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after Birthday ※視点は惠

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僕の考えた惠ルート ※視点は智

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想定外と豆の木 


 想定外の叩き売り、もとい白光祭から二週間。時の経つのは早いもの、なんて老けたことを思う。
 一行で要約すれば『楽しかった』、三行で要約すれば二行は恨み節、そんなアンバランスで混ざり合わない思い出の凝縮された一日も、ゆっくりと昨日の山へと送り出されていく。
 こと話のネタにおいては、王者の座に三日以上君臨できるものなどない。スクープは半日経てば誰もが知る常識、三日経てば「今更何を?」だ。世の中は諸行無常を全力疾走。
 溜まり場で交わされるたわいない話に白光祭が混ざる率はゼロに近くなった。こよりの宿題だったり、花鶏のハンティング列伝だったり、るいの路上ライブの珍妙な常連客だったり、あの日に比べればインパクトは遥かに薄い、けれど『今』に近い出来事が王座に担ぎ出され、一世を風靡した話題は蹴落され、忘れられようとしている。
 贅沢になったなぁ、なんて思う。一分一秒に怯えながら生きてた頃は、ホットケーキが上手く焼けたレベルのことでさえ心の支えだった。それが今じゃ、際限なく馬鹿騒ぎを量産して、浴びるように楽しんでいる。貧乏性だからか、ちょっともったいない気もする。まあ、今と昔のどっちがいいかって言われたら一瞬すら待たずに今と答えるんだし、いっか。身の危険を感じることが増えたのは、笑顔の対価だと思えば納得できなくもない。……バレたらおしまいだから、気は抜けないけど。
 兎にも角にも、振って湧いた巨大イベントを乗り越え、再びの日常が絶賛営業中。僕らは目の前のネタを思う存分味わって、飽きたら次に移行。合理的というより本能的。白光祭もまた、繰り出される賑やかさの中に埋もれていく運命。
 ……記憶と一緒に電子データも消えてくれたら最高なんだけど、世の中そこまでうまくはできていない。
「花鶏の携帯、取り上げとけば良かった……」
 残り続ける懸念事項に、思わず独りごちる。あんな状況でも抜け目なく、花鶏は僕やこよりの恥ずかしい姿をきっちり撮っていた。発覚したのはもちろん、溜まり場で自慢したからだ。鏡も見ないようにしてた姿をお宝なんて名付けられた日には恥ずかしさで世界を滅ぼしたくなる。流石にバラ撒くことはないだろうけど、彼女の事だからスケスケフィルタとか肌色ツールとかよくわからない画像処理を施してそうで、こう……考えるだけでプライドが細切れどころかミンチになりそう。
 ――プライド。
 浮かんだ言葉に、別の意味が繋げられる。
 苦笑いと一緒に体温が上がりそうになるのを、ひっそり深呼吸で落ち着ける。
「……ふぅ」
 今日ここに来たのも、突き詰めればそういうことなんだろう。
 一応……一応、僕にも男の子としてのプライドがある。意味もわからず流されっぱなしはイヤなのだ。相手の意図もわからないまま、やられっぱなしじゃ終われない。
 手強い相手なのは百も承知。……どこまで手強いか想像できないのはちょっと怖いけど。
「花鶏ぐらい趣味も態度もあからさまだったら、分かりやすかったのになぁ」
 念の為にあたりを見回す。人の姿も気配もゼロ、あえて一人で来たとはいえ、なんとなく寂しい。
 ……そう、今日は一人でないとダメなんだ。
 これはあくまで二人の問題。できれば問題未遂で終わって欲しいところ。
 しばらく雨が降っていないからか、気持ちはいいけど深呼吸する気にはならない空気の濁り具合。見上げれば、うっすらフィルタをかけたような青空に無数の雲が散らばる。よくある晴れた日、とりたてて特徴のない昼間。二週間前の空を思い出すのは用件のせいだろう。
 目の前にそびえ立つ、街中に溶け込めない程度に大きな建物。何度見ても威圧感がある。
 溜まり場での放課後をほっぽって単身乗り込んだのは、僕の記憶の中で最も大きなお屋敷。
 目的はもちろんここの住人、もとい惠。
 ――二週間前の、王子様。
「似合い過ぎだよねぇ」
 思い出してため息。オトコノコその一として、両手を上げて降参したい気分。
 ……時間がフィルタをかけるほどに、印象ばかりが強くなるあの日の舞台。普段から中性的な彼女は、舞台の上で本当に王子様になった。
 お隣りさんと妙に見ごたえのある殺陣を繰り広げ、でっち上げの台詞を堂々と謳いあげた。出ただけで場の空気を変え、些細な仕草に気品を漂わせ、舞台映えする動きをし、女子生徒を魅了した。
 あの破綻で織られたストーリーの中、呆れもせず開き直りもせず、淡々と自分に割り当てられた役割をこなすのは至難の業。全部がおかしな中であえて正道を行けるなんて、よっぽどのこだわりがあるか変人かのどっちかだ。惠の場合は後者……なんだと思う。
 とにかく、惠は自分に与えられた『王子様』を完璧の代名詞のようにやり遂げた。
 物語における王子様の役割。それは悪い魔女だか悪魔だかをとっちめて、眠り続けるお姫様を目覚めさせること。
 そして、あの日のお姫様は、不本意にも僕だった。
 だから僕たちは、ほとんどテンプレと化している目覚めの儀式を、衆人環視の下で――
「……ううううううぅぅぅぅ」
 思い出して、一気に顔が赤くなる。傍から見たら超不審者、だけど赤くなるなって方が無理だ。
 今なお残る唇の心地良い違和感が、何かが起きてしまったことを告げている。ただ、目を閉じていたせいで真実は闇の中。
 ……奪われたのか、そうでないのか。
 人の噂も七十五日、どんなことであれ、関心を長期間キープできるはずがない。放っておけばそのうちどうでもよくなって、やがて忘れてしまうだろう。それも一つの方法だし、彼女はそれで納得しているのかもしれない。
 だけど、僕は納得できない、しちゃいけない。
 要はプライドの問題だ。時が経ってなあなあで流すしかなくなるまえに、確かめたい。
 触れたのは指かもしれないし、惠がトリックでやり過ごしたのかもしれない。そんな小細工もなかったかもしれない。今の僕には、あの日の意味がわからない。だから知りたい。
 ……僕たちは、どんな関係になったのか。
 なんでもなければそれでいい。でももし、あの瞬間に意味があったとしたら――
 軽くほっぺたを叩いて気合を入れる。
 行け、和久津智。乙女は度胸だ。
「よし」
 お腹に力を入れる。
 意識的な沈黙。
 ピンポーンと、時代がかった外観には似つかわしくない無機質な電子音。
 その音に反射的に息を飲む。
 一秒。
 二秒。
 時計を押し当てたような音が、耳ではなく心臓から響いてくる。
 落ち着けようと、深呼吸を繰り返す。
 重厚な作りの扉が、軋む音をたてる。
「……智?」
「あ……こんにちは、惠」
 現れたのは、まいどお馴染み詰襟姿。他の服を持ってないわけじゃないだろうに、徹底してる。
「今日は一人なのかな? 変わったこともあるものだね」
「うん、君に聞きたいことがあって」
「……?」
 首を傾げる惠。警戒したのか、少し視線に険しさが交じる。慌てて手を振って、敵意がないことをアピールする。
「あのね、たいしたことじゃないんだ、本当に些細な……ただ、その……みんなには内緒にしたかったから」
「らしいというべきか、らしくないと言うべきか……智自身はどう思うのかな?」
「多分相当に僕らしいです」
 そう、動機はどこまでも僕らしい。
 嘘つきの僕だから、ハプニングで済ませられない。
「あ、あのね」
 どうにか当たり障りの無い、だけど嘘ではない言葉を選ぼうとして、もごもごする。惠を前にすると調子が狂うのは彼女の思考タイプを読み切れず、適切な対応を確立できてないからだろう。そうだと思いたい。
 ――思いたい、んだけど。
「僕……君の気持ちを確かめに来たんだ」
 苦し紛れに選んだ台詞は、限りなくジョーカーに近いカードだった。


「生憎、浜江も佐知子も出ていてね。素人の淹れ方では君の口に合わないかもしれないが」
「そんなことないよ、っていうかわざわざ気を使わなくても」
「せっかくの客人だ、もてなすのは当然のことじゃないかな」
 見よう見まねにしては落ち着いた手つきで、惠が紅茶を淹れてくれる。立ち上る香りは高原の風のように柔らかで透明感がある。行ったこともない場所が鮮明にイメージされるなんて、香りには遺伝子を刺激する成分でも入ってるんだろうか。ティーバッグのお茶では感じたことのない感覚だから、やっぱり高級茶葉特有のものなんだろうな。
 視線を落とせば、琥珀色が真っ白なカップの中でたゆたう様子にも不思議と目を惹かれる。別に変わった色をしてるわけでもないのに、なぜか魅力的。食堂のレトロでちょっと現実離れした雰囲気が、知らず知らず気分を高揚させるのかもしれない。
 耳を澄ますと、聞こえてくるのはとらえどころのない静かさ。町外れだからか、車の音も人の声も混じらず、足音もなく、けれど静寂とは違う。光に鼓膜が刺激されているのか、穏やかな陽光を耳で聴いてるみたいだ。
 二人分の紅茶が入り、高そうな白磁のティーポットがテーブルに置かれる。惠は今日は正面ではなく、隣に座った。正面だと距離が開くから配慮してくれたんだろうけど、なんだか緊張する。
 ちょっと視線を上げれば、時間と費用をふんだんに使ったおしゃれな空間が広がっている。家がウサギ小屋みたいと海外から揶揄されることも多いこの国だけど、このお屋敷はそんな一般のイメージをひっくり返すような重厚で洗練されたつくりだ。レトロな雰囲気も多分にあるけど、古臭くはない。ギリギリ手の届きそうな高級感が、適度に非現実と現実のバランスを取る。
「え、えと……いただきます」
「どうぞ」
 冷めないうちにと紅茶を一口。すっきりした味わいが喉を通り、香りと一緒に身体に染み透る。ほ、っと吐き出した息は綿毛のように丸く広がり、すぐ消える。
 紅茶のお供にと出されたショートブレッドに手を伸ばす。ほろん、と口の中で溢れるように崩れて、素朴で優しい甘さに頬が緩む。ナッツの香ばしさを噛み締めつつ紅茶を合わせると、抜群の相性。思わずふたつめに手が伸びる。
「おいしい」
「それは良かった」
 紅茶が少なくなると、惠がさりげなくおかわりを注いでくれる。屋敷には眩しくない程度に陽光が入ってくるからか、光の当たりが柔らかく、冷房や暖房で操作しない天然の暖かさも心地いい。がやがやとテンションの投げ合いの中にいるのも楽しいけど、こうして孤独じゃない静けさに浸るのも乙なもの。突然のハプニングもなく、背後にも気を使わないでいいから安心だ。『ティータイム』で想像する内容そのままの、素朴で贅沢なひととき。
 ……って、なんで僕くつろいでるの。
「あー、えと」
「焦らなくていい。こうして二人の時間にたゆたうというのも、なかなかできることじゃないからね」
「ふ、二人の時間って」
「違うのかい?」
「……はう」
 そんな風に言われると余計意識しちゃいます。狙ってるのか素なのかわからないからなおさらです。
 ちらりと視線を送ると、惠はいつもどおり……より若干柔らかい笑みを浮かべている。穏やかというより嬉しそう。僕が悪い理由で訪ねてきたんじゃないとわかってくれたのか、あるいは、単純にティータイムを楽しんでるのか。
 惠の横顔。均整のとれた顔立ちに、柔らかさときめの細かさが一目でわかる素肌。お化粧はほとんどしてないんだろうに、肌荒れ一つ見当たらない。もろもろの事情でスキンケアに心血注いでる僕からすれば嫉妬しちゃうぐらいだ。まあ、男装してても惠は女の子、実は高級基礎化粧品を使ってたり……それもなんか想像できない。何もお手入れしてないなんてことはありえないと骨身にしみて分かっているのに、惠は例外かもなんて本気で思ってしまう。
 常識の範囲外に立つかのような雰囲気を纏う彼女は、何を言い出しても不思議じゃない反面、地味な日頃の努力みたいなものが妙に似合わない。生まれてからここまでの成長過程を語られるより「ある日空から降ってきました」って言われたほうが信ぴょう性がある、そんなミステリアスさに満ちている。おとぎ話の王子様が現実に住んでたらこんな感じだろうなと受け入れてしまいそうな在り方なのだ。
 もちろん、呪われた僕が強いられているように、彼女も少なからず演技をしているだろう。演技しすぎて馴染んじゃった、というのは現実にありうること。反則レベルの造形は虚構と現実の境目すら曖昧にする。
 じいっと横顔を見つめ続ける。殺風景な詰襟に押しつぶされながら、なおこぼれ続ける落ち着いた色香に惹きつけられる。
 どういう呪いが惠にこの道を選ばせたのか……ルール違反だから聞かないけど、気にならないといえば嘘になる。
 彼女をもっと知りたい、舞台の上とはいえ近づいた距離を離したくない……なんて、贅沢な願いなのかな。
「……智?」
 惠がこっちを向いた。自然、がっちりと見合ってしまう。
 ――深い瞳。超えてきたものを静かに収めているような、色は違えど、海の底を思わせる――
「ふわ!?」
 吸い込まれそうになって、慌てて声を出す。
「智は、随分と熱いまなざしをくれるんだね」
「え、いやあの、そんなこと全然ないよ!? ただちょっと色々その、えーと、あのっ」
「君の用件は、そんなに言いにくいことなのかい」
「えぁー、うんと、その……ううぅ」
 出してくれた助け舟にも乗れず、しどろもどろ。覚悟を決めたはずなのに、いざ訊こうと思うとためらってしまう。
 でも、ぐずぐずしてるとお手伝いさんが帰ってくる。そしたらますます聞けない。
 聞いてしまえばすぐわかることだ。事実の誤認でも、それより酷い誤解でも、確かめないよりずっといいはず。
「……あのね」
 意を決する。本日二度目の乙女は度胸、和久津智。
「白光祭の、お芝居の時のことなんだけど」
 切り出したその瞬間から、なぜか鼓動が鳴り響く。
「君は本当に愛らしかった。舞台も衣装も、お姫様という冠さえも、君のために用意されていたんじゃないかな」
「だったら王子様は惠のために……って、そうじゃなくてっ」
 ぶぶぶんと頭を横に振る。脇道にそれると本題に入れなくなる。ここで僕が混乱したって事実は変わらないんだ、どーんといくしかない。
 ぐっとお腹に力を入れる。
「お芝居のクライマックスで、王子様がお姫様を目覚めさせるシーンあったでしょ? 僕は目を閉じててはっきりとは分からなかったんだけど、あの時その、僕たち、そのっ」
 勢いこんだのに、それでも最後のヒトコトが出せずに口ごもる。……ものの、惠は用件を理解してくれたらしく、微笑む。
「……ああ、それは」
 と思ったら、ごくごく自然な手つきで顎の下に手を添えられる。
「え」
「……智……」
 いきなり周囲がコマ送りになる。
 心臓が事態に追いついて高鳴るより早く、だけど瞬間はひどく長く。目を閉じる隙など一切ないのに、近づく体温を意識するには十分すぎる間が開く。
「あ……」
 明かりが灯るようなぬくもりが唇に乗せられる。押し付けるのではなく触れ合う、融け合うような――
「……」
 多分、数秒。
 脳の情報処理能力の限界を悟る程度に長い、数秒。
 誤解のしようもないほどはっきりと、僕たちは唇を重ね合わせ……
「――――ってえええええええええ!? なにしてるの!? なーにしてるの惠っっ!?」
 ひっくり返らんばかりにびっくりして椅子ごと後ずさる。フローリングに傷つけちゃったかもしれないけどそんなの後回しだ。
 惠はそんなぶっとんだ反応に逆に驚いたようで、きょとんとしている。
「これを確認したかったんじゃないのかい?」
「い、いやそうですけど、そうなんですけどっ!?」
「あれこれ説明するより、この方がハッキリするんじゃないかな」
「ハッキリのさせかたが問題なのおおぉぉ!」
「……何か問題が?」
「どうして問題がないと思うんですかあなたはっ!」
「親愛の情は何度表現しても構わないと思わないか」
「その表現方法が問題なの、大問題なのっ」
「薔薇の花束でも用意すべきだったかな、あるいはクラシックを流すとか」
「次元が違う、話の次元が違うぅぅ」
 全然話が噛みあってない。合わせる気がないのか素で理解できてないのか、とにかく斜め上な反応を返される。
 あまりの事態に頭がこんがらがる。
 確かに、僕はあの日惠とキスしたかどうか確かめたくてここに来た。ごまかす方法はいくらでもあるし、あの無茶苦茶なお芝居なんだ、リアリティなんか求めるべくもない。
 それでも、してないと言い切るには二人の体温は近すぎた。唇に当たった何かは経験したことのない柔らかさだった。
 ……確かめずには、いられなかった。
 していないなら、それでいい。何も変わらない日々が続くだけ。
 もししていたとしても、それだけでは本意はわからない。
 僕の回りには女の子好きの女豹様がいるし、恋愛との境目がわからない程度に慕ってくれる子もいる。変人ぞろいの同盟、かつ男装とくれば、惠がプレイボーイな女の子という可能性だって捨てきれないのだ。
 考え方は人それぞれ、貞操観念だって人それぞれ。惠が僕を特別だと思ってくれてなくても、それはそれでいい。
 ……と割り切っていたはずなんだけど、まさかの二度目。予想外の展開に、理性が大気圏突破しそうになる。
「あー。あーうあー」
 思考が回りすぎてこんがらがる。
 キスってこんなに簡単にされるもの? 女の子にはそういう文化でもあるの? 花鶏への皆の態度から考えれば、花鶏的な振る舞いはイレギュラーっぽい。じゃあ、惠もイレギュラー? こんなに簡単にキスするなんて、実は影でブイブイ言わせてたりするの? そうだったとしたら、そうじゃなかったとしたら、僕は一体……彼女の、何?
「二人きりの機会を創る前に、わざわざ君から来てくれるなんてね」
「ふみょおぉぉ」
 何、この飛んで火に入る夏の虫状態。惠はやたらと上機嫌、どうやら僕からアプローチしてきたと勘違いしてるらしい。いや、訪ねたのは僕だけど、そんなエンジンかかった真似する気はかけらもないどころか想像すらしてなかったのに結果的に反論できない状況のできあがりって、運命は僕に恨みでもあるのか。
 他人の家で大暴れするわけにもいかず、椅子から立ち上がってじりじりと下がる。
「そんなに怖がらなくていい。僕は草食系だよ」
「草食系も肉食系もケダモノには変わりないのですっ!?」
「パンダは意外と獰猛らしいね。他にも鋭利な角を持つ種類が多数存在する、多くは愛しい存在を得るための武器だ」
「自分の台詞の説得力消してしてどうするの!?」
「そもそも、人間もまた哺乳類の一種だろう? ルーツをたどっていけば鳥類、爬虫類にまで遡る。慕情という本能の拒絶は自らの存在の否定に繋がるんじゃないかな」
「何その説得すら放棄した論理展開」
「激情は、時として理性を凌駕する。たまにはそんな稀有な状況に身を委ねるのも悪くないと思わないかい?」
「人はそれを暴走といいます」
「君もブレーキを壊してみないか?」
「わけがわからないよ……」
 キケンな誘いが妙に様になってて頭を抱えたくなる。そして相変わらず本気か遊びか不明瞭。遊びっぽい雰囲気は十二分にするのに、妙な真剣さがある。
 そこ、とっても重要。
 僕の反応を見て楽しんでるならそれはそれで……あんまりよくないけど、そこで満足してるのならセーフだといえなくもない。気が多いのは一人にこだわらないってことだから、僕もそんなに気にしないで済む。僕が花鶏とどうにかこうにか接していられるのは、彼女が「可愛ければ何でもいい」と一種割り切っているからだ。こよりや伊代にも毒牙が向けられているから、ある意味で安心なんだ。惠もそのタイプならノープロブレム、折り合いつけてやっていける。
 ……ただ、僕は今まで彼女が他のメンバーを口説いているのを見たことがない。ヘンテコ王子様キャラで誰にでも優しいけれど、基本的にそれだけだ。おそらく彼女なりの処世術の一つなんだろう。ニコニコしたお調子者には深入りしない、そんな心理を把握した上で振舞っている。
 そんな彼女が、僕にだけはこんなに明確な感情を示す。
 本当に『僕だけ』なのか、そう見せかけてるだけなのか。彼女が抱いているのは僕が恐れている感情なのか、それとも花鶏のような、広義のものなのか。
「えーと、惠さん」
「何かな?」
「惠はその……そういう意味で、そういう目で僕を見てるの?」
 直球で聞くのは流石にためらわれて、代名詞まみれのまわりくどい聞き方をする。
「好意を乗せない唇に意味があると思うかい」
「いやまあ、ないだろうけど……でも、あんな場所で」
「御伽話に験を担ぐのはおかしなことかな」
「さすがにそれは夢見すぎかと」
「御伽話は成就を前提としているからね。加えて最初の一回というのは、その後の幾万回をかけ合わせても足りないほどの意味を持つだろう?」
「それは単なる思い込み……って、え」
 さらりととんでもないことを言われた気がして、固まる。
 惠、今なんて言った?
 ……最初の、一回?
「まさか、惠」
 全身の血管が細くなるような錯覚。
 そん、な。
「……キスするの、あれが初めてだったの?」
「君は違うのかい?」
「そこは盛大に僕のトラウマをぐりぐりするのでノーコメントにしたい所存です」
「おや」
「……」
「初めて同士でなかったのは、少々残念かもしれないね。けれど、智ほど愛らしい子なら十分ありえることだよ」
「いやあの、そういうことじゃなくってっ」
 ――初めて。
「……って、待ってよ、それじゃ君は」
「分かってくれたかい?」
「……あうぁ……」
 事実のコンボにくらくらする。
 ――本気だ。惠、完全に本気だ。
 本気を、僕に傾けてしまったんだ。
 どんな姿をしていても、惠は女の子。守ってきたものもあるだろうし、捧げるには勇気も必要だっただろう。言葉通りの意味に取るなら、初恋で、勇気を振り絞っての行動だったってことになる。それだけ強く、明確な想い。
 その相手に……あろうことか、僕が選ばれてしまった。
「……だめ、だよ」
「?」
「だめだよ、惠、駄目なんだよ……」
 口をついて出た声は震えている。
「智……?」
「君がどんなに想ってくれても、僕は駄目なんだ、僕は君にふさわしくないんだ」
 拳を握りしめて、縮こまるようにして背中を丸める。
「だって、僕は」
 応えられない。
 惠をどう想うかではなく、『特別』になることを、僕が僕に認められない。
 同盟は並列だ。全員が『メンバーその一』であり、それ以上もそれ以下もない。個性がバラバラに突き抜けてるもんだから一枚岩にはならないし、なる気もない。同盟の中で個々の関係はあくまでフラット。花鶏のセクハラも見境のないスキンシップに過ぎず、誰か一人を立てることはない。
 だから、同盟は居心地がいい。孤独にもならなければ、誰かの『特別』にもならずに済む。気心知れた仲になるくせに、最後の一線は誰もが崩さずにいられる。暗黙の了解に守られた箱庭。
 ……多分、僕は惠に気の多い子であってほしかった。数多のターゲットの内の一人に過ぎない存在で居たかった。
 だから確かめたかった。
『本気じゃない、遊びだ』と、『惠は他の子にも同じことをしているんだ』と、意地でも思いこみたかった。
『特別』になればなるほど、僕は相手を深く傷つける。
 秘密がバレてしまうんじゃないかって恐怖はもちろんある。だけど本当に怖いのはそこじゃない。
 嘘つきの状態で愛されて、初めての想いを捧げられるなんて、救いようのない裏切りじゃないか――
「……君は、嫌なのかい?」
 僕の態度に、惠が不安そうな顔をする。
「嫌なら、正直に言ったほうがいい。君が苦しむ理由など何一つないんだ」
 押し付けるでも、説得するでもなく、気遣ってくれる。そういう優しさが逆に突き刺さる。
 王子様の向こう側にいたのは、紛れもない一人の女の子。それと知らずに選んではいけない道に賭けてしまった女の子。
 ――悔しい。
 応えてはいけないのが、悔しい。
「……嫌ってことはないんだ。ただ」
「ただ?」
「……その、僕はおんなのこ、だし」
 虚しい言い訳は自分を袋小路に追い込む。
 解けない誤解を抱えるくせに、それを武器にしようなんてバカげてる。そもそも惠は僕を女の子だと思っていて、その上で好きだと言ってくれてるんだ。『女の子』が諦めてもらう理由にならないことぐらいわかりきってる。ひょっとしたら、女の子と思っているからこそかもしれない。だとしたらもっと残酷だ。
 初めて……それは、何よりも強烈な真摯さの証拠。与える側であるならなおさら。
 惠はあの時、僕に覚悟を聞いた。その裏で、自分の覚悟を決めていた。
 それが取り返しの付かないミスだったなんて、どうして言える?
「性別の問題かい?」
「それだけじゃないんだけど……うぅ」
 言葉が出てこない。
 適当に嘘をついてごまかす手がないわけじゃない。言い訳はいくらでもできるし、断ったら惠は食いついてはこないだろう。どっちにしろ本当のことが言えないなら、過激な嘘を使ったほうが丸くおさまる。双方いい方向に向かうなら、嘘も方便と割り切るのも一つの方法だ。
「……うー」
 わかっているのに、その嘘が出てこない。普段は器用に立ちまわるくせに、化けてるくせに、今こそ化けきらなきゃいけないのに、惠を突き放せない。
 それは同情でも打算でもなく、本能だ。割り切れない想いが湧いては僕を絡めとる。見まいとしていた本心を突きつけられ、身動きが取れなくなる。
 わかってる。
 ――嬉しいから。
 惠が僕を好きになってくれたのが嬉しいから、断れない。
 潰されんばかりの罪悪感と共にあるのは熱を持った喜びだ。抑えても抑えても自己嫌悪に陥っても、時間を使って風化させようとしても、決して消えない火が灯り続けて、僕を焦がしている。
「……仮に」
 静かな声が空気を揺らす。
「仮に、君が男の子だったとしても、大した差はなかったんじゃないかな」
「え……」
「恋愛感情が生殖行為と直結しているという視点に立つならば、同性同士の関係は非生産的であり、歓迎されないものだろう。けれど、裏を返せば、生殖行為を前提としなければ性別は問題とはならない、そう思わないか?」
「せ、せいしょくこういって」
 突然に生々しい表現を出されたうえに図星を差されかけ、面食らう。惠はあまり気にしていない風で、出来る限り淡々を装いながら話を続けていく。
「身体を求めるか心を求めるか。二元論に当てはめるのは愚考だが、己が重視する割合の分析は役に立つんじゃないかな」
「テツガクテキになってきた」
「さらに言えば、行為に生殖的要素を求めるか否かでも分岐する。未経験のことについては想像の域を出ないけれど、夫婦、家族という社会的構造に組み込まれることを吉とするかどうかだね」
「……なんか、本題から離れてない?」
「そうでもないんじゃないかな」
 ふふ、と軽く笑う。
 ……その目に宿るのは、寂しさ。
「智」
「……な、なに?」
「僕たちは、そんな未来のことまで考える必要があるのかな」
「……」
「十月十日のその先、数十年を見据えて今を組み上げることにどれほどの意味があるだろう。それが自分にも与えられると信じられる根拠は? ないかもしれない明日のために、今日の想いを切り裂くことは本当に合理的かい?」
「ないかもしれない、って、そんなるいみたいなこと」
「そういえば、るいは『明日のことはわからない』が口癖だね」
「うん」
「しかし彼女は、明日があることは信じているんじゃないかな」
「……惠?」
 ため息、だろうか。小さな間が開く。
「明日の形がわからないことと、明日の存在がわからないことは別だ。見えずとも存在するなら、いかようにも身の振り方はある。けれど、明日が危ういならどうだろう? 明日のその先の為に今をこらえるのはバカげているということにならないかい」
 胸の内から掻き出すような言葉。まくし立てるわけではなく、あくまでローテーションを保とうとしているけれど、言葉ひとつひとつが暗くくすぶっている。
 その姿に――僕同様、決して口にできない呪いの影を見る。
「常識の前提は平穏だよ、智。平穏なき者にとっては性別なんて些細な常識などどうでもいい、そうは思わないかい?」
「……」
 いつもの穏やかな仮面の向こう側にある、開き直りにも似た本心。語ることを許されないだろう多くのことを飲み込んで、惠は自分自身をさらけ出す。
 僕の気を引くためでも、説得するためでも、先走ったことを謝るためでもない。今彼女が言った通り、現在に真摯であるために、精一杯の内側を、ありったけの想いを壇上に乗せ、裁きを願う。
「君には権利こそあれど、義務はない。後ろめたさを感じる必要も、ためらう気遣いも要らない。思うがままを告げればいい」
 惠は求める。
 僕の、本気の答えを求める。
「……曖昧なままには、できないの?」
「それもまた、君の答えじゃないかな」
 先送りさえも許してくれる。時間が経てば経つほど叶う可能性は低くなるのに、薄い希望は心を削り取っていくのに、それでも受け入れようとする。
 ――惠なら。
 惠なら、僕が嘘をつき続けることを、許してくれるのか。
 四六時中永遠に裏切り続けることを、認めてくれるのか。
 本当に、本当に僕が男でも女でも構わないのなら、そこに彼女が価値を置かないのなら、裏切りにすらならないかもしれない。さすがにそれは勝手だろうか? でも、惠なら。
 ……わかってる。
 想いを胸に道を拓く王子様がいて、口づけられて身も心も目覚めさせられるお姫様がいる。よくできたおとぎ話のひな形は、舞台の上で現実に当てはめられる。
 さかさまの二人は、あの瞬間からとっくに始まっていたんだ。
 だから、僕は知りたかった。我慢できないぐらい、無視できないぐらい気持ちをざわつかせた彼女の本意を、目的を、可能性を、
 ――僕の『好き』が許されるのかを、知りたかった。
「僕……僕ね」
 迷いながら、口を動かす。
「……またこうして、惠と二人でお茶が飲みたい」
 答えは早急には出せない。呪いは僕らを取り囲み、いつでも命を刈り取ろうと狙っている。僕が踏んだら惠が巻き込まれる可能性だってある。これ以上の確かな関係になることは許されない。
 だけど……だけど、せめて暗黙の了解ぐらいは作りたい。近すぎず遠すぎず、過ちが起こるか起こらないかのギリギリを、自分たちの意志で渡っていきたい。
 未来の存在すら信じないという惠。きっと単なる悲観主義ではなく、理由あってのこと。
 勇気と焦りを混ぜた勢いが、惠に一歩を踏み出させた。その覚悟の前には、僕の懸念など軽いものかもしれない。
 呪いに関わることならば、僕が彼女に真実を明かせないのと同様、僕が全てを知ることは不可能。
 それでもいい。そこに潜む思い切りと哀しみを拾えるのなら、拾わせてくれるなら――両思いを、信じさせてくれるなら。
 再び視線を惠に戻せば、そこには心なしか恥ずかしそうな、ちょっとだけ瞳を潤ませた笑顔がある。
 ……ずるいな。
 こんな素敵に微笑む王子様、お伽話にだっていやしない。
「では、次に君が来るときまでに、浜江に特訓の予定を入れてもらうとしよう」
「じゃあ僕は手作りのお菓子持ってくる」
「おや、君はお菓子も作れるのかい?」
「そんなに作り慣れてるわけじゃないけど……ティータイムにお菓子は欠かせないでしょ?」
「なるほど」
 二人の仲をこれ以上深めることは、きっとお互いのためにならない。駒を進めようと思えば危険も増す、そういうリスクは望んでいない。
 ただ、想いあえればいい。友達の枠をちょっとだけはみ出して、ちょっとだけ、二人きりの時間を作って――ちょっとだけ、触れ合えればいい。
 いずれそれでは物足りなくなるかもしれないけれど、もっと多くを求めてしまうかもしれないけれど、その時はその時。
 あんな無茶苦茶な舞台だって、なんだかんだで形になった。
 だからきっと、僕たちの新しいお伽話も始められる。
 ――踏み出していいんだ、僕も。
 ぎぃ、と遠くで音がする。お手伝いさんたちが帰ってきたんだろう。
「……今日はここまでかなぁ。また近いうちに来てもいい?」
「断る理由があると思うかい?」
「……ないよね」
 お互いに顔を見合わせて笑う。
 僕たちは、思い出だけでは生きられない。だけど、思い出からは幾通りもの道が拓ける。
 今までとは違う道を、細くて曲がりくねって先も見えない道を選んでみるのも、きっとひとつの選択肢。
 ……それは多分、まだ語られていない、砂金のような可能性の話だ。

<了>