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after Birthday ※視点は惠

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僕の考えた惠ルート ※視点は智

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chapter 24 


「もう……らめぇ……」
 情けない声を上げて机に突っ伏す。
 我が前に立ちはだかりしは玉石混交の温故知新の有象無象の多勢に無勢、とにかく種類が多すぎてどうしようもない。
 たまり場でいったん解散し、即座に図書館に向かい、どんなジャンルを探そうかと考えてその日は終わり。
 どうにかこうにか目星をつけて開館時間から入り浸っております本日、気分はどこぞの樹海の迷子。
 三日もあれば何か見つかるさ、なんて甘かった。田松市一の図書館の蔵書は、僕の手に負えるレベルを遙かに突き抜けておりました。
 ただでさえ、一般人から見たらファンタジーレベルの題材だ。
 オカルト系に地元風土史、海外の神話から事件簿まで、ヒントになりそうなものは多種多様。多種多様とは絞れないということ、絞れないということは、何から手を着けたらいいのかわからないということ。すなわち、お手上げ。
 そもそも、この図書館に求める情報があると決まったわけじゃない。全ての本を読み終わっても収穫ゼロなんてシャレにならない事態だって十分考えられる。考えたくないけど……ありうるんだ……。
 諦めの虫が頭の中を舞う。
 まだ折り返し地点も過ぎてないけど、MPはほとんど切れかけている。
 あてずっぽうと持ち前の勘をフル稼働させてみたものの、目星をつけた本はことごとくハズレばかり。ハズレと目次でわかればまだいい。希望を胸に読み進めてダメだとわかった時の悲しさたるやもう。一時間近く、かなり真剣に読んだ本が捏造で有名な週刊誌のまとめだったりすると、悲しみを通り越して怒りがこみ上げてくる。ちなみに五分前の話。
 さらに、一人で調べる孤独が悲観的観測に拍車をかける。ネタ本だってみんながいれば笑いあえたかもしれないのに、一人ではただただ深いため息をつくのみだ。
 正直、泣きたい。
 とはいえ、弱音ばかり吐いてもいられない。みんな今頃、それぞれの方法で必死に呪いの解き方を探っている。僕が持っていける情報は使えない可能性が高い気がするけど、それでも手抜きはできない。
「……よし」
 小さくつぶやいて、気合を入れて――
「……気分転換に外行こう」
 立ち上がり、出していた本を片付ける。
 やみくもに図書館を巡っても、ハズレを引いて凹むだけだ。それなら頭を切り替えた方がいいアイデアが浮かぶかもしれない。安物の椅子に座りっぱなしでお尻痛いし。
 ……人間、人が見てないところではズルしたくなるものです。ズルというより先送り。
 後で泣くのは自分だけど、僕は未来の泣き顔より今の救済を熱望します。ああ、お日さまが恋しい。


 気分転換にぶらぶら……と言っても、行ける場所は限られる。図書館からあんまり遠くなってもあれだし、見知らぬ場所に行くのは気が引けるし。
 何より、今はノロイに狙われている状態だ。僕を単独で狙ってくる可能性は低いかもしれないけど、ゼロではない。昨日みんなで話し合った内容はあくまでも予想なんだ。下手に動き回るのは得策じゃない。
 じゃあ、どこに行くのかというと……。
「やっぱり、ここしかないよね」
 見慣れた鉄の扉を前に息を吐く。昨日の今日、ノロイの恐怖も消えていないのに、行ける場所はたまり場しかなかった。
 ぐ、と体重をかけ、扉を押し開く。
 目の前に広がるのは、コンクリートそのものの床と青空。今は誰もいないたまり場は、いつもにも増して開けた空間だ。
 一歩踏み出すと、風が抜ける。地面の遠さは解放感を胸に送り込む。
「ひーろい、なー」
 何かに誘われるように、両手を広げてくるくる回ってみる。スカートが空気を含んで広がる。身体の回転にワンテンポ遅れてついてくる布の重み、なんだか楽しい。制服のスカートはどうしてこんなに広がる仕様になっているんだろう、そんなどうでもいいことを思いつつ、バレリーナもどきの動きで一人遊び。二、三回転でよろめくから、真似ごとにすらなってないけど。
 くるくる、ふらふら。靴が床を磨る微妙な音。右足を軸にしたり、両脚を小刻みに動かしたり。抱擁を待つように胸を開いて、背伸びして深呼吸。積み重なった疲労の隙間に風が入り、軽くなる。飛べやしないけど、飛べそうな気分。
 あー、いい気持ち……。
「息抜きかい?」
「うにょぁー!?」
 突然の背後からの声に飛び上がった。文字通り飛び上がった。
 声の主は、彼女。ドラムロールみたいに鼓動が早まる。
「おおおお、驚かせないでよ惠! ていうかいつからいたの!?」
「君が気づかなかっただけだよ」
 扉のそばの壁に背をもたせかけ、惠がくすくす笑っている。普通に上がってきた場合、死角になる位置だ。といっても、隠れてはいない。見回したらすぐわかる。それだけ僕が一人遊びに夢中だったってことだろう。
 ……うう、恥ずかしい。
「すぐ声をかけてくれれば良かったのに」
「あんまり楽しそうだったから、つい」
「むー」
 むくれる。別に変なことはしてなかっ……いや、男の子がスカートひらひらさせて回ってるのは変か。……今更すぎる。
「本当に、君はかわいらしいな」
「嬉しいけど、嬉しくない」
「人の好意は素直に受け取った方がいい」
「地味にのろけましたね」
「……さて、何のことかな」
 意を汲んだのが伝わったんだろう、僕だけに見せる華やいだ笑顔で歩いてくる。靴音が僕の隣で止まる。並んだ状態で眩しそうに目を細めつつ、穏やかなビル風に身を任せる。
「ここにいるってことは……惠も息抜き?」
「屋根はどうしてああも人の気を滅入らせるんだろう」
「同感」
 そういうことらしい。惠の家とたまり場は近くはないけど、おそらく彼女もここしか来るところがなかったんだろう。
「閉鎖された場では乱れ、解放された場では秩序を取り戻す。人間の心とは不思議なものだ」
「考え事をしにきた、ってこと?」
「情報は整理しなければ役に立たないからね」
「じゃあ、収穫はあったんだ」
「……」
 笑みに曖昧さが混ざる。どうやら、僕よりは進展しているみたいだ。
「いいなぁ。僕なんか全然ダメダメだよ。手ぶらで行ったらみんなにシメられるだろうなぁ」
「努力の跡がわかれば大丈夫さ。簡単な道のりならば、脈々と受け継がれることもなかっただろうしね」
「そうかも」
 今までに集まった情報を総合すると、どうやら呪いはかなり昔から存在していたらしい。疫病にしろなんにしろ、現代に至るまでに消えたものなんて山ほどあるのに、呪いはきっちり残っている。おそらく、解くのは並大抵じゃないということなんだろう。解く方法が存在しない……なんて笑えないオチだけはないと信じたいけど。
「それに」
 見上げたまま、惠が独り言のように呟く。
「呪いから逃れる方法と、呪いを解く方法が同一だとも限らない」
「どういうこと?」
「……」
 一呼吸置く。遠い遠い目で、ためらうように、理屈を紡ぎだす。
「例えば、僕が銃を持ち、発砲したとする。その後に銃を壊したら、弾丸はどうなる?」
「……止まらないね」
「時間は常に一方通行だ。すでに起きている事象をキャンセルするなんて芸当ができるものかな」
「……」
 背筋が冷える。
 ……惠の言ってることにも一理ある。元を断っても、過去は変わらない。
 そうだ、呪いを解いたからといって、今出ているノロイが消えてくれる保証はないんだ。
 でも、だとしたら……るいは……?
 僕が青ざめたのに気づいたか、惠がいつもより柔らかい口調になった。
「あくまで仮定の一つだよ。それに、予防法と対処法が別だったとしても、対処法がないと決まったわけでもない」
「そっか……そうだよね」
「ただ、呪いを解くことだけにこだわると、見落とすものもあるかもしれないというだけさ」
 そう言って、前方、建物でギザギザになった地平へ視線を移す。棘はないけど、鋭い、挑むような目つき。
 惠は時折、この顔を見せる。被り物めいた笑顔が溶けて消えた今も残る、厳しい表情。例えるならば、決闘する人間のまなざし。殺意や悪意ではなく、そのもっと奥の「戦う」者の意志の表れ。それは、未だ僕に言えない何かと相対し続けていることの証なんだろう。
 惠が持つ、凛とした強さ。それはきっと戦う中で磨かれてきたものだ。お芝居とは別軸で作り上げた、生きるための武器。嵐の中で天を目指す樹のようにまっすぐな、折れない心。でもやっぱり、その中には孤独が混ざっている。目の前の空を睨む姿は、近寄りがたいオーラを放つ。まるで、立ち向かうのは自分だけだとでもいわんばかりに。
「……もし」
「ん?」
「……もし、対処法だけが独立して存在するなら……それだけを突き詰めることは可能かな」
 ためらいがちに、そんなことを言う。彼女にしては珍しい、妥協にも似た提案だ。
「二兎を追うものは一兎も得ず、と言うだろう。一気に全てを解決しようとすることが正しいとは限らない」
「……」
「もちろん、両方を一緒に解決できるなら、それに越したことはないけれどね」
 結論は、語りかけているのか、それとも自分自身に言い聞かせているのか。僕に向ける顔に、たぷたぷと苦笑いが浮いている。
 ……ああ、そういえば。
 惠は一度も「呪いを解きたい」とは言ってない。ズバリ言わないだけでなく、態度のそのものをずっと曖昧にし続けている。
 ひょっとして、解きたくないんだろうか? だとしたらなぜ? 花鶏のようにプライドの問題とは思えないけど、他に何か――
「ねえ、智」
「ほ?」
「ここは、いい場所だね」
 唐突に、惠が話題を変えた。
 暗い話を断ち切るように、一歩踏み出し、振り返る。
「ここは、たわいもない話にあふれている。生きる上では必要のない、それゆえにかけがえのない時間が流れる。ただ生きていた人間にとって、ここはまさにオアシスだ」
「うん、そうだね」
 心の底から賛成する。
 ここにみんなが集まり始めたのは、そんなに昔の話じゃない。
 だけど、もうすでに何年も経っているかのように感じられる。
 おそらく、密度の差だろう。人口密度と会話の密度。ここはいつだっておしゃべりとスキンシップに満ちている。たまに身の危険を感じることもあるけど、それすらもなんだか愛しくなってくる。
 ここには、僕たちがどんなに欲しがっても得られなかったものがある。
『幸せな無駄』。
 勉強は一人でもできる。買い物も、散歩も一人でできる。
 だけど、おしゃべりは一人ではできない。
 呪われた僕たちは、いつだって一人を選ぶしかなかった。一人でできることは多くはないけど、ゼロでもない。やろうと思えば一人で生きていくことも不可能ではない。
 だけど、一人きりの日々は乾いていて、つまらない。誰かに語らず、紙にだけ乗せる情報は無味乾燥だし、テレビはいつだって一方的だ。
 バラエティのトーク番組は、僕らの孤独をあざ笑ってきた。ネタの面白さにかかわらず、収録場所には話を聞いてくれる相手がいる。見せつけられるのは、「相手がいて当然」の世界。タレント達は「受け手のいない世界」を想像すらしていない。「受け手のいる幸せ」―― 見せつけられ続けた、孤独。
 でも、ここなら誰かがいる。話を聞いてくれる誰かが、話をしてくれる誰かがいる。内容なんかどうだっていい。いや、くだらなければくだらないほどいい。意味があっても、なくても、仲間がいる。いてくれる。
 ひとりきりで泣くことはできても、ひとりきりで笑うことはできないと、ある歌手が歌っていた。
 にこやかな顔を作るのは一人でもできる。でも、心からの笑顔は、一人では絶対に作り出せない。
「……惠、よく笑うようになった」
「そうかい?」
「うん。いや、惠はいつもニコニコしてるんだけどね。出会ったころと今じゃ笑い方が全然違うんだ。前の笑顔は無表情とほとんど同じだったけど、今は気持ちがこもってる」
「よく見ているね」
「伊達に嘘つきやってません」
「相変わらず手ごわい」
 かつての惠のアルカイックスマイル。あれは、自分を守るための仮面だ。不機嫌顔は好奇心を刺激するけれど、穏やかな笑みは印象に残りづらい。存在感のコントロールに長けている惠にとって、あの笑顔は自分を守るための鎧だった。
 でも、今は違う。言葉で表現するとアルカイックスマイルだけど、明らかに違う。
 今の惠は、微笑みたくて微笑んでいる。自分を守るためではなく、楽しいから、嬉しいから……内側の気持ちが、顔に表れている。
「変わったよ、惠。すごく変わった。色んな顔を見せてくれるようになった」
 るいやこよりのようにバンバン顔に出すタイプではないけれど、惠は確かに表情を変えるようになっている。それは彼女の心が動いている証で、あらゆるものへの距離を近づけようとしている証だろう。
「……人は、自分では変われないものだよ」
 透き通った青空に映える、すらりと背を伸ばした立ち姿。
「人間は花壇に似ている。一人の人間の中には多種多様、才能から感情に至るまで、それこそ数え切れないほどの種が眠っている。けれど、芽吹かせ、花を咲かせることができるのはその中のほんのわずかだ。何せ、種は地中に埋まっているからね。芽が出て初めて存在に気づくことも珍しくない」
 どこかの本からの引用なのか、はたまた自分で考えた事なのか。童話的な例え話で惠は語る。
「困ったことに、ありがたいことに、水が与えられれば芽は育つ。自分で水をやっても、他人がこっそり水をやっても花は咲く。そうして咲き乱れた花たちが知らない品種や予想外の品種でも、不思議はない」
「……今の君は、僕たちが育てたってこと?」
「諸条件を勘案すれば、そうなるんじゃないかな?」
「すごい話だなぁ」
「嫌かい?」
「ううん。なんか、くすぐったい」
 むずむずして、思わずほっぺたをかく。
 惠の状況を考えれば、今の話に十分納得がいく。幼いころから呪いと共にあった惠にとって、感情は絶対に育ててはならないものだったはずだ。
『自分に関する真実』に本心が含まれる以上、心は変化しない方がいい。気持ちの変動は、今まで真実ではなかったことを真実に変えてしまう。
 惠の呪いの一番恐ろしいところは『変わる』という点だろう。真実なんて時と場合でコロコロ変わる。満腹状態で「おなかすいた」といっても問題ないけど、一日何も食べてない状態で「おなかすいた」と言ったら一発アウト。それぐらい、惠の呪いは広範囲で臨機応変で、予断を許さない。 
 だから、惠は何事にも執着せず、自分自身にすら一歩引いた立場で物事を見続けてきた。感性を無理やり押さえつけるより、最初から持たない方が確実に身を守れるから。
 僕らに出会わなければ、僕がここまで彼女に深入りしなければ、きっとそのままだっただろう。それはそれで、安全だったかもしれない。
 でも、今は。
「かつて、君が答えてくれなかった質問があったね」
「……?」
「『安全な代わりに空虚な平穏と、死の危険がある代わりに満たされた日々。君ならどちらを選ぶ?』って。覚えてるかい?」
「ああ、あったあった! 初めて君の家を見たとき!」
 思い出して、ぽんと手を打つ。あの時は惠が何を言いたいのかがわからなくて、答えを保留にしたんだった。
「僕は、どちらを選んだと思う?」
「今の僕と同じ答え」
 即答。謎かけに謎かけで返す。聞かなくたって、惠を見ていればわかる。
 綱渡りの日々であっても、彼女はもう僕たちから遠ざかろうとはしない。負担も増えているけれど、それ以上のものを僕らに見出してくれている―― そう確信できる。
 はにかんだ笑みで、自分の胸元に手を当てる惠。心音を確かめるように、うっすらと瞳を閉じる。
「……みんなが育ててくれた心だ。大切にしなくてはね」
 ショートカットの髪が、風と遊ぶ。
『みんなが育ててくれた』―― その表現に、語りつくせない歓喜を込める。
 その姿を頭に焼き付けながら、唐突に思う。
 ……ああ、本当に、惠は王子様だ。
 如何なる難題にも屈せず、剣一本で巨竜だの魔女だのに立ち向かう、昔から語り継がれてきた王子様。
 背負ってきたものは重く、筆舌に尽くしがたい。呪いは今なお彼女を縛り、育ちつつある心は危険と隣り合わせ。
 それでも、惠は己を受け入れる。今の自分と向き合う。内側から沸きあがる想いのために、自らを追い込んでまで、呪いという得体の知れない存在と戦い続ける。
 心臓が高鳴り、刻むように抱負が浮かぶ。
 ……支えたい。守るんじゃなく、彼女の隣で、彼女の生きざまを支えてあげたい。
 なんて真面目に言うとはぐらかされそうなので、ちょっと方向を変えてみる。
「じゃあ、僕は惠の観察日記をつけようかな」
「それはあまり趣味が良いとは言えないんじゃないか?」
「好きな子の変化を確かめるのは恋愛の醍醐味です」
「君はそろそろ自重を覚えたほうがいい」
「惠以外は誰も聞いてないもん」
「……まったく」
「まんざらでもないでしょ」
「……腹黒だね」
「へへー、褒め言葉」
 人差し指で惠のほっぺたに触れる。ふこふこと指に触れる柔らかさ。変な意味ではなく、食べちゃいたい感じだ。
 王子様だけど、触れた感触は女の子。そのギャップにのめりこんでる僕がいる。
 あやすような手つきで僕の手のひらを包み、惠が困り顔で笑う。
「そろそろ戻った方がいいんじゃないか? 結構時間が経ってるようだけど」
「ん、そうだね。名残惜しいけど」
 ちょっとした息抜きのつもりが、かなり時間を使ってしまった。まあ、今から頑張れば取り返しは付くだろう、多分。
「惠はどうする? 一緒に行く?」
「頭の整理が終わっていないよ。君にすっかりペースを乱された」
「惠も自重すべきだと思います」
「お互いさまだね」
 二人で顔を見合わせる。甘ったるいなぁと自分でも思うけど、こういうのも悪くない。よし、これならあと二日間頑張れる気がする。
 軽く手を振って、扉に手をかけて――
 ふと思い立って、振り返る。
「ね、惠。提案があるんだけど」
「なんだい?」
「呪い、解けたらさ。僕、男の子の格好して君とデートしたい」
「……え」
 突拍子もない提案に、惠が目を丸くした。
「その時に……スカート穿いてとまでは言わないけど、ちょっとでいいから、女の子らしい格好してほしいんだ」
 あくまでもおどけた感じで、そんな誘いをかけてみる。
 惠の呪いに対する考え方は未だによくわからない。どちらかと言えば解きたくない派のような気もする。でも、るいを助けたいという気持ちはあるし、堂々と解きたくないと断言するほどではないんだろう。
 呪いが解ければ、惠は今よりもっと自分に素直に生きられる。その未来を見たいと僕は願う。そして、彼女の隣で男の子として頑張る僕も、一緒に願う。
「……君は、男の子に戻りたいのかい?」
「そりゃそうだよ。これはこれで慣れてるけど、やっぱりね。惠が王子様だから、なおさらライバル心が芽生えるのですよ」
「ライバル認定とは、意外だ」
「というわけで、考えておいてくれたら嬉しいな」
 呪いを解くことへの抵抗は、みんなの中に少なからずある。惠も同じだろう。
 だからこそ、その先の明るい未来を指し示す。
 呪いが解ければ、その先に待つのは自由だ。
 さっき惠が言った通り、呪いを解くことと発動した呪いを撃退することは別かもしれない。でも、たとえ別であっても、呪いを解くことにはちゃんとメリットがある。一気に解決は難しくても、ゆくゆくは全てから解き放たれたい。
「じゃね、惠。また二日後に」
 返事を待たず、扉の内側へ。
 後ろから、小さな声が響く。
「……ああ。そんな未来が来たら――」
 なんだか気恥ずかしくて、最後までは聞き取らずに扉を閉じる。
 靴音を響かせて階段を下りる。
 男の子の姿の僕と、女の子の姿の惠。考えるだけで、ドキドキする。
 きっと、来るよね。
 想像が創る、華やかな未来。
 僕の目指す―― 幸せな、目的地。