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after Birthday ※視点は惠

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僕の考えた惠ルート ※視点は智

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chapter9 


    夢の続きか、現実か。聞こえるもの、見えるものは真実か。夜に慣れない神経が、僕を現実への疑心に染める。すっかり照明が落とされた、意志を持つかのようにまっすぐな廊下。寝息が壁に吸い込まれ、辺り一面に藍色がのさばる。
 部屋を出たはいいものの、歩を進めるごとに不安が膨らみ、なかなか前に進まない。一歩一歩が悪夢の始まりのような気がしてくる。見つかったところで、トイレに行きたいとでも言えば済む話だし、悪いことをしてるわけでもない。
 それでも後ろめたさと緊張感が消えないのは、生まれつき鋭い直感が、今出ていった人物の謎を嗅ぎ付けてしまっているからだろうか?
 もともと、僕を突き動かしている根拠自体が「昨日の夢」という漠然としたものだ。夢のお告げなんて、幼い子供ぐらいしか信じないだろう。普段ならばそんなものを頼りに動いたりはしない。
 ただ……
『才野原惠は嘘の発覚を機に、彼の者に牙を剥く』
 たとえ、つまらない思い込みであっても、無駄骨であっても。
 彼女に関わることだというなら、無視できない。
 出ていったのが惠かどうかを確かめるのは簡単だ。惠の部屋を開けてみればいい。扉の音がしてるから、窓から出入りするというイレギュラーはありえないし。
 ……ああ、そうすればよかったんじゃないか。階段まで来て我に返る。
 でも、本能的な予感は先へ先へと僕を急かす。何かに操られるように、砂の海のような暗闇へと踏みいる。
 何を、ここまで焦っているのだろう? もっと合理的で、もっと穏便な方法があるはずなのに。
 相反する、強い意識がせめぎ合う。
 知りたいという想いと、知ってはならないという予感と、その先に待ち受けるかもしれない―― 終わりへの恐怖と。

 知るということは、知られるということは、僕にとって「おしまい」を意味する。
 僕と他人の間の絶対的な距離は、「知る」「知られる」という結果を封じるためのものだ。
 しかし、ただ距離を取ればいいというものでもない。人を寄せ付けないために過度に尖った態度を取ると、反対に関心の対象になってしまうこともある。
 好きの反対は嫌いではない。なぜなら、両方の根底には「相手への関心」があるから。僕にとっては、誰かに好かれることはもちろん、嫌われることも同様に危険だ。
 なら、どうすればいいか?
「どうでもいい人」になることだ。全てにおいてある程度のレベルをキープし、出もしなければひっこみもしない、平均値を保ち続ける人。接しているとそれなりに優しく、それなりに楽しい。でも印象には残らない、いわゆる空気キャラとなることだ。
 ……生来の凝り性とバランスの取り方を間違えた結果、優等生という肩書をゲットしてしまったのは大いなる誤算だったけど。まあ、先生は問題児ほどよく覚えていて優等生はあっさり忘れるらしいから、問題児になるよりはよかったのかな。
 つらつらと浮かぶ、今までの僕という生き方。
 腕すら見えない暗闇の中で思う、似たような歩みをしてきただろう、あの子のこと。僕らの中ですら、つかず離れず、人との距離を保ち続けている彼女のこと。
 彼女は予想すらしていないだろう。
 皮肉にも、その「つかず離れず」こそ、僕が彼女に興味を抱いた理由なのだと。

 階段は、思ったよりも無音に近い状態で降りることができた。板張りの廊下も、気をつければ何も言わない。とにかく黒々してるものの、ネズミもいなければ、怪しい影やもやにも出くわさない。ひたすらに、静けさの満ちる箱の中。
 そういえば、このお屋敷は年代物の上に人口密度が低いのに、それほど恐怖を感じない。今も真っ暗で足元がおぼつかないけれど、真夏の風物詩、お化け屋敷とは明らかに違う。沈黙を時折細々と彩る風の音は、本能には何ら働きかけない。
 ……そういえば、オカルトな本に書いてあった。
 お化け屋敷や廃病院が心霊スポットたりえるのは、そこがかつて賑わっていたからだ。
 怪談話が夏に流行るのは、夏が「人の出入りする季節」だからだ。
 最初から誰もいない場所、いることを想定すらされていない地には、幽霊の居場所すらない、と。
「……」
 そうこうしているうちに、玄関扉の前まで来てしまった。
 流石にこれを開けるのはまずいだろう。
 じゃあ、どうする? ここで戻ってくるのを待つか?
 ……誰かがここから出入りしたという根拠もないのに?
 自分の浅はかさに舌打ちしそうになる。
 僕はあくまでお客様、屋敷の構造はごく一部しか知らないんだ。出入り口が数か所あったなら、ここにいるのは無駄になる可能性が高い。さらに言うと、誰かが階段を下りた音だって、本当に鳴ったのか、まどろんだ僕の脳が引き起こした幻聴なのかおぼろげだ。確かなものが少なすぎる、隙だらけの張り込み。
 頭が冷えてきたのか、空しさが押し寄せてくる。いくらなんでも焦りすぎだ。本気で捕まえる気なら、こっちもそれなりの準備をすべきだった。正直、今日は完全に無策で突っ込んでいる。受け身で待ち続けるのがイヤで、頭だけじゃなく、身体全体で空回ってしまったというだけだ。
 らしくもない。熟慮の上で行動しようと心がけているのに、今は口より頭より身体が出ている。右脳に支配権を握られている。裏付けのないひらめきの先には失敗しかないと知っているのに、じれったくて、一分たりとも同じところにとどまっていられない。チャンスかどうかも分からない糸口を、片っ端から引っ張ってしまう。伸るか反るか、一か八か。それが双方にとって良いこととは限らないのに。
 感情って、こんなに横暴だったんだ。
 知ることは、知られること。相手に近づくということは、相手に近づかれるということ。
 惠にしてみれば、今の僕ほど恐ろしいものはないだろう。彼女の呪いが知られることで発動するものではなかったとしても、ひた隠しにしていたものを暴かれる恐怖は筆舌に尽くしがたい。
 ……待てよ?
 ふと気づく。
 惠が隠してることと、惠の呪いって同じなのか?
 それとも、別なのか?
 僕の場合、隠していることと呪いはほぼイコールだ。でも、僕がそうだからと言って惠もそうとは言い切れない。夢のお告げも「嘘の発覚を機に」という表現で、呪いとは言ってなかった。こういう家だし、取材断ってたし、隠さなきゃいけないことが呪い以外にもあるとしたら?
 そうだ、僕が知りたいのは惠の呪いであって、隠し事じゃない。気にならないといえば嘘になるし、どちらも彼女という人物に根を降ろしているのだろうけれど、まずは呪いからだ。隠し事と呪いが別だとすれば、思考もまとまりやすくなる。たとえば、さっき寝床で立てた仮説はどうだろう? あれなら呪いと隠し事が全く別になるし、筋も通ってる気がする。
 よし、まずは呪いだ。そっちを考えて、結論付けて、それから隠し事を聞けばいい――

「!」

 轟音。
 呼吸が一瞬止まる。身体が跳ね、次にぴたりと静止する。耳をつんざく鼓動の音。指先の感覚が消え、心臓と耳以外が雲散霧消したかのような錯覚にとらわれる。息が苦しい、と思うまでの数秒が、十分ぐらいに感じられる。

 実際には大した音ではなく、静けさとの対比、暗闇に一人という状態、全くの不意打ちというタイミングが重なっただけだ。だって、ただ扉が開いたというそれだけなんだから。

 喉の感覚が戻った。唾を飲み込んだからだ。視覚と脳が繋がる。顔が、扉の方を向く。

 閉鎖空間がもたらす闇と、夜空は違う。暗がりに慣れ始めた目はそのわずかな光の差を捉え、たった今、夜から帰還した人物の輪郭を捉える。
 捉えてしまう。
 ほどなく扉が閉ざされ、すぽりと影に包まれてなお、動きが見える気がしてしまう。

 髪型はショートカット。すらりと背が高く、シャープなラインを描く服を纏っている。背筋を伸ばし、気品と緊張感を混ぜたような足取りで、慎重に、けれど慣れた足取りで歩く。誰かがいることを予想さえしていないんだろう、じっと正面を見たまま、玄関ホールの端で固まっている僕には気づきもせずに通り過ぎる。そのまま階段へ。音は、僕自身の鼓動にかき消される。

 ……なぜ。
 なぜ、君なの、惠。

 たった今、呪いと隠し事は別だと判断して、隠し事は暴かないと決めたのに。
 目の前に差し出された情報は、後回しになど到底できないほど、強烈に僕を縛りあげる。

 だって。
 一瞬だけ見えた彼女は、いつもの詰襟姿。
 こんな真夜中だというのに、寝巻きすら着ていなかったんだから――


 眠れない夜二連打につき、露骨にお肌の調子が悪くなっていますのでご注意ください。
 最初から自己申告したくなるほど、寝起きの僕の顔はひどかった。こんなところでボロが出ちゃたまらないからと念入りにお手入れしたものの、流石に疲労には逆らえない。化粧水を多めにつけ、コットンパックまでやってみたものの、鏡の向こうの僕は美容的に非常にいただけない顔だった。どうやって言い訳しようかと疲労困憊の脳を回す。何より、疲れていると見抜かれるのが困る。楽しい気分に水を差すし、寝ている環境について言うのは失礼だし。その辺は軽く流してもらえるとありがたいんだけど……
「トモー、お疲れ?」
 無視してもらえませんでした。
「や、ちょっと眠れなくて」
「あら、意外。あなたはどこでも寝られるタイプだと思ってたわ」
「やっぱり私と別の部屋になったのがまずかったのかしら。わかったわ智、今日は私と一緒のベッドで」
「却下」
「悲鳴を聞きながらの夜は過ごしたくありません」
「大丈夫よ、思わず壁に耳を当てたくなるようなめくるめく夜になるんだから」
「なおのこと却下です!」
「ここをラブホにする気かこのエロ衛門」
「最悪の改修ね」
「流行らないホテルの末路」
「……ひどい話の進み方だ」
 最初はびっくりしたものの、ありがたいことにいつものノリになった。僕らの話はこんな感じで本題に触れたり触れなかったり、横道にそれまくった挙句最初の話題が何だったかさえわからなくなることも多い。触れられたくないことがある場合はその流れの中にうまく埋没させてしまうに限る。たまに失敗してやり玉にあげられることもあるけど、基本的に僕らは不真面目な話しかしていないからそんなに追いつめられることもない。
 ……そう。
 僕ら七人は、真面目な話題に進むことをどこかで恐れている。「真面目な話題」について回る呪いから逃げるかのように。
「おはよう、みんな朝から元気だね」
「惠センパイ、おはようございまーす!」
「案外起きるの遅かったわね、眠れなかったの?」
「昨日は星空がきれいだったから、天体観測をしていたんだ」
「なんだそのうさんくさい青春のかほりに満ち溢れた理由は」
「星空って退屈じゃない? 私、プラネタリウムで起きていられたためしがないよ」
「実際の空とプラネタリウムは全然違うからね。空は一度として同じ色をすることがない。僕が見ているのは星というより、星を散らす夜空の方かな」
「おお、とてもこだわりっぽい」
「惠センパイ、やっぱりロマンチストだ……」
「単にヒマ人とも言いますね」
 惠の様子に、とりたてて変化はない。僕みたいに調子を悪くしたり、変に気張っている様子もなく、あくまで自然体だ。逆を言えば、常にああやって出歩いているから普通モードでいられるという考え方もできる。そっちの可能性の方が高いように思えてくるのは、昨日の印象が強すぎるからだろう。今日ちょっと寝坊ぎみだったことへの説明がつかなくなるから、確率は半々といったところか。
「とりあえず、朝食にしよう。今の時間なら浜江と佐知子が用意してくれているはずだ」
「お、待ってましたー!」
「というかそれを待ってました!」
「さすがにわたしたちだけで先に行くわけにはいかないものね」
「それは失礼。これからは別の部屋になるし、先に行っていてくれて構わないよ」
「そうね、先に行ってコーヒーにいろいろ仕込むのも……ふふふ」
「花鶏さん危険なことはやめてください」
「大丈夫、ちょっと身体が熱くてもじもじするだけよ」
「AVのお約束文句来た」
「まあ、花鶏の寝起きの悪さから考えると無理だろうけど」
「人間、やるべきことがあるときは起きるものよ」
「そんなところに気合いれないの!」
 朝から元気に掛け合いしつつ、スリッパをパタパタさせながら階段を降りるみんなの背中を見送る。
 惠は最後に行くつもりなんだろう、ナチュラルに道を開けてみんなを誘導する。
 ……待っていた、一分間のチャンス到来。
「ねえ、惠。昨日の晩、どこかに出かけなかった?」
 長々と話すとみんなを不審がらせる。とにかく素早く、直接聞くのが早い。
「いや、さっきも言った通り、部屋で星を見ていたよ」
 あっさりと否定される。ここまでは予想済みだ。そんなに簡単に本当のことを話してくれるなんて思ってない。
 だから、聞くのではなく、読みとる。駆け引きだ。
「僕、君が部屋から出るところを見たんだ」
 情報は、あえて少なめに。場所も時間も伏せた上、真実と少し異なる内容で揺さぶりをかける。
「……夢遊病が出たかな」
 返ってきたのは、意外な路線。
「夢遊病?」
「ああ。睡眠時遊行症。睡眠中に無意識の状態で起きだしてしまう現象だよ。時々発症するんだ」
「惠、そんな病気持ってたの?」
「困ったことにね」
 口では困ったと言いつつ、大して気にしてもいない様子の惠。別に害はないから、と付け加える。さらさらと、隠し事の一つもないような口ぶり。それが逆に不自然だ。夢遊病が惠の隠し事ではないとしても、そんな真面目な話題をこの場で振るだろうか? 振らない。とすれば、この話題そものが不真面目な内容、つまり嘘の可能性が高い。
「ちなみに傘を持ってると空も飛べるよ」
「一気にファンタジーになった!」
 まさかの自白に考察がいきなり無駄になった。いや、そんな堂々と「嘘です」って言われても!
「行動の限界はあっても、想像力に限界はないんだよ、智」
「うう〜、一本取られた」
 あっさり主導権を持っていかれる。
「あはは」
 駆け引き、見事に失敗。話を切りあげ、惠は階段を降り始める。慌てて僕もついていく。この流れでは本質には迫れないだろう。やっぱりそんな簡単にはいかないか……。
「推理は足から、とよく言われるね」
「え?」
 振りかえることもなく、けれどひとりごとにしてははっきりすぎるトーンで、惠はそんな言葉を口にする。
「なんのヒント?」
「それは君が考えることだろう」
「……惠」
 次につなぐ言葉を見つけるより先に、僕らは食堂へと足を踏み入れる。
 舞台に乗せられた。
 そんな確信が、僕の脳にカチリとはまる。

 昨日の打ち合わせ通り、今日の最初の行動は大掃除だ。それぞれが自分の部屋を決め、責任を持って掃除する。
 ……ただ、ひとつ誤算が。
「じゃあ、私はこの部屋で寝るから」
「茜子さんはあちらの部屋で」
「勝手に決めないの! ここはちゃんと公平にすべきところよ!」
「イヨ子は掃除したそうだけど」
「……泊めていただくからにはちゃんとしなきゃ、特にそこの二人は」
 そう、昨日佐知子さんが掃除してくれた、綺麗な部屋が既に二つあるのだ。惠の部屋の隣と向かい側だし、その部屋を使わない手はない。つまり、六人中二人が掃除しなくてもいいことになる。
 当然のように、花鶏が部屋の使用を願い出た、というより既成事実にしようとした。あとサボリぐせのある茜子も名乗り出た。誰が使ってもいいとは思うんだけど、サボる気満々で部屋取りを始められると抵抗感がむくむくと出てくる。
 かくて、議題は「誰が掃除任務から逃れるか」となったのだった。
「そもそも、貴族である私が部屋の掃除なんて間違ってるわ」
「ちゃんと『元』をつける、没落淫乱族め」
「元じゃないわよ! これから再興するんだから!」
「没落は否定しないんだ」
「そして茜子さんは電波を受信しました。第三次スーパーねこねこ大戦の作戦本部があちらの部屋です。よってあちらの部屋の使用権は私に」
「猫連れ込むの!?」
「それ掃除するどころか汚しちゃうじゃない」
「失礼な。猫は綺麗好きですよ」
「そういう問題じゃないと思う」
 茜子がどこまで本気かわからないけど、人間に加えて猫まで入れたらまずいと思うよ……。
「鳴滝めはどこでも構わないですよ」
「私も。ベッドがあるってだけで幸せだし、使わせてもらえるなら掃除ぐらいはするし」
「ほら、反対意見もないじゃない」
「だめ! こういうときは全員が同等の権利を持つんだから、なあなあにしないできちんと決めなきゃ」
「頭の固いおっぱい委員長め」
「言ってることは間違ってないんですけどね」
「価値観の違いってやつだね」
 伊代は正しい。ただ、世の中には公平より不公平の方が迅速に物事が進む場合もある。対象者のモチベーションに明らかな差がある場合、公平さを重視した選抜はえてして退屈なものになるのだ。
「ここは、議論するよりじゃんけんとかで決めてはいかがでしょう!」
 退屈さがピークに達したか、こよりが口をはさむ。なるほど、じゃんけんなら公平だ。
「……いいんですか?」
 やる前から勝ち誇った笑みを浮かべる茜子。なぜに。
「じゃんけんでいいなら私も賛成よ」
 もっと勝ち誇った笑みの花鶏。だからなぜに。
 妙にイヤな予感がする。この二人の態度は明らかに「自分たちに有利な方法を取ってくれてありがとう」と言っている感じだ。公平な勝負ではないことを最初からわかってるような雰囲気。
 ……そうなると、じゃんけんはまずいかな。
 僕もたいがいあまのじゃくだ。フェアにこだわる気はないけど、誰かがズルをしようとしてるのを見過ごすのは気分がよくない。
「いや、じゃんけんはやめとこう。あみだくじでどう?」
 というわけで、カマかけも兼ねて提案してみる。露骨に嫌そうな顔をする花鶏と茜子。他メンバーは「なんでもいいよ」とアイコンタクトしてきた。そうと決まれば善は急げ、さっそく紙を取り出して線を引き始める。
 あたりマークは両はじ。確認ののち、それぞれが好き勝手にくじに線を引きたしていく。流れが読めないよう、書き足すごとに紙をくるくると巻いて、下の線を隠していく。仕上げはメンバー最大の公平審判、伊代に任せた。
「わざわざ私に不利な方法を取るのね、智」
 ……花鶏の機嫌から察するに、たぶん大丈夫だろう。
「別にじゃんけんもあみだくじも変わらないでしょ?」
「変わるわよ、大きく」
「僕は公平な手段がいいの。誰かが有利な方法をとるわけにはいかないのです」
「そうね、やっぱりこういうときはフェアな手段を取らないと」
「まだ何も言ってないはずよ」
「只今読解力強化月間中です」
「あなどれないわね……後でその太ももをたっぷりさわさわしてあげることにするわ」
「突然不穏な空気に」
「個別の部屋ってことは、夜這いかけてもオッケーってことよね?」
「ちょっと待って! そこまでは言ってない!」
「今日から我々は別々の道を行きます。自分の身は自分で守りましょう、ザマーミロ」
「そんな仕返しいやああああぁぁぁ!」
 転んでもただでは起きない女、花城花鶏。恐るべし。
 ……個別の部屋、意外と危険かもしれない……
「くじ、できたわよ」
 僕らのやりとりをあきれ顔で見つつ、伊代が紙を差し出す。スタート位置以外全部見えないぐらい細く紙が折りたたまれてるあたり、伊代らしい。これなら誰がどれを選んでもフェアになるだろう。
「うらみっこなしですよ」
「もちろん」
「よし、それでは」
 選択。
 そして、開封速報。九十度を十三回ばかり繰り返した果てにたどりついた僕の部屋は――
「……!」
 図らずも、心臓が跳ねる。
「さあ、お二人さん、外れたからにはちゃんと掃除するようにね?」
 伊代はとってもうれしそうだ。ダークな感じに据わった目で花鶏と茜子に視線を送る。
「さ、詐欺よ! まやかしよ! やり直しを請求するわ!」
「往生際が悪いなぁもう」
「おっぱいのくじにイカサマはありえませんね……残念」
 諦めきれない花鶏がばたばたするものの、すぐにるいに取り押さえられる。茜子は受諾モードだ。
 二人に同じく外れたるいと伊代は、もともとどちらでも良かったらしく、くじの結果に満足のご様子。
 そして当選者二名。僕と、こより。
 こよりが惠の向かいの部屋で、僕は隣の部屋になった。
 ガラにもなくドキドキする。そうだった、このくじって「掃除をするしない」だけじゃなく、部屋の位置を決める意味もあったんだ。壁も空間も隔ててるとはいえ、惠の近くで寝られるのは正直嬉しい。我ながら異常な乙女思考だ。
「よかったねー、トモ、こよりん」
「すみません、鳴滝めは宿題にいそしむであります」
「一番面倒を引きうけてくれそうだったのに、智」
「日頃の行いがいいですから」
「どの口が言うか、この陰険貧乳が」
「……地味に悔しがってるね茜子」
「当然です。これ見よがしに頬を緩ませよって、ニヤニヤニヤ吉め」
 どうやら顔に出てしまっているらしい。否定するのも変なので、意図的にもっとニヤニヤしてみた。
「ついに化けの皮がはがれたか、腹黒優等生」
「いいじゃなーい、たまには」
 ギリギリする茜子。
「さ、決まったからにはすぐに始めましょう」
「ちょ、ちょっと待ってまだ心の準備が」
「時間は多いようで少ないんだから、迅速に片付けるわよ」
「そんな御無体な……」
 何事か呟きつつ、伊代に引きずられていく茜子。花鶏はるいが引きずっていく。
 天国と地獄、とまではいかないものの、悲喜こもごもの役割分担。
 ……さて。
 掃除の任務から解放された今、僕は何をしようか――


「捜査は足から、だよね」
 というわけで、一人で屋敷を散策しはじめた。見ることに意識を集中すると、今までただの背景だったもの一つ一つが存在感を増して映る。
 初めて来たときにも思ったけど、この屋敷の装飾は細部に至るまで、職人の息遣いが聞こえてきそうな細工にあふれている。でも、それぞれの自己主張は決して強くない。芸術の名が冠されるものは作り手が化けて出そうなほど強烈な「らしさ」を持っているものだけど、ここにあるものはあくまでも控えめだ。
 ふと、玄関ホールに飾ってある西洋刀の前で足を止めた。年代物だろうに、今でも使えそうなほど磨き込まれ、輝きを放っている。その下に飾り鏡があるから目立たなくなっているものの、相当丁寧に手入れされている。持ち手部分のくすみは、かつて実用品として使われていたことを思わせる。アンティークならではの味わい、だろうか。
「智さん?」
 佐知子さんに声をかけられ、慌てて振り向く。どうやら観入ってしまっていたらしい。
「その剣が、お気に召しましたか?」
「気に行ったというか、すごく大事にされてるんだなと思って」
「それは先代が海外から取り寄せたもので、この家の装飾品の中でもとりわけ価値が高いんですよ」
「へー」
 なんとなく、手を伸ばしてみる。無機質な、けれど単なるモノの域を超えたような、妖しい魅力を放つ銀色……
「智さん!」
 急に、佐知子さんの制止が飛んだ。反射的に動いた指先が刃を一瞬かすめる。
 途端に背筋をはしる悪寒。瞬時に浮かんで消える、斬られた自分。
 そうだ、これが実用品だったとするなら―― 既に、誰かの血を吸ったことに ――
 可能性だけの予測に、本能が危険を叫ぶ。慌てて、壁から一歩下がった。
 剣は何も言わない、訴えない。潜り抜けた血なまぐささを封じ込め、ひたすら沈黙を守るのみ。
「……失礼しました。大切なものなので、できればお手を触れないでいただければと」
「は、はい! すみません」
 お互い妙にぎこちなくなる。もちろん、僕の胸に去来したのは単なるイメージだ。持ち手はユーズド加工みたいなものかもしれないし、実際の戦闘ではなく儀式や試合で使われていた可能性だってある。思いつきを短絡的に結びつけるのは危険だ。気分的には散歩ではなく捜査だから、必要以上に物事を穿って見てしまっているのか。
 それにしても、佐知子さんの反応は少し不自然な気がしなくもない。
「そうです! 智さん、お暇ならば屋敷の中を詳しくご案内しましょうか」
 と、気まずさからか、佐知子さんが願ってもない申し出をしてくれる。
「いいんですか?」
「ええ、今日はみなさんがお掃除してくださっていますし、惠さんが」
「……惠が?」
「智さんが希望されるなら、もう少し詳しく案内しても構わないとおっしゃってましたから」
「そうなんですか?」
「ええ」
 満面の笑みで返される。佐知子さんが惠を持ち出してまで嘘をつくとは考えにくいから、おそらく本当に惠が許可を出したんだろう。
 ……妙だな。
 今朝の様子からするに、惠は僕に対し謎を解くよう働きかけている気がする。夢遊病の話だってそうだ。ごまかす気なら、あんな信憑性のない嘘なんてつかないだろう。わざわざ玄関から出入りしたのは僕に姿を見せるためだった、というのは考え過ぎかもしれないけど、いずれにせよ、隠す気にしてはちょっと粗が目立つ。階段だって、緊張でガチガチだった僕ですら無音で上り下りできたのに、音を立てていた。その行動にメリットがあるとすれば、僕、ないし追跡者を誘うことぐらいだ。
 昨日のエセ追跡劇そのものが、惠の作戦だった、とか?
「どうされますか、智さん」
 佐知子さんが返答を促す。
「えと、じゃあお願いします」
 若干の煩悶を経て、佐知子さん、その裏で糸を引いてるであろう惠にOKを出す。自由行動をしたところで、惠の方が二枚も三枚も上手だろう。とすれば、まずは与えられたレールの上を走り、大まかな情報を得たほうが効率的だ。推理は全体把握から細部へ思考を移動し、トリックを暴くものだし。
「それでは、こちらへ」
 誘われるまま、僕は佐知子さんの背中を追う。 
 ……何かが違う、気がする。
 頭の隅っこにこびりつく違和感をかみしめる。
 僕の望みは、惠をもっと理解して、支えてあげることのはず。
 でもこれは、この行動は ―― 本当に、僕の望みにかなっているんだろうか?

 屋敷の中をくまなく探索した後、庭に出る。庭という表現がふさわしいのか迷うほどの敷地。これだけ広いとメイドさん二人では手を回しきれないんだろう、雑草が生い茂ってしまっている。どのぐらいって、庭に入る前に虫よけスプレーを渡されるぐらい。
「雑草の中には切れ味鋭いものもありますから、怪我されないよう気を付けてくださいね」
「あ、はい」
 その広大さは、実際に歩いてみるとなおのこと実感できた。外からは見える塀が緑に覆われてしまっているせいで、果てが全然わからない。でも、少なくとも都会に無理やり作った公園ぐらいの広さは軽くある。あと一軒家を建てても大丈夫そうだ。
 雑草とその隙間からちょろっと出てくる虫に気をつけつつ、庭をぐるりと回る。といっても、雑草のみならず大きな樹もたくさん生えているもんだから、実際に動ける範囲はそう広くはない。十分も歩けば全部見終わってしまう感じだ。
 ぐるりと見回った限り、とりたてて怪しいところはない。というか、緑が茂ってるところが全部怪しく見えるから、結局どこが怪しいのか分からなくなってくると言った方が正しいか。奥の方が雑木林一歩手前ぐらいに樹が生い茂ってるけど、手入れの順番から考えたら特に不自然じゃないし。
『緑の奥』
 夢の言葉が去来する。とはいえ、奥はどう見ても人間が入れるような状態じゃない。何かを隠すにしても、ああも深い緑に包まれてしまっては侵入しようがないだろう。
「奥って、なんであんな風になってるんですか?」
 それでも、一応の確認をこめて聞いてみる。
「奥になりますと、どうしても手入れが後回しになってしまいまして」
「植木屋さんとか頼まないんですか?」
「ああ、それは……」
 口ごもる佐知子さん。
 どことなく、焦りが混じった気がした。
「……部外者を屋敷に入れてはならないとの家訓ですので」
 無難で、それゆえ更なる追及を封じる答え。家訓や制度を持ち出されると、その話題はぴったりと蓋を閉じられてしまう。理由になってないのに、揺るがすことのできないそれらは、当人たちにもどうしようもないものだ。嘘か本当かもわかりにくいし、攻める側としては非常にやりにくい。
「僕らはいいんですか?」
「みなさんは、惠さんのご友人ですから」
 かろうじて出した追及箇所は、鮮やかに断言される。
 僕の隣までやってきて、そびえたつ緑のバリケードを見つめる佐知子さん。横顔は、どことなく寂しそうだ。
「今までは、私達以外は誰もこの屋敷に近づかなかったのです。惠さんがご友人を連れてきたのも、今回が初めてです。私達はみな、世間から隔離されたこの屋敷で、ひっそりと生きていたのですから」
「惠の呪いのため、ですか」
「はい」
 一息つく。風が流れる。
「……それだけでは、ありませんが」
「え?」
 小さな声だったから、一瞬聞き逃しそうになった。
 佐知子さんの表情が、変わった。自分たちに振りかかったできごとを思い返すかのように、口をきゅっと結んでいる。ひとつや二つではなく、多種多様の悲しみや辛さを詰めた、遠い目。思い出に浸るというにはあまりに苦しそうで、かつ、今なおそれに苦しみ続けているような、堪える視線。それはまっすぐに、緑のバリケードへと向いている。
「智さん」
「は、はい」
 首を動かさず、佐知子さんが呼びかける。
「惠さんのこと、好きですか」
「……へ?」
「いきなりすみません。でも、大事なことなんです。惠さんは皆さんを信じていらっしゃいます。今まで見たことがないほど、最近の惠さんは楽しそうです。だからこそ、皆さんの気持ちが大切なんです」
「佐知子さん?」
 一言一言に、意味をぎゅうぎゅう詰めにしながら、佐知子さんが僕に問いかける。
「智さん。これから何があっても、惠さんとの絆が消えないと言えますか」
「どうして、そんなことを」
「惠さんは、皆さんのことが大好きなんです。これから何があったとしても、何を言ったとしても」
 振り返ったその表情は、叶わぬ願いを神様に祈るような、重い悲しみに包まれている。
 どうして、そんな思いつめた顔をするんだろう。僕らと惠の仲を見ていれば、友情の存在ぐらいすぐにわかりそうなものなのに。
 ……それが消えることを、予想しているから?
 惠の行動が、友情を壊しかねないことだから?
 わからない。
 僕だって、惠の気持ちを疑ってるわけじゃない。彼女は善意で動いてて、友情の証で僕らを誘ってくれたんだと思う。お互い、確かに気持ちは通じ合ってるはず、そう信じてる。今こうして探偵もどきのふるまいをしているのは、あくまでも惠の呪いを探るため、そして、今以上に彼女と仲良くなるためだ。僕自身は、その結果のために動いている。
「……すみません、忘れてください」
 僕が怪訝な顔をしたことが気になったのか、慌てて前言撤回する佐知子さん。
「そろそろお昼になりますから、戻りましょう」
「あ、はい」
 さっき見せた表情が嘘のように明るい笑みに戻り、踵を返す。
 雑草をどんどん踏みながら、その後についていく。
 去来する不安。
 佐知子さんの視線の先には何がある? 惠の隠し事は触れてもいいもの? 事実が明るみに出た時、僕と惠は、今までよりいい関係を築ける?   
 ……知ることは、知られることは、「おしまい」を意味する。
「おしまい」にしたくないなら ―― 僕は、どうすればいい?