いんです!」
「こよりん……」
 見知らぬ地で迷子になった子供が空を仰いで泣く、そんなひきつった声。
「知ってるのに、気をつけなきゃいけなかったのに、うっかりなんてものじゃないです! 叱るなら鳴滝を叱ってください! 全部、全部……わた、わたし、が……!」
「違うよ、こよりが悪いんじゃない」
 奈落へ転げ落ちる叫びを反射的に否定する。
「じゃあ、私が悪いって言うの?」
 そこに挟まる、別種の戦慄。
「花鶏」
「こよりちゃんと私しかいなかったんだもの、こよりちゃんが悪くないなら私のせいよね」
 強がりとは全く違う、極限までトーン落とした声。自責というより投げやりな呟きは、花鶏自身に向かう刃だ。
「ちょっと花鶏、そんな言い方」
「そんなも何もないわよ!」
 誰もいない方向に向け、吐くように怒鳴る。地を這っていたトーンが一気に跳ね上がる。
「冗談じゃないわよ! また呪いに追われるの!? 殺されるの!? バカバカしい、バカバカしいったらありゃしない!」
「違います、花鶏センパイが気にすることじゃ」
「これを気にしないでいられるわけがないでしょ!」
 床をこぶしで叩く音。金切り声と対のように鈍く、低く、重く、何度も響く。
 やりきれない。
 今、同盟の中で最も負担がかかっているのが花鶏だ。慣れない翻訳や解読の苦労はもちろん、間違えられないというプレッシャーは生半可なものじゃないだろう。彼女一人に背負わせるには重すぎるのに、彼女にしかできない。
 だからせめてもの気晴らしにと気をまわした結果が……これ。
 誰も悪くないのに、最悪の事態が訪れてしまった。
「ふざけないでよ! 本当、ふざけないで……!」
 叱責は、自分に向けてのもの。やり場のない怒りが、取り返しのつかない後悔が花鶏を貫く。
 どうして……どうして、こんなことに。
 起きたのは、とても単純なアクシデント。花鶏にも、もちろんこよりにも罪はない。
 そもそも、呪い自体が罪とは到底呼べないものにかかる理不尽だ。罪がなくとも、定めが僕らを刈り取ろうとする。状況も理由も問わず、ただ厳格。理由などで目こぼしをしてはくれない。
 満ちるのは、汚泥か重油のように粘りのある恐怖。肌にへばりつき、洗い流そうとも振り払おうとも離れられず、皮膚から僕たちを浸食していく。ぬるついた、朝のない悪夢にのみ込まれる。
 呪いは……そんな僕たちの絶望を、どこかでせせら笑っているのか。
「……誰が悪いとか言っててもしょうがないよ」
 とりあえずは強がりでもいい、倒れることだけは避けないと。黙っていては、溺れてしまう。それじゃ相手の思う壺だ。
「とにかく一旦みんなのところに戻って、これからのことを話し合おう」
 優等生的な台詞を絞り出して、こよりと花鶏を促す。二人とも頷き、割れたカップやこぼれた紅茶を片付け始める。手つきはぎこちない。陶磁器のひとかけひとかけを拾い、破片が襲いかかってくる未来予想に、歯を食いしばって抗っている。
 手は――出したくても、出せない。二人が自分達の行為を少しでも飲みこめるまで、後から来た人間は黙っていた方がいい。
「……なんで、こうなっちゃうんだろうね……」
 後ろに立つるいの声も、はっきりと震えている。


「というわけで、みんな心の準備はしておいてほしいんだ」
「笑えない超展開ですね」
「うう……ごめんなさいです」
「謝ることじゃないわ。気にしないで……っていうのはおかしいけど、気にしすぎは良くないと思うの。今回は、その」
 空気の読めない状況整理をしかけ、伊代が口をつぐむ。染みついた恐怖に触れる上、今回はとりわけデリケートな内容だ。むやみに口に出すより各自頭の中でまとめておく方がいい、ということに話しだしてから気づいたらしい。
 そんな伊代の判断すら逃さないのが花鶏。
「言いたいことがあるなら言いなさいよ」
 椅子にかけることもなく、睨み据えた表情のまま腕組みをする姿は、半径三メートル以内に入れないぐらい険悪なオーラを出している。それが彼女なりの現状理解なんだろうけど……存在感が大きい分、花鶏の中に満ちるマイナス感情が全員にもれなく伝染してしまう。
「花鶏、ピリピリしすぎ」
「ピリピリするなって方が無理でしょ」
 なんとか空気を変えようとしてみるものの、あっさり突っぱねられる。
「要は自分の失態を認めるふりして認めずに悪態つこうってわけですね」
「茜子、もうちょっとオブラートに包んで」
「別に、気を使ってくれなくていいわ。茅場の言う通りだし」
「でも」
「私はね、そうやって同情まじりな目を向けられるの大嫌いなの。半端に気遣われるぐらいなら、声高に罵ってもらった方が気楽よ」
 ふん、と髪を揺らして横を向く。拗ねているのではなく、心のやり場を、立て方を見失っている感じだ。
 余裕をはぎ取られ、焦燥感と罪悪感に浸される中、花鶏はどうにか我を保とうとする。でも、肝心の我が砕けかけている中で毅然を求める姿は、一種痛々しくすらある。当人はそれに気付いているのか、いないのか。
「花鶏はほっといてほしいかもしれないけど、それじゃ空気が悪くなるでしょ。せめて思考は前向きにしよう」
「それはそれで短絡的な足掻きですけどね」
「そこ、容赦ないツッコミ禁止」
「悪いとは言ってませんよ。人間の考えることなんて十中八九稚拙なんですし、個人的には賛成です」
「……賛成なんだ」
「どちらかと言えば」
 茜子は元気がないものの、反応は相変わらず。
「……私も、その方がいいと思うわ」
 伊代はなんとか動揺を抑えようと、両手を重ねて強く握っている。
「智ちんの言うとおりだよ。ここで落ち込んでても辛いだけだもん」
「一蓮托生死なばもろとも、困った運命共同体です」
「私一人で背負えたなら楽だったのに」
「踏んだのは鳴滝です。花鶏センパイは悪くないです」
「こよりちゃんは本当にお人好しね……」
 それぞれが言葉を交わすものの、視線はかみ合わない。誰が相手でも、目を合わせれば恐れが読まれてしまいそうで、自然と目をそらしてしまう。
 前回の経験は、決して遠い昔の話ではない。色んな事が立て続けに起こったこともあって、記憶の片隅に追いやっていたけれど、到底忘れることなんかできない。
『殺される』――それは、絶望と同じ。
 本能が胸を叩く、助けてとわめく。真っ暗闇を逃げるイメージ、最初は息を切らして全速力なのに、徐々に足は鈍く重くなり、やがては倒れる……意志を無視して先走る脳が描く、救いのない展開。
 やめろ、静まれ僕の脳! 怖いだけの、終わるだけの未来なんか要らない!
 からからと思考が乾いた音を立てる。
 なんとかならないのか。
 逃げる以外の選択はない、いつまで、どこまで逃げればいい?
 どこまで――そう、だ。
『いつまで、どこまで』。
 ……僕らが知りえる、数少ない呪いの特徴。
「しばらく逃げ切れば、追ってこなくなるんだよね? 私の時がそうだったもん」
 あの時の経験を、るいが自ら切りだす。
 そう、前回は実質的には一日だけだった。危ない目にはあったものの、未遂で終わり、以後追ってくる気配はない。
 もし、それが呪いのシステムだとしたら?
 呪いの発動に回数なり期間なりのルールがあったとしたら?
 捕まったら最後なのは変わらない。けれど『いつまで』があるなら、それは希望になりえるんじゃないだろうか?
「花鶏、『ラトゥイリの星』に呪いの発動時間みたいな話は載ってないの?」
 文字通り、わらをも掴む気分で問いかける。
「……」
 花鶏からの解読報告の中に、呪いがいつまで続くのかの話はほとんど出てきていない。でも、合理性を優先する花鶏のことだ、解読内容をつぶさに報告するのではなく、しっかり纏めて結論付けて話そうとしているだろう。今までも、断片的な情報ではなく、ある程度筋道立った内容を教えてもらっている。つまり、僕らには伝わってないけど花鶏は知ってる情報もあるはず。まとまっていなくても、そこにヒントがあれば少しは……。
「……残念だけど、それらしき情報は出てきてないわ。今のところなのか、そもそも記述がないのかはわからないけど」
「……そっか」
 結果は、あっさり撃沈。
 悲観的でも楽観的でもない現実主義者は、ありのままという落胆を伝える。
「またハッキリ言い切ったわね……」
「ないものはない。中途半端な期待持たせてもしょうがないでしょ?」
 問答無用の正論。あまりの鋭さに、すぱっと心が袈裟斬りされた気分になってくる。
 はー、とわざとらしい溜め息。茜子だ。
「すがすがしすぎて寒いですね、このエロ氷山が」
 ジト目で花鶏を睨む。……しかしなぜエロ氷山。
「なぜにここでエロ氷山」
 思ったことがそのまま出た。茜子はぎこちないながらもチェシャ猫スマイルをする。
「エベレストのごとく高々とそびえるプライド、絶対零度の物言い。ただしその本質はエロ造り」
「エロ造り……」
 言い得て妙……なの、かな……? 何か根本的なところで間違ってる気もするけど。
「エロのお造り……そそるのは女体盛りかしらね」
 そして何故かそっちに乗ってくる花鶏。
 なぜお造りから女体盛りに……なんか、色々ねじれてきた。
「にょたいもり、って何ですか?」
 こよりは不思議そうに首を傾げる。いや、だからなぜそっちに乗る。
 手応えを感じたのか、にょきっといつものいかがわしいメンタルを覗かせる花鶏。
「女体盛りはロマンよ! そうね、こよりちゃんで実践してみましょう」
「いや、それはない」
「せっかくだから生クリームとかでスイーツ仕様に」
「良い子になんてことするんですか!」
 ヤバイ、ちょっと乗り気だ花鶏。ぬらり、きらりと瞳が光る。
「こよりちゃんは醤油と生クリームどっちがいいかしら?」
「え、えーと……」
「答えなくていいから! こよりん答えなくていいから!」
「そうなんですか?」
「答えたら食べられてしまいます。注文の多い料理店な感じで」
「あら、注文するのは味付けだけよ?」
「そういう問題じゃありませんっ!」
 思わずこよりの前で仁王立ち。いや、人間追い詰められると何するかわからないから……。
「……ほんと、果てしないわね……」
 あまりの脱線に諦めの境地に入る伊代。気持ちはとてもよくわかる。数秒前のどんよりムードが粉々だ。なんというか、悩むのもバカらしくなってくるというか……
「ふふふ、いいわ、リミッター外してやるわ。アイデンティティまで削る必要はないもの」
 こよりの女体盛り妄想に気を良くしたのか、すっかりやる気満々の花鶏。
 その様に、計画通りと笑う茜子。
「エロペラーがエロを捨てるのは存在の否定ですからね。ちゃんと自我が残っているようで安心しました」
 ぴた。
 種明かしめいた発言に、場が止まる。
「あ」
「……なるほど」
 意図を解する一同。
「……茅場」
 花鶏も悟る。頬を赤らめ手をわきわきさせた状態で、顔だけ茜子に向ける。
「くくく」
「……くっ」
 してやられた感たっぷりの、でも少し緩めた表情を見せる。
「一本取られたわね、悔しいけど」
「余計なもの見えすぎると、突っついて引っこ抜いてかき回したくなるんですよ」
「意外とアグレッシブ」
「たまにはいいでしょう」
 真面目に、深刻に物事を考えるとき、人は往々にして自由を失い、発想が停止する。そんなときに横から茶々を入れられると、ふっと力が抜けてメンタルの風通しがよくなったりする。
 崩れてしまう前に、ちょっと小突いて立ち直らせる――茜子なりの気遣い。毒舌一直線の中に突破口を混ぜるあたり、上手い。
 ふー、と息を吐く花鶏。
「……女体盛りは後のお楽しみにするわ。予約」
「諦めないんですか!」
「当然でしょう?」
「……さすがだわ……」
「とりあえずは、今の問題を超えてからね」
 壁にもたせかけていた背を起こし、きちっと立つ。
 ペースを取り戻しつつ、再び本題に言及する。瞳には少しずつ力がこもり始める。
「さっきもいった通り、現状では、期限や回数については何も言えないわ。可能性はある、としか」
「じゃあ、ずーっとずーっと続く可能性もあるですか……?」
 こよりが心底不安一色で聞く。唇は震え、吹雪に晒されるかのように肩が震えている。
 ……花鶏やみんなはともかく、こよりの不安は逸らせていない。雑談程度じゃ難しいんだろう。
 だって、こよりは一番の当事者だ。真っ先に狙われてしまう身だ。混乱も怯えも後悔も深く重く、逃れようがない。冷静になろうとすれば現実がのしかかり、心のままにいれば死神の気配に意欲を削られ、気を紛らわそうとすれば引き戻され、解決策は未だ闇の中。
 立ち直れ、という方が無理な話だ。
「……期間なのか回数なのか、踏む人間や踏み方によって稼働時間が変わるのか、諸々の可能性も含めて、皆元の一回限りのテストケースでは材料が少なすぎる。現時点では結論は出せないわ」
「……あう……」
 こよりは頭を抱えうずくまり、部屋の片隅で涙をこぼす。ハンカチを差し出すと、泣きはらした瞳で上目遣いをした後、申し訳なさそうに涙をぬぐう。
 もちろん、花鶏は意地悪をしているわけじゃない。気遣いはちょっと薄目だけど、熟慮の上での誠意を込めた対応だ。
「ごめんね、こよりちゃん。平気って言いたいのはやまやまなんだけど」
「いえ、いいんです……わかってる、です」
 大丈夫、大丈夫でなあなあにできないからこそ、花鶏は事実を並べる。なだめるための楽観的発言は、一歩間違えれば毒にもなりえる。特効薬やウルトラC的な解決策があればいいけど、世の中そんなに甘くない。じりじりと魂を焦がす死の足音を止める術も、耳を塞ぐ方法もない。僕たちには、せめてもの安心にと頭を撫でてあげるくらいしかできない。
 そんな慰めだけで解決することなどもちろんなく。踏んでしまった以上、僕らの選択肢は実質ひとつ。
「要するに『わかんないから当たって砕けろ』ってことですね」
「砕けちゃ困るから、全力で逃げ出すんだけどね」
「逃げ切れればこっちのものなんだよね」
「そうだね。……そこが問題なんだけど」
「んー……」
 るいが難しい顔で考え込みはじめる。
 ……珍しい、かなり相当本格的に珍しい。るいは『考えるな、感じろ』派だし、ちょっとでも内容が複雑化すると投げちゃったりするから、こんな風に真剣に思案することはまずありえない。
 彼女がそうするのは、身に覚えがあるからなのだろう。なんてことないミスが地獄の扉を開く、その瞬間を実体験してしまったからこそ、こよりの現状に人一倍共鳴する。
 首をぐるっと回して、目を閉じて、また開けて、上を見て、下を見て、三歩歩いて二歩下がって、じっくり考える。
「ん、わかった」
 ぐっと虚空を一瞬睨み、るいがこよりに歩み寄る。なんだか、妙に気合の入った歩き方だ。
「……るいセンパイ?」
 気圧されたか、ちょっと後じさりし、こよりがるいを見上げる。るいはよいしょ、としゃがみこみ、見上げていた目の位置を正面にさせる。
 びしっとアイコンタクト。
「こよりん、肩に担がれたりするの平気?」
「……へ?」
 予想外な質問に、ぽこっと口を開ける。気にせずさらにプッシュするるい。
「あるいは、お姫さま抱っことか、かたぐるまとか、そういうの」
「え、平気……ですけど」
 面食らいつつ答えるこより。
 それを確認し――るいが歯を見せて笑う。
「うっし、ならノープロブレム!」
 どんっ、と胸を叩く。
「私、体力や力には自信あるから、こよりん担ぐぐらい簡単だよ!」
 場にあわないほどの明るい声と、明るい言葉が飛び出す。
「力もだけど、早さも自信あり。こよりんのローラーブレードも早いけど、るい姉さんだってぜーんぜん負けてない、いや勝ってる」
 るいの、らしくない話し方。呪いに触れる危険を考えてのことだろう。
 らしくないとは、慣れてないということ。普段、るいは話にどんどん絡んでくるものの、呪いに抵触しそうな展開になると口をつぐんでしまう。義理堅く情熱的だけど、予定や未来についてはギリギリラインを歩かず、さっと引いてしまう部分があった。
 そんな彼女が危険を冒してまで見せたいのは……差し伸べる手。
「るい、せんぱ……」
「だからこよりん、心配しないで。るい姉さんがついてる」
 ね、と歯を出して笑う。屈託なく、ためらいなく。
「るい……」
「あなた……」
「まさかの救世主立候補。ある意味世紀末」
「ふっふーん。るい姉さんは強いのだっ」
 うぃん、と背中を逸らしていばりんぼのポーズ。
 助ける、と。
『こよりが呪いから逃げるのを助ける』――るいの申し出。
 一度味わった恐怖だからこそ。一度、自らが犯した過ちだからこそ。
 るいは率先して前に出る。こよりへの、仲間への想いを形にする。
「で、でもそんなことしたら、るいセンパイまで危険な目に」
「へーきへーき! こよりん一人にする方がずっと危ないって」
「それは言えてる」
「階段から足を滑らせるとかバナナの皮を踏んづけるとか、ドジっ子ネタなオチすら想像できますからね」
「そ、そりはいやです……」
 確かにそれはイヤだ。ただでさえ願い下げなのに、間抜けな結末なんて化けて出たくなる。
 いや、化ける気も結末を迎える気もさらさらないけど。
 直球で、素直なるい。一度決めたら止まらない、まっすぐな想い。
 それは、彼女の強さでもある。
 るいの隣に座って、同じくこよりと向き合う。とめどなかった涙は少し乾き始めている。
「僕たちだって、こよりを一人にする気なんかないよ」
 心のうちで、みんな覚悟は決めていただろう。でも口にするのは少しためらわれた。呪いを背負うという宣言は、最善とわかっていても勇気のいることだ。
 るいが、その先陣を切った。だから、僕はそれに続く。
「前回だって、みんなで乗り切ったようなものでしょ? 大変な時こそ協力するのが僕らの同盟なんだし」
 みんなを見回す。特に異論はない模様。だって、こよりは僕たちの大事な仲間なんだ。
「ま、そのぐらい当然よね」
「一人だけに背負わせるのはおかしいわ。やっぱり、みんなで支え合うべきだと思う」
「どこまでもお花畑な連中ですね、私も含めて」
「赤信号、みんなで渡れば怖くない!」
「それは違う」
「レッドゾーン的な意味では似てますよ。どっちにしろ渡りきりますが」
「渡るんだ」
「赤信号は渡るためのものです」
「危険発言来た」
「ま、超えてしまえばなんてことないわよね」
「ふぇ……みなさん、優しいです……優しすぎるです……」
「悲しみや苦しみは、みんなで分け合えば半分になるんだ。だからね、安心してみんなの手を取ればいい」
「……っは、はいぃ……!」
 こよりがまた泣き出す。心を冷やす涙ではなく、温める涙で、勇気が芽吹いていく。


『バカかおまえら!』
「うわぉ」
 キーンと耳をつんざく声に、思わず携帯を遠ざける。
 六人の意志を確認した後、まず連絡したのは央輝。正直に事情説明をしたら、案の定怒号が飛んできた。声の大きさは想像以上、やっぱり彼女も呪い相手には余裕がなくなるみたいだ。
「バカかアホかと言われても、踏んでしまったものは踏んでしまいました」
『踏んでしまった、じゃない! ったく……これだから仲よしごっこってのは』
「同盟とこれとは関係ないよ。それに、同盟がなければ呪いは解けないからね、離脱とか言わないでね」
『ちっ』
 それはもうあからさまな舌打ち。遠慮する気ゼロ。当然の反応と受け止めつつ、話を進める。
 同じ呪い持ちである以上、現場に居合わせたかどうかは関係なく、伝えておいた方がいい。加えて、現時点での僅かな対策も確認する。
「前にも話したけど、呪いは基本的に、踏んだ本人を狙ってくる。ただ、その場に別の呪い持ちがいた場合、その人が襲われる可能性もある」
『とばっちりだな。はっ、どこまでもふざけた仕組みだ』
 ふざけてる……確かに。呪いは何から何までふざけたものばかりだ。今回だってキッカケは些細過ぎること、なんでこんなことで命を狙われなきゃならないのかと正直思う。
 でも、嘆いてどうなるものでもないし、抵抗しなければ殺されるだけだ。立ち向かって前向きに逃げる以外、生き残る術はない。
 もっとも……逃げるときに全員一緒にいなければならない理由もないんだけど。
『つまり、あたしはおまえらに会わなければ安全ってことだな。次に顔を見るのは呪いを解くときだ』
「……そう言うと思ったよ」
『なかよしこよしの馴れ合いならいざ知らず、襲われるとわかっててわざわざ尋ねるほどあたしはバカじゃない。離脱しないだけありがたいと思え』
「だよね」
 思わず嘆息する。予想通りすぎるほどに予想通り、素直な反応。実際、央輝を巻きこむ必然性もないし、今回は離れていた方が賢明だろう。
 せっかく仲間になったのに……とは思うものの、彼女にそこまで求めるのは酷というもの。
「こんな状況になっちゃったからね、央輝は個人行動した方がいいよ。ただ、呪いが踏んだ人以外のところに来ないって確証もないから、十分気をつけてほしい」
『あたしがそんなドジ踏むと思うか?』
「念には念を。黙ってて後で祟られてもイヤだし」
『当たり前だ』
 投げ捨てるように言う。でも、踏んだと聞いた瞬間の逼迫した恐れは薄らいでいるみたいだ。僕らに近寄らなければ襲われないという予測が、少し救いになったらしい。
 央輝にはこのぐらいで十分だろう。注意して注意しすぎることはないけれど、息が詰まりすぎても良くない。呪いが解ける日までは、こうして着かず離れず、お互いの身を守り続けた方がいい。
 ……と、央輝が小さく呟く。
『……一人でも欠けたら承知しないからな』
 ……あれ。
「央輝?」
『いざ呼ばれて行ってみたら人数不足とかシャレにならない。いいか、おまえら、絶対に全員生き延びろ』
 ぶっきらぼうな言い方だ。
 でも、これって……
「……心配してくれてるの? 央輝」
 一瞬の間。
『ばっ……! 違う、あたしは呪いを解きたいだけだ!』
 スピーカーが音割れしそうな怒号が飛んでくる。
 ……なんか、かわいい。
「本当に?」
『本当だ! 下衆の勘繰りはやめろ!』
「素直じゃないんだから」
『……おまえ……次に会ったら覚えてろ……』
「覚えてられたらね」
 ……なんだかんだで、央輝はいい人だ。
 実際、半分ぐらいは自分が不利にならないためだろうけど、それでも気遣ってくれたのは嬉しい。
「もちろん、心配無用。僕たちは僕たちなりに乗り切ってみせるよ」
『はっ、せいぜい頑張るんだな。じゃあな』
 通話が途切れる。
「……ふー……」
 ためいき、ひとつ。
 ずりずりっと壁伝いにずり落ちる。なんとか協力継続を取りつけることができたけど……えらく疲れた。交渉自体は難しくなかったけど、やはり呪いを踏んだという状況は胃に悪い。
「ブルマ見えてます、露出狂」
「ほわぁ!?」
 茜子の指摘に大慌てでスカートを抑える。しまった、自宅だからって油断した!
「見ーちゃった」
「みーたーなー」
「写メして景気づけに送るべきでしたかね」
「だ、誰に!?」
「……ニヤリ」
「花鶏はだめー! なんかこう、色々と使われちゃいそうだからだめー!」
「他の人に送ったらただの通報もののセクハラです」
「いやあぁぁぁぁ」
「イヤならとっとと夜のカフェオレを」
「牛乳高いので低脂肪乳しかないけど」
「だから貧乳なんですね。脂肪をケチった報いです」
「言うなー!」
 貧乳なのは低脂肪乳のせいじゃないけど。……身長が低脂肪乳のせいだったらどうしよう。なんてことで、次への緊張を紛らわせる。
 央輝はまだいい。問題は……最後の一人。
「まあ、カフェオレは後でいいです。先に連絡を」
「……だよ、ね」
「いくらなんでもこの状況で彼女をハブるのはまずいでしょう」
「……うん」
 携帯を握る手に汗が滲む。
 最後の一人……惠。
 あの日から会っていないし、連絡も取っていない。下手に勘ぐられるとまずいから、当人の申し出もあり、もらったメールは当たり障りないものを除いて削除してしまった。当然、彼女が泊まった気配も部屋から消えてしまっている。
 結果的に、惠を前以上に深く孤立させてしまったことになる。本人がそれを望んでいる節もあるだろう。けれど、その「望んでいる」が本心ではないという確信もある。一対一ならそこを突いたり懐柔したり満たしてあげたりできるんだけど、一対一以前に会うことすら不可能に近い状況では手の打ちようがない。
 茜子は正面に陣取ってこっちを見ている。読む気満々だ。読んだものをどう使うかは茜子次第だけど、隠すことそのものはできそうにない。
 ……余計な真似をせず、それこそ現状報告にとどめるしかないだろう。
 小さく、細く深呼吸。
 アドレス帳から惠を呼び出す。
「……」
 一回。二回。
 無機質なコール音が心を凍りつかせていく。
 三回、四回……五回。
 胃がキリキリする。肺が縮むかのように息苦しくなる。
 六回……七回。
 出るのをためらっているんだろうか。それともお風呂とかで物理的に出れないんだろうか。もしかして、彼女の身に何かあったとか――
『……はい』
 青ざめかけた頃……ようやく、ぬくもりのある音が流れ込んできた。
「惠!」
『……ああ、智の声だね』
 惠の声だ。元気……かどうかはわからない、抑えた声。
 やっと声が聞けた、それだけで心臓が早鐘を打つ。
「久しぶり、元気だった?」
『ご想像にお任せするよ。ほんの数日で大事に至るということは、この年代の人間にはあまりないことだけどね』
「了解、元気なんだね」
『楽観思考は大切だよ』
「全面同意。へへ、良かった……うん」
 思わず感情を畳み掛けそうになって、はっと我に返る。茜子のチェックはしっかり始まっている。
 ……危ない。今の僕は交渉人でメッセンジャーだ。
 すー、と深呼吸。
「……あ、あのね惠。今日は報告したいことがあって電話したんだ」
『報告か……いきなり本題に入るような重要事項なのかな?』
「うん。……正直、いい報告じゃないんだけど」
『……』
 少しの間。
 続きを促すより前に――惠が確認してくる。
『そこに……誰かいるんだね』
「!」
『いるとしたら茜子かな。君を見張るなら彼女が最も適任だろう』
 ぞくりと、背筋に悪寒が走る。
 ……一瞬で見抜かれた。
 流石というべきか、当然というべきか。いつも電話するときは無駄話やら砂糖漬けの会話やらを混ぜ込んでいた。それを排されているとなれば、結論に至るのは難しいことじゃないかもしれない。
 そんな彼女の鋭さに驚く、だけじゃない。同時に、それ以上に、惠の声に込められた距離感に愕然とする。
 温度を意図的に下げた、ぱちっと張った声。さっきの花鶏のとは違う、底冷えのする言葉の流れ。
 ……一度は砕いたはずの檻が再び作られてしまったのだと、嫌が上にも思い知らされる。
 茜子がここにいると気づいたからなのか、僕に対しても心を閉ざしてしまったのか、そこまではわからない。けれど、離れたことが彼女の心に相当な悪影響を及ぼしたのは確実だ。離れたことだけではなく、他にも何かあったのかもしれないけど……会えないのが、聞けないのがもどかしい。
『手短に、用件だけ聞こう。その方がいいだろう?』
「あ……うん」
「……」
 視線に、心を読まれている緊張感に取り巻かれつつ、一度小さく息を飲む。
 今はお互い、与えられた役割を演じるしかない。
「こよりが……呪いを踏んだんだ」
『な……!?』
 言葉に詰まる惠。
「今日のところは、まだ奴は出てきてない。でも、ほぼ確実に今後出てくると思う」
『そんな……彼女はとりわけ幼い、生命の危険はもちろん、あの恐怖に耐えるだけでも相当な重圧なのに』
「うん、相当手厚くサポートしないと厳しいと思う。もちろん、僕らも全力でこよりを守るよ。だけど、それだけじゃ不安はぬぐい去れない」
『普段もだけど、襲われた時が肝心だ。パニックが何よりも危険になる。とにかく十分に気をつけて、支えないと』
「うん……」
『……こより……』
「……」
『こよりはもちろんだけど、君たちも危ない。奴はどう出てくるかわからないんだ』
「呪い持ちは全員狙われるみたいだし……みんな、他人事じゃないよ」
『とにかく、乗り切ってくれ。誰かが咎を背負うなんてあってはならない』
「うん」
『……どうか、どうか気をつけて、無理はしないように』
「もちろん」
 電話の向こうで歯がみしているのが見える気がする。声の調子、一つ一つの言葉選びから、他人に対するものとは明らかに異なる、身を切るような憂いが伝わってくる。僅かに震えている声、間の取り方、彼女の心配は本物だ。しかも、自分も呪い持ちなのに、奴が自分を襲う可能性に言及しようともしない。自分は二の次だとでも言わんばかりだ。
 ……壁があっても、心を閉ざしつつあっても、惠の心はみんなから離れていない。彼女の中で、仲間は薄らぐことのない大切なもののままだ。
 それなのに、惠はみんなから離れようとする。強い想いがあるくせに、それに背を向けようとする。
 ……。
「ねえ、惠」
『……何?』
「戻っては、これないかな」
 言う気はなかったはずなのに、口を滑り出る。
『……智……』
 惠がみんなを大事に思っていることは、今の話で確認できた。
 だったら……戻ってくることだって、選択できるじゃないか。
「今なら、みんなも受け入れてくれると思うんだ」
 浅ましいけど、一種卑怯なタイミングでもあるけど……こよりが呪いを踏み、超えようとしている今ならば、惠が戻る余地はある。パルクールレースのときと同じだ。『困難を団結して乗り越える』というシチュエーションは、それまでの疑念や不安を脇に置くことができる。呉越同舟という言葉があるぐらいだ、巨大な試練の前ならば、敵ですら手を取り合える。
 今までの状態では、仮に惠が戻ろうとしても争いや腹の探り合いになるだけで、復活は望めなかったかもしれない。でも、呪いという災厄を待ち受けているなら話は別。
 チャンス、とは口が裂けても言わないけど、時があるとすれば、今だ。
「一緒に、こよりを助けよう。一人より二人、二人より三人、六人より七人だ」
『……』
「惠」
『……』
 悩むかのように、迷うかのように、沈黙。電話越し独特のノイズだけが二人の間に横たわる。
「ねえ、惠、お願い。戻ってきて」
 煮え切らない態度に、僕のエゴが顔を出す。
 彼女をこれ以上孤立させたくない、前以上の壁を作らせたくない。奴が気まぐれで惠を狙う可能性も否定できないんだ、手の届かないところで惠が傷つくのはまっぴらだ。
 それに、惠の同盟再加入には大きな意味がある。惠自身の意図はともかく、今の同盟の空気の悪さには惠の離脱が大いに関係している。逆を言えば、惠がうまく戻ることさえできれば、一気に解決はしなくても、緩やかに絆を元通りにすることはできるはず。
 良くも悪くも、彼女が同盟の鍵を握っている。
 僕の個人的な理由からも、同盟維持の観点からも……惠が戻る以外、事態の根本的な解決は望めない。
 だから、どうか。
 こよりのためにも、みんなのためにも、僕のためにも、どうか――
『……健闘を、祈る』
「え……」
 祈りは――届かない。
「惠、待って、め」
 電子音。断絶の判決が下される。
「……フラれましたね」
「……そんな……」
 携帯が急に重くなり、手を落とすように下げる。
 惠は、戻ってこない。この期に及んでなお、孤独を選ぶ。
 みんなのことが好きなくせに。あの日々を、楽しかった日々を忘れられないくせに。ひとりぼっちの苦しみに折れそうなくせに。
 ……なぜ?
 虚ろな心を疑問が回る。答えは導き出せず、いたたまれなさと切なさと無力感に締め付けられる。
 なぜ、そこまでして君は、みんなと離れたがるの……?