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after Birthday ※視点は惠

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僕の考えた惠ルート ※視点は智

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chapter 14 

 ベッドがきしむ音がする。頭上には夜空ではなく天井、お休み中の電灯がぽつんと僕らを見下ろす。扉にはしっかり鍵をかけ、どこからも邪魔が入らないようにした。外とはまた違った暗がりの中、間近な呼吸がリズムを作る。いいかげんバテても良さそうなのに、今日の僕の心臓はいつになく気合いが入っているらしく、爆音体勢を維持したままだ。
 すぐそばに、惠がいる。本当に間近、手を伸ばさなくても届くところにいる。なめらかな肌は光をていねいに受け止めて、ぼやける輪郭さえ魅力的に変える。息づかいにまで女の子らしさを感じてしまって、なんとも気恥ずかしい。
……いや、相手にその気はまったくないんだろうけど。
「食堂から椅子を持ってくれば良かったかな」
「ううん。こういうのも雰囲気があっていいよ。椅子に座ると面接みたいになるし」
「尋問再開は困るな」
「大丈夫、僕は共犯」
「それは頼もしい」
 マットレスのふちに肩胛骨を当てて、体重を乗せる。横並びに座る二人分の体重を受け止め、マットの角が柔らかくへこむ。
 あのまま外で話すのもなんだからと、惠は僕を自分の部屋に誘ってくれた。状況が状況だし、他意はないと知りつつも、やっぱり心が躍る。
 惠は僕が男の子だと知らない。特別に好意を持ってくれたとしても、友人のそれを越えることはないんだ。
 ……それでもいい、と思う、思いたい、思いましょう。
 ですからお願いですマイハート、必要以上にドギマギしないでください。僕たちは床に座ってるだけです、ベッドは単なる背もたれです!
「……」
 女の子と部屋に二人きり……るいの時も思ったけど、このシチュエーションは精神衛生上かなり危険だ。しかも今回は好意を抱いている相手、さらに言うとその子の部屋。健全な青少年のたくましい想像力が否応なしに鎌首をもたげてくる。無駄に働き者の思考回路を思わず恨む。
 緊張感三百パーセントの交渉劇が終わったらすぐこれだ。我ながら情けない。
 惠の息継ぎが聞こえる、それだけで僕の心臓はヘビメタライブ状態になる。明らかに意識しすぎだ。
 ……言えたらいいのに、なんて、贅沢な希望。
「二人だと、結構広く感じるね」
「最低限の家具しかないからね」
 惠の部屋はものすごくシンプルだ。間取りだけでなく、中の家具もお泊まり中の僕らの部屋とほとんど変わらず、箪笥以外のインテリアはもちろん、コンポや雑貨類もない。女の子の部屋というには殺風景ですらある。物欲がないとはこういうのをいうんだろう。
 げんこつ一個ぐらいの距離を挟み、二人並んでベッドに寄りかかる。そのままゆっくり、沈黙に身をゆだねる。なだらかな時間は僕らを包んで、さっきの騒動の疲れを癒してくれる気がした。うっかりするとそのまま睡魔に負けそうで、何度も目をこする。
「眠いのかい?」
「ううん、ちょっと疲れただけ」
「……大分辛い思いをしただろう」
「辛くはないよ。キツネにつままれた感じで、まだちょっと混乱してるけど」
 つままれたの域を軽く超えていたのはのはこの際おいておこう。
 景気づけに、ぽぽんと頭を叩く。疲れはあるけど、まずは脳内整理がしたい。なにせ、予想外歳末大バーゲンにつき、あっちこっちが思考渋滞を起こしている。僕を含め、それぞれの思惑が絡みに絡んでなだれ込んできた結果、収拾が付かなくなっている感じ。
 ……でも、ひとつだけはっきり言えることがある。
 僕は、惠の思惑にも姉さんの思惑にも乗らなかった。
 だからこそ、今、ここで惠と触れ合える。
「キツネに憑かれたなら、明日はお祓いに行ったほうがいいね」
「そういうのは信じてないから」
「閻魔様は信じるのに?」
「都合のいいことは信じる、都合の悪いことは信じない。占いの正しい活用法です。それに」
「それに?」
「僕、今ここにいるのが嬉しいからいいの」
 自分でも歯が浮きそうなことを言って、二ミリほど距離を詰めた。
 パーソナルスペースに侵入しても、惠に特に嫌がらない。さっき既に近づいたからもう気にしないのか。
 ……近づくどころか触ったよね僕。しかも二回目。
「――――……」
 ストップ! 記憶リバース禁止! 柔らかかったとか暖かかったとか思っちゃダメ! ゼッタイ!
 惠は僕を女の子だと思ってるからああしたんであって、変な意図はないから!
「智?」
「……うん、ごめんなんでもない」
 両手の痛いツボをぐりぐり押して落ち着かせる。軽く深呼吸。
「変わってるな、君は」
 僕の様子がおかしかったのか、惠が顔をほころばせる。大して明かりがなくて見えづらいのが悔しい。
 すぐ傍にいる。あれほど人との距離を保ち続けてきた惠が、本当に目の前にいる。再確認して、どぎまぎして、胸に手を置いて気を落ち着かせる。
 きっと、さっきの選択は正しかったんだろう。
 正直、呪いの指摘は賭けだった。正解という保証もない上、一歩間違えれば惠の心をズタズタに引き裂きかねない危険な手段。リスクを考えるなら絶対に選べない方法だ。実際、あの瞬間まで言うつもりはなかった。気づいていても陰ながら手助けするぐらいで、最高でも暗黙の了解程度に留めておこうと思っていた。
 それが覆ったのは―― 惠が取った手段が、あまりにも強烈だったからだ。
「ひとつ、聞いてもいいかな」
 惠の問いかけはためらいがちな小声。
「何?」
「真耶のこと……なぜ、怒らなかった?」
「なぜ、って」
「君が真耶から聞いたことは事実だ。真耶はこの屋敷でずっと隠れて生きていた、肉親である君にすら存在を知らされることないままだ。真耶関連で君が怒る要素は山ほどあるだろうに」
「……まあ、そうかもしれないけど」
 惠の言うとおりだ。事情はともかく、惠とこの屋敷の人が姉さんを隠していたことには変わりない。呪いの制約があるにせよ、生きていることだけでも伝えてくれるとか、取れる方法はあったと思う。
 でも、今さらそれを責めたところで、一体何になるだろうか? 惠たちが姉さんを監禁していたならまだしも、ここにいるのは姉さん自身の意思と聞いている。それに、離れは整えられていたし、衣食もきちんとしていた。こんなに大きな屋敷だし、以前の記者さんのように興味本位で近づいてくる人だっていただろう。姉さんを隠し続けるのはかなりの苦労があったはずだ。そう思えば、声を荒げて追及する方が身勝手じゃないだろうか。
 何より、結果的に惠は僕と姉さんを会わせてくれた。会わなければ姉さんの存在すら知らずにいたかもしれないんだ、怒るより、感謝するほうが先な気がする。
「これって、ただ怒ればいいとかいう問題じゃないでしょ? ずっとではないかもしれないけど、少なくともしばらくは姉さんにとってここが一番安全なんだ。そういう環境を作ってくれている以上、僕が怒るのはおかしいよ。むしろ」
「むしろ?」
「君が、どうして僕を怒らせようとしたのかの方が気になるな」
「……」
「ただ事実を伝えればいいだけなのに、君はわざわざ煽ってまで僕を怒らせようとした。不自然だよ、明らかに」
 そう、さっきの一芝居はあまりにも過激だった。一瞬乗せられかけたのは、普段とのギャップがあまりにも激しかったからだ。正直なところ、惠の呪いに気づいていなければ完全に飲まれたと思う。
 穏やかな表情をしていることが多いからこそ、突然の豹変は相手の心を鷲掴みにする。その呪縛から逃れるのは並大抵のことじゃない。
 惠はそうと知っていてあの手を打った。僕を激怒させ、完全な絶縁状態に持ち込もうとした。
 ……なぜ、そこまでしなければならなかったんだろう?
「ねえ、惠。君は、僕に嫌われたかったの?」
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」
「答えになってないよ」
「正答を求めるのは危険だろう?」
「……そうなんだけどさ」
 唇を噛む。
 もし、もし万が一、惠が僕のことを嫌いで、これを機に絶縁してやれみたいな意図があったとしたら?
 部屋に誘ってくれたし、こんなに近寄らせてくれてるし、嫌われているとは思えない。でも、惠は感情を隠すのが上手い方だ。姉さんのことを考えて笑っていただけという可能性もある。
 ……う、ダメだ。考え込むとマイナス方面に転がる。
 こういうときは突撃するに限る。
「教えて」
 身体全体で惠の方を向く。
「……」
「なんていうの、その、覚悟はできて……ないけど、できてるから」
「できてないじゃないか」
「いいの」
 ごねてるみたいで恥ずかしいけど、この際取れる手段は全部取ろう。今日が惠を知る千載一遇のチャンスなんだ、逃すわけにはいかない。
 袖を引っ張ろうと手を伸ばすと、ついと避けられた。それがまた僕を不安にさせる。
「ね、惠」
「……」
 じっとお互いの顔を見つめる。暗闇にあってなお、透きとおった綺麗な瞳。戸惑いを露わにしながらも、惠は僕に視線を送り続ける。嫌がるような、確認するような、少し悲しげなまなざしだ。受け止めて、そのまま返す。あと一歩をさえぎる壁ごしに、言葉になる前の訴えを投げかける。
 流れる静寂は澄んで張り詰める。細い細い糸の上を辿るような、不安定な緊張感が僕らを渡る。
「……ふぅ」
 観念したのか、惠がため息をついた。
 軽く瞼を閉じ、開く。絡み合う視線は鼓動の音量を上げる。
 一息置いて、惠が語り始める――
「―― 最近の乳児用玩具は苦いらしい」
「……はい?」
 斜め上のレベルを超えた話題が飛んできた。
 人間、予想外のことを言われると思考が停止するんだなぁと実感……してる場合じゃない!
「製品の質の問題ではなく、意図的に乳児が嫌う味をつけているんだそうだ」
「……へ、へぇ」
「そういうことだよ」
 しかもいきなり完結した。
「まったくわかりません!」
 素材の選び方からその真意からなにから全然まったくこれっぽっちもわかりません!
 空気読めてないと思いつつ、ツッコミを入れてしまう。
「ご、ごめん惠、もうちょっとわかりやすく」
「身近な例を選んだつもりだったんだけどな」
「確かに俗っぽいけど縁遠すぎます」
「……うーん……」
 軽く握った手をあごの下に当て、考え込む惠。どうやらネタじゃなかったらしい。……ますます謎が深まってきた。
 惠がくい、と顔を上げて視線を泳がせ、また戻す。
「そうだな……君は小さな子供をストーブに近寄らせないためにはどうする?」
「また子供ネタなの」
「前提条件は大事だよ。で、どうする?」
「どうする、って」
 これまた読解力要求レベルが高い。
 本意を読もうと、思考をフル回転させる。
 聞いてくる以上、隠すとか高いところに上げるとかそういう単純な答えじゃないだろう。わざわざ子供と指定しているのも気にかかる。
 子供……子供は好奇心旺盛だ。興味を惹くものとあらば、手段を選ばずに近づく。隠していても見つけるし、高いところにあっても登って取ろうとする。止められたって気にしないし、危険は顧みない。それで痛い目を見て色々学んで、次第に分別を身に付けていくものだけど……ん?
 思考の網に、ひとつ引っかかった。
「それってつまり、子供の好奇心を止めなきゃ意味がないってことだよね」
「子供には、束縛による自制は効かないからね」
「……好奇心を止める方法、か」
『好奇心』。
 ず、と胸の奥に棘が刺さる。
 僕が最初に惠に抱いた感情。膨らみ、形を変え、覚悟を含み、決意へと変貌した根底にあったもの。
 知りたい、という想い。それを止めるもの――
「答えは簡単だ。一度触らせればいい」
 数分、とカウントできるかできないかの間をあけ、惠が答えを明かした。
「え、だって触らせたら」
「ああ、火傷するだろうね。でも、大ケガをするよりはマシだ。一度でも痛い目を見れば、子供にストーブへの恐怖が生まれる。恐怖が好奇心を上回れば、二度と近づかなくなるよ」
「なんてスパルタな」
 思わず眉をひそめる。確かに正論だけど「そうだね」で済ませるには危険な答えだ。
「さっきの乳児用玩具も同じ原理。人間は不快を避けるようにできている、遠ざけたいなら不快を与えればいい」
「気分的に納得いかないけど、言いたいことはわかる」
「それはよかった」
「……納得いかないけど」
「二度も言わなくても」
「だって」
 自分から傷つきたい人なんていないし、他人を傷つけたい人もいない。必要悪があるにしても、罪悪感は確実に生まれるし、後悔だってするだろう。好奇心を止めるには痛い目を見るのが一番、それはあくまで理屈で、実行すべきじゃないと思う。
 ……それを、やろうとした?
「……今のが、惠が一芝居打った理由なの?」
「……」
 沈黙は、おそらく肯定。
 好奇心を止めるため―― 誰の? 惠の。
 誰に、何に対する? 僕……?
 心臓が、重い。
 行き当たった結論に血の気が引く。
「付け加えるなら……そうだね。ニーチェの名言はどうだろう」
 誘導につられ、知識が引きずり出される。
『怪物と戦う者は、その過程で自分自身も怪物になることのないように気をつけなくてはならない。深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ』。
 以前読んだ名言集に載っていた言葉だ。暇つぶしか何かで読んで、それ以降思い出しもしなかった、もちろん座右の銘にもしていない偉人の台詞。
 それを今、急に思い出したのは……思い当たる節があるからだ。
「……まさ、か」
 祈りに近い否定の要請が零れ出る。
 ……疑いもしなかった。
 花鶏やるいみたいに、表面的に現れてくる危険に対処するので精一杯だった。そこさえ守ればどうにかなると思っていた。あれだけ必死に暴こうとしたくせに、同じことをされている可能性を考えなかった。
 同じこと、そう、呪いを――
「僕の、呪いを……?」
 肩が震える。
「逃げるなら今のうちだよ、智」
 腹の底から、血液を凍らせるような震えが沸く。吹き出すのは冷や汗だ。寒くはないのに冷え切った内臓がじくじくとした不快感にあえぐ。振り払おうとかぶりを振る。胃のあたりで身体が真っ二つにされたかのように感覚が分断し、足に命令が届かなくなる。叫びは喉でつっかえて、涙腺が刺激される。怖いじゃ足りない警告音が脳内で鳴り響く。
 惠の行動理由が、僕の呪いを踏まないため―― つまり、惠は既に、答えに近いところまで――
 凍りついた身体を動かそうと、神経が騒ぐ。
 細胞のひとつひとつにまで染みこんだ死の恐怖は、十年近くたった今なお僕を形取り、苛む。ただひとつの要素が、惠という存在の意味を変える。恐怖は好奇心を軽く飛び越えて、一息に僕を塗りつぶしてしまう。
 今すぐ、今すぐここから出て、どこか遠くへ、見たこともないところへ走り去りたい。惠のいないところへ、絶対に見つけられないところへ避難したい――
「……げない」
「え?」
 ダメだ。
 坂道を転がる弱気の虫に、ありったけの根性を叩き込む。
「……逃げない。覚悟はできてるって、さっき、言った」
 わざわざ口に出したのは、自分を奮い立たせるため。
 今ここで逃げたら元の木阿弥、いや、もっと悪くなる。惠を逃がさなかったくせに自分は逃げるなんて卑怯だ。発動条件が違うとはいえ、置かれている状況はほぼ同じ。
 惠に突きつけた恐怖を、今、そのまま返されている。怪物を切り札に使った僕は、同じ怪物に襲われている。
 ここを越えられないなら、一緒になんか歩けない。
 ……それに。
 僕らは常に、呪いを忌避しようとする本能に支配されている。僕らという存在を構成する大きな柱でありながら、普段の会話でも、ちょっと真面目な時も、連想すらしないよう全員が気を付けている。かつて僕が話題に出したときに走った緊張は「呪いを語ること」そのものへの抵抗感だ。
 他人の呪いに興味があったとしても、戦慄はそれをはるかに上回る。ましてや僕は「呪いの内容がわかったら踏む」と申告済だ。見ていればわかる呪いとはわけが違う。
 あの花鶏ですら、僕の呪いを積極的に暴こうとはしない。るいも、気になっているそぶりを見せることはあっても、本腰を入れて追及したりはしない。こよりも、伊代も、茜子も、決して触れない。
 呪いと対峙するのが怖いからだ。
 それは当然のこと。弱いとか強いとかではなく、当たり前。普通レベルの仲間意識は、呪いを未知の領域に押し込め、けして開こうとはしない。
 惠がその領域に踏み込んだということは、つまり……
「そんなに、僕のことが気になってたんだ」
 不自然なほど、声の調子を変える。トーンが裏返りそうなほど明るく、テンポよく。
 意図的に軌道修正しなければ、思考はどんどん暗くなる。山ほどの事実、焦点をあてられるものはごくわずか。それなら、わざわざ自分たちを追い詰めるものを拾うより、前向きになれるものを拾った方がいい。
 ……たとえば、惠の女の子な考え方、とか。
「気になった、というのかな、これは」
「そうだと思うよ。僕だって惠のことが気になって気になってしょうがなくて、呪いまで突っ込んじゃったんだもん」
「さらりと恐ろしいことを言うね、君」
「そんじょそこらの動機や好奇心じゃ、そこまで深くは考えられないでしょ」
 行き止まりを見上げるだけでは、黒々とした壁しか見えない。でも、振り返れば、そこには重ねてきた時間と思い出がある。経験がある。あと個人的な勘。
「要するに、さ。惠は自分じゃどうしようもなくなっちゃったから、僕に一発ジャブ食らわしてもらおうとしたんだよね?」
「そういう表現だと、途端に物騒になるな」
「外れてはいないでしょ」
「……」
 体験で知っている。隠された呪いを暴くために一番必要なのは、知識や情報じゃない。生命にかかわる危険を前にして、なお止まらない好奇心だ。横暴で、自分勝手で、コントロールの効かない感情だ。
 あらゆる理屈を総動員しても制御不能なほど強烈な衝動。
 並大抵の方法では抑えられないからこそ、惠はあんな手段に出た。
 それは、裏を返せば――
「確かめてもいいかな、君の本心」
「……え?」
 手を伸ばし、惠の頬に触れる。惠はびくっと身体を震わせたものの、後じさりもせずその場に留まる。
 頬の感触は極上の絹も真っ青なほど滑らかで、人肌のぬくもりと合わさって僕の指先を陶酔させる。輪郭を描くように耳の後ろから顎を通って反対側までゆったりとたどる間に、指先は眠る直前のような心地よさに満たされる。
 拍動のリズムがが身体中に広がり、理性と情動が混ざりあう。
 惠は僕から目を逸らさない。逸らせないのかもしれない。両の眼に満ちるのは今とこれからへの不安と僕への期待。
 図らずも、呪いが教えてくれた彼女の葛藤。人と距離を保ち、傍観者に徹し続けたはずの女の子の、主体としての行動。当人からすれば暴走に近い、今までの道から外れた行い。
 そこに眠るのは、嫌悪でも、諦めでもなく、日々を楽しめればいいという刹那的な欲求とも異なる。
 僕の自惚れでなければ―― きっと、彼女は。
「よ、っと」
 惠の手を強く引く。
「うわっ!?」
 ベッドと身体の間に開いた隙間に素早く腕を差し込み、肘を曲げる。身長こそ僕より高いものの、やっぱり惠は女の子。意識していなかった部分に力を加えられ、バランスを崩す。そこを逃さず、抱え込むようにして引き寄せる。
 難なく、惠は僕の腕の中に収まった。
「えへへ、捕まえた」
「え、え……と、智……!?」
 顔を真っ赤に染める惠が可愛い。ぴったりと密着し、腕やおなかのあたりでも彼女の体温を感じ取る。服ごしでも伝わる熱はそれだけでとめどない幸福を湧きあがらせ、愛しさを倍加させる。離れないよう、しっかりと抱きしめる。
 顔と顔の距離は十センチもない。ここまで近づけば暗闇なんかなんのその、恥ずかしさをありありと浮かべる惠の表情がよく見える。ほっぺたをつっつくと、触れた時に想像したよりも柔らかくて気持ちいい。
「な、な」
「可愛いな、もう」
 面食らった状態なのをいいことに、髪の毛を撫でたりきつく抱きしめたり、勝手を働いてみる。惠の身体に触れるたびに思考回路が膨らんで、ヘリウムを入れた風船のようにゆらりとうわつく。
 聞くより先に実力行使で少し強引かなとは思ったけど……たぶん、大丈夫。
「智……ずるいな、君」
 暴れるどころか力を抜いて、おとなしく身を預ける惠。あさっての方向に視線を飛ばしたまま、独り言のように、でも僕にはっきり聞こえるように呟く。
「……急に男の子になるなんて、反則だ」
 案の定。
 あっさりと、惠は秘密を言い当てた。
「……やっぱり、見抜いてたね」
「……」
「君の理由を聞いて、そんな気はしたんだ」
 自分の身にあてはめて考えれば、結論が出ているかどうかの見当ぐらいつく。人間、ダメだと思えば思うほど引きずられるもの。姉さんという強力な情報源もあるし、惠ほど頭の回る子なら、たどり着いたって何の不思議もない。
 それに、同性相手なら「怒らせてでも遠ざける」なんて発想は出てこないだろう。この身勝手でぶしつけで始末に負えない感情は、友達に対して抱くには強烈すぎる。
「智、でも君が心配しなくても」
「安心した」
 慌てて何事か言いかけた惠を一旦制し、微笑む。
「惠が花鶏と同じ趣味の持ち主でなくて良かった」
「……この期に及んで何を心配してるんだ君は」
「もし、万が一ということがありまして」
「……まったく」
 まさかないだろうなとは思っていたけれど、こういうオチがつくこともあるのが世の中だ。というのは建前で、ワンクッション入れたかったというのが本音。はやる気持ちは強引にネタを挟むぐらいしないと暴走しそうになる。
 伝えることすら叶わなかったはずの想いが、いつの間にか結ばれていたなんて―― 今までの不幸を清算しておつりがくるぐらいの幸運だ。
「じゃあ、安心したところで」
 脳内深呼吸。
 気が早いなぁとは思うんだけど、確かめたい。惠から言葉を引き出すことはできないからなおさらだ。
 極力優しく、惠の顔を両手で包む。
「まだまだ聞きたいことはあるんだけど、その前に」
 僕の意図を察し、一瞬困惑した表情を浮かべるものの、やんわりと相好を崩す惠。
 そのまま、お互いに顔を近づけて――
 無音に、僕らが混ざる。
 二人の距離が、ゼロになる。
 惠の唇は、触れた瞬間に蕩けてしまいそうなほど、ふんわりとした柔らかさだった。