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after Birthday ※視点は惠

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僕の考えた惠ルート ※視点は智

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chapter 3 

 一人増え、七人となりました我らが同盟。
 痣の存在のためか、みんな予想以上にすんなりと惠を受け入れた。疑り深いるいでさえも、呪い持ちと知るや否や一気に壁を取り払ってくれた。
 当然のことかもしれない。今まで、一人ひとりが孤独と共に生きてきた。それを肯定するか否定するかはともかくとして、「自分は他人とは違うのだ」という厳然たる事実が僕らの中に深い根を降ろしている。言うなれば、今までの僕たちは「呪い持ち」という、荒野に生える一本の樹。眼下に見渡せる景色は果てなくも、そこに近づく術はなし。それが、自分だけではないと知り、手を取り合うことを知った。そこに現れた同じ定めの持ち主を突き放す理由などない。あとはそれぞれの相性次第、というわけ。
 で、その肝心の相性がこれまた……
「ガギノドンの才能は大猿変化です。月夜は身の丈十メートルの巨体となって街を蹂躙します。孫さん家要注意」
「……それ種族からして間違ってない?」
「甘い。ガギノドンはただの猫族ではないのです。陸では猿、空では巨大蛾、海ではジョーズへ変化します」
「無茶苦茶な」
「ああ、そういう噂なら聞いたことがあるな。なんでも紀元前六万五千年ほど昔には環境に合わせて日々進化の方向を変える種族がいたらしい。現在の生物の大半はその種族によるものだとか」
「はわ〜! 惠センパイ物知りです!」
「いやいや騙されるな騙されるな」
「進化論否定しすぎ」
「そんなことはないよ。今この世界に存在する全ての生物にルーツがある以上、それを全て抱合した種族がいても不思議じゃない」
「オカルトな……」
「ロマンと妄想は紙一重」
「そもそも、ダーウィンの進化論そのものが絶対的な真実とは言い切れないからね。ある時代に正しかったことがある時代に間違っているとされる、それもまた人間の通ってきた道だ」
「そう。ダーウィンがガギノドンを証明できないからといってガギノドンの偉大なる功績が否定されることはないのです」
「いやさすがにそれはどうかと」
「ちなみに背中のボタンで巨大ロボットもいけます」
「もはや生き物ですらない」
「それは画期的だな。僕の知り合いの博士にぜひ紹介したい」
「え、惠の知り合いに博士なんかいるの!?」
「ジャンピング土下座が得意で、二十年ほど前から全身青スーツの岩男と戦っているおじいさんが一人」
「それ博士違う! マッドサイエンティスト! ていうか二次元!」
 この調子。初対面の時のぶっとんだイメージは払しょくされたものの、惠はやっぱりどこかズレていた。大真面目な顔をしながらも語ることは荒唐無稽、茜子のバレバレの嘘に乗っかってさらにややこしくしてみたり、るいを正面から褒めて照れさせてみたり、なかなかに予測のつかない行動を取る。茜子とはまた違った意味での不思議キャラだ。でも、嫌みがない。同盟内における自分の立ち位置を的確に掴み、絶妙なバランスを保っている。
 見事だ、と思う。こんな風に存在感をコントロールできるなら、僕ももうちょっと生きやすかったかもしれない……そんなことまで思ってしまうのは、彼女が僕と同じで正反対の、性別詐称組だからか。
 相変わらず、惠は今日も詰襟姿だ。多分制服なんだろう。ということはおそらく学校でも男性で通っている。僕とは違った方向で相当な苦労もありそうだけど、それについてはほとんど何も語っていない。……ちょっと聞いてみたい気はする。
「そういえば、惠センパイはおしゃれしないでありますか?」
 僕の心を読んだかのように、こよりが口を開いた。
「そういえばそうね……私、あなたに出会ってからこのかた、あなたが女の子らしい格好してるの見たことないわ」
「スカートとかはいたら、意外とかわいくなるかも!」
「そして『男装』というアイデンティティを奪われたボク女は尼さん修業へと旅立つのであった。アーメン」
「いきなり尼さんはひどくない?」
「流石にスキンヘッドは攻略対象外だわ、三月は待たないと」
「生えてくればノープロブレムですか」
「校則が厳しくてね。外に出る時も制服着用が義務付けられてるんだ」
 会話の合間に、さらりと答えを混ぜる。表情は変わらない。
「でも、あなたの制服の学校なんて見たことないわ」
 即座に首を傾げる花鶏。
「大して有名ではないからね。男子校だし」
「男子校ッ!?」
 驚愕の事実。共学校の僕でさえかなり大変だというのに、なんというチャレンジャー! むしろ自殺行為! 素人にはオススメできない!
「うっわー、それはシビアだ……」
「日々全てが綱渡り。終わることなきSASUKEへの挑戦」
「いや、世の中あんなにアトラクションだらけじゃないから」
「なるほど。男子校なら興味無いから仕方ないわね。女子校と共学なら日本全国把握しているけれど」
「はわ〜、日本全国ですか!」
「ええ。北から南、離島含めて五千以上、全ての制服データが私の脳に入っているわ」
 さらに驚愕の事実。花鶏は関東ぐらいならやりかねんとは思ったけど、全国ときたか。
「ていうか、なぜにそんな知識を」
「シミュレーション着せ替えには欠かせないのよ」
「ちょっと待て」
 なんか今聞き捨てならない台詞が出た。
「こよりちゃん、智、伊代は一通り着せかえたわ……ふふふ……」
「僕まで餌食にされてる!?」
 ……聞き流せばよかったかもしれない。いや、花鶏のことだからとは思ったけど、思ったけどたとえ空想の範囲内であってもそんな真似されてると思うと……!
「もちろんただ着せるだけではもったいないから、一枚一枚脱がすところまで」
「汚されてる! 全力で汚されてる!」
「そのうち現物を取り寄せてあげるわよ。下着とガーターベルトと拘束用のネクタイ付きで」
 指定細かっ!
「丁重にお断りさせていただきます」
「ははは、流石は花鶏だ」
「惠には、そうねぇ……」
 花鶏が惠の頭から足先までを凝視する。真剣そのものの目付きだ。ていうかコワイ。大分コワイ。ただならぬものを感じる。そんなに制服が好きですか!
「……うん、なかなか」
 一分後。頬を赤らめ満足げに一人頷く花鶏。優雅な動作で口元をぬぐう。……よだれ垂らしよったか!
 手の動きもなんだか卑猥だ。例えると、パントマイマーがやったら即刻町から叩き出されそうな動き。そのまま惠ににじり寄る。
「……花鶏?」
「あのー、花鶏センパイ?」
「惠、いい素材だわ……今日からあなたも私の制服シミュレーションの仲間入りよ……!」
 哀れ、一名追加オーダー入った。
「すごいな花鶏、君の想像力には感服するよ」
「感服してないで! 逃げて全力で逃げて惠!」
 詰襟脱がしそうな勢いだったのをあわててこっちに引っ張り込む。
「ちっ」
「お嬢様がそんな露骨な舌打ちしないの」
「ていうか、花鶏センパイ、どんな制服をチョイスしたんですか?」
「ここでどこの県のどこの学校だなんて説明してもしょうがないでしょう」
 さも当然のように髪を風に流す。いやまあ、確かに学校名聞いたって僕らにはわかるはずもないんだけど。しかしこの展開って惠が無駄に被害者になっただけで、僕らには意味がないのでは。
「……それって、この子は体よくあなたに遊ばれたってことじゃないの」
「あら、私の眼鏡にかなったんだから喜ぶべきよ」
 伊代のツッコミもまるっと無視。花鶏の場合本気でそう思ってるからタチが悪い。そしてその想像を想像してみようとか思うともっと顔面真っ青だ。スカートを履いた惠が花鶏にひんむかれる……だめだ、僕の脳では処理速度が追い付かない。というか、そもそも惠がスカートを履く姿が全く想像できない。女の子に対してその感想はひどいと思うものの、浮かばないものは浮かばない。それだけ惠が徹底してるってことだろう。男子校でも生きられるぐらいだし。
 ……男子校?
「楽しみにしてて、あなたにお似合いの制服一式と下着を揃えてあげるから」
「あわわ、惠センパイまで毒牙に……!」
「回避不能の性奴隷フラグが立ちました。ご愁傷様です、淫乱魔王に溶かされた暁には茜子さんにも見せてください」
「着たことがないものは、似合うかどうかもわからないな」
「いや、この場合は服装の次元では」
 ズレてる、その反応は明らかにズレてるぞ惠! 気を付けて!
「ていうか、何の話してたんだっけ?」
「惠に似合う下着の話」
「いやそれ飛躍しすぎだから」
「ちゃんとブラはつけてるのよね。偉いわ……ふふ、その詰襟から女物の下着を覗かせて攻めるってのもなかなかのシチュエーション……」
「そろそろあなた黙りなさい、言われる方の気持ちにもなりなさいよ、ねえ?」
「花鶏の趣味だろう? 無理に止めなくてもいいんじゃないかな」
「危険すぎる寛容さだ」
「むしろお前そっちの趣味だったのかと」
「メグム、気をつけた方がいいよ。こいつやるときは本気でやるから、マジで悪魔だから」
「悪魔とは失礼な」
「本当のことじゃん」
「――――っ」
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっ」
 あ、揉めた。いつものことだ。
 軽快なリズムすら刻むるいと花鶏の争いを横目に、ひとつ伸びをする。
 たわいもない日々。けれど、ほんの少し前まで、得られることすら想像しなかった日々。
 屋上の匂いが鼻から肺へ抜けていく。排気ガスもここに届くまでに大分拡散するんだろう、大してきれいではないとわかっていても、ここの空気は身体に染みわたる。少し顔を上げるだけで、長方形に切り取られることのない空がある。橙、と一言で表すにはあまりにも惜しい、とりどりの色彩が集合した夕焼け。時折飛び交う黒い鳥の影。何十年か前には当たり前だっただろう、さえぎるもののない日の入りの光景は、いつしか称賛の対象へと変わった。平易であったはずのものは、奪われてから急に魅力を増す。いや、夕陽は変わらない。変化しゆく人間たちが、変化する自分たちへの歪んだいつくしみをこめて、減っていく昔に価値を見出す。
 僕らが今を、『仲間』との日々を楽しんでいるのは、かつてそれを奪われたから、あるいは自分から捨てざるを得なかったから。得がたきものと知っているからこそ、いとおしさは日々膨れ上がっていく。
 ……そして。
 想いがつのればつのるほど、失うことが怖くなる。
「そろそろ解散かな」
「そうでありますね、夕食の時間が迫っておりますです!」
「う〜、おなかすいた……けど」
「けど?」
「……ごはん〜……」
 るいが珍しく困惑している。困惑というか、素直に喜べない的な表情だ。
「茜子さん、メニューの改良を希望します」
「居候の分際で偉そうなこと言わないの! あれが一番おいしいんだから!」
「花鶏の味覚ぜったい壊れてるよ」
「うしちちに同意です」
「花鶏の家のごはんが口にあわないとか?」
「トモ〜、やっぱり私トモのごはんがいい〜」
 いうなりすがりついてくる。待て待てくっつかれると当たる! いろいろ当たるから!
 なんとかかわして距離を取る。るいにとってごはんは人一倍生命線だから、食事が合わないとなればかなりの苦痛だろう。とはいえ、それを理由に毎食約五人前をどうにかできるほど僕は裕福ではないのです。
「残念だけど、僕にるいを養う経済力はないよ」
「うわぁ、一気に現実に引き戻される発言」
「切実よね」
「世の中全てはカネです。養ってもらうなら夜の街で身体で稼ぐといいですおっぱい」
「同じ居候なのに」
「茜子さんは道端で占い師でもしましょう、不幸だけを教える方向で」
「あ、結構似合うかも」
 裏路地で小さな机に白い布を引き、「不幸専門占い師」の看板を立てて座る茜子。ふらりと寄ってきたサラリーマンは茜子のストレス発散、もとい的確すぎるココロの傷の指摘にのたうちまわり、酔いも冷め悔い改めるのであった。
 ……妙に説得力があるぞ。絶対行きたくないけど。
「でも、不幸だけを教えるっていうのはフェアじゃないわよ。占い師に頼る人は救いを求めてるんだろうし」
「誰もそんなリアルな話はしておりません」
「空気読め」
「あれ、そうなの?」
 伊代はやっぱり空気が読めない。
「そういう趣味の持ち主もいるからね。案外、いい商売になるんじゃないかな?」
「ではショバ代と机代とロウソク代は男装持ちということで」
「僕が選んでもいいのかい?」
「ええ。むしろあなたが何を選んでくるかに興味があります。とりあえず深紅なバラのキャンドルあたりから」
「……うさんくささが百倍増しました」
「黒魔術の餌食になりそうだ」
「了解。早速取り寄せることにしよう」
「こらこら、具体的な計画進めないの」
 好き勝手言いまくりながら、空の色が変わりきるのを待つ。定番の流れだ。最初は日が暮れる前に解散と決めていたけれど、気づけば星が見えるまでになっていた。それだけ、お互いが名残惜しい。
「じゃあねー」
 刻限を迎え、それぞれがそれぞれの道へ。
 夜と、それに逆らう電灯の並びの奥へと散っていく。
 ……さて。
「おや? 智、君は帰らないのかい」
「うん、ちょっと」
 出が少し遅れた惠を捕まえて、隣に並ぶ。
「ちょっと散歩して帰ろうと思って。でも、適当に歩くと迷子になるから」
「そんなにこの街に不慣れなのかい?」
「いや、それなりには住んでるよ。でも知らないところもいっぱいある。新規開拓にはナビゲーターが必要なんだ」
「……それで、僕と?」
「うん。何か用事があるなら無理は言わないけど」
 突然の申し出に、惠は目を丸くし、次に考える。誰とも家の方角が重ならないらしい惠にとって、帰路は常に一人だったろう。家の位置を知られなくないという事情もあるかもしれない。
 まあ、正直僕だって突飛な申し出だとは思ってるし、「これ以上は」と言われたら引き返す気はあった。
 ただ、今日の会話の中で一点、非常に気になる部分があって、それを問いただしたいというだけだ。問いただすって言っても詰問とかじゃなく、ちょっと聞いてみたいってだけ。
 いつも、男の子の格好の惠。知らない人がすれ違えば、きっと九対一ぐらいで男の子だと思われるだろう。おそらく趣味の域じゃない。でも、バレるのはあまり好ましくなくても、絶対ダメではない。
 ……そのあいまいさが、気になった。
 僕は、絶対に、百パーセント、確実に、隠さなければならないから。
 だからなおさら、彼女の理由が気になる。
「わかった。案内しよう」
 惠は快くOKしてくれた。彼女は答えるときに思案することが多いものの、基本的には断らないタイプらしい。
 そのわずかな間に何が秘められているのか――考えるのは、きっと野暮なのだろう。

「……惠、本当にこっちで合ってるの?」
 思わず不安になってしまう。
 惠の進路は街の中心地をどんどんと離れ、郊外の先の人通りが少ないところへ向かっていた。途中には廃工場みたいなところやゴミ捨て場、雑草だらけの空き地など、一言で言ってしまえばさびれた場所ばかりを通っている。もちろん民家もあるけれど、住人は皆それなりの年なのか、笑い声も聞こえず、ひっそりと静まり返っている。
 はた、と、惠の足が止まった。
「それで、君は僕に何を聞きたいのかな」
「……あ」
 バレてた。
 確かに、散歩にしてはかなり歩いているし、正直ここで放り出されたら帰れる自信はない。不慣れだと断言したくせに付いてきているということは、用事があると断言してるようなものだ。
「あ、えーとね」
 不意打ちに、用意していた話の流れが飛んだ。まずは身近な話題からふって徐々に本題につなげようと思ってたんだけど……流石に今から普通の話を始めるのは不審極まりない。
 しょうがない。直球投げるか。
「あのさ、惠。昼間、君は男子校に通ってるって言ってたけど」
「ああ」
「あれ、ウソだよね」
「なぜ?」
「できるわけがないから。ちょっと考えればわかるよ。戸籍とか住民票とかそのあたりはどうにかなるにしても、男と女には絶対的な違いがある。それを隠し続けられるとは思えない」
 戸籍や住民票――は僕自身の経験だ。あの辺はコネとカネを使えばなんとかなる。入学願書の性別を詐称してるなんてこと自体がレアケースなんだから、最初のハードルは意外と超えやすい。
 問題は、入ってからだ。
 入学後は、男女の違いに日々おそれおののくことになる。身体測定やプールなど、身体的にどうしようもない部分もあるし、表に出ない部分でかなりの差異が出てしまう。服を着ていたって身体のラインは違うし、動きも異なる。単純に姿を変えればいいってものでもない。そこに日々粉骨砕身している身としては、惠の「男子校」には到底納得できない部分が多すぎた。共学はどんなに内部で分かれていても、多少なりとも男女の混ざる場所がある。男子校、女子校にはそれがない。ということは、スタートラインが違う人間は、いずれ浮いてしまう可能性が高い。
「……そう言った方が、みんなが盛り上がるかと思ってね」
 暗に、けれどあっさりとウソを認める惠。表情は柔らかで穏やかないつもの微笑みだ。悪気はあまりなかったらしい。でもなんか、引っかかるものがある。
「随分だなぁ」
 思わず、口をついて出た。惠は意外そうな表情を見せる。
「そんなに気にすることかい? みんな話半分で聞いていただろうに」
「……」
 ぎくり、と。
 おそらくは他意のない感想が、胸に刺さる。
 惠の言うとおりだ。屋上でのやり取りは大抵が与太話、過ぎれば忘れてしまいそうな軽い内容ばかり。惠の男子校の嘘も、茜子のガギノドン変化の嘘も、本質的には大して変わりない、軽いレベルの話。それを深読みして重く捉えてしまったのは、他でもない僕自身がこだわっているからだ。
 性別を偽って生きている――そんな、みんなとは違う仲間意識。
 もちろん、惠と僕は違う。僕は呪いだ。命にかかわる問題だ。バレたら最後だ。惠の場合は既にみんなにバレていて、その上で話が進んでいる。惠の様子からするに、惠の呪いは僕と同じ、あるいはその逆に位置するものではないのだろう。わかっている。彼女には、そこまでの切実さはない。
 でも。だったらどうして。
「……聞いてもいいかな。惠がその格好をしている理由」
「……」
 今度は沈黙が返ってくる。言葉の代わりに足が動き始める。雑草を踏む音、わずかに空気が震える音だけが、耳を揺らす。
 無言が長い。熟考中とは違う、黙秘権行使に近い雰囲気だ。
「君は、それで知的好奇心を満たすのかい?」
 長い長い数分の後に紡がれたのは、そんな斜め上の問いかけ。裏に「質問に答える気はない」と含んでいる。呪い以外でも、隠さなければならない理由があるということだろうか。でも、隠さなければならない割に、判明することへの動揺は少ない。完璧なのは初対面のときだけ。ますます、不可解だ。
 と――再び、惠の足が止まった。
「顔をあげてごらん」
 促され、地面を向いていた視線を上へ――
「……で、でかい……!」
 そこに建つ、いやそびえ立つのは、およそ一般人の住居とは思えない見事な洋館だった。夜闇にまぎれて全容はうかがえないものの、相当な大きさだということはわかる。明りに照らされた玄関の趣だけでも、そんじょそこらの家とは格が違う。建物だけではなく、広々とした庭と思しき敷地まである。下向いて歩いてるうちにタイムトリップでもしたかと勘違いするほど、目の前の光景は僕の常識とかけ離れていた。
「ここが……惠の家なの?」
「さて、ね」
「……お嬢様だったんだ……」
「似合わない呼び名じゃないかな、それは」
「と、いうことは」
 ふと思いつく。惠の男装の理由がこれならば、一応の納得がいく。
「身分を隠すため……とか?」
 これほどの屋敷に住んでいるお嬢様なら、物騒な輩が狙わないとも限らない。そいつらを避けるためだとしたら?
「ご名答、ということにしておこう」
 持ってまわった言い方だ。でも、言いたいことは肯定に思える。
 なるほど、そういうことなら合理的な選択かもしれない。
 性別を隠してしまえば、「この屋敷のお嬢様」の範囲内から抜け出せる。最も隠すべきところは別だから、性別がバレても大して驚かないし、困らない。おおっぴらにされると嗅ぎつけられる可能性は高まるけれど、仲間うちなら大丈夫……と。
「謎は、すべて解けた!」
 思わずガッツポーズ。なんか妙に嬉しい。僕の予想とは違っていたけれど、これはこれでスッキリ。よし、今日は安眠できそうだ!
「しこりは取れたみたいだね」
「うん、ごめんね変なこと聞いちゃって……って、あれ」
 玄関先に、人がいる。
「この家の人かな?」
「いや」
 短く否定する惠。急に目を細め、険しい表情になる。さっきの話の流れからするに……惠を狙ってる一味、とか? 流石にそれは飛躍しすぎか。
 相手も気づいたらしい。迷わずにこっちへ向かってくる。
 思わず身構える。いや、なんとなく気分的に。
「いやぁ助かった! この家の人だね!」
 と、そんなやる気を削ぐようなあっけらかんとした声が飛んできた。
「ああごめんね夜分遅くに、俺は記者をやってる三宅っていうんだけど、ちょっと取材させてくれないからな?」
「え、え、え?」
「何度呼び鈴押しても出てきてくれないからさー、誰か帰ってくるの待ってたんだよ」
 問答無用の勢いでまくしたてるのは、中年まではいかないものの僕らよりははるか年上のおじさんだった。ちょっとくたびれたワイシャツにネクタイ、無精ひげ、いかにもフリーの記者って感じの風貌だ。僕ら二人と一定の距離を保ちつつ、さわやかムードを振りまいてくる。
「こんな大きなお屋敷が現存してるなんてめったにないだろ? 装飾も凝ってるし、年月超えてきてるし、これだけのものはなかなかないよ! こんな素晴らしい建物が埋もれてるなんてもったいない! ひょっとしたら重要文化財に認定されるかもしれな――」
「――お引き取りください」
 三宅さんの台詞を、惠が打ち切る。
 明確な拒否。今まで聞いたことのない、堅い拒絶の意思。
 それだけでは三宅さんはひるまない。
「なに、屋敷の中全てを見せてくれっていってるわけじゃないし、今日いきなり突撃取材もしないよ。ちゃんと日程組んで、きちんとしたカメラマン連れてくるし」
「お引き取りください」
 惠がさらに言い放つ。これ以上の交渉は無駄だと言わんばかりの強い調子だ。
 少なからず、僕は驚いていた。
 さっきまでとは打って変わった惠の態度。柔らかで穏やかな雰囲気は鳴りを潜め、重く鋭く、冷たささえ感じさせる。日々楽しく過ごしている間は気付かなかったけど、こんな一面もあるのか。
「まあそう言わずに、ちょっとだけでいいからさ! 独自取材として謝礼もはずむし」
「聞こえなかったんですか」
 惠が前に出る。三宅さんを見上げ、その二つの眼をしっかり見据える。
「――帰れ、と言っているんです」
「――」
 ぞくり。
 背中に悪寒が走る。
 三宅さんの表情が、笑顔からどこか恐怖を交えたものへ変わっていく。
 僕の位置から惠の表情は見えない。
 ……見てはいけない。僕は、見てはいけない。
 彼女の持つ、知ってはならない何かが噴き出したような――実際にはそんなことはありえないけれど――三宅さんの表情の変化があまりに著しくて、その理由を知ってはならないような気がして――
「……嫌われたみたいだね。しょうがない、仕切り直すとしよう」
 そう言い残し、三宅さんは半ば走るようにこの場を去った。
 まるで、肉食動物に睨まれた草食動物が、必死の思いで逃げ出すかのように。
 場に、静寂が満ちる。何と声をかけたらいいものか考えあぐねて、僕はひたすら突っ立っている。
 今のは、何だ?
 交わされた言葉は普通。取材依頼が来てそれを断ったというだけ。
 ……それだけだろうか?
 強い反感や拒絶反応の実例は何回か目撃している。
 るいが初対面の相手に見せる敵意。花鶏が他人に見せる嫌悪感。気まずい雰囲気なら、パルクールレース前の僕らにもあった。でも、そのとき体験したものと、今しがた惠が見せたものは質が違う。
 ひとつの謎が解けて。
 もうひとつ、深い部分の謎が生まれた。
 おぼろげだったものが、実感を持ち始める。
 そうだ。
 惠は、隠しているんだ。僕ら6人が知らず知らず解放しているものを、惠は今も抱え続けている。仲間となり、同じ呪い持ち同士としてつながっても、彼女だけは、他のみんなと違うところに立っている。
「……変なものを見せてしまったね」
 惠が振り返る。すまなさそうに眉を下げた表情からにじみ出るのは、いつもの穏やかさ。三宅さんと相対していた時の面影すらない。
「あ、ううん。びっくり……した」
「取材は絶対に受けてはならない。それがこの家の家訓なんだ」
 そんなことをいいつつ、惠は玄関に手をかける。
「……と、そうだ。智、ここからの帰り道はわかるかい?」
「実は自信がありません」
「そうか、そうだね。じゃあたまり場まで引き返そうか」
「いや、いいよ。もう遅いし。大通りに出る方法を教えてくれれば」
 ここまで来たのは僕の勝手だ。惠の秘密の一端も知ることができたし、あまり見てはいけないものまで見てしまった気がするし。
「その通りをまっすぐ行って、つきあたりを左に行って、さらに右に行って、三本目を斜め右で国道に出られる」
「うん、ありがとう」
 言われたことを脳内メモにインプットして、くるっと向きを変える。
 とりあえずは、家に帰ろう。今日の経験を整理して明日からの行動を決めないと――
「智」
「ん?」
 呼び止められて振り返る。
 惠は玄関の柵に手をかけたままだ。閉ざすのか、閉ざさないのか、迷っているかのような立ち位置。
「安全な代わりに空虚な平穏と、死の危険がある代わりに満たされた日々。君ならどちらを選ぶ?」
「……」
 それは、突拍子もない質問だった。
 けれど、それを問う惠は真剣そのもの。
 逡巡。でも、今は頭が回らない。質問の意図するところ、惠が望んでいる答え、どれもが不明瞭だ。
「……今は、答えられない」
 あいまいな返事。惠の答えを指摘できないような、どちらともとれる一手。
「答えは……決められるものなのかな」
 ひとりごちる惠。
 その彼女の台詞こそが、正答な気がした。