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after Birthday ※視点は惠

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僕の考えた惠ルート ※視点は智

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chapter 17 


『―― 後藤さんは、一昨日の深夜二時頃繁華街の路地裏で目撃された後――』
 朝のニュースは、一昨日この街で起こった殺人事件の続報を知らせていた。
 続報、といっても大した進展はない。新鮮なネタがないからとりあえず間を持たせよう、そんな意図がバレバレだ。なんだかんだで平和なこの国、ニュースは八割がたアナウンサーとリポーターの顔芸披露会と化している。事実なんてどこにもなく、あるのは面白可笑しく味付けされた、あるいは味付け損なった玩具みたいな情報ばかり。もっとも、受け手側もそんな真摯に見てはいないんだからどっちもどっち。要は、興味とお金を引き出したい制作側と興味もお金も出したくない視聴者の小競り合いだ。テレビの向こうで起きていることは、基本的に異次元の出来事。そこに映るのが見覚えのある景色であってもなお、僕らは単なる部外者で野次馬。
 加害者か被害者が近しいものでない限り、世の中の事件はいつだって、好奇心の餌に過ぎない。
「むー、占い見逃したっぽい……」
 朝番組特有の画面上デジタル時計を確認し、ちょっとむくれる。たまには違うチャンネルに合わせてみようと思ったらこれだ。宮和あたりにちゃんと聞いとくべきだったかなぁ。
 ……いや、彼女に『朝ニュースの占いで恋愛アドバイスが一番充実してるのはどこ?』なんて聞いた日には何が起こるか分かったものじゃないか。怒られるとか笑われるとかシカトされるとかじゃなく、本当に『何が起こるか分からない』のが宮和の怖いところ。
「ま、見られなかったものはしょうがないか。結果が最悪とかだったらヤだし」
 気を取り直し、制服に着替える。いつもよりブラウスの着方に気を配って、髪の毛もしっかり整える。本番は学校終わってから、今きっちりしても意味ないかも……そう思いながらも、やっぱりきちんとしたい乙女心。
 ……軽く凹む。
 この思考回路って、普通「彼女」が持つべきものだよね?
 一応、生物学的には僕が「彼氏」になるはずなんだけどなぁ……。

 そう、そうなんです。
 今日は僕の人生における記念日。
 俗に言う彼氏デビューの日なんです。

 ……彼氏デビューってダサい呼び方だな、我ながら……

「……あと、八分二十秒……」
 気もそぞろ、宮が話しかけても上の空の形だけ、まさに形だけの学校生活を終えてやってまいりました放課後。
 余裕を見て十分前に待ち合わせ場所についたものの、体中がむずむずするぐらい一秒一秒がじれったい。体感時間がビッグバンから地球誕生までの間ぐらいに長い。
 ヒマつぶし、というよりさっきからどくどく言ってる鼓動のボリュームを下げるために、今日までの顛末を思い返してみる。

『次のお泊りの前に、二人だけで遊びに行きたい』
 意を決してそんなメールを送ったのは、三日前。次のお泊りまでそれぞれやることがあるだろうと、週末までフリーになったのをいいことに、こちらから仕掛けてみた。
 男子たるもの、恋愛関係においては率先してリードすべきだと思うんです。見た目は徹底的に女の子だけど、僕にだって一応は男としてのプライドがある。今まで惠が先導してた感もあるし。
 それより何より―― 僕には、どうしても惠にしてあげたいことがあった。
 呪いを避けるため、あらゆるものから距離を置き続けてきた惠。それは人に対してだけじゃない。
 必要最低限の家具しかない部屋。いつもいつでも、自分の家の中でさえグレーの詰襟、もしくはシャツ姿。小銭はポケットから出てくる。たまり場に鞄を持ってきたこともなければ、アクセサリーの類を身につけてきたこともない。
 個性を出すことを、自分の好き嫌いを決めることを拒んでいるかのような姿。
 るいや茜子も家なしだからそんなに物を持っていないけど、それでもどことなく女の子らしさを失わないようにという気遣いが見て取れるし、好き嫌いはちゃんと表現する。でも、惠にはそれすらない。いつも穏やかな笑みを浮かべながら、何に対しても好悪を言わず、仲間達のあれこれを水面のように受け入れては、平然としている。
 それが、彼女が生きるために身につけた、つけてしまった処世術。
 惠のアルカイックスマイル。あれは、いわば仮面で、着ぐるみだ。世界と自分を隔絶するための盾だ。
 ……だからこそ。
 呪いを知り、彼女を支えることのできる僕が、何より先に彼女にしてあげたいこと。
 彼女に「あたりまえの世界」を見せてあげること――

「待たせてしまったかな」
 声をかけられ、はっとして顔を上げた。思い返すのに一生懸命で近づいてくるのに気づかなかったらしい。
 時計を確認すると、待ち合わせ時間五分前。
 珍しい……気がする。たまり場でも大抵最後に姿を見せるから、良くても時間ぴったりか、遅れるかすると思ってたのに。
 それだけ楽しみにしていてくれた……なんてことはないかな、あるかな? 
 そんな小さな思いつきさえ、心臓に働け働けコールを送る。向けてくれる笑顔が皆といるときよりほんの少しだけ熱を帯びている気がして、どぎまぎする。さっきまでの思考が軽く吹き飛ばされそうになる。落ち着け落ち着け、クールになれ和久津智!
「ううん、今来たところ。ちょうどいいタイミングだった」
 ベタとしか言いようがない定番文句を言いつつ、こっそり深呼吸する。膨らんだ想いをいったん飲み下し、身体の中に取り込む。
「君は学校帰りかな」
「一応優等生をやっておりますので」
「それは偉い」
「まあ、今日は出席してるだけだったけどね」
「授業には出たんだろう?」
「席に座ってはいました」
「あはは、サボらないあたりが君らしい」
 たわいもない話をしているうちに、のぼせ加減がなじんでくる。身体の感覚は靴底が地面から一センチ浮く感じで安定する。
 みんなといる時とは明らかに違う、高揚感をベースにした和やかさ。ほっぺたが熱い。
「じゃあ、そろそろ出発かな。どこへ行くんだい?」
 予想通り、惠はいつもの詰襟姿だ。僕だって学校帰りだし、最初はこれでいい。いずれは私服で歩いてみたいな。
 そんなひそかな野望は奥に秘めつつ、こよりん的に胸を張る。胸ないけど。
「お任せを。計画は完璧です」
「気合十分だね」
「そりゃ、デート……ですから」
 自分で言ってて恥ずかしい。けど、これも作戦のうちだ。
 形から入るじゃないけど、行動に定義をつけると意識が変わる。意識が変われば、周りの景色の見え方も変わってくるはず。
 実際、僕の目に入る景色は見慣れた街のそれとは随分違っている。入ってくる情報は同じのはずなのに、不思議。
「へへへ、ではしゅっぱーつ」
 まぶしくすらある景色に目を細めながら、惠の手を取る。あいかわらず肌はすべすべだ。ハンドモデルができそうなぐらい長い指に、ゆるやかなアーチを描く桜色の爪。手を握るというしぐさに、一層のこそばゆさと心地よさを添えてくれる。
 指をからめて手を繋ぎ、視線を合わせて一笑顔。
「さて、今回のデートにはテーマがあります」
「テーマ?」
「名付けまして『王子様を俗世間にお連れしましょう大作戦』」


 神経を集中する。
 視線は一点に、しかし回りの状況も正確に把握。一ミリ以下の位置のズレが致命的、微調整は一度きりのチャンス。奥の鏡に映る顔は真剣そのもの、息すら止めてそれを凝視する。
 インプットされた指示を遂行する機械。あとは己が判断が正しかったか否かの結果を待つのみ――

 ぽて。

「あ――……」
 意図せずして漏れるためいき。これで九回目。憂いを帯びた横顔に、はっきりした落胆の色が見える。
「はーい失敗。惜しかった」
「なかなか手ごわい」
「もうちょっと右かな。あとアームの力が弱いよねこいつ」
「元は取れるように調整してある、か」
「これのプロもいるようなご時世だからね。勝ち組と負け組の構図がここでも」
 ネジがゆるめられ、不安定に揺れるアーム。店側の儲けたいという意思が丸出しだ。駅の近くで人の入りも多い分、荒稼ぎするにはぴったりなんだろう。
 なんて斜に構えられるのは参加していないから。僕以上に冷静なはずの惠はすっかり術中にはまりこんでいる。
「……智、あと一回いいかな」
「はーい。両替してこようか?」
「あ、もうそんなに使ったんだ……」
 あっという間に十枚から二枚に減った硬貨を見つめる惠。一瞬迷ってから、きゅっと口を結んで投入口へ。
 再び鳴り始めるチープな音楽。
 もう、そりゃあもう、見たことないほど真剣に―― 惠はUFOキャッチャーと格闘していた。

 僕が選んだ初デート会場……それは、普通の子なら手抜きと思うほどにありふれた、若い子向きの商業ビルだ。地上六階までは女の子向けの洋服屋や雑貨屋がこれでもかとひしめき、地下二階部分はゲームセンターになっている。時折組まれる地域特集ではかなりのページが割かれ、店員さんがイイ笑顔で財布を手招きする、言ってしまえば物欲の摩天楼。僕もクラスメートの誘いを断るに断りきれず、数回足を踏み入れたことがある。CO2削減なんか知ったこっちゃないとばかりにきらびやかな装飾、カツラとみまごうばかりの髪色をした店員さん、店頭に並べられた親指ほどの飾りが連なるアクセサリー、それぞれの店で高い声ではしゃぐ女の子たちという取り合わせは、完全に「おごる気のない男性お断り」だ。
 田松市に住む若い女の子ならば、必ずと行っていいほど行ったことのある場所。お金が許すなら週に何回も通い詰める場所。
 趣味が合うかどうかは別として、最初に惠を連れていくのはここしかないと思った。
 案の定、彼女はここに入ったことがなかったらしく―― 扉の先の異次元空間に目をまんまるにしていた。
 で、まずは軽く一遊びということでゲームセンターに入り、今に至る。
「あ――……」
「はい、残念」
「恐ろしい知惠比べだね、これは」
「絶対取れないってわけじゃないからね」
 惠が狙っているのは、取り出し口にほど近い場所にあるてのひらサイズのぬいぐるみだ。オーソドックスに座った姿勢で安定していて、ふわんふわんの毛がアームをなめらかに弾く。でも、僕らの前にプレイしていた人が二個も三個も取っていったから、取ることは可能なはず。
 二個も三個もわざわざ取るあたり、あの人はプロだったのかもしれない、なんて今更思っても後の祭り。すでに結構突っこんでいる状態だ、諦めるのは人生の敗者みたいな気がしてくる。おそるべしゲームセンターの罠。
「あと一枚……」
「やっぱり崩してこようか」
「いや、固執にも限度があるだろうから」
 もう相当固執してる、喉から出かかった声は飲み込んだ。こういうときの冷めたツッコミほど腹の立つものはない。
 最後の一枚に望みをかけ、惠は再びクレーンの動きに集中する。
 ……まあ、なんだ。
 こういうことになじみのない人ほど、はまると怖いと聞くけど……。
「あ!」
「あ!」
 同時に声をあげる。
「取れた……」
「取れたぁ!」
 待ちわびたチープなファンファーレとともに、取り出し口の扉が揺れる。身をかがめて取りだして――
「わ」
「かーわいい」
 惠の手の中に、まっ白な毛並みの犬のぬいぐるみがおさまる。犬種はなんだろう、ピンと立った耳に凛々しくも愛嬌のある顔、背筋を伸ばした賢そうな座り方。しっぽは思わずひっぱりたくなるふわふわ感だ。首輪の代わりに赤いリボンが結ばれている。
「……ふふ」
 物珍しそうにぬいぐるみを指で撫で、しっぽをふにふにと触る惠。頬が緩んで目じりも下がって、まさに愛でてますの表情だ。
 ……ぬいぐるみより惠の表情の方が数段可愛い。顔から火が出るので言わないけど。
「これ、あの携帯電話会社のキャラクターかな」
「ああ、中の人が実は超大御所だというあれかい?」
「中の人などいない!」
 ぐわー、と両手をあげて否定してみた。惠がひょっと軽く身を引いて笑いだす。反応は上々です。
 自然と変化する表情は、凝り固まっていた心がほぐれている証。控え目ではあるものの、彼女は確かに感情を表に出し始めている。
「ぬいぐるみっていいよね」
「君の部屋にもあるのかい?」
「ないです。今は」
「……今は……?」
「まあ、そこは深く突っ込まないように」
 かつて、実家と呼ばれていた場所にいたころはいくつか持っていたけれど、今の部屋に引っ越すときに全部処分してきた。買おうかと思ったこともあったけど、台所事情とプライド的に踏ん切りがつかずにいる。いや、買わないと決めるべきなんだけど、店頭に並んでるのを見るとつい心が……。
「智、預かっていてもらえるかな? 裸で持ち歩くと汚れるかもしれないから」
「ん、わかった」
 移動の都合により、犬のお父さんは僕の鞄の中に入り込んだ。隙間からひょいっと顔を覗かせれば、悩殺構図の完成だ。
「かーわいいねぇ」
「その鞄を持つ君もかわいらしい」
「……口説かれた」
「あはは」
 惠は、軟派な台詞の裏側で喜ぶ。
 
 次に向かったのは、雑貨屋さんがひしめくフロア。
 私服を選ぶのも考えたけど、センスもサイズもわからない以上、あまり好ましくないと判断した。
 ……正直、僕自身、こういうショップで服を買うのは苦手なのです。店員さんの売る気満々、試着室開けてほめ殺す気満々の声はとても心臓に悪いのです。
 その点、雑貨なら僕も心配しないでいいし、失敗も少ないだろう。そう思って来てみたはいいけれど……。
「……これはまたすごい」
 エスカレーターの短い沈黙を抜けると、そこは極彩色の国でした。
 思わず圧倒されてしまう。
 フロア全体に、これでもかと言わんばかりの雑貨屋がひしめいている。洋服のフロア以上にそれぞれの店の個性が強い。海外ものも欧米系と東洋系で全然雰囲気が違うし、和風雑貨もこれまた趣が異なる。地域別雑貨の他にも、クールな文房具メインの店、男性入店お断りオーラを放ちまくる姫系にゴスロリ系、無骨なアウトドア系等々。調和のちの字もなく、形も色もてんでバラバラ。トカゲやワニが天井からぶら下がるそのすぐ傍にプラスチックのシャンデリア、アースカラーの隣に蛍光色といった案配で、もうむちゃくちゃだ。おまけにここだけ他フロアより店舗数が多く、道が入り組んで曲がりくねっている。カオスという言葉がふさわしい、物と情報と物欲が詰め込まれた空間。目に入るものの膨大さに、ひっくり返りそうになる。
 そして、洋服のフロア以上に気になる、行き交う視線。
「惠、僕から離れないでね。迷子になったら困るから」
「そこまで子供扱いしなくても」
「惠みたいな子はギャルと店員の話題の的なのですよ」
 肩をすくめる。
 もちろん、僕だって惠が迷子になると本気で思っているわけじゃない。問題はそこではなく、惠を一人にするリスクだ。
 本人は気づいていないみたいだけど、ショップフロアに入ってからというもの、すれ違う女の子たちが次々に振り返っている。視線の向かう先は惠だ。パッと見が男の子、それも顔立ちの整った王子様系に見えてしまう彼女は、現在彼氏募集中だったり今の彼氏に飽きてたりはたまたミーハーだったり、とにかくいろんな女の子を引きつけてしまうのだ。
 特に、この階は比較的男性が来やすいから、ハンティングタイムの女の子が多いんだろう。エスカレーターを降りた段階で、すでにあからさまに注目を集めてしまっている。どこぞの蛇煮会社のナントカ君に似てるとか似てないとか、すれ違った後ではしゃぐ声が聞こえてきたりもする。惠が一人で来たりしたら、間違いなく逆ナンの嵐だ。
 ハイエナかピラニアか、欲に忠実な女の子は結構恐ろしい。女子のいろんな話を小耳に挟むたびに震え上がっている僕としては、断固として惠を守らねばと気持ちを新たにせざるをえません。
 ……自分の彼女が注目されるのは悪い気はしない。でも「男の子として」注目されてるとなるとちょっと複雑だ。
 端から見れば、惠が男の子で僕が女の子。その実は逆。そういうものだとわかっていても、のどに小骨がひっかかるような違和感。
 まあ、それはともかく。
 来たからには、ここも惠に楽しんでもらいたい。これだけ雑多に物があれば、一つぐらいは彼女が気に入るものが見つかるだろう。
 ウインドーショッピング初心者には少々ハードルが高い空間を、きょろきょろしながらぶらぶら歩く。はぐれないように手をつなぐ僕らは、きっと仲睦まじいカップルだ。
「こんなに物があるなんて、この国は本当に豊かだね」
 半分ぐらい回ったところで、惠がぽそりと呟いた。右に左に顔を向けまくったからか、少しくらくらしているみたいだ。僕も僕で、あまりの多様さに面食らっていたりする。
「過ぎたるななお及ばざるがごとし、な気もする」
「種類の多さは自由のバロメーターだよ」
「なんか難しいことを」
「人類の歴史において、支配者の命令により消え去った芸術が、思想がいかに多かったか……多様性は自由の保障がなければ成り立たない」
「……なるほど」
 突然ですが歴史の講義です、というわけではもちろんなく。惠が言いたいのは別のことだ。
 このフロアが象徴するもの―― 物を作る、物を見せる自由。
 自由を抑圧するのは、権力者に限らない。いや、人間、さらには生き物にも限らない。
 僕らから自由を奪い、それを当然と感じさせていたものは人間ですらない。
 僕らが今も恐れ続ける、逃げられない制約―― 呪い。
 普通の子から見ればありふれた「新しいものを見る」自由さえ、惠には許されなかった。
 見れば、心が動く。心が動けば、呪いに近づく。だから、何も見ないことが最大の自己防衛。
 無関心の城から出られない、ひとりぼっちのうそつき王子。
 ……でも、今日は僕がいる。その苦しみを知る僕がいる。
「とりあえず、片っ端から見て回ろうよ。せっかくのデートだし」
 袖を引っ張って、手近な店に引っ張り込む。
「おごれる額には限界があるよ」
「僕らの目的はプライスレス、よってノープロブレム。というかおごってとは言っておりません」
「それは残念」
「そんなふうに言ってくれるのが嬉しいから、それで十分」 
 かわいい、おもしろい、時にはくだらない、ばかばかしい……何でもいい。見て、触って、心を動かす。長い長い間凍てついていた、感受性のリハビリ。
「物事を感じる自由」―― ありふれた世界が、僕らに教えてくれるもの。

「……ダッチワイフをこんなに堂々と売っていいのかな」
「違う違う、クッションだよ。見えないけど」
「男の子はこれで満たされるのかい?」
「いや、気に入るのは相当に訓練されたフェチだけだと思う」
 入ったお店はどうやら、この階でも特に変なもの揃いのバラエティショップだったらしい。最初に出くわしたのは、ミニスカートをはいた女の人の腰から下の形をした、等身大のビーズクッションだ。名付けて脚線美クッション。ネタの割には作りがよく、カバーはシルクとまごうばかりにつややかな布地が使われ、形もしっかり整っている。ポップには「ふとももと膝枕フェチのあなたに!」と赤文字。おそるおそる触れてみると、さわりごこちも弾力も悪くない。悪くないけど……なんという職人芸の無駄遣い。
「……買ってあげようか?」
「全力で遠慮させていただきます」
「そうかい? ちょっと顔がゆるんでたけど」
「マジで!?」
「顔に出るね、君は」
「ぼ、ぼくまだ変態にはなりたくないー!」
 うっかり自室に脚線美クッションがある様を想像してしまい、頭を抱える。クッションとしての性能は悪くないだろうけど、女の人の下半身だけが部屋に転がってるなんて嫌がらせ以外の何ものでもない。
「……こんなの欲しがるほど、寂しくないもん」
 思わずぶーたれる。
「一人の夜は寂しいんじゃないのかい?」
「……惠のこと考えれば、別に」
「……」
 あ、赤くなった。
 ……僕も自分で言ってて恥ずかしい。
「のろけるにも限度があると思わないか」
「……うん、ごめんちょっと調子に乗った」
 つないでた手を一旦離してぱたぱたする。うう。
「智、これは?」
 話題を変えようと惠が指さしたのは、ゲーセンの機械を模した箱だ。上面には硬貨が入りそうな細い穴、液晶画面には十数年前ぐらいのドット絵の勇者が動いている。
「んーと……貯金箱みたいだね」
「『お金を貯めて魔王を倒そう』って書いてある」
「要するに、貯金しないと世界が滅ぶ、と」
「妙なところでリアルが追求されてるね」
「友情・努力・勝利がRPGの鉄則なのに……」
「それは某少年誌のコンセプト」
「最近は『友情・才能・勝利』らしいよ」
「世知辛い世の中だ」
 悲しきかな、お金がある方が勝つのがリアルの戦い。現実世界というものは、魔王様にいっちょ破壊してほしい程度にイヤな展開揃いです。
「他には……って変なものばっかりだ」
「可能性の宝庫だね」
 まさにバラエティの名にふさわしい、ネジが一本飛んだ商品が並ぶ店内を歩く。目に入る物はセンスを疑うを通り越えて、感心するものばかりだ。
 唇型のソファ、さきいかにチョコをかけたおつまみ、ガリバー旅行記気分が味わえるデカ駄菓子、ブーブークッション、流しそうめん機械、じょうろ型のバッグ、ハート型の傘、世界一不味い飴、謎の言語が流れるCD……あれはこれはといじくりまわして、二人ではしゃぐ。
 そう。
 控えめではあるけれど、惠も確かにはしゃいでいた。僕に会わせてくれているのではなく、ごくごく自然に、笑って、怪訝な顔をして、呆れて、恥ずかしがっていた。
 その表情の変化を見る度に愛しさが膨らみ、予想が確信に変わるのを確かめるごとに、満足感と幸せが沸いてくる。
 ほら、やっぱり惠は普通の女の子だ。
 無表情に近い微笑みの仮面は、あくまで外面。内側の素直な感性は、彼女の中でずっと息づいて、芽吹くのを待っているだけなんだ――

「け、けっこう疲れたね」
「五感のフル活用は身体の負担も大きいんだろうね」
 木製の背もたれに体重を預ける。水が弾けるさわやかなBGMが生まれては消えていく。
 雑貨階の上はレストランフロアだ。さっきとはうって変わって、通路が広々と取られたエリア。おしゃれなレストランや喫茶店が整然と配置され、中心部には噴水広場とベンチが設置されている。
 喫茶店はどこも満杯だったので、とりあえず噴水広場のベンチへ腰掛けた。
「いろんな物が見れたね」
「世界の広さの象徴のような場所だった」
「世間は狭いというけど、こうしてみると広いよね」
「まさに『百聞は一見にしかず』かな」
 ちょっとズレた感想を口にしつつ、目を休めるべく上を見る。これまたさっきと違って、統一感のある照明が並んでいる。
 並んで座って、沈黙。しばらくの間、水だけがささやく。充実感の混ざる疲れに身を浸す。
「……あれ?」
 噴水の方を向いた惠が、不思議そうな声をあげた。
「どうしたの、惠」
「これ」
 指さしたのは噴水の周りの池部分だ。ターコイズブルーのタイルが敷き詰められた中に、大中小の丸が雑然とにじんでいる。
「沈んでいるの、お金……だよね」
「うん」
「こういうインテリアなのかな……?」
 納得いかないという風で首を傾げる惠。
「……ああ」
 ぽん、と手をたたく。水あるところに小銭あり、これもありふれた光景だけど、彼女にはなじみがなかったらしい。
「これね、おまじないなの」
「おまじない?」
「そう。水のあるところに小銭を投げ入れるおまじない」
「……お賽銭みたいなもの?」
「そうそう。それのカップルバージョンかな。幸せになれますようにーって言いながら投げるの。フリーダム信仰の国らしい風習だよね」
「へぇ」
「そこで500円とか投げない辺りがポイント」
「真剣に祈るわけではないんだ」
「気持ちの問題だよきっと」
「あはは、なるほどね」
 冷静に考えたら変な話だ。あらゆる噴水に小銭のオブジェだなんて、この国ぐらいだろう。しかも信仰深いとは真逆の国民性なんだから、ますますおかしい。あるいは、信じる神様がいないからこそかもしれない。
「……ねえ、智」
 水面を見つめていた惠が、不意に呼びかける。
「んー?」
「君も、言葉がほしい?」
「……え?」
 思わず振り向く。
 惠はこっちを見ていない。
「ここで願った、数え切れない恋人たちのように……君も、本当は聞きたいんじゃないかな」
「……惠……」
 中途半端なところで言葉を切って、惠は噴水を眺める。
 ……ああ、しまった。
 とっても、とっても些細なやりとりが―― 僕たちの抱える事情を、浮き彫りにした。

 恋人が当然のように行う儀式の不履行。

 恋人関係が成立するためには、いくつかの手順がある。
 出会い、告白し、そして身体で結ばれる。たまに身体から始まることもあるらしいけど、まあそれはイレギュラー。
 いずれにしても、恋人関係の成立には、絶対に欠かせない手順がある。
「告白」だ。
 お互いが自分の好意を言葉で伝え、相手がそれを受け入れるという、関係のスタートにしてそれぞれが心の拠り所とするイベント。
 僕たちは、その儀式を通っていない。
 今までも、これからも、僕らの間に告白が成立することはない。
 なぜなら―― 告白こそが、惠を死に追いやる最大級の爆弾だから。
 切実な想いであればあるほど、口にすることができない。素直に伝えたいと願う言葉は、その全てが呪いの引き金。
 そうとわかっているからこそ、あの日僕は惠に告白しなかった。いきなりキスに持ち込んで、言葉の入る余地をなくした。
 僕が言えば、惠がそれを意識してしまうから。言葉で確かめようとすれば、惠は苦しむから。
 伝えたいことを伝える―― そんなあたりまえが、惠の命を狙う。
 人は、現れる形を欲しがる。一つではなく、いくつもの証を欲しがる。そう、今みたいに、ほとんど無意識のうちに、望んでしまう。
「……困らせてしまったかな」
 即答できない僕の気持ちを推察し、惠が謝ってくる。
「あ、ううん……ごめん、考え足らずだった」
「君が悪いわけでも、ここで未来を誓った男女が悪いわけでもない。そうだろう?」
「……うん……」
 噴水に背を向け、惠がベンチに座り直す。
 やりきれなさが胸を締め付ける。何を言っても解決にならないし、慰めにもならない。言えない辛さを誰よりも知っているのは、惠自身。たとえ事情を理解しても、僕にはその辛さを分け合うことが……
「惠?」
 ふらりと、惠が立ち上がった。
「あれ」
 視線の先にあるのはクレープスタンドだ。僕らのようにベンチで休む人をターゲットにしているらしい。気のよさそうなバンダナ巻きのお兄さんが手招きしている。
 一直線にクレープ屋へと歩き出す惠。慌てて追いかける。
「よう、恋人共。お疲れかい?」
 スタンドのお兄さんは、遠目で見るよりも若い。さわやかな雰囲気をまといつつ、やたらと気さくに話しかけてくる。
「ベンチでなんか難しい顔してただろ? 疲れには甘いものが一番だ、サービスするぜ」
 ……いつの間にやら観察されていたらしい。おそらく、僕らの間に流れた気まずさを見てとって手招きしたんだろう。流石は商売人だ。
 惠は僕が寄ってきたのを確認し、何やら思いついた顔をする。
「智、どれがいい?」
「え、おごってくれるの?」
「そりゃ、ここでおごれない男は男じゃないだろ」
 いや、惠は女の子だから! 蹴り入れる勢いで脳内ツッコミ。
 言われた惠は一切気にする様子もなく、好きなのどうぞとメニューを指さしている。
 ……むぅ。
「んーとね。イチゴチョコ生クリームアイスがいい!」
 ここは乗っておこう。さっきの微妙な空気を払しょくすべく、無駄に元気に注文する。
「おっ、いいねえ! 一番人気の品だ」
 注文が入ったのが嬉しいのかもともとそういうキャラなのか、お兄さんは真夏の太陽が似合いそうな屈託のない笑みを見せ、クレープ生地を焼き始める。惠は物珍しそうにお兄さんの手元を見つめている。
「どうよ、お二人。上手くいってる?」
 手を休めることなく、さらに切り込んでくるお兄さん。悪意は全く無さそうだ。単に、ここで恋人ウォッチングをするのが好きなんだろう。
「なーに、彼氏。ちょっと障害があったとしても、彼女が喜ぶ甘いもんと甘い台詞があればなんとかなるもんだぜ? それで駄目なら、そりゃカウントダウンってやつだ」
 クリーム色の生地にあんずのジャムを塗り、その上に生クリーム。イチゴはへたつきを冷蔵庫から取り出して切ってくれる。こういう場所にある店にしてはかなり手が込んでる。……冷やかす時間が欲しいだけかもしれないけど。
「後はあれだ、愛だよ愛。どうよ? ちゃんと愛し合ってる?」
「―― ええ」
 にこやかに、惠が口を開く。
「僕は―― 彼女を愛しています」
 ぶはっ!
「うおっ!?」
「めめめめ、惠っ!?」
 予想外過ぎるノロケに思わず噴き出す。
 お兄さんもびっくりしたらしく、生クリームがクレープ生地からはみだした。
 僕らの反応が意外だったのか、惠はきょとんとしている。
「どうしました?」
 どうしましたじゃないよ惠!? 顔も名前も知らない人を前にのろけ出すなんて聞いてないよ!?
 達人の太鼓さばきみたいに心臓が爆音モードだ。ほっぺたがウイルス性の風邪並に発熱する。お兄さんまで顔が赤い。
「すげーな彼氏……他人を前に『愛してる』なんて軽薄なパツキンギャル男のネタだと」
「何気にひどい」
「彼氏、マジもんの本気で言ってるだろ」
「……本気じゃない『愛してる』があるんですか?」
「あるある、すっげーいっぱいある。……いいねぇ、その精神」
 言うなり、お兄さんは畳みかけたクレープ生地をまた開き、イチゴとアーモンドとついでに桃まで追加しだした。畳んで巻いて、今度はこぼれんばかりにアイスを乗せる。
「いいもん見せてもらったお礼に大サービス、トッピング追加にアイス二倍増しだ! 初々しい恋人たち、これで頭冷やせ!」
「微妙に褒めてない」
「ジェラシー燃やすぞちくしょー、まいどありぃ」
 ……よくわかんないけど、お兄さんは僕らを気に入ってくれたみたいだ。紆余曲折の果てにできたクレープは、片手で持つにはバランスが悪いぐらいに大きい。スプーンがしっかり二本刺さってるあたり、二人で食べろってことなんだろう。
「び、びっくりした……」
「あはは、急だったかな」
「急ってレベルじゃないよーもぅ」
 もとのベンチに戻り、二人でアイスをつっつく。甘すぎずクリーミーな、まさに癒しの味が口から喉へ。ほっぺたの熱さは取れないけど、疲れはどんどんと溶かされていく。
「少しは」
 生クリームを口に運びながら、独り言のように惠が呟く。
「……少しは、応えられたかな……」
「……」
 その瞬間に―― 繋がった。
 惠が何をしたかったのか。何でいきなり突拍子もないノロケを始めたのか。
 僕は男の子だ。天地がひっくり返ったって『彼女』にはなれない。
 だから、惠が僕を『彼女』と呼べば、そのあとの内容に関わらず、惠の発言は嘘になる。
『言葉が欲しい?』
 ……僕が、それを否定しなかったから。
 言葉が欲しいと、証が欲しいと願った僕のために――
 嘘を通さざるを得ない、不器用な、突拍子もない形を取らざるを得ない、惠の告白。
 甘い甘い冷たさが、お腹の中に納まっていく。

「かなり遅くなっちゃったね」
 惠を家まで送り届け、玄関前。陽はとっぷり暮れて、星がせっせと瞬いている。
「まだ人通りは多いだろうけど、気を付けて」
「うん、大丈夫」
 デートの感想はあえて聞かず、形どられた挨拶を交わす。聞かなくたって、様子を見てればわかる。今まで見てきたものとは違う、内側から湧いてくる笑顔。今日一緒に歩いた意味は、この微笑みに集約されている。
「じゃあ、また明日ね!」
 明るく言って踵を返しかけ――
「ちょっと待って」
「?」
 呼び止められて一旦停止。
 おでこのあたりに一瞬だけ、柔らかい感触。
「誰も見ていないから、たぶん」
「……」
 何をされたのか、考えなくても答えが出る。背の高い方が低い方に寄せるあれだ。おでこへのあれだ。
「こ、この王子様めっ……!」
「光栄です、お姫様」
「ちーがーうーかーらー!」
 両手をぶんぶん振りながら、今キスされた部分を覆う。直接触れるのはもったいない気がして、不自然に手のひらをアーチ型にする。そんな僕のしぐさが面白いのか、惠は笑いをこらえている。
 不意打ちのでこちゅーとか、恐ろしい、恐ろしいぞこの王子様……!
「……おやすみ、智」
「……おやすみ」
 思わず、早足で家まで駆け戻る。頭の中はむずがゆさと恥ずかしさと嬉しさがぐるぐる回る。
 家に帰るまでが遠足。部屋の扉を開けるその瞬間までは、甘い甘い空気のままでいたかった。


 いろんなことがありすぎて、いろんな想いがありすぎて、眠気なんかちっとも来ない。
 今日一日で感じたことがごちゃまぜになり、あっちへふらふらこっちへふらふら、いとしさとせつなさとなんとやら。脳内ハードディスクには惠専用ドライブができた模様、今日見た表情がこれでもかと詰め込まれている。
 掛け値なしに楽しくて、満たされた初デート。やりたかったことは、できたと思う。惠にいろんなものを見せて、心を動かしてもらうことはできたと思う。素直な反応を見せてもらえて、幸せいっぱいだ。
 でも―― それだけじゃ、駄目なんだ。
 振り返ると、改めて痛感することがある。
 惠は喜んだし、楽しんだし、時にはくだらなさに眉をひそめたりもした。
 ……ただし、その素直な気持ちは、一度たりとも言葉にならなかった。交わされる会話は少しピントがズレていて、本質を避けるようなものばかり。心が素直になればなるほど、声は真実から遠ざかる。ギリギリラインを通れば緊張が走る―― デートの雰囲気を保つためには、お互い、語らないことを増やすしか方法がなかった。
 クレープ屋のお兄さんに向けたあの発言だけが、惠が発した本心。
『僕は、彼女を愛しています』
 ……きっと、言いたかったんだろう。メールとか手紙とかじゃなく、自分の口から言いたかったんだろう。僕への気遣いだけだったら、あんな勇気のいる真似なんかできない。
 伝えたいんだ。惠は、素直な気持ちを、感じたままを、自分の内側からわいてくる想いを、そのまま外に出したいんだ。
 でも、それは叶わない。
 呪いがあるから。
『自分に関する真実を語ってはならない』―― それはつまり、自己表現の禁止。
 惠がものごとを自由に感じられるようになっても、伝えることができないのなら、結局は新たな苦しみを生むだけだ。
 色んな感情を抱けば抱くほど、呪いの制約が重くのしかかる。それじゃ結局、何にもならない。
「……呪い……解けないのかな」
 解いてあげたい。
 自分の殻に閉じこもるしかない、素直な自分を封じ込めるしかない惠を、解放してあげたい。
 そうしたら――
 そうしたら、きっと、惠は幸せになれるのに――