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after Birthday ※視点は惠

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僕の考えた惠ルート ※視点は智

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chapter 23 


 クローゼット、いや、洋服箪笥か。屋敷の年月にふさわしい重厚な作りのそれは、ハンマーが降りおろされるような無慈悲さでるいに襲いかかる。
「――――!」
 悲鳴さえ出ない。時が無限大に引き延ばされるような錯覚、その中でも僕らは遅すぎる。
 カメラの連写機能を思わせる、場を頭に刻み込む感覚。僕の動きは水の中にあるように鈍く、るいの危機まで届かない――
「はっ!」
 花鶏。
 気を吐く短い叫び。
 視界というコマに花鶏の手が入る、
 腕が伸びる、
 るいの服が引かれる、
 勢いでるいの身体が斜めになる、
 迫る木目の悪魔、
 倒れる、
 狭まる隙間からるいが滑り出る、
 耳が割れる音、屋敷の縦揺れ、収まる、張りつめたまま、時間は再び動き出す――
「ま、間に合った……!」
 花鶏が冷や汗を拭う。るいはへたりこんだまま花鶏を見上げている。見たところ、怪我はない。逃げられたか? いや、まだ何か――
「!」
 一瞬、奴が見えた。
 次の出現箇所は窓、窓ガラスに蜘蛛の巣のヒビ。窓のそばには――
「伊代! 窓から離れて!」
「!」
 後ずさるのと、ガラスが割れるのはほぼ同時。一瞬前まで伊代が立っていた位置は破片のはけ口と化す。
「う、うそ……!」
 気づくのが一瞬遅かったら―― 考えたくない未来が脳を直撃する。
「いる」。奴が、呪いがいる。どこだ? 目をこらしても見えない、倒れたクローゼットにも、割れた窓にも今はいない、じゃあどこに――
「いやぁぁぁぁぁぁっ!!」
 悲鳴は膝下から。
「茜子!?」
「出してください、ここから出してくださいっ!」
 クローゼットを叩く音が鳴り響く。茜子が今までになく激しい動揺を叫ぶ。完全にパニックに陥っている。
「茜子、大丈夫!?」
「影が! 呪いが! いや、助けて……!」
 中に出たのか!? 茜子を狙ってる!?
 まずい。
 今、クローゼットは扉を下に倒れている。茜子を助けるにはクローゼットを再び立てるしかない。
 でも、立てたらまた倒れるんじゃないか―― 恐怖に占められた懸念がためらわせる。その間にも茜子の悲鳴はますます大きくなって、どんどんかすれていく。
 ――ええい、ままよ!
「立てるよ! みんな手伝って!」
「わかった!」
「はい!」
 六人がかりでクローゼットを支え、起きあがらせる。
 ゆっくりと、しっかりと元通りの位置に戻し――
「きゃぁぁぁあっ!」
 今度はこよりの悲鳴。視線の向く先はクローゼットの上。
「、」
 目が合った。
 あるはずもない奴の視線が背筋を瞬時に凍り付かせる。

 ノロイ。

「ぐっ!」
 急激に、腕にかかる重みが増える。
 奴が、クローゼットに乗っている……!
「こ……のぉ……!」
「何これ、急に重くなった……!?」
「耐えるんだ! 奴が来てる!」
「や、いやぁ……!」
 奴と僕らの力比べ。
 六人の力を持ってしても、容易には逆らえない。腕が、手が限界だと訴える。
 初めて真正面から相まみえる死神は情け容赦なく、そして思い切りが悪い。じわじわと責め立てて、僕らからエネルギーを搾り取る。
 腕が外れそうな重み。手の骨が割れそうなほど、クローゼットが手に食い込む。
 ……負けてたまるか!
「茜子! 大丈夫だから、大丈夫だからね!」
 答えは扉を叩く音。僕らがいることに希望を見いだしたか、さっきよりは若干音が小さくなっている。
 ……弱っているからではないと信じたい。どっちにしろ、長い時間はかけられない。
「一気に上げるよ!」
 かけ声をかけ、全員の意志を統一。
「「せーのっ!」」
 天井に押し出すようにして、クローゼットを立てる。
 倒れてこないよう、花鶏と惠が前面を支える。
 二人の表情からして、今度は変な圧力がかかっているわけではなさそうだ。
 乗り切った……か?
「……まだいる……!」
 るいがかすれた絶望的な声を出す。
「あそこ……!」
 指さす先は天井とクローゼットの間。隙あらば命を奪うと虎視眈々と狙っている黒い影。目などあるはずもないのに、鋭い視線めいた圧力が僕らを射抜く。
 消す方法を探している余裕はない、とにかく逃げるしかない。
 野生の本能じみた危険信号が全身を支配する。
 逃げたい。今すぐこの部屋から飛び出したい。
 だけど―― 今僕らが去れば、犠牲になるのは茜子だ。仲間を見捨てるなんてできるわけがない。
 逃げるなら、みんな一緒でなきゃだめだ!
「開けるよ、茜子!」
「……はい」
 支えている二人の間に入り、扉の取っ手に手をかける。
 意を決し、扉を引く……びくともしない。
「動かない……!?」
「カギでもかかってるの……?」
「いや、これにはカギ自体ついていないはずだ」
「そんな……なんで!?」
「いや、いい。開ける。こじ開ける」
 奴は外側から内側から忍び込み、僕らの感情を乱してくる。強固な意志をもたなければ、負の感情は再現なく膨れ上がってしまう。それでは相手の思うつぼだ。
「茜子。少し乱暴に開けるから、念のために防御しておいて」
「……わかりました、ミノムシで待ちます」
「よし。じゃあ、るいとこよりはそっちの取っ手を引いて。僕と伊代がこっちを引く。花鶏と惠はクローゼット支えてて」
「了解」
「思いっきりやりなさい」
「……わかった」
「お手伝いします」
「急がないとね」
 場にいる全員が頷く。それぞれが持ち場につき、ありったけの力をこめる。
 奴は――ノロイは動かない。
「いくよ! せーのっ!」
 力を爆発させるイメージで、取っ手を引く。
 そして――
 木が割れる耳障りな音と共に、二つの扉がクローゼットから飛び出す!
「うわぁっ!」
「うぉ!?」
「ひゃぅぅっ!」
 勢い余ってすっころび、お尻をしたたかに床に打ちつける。じーんと染みるような痛みが尾てい骨のあたりまで広がる。視界には……板。
 ……板?
「は、外れた……!?」
 予想外の事態に横を向くと、るい達の方の扉も同様に外れてしまっていた。僕に同じく、呆然と扉だったものを見つめている。
「壊れた……」
「でも、普通こんな風に扉は外れないですよね……?」
 こよりもぽかんとしている。
「……金具が溶けてるわ」
 花鶏が金具部分を指差す。
 言われて見てみると、蝶番の部分が溶け、一つの固まりのようになってしまっている。これじゃ扉が動くわけがない。
 制作時の欠陥……じゃない。溶け方が明らかに異常だ。
「……昨日はこんな風にはなってなかったんだよね?」
「なってませんよ。なっているならそもそもこの中に入れません」
 トーンの低い声は開け放たれたクローゼットの中から。茜子は毛布にしっかりくるまれつつ、ちょこんと正座している。打ったのか、ちょっと鼻が赤い。
「アカネ! 大丈夫!?」
「乱暴者たちの無粋な真似のせいであちこち打ちましたが、まあ、助かりました」
 ジト目で僕らを見回しつ毒舌をふるう。落ち込んでいる時には絶対に出ないだろう切れた言い回しが、逆に僕らを落ち着かせる。
「うう〜、よかった、よかったよぉ……!」
「私もよかったです。理不尽に昇天した挙句このおっぱいに延々と懺悔されると思うと成仏したくてもできません」
「なんかいろいろ混ざってる」
「困った時の神頼み。最後に頼るのは人間ですが」
「神様泣くよ」
「ほんとよかった、よかったぁ」
 るいが泣き出す。
 本当は抱き合って喜びたいところだろう。でも、茜子の呪いはそんな支えあいや慰めも許さない。
「……消え、た……ですか?」
 こよりがノロイのいた場所を凝視したまま、ぽとりとため息をもらす。
 確かに、背骨を舐めあげられるような悪寒が消えている。
「逃げられた……の?」
 確認のように、疑問のようにつぶやく伊代。
「まだ油断はできないわよ」
「とにかく、この場を離れよう。この屋敷は物が多い、安全とは言えない」
 慎重な態度の花鶏と惠。こよりも伊代も安心を求めたものの、楽観視はしていない。
 みんな口には出さないけれど、本能で感じ取っている。
 ノロイは今は消えている。でも、まだ何も終わっていない。気まぐれな死神は、次の機会に備えて鎌を研いでいる――


 緊張のあまりほとんど味のわからない朝食を終え、僕らが向かったのはたまり場だった。開けた屋上のここなら、何かが倒れてきたり飛んできたりといった心配はしなくてすむ。
 朝の天気そのままに、晴れ渡った青空。ぽつぽつと浮かぶ雲は舞うように伸びやかな形を作っている。
 けれど、僕らの気持ちは欠片も晴れない。先の経験は未来に暗雲を立ち込めさせ、両肩にずしりと重圧を乗せてくる。
 ビル風が抜ける音がするたび、振り返ったり、顔をこわばらせたり。まともに話ができるまで、一時間以上かかっただろうか。
「……考えるしかないよね」
 意を決し、口火を切る。
「良きにつけ悪しきにつけ、事態は進んでる。呪いが実際に出てきた今、昨日までとは違った対策も取れるはずだ」
「まずは敵を知ることから、ってわけね」
「うん」
 花鶏が乗ってくる。尊大なポーズを崩さないあたり、さすが。彼女は待つのが大嫌いなタイプだ、ただ黙ってるなんて我慢ならないだろう。
「知ることからって言われても……ただもう怖くて、何がなんだかわからなかったです」
 こよりは体育座りの姿勢で視線を落としている。ほとんど目を閉じている状態、自分の半径一メートル以上は見たくないとばかりにうつむいてしまっている。茜子はこよりから三メートルぐらい離れた位置で正座し、目を閉じている。コンクリートに直だから座り心地は悪いだろうけど、立っているよりは安心できるのかもしれない。
「わからないことも多いけど、情報が入ったことは確かよね。アレが見えるってことが証明されただけでも大きな進展だと思う」
 伊代も珍しく座っている。ちょっとだけ顎を上げた姿勢。空を眺めているわけではないけれど、まっすぐでもない。
 るいはいつもの定位置、縁のちょっと高くなったところに座り、やっぱり上を見ている。僕と惠、花鶏は立ち、視線はまっすぐ。まっすぐ前を見ていれば、この建物の高さを意識しないで済むから。
 それぞれが、無意識に、あるいは意識的にいつもと違う方向を見ている。その目的はただひとつ、ここが地面から離れた場所だと意識しないためだ。
 数刻前の体験は、天井の染みがオバケに見えるレベルの過度の危機探知能力を呼び寄せてしまっている。慣れ親しんだたまり場も例外ではなく、危機の宝庫に感じられてしまう。ここに来るまでも大変だった。自動車のクラクションが、自転車が止まるブレーキの音が、雑踏が、片っぱしから凶器に思えた。こんな状態、三日も続けば参ってしまうだろう。
 やっぱり、黙っていても何も始まらない。動かなければ、希望も見えてこない。
「さっきの状況を整理しよう。何かしらの法則が見つかるかもしれない」
「そうだね」
「……」
 るいは座ったまま、微動だにしない。口も開かない。
 彼女を取り囲むのは、獣にも似た刺々しいオーラだ。攻めるためではなく、守るため、生きるための、苦悩じみた気合。
 るいの心情はいかばかりだろう。過ぎたことを言っても仕方ないとわかっていても、非情な現実は後悔の津波を引き起こす。謝ることすら雰囲気を乱し、逆効果になる。下手に前向きな態度はみんなに余計な心配をかける。ただひたすら、薄められ、引き延ばされた一秒一秒を耐えることしかできない。今のるいはまさに八方ふさがりだ。
 ……そんな状態を長引かせたってしょうがない。僕らは仲間。るいを助けたいと思うのも、そのために行動を起こせるのも、このたまり場に集ったメンバーだけだ。
 仲間を巻き込む―― それは、一人じゃないことの証拠でもある。
「じゃあ、まずは『誰が狙われてるのか』から。あと、襲ってくる範囲も考えるべきだと思う」
「範囲?」
「言ってしまえば……何人襲えばノロイは気が済むのかってこと」
「……なるほどね」
 おそらく、『他の呪い持ちが身近にいる状態で呪いを踏んだ』という状況は、これが初めてだろう。僕らにとってはもちろんだけど、ひょっとしたら呪いにとっても初めてのことかもしれない。
 呪いは誰を、どのぐらい、どうやって狙うのか。
 その視点で今朝の出来事を振り返れば……推論はいくつも立つ。
「今朝の様子からするに、ノロイはるい一人を狙ってるわけじゃなさそうだ」
「そう……ね。クローゼットの様子からして、茅場も狙われてたと考えた方がいい」
「じゃあ、一回踏んだら全員狙われちゃうんですか!?」
「そうとも限らないんじゃないかな。奴が乗っていてもクローゼットは持ち上げられた。全員を狙うなら、立ちかけたクローゼットを倒すことだってできたし、最初に持ち上がったところで支えきれないほど重くすることだってできたはずだ」
「……調整してたってこと?」
「その可能性は否定できないだろう。立て直した時、再度倒れる兆候はなかったから」
「あの時、クローゼットの前にいたのは私と惠よね。で、倒れてこなかった」
「人数が決まってるのかもしれないわ。一回に付き一名とか」
「立て直した直後に倒せば、二人に被害が出るから動かなかった……確かに、一理あるかもしれない」
「最初に倒れたとき、クローゼットの前にいたのは皆元だけよね?」
「……うん」
「とすれば、可能性は高いわね。呪い持ち全員を狙うけど、一度に狙うのは一人に限る」
「……それだと、クローゼットの中で私が狙われたのも納得がいきますね。クローゼットにいたのは私だけでしたから」
「あの中では、何が」
「うまく言えませんが……息もできないほど何かに押されて、内臓がつぶれそうになりました。ただ、クローゼットが再度傾いたときに薄れてくれましたが」
「傾く……ってことは、僕らが持ち上げ始めてからだね」
「ターゲットは常に変動するということか」
「あるいは、見分けがついていないのかもしれない。ノロイに人間並の判別力があるかどうかもわからないんだ。呪い持ちのカテゴリでくくって、その都度狙いやすい人を狙ってるなんてことも」
 漠然とした存在だったノロイが、次第に形作られていく。推測の域を出ないものの、積み重なる考察は僕らを守る盾となる。
 恐怖を乗り越える手っ取り早い方法は、その恐怖の正体を理解することだという。恐怖心と好奇心が学問の原動力、「知る」ことが何よりの精神安定剤。一足飛びに解決策までたどり着けなくとも、相手を知ることができれば余裕ができる。だからこそ、僕らはこうして語り合っている。
 三人寄れば文殊の知恵。じゃあ七人だったら?
 一人ではできないことが、みんなならできる。対話は、呪いと戦う数少ない手段のひとつだ。
 当事者のるいは黙ったまま。だけど、瞳に溜め切れないほどの恐れがほんの少し薄らいできたように見える。
「一回につき一人がルールだとするなら、守るのも一人だね。それならなんとかなるかもしれない」
「アレがそんなに律儀なものかという疑問は残るけど」
「いや、逆かもしれない。例えば、奴がシステム的なもので融通が利かないという考え方もできる」
「融通が利かないから、条件が揃わないと発動しない……とすれば、ある意味弱点になるかな」
「そうでもないわよ。呪いから逃げるためとはいえ、四六時中誰かと一緒にいるなんて実質不可能でしょう」
「用を足してるときに出られたら終了ですね」
「……最悪だそれ」
 冗談も混ざり始める。和気あいあいには程遠いけれど、比較的スムーズに言葉が出るようになってきた。
「あとは、アレがいなくなる条件が気になるわ。完全にランダムなのか、法則があるのか」
「四六時中出ずっぱりじゃないのは確かだね」
「法則があるとするなら、それが判れば格段に楽になるけど」
「何時間逃げ切ればクリアとか、あればいいんですが……」
「可能性はあるよ。そこも注目ポイントになるかも」
「相手はヒマだろうけど、いつまでも追い続けるんじゃ飽きるでしょうしね」
「どこぞのエロ属性特化型没落貴族よろしく怠惰な奴だったらいいんですけど」
「誰が怠惰ですって?」
「自覚がありましたか。それは何よりです」
「ぐぬぬぬぬ」
「まあ、花鶏も茜子も抑えて抑えて」
 こうして話していると、立ち向かえる気がしてくるから不思議だ。特効薬はなく、脅威も変わらないけれど、仲間の存在が活力をくれる。
 呪いという、決して明るくはない共通項で集った僕たち。けれど、いくつもの時と経験を超えた今、繋がりは絆へと変わった。利用しあうための同盟は、支えあうための仲間へ。一方通行の利害から、共に分かち合うギブアンドテイクへ。
「まとめると、ノロイが狙うのは僕らの中の誰か、ただし狙うのは常に一人。二人以上が犠牲になる状況下では出てこない、ってところかな」
「推察の域を出ないけど、そんなところかしらね」
「……異議あり」
 茜子が控え目に手を挙げる。
「何? 茜子」
「アレが誰でもいいとは限りません。惠さんがかつて踏んだ時、私たちは『誰かが呪いを踏んだ』ということさえ気付かなかったんですから」
「そういえばそうか……」
「あっちとしても、気配を感じさせることなく襲えるなら、その方が好都合のはずです」
「……うーん」
 言われてみれば、そうだ。本当に誰でもいいのなら、警戒心のない子を狙うのが一番確実ということになる。とすれば……どういうことだ? 呪いを踏んだと知ったメンバーが対象になるとか?
 ビル風が鳴る。スカートが、髪が風にあおられる。
 思案。やっぱり、『狙われる条件』はハッキリさせておきたい。自分に降りかからないためにも、降りかかる誰かを守るためにも、ターゲットの先読みは重要だ。
 ぐるぐるする頭を整理しようと、空を見上げる。まったくもっていい天気。僕らの心情などお構いなしに澄み切った空に悠々と浮かぶ雲。
 雲――
「あ……!」
 雲。
 黒い、雲。違う、霞? 違う、煙? 違う、見た目は似ていてもそれは空中に漂う無害なものではなく――
「あ――」
 僕につられて上を見上げたるいの背がのけぞる。
 手が滑る。
 背とビルの角度が九十度を超える。
 コンクリートから宙に投げ出された腕はその勢いのままに、
 
 るいの、
 身体を、
 地上に、
 引きずり、
 下ろし……

「―― るいセンパイっ!」
 こよりが動いた。
 小さな身体が弾丸になる。
「っえぇぇぇぃっ!!」
 掛け声一閃。
 迷わずに、るいの腰目がけてタックルをかける!
「うぉぁ!?」
 勢いよく吹っ飛ばされ、倒れこむるい。乗っかる形でこよりも倒れる。
 二人が飛んだのは僕らのすぐそば。落ちようがない、広く安定したコンクリートの床の上。
「……っは、はぁ……ま、間に合ったです……」
 こよりが息を吐く。るいはまたもや目を見開き、石のように固まっている。
 ノロイ――
「……また、消えたわ」
 伊代がつぶやく。
「……」
 沈黙。
 ノロイは、どこにでも現れる。
 飛ばすものが何もなくても、揺らすものが何もなくても、僕らを殺す方法を持っている――
「……るい」
「……」
 声をかけても無反応。ぺったり屋上に張り付いて、身動きひとつしない。どこか打ったのではなく、起き上がりたくないんだろう。
 顔はあえてのぞきこまないようにした。きっと、見られたくないだろうから。
「……今ので、ほぼ確定したわね」
 花鶏がるいを一瞥し、息を吐く。
「伊代も同じようにへりに座ってたのに何ともなかった。他メンバーも別にぐらついたりしてないわ。皆元だけが落ちそうになった」
「……」
 花鶏に視線が集中する。
「つまり―― 最初に狙うのは皆元、つまり呪いを踏んだ張本人。周りに呪い持ちがいれば、張本人を狙った後に狙いを定めてくる」
 肯定の返事はない。
 けれど、誰もがその推論の正しさを認めていた。
 るいのそばにいればノロイに狙われる……悪魔の条件。
「……そん、なの……」
「……わたしが、いなくなればいいんだよね」
「るい!」
 寝っ転がったまま、掠れた声を出するい。言葉は確認ではなく捨て台詞。
「そうでしょ? ノロイが私を狙うなら、私さえいなければみんな助かるじゃない」
「馬鹿なこと言わないでよ!」
「馬鹿じゃないよ! 私が踏んだんだもん、花鶏の言うとおり、私が責任取らなきゃいけないんだよ!」
「責任って……あなた死ぬ気なの!?」
「やだよ! 死にたくないよ! だけどそれしかないっていうなら、しょうがないじゃんかぁ……!」
 肩を震わせ、るいが泣きだす。
 今日、これで二回目だ。
 いつもいつも明るくて、場を盛り上げてくれて、力自慢で足も速くて頼りになる、るい。
 だけど、彼女だって普通の女の子だ。喉元に死神の鎌を突き付けられても笑い続けるなんて、できっこない。
 そして、この弱り切った姿はるいだけのものじゃない。
 呪いを踏んだら、誰もがこうなる。狙われる。今身体を丸めて泣いているるいは、明日の自分かもしれないんだ。
 ノロイから逃れる術が見つからない限り……誰もがいつかはこうなる運命を背負う。逃げても逃げてもゴールが見えない、ただひたすら消耗するだけの地獄のマラソン。
 るいの嗚咽が屋上に響く。慰めすら浮かばず、みんな立ちつくす。
「……呪いを解くしかないんでしょうね」
 茜子が口を開く。
「茜子」
「みなさん言いたくなさそうなので、あえて空気読まない発言しました」
 まぶたを伏せ、わざとらしくため息をつく。
 ……茜子は、いざというときの勇気がある。わかっていても言えなかったことをあえて口にしてくれる。心が読める故の行動だろう。空気よりさらに明確に『場を読める』彼女は、膠着状態に風を送る。
「それしかないのかもね……こうなった以上、今までどおりに過ごすことは難しいでしょうし」
「元々、来週には呪いについて調べようって話になってたんだ。そういう時が来てるんだよ、きっと」
「ちょっとコワイですけど……それでるいセンパイが助かるなら」
「……思いっきり反対しにくい雰囲気を作ってくれるわね」
 憮然とする花鶏。でも、こうなった以上は彼女にも納得してもらうしかないだろう。彼女だって、るいを見殺しにしたいなんて思ってないはずだ。
「まだわからないよ、花鶏。解き方を探るうちに、呪いから逃げる方法とか、才能を残したまま呪いだけ消す方法とかが見つかるかもしれない」
「あまり期待はできないけど。まあ、協力しないでこいつに祟られるのも面倒だしね」
 面白顔一歩手前ぐらいまで眉をひそめ、がっちりと腕組みをしながら、とことんめんどくさそうに受諾を吐き出す。
 一応の承認は得られた。後は惠。視線を送ると、深く頷く。
「るいを助けたい、それはみんなの願いだ。願いに向けて邁進するのは当然じゃないかな」
 全員が、賛成を口にする。
「……聞こえたよね? るい。僕らは君を見捨てたりしない。仲間だもん、君を助けるためなら何だってするよ」
「……トモぉ……みんなぁ……」
 へばりついたまま、しゃくりあげるるい。その頭を軽く撫でてあげる。
「善は急げだ。みんな、心当たりはある?」
 あえて声を大きくし、呼びかける。
「私はネットで調べるわ。その気になればハッキングもできるし、ネットにある情報ならいくらでも集められる」
「え、伊代ってハッキングできるの!?」
「……まあね、それが私の能力だし」
「そうなの!?」
 あまり嬉しくなさそうに告白する伊代。
「うん。道具の使い方がわかるっていうのかな、一目見るだけでいろいろ使いこなせちゃうの。フェアじゃないから普段は使わないけど、今回は話が別だから」
 フェアじゃないから……なんとも伊代らしい答え。でも、肝心な時には使ってくれるあたりもやっぱり伊代だ。
「鳴滝めは……お姉ちゃんに聞いてみます」
 こよりはうつむきがちに提案する。
「お姉ちゃん? なんで?」
「私のお姉ちゃん、貿易とかいろいろ手広くやってる会社で働いてるんです。有名な会社だし、珍しいものの情報も集まってくるみたいだし……お役に立てるかはわからないですけど」
「うん、それは心強いよ。呪い持ちは僕らだけとは限らない、海外にそういう人がいる可能性だってあるし」
 僕ら以外の呪い持ちの存在―― いる可能性は高いと思う。まったく同じ呪いでなくても、似たような例が海外にあったっておかしくない。こよりのお姉さんのことはよく知らないけど、僕らでは手に入りようがない資料が手に入ったりするなら万々歳だ。
「茜子さんは猫会議でもしましょう」
「……猫なんですか」
「猫をあなどってはいけませんよ? 裏社会の人間共の話の盗み聞きぐらいお手のものです」
 なるほど。猫会議の信憑性はともかくとして、盗み聞きできるスポットがわかるならそれも重要な情報源になりうるかもしれない。
「あまり無茶はしないでね」
「ええ、ほどほどにしときます。にゃおー」
「惠はどうかな、アテはある?」
「屋敷は古いからね。思わぬ掘り出し物に賭けてみるのも悪くないだろう」
 確かに、あの屋敷にはまだ秘密がありそうだ。姉さんがいることから考えても、呪い関連の書物がある可能性は高い。
「あとは、花鶏……」
「……アテはあるわよ。とびっきりのが」
「あるんだ!」
「ええ。めったやたらに触れていいものじゃないから気乗りはしないけど」
「できる範囲でいいよ。今はとにかく情報が欲しい」
 それぞれが、それぞれの方法を提示する。見事に被らないのが不思議だ。これもまた、呪いを解けという運命の流れなのか。
「智センパイはどうするんですか?」
「僕はとりあえず図書館かな。オーソドックスに」
「ヒネリのない」
「王道、定番は偉大ですよ」
 ……言ってみたものの、僕が一番ショボい感じなのは否めない。まあ、これだけ呪い持ちが集まってる街なんだ、郷土史あたりにヒントがあるってことだってあり得るじゃないか、多分。
 一通り、自分の担当を確認。あとはるいをどうするかだ。彼女にも何かアテがあるなら協力を頼みたいけど、この状態から立ち直る方が優先だろう。
「……るい、どうする?」
「……逃げる」
「え?」
 るいが身を起こす。赤い目をこすりこすり、睨むように僕らを見上げる。
「真っ先に私を狙うんでしょ? だったらあれの行動パターンとか、私が一番よくわかるよ」
「めちゃめちゃ体当たり取材じゃないですか!」
「……だって、私頭悪いし。みんなにこれ以上迷惑かけたくないし」
 立ち上がり、ぱたぱたとスカートの埃を払う。腕を組んでストレッチ。本調子ではないものの、気合が戻ってきている。頑固な意思の宿る瞳はきゅっと前を向く。
 ……よし。
 大丈夫とは思わないけど……このるいなら、何かやってくれそうな気がする。
 道筋が決まる。
「じゃあ、とりあえず一端解散しよう。それぞれ自分の方法で情報を集めて、三日後ぐらいに集合して、それからまた対策を練り直そう」
 こくり、と全員が頷く。
 始まる。
 僕らの、呪いとの全面闘争が始まる――