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after Birthday ※視点は惠

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僕の考えた惠ルート ※視点は智

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chapter 5 


「あれ?」
 いずるさんにトースターを渡し、その足で電気屋に向かう途中。思考回路にいつもいる、グレーの背中が目に入った。
「惠だ」
 彼女が街中にいるなんて珍し、くもないか。ランジェリーショップ前でも会ってるし。
 ……思い出しかけたふんわり感は忘れることにする。いけません智、はしたない!
 興味本位で、なんとなく追ってみる。後ろ姿は人ごみに隠れるようで隠れない。知った相手だから判別しやすいのはもちろんだけど、コンクリートを保護色にしそうな服装と手入れの行き届いた髪のアンバランス感が周りから浮いているのも一因だろう。もともとがレベル高いし、それなりの格好すれば注目の的になりそうなのに勿体ない……なんて本人に言ったらどんな反応するだろうか。軽く流されるか、あるいは受けてくれるか。そんな話がたまり場でも出たけど、あのときは花鶏オンステージになっちゃったしなぁ。
 あちこちの店に視線を走らせつつ、ゆっくりと歩く惠。目当ては漢方薬局とかだろうか? ここのアーケードには若者向けの店も多いけど、漢方やら健康食品やら対象年齢が高い店も結構ある。彼女が用があるとしたらそっちだろう。
「……」
「……」
 なんか尾行してるみたいだ。いや尾行か。声をかけてもいいんだけど、惠の場合それで目的地変更とかやりかねない気がする。知られたくないから変更、というのは当然のことだけど、彼女にそんなごまかしをさせたくなかった。
 ……言い訳だ。要するに、彼女をつかみ切れてないから、どうしたらいいのかわからない。
 変な話。仲間だと誘った相手に、勝手に変な気を回しているなんて。
「あ」
 目的地到着、らしい。惠が店に吸い込まれる。慌てて追いかけ、店の看板を確かめる。
「……古本屋……?」
 木彫りの看板に、表紙が剥げかかった全集の山。並べきれず、店の前にまで侵出している。二十年ぐらい前には新品だっただろう棚には、一般書店ではまずお目にかかれない、日に焼けて褪せた感じに色づいた文庫本が雑然と詰め込まれている。当然ながら鮮やかなコミックの類はない。あるのはお茶をこぼした後みたいにくすんで背表紙が割れている、今では漫画の神様とあがめられる方々の連載していた雑誌ぐらい。リサイクルをうたい文句に一般書店よりも流行に敏感な大手チェーンとは種類の違う、まさに古き良き古書店。時代がかった屋敷に住む惠らしいといえば惠らしい。
 覗き込んでみる。入口の狭さに反し、中は随分深そうだ。
「……行ってみるかな」
 一応財布の中身を確認し、惠の秘密の園へ一歩踏み出す。
 迎えてくれたのは、昔懐かしい、公立小学校の図書室の匂いだった。

 惠の姿は絵になる。
 すらりと背筋を伸ばして立ち、見るからに年季の入った、くすんだ朱色の表紙の本を読み進めていく。ふちが褐色に染まった紙を滑る白い指。A4サイズぐらいの本でそれなりに厚みがあるのに片手で持てるということは、かなり印刷コストを抑えたタイプの本なのだろう。
 細長く、棚と棚の間は人がなんとか触れ合わずにすれ違える程度の距離しか開いていない店だから、自然、視界はいっぱいに広がる本とそれを立ち読みする惠の姿だけになる。通好みといえば聞こえはいいが、その実、大丈夫なのかと心配になるほど店にはお客さんがいなかった。ひょっとしたら惠だけかもしれない。
 ページを繰る音と埃と年月を重ねた紙の匂い。圧倒的な時間が積み重なった場は、自分がここにいることさえ忘れさせる。
「智?」
 そう。
 さっきまで散々コソコソ隠れて付いてきた僕は、この期に及んで堂々と惠の前に立ってしまっていた。気づいたのは惠に声をかけられたから。我ながら、詰めが甘すぎる。
「どうしたんだい? 君がこんなところにいるなんて珍しい」
「んー……たまたま近くを通りがかったら、惠がいたから入ってみたんだ」
 出まかせの嘘。心に形があるのなら、その端が黒く染まった気がする。正直に言えないとはいえ、これじゃ本末転倒だ。ペースが狂うとかではなく、そもそもペースが作れないでいる。
 惠は一瞬訝ったものの、追及はしてこない。代わりに、読んでいた本を閉じ、こっちへ寄ってきた。
「ここには、普通の古本屋では手に入らないものが多いからね。たまに立ち寄るんだ」
「へぇ、どのぐらい?」
「三年に一回ぐらいかな」
「たまにってレベル違います」
 それはむしろレアケースじゃないだろうか。
「ほら」
 本を見せてくれる。表紙はびっくりするほどシンプルな色紙で、デザインも何もない。ただ単に黒字でタイトルが書いてあるだけだ。きちんと綴じられてはいるものの、これで売れるのかと素人目に見ても不安になるようなつくり。
「これ、何の本?」
「台本だよ」
「台本って、お芝居とか、ドラマとかの?」
「これの場合はお芝居だね。一般には流通していないものだから、なかなかお目にかかれないんだ」
「へー……」
 確かに台本だった。開かれたページには外人っぽい人物名と台詞が延々と並び、たまに前の持ち主のものと思しき書き込みがある。読みやすさを考慮しているのか、行間も上下の余白もしっかり開いていて、サイズの割に文字の密度は薄い。紙はわら半紙とまでは言わないものの、それに近いざらついた手触りだ。しっかり読み込んまれた後なんだろうか、あちこちが黒ずんでいる。
「このあたりの一角は、こんな感じの台本が並んでいる。店主の趣味らしい」
「なるほど」
 言われてみれば、確かにこの辺の本棚は一段一段結構な高さがある。サイズ別に分類してあるんだろう。どれもこれも簡素な装丁で、あちこち汚れたり破れたり。そのせいか、レトロ感がいっそう強く漂っている。
「惠は、お芝居好きなの?」
 なんとなく、その趣味は納得できる気がした。惠とお芝居は親和性が高そうだ。いや、ピッタリかも。それも、どちらかといえば観る方ではなく、舞台に立つ方、役者の方。台本という、普通の人が興味を示さない本を読んでいる姿もすっと馴染む。読み上げ始めたら完璧だ。
「お芝居は、造ることだからね」
 相変わらず、質問に直接答えてはくれない。
「舞台の幕が上がっている間、本来のその人ならば言うはずもない台詞、起こすはずもない行動が繰り広げられる。けれど、観客はそれに違和感を感じない。『役者』はそこにいないからだ。演じているのは役者だけど、彼ら自身はそこに存在を許されない。芝居の間、役者はそこにありながら、別の誰かとして生きる。逆を言えば、舞台にいる間だけ、彼らは彼らでなくなることを許される」
 饒舌に語る惠。思った以上にお芝居への情熱があるみたいだ。
「芝居には上演時間がある。誰がなんと言おうと、上演時間内に全ての決着がつく。結末は決まっているんだ。それでも、悲劇であれ、喜劇であれ、その瞬間が訪れるまで、定められた結末は誰も知らないことになっている。不思議だろう? 本当は全て決められているのに、その場にいる人々は既定路線だと知らずに過ごすのだから」
「……」
 体温が、惠の顔が、近い。
 同じ本を手にしているからだ。いつの間にか隣にいた惠は、ページを繰りつつ、独り言のような風で僕に語り聞かせる。
「だからね、台本には素晴らしい言い回しが多い。情報と感情を極限まで煮詰めた言葉こそ、芝居の醍醐味だ。普通では役者が自分を辞められないし、演じる誰かを生かすこともできないからね」
「惠も」
「ん?」
「惠も、お芝居をしてる?」
「……」
 ああ、やっぱり。
 沈黙は肯定。
 惠は演じている。自分自身を覆い隠して、他の誰かのふりをしている。いつでも、どこでも、僕らの前でも、彼女は舞台に立っている。舞台を降りる瞬間を、どこにも見つけられないまま。
 惠には、芝居が似合う。
 なぜなら――彼女の行動全てが、既にお芝居だから。
「……君はどうだい、智」
「僕は……」
 言葉に詰まる。
 僕は、どうだろう? みんなの前で、何も演じていない、素のままだと言えるだろうか?
 言えるわけがない。だって僕は男の子だ。男の子なのに、女の子として振舞っている。根本部分で、僕もやっぱり、お芝居に興じている。そしてやっぱり、降りられない。
「僕たち、似ているね」
 ファジーなイエスを返す。
「ああ、そうかもしれないね」
 帰ってくるのは、今までよりちょっとだけダイレクトな肯定。
「うそつき村は、役者の養成所かな」
「言いえて妙」
 満足したのか、惠は台本を閉じる。汗と手垢に汚れたその本は、彼女の過ごし方をそのまま表しているようだ。きっと、惠の頭の中には数えきれない量の台本が並べられている。そのときそのとき、的確な台詞を選べるようになっている。
「でも、僕は全ての台詞を用意したりしないよ。みんなは演技をしてないし、結末も知らない。君だって」
「台詞を吐いている自覚があるうちは、一人前の役者とは言えないそうだ」
 今度は否定を含んだ返事が返ってくる。
「君の言うことは、君自身の言葉じゃないってこと?」
「そうなるかもしれないね」
「……」
 あまり聞きたくない結論だった。
 うそつきさんだとわかってはいた。僕もそうだし、事情があるんだろうこともわかる。でも、徹底っぷりが段違いだ。行動全てが演技となれば、僕にはなすすべがない。本当の彼女を知る術がない。
 現実は芝居とは違う。現実には終わりがない。みんなの行動も、予測はついても確定はしていない。るいの言葉を借りるなら「明日のことなんてわからない」。僕にしろ、必要に迫られれば演技もするし、嘘もつくけど、基本的にはそのままでいようとしている。その方が楽しい。何が出るのかお楽しみ、びっくり箱を開ける日々が、愛おしい。
 その中で、惠だけが、お芝居を続けているのだとしたら、お芝居を続けざるを得ないのだとしたら――
「僕は、本当の君が知りたい」
 形にしてみると、陳腐な口説き文句みたいになった。僕こそ、古本屋めぐりでボキャブラリー補充の必要がありそうだ。でも、これが素直な気持ち。同じうそつき村の住人として、嘘をつく苦しさと、嘘をつかない時の充実感を知っているからこそ、彼女にもそのステージに並んでほしい。みんなと一緒の、素のままの時間を共有したい。
「それなら、次の七夕では、短冊にそう書いたらいい」
 望んだ答えは返ってこなかった。頑なに、惠は素直になることを拒む。選択肢がないとでも言わんばかりに。
 もどかしい。呪いの制約だとしても、どこかに隙があるはずだ。素直になる余地がないなんて辛すぎる。
「惠」
「智」
 呼びかけたのはほぼ同時。声が重なる。思わず二人で顔を見合わせた。重い空気をかきまぜるこそばゆさが二人の間を流れる。
 お互い、苦笑い。浮かぶものは温かい。
 呼びかけたこの瞬間は、お互いに嘘がなかったからかもしれない。
「僕からでいいかな」
「あ、うん」
 順番を譲る。僕は言いたいことを用意していたわけではなかったし。
 惠は一瞬考えるそぶりを見せ、ゆっくりと微笑む。
 そして、僕の予想を超えた提案を出してきた。
「今度、みんなを屋敷に招待しようと思うんだ」
「え!?」
 思わず口をついた声が店内に響く。慌てて押さえる。惠は屈託のないにこやかさで続ける。
「いつもあのたまり場では、次第に飽きてくるだろう? たまには場所を変えるのもいいかと思ってね。どうかな」
「い、いいの?」
「もちろん」
 想像したこともなかった。誰かの家に行く可能性そのものは考えたこともあったけど、惠だけはありえないと感じていた。だって、この間あんなに激しく断ったんだ。記者の人を、二度と近づきたくないと思わせるぐらいの迫力で追い返したんだ。彼女の呪いの理由があの屋敷にあったって不思議じゃない、それぐらいトップシークレットだと思っていたのに。
「まずくないの、色々」
「友達なら構わないさ」
 どうやら本気の申し出らしい。嬉しい。なんか、飛びあがりたくなるほど高揚してくる。
 あの屋敷の中を見てみたいというのもある。でもそれ以上に、惠が歩み寄ろうとしてくれてるみたいで、心が躍る。
「い、いつがいいかな」
「お望みとあらば、明日にでも」
「本当!?」
 急展開だ。信じられない。ずっとこのまま、惠は誰とも近づかずに過ごすんじゃないかと危惧していただけに、ガッツポーズのひとつもしたくなる。
 家とは、その人の最大のパーソナルスペースだ。誰かを招くことは自分の中を開け放つに等しい。来訪を促すことは、自分自身への侵入を許可するのとほぼ一緒。それだけの覚悟と、相手への信頼がなければできない。
 惠がそれを自分から言ってくれたということは、彼女が僕らに気を許している証拠でもある。
 良かった。惠は、孤立を望んではいない。距離を置かざるを得なくても、僕らと離れたいわけではないんだ。
「じゃあ、明日さっそくみんなに言おう! きっと喜ぶよ!」
 惠の両手を握って、ぶんぶんと上下に振る。僕の喜び方は予想外だったのか、驚く惠。でも、すぐに破顔する。
「そうだと嬉しいな」
「うん!」
 僕らは強いられた演技者。それでも、喜ぶ方法は、楽しむ方法はある。近づく方法はある。
 さっきまでのもどかしさはどこへやら。すっかり有頂天になった僕がいた。