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after Birthday ※視点は惠

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僕の考えた惠ルート ※視点は智

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chapter 47 


 なでなで。
「っ……ふぇ、ふぇぇ……」
 泣きっぱなしのるい。
 頭をなでて、背中をさすって、とにかく落ち着くまで好きなように泣かせておく。泣きたいときは泣く、感情が流れるときはそのままにした方がいい。こらえることなんかないんだ。
 特に、今回は。
「……ビンゴというか、ドンピシャでしたね」
「ざっと見た感じだけど、ほぼ完璧な写本ね。ここまで手書きで写すのは相当な手間よ、よっぽどの覚悟がないとできない」
「う……ううぅ〜」
 花鶏の感嘆に嗚咽するるい。
「……るいセンパイ……」
「ツッコミは色々とありますが、オーソドックスな落とし所って感じですよね」
「その表現はどうかと思うわ……私もほっとしたけど」
「良かったじゃない、るい。お父さんの気持ちがわかって」
「うー……お父さぁん……!」
 また泣く。よしよしとあやす。
 テーブルには、貸し金庫から回収してきた古ぼけた封筒と、その中身である紙の束。
 ……るいのお父さんの忘れ形見。
 多くの人々には放蕩者の趣味の残骸にしか見えないだろうそれは、僕たちにとっては最大級の驚愕だった。
 ――『ラトゥイリの星』の写本。
 そして、るいのお父さんが呪いについて研究していた時のメモ。
 情報源としての価値の高さは言うまでもない。
 でも、それ以上に――ようやく届くべき所に届いたそれは、るいの日々を温かく照らした。
 メモに記されていたのは溢れんばかりの愛情。るいが心の底で求め続け、得られなかった悲しみゆえに膿みに変貌していた、親子の絆の証。
 憎むことで保っていた強がりが、長い時間を経てお父さんから届いた手紙によって崩れ去る。
 疑いようのない、お父さんからの、るいへ、家族への想い。行動に出たがために、本気で呪いと戦ったがために生まれてしまったすれ違いと誤解が、メモの一文字を追うごとに解きほぐされていく。
 一生に一度あるかないかの、喜怒哀楽が全て混ざった涙。とめどなく溢れるそれは、彼女にこびりついていたしこりを洗い流していく。
『愛されている』――僕らが、求めてやまない感情。
 この世界が愛でできてる、なんて言う気はない。むしろ、僕らにとってはその逆だ。たとえその表現に一理があったとしても、僕らはその恩恵にはあずかれない。
 呪いという巨大なイレギュラーは、僕らから愛情を防ぐ傘のようなもの。僕らも呪いがために人とは関わろうとしないし、陰に陽に滲みだす異質さは一般人が離れていくに十分だ。社交性があれば表面的には仲が良いふりはできなくもないけれど、あくまでうわべだけ。それ以上は踏み込まないし、踏みこませられない。
 得られないと知っている――だからこそ、僕たちはそれを狂おしく求める。あるときは仲間という形で、あるときは恋人という形で。
 その前段階にあった『親子』という愛情の関係。
 今は既に失われていたり、歪んでいたり、離れていたりするけれど……かつて確かにあっただろう、一番最初の原体験。
 だからこそ、るいはお父さんを憎んだのかもしれない。一度は深く愛された経験を持つからこそ、失われたショックが尾を引いてしまったのかもしれない。
 でも、実際は失われていなかった。ただ判りづらくなっていただけ、距離が、真摯さが誤解を招いただけ。
 誤解が解けるとき、溜めこまれていた感情は一気に昇華する。
 腕の中にあふれる愛情は、何よりも心を満たし、癒してくれる。
 お父さんからの想いのプレゼント。ちょっとだけ羨ましさも混ざるけど、自分のことのように嬉しくもある。
 ……良かった。本当に良かった。
「うぅ……ごめん、ありがとトモ」
 ぐじぐじタイムがさらに続いた後、るいがもぞりと顔を上げた。
「ん、そろそろ大丈夫?」
「んー……まだ、かもだけど」
 乱暴に目をこすりつつ、ちょっと苦笑い。
 ばつが悪そうだけど、かなりふっきれた感じの顔だ。
 で、そのすっきり顔から出てくるのはこんな言葉。
「……あんまり泣いてたからおなかすいてきた」
「そっちか!」
「なんて正直な!」
「はた迷惑なブレなさ」
「所詮胃袋魔人は胃袋魔人でしたね」
「流石だわ……」
 るいらしさそのものの発言に、思わず全員で突っ込む。
「だ、だって本当におなかすいちゃったんだもん! ……こんなに泣くの、その、久しぶりだし」
「泣くのって意外とエネルギー使うよね」
「泣かせものの映画とか見るとぐったりしますよねー」
「正直なのはいいことよ。多分」
「他人様に迷惑かけない限りはですね。今回は主にセクハラリアの懐を直撃しますが」
「……食べ物は出さないわよ」
 案外寛大な一同。しかし約一名は手厳しかった。そりゃそうだろう、今まで僕らが通ってる分のお茶やお菓子は全部花鶏が負担してくれている。悪いからと何度か支払いを願い出たけど、プライドが許さないとあっさり却下された。塵も積もれば山となる、でも塵ぐらいの負担を出させるのは気が咎める、世の中なかなか難しい。
「うう〜……ごはん……」
「『ごはん』じゃないの! まだ明るいじゃない! もう少し我慢しなさい!」
「なんかお母さん的な台詞」
「あの子が母親になるのは想像つかないわね……」
「むしろ父親がいるのかという」
「愛があれば性別なんて! ってわけには……いかないですよね」
「そこでコウノトリですよ」
「なるほど、赤ちゃんを運んでくるですか!」
「考えてみたら、あれって結構シュールな話よね。結果的には、どこの誰とも知らない子どもを運んでくるんだもの」
「……確かに」
 本当は怖いグリム童話的、本当は怖いコウノトリ伝承。
 ともあれ、るいは一山超えたみたいだ。これなら話を先に進めても大丈夫だろう。
 同じことを花鶏も思ったのか、テーブルに置いてあるメモに視線を落とす。
「このメモによると、皆元の呪いが短期間で消えたのはイレギュラーだったみたいね」
「……うん、そうみたい」
 ごはんモードだったるいが素に戻る。少し涙目になりつつも、話を続ける。
「お母さんが呪いを弱める方法を見つけて、それを使って……命がけで、私のことを守ってくれた」
 メモからわかったこと。
 るいの呪いはかなり弱体化している。前回一日だけで済んだのは呪いが弱体化していたからだったんだ。
 呪いを弱める方法――それは、確かに実在する。
 けれど、その詳細は記されていない。
 メモにあるのは……るいのお母さんがその方法を試し、代償として命を落としたということだけ。
 娘への尽きることない深い愛情、自己を犠牲にしてでも娘を幸せにしたいという想い……その確固たる意志が可能にした、呪いへの対抗策。
 それは、るいが愛されている証。
 ……るいにだけ許された、イレギュラー。
「呪いを弱体化させる方法が存在する。それがわかったのは間違いなく収穫だわ。でも……」
 花鶏が言いよどむ。続けなかった部分の内容は誰もが理解している。
 メモを読む限り、呪いの弱体化には生命を賭さなければならない。死にたくないから呪いと戦ってるのに、そんな危険な真似なんかできるわけがない。
「……なんか、私だけ……」
「いいんだよ。それだけるいが愛されてたんだから」
「妬きたくなるほどいい両親です。うちの馬鹿野郎とは大違いです」
「まったくよね」
「るいセンパイが幸せになるようにってご両親がしてくれたんです、胸張っていいと思います」
「そうよ。私たちのことは気にしないで」
「……うん……」
 後ろめたさを感じそうになるるいを全員でフォローする。裏側で、自分たちは呪いを弱体化させられないという現実を飲み込む。
 弱体化ができない、となればやっぱり、今まで通り呪いから逃げながら解呪方法を探すことになるだろう。そんな日々がいつまで続くのかと考えると気が滅入るけど、現状維持でいく他ない。
「まあ、でも」
 否応なく凹み始めたテンションを切り替えるかのように、花鶏が髪をかきあげた。
 意味深な表情で全員を見回す。
「こんな日々、もう長くは続かないわよ。解読も終わりに近づいてる」
「そうなの!?」
「ええ。曖昧なところはあるけれど、あと一週間もあれば十分」
 どんなもんだ、と強気な笑み、自信たっぷりの口調。
 花鶏は自分に自信があるからこそ、下手に発言にゲタを履かせたりはしない。彼女が一週間と言えば一週間なんだろう。
 ……もう、そこまで来たんだ。
「ほ、本当ですか!?」
「ええ。安心してこよりちゃん。呪いが解けたら思う存分マニアックシチュを楽しみましょう!」
「あ、いやそれは遠慮したいであります」
 伸ばした腕から逃れるようにあとじさるこより。
「うふふふふ、お礼は身体でたぁっぷり」
「ひぃーん!」
 そしてはじまるプチ追いかけっこ。という名の応接間内のじゃれあい。
「相変わらず懲りない」
「モチベーションを高めるって意味ではいいのかもしれないけど……やっぱり確認するたび呆れちゃうわ」
 引かぬ媚びぬ顧みぬな花鶏ワールドに例のごとく嘆息しつつも、みんなの雰囲気が浮ついたものに変わる。
 だって、あと一週間……本当にもうすぐじゃないか!
「すごいじゃん花鶏! てか、そうならそうと言ってくれれば良かったのに!」
「ギリギリまで隠しておくつもりだったのよ。気が緩むのはあまりいいことじゃないし、最後の最後で本の主張がひっくり返るってことも考えられるでしょ? この私が解読してるんだから、変な読み間違いはないでしょうけどね」
「なるほど」
 確かに、緊張が切れるのが一番危険だ。完全に解いてしまうまでは呪いに襲われる可能性があるんだし、下手に安心して隙が生まれてしまうのは好ましくない。一週間断食プログラムで脱落者が最も多いのは終了前日の午後だという。『もうすぐ終わる』という希望が逆効果をもたらすこともありうるんだ。それを避けるために隠しておくというのも一つの方法ではあっただろう。新しい情報で事態が変わるかもという期待もあったし。
 でも、呪いを弱体化させる方法が使えないとわかったんだ、さっと切り替えた方がいい。
「今はほぼ詰めの段階ね。呪いを解く手順とか、場所とか、かなり絞り込めてきてるわ」
「おお、場所ですか!」
「やっぱり場所が決まってるんだ?」
「ええ。儀式そのものはかなり単純みたいだけど、場所を間違えたら効果がないのよ」
「昔の本だもんね、気をつけないと」
「多分、田松市内だとは思うんだけど……」
 場所……結構厄介な要件だ。
 何が厄介って、昔と今では環境が違いすぎる。埋め立てやら開拓やらで地形そのものが変わってしまっている可能性もあるし、解読の結果出た場所が保存されているとは限らない。仮に地面に魔法陣的なものが書いてあるとか埋めてあるとかで、その上に建物が建ってたりしたら一発アウトだ。儀式をする場所だから、神社仏閣のどこかの可能性もあるけど……呪いの存在自体がほとんど知られていないのに、祀られてるってことは考えにくいか。
「儀式に失敗したらペナルティとかあるの?」
「多分ない……と思うわ。そこも詰めてる」
「失敗したら呪い発動であぼーん、なんてオチは笑えませんからね」
「ありえないことはないから怖い」
 想像するしかない部分は、どうしても悲観的観測が交じってしまう。マイナス思考を巡らせた方がなんとなく安心な気がするけど、その分モチベーションが下がるから諸刃の剣だ。最悪を想定し最善を探る、言うは易く行うは難し。
「場所さえ間違えなければ確実に解けるわ。儀式は本当に簡単だから」
「簡単なんだ」
「ええ。どう間違えればいいのかってぐらい簡単。道具もいらない」
「それは助かるです! 難しいお経を読むとかだったらどうしようかと思ってました」
「ロリリンと脳筋にとっては死活問題ですね」
「なんだよー、私だってある程度は……」
 語尾は力なくかき消える。できるもん、と続けられない辺りがとってもるいらしい。
「強がらない強がらない。そういうのいらないらしいから良かったじゃない」
「うう、なんかちょっと傷ついた」
「よしよし」
 小さな子をあやす感じでなでなでする。満面の笑みでじゃれついてくる。危険な場所はガードしつつ、ぐりぐりっとスキンシップ。ペットと遊んでる感じだ。
「それで、場所の見当はついてるの?」
 脇道にそれた僕の代わりに伊代が聞く。
「……」
 押し黙る花鶏。突如、不機嫌がありありと浮かんだ。
「あ、まだなら別にいいわ」
「ついてる」
 即答。けれどそこから黙りこみ、渋々嫌々なオーラを纏いだす。
「多分……あれのところ」
 言いたくないものを吐き出すような口ぶり。
「え」
「あれって……惠のこと?」
「まだわからないわ。正直、違うと思いたい」
 違うと思いたい、ってことは、可能性は高いのか。花鶏が根拠のない予測を喋るとは考えにくい。
 確かに、惠の屋敷は敷地も広いし呪いの書物もたくさんあったし、父さんが研究していたし、姉さんもいる。それが「もともと呪いに関係している場所だったから」とすれば筋は通る。それは花鶏も十分承知しているだろう。だからこその『違うと思いたい』。
「先入観は目を曇らせますよ」
「わかってるわよ」
 茜子の突っ込みに視線を鋭くする。
「気に入らないのよ。もしあれのところが儀式の場所だとしたら、決定権をあれに渡すことになるでしょ? 冗談じゃないわ。それに、知っていてあれが隠してた可能性だってある。そうだとしたらますます腹立たしい」
「そこまではさすがにないと思うけど……」
「わからないわよ。あれの腹黒さは智の比じゃないんだから」
 変わることのない花鶏の憎しみ。受けるたび、言葉がかまいたちになって心を切り裂く。
「……」
 でも、今日は追撃がない。
「……あら、皆元は賛成しないのね」
「え? あ……うん」
 もごもごと言葉を濁し、それ以上追及されないようにと下がるるい。あからさまな態度の変化に、花鶏が怪訝な顔をする。
「まさか、あれを擁護する気じゃないでしょうね」
「それはない。許さないのは変わらない。ただ……」
「ただ?」
「……なんか、ちょっとね」
 説明できず、柄にもなく萎れてしまうるい。
 そうだろうな……。
 結局、今日は集まって即るいのお父さんの遺産を取りに行き、今に至っている。昨日の事件については全く話題にしていないし、この雰囲気ではとてもじゃないけど口にできない。いずれわかってしまうことでも、わざわざ今日、呪いの話がまとまりつつある状態でぶつける内容じゃない。 
 ただ、そうなるとるいが突然豹変したかに見えてしまう。事情を知っていればさもありなんだけど、知らなければ異常にすら思える心変わりだ。今まで急先鋒だったからなおさら。
「単に切り替えできてないだけじゃないですか? さっきまでおとうさーんって荒波砕ける断崖絶壁に向かって叫んでたわけですし」
 ちょっと亀裂が入りそうになったところで、茜子が合いの手を入れる。
「そだね。今はちょっと、両親のことで頭いっぱいかな……」
 これ幸いと、ぎこちなくも茜子の予想を肯定するるい。
「ふぅん……ま、いいけど」
 明らかに不審な目をしつつ、花鶏は追及をやめる。苦手な部分に踏み込まれそうになったからだろう。彼女は両親と仲が悪い。たった今、両親の愛情の深さに包まれたるいとはかなり立場が違ってしまっている。口にしたことはなかったけど、『親を嫌っている』という点でるいと花鶏は似通っていた。その部分がひっくり返ったわけだから、花鶏にも切り替えが必要になる。
 なんだかんだで、両親の存在は僕たちの中に深く刻まれているファクターだ。特に今はそこに注目している時期、感覚の違いが浮き彫りになるのは避けたいところだし、そこでケンカしても意味がない。
「呪いを弱体化させるのは難しいけど、あと一週間で解けるなら乗り切れるよ」
 さっと、努めて明るい口調で話題を切り替える。みんなもそれに乗ってくる。
「そうですね、来週にはもう自由になれるです!」
 不安が敷かれた会話は重苦しい、見えた希望を目指して顔を上げたい。
 おぼろげだった希望が、確実に形をなしてきている。そこに注目すれば懸念材料なんて些細なことだ。
「待ちわびた日まであと一歩なのね……感慨深いわ」
「なんだか、何年も経ったような気がする」
「密度が濃かった分そう感じるのかもね」
「……言っておくけど、まだ全部わかったわけじゃないのよ?」
「だーいじょうぶ! 花鶏ならできるよ!」
「期待してます、花鶏センパイ!」
「最後の仕上げでしょ? 全力で応援するわ」
「頭を悩ませる苦悩の表情が見れなくなるのは惜しいですが」
「がんばれー花鶏!」
「……ふふ、そうね。この私に不可能なんてないわね」
 おだてには弱い花鶏。全員のエールに表情を緩める。満足げだ。
 数秒悦に入ったところで、また資料に向き直る。
「待ってなさい、この私が必ず呪いを砕き正義を証明してみせるんだから……!」
 二重、三重の意味を求めて花鶏は最終仕上げに入る。
 その背中を頼もしく……ちょっとだけ、悲しい気持ちで見つめる。


「じゃあ、メグムはすぐ帰っちゃったんだ」
「うん」
「ま、茜子さんチェッカーが働いてるとなれば尻尾巻いて逃げだして当然ですよね」
 るい、茜子、僕の三人で買い出しに出る。もちろん、るいの「おなかすいた」が限界を超えたからだ。前祝いをするには早すぎるけど、気合いを入れるためにも食事は豪華にしようということで話がまとまった。さらに、いつも以上に量が多い料理をお願いするのは悪いからと、僕と伊代が腕をふるうことにも決まっている。ちょっとしたうきうき気分の演出だ。
 ……この三人で出たのはもちろん、別の理由があるからなんだけど。
「メグム、大丈夫かな……やっぱりあんなの辛いよね」
「大丈夫ではなかったですね。最終的には本人の問題ですし、私たちが手を出せる領域ではありませんが」
「そっか……そうだよね……」
 しょんぼりしながら歩くるい。おなかがすいて力が入らないのと、惠を心配するのとで、足取りはいつもよりかなり重い。
「それにしても、随分盛大に態度を変えましたね」
「あ……うん……」
「さすがに『自業自得だざまあみろ』とか人でなしな態度には出ないだろうとは思ってましたが、予想以上の変化です」
 茜子の真っ向からの切り込み。
 ……実は、僕も気になっていた。
 惠はるいにとって最大のタブーである裏切りを犯している。たとえお父さんの件で憎しみの根幹が溶けてなくなったとしても、惠の裏切りは変わらないんだから、いきなり態度を変えるのも不自然だろう。それに、裏切った件は許す気がないとるい自身が何度も言っている。にもかかわらず、今のるいからは惠を攻めようという姿勢がきれいさっぱり消えていた。かといって、惠側についたような印象とも違う。なんというのか、戸惑っている感じ、自分の態度を決めかねてる感じだ。
「……アカネは、メグムに何があったか知ってるんだよね?」
「ええ。彼女が帰った後この腹黒隠蔽装置をスケスケウォッチングしましたから」
「す、スケスケウォッチング!?」
「精神的な意味だよ!?」
「……なんだ」
「なんだじゃなーい!」
 一体何を想像したんだるい。いや、茜子の言い方は明らかに誤解を招く気満々だったけど。
「というわけで、彼女についての情報はあなたと同程度にはあります」
「……ん」
 頷く。
 実際には、同程度ではなく、茜子の方が圧倒的に情報量が多い。
 昨日、惠が逃げてしまった後、茜子にかなりのことを明かした。
 部屋に来るまでのいきさつ。三宅の件、彼女の能力。一度家に泊まりに来た理由。といっても具体的に言ったことは数少なく、なんとなくイメージしてもらう程度だ。内容が内容だけに、惠の許可を取らずに明確な話をするのはためらわれた。もちろん、呪いの内容や惠の過去については話していない。茜子からすれば得た情報が片っぱしから中途半端という、相当煮え切らない状況だっただろう。でもそこは事情が事情だからと納得してくれた。
『ダダもれメンタルゲージが見てて面白いので』という、なかなかショッキングな補足は見逃しの代償だったと思うことにしよう。
「あのね」
 おずおずと、るいが申し訳なさそうに切り出す。
「私、わかんなくなっちゃったんだ」
「わからなくなった?」
「そう」
 胸の前で指をあわせるいつものポーズで、るいが顔をくしゃっと歪める。
「昨日まではさ、メグムはほんっとにダメなやつで、倒さなきゃいけない悪役なんだって思ってた。花鶏が言うように、許すとかじゃなくてコテンパンにしなきゃだめ、コテンパンにされて当然なんだって思ってた」
「……過激ですね」
「過激だね」
「うん。だって、そうとしか思えなかったから」
 予想はしていたけれど、るいの惠へのイメージは完全に悪役で固定化していたらしい。
 悪役だという色眼鏡をかければ、あらゆる行動は悪の所業に映る。惠は決して善行とは言えない行動をしていたからなおさらだろう。
「でもね、昨日メグムに会って、わかんなくなった。なんていうのかな……私、何を見てたんだろうって気になったの」
「……」
「久しぶりに会ったメグムは、ひどい状態だったのもあるけど、全然イメージと違ってた。痩せてて、苦しそうで、無理してて……私が憎んでたのはこのメグムじゃないって、そう思った」
 悪役を倒す――知らぬ間にるいの中にできあがっていたレール。その上を走っていたはずの惠。
 それが……実際に惠に会うことで、崩れた。
 るいが追いかけていた、倒そうとしていた惠は、ただの幻想だったのだと……るい自身が、気付いた。
「なんか、違うなって。裏切ったのは間違いないけど、今までみたいに責めるのは違うんだって。じゃあどうすればいいのかって、それはわかんないんだけど」
「低レベルな洗脳が解けたわけですね」
「洗脳って」
「洗脳ですよ。会ったら即解消するような思い込みで突っ走ってたんですから」
 容赦ない指摘が飛ぶ。
「茜子さんのハートウォッチングから言わせてもらうと、あなたとエロリストの感情の変化は異常でした。ひどすぎて逆に男装嘘つきを擁護したくなったぐらいです。誰にだって言い分はあると思いますが、あなたたちは彼女を人間扱いすらしない勢いでしたから」
「……うん……そうだと思う。何であんなに怒っちゃったのかわかんない。……仲間、だったのにね」
 びしびし言われても反論せず、ひたすら肯定するるい。憎しみが強かった分、反動も大きいんだろう。加えてお父さんの件……自分に思い込みが存在することを、それが事実をねじまげてしまうことを痛感したばかりだ。
「頭の中ぐちゃぐちゃなんだ、今。思ったら即行動、明日のことは考えない。でも……スタートから間違うこともあるんだってわかったら、なんだか迷ってきちゃった」
 今まであまり体験したことのないだろう混乱に表情を曇らせるるい。
 彼女は今、転換点に立っている。悪い意味で信じてきたものがなくなり、自分自身の間違いを知る機会も得て、自分が感じるもの、思うものの不確かさを目の当たりにしている。
 こうと決めたら頑として曲げない、弾丸のような少女。
 揺らいでいるのは、その『決める』の基準。大きく間違えたと思しき二つの事象は、るいに苦しみを伴う変化を促す。
「呪いを解くとき、メグムも来るんだよね?」
 不安と混乱、決意が渦巻く瞳で問いかける。
「八人全員が必要のようですし、あの頑固エロリストが意地でも呼び出すでしょうし、来るんじゃないですか」
「……ん、そうだね」
「集まってすぐ解呪ってことにはならないだろうし、解いた後にも機会はあるだろうし、もう一度話してみたら?」
「……」
 きゅっと表情を引き締める。了解、ということだろう。
 そうこうしているうちにスーパーに着いた。自然、話題は今日の晩御飯に移っていく。
 せっかくだからと質のいいお肉をチョイスしつつ、頭の端で考える。
 ……風向きが変わってきている。
 誰もが惠を疑い、排除しようとしていた流れが、ここにきて転換した。
 茜子はもとより、急先鋒だったるいが惠に歩み寄ろうとしてくれた……これは大きい。
 呪いの解析も大詰め、一週間後には嫌が上にも全員が惠と顔を合わせることになる。そのとき、茜子とるいが少しでも惠に理解を示してくれれば、彼女が同盟に戻れる可能性も出てくるだろう。
 まだ諦めてないのかと茜子あたりに突っ込まれそうだ。イエス、まだ全然諦めていません。いや、まだじゃなく、きっと永遠に諦めない。こんな風にきっかけひとつで態度が変わることだってある、辛抱強く積み重ねていけば、いつかきっと彼女にも届く。地道な努力の積み重ねは嫌いじゃない。呪いを解いたらそれで終わりってことはない。
 そう、僕たちに未来がある限り、希望は決して潰えることはないんだ。

 ――僕たちに、未来があるなら。


 何日ぶりかの道を一人で歩く。天気は良好、日暮れまでには決着が着くだろうか? はやる気持ちと会える嬉しさの両方を噛みしめながら、一歩一歩アスファルトを踏みしめる。
 一週間、と言われていた期間は、僕らのエールのかいあってか、三日に縮まった。想像以上の早さだ。
 今はみんなが手順の確認、および解呪日の行動について作戦を練っている。
 央輝にも連絡した。「思ったより早かったな、でも待ちくたびれた」とかよくわからない喜び方をされた。
 ――呪いを解く準備が、完全に整った。あとは実行するだけ。
 それを聞いた時のみんなの喜びようったらなかった。ぴょこぴょこ跳ねまわったのはこよりだけだったけど、みんな気分的にはそうしたいぐらい高揚していた。るいはそわそわして準備体操を始めるし、伊代は急に発声練習を始めるし、花鶏はさあ自分を讃えろとばかりにふんぞり返るし、茜子は冷静な表情をしつつ、連れ込んだガギノドンが逃げ出すぐらい強く抱き抱えたりしていた。
 もちろん、嬉しいのは僕も同じ。
 生まれてこの方ずっと苦しみ続けていた制約から、ついに解き放たれる。
 やっと自由が得られる。幸せになれる。そう考えただけでスキップしたくなる。
 呪いを解く儀式というのは本当に単純。呪われた八人が儀式の間で手を繋ぎ、力を呪いを破棄すると宣言すればいいらしい。拍子抜けするぐらい簡単な方法だ。
 ただ、そこには想いが伴わないといけない。つまり、全員が呪いを解きたいと本気で願う必要がある。
 ……その点だけが懸念材料だ、とは花鶏の談。解読で満足のいく結果が得られて喜色満面なものの、実行段階での壁はまだ残ってるという険しさがあった。
 壁――言うまでもなく、惠のことだ。
 現状、惠は呪いを解きたいのかそうでないのかはっきりしない。「呪いを解くと本気で願う」ことができるのか、誰にもわからない。もちろん僕にもわからない。
 どんなに理論や準備、場所を整えても、一人が嫌がるだけで解けなくなる――さすがは呪い、いやらしい制約をつけてくる。
 とはいえ、今更後には引き返せない。ここまで条件が揃ったなら、意地でも惠には賛成してもらわないといけないだろう。何が引っかかっているのか、それを僕たちで解消することはできないのか。たとえ難しい条件だったとしても、落とし所は必ず見つかるはずだ。惠は仲間たちへの想いを持ち続けている、不可能はないと信じたい。きっとみんなが納得する結末があるはずだ。
 そう思うからこそ……僕はあえて一人で屋敷を目指している。
 目的はもちろん、惠の説得。
 最初はみんなで行くべきだとかせめて茜子を連れて行けとか色々言われたけど、一対一の方が説得しやすいと説き伏せた。七人がかりで行ったら事実上の脅迫になっちゃうし、茜子に心を覗かれるのを恐れているのに彼女を連れていくのは逆効果だ。惠を刺激しないためにも、ここは僕一人に任せてもらった方がいい……そう判断した。一人なら、いざとなれば個人的な関係を持ち出すこともできる。そんな姑息な真似だけはしたくないけど、最後の最後、手段は選べない部分もある。
 でも、おそらくそこまでの作戦は必要ないだろう。惠ならきっと大丈夫……そんな気がしている。直感なのか希望的観測なのか、ちょっと曖昧だけど。
 ただ、完全に安心してるかというとそうでもない。
「……」
 何度目かの終話ボタンを押す。送信履歴は惠の名前で埋め尽くされている。
「どうして、連絡つかないんだろう……」
 溜息と共に呟く。
 あの日以降、惠と一切の連絡が取れなくなった。電話も取らないしメールの返事もないし、留守電に吹き込んでも折り返しの連絡はない。ただ、送信はできてるし呼び出し音は鳴ってるから、携帯を解約したとか着信拒否されたとかの事情とは違う。
 おそらくは意図的に無視しているか、出られない状況にあるかの二択だ。可能性としては前者の方が高い。何せ、最後に会ったのが茜子と鉢合わせした日だ。誤解されていたにしろそうでないにしろ、お互い気まずいのは確か。
 だからこそ、屋敷まで出向いた。お手軽手段による連絡がつかないこともあるけど、やっぱりちゃんと顔を見たかった。あまりにも中途半端な触れ合いで終わってしまっているからこそ、顔を見て、抱きしめて、謝って、愛しさを伝えたかった。 角を曲がると屋敷が見えてくる。訪れる期間が空いても、見慣れていることには変わりない重厚な建物。周りの建物とは明らかに雰囲気の違う、呪いの秘密が込められた場所。
 結局、花鶏の予想通り、儀式の場所は惠の屋敷で確定だという。何階とかの詳細な記載こそなかったものの、あの屋敷は呪いの研究がされてきた場所、儀式のための場所が保存されている可能性はかなり高い。ある意味、儀式をするにはうってつけの場所だろう。惠が知ってて隠したのか、知らなかったのか、それは定かじゃない。でも、そんなの些細なことだと思う。過去にこだわっていてもしょうがない、とにかく今は、惠の心を動かすことが第一義だ。
「……あれ?」
 屋敷へと歩を進めるうち、人影に気づく。
 小柄で見慣れたメイドさんスタイルをしたあの人は……浜江さん?
 浜江さんは何か落ち着かない様子で辺りを見回している。何かを見張ってるような待っているような、とにかくこの通りを通る全ての存在に目を光らせている。
 動きには明らかに余裕がない。かなり意外な光景だ。
 ……それほどのことが、屋敷にあったということだろうか?浜江さんが余裕を失うほどの大きなこと……?
「智さま!」
「わっ!」
 まだ十メートルぐらいあるのに、大声で呼びかけられた。かなり切羽詰まった声だ。
 声に押されるように走って門へ。浜江さんは安堵を振りかけた苦悶の表情で僕を迎える。
「智さま、よかった……間に合われましたか」
「……間に合った……?」
 そのフレーズで、一気に肝が冷える。直感が騒ぐ。
「とにかく、こちらへ」
 急ぎ足で屋敷へと連れられる。浜江さんの小走りなんて初めて見た。普段と比べて驚くほど速い、僕も自然と小走りになる。
 向かったのは――惠の部屋。
 浜江さんが扉をノックする。
「佐知子、智さまが」
「智さん!?」
 聞こえてくるのは佐知子さんのひきつった声。いや、泣きはらした声と言った方が近いか。
 ……泣きはらす……?
 心臓がなぜかゆっくりと動く。重苦しい鼓動の音。
 ――なぜ、この二人はこんなに焦っている?
 ――なぜ、惠の部屋から佐知子さんの声がする?
 ――なぜ、なぜ――惠が、出てこない……?
「智さん、どうぞこちらへ」
  扉が開く。出てきた佐知子さんは目が真っ赤で、こころなしかやつれているように見える。
 軽く会釈して部屋へと踏み入る。
「――――……」
 目に飛び込んできたのは――忘れようとしていた光景。
 日差しの差し込むベッド。
 まっ白だっただろうシーツ。今は赤のまだらが残るシーツ。
 脇に置かれた洗面器。薬とタオルの山。
 異質な、本能に働きかける生々しい匂い。
 そして――ベッドに横たわる、僕の恋人。
 
 暇つぶしに見る泣かせもののドラマにつきものの、経験がないがゆえに嘘っぱちに見えてしまっていた光景。
 本能が、生き物としての直感が、避けられない現実を喉元につきつける。

 浜江さんが、佐知子さんが口を開くより先に、理解する。

 ――死にかけているのだと。
 惠が、死にかけているのだと――