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after Birthday ※視点は惠

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僕の考えた惠ルート ※視点は智

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chapter 26 


 書斎に並ぶ本の共通点に気づくまでに、長い時間はかからなかった。
「完全に、呪いの研究のための資料室ね」
 花鶏が感心と疑惑の混ざった、不機嫌なつぶやきを漏らす。
「そうね。結果的にハズレの本もあるけど、無駄なものが何もない」
 伊代の言うとおり。ここに集められているのは全て、何かしら呪いに関係している本だ。学術書から伝奇ものまで多種多様のジャンルがあるものの、その根底には呪いに類する要素がある。僕たちのそれを示すかどうかまではわからないけど、的外れでもなさそうだ。それが証拠に、脳が異常に活性化してるのがわかる。
 ここに来てからまだ二、三時間。それでも、僕が泣きそうだった三日間より、この時間の方が遙かに実りが多かった。適当に一冊取っても気づきがあるなんて、市の図書館では絶対に考えられない。
「……ある意味、秘密の花園以上に危険な場所ですね」
「何かあるかもとは思っていたけど、これほどとはね」
「……できすぎですよね」
「茜子」
 思わず強い調子で呼びかける。茜子は僕をちらりと見て、あきれたように軽いため息をつく。
 ……わかってる。
 今の状況は、惠の態度は、茜子の疑いを雪だるま式に膨らませてしまっている。疑念を払しょくする方法はいくらもあるのに、惠は茜子の無言の追及に向き合おうとはしない。気付いているのに無視、その選択が心を黒く煽る。気にしなければ気にならないことも、いったん穿った見方を始めれば止まらなくなる。
 この家のかつての主人は、呪いについて調査していた。ほぼ間違いない。
 惠がそのことを知っていたとしたら?
 知っていて―― 三日前には、わざと黙っていたとしたら?
 首を振る。
 たとえ知っていたとしても、ここにノロイを避ける方法があると決まった訳じゃない。混乱した状況に未確定の情報を入れるのは危険だ。それに、七人が避難するには広いとは言えない書斎、本棚からポルターガイストよろしく本が飛んできたら惨事になっていただろう。あの場で言わなかったことに理由はつけられる。
 何より、彼女は今日、僕らにこの書斎を公開してくれた。過ぎたことは仕方ない、僕は、ここを教えてくれた惠を信じたい。
 資料のヒントをノートに書き留めつつ、調査を進める。
 困ったことに、資料は古いものが多く、文字が消えてたりかすれてたりはザラだ。印刷が鮮明だと思ったら旧漢字だらけで、解読に時間がかかったりもする。そんなこんなで内容を吟味以前の問題がいろいろ出てくるもんだから、意外にはかどらない。
「昔の人はなんでこんなにわかりにくい書き方するのかなー、読みにくくって目が回る」
 るいがいかにも古そうな本の上に突っ伏す。そうだよね、るいにとってこういう本は鬼門以外の何ものでもないよね……
「それはあなたに学がないからよ、皆元」
「別に、本が読めなくたって生きていけるし」
「なんて貧しい人生」
「こうして若者は堕落し、老獪なジジイどもの最後っ屁に泣く羽目になるんですね、この国のように」
「本当、腹が立つわ。しかもそういう汚らしい奴らがかわいこちゃんを食い荒らすのよね。まったく、政治家なんて全員死ねばいいのに」
「それ、国ごと死ぬから!」
「死んだら死んだで新しく興せばいいのよ。トップから役所の受付まで全員が美女、男子禁制でお触り自由のハーレム王国……すばらしい国でしょ?」
「それ、単なる風俗じゃ……」
「だめだこいつ、早く何とかしないと」
 真剣に調べていても、隙をついて雑談が生まれる。それが僕たちの特徴で、安らげるところだ。
 ……変に気にし過ぎてもしょうがないよね。今はやれることをやろう。
「むー……」
 目星をつけた本をめくり続ける。今ひも解いているのは、世界各地の呪いの伝承について書かれたものだ。だいぶ物語めいているけど、ここにあるということは意味のある本なんだろう。よくよく読むと、意味不明な言い回しがやけに多い。単なる作者の自己満足かもしれないけど、どうも引っかかる。
「智は何を読んでるのかしら」
 顔をしかめていると、花鶏がのぞき込んできた。
「……ふぅん、物語? どれどれ」
開かれたページにざっと目を通す。
「……あら」
 さして興味もなさそうだった目が、何かに気付いたのか、強い視線を宿す。
「勘がいいわね、智」
「そう?」
 花鶏が紙面を睨むようにし、覗き込んでいた身を起こす。
「ええ。秘匿すべき情報っていうのはね、多くは物語や旅行記、時としては日記のような、いわゆるフェイクの形を取るのよ。万一見知らぬ相手のもとに渡っても真意に気づかれないようにしてあるの。この本もその類みたいね」
「……よく知ってるなぁ」
「ふふふ、由緒正しいズファロフ家の人間であるこの私の知識を甘く見てもらっては困るわ」
「あー、なるほ」
「映画とかでよくありますよね! 錬金術の極意だとか、滅びの予言書だとか、宝の地図だとか!」
 こよりんが目を輝かせて割り込んできた。あのドラマではこの漫画ではー、と実例を挙げ始める。
「……」
 なぜか不機嫌になる花鶏。
「およ? 花鶏センパイどうしたですか?」
「……別に」
「自分だけが知っている秘蔵情報と思ってたら常識だったー、うわーはっずかしー、ってやつです」
「茅場、殺す、マジ殺す」
「正直者はつらいぞー、わー」
 なんとも緊張感のないやりとり。
「トモー、本読みすぎておなかすいたよー」
「何言ってるの、さっきから五ページも進んでないじゃない」
「イヨ子お母さんがスパルタだー」
「……みんな飽きてきてるね」
「だって、こんな風に机にへばりつくなんて滅多にないし」
 時計を見ると、結構な時間だ。書斎には窓がないから気付かなかったけど、すでに日が暮れている。はかどらないなりに、時間は経っていたらしい。
「んー、鳴滝めもストレッチしたくなってきました」
「おいでこよりちゃん、気持ちよく背をのけぞらせてあげるから」
「さりげなく危険な提案をしない」
「あら智、ただの肩たたきの延長よ」
「安っぽいヤクザの口説き文句を使わないの!」
「あなたたち、騒ぐなら静かに騒ぎなさい……って、あ」
 イラだった伊代の言葉に続く、間の抜けた効果音。るいがそれを耳聡く聞きつける。
「イヨ子もおなかすいたねー、おなか鳴ってる」
「いっ……今のは気にしないでっ! ちょっとした生理現象なんだから」
「素直になれ、万年未遂ダイエッター」
「未遂じゃないわ! 確かにその……まだ効果はあまり出てないけど、それで諦めるわけにはいかないのよ!」
「……伊代さんもお静かにー」
 にわかに書斎がざわついてくる。
 いくら資料がてんこ盛りとはいえ、ずっと座りっぱなしで調べ続けるのは骨が折れるし、モチベーションも続きづらい。本の量はかなりあるし、るいが文句を言ったように、読みにくいものも多い。くわえておやつ効果も切れてきたとなれば、グダグダになるのもしょうがないか……。
「みなさん、夕飯の準備ができましたよ」
 と、ナイスなタイミングで佐知子さんが呼びに来る。
「おおー、ごっはん! ごっはん!」
 聞くなり、るいがしっぽふりふりしつつ飛び出す。
「……完全に餌付けされてるわね」
「るいセンパイを飼うのは食費が大変そうですケド」
「飼ったところでメリットなぞ何もない、まさに穀つぶし」
「そういえば前、惠の家の子になりたいって言ってたね」
「皆元なら譲ってもいいわ」
「いや、惠の了解取ってないから」
「Bまではいってますけど」
「Bとか言わないのー!」
 ……そういえばメイド服で惠におさわりしてたな、るい……むぅ……なんか悔しい。
「ま、とりあえずダイニングへ行こう。惠も戻ってきてるかもしれないし」
「惠センパイ、巻物とか持ってくるかもしれないですねー」
「それはそれですごいね」
 こよりの頭をなでなでしつつ、ダイニングへ向かう。
「おなかがすいーた、おなかがすいたーらんらんらん」
「……上機嫌ね」
「るいの心境を歌ってみました」
「じゃあ鳴滝も! おなかっがすいたーおなかがすいったー」
「幼稚園かここは」
「つるぺたツインテールが相手だと若干シャレになりませんね」
「空腹になってからだと自然に食事量が増えるのよね……気をつけなきゃ」
「おーなっかがー」
「すーいたー」
「賑やかね」
「ご飯は笑顔の原動力です!」
「みんなー、はーやくー」
 音程もリズムも無茶苦茶な歌と、意味もないスキップと、バカ騒ぎ。
 もくもくちりちりと心の端を焦がす胸騒ぎを、愛しいくだらなさで笑い飛ばす。
 

「じゃあ、今日はこれで」
「みんな、明日は寝坊しないでね」
「大丈夫です、学校をおサボりすると思ったら、もうワクワクしちゃって寝坊なんかできません」
「……いや、その発想もどうかと思うけど」
 結局。
 夕食後にも多少調べたものの、目立った成果は得られなかった。
 とはいえ、全てが無駄骨に終わったわけではない。単に『成果』まで至らなかっただけで、その片鱗はちらほら見えつつある。その中途半端さは逆に僕らの好奇心を煽りたて、さらなる調査への意欲を沸き上がらせる。
 というわけで、明日は朝一で屋敷に集合、一日かけて徹底的に調べ尽くすことになった。
 危機は去ったとはいえ、まだ油断はできないし、呪いのことをいつまでも引きずりたくない。こうしてヒントが出てきた以上、一挙に行き着くところまで行ってしまいたいという気持ちが強かった。
 明日調べて成果がなければ、そこで打ち切り。まさに一極集中、短期決戦だ。
 さらにモチベーションをあげるため、明日は全員が学校を休むことにした。優等生的にはアレだけど、一日ぐらいどうってことはない……と思う。明日で全てが終わるなら安いお支払いだ。
「夜も遅い。みんな、気をつけて」
「ええ、ありがとう。あなたも早く休んでね」
「優しいね、伊代」
「全くです」
「茜子とるいは、今日も花鶏の家かい?」
「うん、寝床は用意してくれるから……」
「仮設住宅としては優秀ですし」
 ちょっとだけ後ろめたそうに、るいが眉を下げる。
 るいと茜子。家なし子二人は、惠の家に泊まることもできる。
 ただ、彼女たちこそが、この屋敷で呪いに狙われた二人だ。無防備になる時間を過ごすには、前回の記憶はまだ近すぎる。僕らが今日泊まらずに帰るのも、同じ理由。
 わかっているから、惠もメイドさんたちも無理には勧めなかった。
「……すまないね。ほとぼりが冷めたら、また泊まってくれ」
「ご飯は惠の家の方が圧倒的に美味しいからねー」
「結局そこか」
「現金すぎる」
「衣食住の食に難がありすぎますからね、この草食没落レズ女」
「そ、草食なんだ……」
 食事はともかく、中身は百獣の王も真っ青な肉食だよね、花鶏。
「セロリライスのおいしさがわからないあなたたちの味覚がおかしいのよ」
「いっぺん全員にジャッジしてもらいたいものです」
「……料理名聞くだけで、判定出したくなるよ」
 花鶏の料理の腕前は知らないけど、『セロリライス』という言葉そのものがどこか危険なニオイを孕んでいる。
「さ、無駄話はその辺にして。明日も早いんだから」
 伊代がみんなを促す。名残惜しげに、それぞれが手を振り、それぞれの家へと帰還する。


 オフロタイム。久々に、湯船にゆっくり浸かり、身体の疲れをお湯に溶かす。帰りがけにコンビニで買ってきた入浴剤は値段の割に香りが良くて、ついうっとりしてしまう。鼻歌まで歌いながら、じっくりと血液の隅々まで温かさを行きわたらせる。
 天井を見上げて、穏やかな思考を巡らせる。
 今頃は、るいも花鶏の家の大浴場でのんびりしているだろうか? 逃げ回った三日間、おそらく湯船につかるなんてもってのほかだっただろう。眠れない、お風呂入れない、お腹いっぱい食べられない、まさにストレスフルの日々だったはずだ。ひょっとしたら、喜びのあまりあの大きな湯船を泳いでるかもしれない。そんなことを想像し、みんなで花鶏の家に泊まった日のことを思い返して赤くなる。
 ……あれだけたくさんの女の子の身体をいっぺんに見たのは初めてだ。女の子のフリをしてるからこその桃源郷、しかしそれは地獄と紙一重であります。
 お風呂といえば……そうだ、惠と結ばれた日に一緒にお風呂に入ったりしたんだっけ。髪が濡れて頬が赤くて、熱が取れない感じで、ためらいがちに、控え目に甘えてきて、その……かわいかった……。
「あ、あわわ」
 リアルに感触を思い出した。手がわきわきする……って変なところも反応してるー!
「ぎゃふー、ううううう」
 脳内で再生される一連の流れにじたばたする。駄目です、オカズにしては駄目です! いや、雑誌とかで代用するよりいいのか? よくわかんなくなってきた!
「……うー、あううぅぅ」
 色んな意味で、身体が熱い。一気にゆでダコ間近になる。数日前の強烈な記憶が頭と身体を巡る。
「……っ」
 ……溜まったものは、出すしかない。
「……なんという、敗北感……」
 蛇口をいつもよりしっかりひねって、シャワーを勢いよく浴びる。
「……やってしまった……」
 ひょんなことで天国は地獄へ。いや地獄ではないんだけど、こう……いろいろとわだかまりが残る。本人がいない場所でっていうのはどうなの……本人を前にしてはもっと危ういけど。
「健全なる青少年は時として不健全……はぁ」
 いろいろげんなりしつつ、身体を拭く。鏡を見ると肩から湯気が立ち上っている。首から上だけなら湯あがりの女の子そのもの、そこから下はごまかしようのない要素にあふれてるけど。
 冷たいジュースを一気に流し込んで、一息。
 ぐったりソファに倒れこむようにして横になる。
「ん?」
 視界の端で、携帯のライトが明滅している。お風呂に入ってる間にメールか電話があったらしい。
 誰だろう、と何の気なしに確認し――
「……惠……三回も……?」
 表示されていたのは、惠からの着信履歴。それも一回ではなく、三回。立て続けに電話してきたらしい。
 お風呂の中で描いた彼女が再び頭をよぎる。なんというテレパシー。けれど、そんな冗談めかしたツッコミと同時に、意識を締め付ける予感が走る。
「……なんだろう?」
 そもそも、惠から電話があること自体が珍しい。何かを伝えるならメールの方が安全で確実だから、連絡も個人的な話も大抵メールで送られてくる。
 でも、今回は着信を三回。しかも、それぞれかなり長い時間鳴らしているのに、メールが入っていない。
「……かけてみよう」
 予感が滑りこむより先に行動。履歴から惠に電話をかける。
『……はい』
「あ、惠? さっきは出なくてごめんね、お風呂入ってたんだ」
『なるほど、そういうことか』
 電話越しの声は、落ち着いている。電話という媒体を通しているせいか、若干、落ち込んでいるようにも聞こえる。誰にも聞かれることのない、二人きりの会話……恥じらいでむずむずするはずなのに、何故だろう、ときめきよりも不安が大きくなる。
「急にどうしたの? 惠からかけてくるなんて珍しいよね」
『……』
 なんのことはない、予想される問いかけ―― けれど、惠は答えない。
「……惠?」
 その沈黙が、やたらに心に突き刺さる。
『……今日は、何か成果があったかい?』
 本題から逸らされた、そんな直感が働く。
「夕飯のときに話した通りだよ。あと二歩か三歩って印象かな」
『それなら、明日になれば判明するかもしれないね』
「惠、明日は一緒に調べてくれるんでしょ?」
『……さあ、どうしようかな』
 また、あえてわかりにくい表現を選ぶ。OKなら冗談めかして嘘をつけばいいだけの話だ。彼女の呪いを知る僕だから、堂々と嘘をついてもらえれば真実を掬い取れる。それなのにはっきりさせないということは――
「……できれば、ううん、よっぽどのことがない限り、明日は一緒にいてほしい」
 もう一歩、あえてこちらから踏みこむ。
『あの書斎に、かい?』
「うん」
『……』
 また沈黙。今度はおそらく、否定の意味。
 なぜ? 書斎にイヤな思い出でもあるんだろうか?
『電話を通すと、随分と声の印象が変わるね。距離を超えるという意味では大発明だが、微細な部分において、電話にはまだまだ改善の余地がある』
 露骨に話題を変えてくる。聞かれては困ることに先回りするように。
「あ、あのさ、惠」
『やはり、君の声は生で聞くのが一番だ、そう思わないかい?』
「……いや、本人に同意を求められても」
『あはは、それもそうか』
 言いたくない―― 滲み出る、拒絶の意志。
 不可解なのは、その『言いたくないこと』が何なのかわからない点だ。
 現状、彼女の行動にも言動にも一貫性が見られない。惠の性格からして、いきあたりばったりで動くなんてまずありえないのに、思いつきでフラフラしているようにしか見えなくなっている。気にしなければ気にならず、何らかの理由で疑いを持った相手は翻弄する……かなり高度なカモフラージュだ。さすが、と言うべきか。
 全てを明かしてくれた、なんて思っていない。姉さんのことを始め、惠の家にはまだまだ謎がいっぱいだ。それ自体は問題じゃない、少しずつ明かしてもらえればいい。
 だけど……今の彼女は、元々の秘密以上に覆面を被っている。出会った時よりさらに深い霞に隠れようとしている。ほんの数日前に見せてくれた、仲間たちへの愛情に満ちた笑みをこそげ落としてしまっている。おそらくは、意図的に。
『あまり長電話しては湯冷めしてしまうだろう、今日はもう休むといい』
「ちょ、ちょっと待って」
 僕が自分の思考回路に気を取られた隙に、惠は半ば強引に話を収束させようとする。
『風邪を引いては、みんなに心配をかけてしまうよ』
「そうじゃなくて」
 慌てて引き戻そうとするも、時すでに遅し。パワーバランスが崩れ、一気に惠のペースに持ち込まれる。
『気にすることはない、さっきの電話の理由は些事だよ。寂しい夜の涼しさに、君の声は何よりのぬくもりになる』
「ねえ、待って惠」
『……おやすみ、智。どうか、良い夢を』
 無機質な、回線の切れる音。
「……」
 結局、何も聞けなかった。必死さすら感じる三回の着信の理由も、場を提供しておきながら協力しない理由も、育てた素直さを捨てようとしている理由も―― 全部、押し切られた。
 もはや繋がっていない電子音を、耳に流し続ける。
 じわり、じわりと、得体の知れない後悔が染み出してくる。
 ひょっとしなくても、僕は……取り返しのつかない、とんでもなく深刻なミスをしたのではないか、と。
 

「うーむ」
「……」
「どうしてこんなに難しいかなー」
「ああもう、結論は三十文字でまとめなさいよ! まどろっこしいったらありゃしない」
「まだ午前中よ、弱音を吐くのは早いわ」
「おっかぁ、おらもう動けねぇだよ」
「さっきから居眠りばっかりしてるでしょ、あなた」
「ちっ、目ざとい」
 翌日。晴れた空を堪能するより早く、僕らは書斎に缶詰めになった。各々、自分の気になった本を読み漁っている。
「伊代は絶好調だね」
「ふふ。今まで謎のままにしてきたものが明かされるって思うと、ちょっと嬉しくならない?」
「イヨ子らしいなー、私にはムリ」
「ムリでもいいから、ほら、続きを調べる!」
 伊代は特にやる気がみなぎっていた。もともと勉強好きのタイプだから、古文書解読にも似たこのシチュエーションが好きなんだろう。それに、何事もフェアが彼女の信条。自分が置かれている絶対的なアンフェアの仕組みがわかるとなれば、気合いも入るというもの。
 そんな伊代にお尻を叩かれるような状態のるい、茜子、花鶏。この三名、それぞれ理由は違えども、やる気メーターの減りの早さはほぼ一緒。十分ももたない。そのたびに机に向かわせる伊代……妙に納得のいく構図だ。やる気なしに手伝わせるより、自分でやったほうが効率的なんだけど、それをさせないあたりが伊代らしい。
「メグムの方はどうなってるのかなー、力仕事あるかなー」
「脳筋を自ら称するとは、さすが乳だけ娘」
「私たちはあくまで他人なんだし、あの子が手伝ってって言わない限りは手伝わない方がよさそうな気がするわ」
「ここも退屈だけど、物置なんかに行って汚れるのはもっとイヤよ」
「サボリ宣言だ」
「あっちはあっちで、サボってるのかもしれませんけどね」
「惠センパイはやっぱりミステリーです」
 結局、惠は今日も書斎に入らず、みんなを案内した後どこへともなく出かけてしまった。理由は昨日と同じで、浜江さんと物置探しをするから。こちらも後少しで見つかりそうなんだと見せる笑顔は、昨日よりさらに仮面の色合いが強くなっていた。
 とはいえ、そんな風に言われては、強く引き留めるわけにもいかない。茜子の不信感丸出しの視線を知りつつ、頑張ってね、と当たり障りない返事をするしかなかった。
 昨日の電話の態度といい、惠は明らかにおかしい。一緒にいなければ不審がられてしまうことぐらい、とっくにわかっているはずだ。なのに、あえて僕らと離れようとする。
 本当に、物置を探しているだけならそれでいい。ただ、そうではなく、別の何かを進めているのだとしたら――
「えーい、解読、解読だっ」
 首を振り、予感を追い払う。雑念を力技でねじ伏せるように、目の前の本に集中する。
 読んでいるのは昨日に引き続き、物語風の本。昨日の経験をふまえ、とにかく暗号がありそうな物語をピックアップすることにした。今までの状況から察するに、僕たちの呪いについて真正面から書いた本はほぼないと見ていいだろう。なら、暗号がある本を解読した方が可能性は高い……気がする。
 こよりんは自分のレベルに合った本がないかとさっきから本棚捜索中だ。椅子の上に乗ったりしてちょっと危なっかしい。読むより探す方に注力してる……んだろうな、多分。
「へっそくりーへっそくりないかなー」
「……なにしてるですかこよりん」
「こういうところは、本の隙間にへそくりが挟まってるのがセオリーですよ!」
 いつのまにか目的そのものがすり替わっていた。だから本の隙間ばっかり見てたのか……ってダメじゃん!
「なるほど、一理あるわね」
 こよりの予想に反応し、立ち上がる花鶏。目がハンターなのは気のせい……じゃないな、これは。
「いや、へそくりあったとしてもこの家のものだからね? 勝手に取っちゃ駄目だからね?」
「最低一割は徴収する権利があるわよ。わざわざ探してあげるんだから、それに上乗せして半額」
「乗せすぎ!」
「倍額でも」
「なお悪いわー!」
「……って、おお!? さっそく出てきましたよー!」
「マジで!?」
「マジです! ほら!」
 こよりが満面の笑みとともに差しだしてきたのは、一冊のノート。とりたてて凝った装丁をしているわけでもない、至って普通のノートだ。本の間に挟まれていたからだろうか、古びてはいるものの、変色や日焼けはしていなかった。
「おかしいと思いませんか、智センパイ! こういう普通のノートがあったということは、ズバリこれが」
「へそくり帳ね」
「いや、へそくりならノートじゃなくて本に挟むと思うんだ」
「埋蔵金の在処が書いてあるとか!」
「それよ、こよりちゃん! こんな大きなお屋敷、隠し財産があってしかるべきよ!」
「花鶏の家にはあったの?」
「使いきった」
「リアルは残酷だ……」
「人も少ないし、メイドを雇えるぐらいだからあるわ、あるに決まってるわ!」
「あっても花鶏のものにはならないからね?」
「拾った人間は一割もらう権利がある」
「盗掘と大差ないと思うよ、今の状況」
「……とにかく、見てみたらどうですか」
 茜子の冷静なツッコミ。
「そ、それもそうだね」
 見る前からの盛り上がりをちょっと恥ずかしく思いつつ、適当なページを開いてみる。
 さあ、吉と出るか凶と出るか……。
 文字を追う。
 意味をかみ砕く。
「……え」
「こ、これは……!」
 与えられるのは―― 驚愕。
「なになにどうしたの? お宝見つかった?」
「いや、お宝っていうか、これ……!」
 心臓が早鐘を打つ。ノートを持つ手にじわりと汗が滲む。 
 宝の在処、なんかじゃない。もっと切実で、僕たちが求めていたもの――
「呪いのことが、書いてある……」
「ええっ!? 本当に!?」
 伊代ものぞき込んでくる。開かれた達筆な字をざっと読み、目を見開く。
「うそ、これ……本当に、私たちの」
「ビンゴですね」
 茜子の呟き。
「……」
 声が出ない。
 動かぬ証拠。ここが、僕たちの呪いを研究する場であった、なによりの証明。
 呪いを研究し、戦った誰かの、研究ノート――

 
 ノートは語る。

 呪いの受け手は八名。彼らは『八つ星』と呼ばれ、特別な力を持っていた。
 しかし、持っていたのは力だけではない。
 八名は、力を持つがゆえに、呪いを受けた。
 
 呪いと力が何者によって与えられたのか、如何なる意図によるものなのか、それはわからない。
 
 いずれにせよ、『八つ星』の血筋は代々呪いに苦しめられることになった――


 ノートは達筆な文字で書かれている上、まとめきれていない部分も多く、内容を全て理解できるわけではなかった。あくまで個人的な資料として作成したのだろう、意味の分からない記号やメモもあちこちに書きちらされている。
 日記と研究日誌が一体化したような、一人の研究者の道程。それの端々から伝わってくるのは、著者の並々ならぬ努力と執念、そしてもどかしさだ。
「んー……何? ナントカの本があればもっと詳しいことがわかるのに、ってあるね」
「何語だろう、このタイトル」
「ロシア語、かな?」
「そうなんですか?」
「ほら、顔文字とか使うとき、『ろしあ』で変換するとこういうの出てくるでしょ」
「なんという頭の悪い根拠」
「鳴滝めは参考になりましたよー」
「でも、仮にロシア語だったとしても、これ、読めないよね……」
 書いてある文字は、それこそ顔文字の原型にしか見えない謎の物体だ。ノートに書かれていなければ文字だということすらわからなかったかもしれない。
 それぐらい意味不明の、日頃接したこともない言語ーーそんなのお手上げだ。
 と――
「ラトゥイリ・ズヴィェズダー」
 花鶏が苦々しげに口を挟む。
「ラトゥイリ……なに?」
「『ラトゥイリ・ズヴィェズダー』。訳すと『ラトゥイリの星』よ」
「花鶏、知ってるの!?」
「……」
「知ってるけど言いたくありませーん、といういつものワガママですね」
「……ええ。そうなるわね。どうしても必要だって言うなら、考えなくもないけど」
「考える気ゼロです」
「茅場、いちいち突っ込むな」
「それで、その本があれば、さらに詳しいことがわかるのよね?」
「……」
「そうなるね。でも、今現在ここにないものはしょうがない。とりあえず、今日のところはこのノートの中身を解読しよう」
 喉から手が出るほど欲しいけど、ここで花鶏を説得するのは困難だし、時間は限られている。まずは目の前の課題からだ。
 びっちりと書かれた文字をひとつひとつ拾い、意味を探り、仮説を組み立てていく。
 『八つ星』のこと以外は、どうにも曖昧な部分が多く、なかなか意味の通じる情報にならない。それでも何かあればと読みすすめていく。
 そして。
 最終ページへたどり着く。

『私に調べられるのは、現時点ではここまでだ。だが、私はあの子たちがいる限り研究を続けるだろう。私は妻との間に双子を授けてくれたことを神に感謝する―― 和久津』

「わく、つ……?」
 和久津。
「まさか、これ……智の……!?」
 ぞくんっ、と。
 今までで一番大きな悪寒が背骨を走り抜ける。
 父さん?
 このノートを書いたのが、父さん?
 つじつまは合う。
 父さんがここで呪いの研究をしていたとすれば、姉さんがここにいるのも納得がいく。
 ここで、父さんと姉さんが、呪いの研究をしていたとすれば、全ては繋がる。
 でも、そうだとしたら。
 惠は、そのことを知って……?
「……惠さんに、問いただした方がいいでしょうね。どこまで知っているのか、なぜ黙っていたのか」
 茜子はあくまで平静な口調を崩さない。それがかえって意志の強固さを伺わせる。
「……」
 惠。
 君は――……

「この屋敷は、大貫が和久津氏から譲り受けたものらしい」
 昼ご飯を終え、惠にノートを見せる。彼女は眉ひとつ動かさないままざっと読み、小さく息を吐いた。
「らしい、ってことは、あなたは面識はないの?」
「……あったならば、智の顔を見たときに何かしら感じたかもしれないね」
「わざわざ顔を見なくたって、和久津の名字で関連性を疑うものじゃないですか」
「親戚かな、ぐらいには思っていたよ」
 慎重に言葉を選ぶ惠。助け船を出せない自分の身がもどかしい。
 あのノートが本当に父さんによって書かれたものだとすれば、末尾の『双子』の文字が恐ろしい脅威になりえる。僕はともかく、姉さんが危険にさらされてしまう。
 情報の出し方を一歩間違えるだけで、みんなは姉さんの存在にたどり着く。それは、姉さんの呪いが発動することを意味する。惠が何も言わなかったのも、姉さんを守ろうとしたからだろう。
 だけど、みんなはそれを知らない。知らないから、自然、追及が厳しくなってしまう。
「おかしいんじゃないの? 大貫氏が和久津氏からこの家を買ったなら、呪いのことだって知ってたはずよ。それなら当然、惠、あなただって」
「……呪いが引き取る決定打だった、それは間違いないだろうね」
「じゃあ、大貫って人とメグムは一緒に研究してたの?」
「和久津氏のポリシーと、大貫のポリシーは異なる。大貫は和久津氏のような研究はしていなかった。それに、書斎は彼以外は原則立ち入り禁止だったからね。情報が大貫以外に伝わることはなかった」
 『大貫』。惠は、当然のように養父を呼び捨てにする。そこに秘められたものが何か―― 知りたいけど、今はみんなを納得させる方が先だ。
「ではあなたは、この家が呪いの資料にまみれたキナ臭い場所だと知りながら、手を付けずに来たというわけですね」
「知ったところで事態が好転するとは限らない。触れずにいた方が平穏は守れる」
「……」
 それ以上は追及せず、言葉を飲み込む茜子。
 自分が惠の立場なら……そう考えれば、惠の行動は説明できる。
 皆で手を取り合っている今でこそ、呪いの情報も躊躇なく受け入れられるようになっている。でも、数か月前まで、僕らは呪いという単語を聞くことすら拒絶していた。そのころの自分を思えば、誰も惠を責められない。
「で、でもさ、身近に呪いの研究してる人がいたらさ、やっぱ」
「呪いの研究にもいろいろあるんだよ、るい」
「……?」
「解くことと、研究することはイコールではない……そういうことかしら」
「……」
 花鶏の指摘に、沈黙で返す。
「ま、それはそうですね。普通なら私たちのようなイレギュラーは功名心で手元狂いまくりのマッドサイエンティストにモルモットにされ人造人間化するのがオチです。エロ展開なら触手の餌食」
「なぜそこまでネタが進化する」
「普通には死ねませんよ、モルモット」
 茜子のブラックジョークが、場の空気を黒く張りつめさせる。おそらくは惠への挑発も含まれているんだろう。
 対する惠は静かだ。凪の水面のように、しんとした空気をまとっている。仮面を通り越してのっぺらぼう、感情の起伏が感じられない。
 彼女の立ち位置は綱渡りだ。姉さんを守りつつ、みんなから過度に誤解を受けないようにしなければならない。それがどれほど神経を使うことなのか……考えるだけで胃が痛くなりそうだ。
 なんとか話を切り上げたくて、口を挟む。
「……話を戻して。じゃあ惠は、このノートの存在も知らなかったんだね?」
「知っていたなら即座に出していたよ」
「まあ、大貫氏が調べてたならともかく、その前の持ち主がとなれば、知らないってこともありえるわね」
「なんか、惠センパイって何も知らずにラストダンジョンに住んでるみたいですね」
「言い得て妙、かな」
 口元を緩める。でも目は笑っていない。
 昼食時に現れてから、ずっとこうだ。機嫌が存在しないかのような、無機質に近い状態。表情は状況に合わせて反応するけれど、感情は微動だにしていないのがわかる。
 姉さんを守るため、自分を守るため……それ以上の何かを持って、惠は仮面を被る。
 ……なぜ、そこまで頑なになるの? ほんの数日前、皆と過ごす日々の喜びを語ったのに、そんなに急に変われるものなの?
 痛みにも似た勘が、じくじくとお腹の下あたりにわだかまる。悪い意味で変わりゆく彼女が、何かとんでもない真似をしでかしそうで、気が気でない。
 遠くなったはずの、出会ったころの惠。またその顔を見る日が来るなんて……。
「ねえねえ、メグム。佐知子さん何してるの?」
 雰囲気の悪さを変えたくなったのか、るいが惠の袖を引っ張った。
「ん?」
「ほら、庭。何か出してる」
 るいに言われて庭を見ると、佐知子さんが何やら骨組みを組み立てていた。佐知子さんの胸の下あたりまである、椅子にしては大きい、銀色の物体だ。
「ああ、バーベキューコンロだよ。物置を探していたら出てきたんだ。大分昔のものだから、サイズも随分と大きいけれどね」
「……本当に何でもあるね、ここ」
「夕飯はバーベキューだそうだ。浜江はそういう料理は好きではないんだが、たまにはいいだろう」
「おおお! バーベキューとな! それは楽しみ!」
「……るい、お昼食べたばっかりなのによくもまあ」
「るい姉さんはいつでもどこでもどれだけでも食べ物なら大歓迎でっす!」
「胸を張るな胸を」
「うう、おっきい……るいセンパイぐらい食べないと、あんな風にならないんでしょうか……」
「いや、それはない」
 軽い雑談。僅かに空気がほぐれる。
「そうだ、ひとつ提案がある」
 場が和んだ一瞬に滑り込ませるようにして、惠がみんなに笑いかける。
「和久津氏が書斎で研究していたとするなら、ノートはそれ一冊とは限らない。書斎をくまなく探せば、まだ出てくるかもしれない。午後は書物ではなく、書棚を調べてはどうだろう?」
「それもそうね。この薄いノート一冊で全ての研究を書きとめられるとは思えないわ」
 書斎―― 意外だ。
 あんなに入りたくなさそうにしてたのに。
「いいですね! 今度こそへそくりを見つけ出します!」
「本を漁るよりは効率的でしょうね」
「読まなくていいならどんとこい!」
「じゃあ、行こう。物置よりもそちらの方が役に立ちそうだ」
 自ら立ち上がり、僕らに行動を促す惠。あくまで普通、淡々とした明るさ。
「……」
 茜子は睨むように、惠の背中を見つめている。
「……上には上がいるものですね」
 聞こえるように呟いた言葉に、惠はあえて振り返る。
「どうしたんだい、茜子」
「……なんでもありません、今は」
「そう、それならいい」
 二人の間に、火花は散らない。代わりに、研ぎ澄まされた冷たさが流れる。


 全員が書棚を向くと、途端に狭く感じられた。
「うーむむむ……ここの列ははずれですー」
「もうちょっと調べてみてこよりちゃん。あなたのかわいい下着をもっと堪能したいわ」
「ふぎゃ! なんと堂々たるセクハラ!」
「この期に及んでまだそういうことをするかっ!」
「何よ、見上げればパンチラなんてめったに得られるシチュエーションじゃないのよ!?」
「花鶏ダメすぎ、ほらこっち手伝ってよー」
「ちょっと皆元、そんなに本出してどうする気よ!?」
「いちいち隙間に手を突っ込むより、出しちゃった方が早いっしょ?」
「その片付けが面倒だから出さないようにしてるんでしょ! それにあんた、ちゃんともとに戻せるの?」
「大丈夫だよ、これを左から……あれ? 右からだっけ?」
「言わんこっちゃない……」
「今更並び方が変わったところで文句を言う人もいないから、気にしなくていい」
「茜子はどうー?」
「ダメですね。アブラムシの死骸一匹出てきません」
「あ、アブラムシって」
「樹に付いてる緑のじゃないですよー、三億年前からこの星に生息している悪魔の黒光り」
「え、いるの!? Gさんここいるの!?」
「……エサになるものがないから、多分大丈夫じゃないかな」
「アレだけはダメです、本当ダメですぅぅぅ」
「一応生きた化石なのに誰にも褒めてもらえない彼らに愛という名の天誅を」
「人間って自分勝手」
 ぶつかるのを避けるため、それぞれが声を掛け合い、お互いの状況を確かめながら捜索する。本と本の隙間、表紙と本文の間、本文の間をざっと調べる。まさにへそくり探しだ。あちこちで本をめくる音がして、ホコリが舞う。たまに誰かがくしゃみをする。
 なんだかんだ、みんな肩が触れ合いそうなほど近い。こんなに近づいてるのは雑魚寝の時以来じゃないだろうか。自分から半径四十センチはパーソナルスペースで、近寄られたくない距離だというけれど、みんなそんなこと気にしていない。無意識のうちに心を許しあっているのがよくわかる。
 ……その中で、自然な形でパーソナルスペースを守る一名。
 惠は書棚に張り付かず、みんなを支えたり、とりあえずで誰かが出した本を受け取って並べたりと、サポート的な役割に徹している。この状況的に必要な役割だし、真面目に作業しているから違和感はない。だけど、あえてみんなから一歩引いた位置に立ち続けていることも間違いない。
 惠の様子をちらちらと確認しつつ、僕も書棚のチェック。分厚い本を持つたびに腕にかかる重みが、妙な充実感を招き寄せる。めくると結構な確率で何かが挟まっている。大抵はしおりだったり、しおり代わりの紙の切れはしだったりするんだけど、『挟まっている』という結果に嬉しくなる。
 せっせと探しているうちに、時間は一時間、二時間と経っていく。昨日以上に苦にならないのは身体を動かしているからだろうか。共同作業感が強いというのもあるかもしれない。
「あら?」
 七割近く調べたころだろうか。
 伊代が手を止めた。
「ん? 何? 何か見つかった?」
「あ、あのね、これ……この本なんだけど」
 不思議そうな顔で本を差し出してくる。受け取ると……やたらと軽い。
「軽いね」
「うん、そうなの。あとね、本じゃないのよ、これ」
「え?」
「ほら」
 伊代が本を開く。
「おぉぅ! これは!」
「よく考えたものね」
 伊代が見せた本―― それは、本の形をした箱だった。一見すると皮張りの本にしか見えないけど、表紙を開けると空洞。
 聖書をくりぬいて武器を隠すというシチュエーションをほうふつとさせる。
「これがね、三冊並んでるの。タイトルが全部同じだから、おかしいと思ったのよ」
 指差す先の本もどきは……なるほど、どれも全く同じつくりだ。木を隠すなら森というわけか。
「中身は?」
「確認してみよう」
 三冊を机に並べ、開けてみる。
「……何も入ってないね」
 ちょっと拍子抜けだ。箱の中には何一つ入っていない。三つとも空っぽだ。
「でも、使われた形跡はあるのよね。」
 僅かだけど、箱の内側に汚れが付いている。自然な劣化ではなく、インクとか鉛筆とかその類の汚れだ。
「乾燥剤が入ってないのもおかしいよね」
 手触りからして、この箱は木製だ。皮張りされているとはいえ、ベースが木なら湿気を吸い込む。もしただ単に隙間を埋めるためとかだったなら、乾燥剤が入っているはずだ。
 とすれば――
「……中身は処分されたってこと?」
「そうなのかな? ねえ惠」
 そこで気付く。
「……惠?」
「あれ? メグムどこいっちゃったの?」
 惠がいない。
 そういえば、さっきまでちゃんと見てたのに、この箱に気を取られて目を離してしまった。
「トイレとかかな?」
「それなら一声かける気も……」
 盛り上がりに水を差された感じで、それぞれの心がざわつく。
 いや、でも、たまたまいないぐらいで、そんなにカリカリすることもないだろう。そう、気にしすぎだ――
「智さん」
 僕の擁護を崩すかのように、茜子が鋭い声を出す。
「……ノート、持ってますか」
「……え?」
 言われて机の上を見る。
 机の上は……からっぽだ。あるはずのものが、消えている。
「……そんな、確かに机に置いといたのに」
 惠がいなくて、ノートがない。
「……どういうこと?」
 聞かれても、答えられるわけがない。
 そんな、まさか……
「……っ!」
 思考が形を結ぶより先に、るいが書斎を飛び出す。
「ちょ、ちょっとるい!」
「探すわよ!」
 続く花鶏。
「待って、二人とも!」
 慌てて後を追う。
 ……違う、違う、違う!
 何が違う!? 僕は今、何を予想し、何を恐れ、何を確信してる!?
 頭が数種類の言葉で埋め尽くされる。
 足がもつれる。
 一瞬で、周りの全てが塗り替えられる。
 単なる板張りの廊下、ほんの十数メートル、遠い、長い、靴音がうるさい、ありえない、あり得ないと――
「――!」
 庭。
 るいと、惠。少し離れて、佐知子さん。
 惠はいつも通り、昔の通りの立ち姿。佐知子さんはおろおろしている。
 るいは―― 今にも掴みかからんばかり。
 玄関を回り、庭。
 視界は、緑と、人と、灰色。
 灰色は、煙。
 煙は銀色の物体から。
 佐知子さんが組み立てたバーベキューコンロから、灰色の煙が上がっている。
「なんで! どうして!? メグムおかしいよ! どうしてこんなことしたの!」
「……」
「るい!」
「トモ……! おかしいよ、メグムおかしいよ!」
「何、何があったの!ちゃんと聞かせて!」
「燃やしちゃったの!」
 視線が、
 バーベキューコンロからのぞく、既に七割近くが焦げた四角い物体に注がれる。
 あれは―― 何?
 るいが叫ぶ。
「メグムが」
 突きつけられる、手遅れの現実。
「メグムが、トモのお父さんのノート燃やしちゃったの!」