単発SS
【智×惠】
new!・想定外と豆の木(ドラマCD後の話)
・狭い夜、広すぎる朝に(観測所での話)
・楽園の包帯(惠ルート後、年齢制限要素あり)
・instinct voice(本編H1回目直後の話)
【オールキャラ(カップリング要素なし)】
・バレンタインの過ごし方。(バレンタイン話)
after Birthday ※視点は惠
act1 / act2 / act3 / act4 / act5 / act6 / act7 / act8 / act9 / act10 / act11 / act12(完)僕の考えた惠ルート ※視点は智
1 / 2 / 3 / 4 / 5 / 6 / 7 / 8 / 9 / 10 / 11 / 12/ 13/ 14/ 15 / 16 / 17 / 18 / 19 / 20 / 21 / 22 / 23 / 24 / 25 / 26 / 27 / 28 / 29 / 30/ 31 / 32 / 33 / 34 / 35 / 36 / 37 / 38 / 39 / 40 / 41 / 42 / 43 / 44 / 45/ 46 / 47 / 48 / 49 / 50 / 51 / 52 / 53 / 54(完)chapter 22
思考がセメントのように硬くなる。考えなければという焦りは逆に思考速度を鈍化させ、不安をあおる心音ばかりが耳に響く。
るいは顔面蒼白で座り込んでいる。見開いた目は全てに対して恐怖し、彼女本来の明るさは完全に抜け落ちてしまった。
みんなの顔も一様に凍りついたままだ。呪いを踏んだのがるいであっても、全員がその事実を本能で感じた以上、人ごとでは済まされない。
「あ……あぁ……いや、いやぁ……」
パニックすら通り越し、魂がこぼれるかのようにかすれた悲鳴を漏らするい。大丈夫、なんて気休めは誰にも言えない。僕らにしみついた恐怖は、楽観の入る余地を許さない。
「るい……」
「死にたくない、私、死にたくないよ……!」
「るい……さん?」
「佐知子、ここは一端戻ってくれ。食事は適当でかまわない」
「え、ええ、わかりました。でも一体何が」
「……呪い」
「!」
「浜江にも伝えてくれ」
「……はい……」
佐知子さんがあわただしく去っていく。そのリズムが崩れないかが心配で心配で、聞き耳を立ててしまう。
幸い、佐知子さんの足音はリズミカルなまま小さくなっていった。確認し、胸をなでおろす―― ほんの一瞬だけ。
「……」
会話は消えた。視線を交わすことすら阻まれ、七つの視線が全てばらける。瞑想中のような底知れぬ静けさ、けれど心の中は雑念だらけだ。砂嵐の中で迷うような、ざらついた、全身をかきむしりたくなるような本能のざわめき。やすやすと口を開けない重苦しい雰囲気にさらに追い詰められていく。
希望が沈む。絶望の底なし沼に飲み込まれる。
呪い。
僕らの命を刈り取る死神。心臓に絡みつく理不尽。一分一秒たりとも休まず、ひるまず、容赦なく、痣の持ち主を嘲笑う絶対者。
何も起きない。
まだ、何も起きない。
足から身体が腐っていくかのような錯覚に襲われる。
何も起きない。
何も起きない。
ひょっとしたら、何も起きないうちに、いや、何が起きたのか理解することすら叶わず、奪われるのかもしれない。
るいの顔を凝視する。その瞳がいつ光を失うのかと、縁起でもない予測に走る脳を戒める。
相手が命あるものならば、まだ希望は持てる。止め方が存在するからだ。
でも、呪いは生き物ですらない―― 根拠はないけれど、僕らはそう知っている。だからわからない。どうすればいいのか、どうにかなるものなのか、どうしようもないのか。
じっとりと、布が墨を吸い上げるような鈍い緊張に浸される。
むしろ、この時間こそが命を奪うんじゃないのか――
「……黒い、影」
沈黙を破ったのは、惠。
「必ず、前兆がある。奴は“現れる”」
淡々と、いや、彼女にしては露骨なほど『淡々とした演技』で、口を開く。
「奴は見せつける。自分の存在を見せ付ける。咎人の抗いを誘発し、乱し、そして刈り取ろうとする」
語るのではなく、出す。場に、情報としての発言を置く。
「……なんで、そんなことが言えるの」
「……」
「踏んだことがあるから、ですね」
「……当時の様子は、浜江が知っている。でも彼女に奴は見えなかった。さっきの様子からして、おそらく佐知子にも見えない」
惠の表情が歪んでいる。自分の服の胸元を掴み、動揺を鎮めようとしているのが見て判る。
彼女にとって、動揺している時に話すほど危険なことはない。高ぶる感情は本心を声帯へ導き、本心は呪いを呼んでしまう。
制約は今までにない重圧を持って、僕らを押しつぶす。呪いの再確認が心臓を貫く。
それでも彼女が口を開いたのは、おそらく―― このまま待つのは嫌だという意思表示。
顔を上げる。
「奴は無遠慮だ。けれど、対象者は選ぶ」
「確信できますか」
「……体験は、真実の突破口になりえるかもしれない」
沈黙と停滞は、呪いに首を差し出すのと一緒。絶望して立ち止まるのは、諦めるのと同じ。
惠の意を組んでか、あるいは再度の沈黙を防ぎたかったのか―― 花鶏が次をつなぐ。
「その話を信じるなら、狙いは呪いを踏んだ奴だけってことかしら」
「……でも、だったらどうして湯のみが割れたんでしょう? るいセンパイのだけじゃなくて、全員のが割れてます」
こよりは湯のみが割れたときのポーズのままだ。散った破片を片付けることもせず、硬直したまま口だけを動かす。
多分、破片に触れられないんだろう。割れた陶器は凶器にもなりうる。
普段は気にも留めないようなことが全て疑わしい。動くはずもないものが牙を剥いてきそうな妄想に憑かれる。
奥歯に力を入れ、勝手に回転する予想を噛み潰す。
「……呪われた七人全員が狙われている可能性もありますね。湯のみはその証拠かも知れません」
「否定はできないわ。そもそも、呪い持ちが集まっていること自体が珍しいんだもの」
茜子が論を組み立て、伊代が補足する。
「そんな……それじゃあ、私だけじゃなくて……!?」
るいはますます表情をこわばらせる。人一倍仲間を大事にするのがるいだ。自分のせいで他の誰かがなんて、考えたくもないだろう。
そして―― その仮定は『るいのせいで自分が狙われるかもしれない』という、忌まわしい連帯責任を叩きつける。
「るい、あくまで仮定だから」
「でも、でも……!」
「でも、じゃないわよ!」
怒りに近い苛立ちを爆発させ、花鶏が立ち上がる。
「大体、軽率すぎるのよ! どこまでが呪いの範囲かぐらいわかってたでしょ!? なんでよりによって、みんな集まってるときに大ボケやらかすのよ!」
「花鶏!」
「そんなこと言われたって……! 私だって、踏もうと思って踏んだわけじゃ」
「理由なんかどうでもいいわ! とばっちりなんて冗談じゃない、踏んだのは皆元なんだから、皆元が責任とんなさいよ!」
「花鶏っ!」
「花鶏センパイ!」
「……っ」
僕とこよりにたしなめられ、追及をひっこめる花鶏。本人も八つ当たりだとわかっているんだろう。苦虫を噛み潰す顔で再度腰を下ろす。
「……るい、気にしないで」
「っく……トモぉ……」
「……ちっ」
険悪な雰囲気。前も上も向けず、ひたすらに怯えるだけの時間がすぎる。
「……」
誰も花鶏を責められない。彼女はただ、皆が内心で思っていることを形にしただけだ。
呪いは、仲間の意味すら変えてしまう。
ほんの数十分前まで、僕らの語る『仲間』は幸せを分け合う花冠だった。束縛も責任も伴わない、煌びやかで魅力的な繋がりだった。
それが今―― 手錠のように、有刺鉄線のように、僕らを束縛する悪魔へと変貌している。
呪われた仲間たち―― それは、身に覚えのない理由で命を奪われるという、二重の理不尽。
「わかってる、わかってるよ……私だっていやだよ! みんなを巻き込みたくなんかない! だけど、だけど」
るいが泣きながら首を振る。駄々をこねるように床に突っ伏して、スカートを握りしめる。
出口が見いだせない。際限なく膨れ上がる恐怖が加速度的に精神を摩耗させる。
僕たちが背負っていたもの、集うことで忘れかけていたもの。
死という海に張る、薄い氷が僕らの居場所だ。そろそろ歩けば進めるけれど、走り回れば氷は割れる。いつだってびくびくして、震えてなければ生きられない。安心できる陸地なんてどこにもない。
それは、物心ついたころから本能で知っている、忌まわしき定め。
「……くそっ」
……だからって、黙って沈没なんかしてたまるもんか……!
そうだ、ここでひるんだら元も子もない。呪いと戦うって決めた、挑むって決めた。一人より二人、二人より三人、可能性は仲間の数だけ広がるはずだ。
「責任を押し付けあったところで何も変わらないよ。起きてしまったことは覆せない」
声が震えるのを無視し、恐慌を収束に向かわせるべく筋道を立てる。平常心は取り戻せなくても、なんとか、頭が回る程度に感情の揺らぎを抑え込む。
呪いの恐怖は、考えていた程度をはるかに超えている。一人で立ち向かったなら、喚き散らすことぐらいしかできないだろう。
でも、今は七人。少なくとも、このおぞましさを共有できる人が七人いる。
喚いて何が変わる? 変わらない。
それなら他の道を、生き延びる道を探そう。
「……」
深呼吸、深呼吸。呪いを踏んだ、それ以外の現状を、野生の勘で感じ取る。
誰かいる? なにかいる?
七人以外の何かは―― 今は、いない。
その確信を胸に、全員を見回す。
「惠の言う通りなら、呪いが来る時はわかるはずだよね。僕は感じないけど、みんなはどう?」
「……そう、ね。私も感じないわ」
「嵐の前の静けさとも言いますが、とりたてて不穏な気配はないですね」
「まだ、心臓バクバクいってますケド……何か来るような気はしないです」
皆が危機の不在を確認する。あくまでも『今、ここに』ないというだけだけど、闇雲に恐れるよりは発展性がある。
同意を確認し、次の段を作る。
「惠。呪いが来るときに、他に何か思い当たるようなことは?」
「……奴が来ることそのものに、前兆はない。ただ、奴が来ない限りは―― 多分」
多分、大丈夫。飲み込んだ結論を掬い取る。
「あくまで『多分』なのね」
「比較検討できるものではないから、確かなことは」
「それでも、いきなりじゃないってわかっただけでも助かるよ」
「地震予知みたいなものですね。数秒前に出たところでどうしようもないですが、心の準備はできる」
「まあ、地震予知よりは逃げやすいんじゃないかな」
「……ねえ」
頭上を飛び交う会話に、るいが顔を上げる。涙を引っ込めようとしているとはいえ、その両目は極度の不安に染まりきっている。
「呪いって……逃げられるものなの? 助かるものなの?」
当事者が最も聞きたいこと。
そして、誰にも答えようがない問いを投げかける。
踏んでなお生き残っている子はいる。僕もかつて呪いを踏み、かろうじて生き延びた。だから「助からない」とは言えない。
けれどそれは幼少期のこと。惠の言葉の選び方からするに、彼女が踏んだのも大分前だろう。
前回大丈夫だったから今回も大丈夫、そんな保証はどこにもない。むしろ『今』の方が危険な可能性が高い。
呪いは、成長に従い強力になる。僕の本能が知る呪いの特徴だ。かつての弱い呪いでさえ死にかけたのなら、今は――
でも、その考え方もまた仮定。不安も希望も全てが仮定。
だからなのか―― 惠はゆっくりと、ぎこちないながらも笑みを作る。
「るい。君には僕が幽霊に見えるかい?」
嘘ではない。呪いは、100%の絶望ではない……るいにかけられる、せめてもの気休め。
「見えない」
「それは、どういうことだろうね」
「……確認したい」
るいが惠に這い寄る。生き証人の存在をせめてもの拠り所とするために、手を伸ばす。
「うり」
頭をわしわしする。頬をひっぱり、腕を掴み、なぜか抱きつき始める。
子供が親に不安を訴える動きに似た、控え目なようで荒々しい揺さぶり方。
「うりうり」
「……」
惠は顔を赤らめつつも、身動きせずにいる。
とにかく今は、るいが落ち着かないことには何も始まらない。彼女の気のすむまで触らせてあげるのが最善の手段だろう。
「うりうりうり、うーりうりうり」
ぺしぺしと軽く叩いて実感し、また触る。同じところを何回も、一応性的な部分は避けつつも、あっちこっちと触りまくる。
……あれ……?
「……るい、その、ちょっとくっつきすぎじゃ」
「だってひっつかないとわかんない」
……なんだか動きがおかしくなってきてるような?
「……ん、メグムちゃんと生きてる。でも念のため足があるの確認する」
「あ、足って」
「幽霊には足がないもん」
「あー……うん……」
……。
いや、るいの気持ちはわからなくもないんだけど……。
「……なんだかいかがわしいね」
「メイドがご主人様を襲うの図」
「こういうときでなければ便乗してるところだわ」
るいは真剣そのものなんだけど、メイド服のせいで緊張感よりいかがわしさの方が勝っている。惠だけでなく、るいの顔も紅潮してきているからなおさらだ。しかも、るいの目にどことなくアヤシい雰囲気が漂い始めている。
なんていうか、その……百合の花の香りがしそうな雰囲気。
「靴下はいてたんじゃわかんない。脱がす」
「え!?」
唐突に。
その雰囲気がシチュエーションにクラスチェンジした。
……って、ええ!?
「なにそのフェチくさい展開!?」
「フェチじゃないよ! 靴下脱いだら足がないってことだってありえるもん!」
「いや、普通はありえないよ!」
「普通じゃないもん!」
「ちょ、ちょっと、るい!?」
問答無用。
るいが惠の靴下に手をかける。しかし正座状態から脱がすのは至難の業だ。さすがの惠もこれには慌てだす。しかし時すでに遅し。
「むー、ちょっと失礼」
「うわわっ!?」
押し倒した。
惠の上にるいが乗る。腰の上にばっちり陣取る。
……どう見ても襲ってる。
「この方が脱がしやすい」
「路線変更してる!?」
「吊り橋効果キタコレ」
「ま、待って、僕はそんな」
「やだ、待たない」
「るいー! ストップ! 惠イヤがってるから!」
あと僕も悔しいから! 色々と!
マイナス方向に振り切れた針は、反動でとんでもないところで吹っ飛んでしまった模様。
ぽいっと音が出そうなぐらい簡単に、惠の靴下が放り投げられる。白い素足を触って確かめるも、るいはまだ納得いかないらしい。
……イヤな予感。
「……ねえメグム。全部脱がして確認していい?」
「は!?」
「確認する」
「い、いやあのるい、さすがにそれは……」
「確認するったらする!」
手が詰襟の合わせ部分に伸びる。……待て! それは待て! 僕だってまだ脱がしたことな……とにかく待てーっ!
「るい、落ち着いて!」
「これが落ち着いていられるかー!」
なぜそこでキレる!
ああ、ヤバい、るいの目がヤバい。あきらかに正気じゃない。どういう気の迷いかわからないけど迷いすぎだ!
「だめ! おいたはそこまで!」
るいを後ろから歯交い締めにし、惠から引きはがそうとする。そうはさせじと暴れるるい。
惠の詰襟の前がはだけ、まっ白なブラウスがあらわになる。そこでは止まらず、さらに小さいボタンに手を伸ばす。
メイド服の女の子にのしかかられ、服を脱がされるご主人様……なんだこの逆レ○プ構図!?
「だめー! るい駄目! 駄目だってばっ!」
「駄目で済んだら警察はいらなーいっ!」
「そういう問題じゃないでしょー!?」
「く……! 私ももう落ち着いていられないわ!」
「こら花鶏! 獣の目をしない!」
「ええい、どうせ死ぬのよ、乱交ぐらい経験させなさいよー!」
僕たちの行動が刺激になったのか、辛抱たまらんとばかりに突撃してくる花鶏。三人固まった状態で身動きが取れないのをいいことに、胸めがけて手を突き出してくる。かわそうとしてバランスを崩し―― って、なぜ僕を狙う!
「やぁ! 胸触るのやぁっ!」
「ほほほほほほほ4Pよ4P! めくるめく百合の世界の4Pなんて夢のようー!」
事態、さらに悪化。
「こら花鶏! 私の胸触るなっ!」
「いいわこの際皆元でもいいわ! あなた中身はともかくいい胸してるんだもの、味見させなさい!」
「あ、あの皆、そんなに乗らないで……!」
「智もっ! 惠もっ! そうよやっぱりメイドにはエロが欠かせないのよー!」
「うわぁぁぁぁぁぁ」
花鶏二号と化したるいを前に、もはや状況は収拾不能。
「おー、メグムのブラかわいい」
「もう脱がしちゃったの!?」
視線を下げると、シンプルな中にもセンスが光るブラジャーと、上等の織物を思わせるなめらかな白い肌。触ったからわかる。ブラジャーの生地より惠の肌の方が絶対触りごこちがいい。
……何を冷静に判断してるんだ僕。
「でかしたわ、皆元!」
花鶏が歓喜の叫びを上げる。いつ結託したんですかお二人。
性的な意味での目的のためなら手段を選ばない花鶏、誰よりも強い腕力を持つるいの組み合わせはもはや凶器。僕と惠の抵抗がむなしくなってくる。
「ふふふ、予想通りのすべすべお肌……とろとろになっちゃう」
「やっぱ胸のサイズ小さいんだねー、A?」
「Bよ。寝てるから小さく見えるだけ。触りがいはあると思うわ」
「なに要らん入れ知恵してますか!?」
「……揉んだらおっきくなるんだっけ?」
「なるわよ。実証済」
「なんですかそのデータ!?」
「そうね、五、六人は検証したかしら」
「悪魔だ、悪魔がいる」
「へっへー。じゃあ目指すはCカップで!」
「あー、うー、るい、頼むから……」
「メグム、こういうのイヤ?」
「……」
答えない、のではなく答えられない。けれどそんな事情はおかまいなしだ。
「便りがないのはいい便り」
「それ意味違う! 大分違う!」
「世の中には『勝てば官軍』という素晴らしいことわざもあるわ」
「それも違う! 何に勝つの!?」
「そりゃ、智と惠を陥落させるに決まってるじゃない。ねえ皆元?」
「さんせーい」
「何故こんなときだけ仲良くなる!」
「や、るい、触っちゃ……!」
「だーいじょうぶ、痛くなーい痛くなーい」
「だからそのっ……素肌は……っ!」
「ああ、いいわ……鉄壁のご主人様が堕ちていく様……まさに最高のシチュエーション……!」
「悦に入っちゃ駄目なの! あと僕の身体まさぐるのもやめてなの!」
「バカね智。あなたも一緒に堕ちるのよ」
「みーんな、仲良く仲良く」
「恐ろしいスローガンだ……」
「やぁのー! 花鶏、その触り方やぁのー!」
……
良いのか悪いのか。いや悪い、激しく悪い!
呪いとかどうでもよくなってきた。いや良くない、巻き込まれすぎると僕も死ぬ!
悲鳴と歓喜の叫びと暴れて床を叩く音、不気味な静けさはやかましさに取って代わられる。
そんなくんずほぐれつを眺めつつ、のんきに湯のみを片付ける三名。
「追いつめられると、人間何するかわかんないってよく言いますけど……」
「シニタクナーイで頭抱えてるよりはマシですかね。僕女コンビご愁傷様です」
「止めなくていいの? 涙目になってるけど」
「いいんじゃないですか? はたから見てる分には楽しいですから」
「オトナの階段ですね……」
「ちょっとそこ見てないで止めてー!」
「よーし、鳴滝めもちょっと混ざってきます!」
「んなー!?」
「おっぱいメイドは万一の時の最終兵器に。茜子さんはタンバリンの真似事でもしましょう。シャンシャン」
「……なんか……間違ってるんだけど、間違ってない気がしてきたわ……」
―― 結局。
佐知子さんが夕飯に呼びに来るまで、僕らは真面目のまの字もなく騒ぎ立てた。
その空気を読んだのか、はたまた別の理由があるのか。
惠が黒い影と呼んだ呪いは、誰一人、一瞬たりとも感知することはなかった――
「……とんでもない目にあったね」
「恐怖は人をあんなにも変えてしまうものなのか……」
「死ぬかと思った、いろんな意味で」
毛布をかぶりつつ、ひそひそと会話を交わす。
あまりにも密度が濃すぎた一日、みんなどっぷり疲れてしまったんだろう。まだ十時近くだというのに、満場一致で『もう寝よう』ということになった。実際、まだ電気を落としてから十分と経っていないのに、隣りからはこよりの寝息が聞こえてくる。
そう。今、僕ら七人はひとつの部屋に集まって寝ている。呪いを踏んだ衝撃はバカ騒ぎで帳消しなったものの、一人で夜を過ごせるほど精神力は回復していなかった。万が一の時にそばにいてくれる誰かを全員が求め、寄り添いあった。部屋はかなり手狭になったけど、それが却って一体感を演出し、不安を薄めてくれている。
僕はちゃっかり、惠の隣の位置を獲得。真っ暗なのをいいことに、こっそりとスキンシップしている。スキンシップといっても、手を握るとか髪を梳くとか、その程度だ。歯止めがきかなくなっても困るし。
「……その、智、今日は……その」
色々思い出したのか、頬を染めて口ごもる惠。
「……まさかあそこまで脱がされちゃうとは思わなかったよね」
「どの時点で止めればよかったんだろう」
「何やっても止まらなかったと思う、あの状態」
「……そうかもしれないね。でも、君はいい気はしなかっただろう?」
「ぶっちゃけやきもち妬きました、三十枚ほど」
「妬きすぎだよ」
「あれで妬かずにいられますか」
「……うん……そうだね」
握った手に力を込めて、身体を丸めて縮こまる惠。思った以上にショックは大きいみたいだ。ああいう風にアプローチされたことなんてなかっただろうからなぁ……。
まあ、仲間うちでの出来事だし、こより乱入のおかげで未遂に終わったし、状況が状況だったから、そんなに凹まなくてもいいと思う。
思うんだけど、惠の凹み方はなかなかに重症。明らかにしおれてしまっている。罪悪感まで感じているみたいだ。
……何もそこまで……って、待てよ?
ふと思い当たり、半分カマかけで聞いてみる。
「ひょっとして、僕以外には肌を見せたくなかった、とか?」
「!」
一気に赤面する。図星らしい。
……図星なんだ……なんて初心な。
「惠、普段の露出度も低いもんね。みんなとお風呂に入ったこともないし」
「……ああ」
「まあ、僕は先に全部見せてもらってるし、気にしなくていいよ」
「……恥ずかしいことを」
「事実ですから」
僕以外に素肌を見せたくない―― そんな風に落ち込んでしまう惠がかわいくて、愛しい。
もともと、彼女は冷めてるんじゃなくて、人と距離を置くことを義務付けられているだけだ。今回みたいに踏み込まれると弱いんだろう。無下に断るのもアリといえばアリだけど、るいに本当のことを言わずに抵抗すれば面倒なことになるのは自明の理。るいは正直な物言いを好むから、言いたいことが言えない惠にとってはちょっと辛い相手だ。輪を乱したくないと気遣った結果、るいの好きに遊ばれるハメになっちゃっただけ。
……うう、ずるいぞ、るい。わかってても、ちょっと悔しいぞ。
独占欲が頭の中で芽を出す。
みんなにバレないように気をつけつつ、惠を抱きしめる。
「あ」
「……ちょっとだけ」
あったかい。
僕の大事な人。ずっとずっと抑えていた心が、やっと芽吹いた人。僕らに出会うまで荒野だっただろう心象世界に、素直さとあどけなさの花を咲かせた人。
彼女が感情を閉ざしていれば、今日みたいなことにならなかった。そう思うと、るいと花鶏のおいたも許せる気……はあんまりしないけど、気にしないと努力することはできそうな気がする。
「……智」
ためらいがちに、惠が背中に手を回してきた。
キスは我慢。ただ抱き合って、間近な吐息の音を聞く。
ほんの数分、触れ合った僅かな部分だけ、僕らの体温が同じになる。
欲望に火がつく前に離れる。すっぽり空いた腕の隙間に残るぬくもり。
「……今日はここまでね。みんな起きちゃったら大変だ」
「ああ。今日以上の修羅場になっては困る」
「……ネタとも言い切れない悲しさよ」
昨日のうちに、僕らの関係は秘密にしておこうと打ち合わせ済みだ。下手にばらすとそこから芋づる式に僕の呪いに繋がる危険があるし、女の子として可愛くなる惠を一人占めしたいという気持ちも強くある。
今日、大分みんなに見せちゃったし、あれ以上は絶対見せたくない……そんな風に考える僕は、本当に参ってしまっている。
「そういえばさ、惠」
ジェラシーをひっこめるのも兼ねて、話題を変えるべく問いかける。
「昼間、何か言いかけてたけど」
「……?」
怪訝な顔をする。どうやら覚えていないらしい。
「あの、ほら。メイド服干してるとき」
ぬ、と考えたように視線をそらし、三秒。思い出したか、優しげな視線を合わせてくる。
「……ああ、あれか。大したことじゃない、気にしないでくれ」
微笑みながらも、内容は遠回りなお断り。でも、そう言われると気になってしまうのが人間の性だ。
「気にするなって言われても、気になるよ」
はぐらかそうとするのを止める。ついでにしっかり手を握る。
僕が折れないとわかり、困ったように目を伏せる惠。間を置いて、すまなさそうに首を振る。
「今も間が悪いんだ。この騒動が落ち着いてからでは駄目かい?」
「……呪いに関することなの?」
「幸福なる未来について、かな」
「むぉ」
変な声が出た。
否定も肯定もしない、そして単語のセレクトは破壊力抜群。いつもの手だけど、僕の脳は正直に反応する。
言葉につられ、思考回路が短絡的な幸せな未来を描く。まだ何にも考えてない分、やたらにストレートな未来予想図。
青空にまっ白な教会、色とりどりの花のアーチに舞う白い鳥に……脳内ビジョンで惠がタキシードを着てるのはなぜだろう……?
「……キザめ」
「あはは」
「もう」
頭を軽く包んで、引き寄せる。おでこに唇で触れる。
「へへ、デートの時のお返し」
「覚えていたんだね」
「うん。あと、君が噴水にコイン入れるのも見てたよ」
驚きに目を見開き、一気に顔を赤くする惠。照れているのとはまた違った困惑顔に、胸が気持ちよく締め付けられる。
……気付かないはずがない。彼女が投げないなら、僕が投げようと思っていたんだから。
「意外に、ジンクスとか信じる方?」
「……天にまします神様よりも、恋人たちの煩悩の方が効果がありそうじゃないか」
「まあ……そうかもね」
拗ねた風に顔をそむける惠。そんな表情を作れるように、見せてくれるようになったのが嬉しい。
「神社仏閣なんて行ったら、簡単なことも難しくなってしまいそうだ」
「せっかくだから初詣は行こうよ。おみくじ引きたい」
「……大凶が出なければいいんだけど」
「大丈夫、気のきいた神社なら吉から上しか箱に入れないから」
「ビジネスだね」
「それでも大吉が出れば嬉しいでしょ?」
「なるほど」
遊ぶような未来の語らい。甘さだけでできたやりとりは、伊代辺りが聞いたら不謹慎だと腹を立てるかもしれない。
……もちろん、二人とも呪いのことを忘れたわけじゃない。それが証拠に、身体から緊張感が抜けずにいる。
それでも幸せを口にするのは、半分は現実逃避、半分は祈りからだ。
語らないことは実現しない。マイナスのことばかり言っていたら、道は悪い方へとひきずられる。
だから僕らは口にする。何の不安もない、明るく心躍る明日を語る。
……大丈夫。
今日一日なんともなかったんだ。
呪いはきっと来ない。
呪いさえ来なければ……僕らはこうして、安らぎにまどろんでいられるんだ。
「何にもなかったねー」
さわやかな朝。小鳥がさえずり朝日が差し込む中、るいがぐぐっと伸びをする。
起きてくる先から確認したけど、みんな怖い夢を見たとか寝付けなかったとかもなく、一様に元気そうだ。
「昨日の騒ぎで出てくる気なくしたのかな?」
「オバケは怖がる人のところに出るんですよ」
「むにゃ……あら、早いのね……くぅ」
「起きろ花鶏! もう朝だよ、朝ごはんだよ!」
「朝とごはんが直結なのね」
「さすがはるい」
「そろそろ準備ができるころだ、確認してこようか」
「いいよ、みんなで行こう」
床で寝たにしては、身体に痛いところもない。それこそ近年まれにみるいい朝だ。昨日が遠い昔のことのように感じられる。花鶏ぐずぐずさえも微笑ましい。
「ほら、起きなさい!」
「ぐー……もうちょっと……」
「だーめ、ほら花鶏」
掛け布団を放り出し、ベッドから引きずり下ろす。ごろごろ芋虫のように転がって、ようやく起き上がる。
「んー……おはよう」
「おはようございます、花鶏センパイ」
「相変わらず寝起き悪いね」
「惰眠は貴族のたしなみよ……ふぁ」
「そんな貴族は嫌だ」
一応起きたものの、再びベッドに向かう花鶏。
「起きたらさっさと着替えて! ほら、顔も洗わないと!」
が、花鶏の二度寝は伊代によって阻まれた。半ば強引に立たせて座らせて準備を整えさせる伊代。その指示の出し方は拍手したくなるほどテキパキしている。花鶏を洗面所に引きずっていって帰ってくるまで約五分。早い。
その間に積まれた毛布により、ベッドは完全に二度寝不可仕様になった。
「……」
ちょっと不満げな花鶏。でもここまでしないとまた寝るからなぁ。
「ま、朝はみんなそろって食べるからこそ意味があるということで」
「……しょうがないわね、智がそう言うなら」
しぶしぶながらも了承してくれた。ほっと一息。
「さて、じゃあ次は茜子を起こすとしようか」
茜子はクローゼットの中だ。寝ている間ほど無防備で危険な時間はないからと、最初の日のようにクローゼットを陣地にしている。彼女が寝起きが悪いという話は聞いてないけど、今この場にいないということは、まだクローゼットの中にいるんだろう。疲れて寝過ごすことは十分に考えられるし。
るいが何の気なしにクローゼットに近寄る。
「おーい、アカネ――」
「!」
背筋が。
コンマ数秒の間に、背筋が凍る。
「―――― るいっ!」
惠が叫ぶ。
最初に反応できたのは経験者故か。
でも、出せたのは声だけ。
僕らはそれすら叶わず、現れたそれを知ることしかできない。
黒い影。
黒、いや違う、この世の色を全て混ぜて煮詰めた、重油のようにぬらりと光る混沌の色。
象られている。
髑髏のような、もっとおぞましいもののような、とにかく一瞬にして僕らを戦慄させるそれが――
クローゼットに。
茜子のいるクローゼットにべったりと張り付いている――!
「、、、」
動きはスローモーションだ。そして奴の出現とセットだ。
一秒がコマ送りになって迫ってくる。
迫ってくる。
茜子を乗せ、重さ数十キロに達するクローゼットが、まるでドミノのように軽々と傾く。
るいの上に。
るいの上に、クローゼットが――