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after Birthday ※視点は惠

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僕の考えた惠ルート ※視点は智

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chapter 4 


 慣れって恐ろしい。前から思っていたことだけど。数ヶ月前には想像すらしなかったはずの日常が今や「当たり前」となってしまっている。
 具体的には。
「和久津さま、今日もお早いお帰りですの?」
「うん、待ち合わせがあるから」
「ここ最近、ほぼ毎日ですのね。それほどまでに和久津さまを引き寄せる殿方がいらっしゃるとは、うらやましいですわ」
「いや、宮。前から言ってる通り、会ってるのはみんな女の子だから」
「男の娘、という単語もございます」
「どっから仕入れたのそのマニアックな単語!?」
「少々、興味がございまして」
 本気なのか何なのか、顔を赤らめる宮和。含みがあるとは思いたくない。いろんな意味で。
「女性の社会進出に伴い、セクシャリティの垣根が低くなっている表れとのことですわ」
「専門用語チックなのを混ぜるととたんに学術的になる不思議」
 いやまったく。評論家とは美味しい商売です。言葉の魔術の恐ろしさよ。その恩惠にあずかりまくりの僕だから、人のことは言えないけれど。
「和久津さまを虜にする方々、一度お会いしてみとうございます」
「んー、まあ、いつかね」
「何月のいつかでしょうか」
「二百五十六月」
「お待ちしておりますわ」
 深入りせず柔和な笑みを浮かべる宮和。申し訳なさを感じつつも、鞄のふたを閉める。
「じゃあ、宮。また明日」
「ごきげんよう、和久津さま」
 手を振り、教室を後に。
 宮に対して後ろめたさに似た寂しさを感じるのは、今に始まったことではない。その理由こそ変わったものの、宮との距離は相変わらずのままだ。これからも詰める気はない、詰められない。
「ごめんね、宮」
 一人つぶやき、校門を出る。
 さすがに宮まで……ということはないだろう。そんな可能性、考える方が失礼だ。
 変わっているけれど、普通の宮。
 変わっていて、普通じゃない、同盟。
 僕は本来、そのどちらにも所属できないのだけれど――
「ザ・モラトリアム」
 カタカナは便利です。四字熟語は重苦しくていけません。
 モラトリアムの和訳、執行猶予。打ち首獄門を予感させる、僕の現状。

「トモせんぱぁぁぁ〜〜い!!」
 たまり場へ向かう繁華街、聞こえてくるは耳慣れし声。視界に入りますはうさぎちゃん。
「こより!?」
「ちょーど、ちょーどいいところに来てくれました王子様ー!」
 たまたまタイミングが合った、というには喜びすぎなほどテンションの高い声だ。
 いつも通りの元気なこよりん。しかし今日は動きに遊びがない。ちょっと、いやかなり焦り気味のようで、突撃の勢いで近づいてきた。追われてる……わけじゃないか、こんな白昼堂々そんな真似するアホはいない。
「はう〜〜センパイ、突然でありますがお願いがございます!」
 などと想像たくましい僕の手前一メートルあたりで停止。そして、いきなり深々と頭を下げる。
「鳴滝めの一生のお願いであります!」
「はい?」
 何のことやらさっぱりわからない。説明を求めるより先に、こよりが僕の手を掴む。
「とりあえずは何も聞かず、一緒についてきてほしいであります!」
「え、何? なになに?」
「お礼はちゃんとするでありますよ〜」
 言うなり手近なファーストフード店へ。手前のお客さんに密着しかねないほど近づきながらするりと店内へ入り込む。……いや、こういう店は「一生に一度のお願い」をする場じゃないと思うんだけど……。
 と、今度は僕の後ろに回り込む。
「こより?」
「えーとですね、そのまま二階へ上がってくださいです」
「注文は? いいの?」
「後でであります」
 ますます意味が分からない。ともかく言われたとおりに階段を上がる。
 何の変哲もない、量産型のファーストフード店。階段を上がった先は原色と木目で彩られたテーブルがぎゅうぎゅうに詰め込まれ、プライバシーなど知ったことかと言わんばかりにお客がひしめいている。ひょっとして、るいあたりがいるんだろうか?
「センパイセンパイ、奥、奥」
「奥?」
 言われるままに奥を目指す。見るからに体に悪そうかつマイノリティのプライド傷つけられそうな喫煙スペースのそのまた先へ。
 さて突き当たり。
「……」
「お先にお入りください」
「あー、うん」
 扉を開け、その向こうへ。
 幸いにも、他のお客さんはいなかった。
 こよりがひょっと顔を出し、狭いスペースの隙間をするっと抜ける。
「ありがとうございますセンパイ! では鳴滝、ちょっと用を足して参ります!」
「いや、言わなくていいから」
「のぞきは厳禁ですよ」
「僕は花鶏じゃないよ!」
「あはは〜、花鶏センパイならやりかねませんです」
 そんなたわいないやりとりをしつつ、揺れるうさぎちゃんが個室へ消える。
「……これが、一生のお願い……?」
 こよりの台詞と結果にギャップがありすぎる。鏡の向こうは腑に落ちない顔の僕。
 学校でも未だに謎が解けない、女の子特有の団体行動。
 現在地、お上品に言えば化粧室。
 男女がくっきり分かれた今の学校に通いはじめて最初に衝撃を受けたのが、この文化でありました。
 友達の証なのか、何なのか。とかく、女の子は誰かと一緒にお手洗いに行きたがる。汚い言い方をすれば連れシ……なんでもない。
 女性用を使うことに抵抗はなくなったものの、異性とお手洗いへという行動は、未だにわずかな背徳を感じるのです。
 しかし、こよりんのご要望がまさかこれだとは――

「はー、助かりました!」
 こよりのおごりのオレンジジュースが喉を心地よく抜けていく。濃縮還元100パーセントのインチキを思いつつも、この味は嫌いじゃない。健康はさておき、一応、味覚に訴えるようにはできている。
「どういたしまして」
「ほんっとーに助かりました! 鳴滝め、このご恩は一生忘れません!」
「いや、これは忘れてくれてもいいと思う」
 なんてったって「一緒におトイレに行った恩」。感謝されるのは悪い気はしないけど、それを一生覚えていられるのは正直微妙だ。
「ていうか、こよりんってばさっきからすごいおおげさじゃない?」
「おおげさではないのであります、鳴滝めにとってはひっじょーに、ひっじょーに重要なのであります!」
「おトイレ同行が?」
「はい」
 風を切る音がしそうなほど素早く首を縦にふるこより。どうやらオーバーアクションではなく、素直な気持ちらしい。
 ……どう考えても、そこまで大きな手助けをしたようには思えないんだけど。
「普段は学校ですませてくるんですが、今日はいつも使ってるところが工事中で」
「ほへー」
「特別教室棟は使わないときは閉鎖されてるし、体育館のおトイレは入ったことないし」
「……なんかものすごく複雑なトイレ事情……?」
 こだわりは人それぞれ……とはいえ、これはかなりの変化球だ。話を聞く限り、こよりはトイレに相当な思い入れがあるらしい。曰く、駅はよくても駅ビルは危険、自分の学校は良くても他校はダメ、喫茶店やファーストフードは論外、一度作ったならできれば改装しないでほしい……パターンが全く読めない。そんな細かいことにこだわるタイプには見えないだけに、新鮮通り越して妙な気持ちになってくる。
「あ、いえ、別におトイレに限ったことでは」
「そうなの?」
「……」
 急に黙り込むこより。横目で表情を伺うと、眉を八の字に寄せ、見るからにしょげてしまった。
「……こより?」
「あー、うー」
 今度は突然頭を抱えだす。
 いったいどうしたんだろう? 特に変なことは聞いてないし、言ってないはず……むしろ、はたから見ていて不可解なのはこよりの行動の方だと思う。
 氷が溶けて薄まったジュースが突然まずく感じられる。こよりはひたすら小さくなった氷とストローで戦っている。すいかをかじるときに似た音がせわしなく聞こえてくる。
「智センパイなら……いいかなぁ……」
 独り言をつぶやき、ストローの動きを止めた。
 と、身を乗り出してくる。
「あのですね、センパイ、ちょっとお耳を」
「はいはい?」
 耳を寄せる。こよりは一瞬ためらい、僕の耳と自分の口の間を手で覆う。
 極限までトーンを落とした、かすれそうなほど小さな小さな声。
「鳴滝めは、通ったことのない扉は開けないのです」
 ――――。
 血の気が引く。
 その意味は、聞き返さなくてもわかる。

 呪い――

「……そう、なんだ」
 そんな言葉しか出てこない。顔に出さないようにするので精一杯だ。それさえうまくいってるかどうか。
「わかっていることですから、普段はきちんと対処してます。でも、急におなかいたくなったり、今日みたいに朝急いだりすると」
「うん」
「……すみません」
 うなだれるこより。今日の行動ではなく、呪いの存在を示してしまったことへの謝罪。
 僕たちは、痣が示す呪いで繋がっている。けれど、繋がっている理由でありながら、普段は絶対に呪いについて口にはしない。
 知られることは、相手に生殺与奪の権利を与えることになるから、というのもある。けれどそれ以上に恐れるのは、話題にすることそのものが呪いを呼ぶのではないかという恐怖だ。
 言霊信仰。口にした言葉が呪力を持ち、世界に何かしらの働きかけを行う――何の科学的根拠もない、迷信に近い常識。しかし、誰もが心のどこかで、無意識的に恐れてしまう。だからこそ避ける。触れまいとする。
「大丈夫だよ。僕は絶対に口外しないし、分かった以上はこよりがやりやすいように色々手助けしてあげられると思うし」
「あうー……智センパイ〜……」
 今にも泣きそうだ。それだけ言いたくなかったんだろう。気持ちは痛いほど、胸を貫くほどよくわかる。
 頭をくしゃくしゃなでてあげながら、気づかれないように歯噛みする。
 こよりだけじゃない。同盟の全員が、人知れずこうして苦しんでいる――

 頭がぼーっとする。隙だらけの女子生徒なんて各種悪い奴らにとっては格好のえじきだろうななどと気を紛らせながら、気持ち早足で家路を急ぐ。
 たまり場では普段通り過ごしたと思う。たわいもない話に相づちを打って、花鶏のセクハラから逃げて、まずいジュース評論会をして、惠の健康オタクっぷりにますます謎を深めたりした。
 でも、その内容のほとんどを覚えていない。今日の一本は激マズジュースシリーズの中でも1、2を争うほどやばかった気はするんだけど、どんな味だったか思い出せない。
 残っているのはひたすら、疲労。
 家について、制服のままベッドに倒れ込む。とたんに襲いくる睡魔。
 待て待て待て。
 眠気に飲まれそうになるのを、めいっぱい音をたて飛び起きてなんとか乗り切る。
 寝るのは後だ。考えなきゃいけないことがある。
 首を二、三度振り、景気づけにコーヒーを淹れた。
 ……みんなの話も右から左で、今日一日中考え続けていたこと。
 呪いのこと――

 痣を持つ僕ら七人は、それぞれに呪いを背負っている。内容は違うものの、踏んでしまった場合の結果はおそらく同じだろう。
 死、あるいは限りなくそれに近いもの。
 僕自身、かつて呪いを踏み、死にかかっている。なぜ踏んだのか、なぜ助かったのかは覚えていないものの、あのときの恐怖は細胞のひとつひとつにまで染み込み、薄れることはない。
 死といっても、踏んだ瞬間に心臓が止まるとか、そういう直接的な反応とは違う。黒い影――太陽が作るそれとは質の違う、押しつぶし塗りつぶし溺れさせ呼吸を止めさせる、陳腐な表現をするならば死神――に襲われるのだ。襲われ方は断言できない。何せ記憶があいまいだ。言えるのは、呪いそのものが僕らを殺すのではなく、呪いが引き起こした事象が結果的に僕らを殺す、ということだけ。
 仕組みだ、といずるさんは言った。その方向で考えるなら、世の中はゼンマイ仕掛けで、呪いを踏むことにより外れてしまった歯車を戻すための行為が呪いの発動、ということなのかもしれない。僕らのようなちっぽけな人間の行動がどうしてそんな大それた結果を生むのか、そこに疑問の余地は残るけど。

 まあ、呪いのメカニズムは考えてもあまり意味がない。そのときが来たら全力逃走しかないんだし。
 気をつけるべきは、その発動を防ぐことの方だ。
 思考をさらに回転させる。
 僕ら七人、それぞれの呪い。分かっている子もいれば、わからない子もいる。

 僕。「本当の性別を知られてはならない」。これは経験からも確定している。
 こより。「通ったことのない扉を開いてはならない」。今日のこよりの態度を見る限り、間違いないだろう。
 ここから先は予測の範囲。
 茜子。「人に直接触れてはならない」。いつも手袋をしているし、スキンシップはいやがるし、花鶏の家でお風呂に入ったときも異常なほど警戒していた。
 伊代。「人の名前を呼んではならない」あるいは「固有名詞を呼んではならない」。自己紹介の時も名乗らなかったし、会話に一度も相手の名前が出てこない。名前がダメなのか固有名詞すべてがダメなのか、そのあたりははっきりしていないけど。
 るいは……明確にこれとはわからないものの、見当はついている。
 おそらく、未来に関する何か。「明日のことはわからない」が口癖だし、たまり場解散時にも決して「また明日ね」とは言わない。「予定を立ててはいけない」「将来の約束をしてはならない」とか、そういう類だろう。
 花鶏。正直見当つかない。性格形成に呪いが絡んでいるのは間違いないものの、これといった決め手がない。性格から類推すると「異性と恋愛してはならない」とか?いや、異性とはダメで同性なら大丈夫なんて中途半端だし、いつの時点を恋愛開始と見るかは個人の判断による以上、システム的な存在である呪いにはそぐわないか。
 花鶏の場合、呪いにつながりそうな情報が少ない。わずかな情報は誤解を生む。まあ、今すぐ知る必要はないし、当人も今のところ困ってなさそうだし、いずれわかるだろう。
 そして、惠。僕が招いた七人目。
 彼女の呪いも見当がつかない。あるいは、わからないようにし向けているのか。むしろそっちの可能性の方が高い気がしてくる。
 呪いに限らず、彼女は他のメンバーに比べて不明な部分が多い。不思議路線という意味では茜子に近いけれど、茜子が素でああいうタイプだろうと予測できるのに対し、惠はわざとやっている感が漂う。常に芝居がかった物言いと振る舞いだから、どこまで本気でどこまで嘘なのか、その境界すら曖昧だ。言葉で霧を作り、その中に身を隠す新手の忍者。
 ……おそらく、彼女もまた、うそつき村の住人なのだろう。
 呪いゆえ、僕は存在そのものに「嘘」がある。口のうまさと洞察力は、ひとえに嘘を守り通すために磨かれたもの。嘘が嘘だと思われないよう、常に先手を打ってきた。惠は方向は違うものの、目指すものは僕と似ている気がする。
 なぜそう思うのか。
 ……初めてだからだ。リードできない相手が。
 リード、というより主導権。僕の裏のモットーは先手必勝だ。平穏無事に日々を生きるには、接するあらゆる相手に対して先手を打つ必要がある。常に主導権を握る立場にいないと危険極まりない。だからこそ、僕はこっそり、時には堂々と話をリードし、まとめ役になり、司会を務める。全ては自分に火の粉が降りかからんとするため。というわけで、半ば無意識的に、この子にはこの対応、あの子にはあの対応――というパターン分けができあがっている。
 ところが、惠が同盟に入ってすでに二週間近く経っているのに、彼女にしっくりくるパターンを作れていない。キャラの問題ではなく、掴ませまいとする惠の行動が、僕の洞察力よりも明らかに上手なのだ。彼女を把握すべく尽力いたしておりますが、敵は我が手の中をするりと抜けていくのであります。まさに忍者。それでいて、警戒するどころか、むしろわかりあえそうな気がしてくるから不可解だ。他のみんなとは違う共有意識。たぶんそれこそが、彼女がうそつき村の住人である証なんだろう。彼女の嘘がなんなのか、そこまではわからないけれど。
「……ああ、でも」
 コーヒーを一口。ペットシュガー切れてたな、明日買いに行こう。そんなどうでもいいことをインターバルに挟みながら、ため息ひとつ。
「うそつき村の住人って、結構しんどいよね」
 仲良くなれば仲良くなるほど、嘘を貫くのがつらくなる。たまり場の日々を楽しめば楽しむほど、真実を明かせない息苦しさが増していく。
 僕は主導権を握り、自分の都合のいいように話を動かし、嘘に近づかれないようにしている。
 惠はおそらく、自分の存在感をコントロールし、みんなから距離を置いている。だからわからない、掴めない。中身が見える位置に彼女は立たない、きっと、立てない。
 惠。
 謎だらけで、淡くて、でもきっと我慢強い女の子。誰に対しても嘘を貫く、嘘があることさえ隠し通す、孤高の地、うそつき村の隣人。
 僕同様、惠もまた戦っているのだとしたら。
「……君の嘘がわかったら、君は少しは楽になれるのかな」
 それが呪いに関することならば、僕同様、叶わない願いだ。
 でも、せめて。
 どんなものなのか聞けなくても、ほんの少しだけでも、わかってあげられたら――

 で。
 苦手な人ランキング上位に位置する御方にご助力を賜りに来たわけですが。
「……遅い……」
 約束の時間からすでに三十分経過しているというのに、影も形もない。電話もかけたけど、つながるのは合成音声の留守番電話サービスのみ。見逃しているということはないと思う。あんな派手な格好、見逃せと言う方が無理だ。ああいう人が周りにとけ込むような姿で現れたら世界が崩壊するだろうし。
 優等生にあるまじきいらだちが顔に出そうになって、慌ててほっぺを叩く。外面は常に完璧に保つ、笑顔は美肌のお薬です。しかしやっぱり遅いものは遅い。聞きたいことが頭の中でぐるぐる回って顔の神経をぐりぐりと刺激する、これで来なかったらどうしてくれよう。
「おやおや、お嬢様学校の生徒さんが百面相かい」
「……来た」
 思わず声のトーンが低くなった。
「来た、とは随分だねぇ。お客様は神様ですなんて時代はとっくに過ぎたんだよ」
「四十五分遅刻です」
「その程度も待てない相手に語る趣味はないよ」
「お客を選ぶですか」
「最近の成功法則の本では常識だよ。『イヤな客を断ることが売上上昇の秘訣』ってさ」
「ライバルの工作にしか聞こえない……」
 前回と同じ、現代日本では浮きまくることこの上ない和服を身にまとう「語り屋」もとい「騙り屋」、いずるさん。
 会いたいタイプではないけれど、現況、彼女以外に頼れる人はいなかった。
「ま、ちゃあんと待っててくれたんだし、仕事の用意はできているよ。あとはあんたの気持ち次第だ」
「つまり支払いですか」
「そうなるねぇ」
「何をご所望でしょうか」
「……ふぅん」
「お金を欲しがるタイプには見えなかったので」
 正直に聞いてみる。これも交渉術のひとつだ。いずるさんは相変わらずの蛇っぽい笑みを浮かべ、さも前から考えていたかのように要求を出した。
「君の家にトースターがあるだろう。あれをもらおうか」
「え、あれ?」
 本当に何の変哲もない、あの部屋に引っ越してきて最初に買った銀色のトースター。機能はただパンを焼くのみ。掃除してるとはいえ、毎朝使ってるから結構くたびれてきている。中古品買い取りでも大した金額はつかなさそうな代物だ。
「あれでいいんですか?」
「あれがいいんだよ」
「本当に、何の変哲もないトースターですけど」
 いずるさんが口の端を上げる。
「いいのさ。ああいうものは常に改良型が出て、同じものは二度と手に入らないだろう? 二度と手に入らないものを手放すんだから、それなりの価値はある」
「……むぅ」
 そう言われると、急に名残惜しくなってくる。
「新しいのを買ったとしても、焼き加減や時間に差が出る。その度、あんたは手放したことに心の痛みを感じる。ほらね? お代としては十分さ」
「うわぁ趣味悪っ!」
「ま、慣れれば忘れちまうだろうけどね」
「切ないオチまでついてきた」
「で、どうする?」
 結論を促される。
 ……仕方ない。あの家の中で最も古参だし、愛用していたから寂しさもあるけど、背に腹は代えられない。
「わかった。いいよ」
「ものわかりがいいねぇ。じゃあ、語ろうか。何が聞きたい?」
「呪いについて。僕らの呪いについて、もっと詳しいことを」
 呪い、と言葉にするだけで、背中に悪寒が走る。大丈夫、と言い聞かせる自分がいる。
「呪いねぇ……あらかた、前回語ったと思うけど」
「そこを何とか。解く方法は無理にしても、もっと本筋に絡みそうなところ」
「本筋と一言で言ってもいろいろあるよ。具体的に、どこの本筋だい?」
「……」
 思わず言葉が止まる。
 僕が知りたいのは、みんなの呪いがどんなもので、どんな風に苦しんでいるか、それを助ける方法はあるかどうか、だ。ある意味、当人たちに聞き出せばいいものでもある。ただ、僕自身がそうであるように、言えない人もいるだろうし、言いたくないだろうし、言わせたくないのも事実。だから、そのものズバリはわからなくても、ヒントになるものがあればと考えていた。
 ……いずるさんに聞くには、情報のリサーチが足りなかったかもしれない。今更そんなことに気づく。でも、せっかくのチャンスだ。何か一つでも聞き出しておきたい。
「僕らは同じ痣を持っている。でも、呪いはそれぞれ違う。それは何故なのかなって」
 頭を回した挙句、出てきたのはそんな質問だった。いずるさんは「ふぅん」と相槌を打ち、目を伏せる。
「違う、ねぇ。全然、まったく違うのかい?」
「うん。全員把握したわけじゃないけど、同じ人はいないと思う」
「表出したものが別であっても、根本は同じということはないかい?」
「根本?」
 なんか深いような、回りくどいような単語が出てきた。
「RPGの呪文でたとえよう。メラメラ系とかギラギラ系とか、いろんな呪文が出てくるよね」
「さりげなく元ネタにまで迫った」
「で、結局六十種類とか百種類にまで膨れ上がる。でも、出てくるものは違っても、仕組みは同じだよね。精霊の力を借りるとかエネルギーを動かすとか、RPGによって違いはあるけれど、『呪文とはこういうものです』って定義は必ず存在する」
「……つまり、僕らの呪いの違いはメラメラ系とギラギラ系の違いで、根本の何かがある、と?」
「だとしたら、全然違うってことにはならないだろう?」
 なるほど。呪いには何らかの共通項があるってことか。それなら、みんなの呪いを知る手がかりが見つかるかもしれない。流石に精霊とか幽霊とかそんな非現実的なオチはないだろうけど、共通項を探っていけば仕組みにたどりつける可能性もある。
「……うん、一理あるかもしれない」
「まあ、呪文に攻撃系と回復系があるように、出方が正反対ってこともあるかもしれないけどね」
「呪いで助かってる人もいるかもしれないってこと?」
「さあね」
 はぐらかされた。いや、今のはちょっと聞き捨てならない。
「あとひとつ」
 突っ込もうとするより先に、いずるさんが続ける。
「世の中、メリットとデメリットは表裏一体だ。デメリットばかり気にしていると、メリットを見失うこともある」
「……?」
 いきなり話が飛んだ、ような気がする。
「あんたたちには、本当に呪いしかないのかい?」
「え?」
「考えてみるといい。あるいは他の子に聞いてみたらいい。あんたに見えてないものを、他の人は当たり前に見ているかもしれないよ」
 ますます意味が分からなくなってきた。僕らが呪い以外の何かを持っている? マイナス一択のはずのこの呪いに、プラスの側面がある?
「あとは自分たちで探しな。語り屋のお仕事はここまでだ」
 またもや、じらされる。十を知っていても一しか語らないのがこの人だ。一回だけの接触でもそのぐらいは理解できている。押しても引いても、一以上は聞き出せないことも。でも、今日の一はかなり有意義な一だったから、まあいいか。
「うん、ありがとう。参考になった。お代はどうすればいい?」
「ここで待ってるから持っておいで」
「はーい」
 とりあえずはお代を払おう。そして、もっと考えよう。
 みんなを呪われた世界から解き放つ方法があるなら、僕はそれを見つけ出したい。